斉藤鉄夫の発言 (憲法調査会)
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○斉藤(鉄)委員 公明党の斉藤鉄夫です。
沖縄の地方公聴会の報告、興味深く聞かせていただきました。私も過去三回の公聴会には参加をさせていただきましたが、その過去三回の公聴会の中でも、憲法を論ずること自体許せないことだといったような、それも暴力的な言辞でもって威嚇をするような場面がたくさんございまして、私も大変不愉快な気分になったことを思い出しました。この点については、もう少し、憲法について根本的に論ずるという風潮を国民の、また日本国の中につくっていくことが大事だということを改めて感じた次第でございます。
さて、安全保障論議でございますけれども、憲法九条をめぐる安全保障論議、突き詰めていきますと、暴力に対する二つの考え方に行き着くのかな、本当に浅薄な、個人的な思考でございますけれども、そのように思います。
一つの考え方は、いかなる場合であっても暴力は許されないという考え方でございます。私は仏教徒ですけれども、すべての生命の中に仏性があって、その仏性に対して暴力を振るうことは絶対許されないという考え方、これも日本の国民の中に深く浸透していると思います。たとえ自分が暴力で侵されたとしても、自分は暴力を振るわない、そのときに振るわないということを貫き通したその精神的な一貫性、自由、そのことの中に自分の精神の尊厳があるということを認める考え方でございます。
もう一方の考え方は、暴力に対しては武力、この武力というのはまさに暴力という形をとります。外から見れば、暴力といわゆる正当防衛のための武力行使、これは差別はつきません。暴力に対しては武力というものでもって対抗し、自分の生命、そして精神的自由、自律を守る、そのときの最低限の暴力はいたし方ないという考え方でございます。
私自身はこの二番目の考え方の方に軸足を置いておりますけれども、このような二つの考え方が国民の間にもありまして、そのぶつかり合いが憲法九条をめぐる議論の本質なのかな、このように思っております。
そういう、かなり各自の生き方の問題、何に価値を置くかということの根本にかかわる問題でございまして、この問題で徹底して議論をすることは大切ですけれども、一つの国民的合意を得られるというのはかなり難しいのではないかなというふうに直感的に感じております。
そういう意味で、私は、現在あります第九条は、国民の中にある大きなこの二つの考え方をある意味で包摂する、包含をする、そういう条項になっているものではないか、このように感じております。
現在の自衛隊、また日米安保、それから集団的自衛権等に関する現在の九条の解釈も含めて、この九条については当分の間これを堅持するということ、ある意味でその二つの不毛な議論のぶつかり合いを避けながら憲法全般について議論をしていくためにも、この憲法九条については、議論は当然していくわけですけれども、当分の間堅持するということが妥当なのではないかと個人的には思っております。
以上でございます。