西尾小作の発言 (国会等の移転に関する特別委員会)
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○西尾参考人 私の出身地は、静岡県掛川市でございます。旧曽我村、静岡県の西部、遠州の東部に当たります。そして、東海道五十三次の掛川と袋井の中間点にある、国道一号線に沿ったところです。現在の地図上の位置では、東海道新幹線と東名高速道路の交差したところでございます。
本国会の見学の最初は、昭和二十四年春の中学校の修学旅行のときでした。そのときは休会中で、傍聴席で説明を受けました。そして、今回が二回目です。この間、約五十年が経過しています。感慨無量です。
さて、国会等の移転に関心を持ちました最初は、時期が不明ですが、新聞に、この特別委員会が設置される以前に、浜松の商工会議所と思われる意見として、国道一号線の南にある小笠山西部の地帯を中心とした構想が掲載されたことであります。
前に述べました国道一号線は、小笠山の北側を通っています。その地帯は、小笠山の南側は、国有地が多く、国道一号線の沿線より民家の少ないところだと思っていました。実際に浜松から御前崎に向かって太平洋側を自動車で走ったこともあります。今回の答申からは、地震の件があり除外されているようですが、この送付された資料の中には時々小笠山の名前が出てきます。
その後、国会でも話題となり、法律もでき、候補地の選定が進められるようになってきて、このほど、北東地域と東海地域、条件つきですが三重・畿央地域の三地域が候補に挙げられました。そして、平成十四年には決定の運びと聞いています。
今回までの私の経過は、平成十三年五月の新聞にこれらに対する意見を求める政府公告がありましたので、五月十二日にメールにより意見を送信しました。それから十月に入り、着信メールの中に今回の意見陳述の応募要領があり、今回参加させていただいた次第です。
現在の住まいは、三重県津市です。昭和二十九年に津に来まして、試験研究、研究職に従事して、普通作物の育種に二十年間経過した時点に、米余りとなり、研究の内容も変更となり、それまでの普通作物から野菜、花卉に、さらに場所も隣町に移転いたしました。研究の内容も、観賞樹というような緑化植物に変わりました。観賞樹の研究を十年ほど行った時点に、転勤を伴って鹿児島県枕崎市にある茶支場に、お茶と同様の観賞樹の研究に二年四カ月勤務いたしました。平成元年を枕崎市で迎えました。その後、本場に帰り、六年間は実際の研究からは離れて、管理職として平成六年三月まで勤務し、退職しました。勤務期間は、前後を通じて四十年間でした。現在、退職後七年半が過ぎました。
退職後に、子供夫婦のいるニューヨークに団体ツアーで行き、余分に自由な日を一日だけふやして市内を実際に歩いて見学してきました。当日は日曜日でしたが、証券取引所の中も見学することができました。今回の貿易センター問題ですが、それも外部から眺めました。
これらの経験を通して、参考意見を述べたいと思います。
まず、現在の国会のある東京を筑波山から眺めたことがあります。そのときの印象では、関東平野の中にスモッグに覆われたところがあり、東京であるとすぐわかりました。そのスモッグ状態は、卵を半分にして伏せたように見えました。あの下に一千万人の営みがあるのかと思いました。スモッグを吹き流す気流が少ないのか、それとも発生する煙等が多過ぎるのかと思った次第です。
それで、国会等移転関係資料(第一号)を見ますと、各候補地について各方面からの人たちが長所、短所を述べられていますが、私の懸念項目はほとんど含まれています。
私の基本的な考えは、交通は、東海道新幹線の範囲であれば特に問題はありません。近畿自動車道、中国道、九州自動車道を使用して約千二百キロ、これは枕崎までの距離ですが、十八時間をかけて走った経験があります。それから、土地に余裕のあること。そして、報告書の中では気候面で雪の少ないところだけが指摘されていますが、風土的に見ると、風の問題が大切だと思います。以上の点を考慮してみます。
まず最初に、北東地域は、北関東に当たり、東北新幹線で盛岡市までは行きましたが、途中下車していませんのでよくわかりません。同じ職場で同地方出身者で津に住みついている人も、ちょっと話をしたのですが、やや不便ではないかと言っていました。
次に、東海地域は、掛川—名古屋間の新幹線を利用しますし、東名と中央道路とも利用しますが、住宅や工場が多くて開発がうまく進むか問題があるのではと思います。物づくりの地帯として重要なところだと思います。最近の地震予知連の報告では、震源地の予想がやや西に移動が考えられるとも言われていることが、やや不安要因です。
最後に、三重・畿央地域ですが、条件が附帯されましたが、道路は名古屋—大阪間の名阪自動車道が主たるもので、九州や関西方面への往復にも十数回利用していますので、この道路の天理までの両側かとも思われます。報告書にもあるように、新幹線からはやや離れていますが、交通の便は比較的によく、関西線の整備充実を図ればと思います。私鉄も近くまで来ています。さらに、土地開発の速度がやや遅く、残された地区と思われますので、土地にも余裕があるのではないかと考えられます。
前に述べた風の点ですが、若狭湾から伊勢湾に流れ込む気流は、空気の移動を促進し、スモッグ等を太平洋に押し流す作用があります。空気が停滞するようなことはありません。この点では、関ケ原のような雪による交通災害も比較にならないほど少ないところと思われます。
また、寒く冷たい風の影響の一例として、桜の開花時期を見ると、東京の上野に比べ一週間ほど遅いようです。これは、雪国の人たちが、こちらの方が冷えて寒いと言われます。これは風が強いことからくるものと思います。この風の人間への作用として、寒風は緊張感を持たせることから、有名人を育てているとも言われています。これは実際に本に書いている人もあります。
その他の条件として、伊勢神宮は二十年ごとに遷宮が行われております。情報関係のIT関連の外国からの通信網が志摩に、伊勢よりちょっと南ですが、志摩に揚がりますのも好都合と思われます。
それに、地震関係ですが、昭和二十年の終戦前に発生したもの、正式な名前はちょっとわかりませんが、東南海地震ですか、昼間ということで実際に揺れを体験しました。掛川の実家での経験ですが、傾く家屋は屋根がわらが横にずれる程度で、実際の倒壊は見られませんでした。しかし、戦時中のことで、報道が少なく、そういう関係からかもしれませんが、近ごろの地震一覧を見ても、阪神・淡路大震災のようなことはなかったと思います。
日本の大きな区分に、通常は箱根を境として関東と関西に分かれていると思いますが、職場には全国の人たちが見えて、話し合ってみますと、関東の人たちは箱根から西のことの認識が不足し、一方、関西の人たちは関東から東のことがわかりにくいというのが実情です。他方、東海道五十三次にある三重県関町のガイドさんによりますと、この関から伊勢神宮にかけての道の東が関東で、西が関西とも説明していました。そうすると、箱根からこの間までの中間地は実際どちらに入っていいかと考えてしまう次第でございます。
以上の事柄から、大きな紀伊半島のつけ根にあって、地盤も強固だと考えられますし、古代文化の漂う三重・畿央地区がいろいろな面から適地と考えられ、私はこれが適地と参考に述べたいと思います。
以上です。(拍手)