大沼保昭の発言 (憲法調査会)
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○大沼参考人 今の御質問に対してもしちょっと見当外れのお答えをしてしまったら、後でもう一度御指摘いただきたいのですが、私は、今回のようなテロリズムに基づく殺傷、国際秩序への攻撃に対して、またそれを含めて、二十一世紀の国際秩序というものをどういう形で構築していくべきなのか、日本がそういう国際秩序をつくる上でどういう役割を果たしていくべきなのか、それを憲法の条文の中でどのように基礎づけるべきなのかというふうに考えてお答えしたいと思います。
私が先ほどから、日本としては、米国の自衛権の行使に基づく現在の攻撃に全面的にみずからを同化するという立場とはちょっと違った形の、より平和で安全な国際秩序に対する日本の役割の果たし方があるのではないかと申し上げたのは、私は、二十一世紀の、より害の少ない、より平和な秩序をつくり上げていく上で、三つのレベルの思考が求められていると思っているんです。
その一つは、国際的な視点、これは国家間関係として国際社会を見ていくという視点です。もう一つは、民際的な視点、これはNGOとか多国籍企業とか、あるいはよくNGOが言う市民社会、国際市民社会的な視点です。第三番目は、文際的な視点、これは文明と文明との間の関係をどのように見るか。そういう三つの視点が必要だというふうに思っているわけです。
国家間の視点はこれまで支配的であって、その限界が来ているというのは、お二人の中川議員とも恐らく共通の認識だろうと思うので、それを補完し、あるいはそれにかわるものとして、今、民際的な視点というのが非常にはやっているわけです。
ただ、この民際的な視点の落とし穴というのは、これは非常に先進国中心である。NGOというのは、例えばアムネスティ・インターナショナルとかOXFAMとか、いろいろな有力なものがありますけれども、ほとんどが先進国のものです。メディアにしても、CNNとかニューヨーク・タイムズに代表されるように、これも欧米先進国のものです。ということは、先ほどから私が言っている、世界六十億の人口のうちの八割というものはそこでは代弁されない。その声というのが出てこない。その声を吸収しなければ、安定的で平和な国際秩序をつくれない。
そこで必要になってくるのが文際的視点です。それは、例えばイスラム文明であるとか儒教文明であるとか、あるいはヒンズー文明であるとか、そういう文明を枠組みとして、現在の地球問題、国際問題を見ていく。その三つのレベルでの思考が必要である。
私は、先ほどの中川議員の言葉をかりれば、近代が非常に欧米中心的な世界であった、ウェストファリア体制以来、欧米中心的な主権国家体制というものが世界を覆った。しかし、二十一世紀には、間違いなく中国が超大国化していくでしょう、ほかのさまざまな途上国もそれなりの存在理由というものを示すようになる可能性がある。そこでは、近代欧米中心の文明の中で今まで表面に出てこなかったさまざまな文明というものが自己主張して、その文明間の共存というものを真剣に考えなければならない、そういう時代になるだろうというふうに思うんです。
前の中川議員の御質問との関連で言えば、私は、二十一世紀の日本国憲法の前文というのは、そういう文際的な視点というものを前文においてうたうべきだ。つまり、二十一世紀の国際社会というのは、複数の文明が共存して、その複数の文明のすぐれた点を我々が統合的に取り入れて日本国家をつくっていくんだ。それは、我々がこれまで生きてきた日本というもののあり方をはっきりした形で、つまり、米国の眼鏡を通してでなく、我々が自己認識する一つの非常に重要な視点だと私は思います。
これは、別に反米でも何でもなくて、我々の日本という社会の、日本という歴史的な存在のアイデンティティー、自己認識というものをどういうところに求めるか。そうすると、日本は十九世紀中葉までは東アジアの文明の一員であり、日本独自の文化をその中ではぐくんできた。この一世紀半の間、ヨーロッパ文明を受け入れて、そしてアメリカ文明に憧憬を持って生きてきた。もちろん、その近代の遺産というのは大事にしなきゃならないけれども、それ以前の二千年にわたる遺産というのもやはり重要なんだ。二十一世紀というのはそういう文際的な視点で我々が生きていくんだということを、私は、憲法の前文では明示すべきだろうというふうに考えております。