宮崎秀樹の発言 (災害対策特別委員会)

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○宮崎秀樹君 日本医師会でもこういう冊子を出しまして、これは全部、全医療機関にこれを配ってありますが、消毒に関しましては余り詳しいことが書いていないものですから、きょうお尋ねしたわけであります。
 と同時に、沖縄サミットのときに、こういうものが万が一あるといけないというので、何か厚生省の方が医療機関へ名刺を配って歩いたという話がありまして、名刺を配って歩いてもしようがないだろうなと。外国ではむしろこういう細菌の兵器に対しまして部隊が、きちっとそういう部隊が編成されていまして、それが全部警備に当たるというようなシステムがあります。我が国でもやっぱりそういうようなことを考えて、ふだんから対応しておくことが必要ではないかということを思っておる次第であります。
 それから、次は災害救助法の問題に入りたいと思います。
 災害救助法でございますが、実は一つの事例があるんですが、昭和四十七年七月に愛知県で藤岡、小原村の集中豪雨による大災害が発生いたしました。大体こういう災害が発生しますと、まず最初に現地の警察官、消防団、それから医療関係者、これが出動しまして、そして早速救助に当たります。災害救助法というのは追っかけて後から発令されます。
 私の今申し上げる一つの例は、これは命令系統が一つあります。これは、医療に関しまして命令が出てくるのは県の衛生部を通じて、保健所を通じて出動要請が来たというんですね。だから、いろんな命令系統で来るわけです。法律は、最終的には県知事が要請をして独自に二十四条でこれはそういうことを調達できるというふうになっています。しかし、もう一方で、この医療に関しては三十二条で日本赤十字社が委託を受けてやると、こうなっているんですね。
 そうしますと、まず先に地元の医師会が出動し、朝の午前五時半ですか、通達があって、六時半にはもう現地を出発して、そして車で入れるところまでは入りましたが、その後は全部これは歩いて、それこそ濁流に身をさらして、現地に着いて救助活動をして、やっと落ちついて、ほとんどの救助を終わり、そして死体検案が最終的には残ったと。そこへヘリコプターで日赤が飛んできて、そしてテントを張って旗立てたと。それで、あと残っているのは死体検案だから死体検案をやってくれと言ったら、我々は生きている者を救助に来たので死体は関係ないというようなことを言いまして、そこで大分もめまして、それで結局、日赤の委託を受けた下で働くというのを、これはもうだめだというので協定を実は破棄しまして、そして新しく県知事との間に日赤とそれから医師会とのまさに同列の協定を一緒に結んでやっているというような事例がありました。
 私は、そういう日本赤十字社とこういう災害が起きたときにまず最初に出動した地元の医師会との協調をぜひうまいことやってほしいということで、この二十四条と三十二条、これはやはり整合を持たせた方がいいんじゃないかと思うんですが、その辺はいかがでしょうか。現在はうまく協調しながらやっているという状況ですが、その辺についてのお考えをお聞かせください。

発言情報

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発言者: 宮崎秀樹

speaker_id: 7681

日付: 2001-11-28

院: 参議院

会議名: 災害対策特別委員会