浜谷英博の発言 (国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動等に関する特別委員会)

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○浜谷参考人 御紹介いただきました浜谷でございます。
 何か後ろで座っていますと、そこの三つ目の席と四つ目の席の境目がどうも賛成と反対の境目のような気がしておりますが、そういう意味では私はちょっと微妙でありまして、ここに立ってどういう発言から始めようか、多少迷っております。
 御承知のように、もう言い古されたことでもありますが、九月十一日のいわゆる米国の中枢をねらったテロというものは、多様な価値観を認容する国際社会というものに対するまさに挑戦でありまして、無差別かつ未曾有の大量殺りく、また、大量破壊というものを平然と行ったというまことに卑劣な行為だというふうに言わなければなりません。近代社会の秩序というものをそういう形で一方的に無視したいわゆる偏狂と独善といいますか、そういうものに対しては、まさに東西を問わない国際社会が強い怒りと対決姿勢を示してそれに対応しようとしたというのはいわば当然であります。この許しがたい行為に対し、我が国がまさに主体的な判断とそれから行動によって、国際社会との連帯を強めながら、いわゆるできる限りの対応を全力で行うということは、国際社会の一員としてのまさに義務的な行為でもあると考えます。
 しかし、テロ事件発生以降、突如浮上したこの新法制定の動向というのは、有事法制の整備というものを焦眉の急であるというふうにして長年主張してきた私にとっては、まさに意外な展開でございました。
 当初、対米支援法案というような、何といいますか、テロに対する当事者意識が欠如したというか、そういうネーミングにも少し当時はあきれておりました。ただ、現行法制の想定している事態をはるかに超えた、まさに新しい事態だということを考えますと、いずれにしろ、新法で対応せざるを得ないということも確かでありますし、泥縄の感はまさに否めないわけでありますが、現政府の対応はおおむね首肯できるところでもあるわけであります。
 ところが、この状況にありまして、従来の憲法解釈、それから政府解釈、政府答弁という枠を一歩も出ないという姿勢を見るにつけまして、果たしてこのことが国民の素朴な疑問やまさに疑心暗鬼といったものを完全に払拭して、正しい理解と支持が得られるのかどうかということについてはいささか不安になったということも事実でございます。その最大のものは、やはり集団的自衛権の問題とそれに伴う武力行使の一体化論でございます。
 新法は新しい理念と解釈に基づかなければ、従来の対応策と基本的に何が異なるのかということが大きな疑問であります。また、新規の行動や範囲が拡大したとすれば、従来の解釈に変更が伴うということも必然だからであります。解釈疲労をまさに起こしつつある憲法でございますが、また一つ危うい解釈をそれに加えるということによって、我が国の安全保障の確立という問題には決して資することはないのではないかという感じがしております。
 以下、早急にかつ同時並行的に進めるべき我が国の対応というものについて、三点だけ絞ってお話をしたいと思います。
 まず、日本にとって重要なのは、予測しなかった新しい事態に対して、当事者意識を持っていかなる主体的な行動をするかということでございます。
 時代の要請も、まさに事件や事故の起こるたびに、いわば対症療法的に特別法を制定するような個別対処ではなくて、あらゆる性質の危機を想定した基本法の制定ということではないかと思います。その意味では、本法案もかかる基本法のまさに一部を構成するものでなければならないというふうに思うわけであります。
 その際は、できる、できないという従来のまさに見解の相違からくる不毛な論議というものをそろそろ卒業して、すべきことの自覚と、それからしないことということの明確化というものを歯どめとして法案に盛り込むということは重要であると考えます。
 加えて、基本法には、徹底したシビリアンコントロールとしての国会の関与というものを考えるべきだろうというふうに思います。
 よく一般には、原則事前、緊急時には事後というような対応がなされるわけでありますが、それよりは、自衛隊の派遣後について、二カ月程度の特定期間の経過ごとに事前承認を国会がするということが最も効果的であろうと思います。
 これは、アメリカが海外で軍隊を行使しますときに、大統領は戦争権限法という法律によって縛りをかけられます。アメリカですらそうであります。日本でもそれができないわけではないだろうというふうに考えます。
 また、現行法制では、国会が一度承認を与えてしまいますと、それを取り消す法制度はないというふうに聞いております。場合によっては、自衛隊の派遣の継続に対して、その意味で、国会が拒否権を行使するということすらも制度化できるのではないかというふうに考えております。
 いずれにせよ、時々刻々と変化します状況を的確に把握して、ともに行動する関係参加国との情報交換を密にしながら、継続派遣や撤退について、我が国の政府と国会が主体的に共同判断をするということが重要なポイントではないかと考えております。
 二番目は、日米同盟を基軸とした防衛協力体制の問題であります。これは、対テロ政策というものにも共通した我が国の安全保障上の基盤であるならば、まさにより強固な体制づくりというものが望まれるわけであります。
 その際、集団的自衛権の行使というものを禁じた解釈は、いずれにせよ、抵触への不安と常に闘いながらの窮屈な活動内容に終始するわけでありますし、場合によっては、同盟国との信頼関係を破綻させるような、そういう事態さえ生起させかねないというふうに考えるわけであります。
 そもそも、集団的自衛権の行使は不可能として、そしてそれに該当しないとする活動範囲を拡大しながら武力行使との一体化に限りなく近づける主張と、集団的自衛権の行使は可能として、そして我が国国会と政府の主体的な政策判断による制約的な行使というものとは、実はそれほどの違いはないのではないかというふうに思うわけであります。いずれが合理的な政策であるかというのは、この点では自明であります。行使を可能にしたからといって、常にフル規格で行使しなければならないというわけでは当然ありません。
 そこには民主主義的な正当性を持った機関の重い政策判断があるわけでありまして、とりわけ、現行政府解釈が確立した時代と現代では、その国際環境、国際安全保障環境そのものが変わっておりますし、まさに我が国の安全保障政策が基盤的に再検討されるべき時期に来ているのではないかというふうに思います。
 第三には、日本は、現行の米国の対応について、個別的な自衛権による行動というものから、集団的安全保障の枠への組み入れというものを模索すべきことを主張したらいいのではないかというふうに考えます。
 確かに、国連決議の一三六八というテロ非難決議は存在するわけでありますが、これが直接的な武力行使を容認したというものではないということは明らかであります。アメリカの行動がこれから長期化するにつれて、今のままでは、国際社会の合意に基づく行動と、そう主張することがやがてもたなくなるのではないかという危惧を持つわけであります。国際合意を担保する手段として、解決後もにらみながら、国連機構の利用を進言すべきでありますし、その中では、あらゆる事態を想定した中東諸国との交渉に日本の果たすべき役割も大きいのではないかというふうに考えております。
 いずれにしましても、テロを根絶するためには、国際社会の強固な連帯と協力、また長期的、総合的な対応というものが不可欠でありますから、有事法制の整備の一環として、一日も早い体系的な発想による安全保障基本法というものが制定されて、そして国際社会の一員としての名誉ある地位の確立を急ぐべきではないかというふうに考えております。
 御清聴ありがとうございました。(拍手)

発言情報

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発言者: 浜谷英博

speaker_id: 32678

日付: 2001-10-13

院: 衆議院

会議名: 国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動等に関する特別委員会