憲法調査会
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会
会議録情報#0
平成十四年四月二十五日(木曜日)
午前九時四分開議
出席委員
会長 中山 太郎君
幹事 高市 早苗君 幹事 葉梨 信行君
幹事 島 聡君 幹事 中川 正春君
幹事 中野 寛成君 幹事 赤松 正雄君
伊藤 公介君 奥野 誠亮君
久間 章生君 高村 正彦君
谷垣 禎一君 土屋 品子君
中曽根康弘君 中山 正暉君
長勢 甚遠君 平井 卓也君
山崎 拓君 大出 彰君
小林 憲司君 今野 東君
首藤 信彦君 中村 哲治君
永井 英慈君 伴野 豊君
松沢 成文君 江田 康幸君
斉藤 鉄夫君 藤島 正之君
春名 直章君 山口 富男君
植田 至紀君 金子 哲夫君
…………………………………
衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君
—————————————
委員の異動
三月二十八日
辞任 補欠選任
高村 正彦君 伊藤信太郎君
土井たか子君 横光 克彦君
井上 喜一君 西川太一郎君
同日
辞任 補欠選任
伊藤信太郎君 高村 正彦君
横光 克彦君 土井たか子君
西川太一郎君 井上 喜一君
四月十一日
辞任 補欠選任
土井たか子君 原 陽子君
同日
辞任 補欠選任
原 陽子君 土井たか子君
同月十六日
辞任 補欠選任
近藤 基彦君 久間 章生君
同月二十五日
辞任 補欠選任
土井たか子君 植田 至紀君
同日
辞任 補欠選任
植田 至紀君 土井たか子君
—————————————
本日の会議に付した案件
日本国憲法に関する件
派遣委員からの報告聴取
————◇—————
この発言だけを見る →午前九時四分開議
出席委員
会長 中山 太郎君
幹事 高市 早苗君 幹事 葉梨 信行君
幹事 島 聡君 幹事 中川 正春君
幹事 中野 寛成君 幹事 赤松 正雄君
伊藤 公介君 奥野 誠亮君
久間 章生君 高村 正彦君
谷垣 禎一君 土屋 品子君
中曽根康弘君 中山 正暉君
長勢 甚遠君 平井 卓也君
山崎 拓君 大出 彰君
小林 憲司君 今野 東君
首藤 信彦君 中村 哲治君
永井 英慈君 伴野 豊君
松沢 成文君 江田 康幸君
斉藤 鉄夫君 藤島 正之君
春名 直章君 山口 富男君
植田 至紀君 金子 哲夫君
…………………………………
衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君
—————————————
委員の異動
三月二十八日
辞任 補欠選任
高村 正彦君 伊藤信太郎君
土井たか子君 横光 克彦君
井上 喜一君 西川太一郎君
同日
辞任 補欠選任
伊藤信太郎君 高村 正彦君
横光 克彦君 土井たか子君
西川太一郎君 井上 喜一君
四月十一日
辞任 補欠選任
土井たか子君 原 陽子君
同日
辞任 補欠選任
原 陽子君 土井たか子君
同月十六日
辞任 補欠選任
近藤 基彦君 久間 章生君
同月二十五日
辞任 補欠選任
土井たか子君 植田 至紀君
同日
辞任 補欠選任
植田 至紀君 土井たか子君
—————————————
本日の会議に付した案件
日本国憲法に関する件
派遣委員からの報告聴取
————◇—————
中
中山太郎#1
○中山会長 これより会議を開きます。
日本国憲法に関する件について調査を進めます。
日本国憲法に関する調査のため沖縄県に委員を派遣いたしましたので、派遣委員より報告を聴取いたします。中野寛成君。
この発言だけを見る →日本国憲法に関する件について調査を進めます。
日本国憲法に関する調査のため沖縄県に委員を派遣いたしましたので、派遣委員より報告を聴取いたします。中野寛成君。
中
中野寛成#2
○中野(寛)委員 団長にかわり、派遣委員を代表いたしまして、その概要を御報告申し上げます。
派遣委員は、中山太郎会長を団長として、幹事葉梨信行君、委員久間章生君、幹事島聡君、幹事赤松正雄君、委員藤島正之君、委員春名直章君、委員金子哲夫君、委員井上喜一君、それに私、中野寛成を加えた十名であります。
なお、現地において、赤嶺政賢議員及び東門美津子議員が参加されました。
地方公聴会は、四月二十二日午後、沖縄県名護市の万国津梁館において、二十一世紀の日本と憲法をテーマとして開催いたしましたが、それに先立ちまして、二十一日午後、沖縄県庁において、稲嶺恵一沖縄県知事及び県職員から、沖縄振興計画の素案、沖縄の米軍基地問題、沖縄の観光産業の現状等について説明を聴取するとともに、翌二十二日午前には、平和祈念公園に赴き、国立沖縄戦没者墓苑、平和の礎を視察いたしました。
地方公聴会においては、まず、中山団長から今回の地方公聴会開会の趣旨及び本調査会におけるこれまでの活動の概要の説明、派遣委員及び意見陳述者の紹介並びに議事運営の順序を含めてあいさつを行った後、平和憲法・地方自治問題研究所主宰山内徳信君、弁護士新垣勉君、ビジネススクール校長恵隆之介君、沖縄国際大学法学部教授垣花豊順君、大学生稲福絵梨香さん及び沖縄県議会議員安次富修君の六名から意見を聴取いたしました。
その意見内容につきまして、簡単に申し上げますと、
山内君からは、憲法九条は国民の命そのものであるから、政治家は憲法を尊重擁護し、また、我が国は平和国家のモデルとして、九条の精神を世界に広めるべきであるとの意見、
新垣君からは、さきの沖縄戦の教訓は、軍事力で国民の生命は守れないということであり、個人の尊厳の観点からも、非武装平和主義を体現する憲法九条を守るべきであるとの意見、
恵君からは、交戦権は国の当然の権利であり、また、武力の裏づけなくしては国家の独立と平和は維持できないので、憲法九条を改正すべきであるとの意見、
垣花君からは、憲法、教育基本法の基本理念である個人の尊厳が普及徹底するよう、国会議員、教員等は、憲法の個人の尊厳を尊重擁護すべきであるとの意見、
稲福さんからは、学ぶことは義務ではなく権利であるので、奉仕活動の義務化は行うべきではなく、ボランティア活動では、地域に支えられて地域とともに生きる関係が重要であるとの意見、
及び
安次富君からは、戦争放棄の理想は保持しつつ、必要最小限の自衛力の行使及びその際の国民による直接的コントロールを憲法に明記し、また、立法権と行政権の完全な分立、地方自治の充実を憲法に明記すべきであるとの意見
がそれぞれ開陳されました。
意見の陳述が行われた後、各委員から、我が国の安全保障体制、自衛隊、日米安全保障条約の合憲性、九条以外の条項に関する改正の是非、災害時の自衛隊の役割、国家による国民の安全保護のあり方、非軍事面での国際貢献、日米地位協定の見直し、有事法制の問題点、教育問題などについて質疑がありました。
派遣委員の質疑が終了した後、中山団長が傍聴者の発言を求めましたところ、傍聴者から、平和憲法の重要性、国家主権の確立の必要性、沖縄で憲法が十分に守られてこなかったこと、有事法制の問題点等についての発言がありました。
なお、会議の内容を速記により記録いたしましたので、詳細はそれによって御承知願いたいと思います。また、速記録ができ上がりましたならば、本調査会議録に参考として掲載されますよう、お取り計らいをお願いいたします。
以上で報告を終わりますが、今回の会議の開催につきましては、関係者多数の御協力により、比較的円滑に行うことができました。
ここに深く感謝の意を表する次第であります。
以上、御報告申し上げます。
この発言だけを見る →派遣委員は、中山太郎会長を団長として、幹事葉梨信行君、委員久間章生君、幹事島聡君、幹事赤松正雄君、委員藤島正之君、委員春名直章君、委員金子哲夫君、委員井上喜一君、それに私、中野寛成を加えた十名であります。
なお、現地において、赤嶺政賢議員及び東門美津子議員が参加されました。
地方公聴会は、四月二十二日午後、沖縄県名護市の万国津梁館において、二十一世紀の日本と憲法をテーマとして開催いたしましたが、それに先立ちまして、二十一日午後、沖縄県庁において、稲嶺恵一沖縄県知事及び県職員から、沖縄振興計画の素案、沖縄の米軍基地問題、沖縄の観光産業の現状等について説明を聴取するとともに、翌二十二日午前には、平和祈念公園に赴き、国立沖縄戦没者墓苑、平和の礎を視察いたしました。
地方公聴会においては、まず、中山団長から今回の地方公聴会開会の趣旨及び本調査会におけるこれまでの活動の概要の説明、派遣委員及び意見陳述者の紹介並びに議事運営の順序を含めてあいさつを行った後、平和憲法・地方自治問題研究所主宰山内徳信君、弁護士新垣勉君、ビジネススクール校長恵隆之介君、沖縄国際大学法学部教授垣花豊順君、大学生稲福絵梨香さん及び沖縄県議会議員安次富修君の六名から意見を聴取いたしました。
その意見内容につきまして、簡単に申し上げますと、
山内君からは、憲法九条は国民の命そのものであるから、政治家は憲法を尊重擁護し、また、我が国は平和国家のモデルとして、九条の精神を世界に広めるべきであるとの意見、
新垣君からは、さきの沖縄戦の教訓は、軍事力で国民の生命は守れないということであり、個人の尊厳の観点からも、非武装平和主義を体現する憲法九条を守るべきであるとの意見、
恵君からは、交戦権は国の当然の権利であり、また、武力の裏づけなくしては国家の独立と平和は維持できないので、憲法九条を改正すべきであるとの意見、
垣花君からは、憲法、教育基本法の基本理念である個人の尊厳が普及徹底するよう、国会議員、教員等は、憲法の個人の尊厳を尊重擁護すべきであるとの意見、
稲福さんからは、学ぶことは義務ではなく権利であるので、奉仕活動の義務化は行うべきではなく、ボランティア活動では、地域に支えられて地域とともに生きる関係が重要であるとの意見、
及び
安次富君からは、戦争放棄の理想は保持しつつ、必要最小限の自衛力の行使及びその際の国民による直接的コントロールを憲法に明記し、また、立法権と行政権の完全な分立、地方自治の充実を憲法に明記すべきであるとの意見
がそれぞれ開陳されました。
意見の陳述が行われた後、各委員から、我が国の安全保障体制、自衛隊、日米安全保障条約の合憲性、九条以外の条項に関する改正の是非、災害時の自衛隊の役割、国家による国民の安全保護のあり方、非軍事面での国際貢献、日米地位協定の見直し、有事法制の問題点、教育問題などについて質疑がありました。
派遣委員の質疑が終了した後、中山団長が傍聴者の発言を求めましたところ、傍聴者から、平和憲法の重要性、国家主権の確立の必要性、沖縄で憲法が十分に守られてこなかったこと、有事法制の問題点等についての発言がありました。
なお、会議の内容を速記により記録いたしましたので、詳細はそれによって御承知願いたいと思います。また、速記録ができ上がりましたならば、本調査会議録に参考として掲載されますよう、お取り計らいをお願いいたします。
以上で報告を終わりますが、今回の会議の開催につきましては、関係者多数の御協力により、比較的円滑に行うことができました。
ここに深く感謝の意を表する次第であります。
以上、御報告申し上げます。
中
中山太郎#3
○中山会長 これにて派遣委員の報告は終わりました。
ただいま報告のありました現地における会議の記録は、本日の会議録に参照掲載することに御異議ございませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
この発言だけを見る →ただいま報告のありました現地における会議の記録は、本日の会議録に参照掲載することに御異議ございませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
中
中
中山太郎#5
○中山会長 これより派遣委員からの発言及び委員間の自由討議を行います。
本日の議事の進め方でありますが、まず、派遣委員から発言していただき、その後、派遣報告及び派遣委員からの発言を踏まえ、特に我が国の安全保障について自由討議を行いたいと存じます。
ただいま聴取した派遣報告にもありましたように、沖縄地方公聴会におきましては、武力攻撃事態への対処に関連する三法案の国会への提出などを受けて、我が国の安全保障、有事法制等について多くの意見が述べられました。
ちなみに、今国会冒頭に各委員にその要約版を配付いたしました昭和三十九年の内閣憲法調査会の報告書におきましても、戦争等の有事のほか、自然災害や経済的混乱を含む非常事態に関しては、それに対処するための措置がとられる必要があるということは、委員全員の一致した見解であったようでありますが、それに対処するための措置については、憲法に根拠規定を設けるべきであるとする見解と、憲法に根拠規定は不要であるとする見解とがあったようであります。
内閣憲法調査会の報告書が提出されてから約四十年を経過した今日、世界の情勢は大きく変化しておりますが、沖縄地方公聴会での議論その他の資料を踏まえて、本日は、特に我が国の安全保障について、委員間の自由活発な御議論をちょうだいできればと存じております。
御発言を希望される方は、お手元にあるプレートをお立ていただき、御発言が終わりましたら戻していただくようお願いいたします。
なお、議事整理のため、御発言は、会長の指名に基づいて、自席から着席のまま、所属会派と氏名を述べてからお願いいたしたいと存じます。御発言は五分以内におまとめいただきますようお願いいたします。
発言時間の経過につきましてのお知らせでありますが、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたしたいと存じます。
葉梨信行君。
この発言だけを見る →本日の議事の進め方でありますが、まず、派遣委員から発言していただき、その後、派遣報告及び派遣委員からの発言を踏まえ、特に我が国の安全保障について自由討議を行いたいと存じます。
ただいま聴取した派遣報告にもありましたように、沖縄地方公聴会におきましては、武力攻撃事態への対処に関連する三法案の国会への提出などを受けて、我が国の安全保障、有事法制等について多くの意見が述べられました。
ちなみに、今国会冒頭に各委員にその要約版を配付いたしました昭和三十九年の内閣憲法調査会の報告書におきましても、戦争等の有事のほか、自然災害や経済的混乱を含む非常事態に関しては、それに対処するための措置がとられる必要があるということは、委員全員の一致した見解であったようでありますが、それに対処するための措置については、憲法に根拠規定を設けるべきであるとする見解と、憲法に根拠規定は不要であるとする見解とがあったようであります。
内閣憲法調査会の報告書が提出されてから約四十年を経過した今日、世界の情勢は大きく変化しておりますが、沖縄地方公聴会での議論その他の資料を踏まえて、本日は、特に我が国の安全保障について、委員間の自由活発な御議論をちょうだいできればと存じております。
御発言を希望される方は、お手元にあるプレートをお立ていただき、御発言が終わりましたら戻していただくようお願いいたします。
なお、議事整理のため、御発言は、会長の指名に基づいて、自席から着席のまま、所属会派と氏名を述べてからお願いいたしたいと存じます。御発言は五分以内におまとめいただきますようお願いいたします。
発言時間の経過につきましてのお知らせでありますが、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたしたいと存じます。
葉梨信行君。
葉
葉梨信行#6
○葉梨委員 私は、このたびの沖縄地方公聴会に自民党委員として参加させていただきまして、憲法をめぐりまして、賛成あるいは護憲、反対、いろいろな現地のお声を伺いまして、大変勉強になったと思っております。
簡単に感想を申し上げさせていただきますが、その中で、あの沖縄戦のときに、日本軍は沖縄の県民を守ってくれなかった、守ってくれると思った軍が大変むごいこともしたという発言に衝撃を受けました。私は、沖縄戦というのは日本のあの太平洋戦争の中の末期的な最後の戦いであり、もう混乱のきわみにあったということがそういう経験をされたことにつながったんだろうと思います。十万人近い民間人も兵隊さんたちと一緒に亡くなったということは、本当に残念なことで、心から御冥福をお祈りしたいと思っております。
もう一つは、発言者の中に、基本的人権を守るということをこれからもかたく、ひとつ憲法に書いてあるように遵守してほしいという発言でございました。これは、沖縄の方々が、敗戦した後アメリカ軍に占領され、そして農地や民有地、いろいろ接収されて基地ができた、その過程においてまた大変つらい経験をされた、そのための基本的人権を守れという御発言につながっていると思うのでございます。
そして、この基本的人権を守るということは憲法の三つの理念の一つでございまして、私どももそういう御発言を深く胸に受けとめながら、日本国民全部が、戦後五十数年たっておりますけれども、引き続きそういう気持ちで生活をしているということを沖縄の方々にも認識していただきたいなと思った次第でございます。
憲法について、護憲という立場と、今のままでは、日本の安全保障について憲法を改正していかなければならないという御意見、二つの御意見が出たわけでございますが、この安全保障については後ほど各委員からいろいろ御発言があると思いますので、私も時間があればちょっと申し上げさせていただきたいと思います。
この公聴会に出られた方の中で、女子学生がおられました。稲福さん、この方が教育課程の改訂について、社会奉仕活動が義務化されるということは納得できない、社会奉仕というのは自主的にやるものだ、こういうお話がございました。私は、ちょうど発言をいたしませんでしたけれども、会議が終わってから稲福さんに申し上げましたことは、これは義務教育の課程において社会奉仕という観念を子供たちに植えつけるためにそういう規定を置いたわけで、決して国民に強制するということじゃなく、育ち盛りの子供たちにそういうよき生活の仕方を学ばせるという意味の義務化なんだから、そこを勉強してくださいよということを申し上げた次第でございました。
沖縄の知事から、いろいろ沖縄振興特別措置法についてお話を伺いましたが、沖縄も五十年たちまして、占領中、そして祖国復帰後、目覚ましい復興を遂げてこられました。その状況を見ますと、日本全体がそうであるように、戦後五十数年たって、また世界第二の経済大国となった日本が、世界の中においてどういう安全保障上その他の責任を果たしたらいいか、そういう一つの区切りがついた中での憲法のあり方を、沖縄の方々と一緒にこれからいろいろ議論をしていきたいと考えた次第でございました。
まとまりませんし、大変簡単でございますが、一言申し上げました。終わります。
この発言だけを見る →簡単に感想を申し上げさせていただきますが、その中で、あの沖縄戦のときに、日本軍は沖縄の県民を守ってくれなかった、守ってくれると思った軍が大変むごいこともしたという発言に衝撃を受けました。私は、沖縄戦というのは日本のあの太平洋戦争の中の末期的な最後の戦いであり、もう混乱のきわみにあったということがそういう経験をされたことにつながったんだろうと思います。十万人近い民間人も兵隊さんたちと一緒に亡くなったということは、本当に残念なことで、心から御冥福をお祈りしたいと思っております。
もう一つは、発言者の中に、基本的人権を守るということをこれからもかたく、ひとつ憲法に書いてあるように遵守してほしいという発言でございました。これは、沖縄の方々が、敗戦した後アメリカ軍に占領され、そして農地や民有地、いろいろ接収されて基地ができた、その過程においてまた大変つらい経験をされた、そのための基本的人権を守れという御発言につながっていると思うのでございます。
そして、この基本的人権を守るということは憲法の三つの理念の一つでございまして、私どももそういう御発言を深く胸に受けとめながら、日本国民全部が、戦後五十数年たっておりますけれども、引き続きそういう気持ちで生活をしているということを沖縄の方々にも認識していただきたいなと思った次第でございます。
憲法について、護憲という立場と、今のままでは、日本の安全保障について憲法を改正していかなければならないという御意見、二つの御意見が出たわけでございますが、この安全保障については後ほど各委員からいろいろ御発言があると思いますので、私も時間があればちょっと申し上げさせていただきたいと思います。
この公聴会に出られた方の中で、女子学生がおられました。稲福さん、この方が教育課程の改訂について、社会奉仕活動が義務化されるということは納得できない、社会奉仕というのは自主的にやるものだ、こういうお話がございました。私は、ちょうど発言をいたしませんでしたけれども、会議が終わってから稲福さんに申し上げましたことは、これは義務教育の課程において社会奉仕という観念を子供たちに植えつけるためにそういう規定を置いたわけで、決して国民に強制するということじゃなく、育ち盛りの子供たちにそういうよき生活の仕方を学ばせるという意味の義務化なんだから、そこを勉強してくださいよということを申し上げた次第でございました。
沖縄の知事から、いろいろ沖縄振興特別措置法についてお話を伺いましたが、沖縄も五十年たちまして、占領中、そして祖国復帰後、目覚ましい復興を遂げてこられました。その状況を見ますと、日本全体がそうであるように、戦後五十数年たって、また世界第二の経済大国となった日本が、世界の中においてどういう安全保障上その他の責任を果たしたらいいか、そういう一つの区切りがついた中での憲法のあり方を、沖縄の方々と一緒にこれからいろいろ議論をしていきたいと考えた次第でございました。
まとまりませんし、大変簡単でございますが、一言申し上げました。終わります。
中
島
島聡#8
○島委員 民主党の島聡でございます。
沖縄に行ってまいりまして、地方公聴会でお話を聞きました。私は、名古屋の地方公聴会も行かせていただいたのですが、沖縄の地方公聴会は、本当に沖縄は熱いといいますか、多くの方の意見が熱いものがありました。それはいろいろな歴史的な経緯もあるんでしょう。ただ、その熱さが、憲法調査会に対する誤解もあるのかなという感じがしました。ともかく、この憲法調査会は一応発議権はないわけでありますから、この憲法調査会公聴会が、何か改正するための手続論だというような話が随分出まして、それはちょっと誤解だなというふうに思いました。
逆に、私は、中山会長、中野会長代理が座長をやっておられたのですが、本当に言論の自由が守られている日本だなということを感じながら、いろいろな意見を聞いてきた次第でございます。
今から二点申し上げます。沖縄には、平和の礎というのがございます。そしてもう一つ、憲法九条の碑というのが読谷村と那覇にあります。そういう意味で、憲法九条というのは極めて重要なことと考えるところであるわけです。我が憲法調査会も、恐らくきょう今から自由討論があるんでしょうが、憲法九条を本当に真っ向から議論をすべきものではないかなと私自身は思っています。
例えば、憲法九条を世界に輸出しようという意見がたくさんございました、その公述人の中から。百八十五カ国以上ある憲法を保有している国の中で、平和条項というものを持つのは百二十四カ国もあるということは皆さんよく御存じだと思います。だから、憲法九条一項はいい、ただ、二項をこれからどうしていくのか。そういうことをきちんと議論をしていかなくてはいけないのではないかということを痛感しました。
次の話ですが、私は、基本的人権の小委員長をやっておりますので、例えば、新しい人権ということで考えたらどうですかという話をしましたら、これも誤解なのかもしれませんが、新しい人権ということを議論することによって、憲法を改正するための布石にしているんだろう、そして、その後ろには九条があるんだろうという意見を公述人の方々が随分言われました。
これは、お互いに誤解があると思います。私ども、本当に新しい人権というものが必要であると思って基本的人権小委員会をやっているのでありますし、それをまた、九条を隠しているんだろうと思うのであるならば、今申し上げたように、憲法九条を本当にこの憲法調査会で骨太にきちんと議論をすべきだろうと思いましたというのが一点です。
それから、今回の武力事態法に関しまして、稲嶺知事に私からお聞きをしました。今回の事態法では、十五条において、要するに、首相が知事にかわって代執行ができるという状況になっています。それについてどう思われますかというふうにお聞きしたところ、詳しくはまだ聞いていないけれども、ともかく、県とよく調整をする形でやってほしいという話をされました。
当然これは、今回のいわゆる武力事態対処法は、憲法における地方自治の観点というものを実際にどう考えるか、沖縄自身がある意味で独特の歴史を持ったところでございますから、本当に、地方自治というものをどう考えるかということも議論しなくてはいけないなということを痛感して帰ってきた沖縄の公聴会でございました。
憲法問題が、沖縄では特に九条というのが本当に熱いものである。熱いものであるゆえに、我々もそれを、何となく憲法調査会でもタブー視するのじゃなくて、徹底して議論すべきであるということを痛感して帰ってまいりました沖縄の公聴会でございました。
以上です。
この発言だけを見る →沖縄に行ってまいりまして、地方公聴会でお話を聞きました。私は、名古屋の地方公聴会も行かせていただいたのですが、沖縄の地方公聴会は、本当に沖縄は熱いといいますか、多くの方の意見が熱いものがありました。それはいろいろな歴史的な経緯もあるんでしょう。ただ、その熱さが、憲法調査会に対する誤解もあるのかなという感じがしました。ともかく、この憲法調査会は一応発議権はないわけでありますから、この憲法調査会公聴会が、何か改正するための手続論だというような話が随分出まして、それはちょっと誤解だなというふうに思いました。
逆に、私は、中山会長、中野会長代理が座長をやっておられたのですが、本当に言論の自由が守られている日本だなということを感じながら、いろいろな意見を聞いてきた次第でございます。
今から二点申し上げます。沖縄には、平和の礎というのがございます。そしてもう一つ、憲法九条の碑というのが読谷村と那覇にあります。そういう意味で、憲法九条というのは極めて重要なことと考えるところであるわけです。我が憲法調査会も、恐らくきょう今から自由討論があるんでしょうが、憲法九条を本当に真っ向から議論をすべきものではないかなと私自身は思っています。
例えば、憲法九条を世界に輸出しようという意見がたくさんございました、その公述人の中から。百八十五カ国以上ある憲法を保有している国の中で、平和条項というものを持つのは百二十四カ国もあるということは皆さんよく御存じだと思います。だから、憲法九条一項はいい、ただ、二項をこれからどうしていくのか。そういうことをきちんと議論をしていかなくてはいけないのではないかということを痛感しました。
次の話ですが、私は、基本的人権の小委員長をやっておりますので、例えば、新しい人権ということで考えたらどうですかという話をしましたら、これも誤解なのかもしれませんが、新しい人権ということを議論することによって、憲法を改正するための布石にしているんだろう、そして、その後ろには九条があるんだろうという意見を公述人の方々が随分言われました。
これは、お互いに誤解があると思います。私ども、本当に新しい人権というものが必要であると思って基本的人権小委員会をやっているのでありますし、それをまた、九条を隠しているんだろうと思うのであるならば、今申し上げたように、憲法九条を本当にこの憲法調査会で骨太にきちんと議論をすべきだろうと思いましたというのが一点です。
それから、今回の武力事態法に関しまして、稲嶺知事に私からお聞きをしました。今回の事態法では、十五条において、要するに、首相が知事にかわって代執行ができるという状況になっています。それについてどう思われますかというふうにお聞きしたところ、詳しくはまだ聞いていないけれども、ともかく、県とよく調整をする形でやってほしいという話をされました。
当然これは、今回のいわゆる武力事態対処法は、憲法における地方自治の観点というものを実際にどう考えるか、沖縄自身がある意味で独特の歴史を持ったところでございますから、本当に、地方自治というものをどう考えるかということも議論しなくてはいけないなということを痛感して帰ってきた沖縄の公聴会でございました。
憲法問題が、沖縄では特に九条というのが本当に熱いものである。熱いものであるゆえに、我々もそれを、何となく憲法調査会でもタブー視するのじゃなくて、徹底して議論すべきであるということを痛感して帰ってまいりました沖縄の公聴会でございました。
以上です。
中
赤
赤松正雄#10
○赤松(正)委員 公明党の赤松正雄でございます。
沖縄での憲法調査会公聴会、今お二人の方からお話ございましたけれども、若干、私にとって後味の悪いものでございました。
といいますのは、今もお話が一部ございましたけれども、憲法のあり方をめぐって議論をすることさえ阻止したいという傍聴の人々によるやじ行為でしばしば会議が中断されたからであります。論憲の立場で、タブーを設けないで二十一世紀のあるべき日本の姿を探ろうとする私どもの立場からすれば、極めて不可解な行為でありました。
沖縄が、戦前から今日まで、日本の中で特別な位置にあり、今なお米軍基地が集中的に存在する戦略的拠点であることを踏まえた上で、どう安全保障の問題を考えるかは大変重要であります。改憲と護憲とが真っ正面からイデオロギッシュに対立して、お互いの主張に耳を傾けないということではならないと思います。
沖縄が、その特殊な歴史的経緯から、いまだなお冷戦、新冷戦というべきかもしれませんが、そのただ中にあるがゆえに、冷戦思考、新冷戦思考から抜け切れない現実は、ただただ不幸であると言わねばなりません。例えば、翌日の地元の新聞に、「平和外交で九条護持 自衛権の明記は必要 有事法制絡み意見対立」このように書いておりました。私は、平和外交を展開することと自衛権の明記ということは何ら矛盾しないと思います。軍事に偏重せず、非軍事平和外交に専念せよという主張に立つことと、国家として自衛権を持ち、その最小限の裏づけとしての力の備えを持つことは、当然、両立することであります。
たまたま、憲法調査会の直後に、沖縄大学の下地玄栄教授を会長とする沖縄国連研究会の代表メンバー数人と私は懇談する機会がありました。この研究会の主張は、一言で言えば、沖縄に国連アジア本部を誘致し、世界に向けて沖縄の平和の心を発信しようというものであります。アジア本部の設置につきましては、私ども公明党も、かねて強く推進を提案してきております。軍事力に偏重するのではなくて、対話を中軸に据えて、アジアの諸課題を関係各国が議論したり、懸案解決への取り組みに汗を流すセンターをつくろうというわけであります。
現時点では、外務省は、沖縄への交通アクセスが悪いとか、既に国連大学が東京にあるとか、あるいは同じアジアのタイに国連の機関があるとか、いろいろ理由を挙げて、後ろ向きの残念な姿勢を繰り返しております。また、アメリカのシンクタンクを使って調査をしたけれども、誘致をするに当たってプラスの結果は出なかったとして、この試みを封印しようとしております。とんでもないことであると私は考えております。沖縄こそアジアの平和戦略のかなめ石であり、そのかぎを握るのが国連アジア本部の設置であるということは、だれよりも現地沖縄の官民挙げての願望であることをしっかりその場で訴えられた次第であります。
国連研究会の皆さんの熱い思いを聞いて、沖縄の憲法調査会公聴会でのいわばイデオロギッシュな意見ではない、具体的な平和の礎づくりに向けての主張に接して、救われた気分になって帰ってきたということを報告したいと存じます。
今もお話がございましたけれども、この国会の後半国会における最大のテーマであります、いわゆる有事法制に関連する三法案の審議につきまして、万が一という表現がしばしば使われますけれども、万のうち九千九百九十九まで平和構築に努力をしても、残された一ポイントが有事に直面し、なすすべなくじゅうりんされるということであれば、すべては、その九千九百九十九の努力が水泡に帰すわけであります。
文字どおり、万が一のケースに対応する法律を用意するのが政治の責務である、こういうふうに申し上げまして、私の報告並びに感想を終わらせていただきます。ありがとうございました。
この発言だけを見る →沖縄での憲法調査会公聴会、今お二人の方からお話ございましたけれども、若干、私にとって後味の悪いものでございました。
といいますのは、今もお話が一部ございましたけれども、憲法のあり方をめぐって議論をすることさえ阻止したいという傍聴の人々によるやじ行為でしばしば会議が中断されたからであります。論憲の立場で、タブーを設けないで二十一世紀のあるべき日本の姿を探ろうとする私どもの立場からすれば、極めて不可解な行為でありました。
沖縄が、戦前から今日まで、日本の中で特別な位置にあり、今なお米軍基地が集中的に存在する戦略的拠点であることを踏まえた上で、どう安全保障の問題を考えるかは大変重要であります。改憲と護憲とが真っ正面からイデオロギッシュに対立して、お互いの主張に耳を傾けないということではならないと思います。
沖縄が、その特殊な歴史的経緯から、いまだなお冷戦、新冷戦というべきかもしれませんが、そのただ中にあるがゆえに、冷戦思考、新冷戦思考から抜け切れない現実は、ただただ不幸であると言わねばなりません。例えば、翌日の地元の新聞に、「平和外交で九条護持 自衛権の明記は必要 有事法制絡み意見対立」このように書いておりました。私は、平和外交を展開することと自衛権の明記ということは何ら矛盾しないと思います。軍事に偏重せず、非軍事平和外交に専念せよという主張に立つことと、国家として自衛権を持ち、その最小限の裏づけとしての力の備えを持つことは、当然、両立することであります。
たまたま、憲法調査会の直後に、沖縄大学の下地玄栄教授を会長とする沖縄国連研究会の代表メンバー数人と私は懇談する機会がありました。この研究会の主張は、一言で言えば、沖縄に国連アジア本部を誘致し、世界に向けて沖縄の平和の心を発信しようというものであります。アジア本部の設置につきましては、私ども公明党も、かねて強く推進を提案してきております。軍事力に偏重するのではなくて、対話を中軸に据えて、アジアの諸課題を関係各国が議論したり、懸案解決への取り組みに汗を流すセンターをつくろうというわけであります。
現時点では、外務省は、沖縄への交通アクセスが悪いとか、既に国連大学が東京にあるとか、あるいは同じアジアのタイに国連の機関があるとか、いろいろ理由を挙げて、後ろ向きの残念な姿勢を繰り返しております。また、アメリカのシンクタンクを使って調査をしたけれども、誘致をするに当たってプラスの結果は出なかったとして、この試みを封印しようとしております。とんでもないことであると私は考えております。沖縄こそアジアの平和戦略のかなめ石であり、そのかぎを握るのが国連アジア本部の設置であるということは、だれよりも現地沖縄の官民挙げての願望であることをしっかりその場で訴えられた次第であります。
国連研究会の皆さんの熱い思いを聞いて、沖縄の憲法調査会公聴会でのいわばイデオロギッシュな意見ではない、具体的な平和の礎づくりに向けての主張に接して、救われた気分になって帰ってきたということを報告したいと存じます。
今もお話がございましたけれども、この国会の後半国会における最大のテーマであります、いわゆる有事法制に関連する三法案の審議につきまして、万が一という表現がしばしば使われますけれども、万のうち九千九百九十九まで平和構築に努力をしても、残された一ポイントが有事に直面し、なすすべなくじゅうりんされるということであれば、すべては、その九千九百九十九の努力が水泡に帰すわけであります。
文字どおり、万が一のケースに対応する法律を用意するのが政治の責務である、こういうふうに申し上げまして、私の報告並びに感想を終わらせていただきます。ありがとうございました。
中
春
春名直章#12
○春名委員 日本共産党の春名直章です。
沖縄地方公聴会に参加して実感し、本調査会に問われていることを述べてみたいと思います。
一つは、沖縄こそ憲法の実現を切実に求めているという、このことであります。
地上戦で十万人を超える県民の犠牲者を生み出した沖縄。戦後も二度にわたって、銃剣とブルドーザーで米軍に土地を奪われ、長年憲法が適用もされなかった沖縄。七二年返還後も、憲法の光は当たらず、基地の島として、平和と人権が脅かされてきた沖縄。
県民は、今日まで一貫して、日本国憲法の理念を享受されることなく生き抜いてきたと思います。憲法がないがしろにされてきたのが沖縄の現実でした。公聴会で、憲法前文と九条を守り、生かすことこそ、沖縄の現実が求めているとの発言が相次いだのは当然だったと思います。
山内陳述人は、平和憲法は、沖縄戦を初めとする戦争の地獄を体験した日本国民の平和への願いが集約したもの、九条は日本国民にとって命そのもの、二十一世紀の人類の針路を示すものと述べられました。
新垣陳述人も、憲法の非武装平和主義、個人の尊厳こそ、沖縄の地上戦で得た最大の教訓であると発言をされました。
稲福陳述人も、高校三年間のボランティア活動を通じて、学ぶことは権利であり、憲法に学習権が保障されているからこそ、沖縄にある米軍基地の実態について学ぶことができたと述べられました。
憲法理念の実現は道半ば、これを守り、全面的に花開かせることこそ、今政治に問われている根本問題だということを痛感させられます。
ところが、本調査会では、憲法をないがしろにしてきた現実政治について掘り下げた議論がなく、ゆがんだ現実の方に憲法を変えてしまうという発言も少なくありません。まさに大きなギャップがここにあります。改めて、憲法が沖縄でなぜ実現していないか、その政治の実態を真摯に調査することが必要です。
二つ目は、沖縄から見た有事法制の問題です。
新垣氏は、日本が世界に率先して平和外交を展開し、武力紛争が起こらないようにすることが最大の備えであること、有事法制について、武力攻撃のおそれ、予測などのあいまいな要件で自由や人権を制限する仕組みとなっていると批判をいたしました。山内氏も、有事法制は、憲法体制そのものを無視し、戦争体制の具体的準備と批判いたしました。傍聴者からも批判の声が続出いたしました。
沖縄県民が有事法制を拒否していることがはっきりしたと私は思います。それは、地上戦の生々しい経験から、軍隊は決して住民を守らないこと、武力による平和はあり得ないことを県民みずからが体験してきたからにほかならないと思います。
この事実は極めて重いと思います。日本国憲法は、侵略戦争への深い反省から、国権の発動たる戦争、武力の行使、威嚇を禁止するだけではなく、常備軍を禁じ、平和外交によって日本国民の安全を守る、平和共存の道を進むことを世界に宣言いたしました。すなわち、有事イコール戦争を起こさない、平和の努力を行うことを政治そして私たち国民にも求めています。この日本国憲法の世界に先んじた平和原則を突き崩し、戦争をしない国から戦争を進める国づくりへと変貌させてしまう有事法制は、現行憲法のもとでは断じて許されないものであることを指摘しておきたいと思います。
最後に、新垣氏が、沖縄での公聴会は、沖縄の体験、戦後二十七年に及ぶ米軍統治、復帰後も居座る米軍などの沖縄の実態を踏まえたものでないと意義がないと述べたことは大変重要です。今後、この指摘を真摯に受けとめた調査が極めて大切だと思います。そうしなければ、公聴会翌日の琉球新報が「傍聴記」として掲載した、改憲を目指した活動の一環として、国民の声を聞いた形を整えるというアリバイづくりの印象という批判に耐えられないと思います。そのことを強く申し上げまして、私の発言を終わります。
この発言だけを見る →沖縄地方公聴会に参加して実感し、本調査会に問われていることを述べてみたいと思います。
一つは、沖縄こそ憲法の実現を切実に求めているという、このことであります。
地上戦で十万人を超える県民の犠牲者を生み出した沖縄。戦後も二度にわたって、銃剣とブルドーザーで米軍に土地を奪われ、長年憲法が適用もされなかった沖縄。七二年返還後も、憲法の光は当たらず、基地の島として、平和と人権が脅かされてきた沖縄。
県民は、今日まで一貫して、日本国憲法の理念を享受されることなく生き抜いてきたと思います。憲法がないがしろにされてきたのが沖縄の現実でした。公聴会で、憲法前文と九条を守り、生かすことこそ、沖縄の現実が求めているとの発言が相次いだのは当然だったと思います。
山内陳述人は、平和憲法は、沖縄戦を初めとする戦争の地獄を体験した日本国民の平和への願いが集約したもの、九条は日本国民にとって命そのもの、二十一世紀の人類の針路を示すものと述べられました。
新垣陳述人も、憲法の非武装平和主義、個人の尊厳こそ、沖縄の地上戦で得た最大の教訓であると発言をされました。
稲福陳述人も、高校三年間のボランティア活動を通じて、学ぶことは権利であり、憲法に学習権が保障されているからこそ、沖縄にある米軍基地の実態について学ぶことができたと述べられました。
憲法理念の実現は道半ば、これを守り、全面的に花開かせることこそ、今政治に問われている根本問題だということを痛感させられます。
ところが、本調査会では、憲法をないがしろにしてきた現実政治について掘り下げた議論がなく、ゆがんだ現実の方に憲法を変えてしまうという発言も少なくありません。まさに大きなギャップがここにあります。改めて、憲法が沖縄でなぜ実現していないか、その政治の実態を真摯に調査することが必要です。
二つ目は、沖縄から見た有事法制の問題です。
新垣氏は、日本が世界に率先して平和外交を展開し、武力紛争が起こらないようにすることが最大の備えであること、有事法制について、武力攻撃のおそれ、予測などのあいまいな要件で自由や人権を制限する仕組みとなっていると批判をいたしました。山内氏も、有事法制は、憲法体制そのものを無視し、戦争体制の具体的準備と批判いたしました。傍聴者からも批判の声が続出いたしました。
沖縄県民が有事法制を拒否していることがはっきりしたと私は思います。それは、地上戦の生々しい経験から、軍隊は決して住民を守らないこと、武力による平和はあり得ないことを県民みずからが体験してきたからにほかならないと思います。
この事実は極めて重いと思います。日本国憲法は、侵略戦争への深い反省から、国権の発動たる戦争、武力の行使、威嚇を禁止するだけではなく、常備軍を禁じ、平和外交によって日本国民の安全を守る、平和共存の道を進むことを世界に宣言いたしました。すなわち、有事イコール戦争を起こさない、平和の努力を行うことを政治そして私たち国民にも求めています。この日本国憲法の世界に先んじた平和原則を突き崩し、戦争をしない国から戦争を進める国づくりへと変貌させてしまう有事法制は、現行憲法のもとでは断じて許されないものであることを指摘しておきたいと思います。
最後に、新垣氏が、沖縄での公聴会は、沖縄の体験、戦後二十七年に及ぶ米軍統治、復帰後も居座る米軍などの沖縄の実態を踏まえたものでないと意義がないと述べたことは大変重要です。今後、この指摘を真摯に受けとめた調査が極めて大切だと思います。そうしなければ、公聴会翌日の琉球新報が「傍聴記」として掲載した、改憲を目指した活動の一環として、国民の声を聞いた形を整えるというアリバイづくりの印象という批判に耐えられないと思います。そのことを強く申し上げまして、私の発言を終わります。
中
金
金子哲夫#14
○金子(哲)委員 社会民主党・市民連合の金子でございます。
さきの沖縄での地方公聴会を受けて、幾つかの御意見を申し上げたいと思います。
さきの大戦において日本国内で唯一住民を巻き込んだ地上戦が行われた沖縄での地方公聴会に参加をしまして、改めて憲法に明記された平和主義について思いを新たにいたしております。
とりわけ、人類最初の核兵器が投下され一瞬にして十数万のとうとい命が失われた広島、そして二十数万の命が失われた沖縄戦、いずれの地でも多くの一般市民の命が犠牲となったことを銘記しなければならないと思います。そして、その犠牲と反省の中に憲法の前文と第九条があることを、公述人の多くが指摘されたように思っております。
復帰までの長い道のりがあった沖縄、そして今なお国内の米軍基地の七五%が存在する沖縄だけに、山内公述人が述べられた、平和憲法の果たしている役割は極めて大きく、戦後、今日までの日本の復興、発展の揺るぎない基盤となり、平和国家としてその手本を示すことができたのです、それは憲法九条と前文に打ち込まれた平和主義の存在のおかげであります、今日、日本で世界に誇れるものがあるとすれば、それは世界の頂点に立つ日本の平和憲法であると確信します、憲法九条は、制定当時も、現在も、これから先も、日本国民にとっての命そのものであり、二十一世紀の人類の指針を指し示すものでありますとの言葉を改めて認識したいと思います。
さらに、沖縄での地上戦を体験された山内公述人は、武力による平和ではなく、平和的手段による平和を実現するという発想の転換が今求められていますと指摘をされ、さらに沖縄戦の教訓、それは戦争になれば軍隊は国民を守らない、守れないということですという言葉は、今日本の安全保障、有事法制の審議がされようとしておりますけれども、沖縄のこの体験をしっかりと受けとめて論議をしなければならないと考えております。何をもって平和を築くかということが極めて重要だというふうに考えます。
また、安次富公述人の応募要綱にも、唯一の地上戦を経験し、数多くのとうとい人命と県全体が焦土と化した悲惨な歴史を原点としている、それゆえに、平和への思い、恒久平和を願う志向が強く、県政においても積極的に平和行政を推進しアピールしている、沖縄で生まれ、沖縄で育った者として、憲法で定める恒久平和の理念というものは、世界で最もすぐれた高度な理念であり、すべての国が持たなければならない理念であるとされております。
備えあれば憂いなしということが言われておりますが、私は、まさに日常不断の平和的努力によって、憂いをつくらない政治こそが今求められているということが、沖縄の公聴会でも主張されたと考えております。
憲法前文の最初に、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定すると述べ、第二段目では、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意したとしています。
それは、戦争の惨禍が起こるのは、政府の行為によって起こるということを明記しているのであります。政府はそのような事態に至らせないための日常不断の外交努力こそが重要であることを、この憲法前文が明らかにしていると考えております。まさに日本国憲法こそが二十一世紀に最重要視されるべき憲法だということを、この沖縄の憲法調査会公聴会でも指摘されたと考えております。むしろ、その精神を世界に広げることによって、世界平和実現への名誉ある地位を占めることができるようにするべきだと考えております。
特に、沖縄の公述人の皆さんから、沖縄にとって平和憲法は闘い取ったものだということが言われておりますけれども、この沖縄における憲法調査会に参加し、改めてそのことの意味というものを重く受けとめながら、今後の調査会活動を推進したい、そのことを強調して、私の意見といたします。
この発言だけを見る →さきの沖縄での地方公聴会を受けて、幾つかの御意見を申し上げたいと思います。
さきの大戦において日本国内で唯一住民を巻き込んだ地上戦が行われた沖縄での地方公聴会に参加をしまして、改めて憲法に明記された平和主義について思いを新たにいたしております。
とりわけ、人類最初の核兵器が投下され一瞬にして十数万のとうとい命が失われた広島、そして二十数万の命が失われた沖縄戦、いずれの地でも多くの一般市民の命が犠牲となったことを銘記しなければならないと思います。そして、その犠牲と反省の中に憲法の前文と第九条があることを、公述人の多くが指摘されたように思っております。
復帰までの長い道のりがあった沖縄、そして今なお国内の米軍基地の七五%が存在する沖縄だけに、山内公述人が述べられた、平和憲法の果たしている役割は極めて大きく、戦後、今日までの日本の復興、発展の揺るぎない基盤となり、平和国家としてその手本を示すことができたのです、それは憲法九条と前文に打ち込まれた平和主義の存在のおかげであります、今日、日本で世界に誇れるものがあるとすれば、それは世界の頂点に立つ日本の平和憲法であると確信します、憲法九条は、制定当時も、現在も、これから先も、日本国民にとっての命そのものであり、二十一世紀の人類の指針を指し示すものでありますとの言葉を改めて認識したいと思います。
さらに、沖縄での地上戦を体験された山内公述人は、武力による平和ではなく、平和的手段による平和を実現するという発想の転換が今求められていますと指摘をされ、さらに沖縄戦の教訓、それは戦争になれば軍隊は国民を守らない、守れないということですという言葉は、今日本の安全保障、有事法制の審議がされようとしておりますけれども、沖縄のこの体験をしっかりと受けとめて論議をしなければならないと考えております。何をもって平和を築くかということが極めて重要だというふうに考えます。
また、安次富公述人の応募要綱にも、唯一の地上戦を経験し、数多くのとうとい人命と県全体が焦土と化した悲惨な歴史を原点としている、それゆえに、平和への思い、恒久平和を願う志向が強く、県政においても積極的に平和行政を推進しアピールしている、沖縄で生まれ、沖縄で育った者として、憲法で定める恒久平和の理念というものは、世界で最もすぐれた高度な理念であり、すべての国が持たなければならない理念であるとされております。
備えあれば憂いなしということが言われておりますが、私は、まさに日常不断の平和的努力によって、憂いをつくらない政治こそが今求められているということが、沖縄の公聴会でも主張されたと考えております。
憲法前文の最初に、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定すると述べ、第二段目では、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意したとしています。
それは、戦争の惨禍が起こるのは、政府の行為によって起こるということを明記しているのであります。政府はそのような事態に至らせないための日常不断の外交努力こそが重要であることを、この憲法前文が明らかにしていると考えております。まさに日本国憲法こそが二十一世紀に最重要視されるべき憲法だということを、この沖縄の憲法調査会公聴会でも指摘されたと考えております。むしろ、その精神を世界に広げることによって、世界平和実現への名誉ある地位を占めることができるようにするべきだと考えております。
特に、沖縄の公述人の皆さんから、沖縄にとって平和憲法は闘い取ったものだということが言われておりますけれども、この沖縄における憲法調査会に参加し、改めてそのことの意味というものを重く受けとめながら、今後の調査会活動を推進したい、そのことを強調して、私の意見といたします。
中
中
中
中野寛成#17
○中野(寛)委員 先ほどの続きのような形になるかもしれませんが、一言申し上げたいと思います。
今回、沖縄で地方公聴会を開きましたことは、中山会長の歴史を踏まえた判断として、私は大変よかったと思っております。同時にまた、その地方公聴会において多くの厳しい発言も出ましたが、沖縄の歴史を振り返って考えますと、その気持ちもまた痛いほどよくわかりました。と同時に、私たちは、それらの意見を踏まえつつ、冷静な判断をしていくことも大事だと思っております。
平和は何によって保たれるか、いろいろな判断があると思います。しかしながら、国際社会の実態を考えるときに、平和を維持するためには、ある意味では力の空白地帯をつくらないことによって、すなわちパワーバランスによって平和が維持されるという現実があることも否めないと私は思います。
そしてまた、今日本が自衛隊を持っている。憲法の規定に、必ずしも国民の生命財産を守るための措置としての防衛措置について十分明記されていないということは、ある意味では憲法の欠陥の一つとも言えなくもありません。しかし、にもかかわらず、自衛隊が存在をしている。これらのことは、ややもすると国民の間の憲法や安全に対する議論を混乱させるもとになっている一つでもあるのではないかというふうにも考えるわけでありまして、むしろそこははっきりとさせていくということも大事ではないかと思います。
よって、この憲法調査会というのは、本当に憲法のあるべき姿、また同時に、憲法の精神に基づいてあらゆる法律が運用されているかということの精査もしていかなければなりませんので、単に憲法を改正するもくろみの憲法調査会というのではなくて、本心から、いかにして憲法があるべきか、また憲法が守られているかどうかを精査する機関として、私は、常設の機関として常にあるべきものではないのかという感じを強くいたしております。
沖縄でも実は、その地方公聴会も憲法改正の一環だと言った方もいらっしゃいました。また、憲法九条改正のために、例えば新しい人権であるとかその他のテーマを持ち出してカムフラージュしているにすぎないという発言もありました。これは、そういうふうに思っている人もいるかもしれませんけれども、しかしながら、この衆議院の憲法調査会全体の存在の意味からいたしますと、明らかにそれは過剰な反応といいますか、一つの誤解でもあると思います。
我々は、憲法九条もさることながら、新しい時代に対応する人権や地方分権やその他国の機関のあり方等について文字どおりニュートラルにしかも真剣に考えたい、議論をしたいという気持ちでこの調査会に参画をしているわけでありまして、そういう気持ちを持っている我々からすると、一部の発言が、誤解に基づくまたは我々に対しては大変非礼な発言ではなかったのかというふうにも思ったりいたしました。
しかし、国民の皆さんのあらゆる発言を謙虚に聞くことが我々の務めであると思いますので、それぞれの意見がありますことを改めて私どもも真剣に聞かせていただいたということであると思います。
ただ、みずからこの憲法調査会のあり方、存在を卑しめることはしてはならないことだろうというふうに思っています。
この発言だけを見る →今回、沖縄で地方公聴会を開きましたことは、中山会長の歴史を踏まえた判断として、私は大変よかったと思っております。同時にまた、その地方公聴会において多くの厳しい発言も出ましたが、沖縄の歴史を振り返って考えますと、その気持ちもまた痛いほどよくわかりました。と同時に、私たちは、それらの意見を踏まえつつ、冷静な判断をしていくことも大事だと思っております。
平和は何によって保たれるか、いろいろな判断があると思います。しかしながら、国際社会の実態を考えるときに、平和を維持するためには、ある意味では力の空白地帯をつくらないことによって、すなわちパワーバランスによって平和が維持されるという現実があることも否めないと私は思います。
そしてまた、今日本が自衛隊を持っている。憲法の規定に、必ずしも国民の生命財産を守るための措置としての防衛措置について十分明記されていないということは、ある意味では憲法の欠陥の一つとも言えなくもありません。しかし、にもかかわらず、自衛隊が存在をしている。これらのことは、ややもすると国民の間の憲法や安全に対する議論を混乱させるもとになっている一つでもあるのではないかというふうにも考えるわけでありまして、むしろそこははっきりとさせていくということも大事ではないかと思います。
よって、この憲法調査会というのは、本当に憲法のあるべき姿、また同時に、憲法の精神に基づいてあらゆる法律が運用されているかということの精査もしていかなければなりませんので、単に憲法を改正するもくろみの憲法調査会というのではなくて、本心から、いかにして憲法があるべきか、また憲法が守られているかどうかを精査する機関として、私は、常設の機関として常にあるべきものではないのかという感じを強くいたしております。
沖縄でも実は、その地方公聴会も憲法改正の一環だと言った方もいらっしゃいました。また、憲法九条改正のために、例えば新しい人権であるとかその他のテーマを持ち出してカムフラージュしているにすぎないという発言もありました。これは、そういうふうに思っている人もいるかもしれませんけれども、しかしながら、この衆議院の憲法調査会全体の存在の意味からいたしますと、明らかにそれは過剰な反応といいますか、一つの誤解でもあると思います。
我々は、憲法九条もさることながら、新しい時代に対応する人権や地方分権やその他国の機関のあり方等について文字どおりニュートラルにしかも真剣に考えたい、議論をしたいという気持ちでこの調査会に参画をしているわけでありまして、そういう気持ちを持っている我々からすると、一部の発言が、誤解に基づくまたは我々に対しては大変非礼な発言ではなかったのかというふうにも思ったりいたしました。
しかし、国民の皆さんのあらゆる発言を謙虚に聞くことが我々の務めであると思いますので、それぞれの意見がありますことを改めて私どもも真剣に聞かせていただいたということであると思います。
ただ、みずからこの憲法調査会のあり方、存在を卑しめることはしてはならないことだろうというふうに思っています。
高
高市早苗#18
○高市委員 自由民主党の高市早苗でございます。
沖縄公聴会での意見陳述者の皆様方御本人がここにおいででございませんので、お一人お一人の意見陳述に対してのコメントは避けたいと思うんですけれども、ただ、お二人の方は私に非常に近く、四人の方は全然違う考えをお持ちだな、概略版だけ読んでそのように感じました。
昨今は、米ソ冷戦が終わったのに軍備は不要であるとか、一体どこの国が日本を攻めてくるのかとか、今は有事法制など議論するような時期ではないとか、こういった御意見が国会の中でも聞かれておりますが、私は、国際政治の原則、国際政治を見る場合の原則は、やはりネバー・セイ・ネバーであると思います。絶対に起こらないということなどは考えてはいけないということであると思います。
現実に、イラクのクウェート侵攻、そして非常に悲惨なテロの発生、そしてここ数カ月のアフガンでの現状、そして拉致疑惑といったものも存在いたしますので、絶対にこの世の中は平和であり、日本が武力を持たなければ平和は維持されているものであるといった考え方は、私は正しいものではないと考えております。
憲法に関しましては、私は、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、」ここは当然あっていいんですが、その実現のために貢献しようとする諸外国と協調し積極的な努力を惜しまないという一つの考え方を入れ込むこと。
そしてまた、国民、国土、主権といったいわゆる国家の構成要件が諸外国等によって、この「等」というのはテロリズムのようなものも想定いたしますが、諸外国等によって侵害を受けたまたは十分に侵害の可能性が高いと判断される場合に限って、自衛権の発動としての交戦権を行使できるものとする。私は、自衛権の発動としての交戦権というものは、むしろ憲法に積極的に書き込むべきであると考えております。
そして、自衛隊を国軍と位置づけ、この自衛隊は国民の生命財産を守ること、自衛、国際貢献、このような任につくということの書き込み。
そして、最も重要なことでございますが、自衛権の発動としての交戦権の行使について、その意思決定にかかわる部分の文民統制をきちっとここに保障するということ、文民統制についての明確な記述、こういったものを兼ね備えて日本国の主権を守っていく。
私は、確実に国民の生命財産を守り抜いていくという体制をつくるのは国家の責務であり、これは世界じゅうどこの国においてもそうあってしかるべきと考えます。そして、加えましたら、いわゆる外交保護権というものの位置づけも憲法で担保されるべきであると考えております。
以上が私の考えでございます。ありがとうございました。
この発言だけを見る →沖縄公聴会での意見陳述者の皆様方御本人がここにおいででございませんので、お一人お一人の意見陳述に対してのコメントは避けたいと思うんですけれども、ただ、お二人の方は私に非常に近く、四人の方は全然違う考えをお持ちだな、概略版だけ読んでそのように感じました。
昨今は、米ソ冷戦が終わったのに軍備は不要であるとか、一体どこの国が日本を攻めてくるのかとか、今は有事法制など議論するような時期ではないとか、こういった御意見が国会の中でも聞かれておりますが、私は、国際政治の原則、国際政治を見る場合の原則は、やはりネバー・セイ・ネバーであると思います。絶対に起こらないということなどは考えてはいけないということであると思います。
現実に、イラクのクウェート侵攻、そして非常に悲惨なテロの発生、そしてここ数カ月のアフガンでの現状、そして拉致疑惑といったものも存在いたしますので、絶対にこの世の中は平和であり、日本が武力を持たなければ平和は維持されているものであるといった考え方は、私は正しいものではないと考えております。
憲法に関しましては、私は、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、」ここは当然あっていいんですが、その実現のために貢献しようとする諸外国と協調し積極的な努力を惜しまないという一つの考え方を入れ込むこと。
そしてまた、国民、国土、主権といったいわゆる国家の構成要件が諸外国等によって、この「等」というのはテロリズムのようなものも想定いたしますが、諸外国等によって侵害を受けたまたは十分に侵害の可能性が高いと判断される場合に限って、自衛権の発動としての交戦権を行使できるものとする。私は、自衛権の発動としての交戦権というものは、むしろ憲法に積極的に書き込むべきであると考えております。
そして、自衛隊を国軍と位置づけ、この自衛隊は国民の生命財産を守ること、自衛、国際貢献、このような任につくということの書き込み。
そして、最も重要なことでございますが、自衛権の発動としての交戦権の行使について、その意思決定にかかわる部分の文民統制をきちっとここに保障するということ、文民統制についての明確な記述、こういったものを兼ね備えて日本国の主権を守っていく。
私は、確実に国民の生命財産を守り抜いていくという体制をつくるのは国家の責務であり、これは世界じゅうどこの国においてもそうあってしかるべきと考えます。そして、加えましたら、いわゆる外交保護権というものの位置づけも憲法で担保されるべきであると考えております。
以上が私の考えでございます。ありがとうございました。
松
松沢成文#19
○松沢委員 民主党の松沢成文でございます。
沖縄に派遣をされて公聴会をやってきた皆さん、大変御苦労さまでありました。沖縄は、太平洋戦争の最終盤で、ある意味で日本本土防衛のために大変なつらい思いをされた。そういう体験のある方からの生々しい御意見を聞いてきたということで、本当に御苦労さまでございました。
さて、そうした皆さんの御意見も受けて、きょうは憲法調査会で安全保障についての議論をするということで、私は、昨今の有事法制での議論でも言われておりますけれども、主権国家、独立国の安全保障の体系については、憲法にしっかりとまず明記しているのが当然だというふうに思います。
残念ながら、日本国憲法は、その制定過程もかなり異常であったために、第二章九条で戦争放棄という二つの項目だけが述べられているわけですが、これは安全保障の体系を総合的に述べているものではありません。したがって、私は、今後もし憲法を見直していくというのであれば、安全保障の基本的な枠組みについては憲法に明記すべきだというふうに思います。
もし憲法改正という形がすぐに成らない場合には、まず安全保障基本法というのを国会でも議論してつくり上げて、日本の安全保障のあり方の理念をしっかりと明確にする。その基本法をもとに、さまざまな安全保障措置の法案をつくっていく。したがって、有事法制もしかりでしょうし、周辺事態法もそうでしょうし、あるいは国連へ協力するためのさまざまなルールもそうでしょうし。残念ながら、今の国会での議論は、こうした日本の安全保障の理念の部分、基本部分を後回しにして、その場対応で、周辺事態法も必要だろう、今度は有事法制だということでやってきているところに、ちょっと順番が逆になっているのではないかなという感じがいたします。
さてそこで、私は提案をしたいのですが、日本国憲法を、もしこうした私の考えで安全保障の理念をしっかり入れるということで見直していく場合に、まず第二章の戦争放棄、この言葉を安全保障という言葉に変えるべきだと思います。侵略戦争を放棄するのは、先ほどもお話ありましたけれども、世界じゅうの憲法、百二十の憲法で平和条項はできております。ましてやほとんどの国が不戦条約を結んでいるわけでありまして、今、侵略戦争を放棄するというのは日本の特許ではございません。これは、ある意味で平和国家として当たり前のことであります。むしろ安全保障という形にして、その条項の中には日本の安全保障の基本部分を書き込んでいくべきだと思います。
まず第一項には、当然ですが、日本は侵略戦争は絶対に行わないということを、今の九条の一項の形でいいと思いますが、しっかりと第一項に掲げる。
そして第二項には、しかし日本は独立国として、主権国家として自衛権を持っているんだということを明記して、それに応じて自衛軍を持つということを明記すべきだと思います。その自衛軍はシビリアンコントロールのもとに置くということを明記していくべきだと思います。
ここで個別的自衛権、集団的自衛権、どう判断するのかという問題がありますが、私は、もし憲法に書き込む場合は、自衛権という言葉で十分だと思います。その集団的自衛、個別的自衛をどう判断するかは、そのときの政府の政治判断だというふうに思います。
三つ目に、日本は国連中心主義の外交をとろうというのでありますから、国連の平和維持活動には全面的に協力するということを第三項に掲げるべきだと思います。PKO、PKF含めて、世界平和に貢献することなくしてみずからの平和は守れないという理念であります。
それで第四項に、これは日本独自の理念でありますけれども、唯一の原爆被爆国でありますから、世界に、大量破壊兵器の根絶を目指して、日本はその先頭に立つということを宣言すべきであります。
こういう四つの項目による安全保障という章を憲法に立てることができれば、日本は世界じゅうから見てどういう安全保障の理念を持つ国家かということがわかるわけでありまして、そういう意味で、私は、憲法に新しくこうした章を設けるということをぜひとも提案したいと思います。
以上です。
この発言だけを見る →沖縄に派遣をされて公聴会をやってきた皆さん、大変御苦労さまでありました。沖縄は、太平洋戦争の最終盤で、ある意味で日本本土防衛のために大変なつらい思いをされた。そういう体験のある方からの生々しい御意見を聞いてきたということで、本当に御苦労さまでございました。
さて、そうした皆さんの御意見も受けて、きょうは憲法調査会で安全保障についての議論をするということで、私は、昨今の有事法制での議論でも言われておりますけれども、主権国家、独立国の安全保障の体系については、憲法にしっかりとまず明記しているのが当然だというふうに思います。
残念ながら、日本国憲法は、その制定過程もかなり異常であったために、第二章九条で戦争放棄という二つの項目だけが述べられているわけですが、これは安全保障の体系を総合的に述べているものではありません。したがって、私は、今後もし憲法を見直していくというのであれば、安全保障の基本的な枠組みについては憲法に明記すべきだというふうに思います。
もし憲法改正という形がすぐに成らない場合には、まず安全保障基本法というのを国会でも議論してつくり上げて、日本の安全保障のあり方の理念をしっかりと明確にする。その基本法をもとに、さまざまな安全保障措置の法案をつくっていく。したがって、有事法制もしかりでしょうし、周辺事態法もそうでしょうし、あるいは国連へ協力するためのさまざまなルールもそうでしょうし。残念ながら、今の国会での議論は、こうした日本の安全保障の理念の部分、基本部分を後回しにして、その場対応で、周辺事態法も必要だろう、今度は有事法制だということでやってきているところに、ちょっと順番が逆になっているのではないかなという感じがいたします。
さてそこで、私は提案をしたいのですが、日本国憲法を、もしこうした私の考えで安全保障の理念をしっかり入れるということで見直していく場合に、まず第二章の戦争放棄、この言葉を安全保障という言葉に変えるべきだと思います。侵略戦争を放棄するのは、先ほどもお話ありましたけれども、世界じゅうの憲法、百二十の憲法で平和条項はできております。ましてやほとんどの国が不戦条約を結んでいるわけでありまして、今、侵略戦争を放棄するというのは日本の特許ではございません。これは、ある意味で平和国家として当たり前のことであります。むしろ安全保障という形にして、その条項の中には日本の安全保障の基本部分を書き込んでいくべきだと思います。
まず第一項には、当然ですが、日本は侵略戦争は絶対に行わないということを、今の九条の一項の形でいいと思いますが、しっかりと第一項に掲げる。
そして第二項には、しかし日本は独立国として、主権国家として自衛権を持っているんだということを明記して、それに応じて自衛軍を持つということを明記すべきだと思います。その自衛軍はシビリアンコントロールのもとに置くということを明記していくべきだと思います。
ここで個別的自衛権、集団的自衛権、どう判断するのかという問題がありますが、私は、もし憲法に書き込む場合は、自衛権という言葉で十分だと思います。その集団的自衛、個別的自衛をどう判断するかは、そのときの政府の政治判断だというふうに思います。
三つ目に、日本は国連中心主義の外交をとろうというのでありますから、国連の平和維持活動には全面的に協力するということを第三項に掲げるべきだと思います。PKO、PKF含めて、世界平和に貢献することなくしてみずからの平和は守れないという理念であります。
それで第四項に、これは日本独自の理念でありますけれども、唯一の原爆被爆国でありますから、世界に、大量破壊兵器の根絶を目指して、日本はその先頭に立つということを宣言すべきであります。
こういう四つの項目による安全保障という章を憲法に立てることができれば、日本は世界じゅうから見てどういう安全保障の理念を持つ国家かということがわかるわけでありまして、そういう意味で、私は、憲法に新しくこうした章を設けるということをぜひとも提案したいと思います。
以上です。
首
首藤信彦#20
○首藤委員 民主党の首藤信彦です。
日本の憲法がすばらしいということは、それは確かにそのとおりだと思うわけであります。特に、国際社会において平和を構築し、それを守っていくということをきちっと明記してある憲法として、その時代背景から出てきているものだと思いますが、それは各国の模範となるものだと私も思っております。
憲法の前文に書いてありますように、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」本当に美しい言葉だと思います。しかし、ではそれを具体的に条文の中でどうやって定義してあるのか、一体何をすればそういうことになるのかということに関しては、憲法は必ずしも明確でない、そういうふうに言わざるを得ないわけであります。
現在、平和を維持するには、単に軍事力だけではなく、民主化支援とか予防外交とか、あるいは市民による平和維持活動とか、そうしたさまざまな要件が今現実に行われて、世界の平和を維持するのに役立っております。しかし、そうしたものも日本の憲法というところからは導き出されていかないわけでありまして、世界では、例えば選挙監視、紛争に悩む国が民主国家として再生するための選挙などというものに関して、世界の市民が、あるいは世界の自治体がさまざまな形で職員を送ったり、あるいは市民がみずから組織化していったりしているわけですが、日本においてはそういう活動も非常に十分ではない、そういうふうに考えております。
そう考えますと、日本の憲法は、その前文における高い精神性の一方で、具体的にどうすれば現実社会の中で平和が維持し構築されるのかということに関しては、必ずしも十分ではないというふうに私は考えておりまして、この点においては、こういうことこそ憲法においてどうすればいいかということを最低限盛り込む必要があるんだと私は考えております。
同じような視点からもう一つ問題点を言えば、このような憲法がありながら、日本の現実の平和構築努力というものは必ずしもその精神を十分に生かしていないと言わざるを得ないわけであります。例えば、今、毎日殺りくが起こっているパレスチナであります。パレスチナにおいては、皆さん御存じのとおり、日本があれだけの貢献をして、パレスチナ和平ということに関してもさまざまな努力をしているにもかかわらず、今その和平がまさに風前のともしび、消え去ろうかとしている。一九九三年の歴史的なオスロ合意から積み上げてきた和平努力というものが一瞬にして水泡に帰そうとしている。こういうときに日本の外交は何もしていないわけでありまして、私は外務委員会で、このことを犯罪的な沈黙だというふうに表現させていただきました。
そういうふうに、日本は必ずしも憲法に盛り込まれた精神を現実政治の中で、現実外交の中で生かしていないんではないかということで、私はその点も考えていく必要があると思います。それだからこそ、今国際社会の中で平和を維持するために取り組まれているさまざまな努力、例えば国際人道法の、これも有事法制で最近注目されておりますけれども、ジュネーブ四条約に追加された議定書の問題とか、あるいは最近論議になっています国際刑事裁判所、こうしたものに対しても全然取り組みが十分でないというふうに考えているわけであります。
それからもう一つ、その日本のすばらしい平和憲法を外国へも輸出すべきだ、そういう御意見もあります。では、どれだけ努力をしてきたか。例えば日本の平和憲法を、別に外国でなくても、日本にいるさまざまな外国人の方も多いわけですね。私の住んでいる神奈川などでは、人口の三%に外国人比率がなろうなんというところもあります。こういうところに、例えば英語で憲法講座がどれだけ組まれているのか、ハングルでの憲法講座がどれだけ組まれているのかということは疑問であります。
また、私自身は、平和再建NGOとして各地の紛争地でいろいろな平和再建努力をしています。そこで、最近では、例えば東ティモールにおいて今度大統領になるわけですが、シャナナ・グスマンさんなどからも盛んに、日本のすばらしい平和憲法の学者を東ティモールに送って、新しい国、新しい憲法に貢献してくれというふうに頼まれまして、いろいろコンタクトしましたけれども、結局だれも来てくれない、どこからも資金援助も得られないというのが現実であります。
ですから、そういう点に関しても本当にいろいろな努力をして、憲法の前文に盛られた平和建設の精神性を具体的なものとして国際社会に示していただきたいと思います。
以上です。
この発言だけを見る →日本の憲法がすばらしいということは、それは確かにそのとおりだと思うわけであります。特に、国際社会において平和を構築し、それを守っていくということをきちっと明記してある憲法として、その時代背景から出てきているものだと思いますが、それは各国の模範となるものだと私も思っております。
憲法の前文に書いてありますように、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」本当に美しい言葉だと思います。しかし、ではそれを具体的に条文の中でどうやって定義してあるのか、一体何をすればそういうことになるのかということに関しては、憲法は必ずしも明確でない、そういうふうに言わざるを得ないわけであります。
現在、平和を維持するには、単に軍事力だけではなく、民主化支援とか予防外交とか、あるいは市民による平和維持活動とか、そうしたさまざまな要件が今現実に行われて、世界の平和を維持するのに役立っております。しかし、そうしたものも日本の憲法というところからは導き出されていかないわけでありまして、世界では、例えば選挙監視、紛争に悩む国が民主国家として再生するための選挙などというものに関して、世界の市民が、あるいは世界の自治体がさまざまな形で職員を送ったり、あるいは市民がみずから組織化していったりしているわけですが、日本においてはそういう活動も非常に十分ではない、そういうふうに考えております。
そう考えますと、日本の憲法は、その前文における高い精神性の一方で、具体的にどうすれば現実社会の中で平和が維持し構築されるのかということに関しては、必ずしも十分ではないというふうに私は考えておりまして、この点においては、こういうことこそ憲法においてどうすればいいかということを最低限盛り込む必要があるんだと私は考えております。
同じような視点からもう一つ問題点を言えば、このような憲法がありながら、日本の現実の平和構築努力というものは必ずしもその精神を十分に生かしていないと言わざるを得ないわけであります。例えば、今、毎日殺りくが起こっているパレスチナであります。パレスチナにおいては、皆さん御存じのとおり、日本があれだけの貢献をして、パレスチナ和平ということに関してもさまざまな努力をしているにもかかわらず、今その和平がまさに風前のともしび、消え去ろうかとしている。一九九三年の歴史的なオスロ合意から積み上げてきた和平努力というものが一瞬にして水泡に帰そうとしている。こういうときに日本の外交は何もしていないわけでありまして、私は外務委員会で、このことを犯罪的な沈黙だというふうに表現させていただきました。
そういうふうに、日本は必ずしも憲法に盛り込まれた精神を現実政治の中で、現実外交の中で生かしていないんではないかということで、私はその点も考えていく必要があると思います。それだからこそ、今国際社会の中で平和を維持するために取り組まれているさまざまな努力、例えば国際人道法の、これも有事法制で最近注目されておりますけれども、ジュネーブ四条約に追加された議定書の問題とか、あるいは最近論議になっています国際刑事裁判所、こうしたものに対しても全然取り組みが十分でないというふうに考えているわけであります。
それからもう一つ、その日本のすばらしい平和憲法を外国へも輸出すべきだ、そういう御意見もあります。では、どれだけ努力をしてきたか。例えば日本の平和憲法を、別に外国でなくても、日本にいるさまざまな外国人の方も多いわけですね。私の住んでいる神奈川などでは、人口の三%に外国人比率がなろうなんというところもあります。こういうところに、例えば英語で憲法講座がどれだけ組まれているのか、ハングルでの憲法講座がどれだけ組まれているのかということは疑問であります。
また、私自身は、平和再建NGOとして各地の紛争地でいろいろな平和再建努力をしています。そこで、最近では、例えば東ティモールにおいて今度大統領になるわけですが、シャナナ・グスマンさんなどからも盛んに、日本のすばらしい平和憲法の学者を東ティモールに送って、新しい国、新しい憲法に貢献してくれというふうに頼まれまして、いろいろコンタクトしましたけれども、結局だれも来てくれない、どこからも資金援助も得られないというのが現実であります。
ですから、そういう点に関しても本当にいろいろな努力をして、憲法の前文に盛られた平和建設の精神性を具体的なものとして国際社会に示していただきたいと思います。
以上です。
山
山口富男#21
○山口(富)委員 日本共産党の山口富男です。
沖縄の地方公聴会で、公述人の方から憲法の平和主義などについてこもごも発言があったという報告を受けました。私も、日本の憲法が、日本の国の安全保障、平和と安全の問題でどういう構想をしたのかということについて発言してみたいと思うんです。
世界の憲法と比較したときに、日本の憲法の特徴の一つは、世界の平和と安全を目指すという立場を明確に示しながら、その中で私たちの国の平和と安全についてしっかりした構想を持ったことにあったというふうに思うんです。
それで、きょうは委員の方々から憲法の前文がたくさん紹介されましたけれども、そこでも既に触れられていることですが、憲法の前文は、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることがないようにすることを決意して、その上で、先ほども紹介されましたけれども、「恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」このように、バランス・オブ・パワーの考え方をとらずに、諸国民の公正と信義に信頼して我々の国の平和と安定に向かうんだということを示したことは非常に重要だったと思うんです。
しかも、それは待ちの姿勢じゃなくて、積極的に世界に働きかけるということで、自国のことのみに専念するんじゃなくて、他国との関係においてきちんとした努力をするんだという積極的な平和主義の立場を打ち出しました。そして、それを国内できちんとさせるために、九条に込められた国権の発動としての戦争の問題ですとか、それから、常備軍を持たない問題や、戦争放棄にかかわる一連の規定が生まれたわけですね。
このように、日本の憲法というのは、平和と安全の問題についていいますと非常にきっちりしたものを示していて、しかも、それは第二次世界大戦という、日本だけでなくて、アジアと世界が受けた強烈な経験のもとで新しい安全保障の方向を打ち出した非常に大事なものだ。そこに、日本国憲法が世界の平和に努力しながら、軍国主義を清算して、非軍事に徹するという安全保障の中心内容があったというふうに思うんです。しかもそれは、憲法の場合は、単に日本国内でそのことを宣言しただけでなくて、それが国際社会に日本が復帰していくときの一つの公約にもなっているという点も今日重要だと思います。
しかし、残念なことに、戦後の憲法制定後の現実政治というのは、自衛隊がつくられ、それから日米間の軍事同盟の存在によって、憲法の求めた構想とは異質のものになったと思います。
先ほど、混乱の状態があるというお話もありましたけれども、それは憲法に混乱があるのでなくて、それと反する状態が生まれたところに一つの矛盾があるわけですから、それを二十一世紀に解消していくというのが政治の務めだというふうに思うんです。
私は、その点で、政府の提出しております有事法制三法というのは、日本を守るという次元のものではなくて、アメリカが戦争状態に入ったときに、そこに日本の国民を巻き込んでいくということになるわけですから、これは私たち、戦争国家法案だという批判をしておりますが、今後、大いにこの国会の中でこの点の議論を進めてまいりたいというふうに思います。
きょうは、私、有事法制の問題でアジア各国から警戒と強烈な批判の声が起きているということについて、時間が参りましたが、憲法論でいいますと、二つのことを注目すべきだと思うんです。
一つは、今度の方向が憲法に反するじゃないかという声が非常に強いということと、もう一点は、イギリスのフィナンシャル・タイムズも報道していますけれども、これは日本において、アジア各国に対して侵略戦争の反省の問題がきちんと座っていない、この両方から来る批判と警戒の声だという論評があります。私も、その点は憲法の問題としてきちんと踏まえていく必要があるというふうに思うんです。
憲法の精神は、軍事優先でなくて平和優先で物事に対応するということですから、北東アジアの平和と安定の問題でも、北朝鮮の問題でも、台湾の問題でも、そういう対応でやってこそ初めて前向きの解決ができるというふうに思うんです。その点で、私たちの国の憲法は、アジアと世界の平和の展望の点で生きる大きな力を持っているわけですから、その方向で大いに議論をしたい。
それから、最後に一点だけ。常設化の問題なんですけれども、これは各委員会が憲法に基づいてきちんとすべきことですので、この調査会自体を常設化の方向に持っていくという方向については、私ども賛成いたしません。
ありがとうございました。
この発言だけを見る →沖縄の地方公聴会で、公述人の方から憲法の平和主義などについてこもごも発言があったという報告を受けました。私も、日本の憲法が、日本の国の安全保障、平和と安全の問題でどういう構想をしたのかということについて発言してみたいと思うんです。
世界の憲法と比較したときに、日本の憲法の特徴の一つは、世界の平和と安全を目指すという立場を明確に示しながら、その中で私たちの国の平和と安全についてしっかりした構想を持ったことにあったというふうに思うんです。
それで、きょうは委員の方々から憲法の前文がたくさん紹介されましたけれども、そこでも既に触れられていることですが、憲法の前文は、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることがないようにすることを決意して、その上で、先ほども紹介されましたけれども、「恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」このように、バランス・オブ・パワーの考え方をとらずに、諸国民の公正と信義に信頼して我々の国の平和と安定に向かうんだということを示したことは非常に重要だったと思うんです。
しかも、それは待ちの姿勢じゃなくて、積極的に世界に働きかけるということで、自国のことのみに専念するんじゃなくて、他国との関係においてきちんとした努力をするんだという積極的な平和主義の立場を打ち出しました。そして、それを国内できちんとさせるために、九条に込められた国権の発動としての戦争の問題ですとか、それから、常備軍を持たない問題や、戦争放棄にかかわる一連の規定が生まれたわけですね。
このように、日本の憲法というのは、平和と安全の問題についていいますと非常にきっちりしたものを示していて、しかも、それは第二次世界大戦という、日本だけでなくて、アジアと世界が受けた強烈な経験のもとで新しい安全保障の方向を打ち出した非常に大事なものだ。そこに、日本国憲法が世界の平和に努力しながら、軍国主義を清算して、非軍事に徹するという安全保障の中心内容があったというふうに思うんです。しかもそれは、憲法の場合は、単に日本国内でそのことを宣言しただけでなくて、それが国際社会に日本が復帰していくときの一つの公約にもなっているという点も今日重要だと思います。
しかし、残念なことに、戦後の憲法制定後の現実政治というのは、自衛隊がつくられ、それから日米間の軍事同盟の存在によって、憲法の求めた構想とは異質のものになったと思います。
先ほど、混乱の状態があるというお話もありましたけれども、それは憲法に混乱があるのでなくて、それと反する状態が生まれたところに一つの矛盾があるわけですから、それを二十一世紀に解消していくというのが政治の務めだというふうに思うんです。
私は、その点で、政府の提出しております有事法制三法というのは、日本を守るという次元のものではなくて、アメリカが戦争状態に入ったときに、そこに日本の国民を巻き込んでいくということになるわけですから、これは私たち、戦争国家法案だという批判をしておりますが、今後、大いにこの国会の中でこの点の議論を進めてまいりたいというふうに思います。
きょうは、私、有事法制の問題でアジア各国から警戒と強烈な批判の声が起きているということについて、時間が参りましたが、憲法論でいいますと、二つのことを注目すべきだと思うんです。
一つは、今度の方向が憲法に反するじゃないかという声が非常に強いということと、もう一点は、イギリスのフィナンシャル・タイムズも報道していますけれども、これは日本において、アジア各国に対して侵略戦争の反省の問題がきちんと座っていない、この両方から来る批判と警戒の声だという論評があります。私も、その点は憲法の問題としてきちんと踏まえていく必要があるというふうに思うんです。
憲法の精神は、軍事優先でなくて平和優先で物事に対応するということですから、北東アジアの平和と安定の問題でも、北朝鮮の問題でも、台湾の問題でも、そういう対応でやってこそ初めて前向きの解決ができるというふうに思うんです。その点で、私たちの国の憲法は、アジアと世界の平和の展望の点で生きる大きな力を持っているわけですから、その方向で大いに議論をしたい。
それから、最後に一点だけ。常設化の問題なんですけれども、これは各委員会が憲法に基づいてきちんとすべきことですので、この調査会自体を常設化の方向に持っていくという方向については、私ども賛成いたしません。
ありがとうございました。
藤
藤島正之#22
○藤島委員 自由党の藤島正之でございます。
私は、まず、自分の国は自分で守るということを憲法上明確に規定すべきだと思います。だからといって、一国平和主義になってはならないのであって、国連を中心とし、自衛隊の派遣を含め、積極的に協力をしていくべきである。すなわち、自分の国は自分で守るというのを基本に、国際協力をして、自分の国を守る雰囲気をつくっていく、この両方がきちっと明確に憲法に書かれてしかるべきだ、こう思います。
もう一つは、有事法制の問題でありますが、現在出されている政府案の中で、有事における自衛隊の行動の円滑化の部分については全く異存はないわけでありますけれども、その前に、体系的なものが考え方の中になければならないと思います。有事に、国民の権利との関係が問題になるわけですけれども、国民の権利を制限する規定は、今公共の福祉という形で憲法上は一般的な規定しかないわけですけれども、有事の場合には、これとまた違った形での国民の権利の調整が必要になってくるわけでありまして、これは一般的な公共の福祉ということから来る制限とはまた違ったものがある、もう少し大きなものがあるというふうに感じているわけであります。
ただ、有事にもいろいろな段階があるわけでありまして、本当に国家危急事態の有事、それからその前の段階、それから大規模テロ、あるいは武装船、不審船、こういったそれぞれの段階によって国民の権利との関係が違ってくるわけでありまして、その辺も踏まえ、有事法制、あるいは緊急事態対処法と言った方がいいのかもわかりませんけれども、体系的なものを持って、その中にそれぞれのケースにおける位置づけ、こういったものを考えていくのがいいのではなかろうかというふうに考えております。
以上です。
この発言だけを見る →私は、まず、自分の国は自分で守るということを憲法上明確に規定すべきだと思います。だからといって、一国平和主義になってはならないのであって、国連を中心とし、自衛隊の派遣を含め、積極的に協力をしていくべきである。すなわち、自分の国は自分で守るというのを基本に、国際協力をして、自分の国を守る雰囲気をつくっていく、この両方がきちっと明確に憲法に書かれてしかるべきだ、こう思います。
もう一つは、有事法制の問題でありますが、現在出されている政府案の中で、有事における自衛隊の行動の円滑化の部分については全く異存はないわけでありますけれども、その前に、体系的なものが考え方の中になければならないと思います。有事に、国民の権利との関係が問題になるわけですけれども、国民の権利を制限する規定は、今公共の福祉という形で憲法上は一般的な規定しかないわけですけれども、有事の場合には、これとまた違った形での国民の権利の調整が必要になってくるわけでありまして、これは一般的な公共の福祉ということから来る制限とはまた違ったものがある、もう少し大きなものがあるというふうに感じているわけであります。
ただ、有事にもいろいろな段階があるわけでありまして、本当に国家危急事態の有事、それからその前の段階、それから大規模テロ、あるいは武装船、不審船、こういったそれぞれの段階によって国民の権利との関係が違ってくるわけでありまして、その辺も踏まえ、有事法制、あるいは緊急事態対処法と言った方がいいのかもわかりませんけれども、体系的なものを持って、その中にそれぞれのケースにおける位置づけ、こういったものを考えていくのがいいのではなかろうかというふうに考えております。
以上です。
小
小林憲司#23
○小林(憲)委員 先ほど来たくさんの派遣委員の皆さんからお話を聞きまして、沖縄地方公聴会はやはり非常に興味深く、これからの憲法を論じるに当たっての国民の皆さんの意見があったというふうに感じております。
沖縄は、さきの大戦において、我が国の国土で唯一外国から侵略を受け、占領されていた地域であります。折しもこれから論議されようとしている有事法制、武力攻撃事態法案を考える場合、極めて具体的にイメージがわく地域と言うことはできるのではないでしょうか。
そこで、今般の武力攻撃事態法案と憲法との関連、沖縄との関連について、少々お時間をいただいて、お話しさせていただきたいと思います。
まず、武力攻撃を初めとする有事への対応は、本来、憲法で定められるべきものではないかと私はいつも意見を言っておるわけでございますが、日本は、危機が起こるたびに個別の法律をつくって切り抜けてきているわけでございます。国際緊急援助隊派遣法、国際平和維持活動協力法、周辺事態法、船舶検査法、テロ対策特別措置法など、たくさんの、何か起こればその都度こういうものをつくって切り抜けてきている。
このような法体系の積み上げ方式はもはや限界に来ているのではないでしょうか。今日の紛争や事態が、単一でない、テロのようなことが複雑な様相で起こっておるわけでございますが、国家の対応は、事態によって法体系と手続が異なるので、効率的な対応が困難である。国家にとって最も重大で深刻な事態である緊急事態に対する対応のあり方が、米国、フランス、ドイツを初めとする先進国と同様に、憲法上にきちっと規定を設けるべきというのが私の意見であります。
我々日本が敗戦をしたときに、東京裁判から始まり、受けたくもない裁判を受けて、そして憲法ができてきているわけでございます。
去年の七月、石垣島に行きました。ちょうど、グラマン事件といいます、石垣事件というもののモニュメントをつくるということで、地域の方と交流があったので行ってまいりました。名もない日本の沖縄の兵士が、アメリカの若い兵隊さんたちがグラマンで石垣に不時着をしたときに、それを何の法規もなく、上官に言われて、死刑というか殺害をしてしまった。それに対して、今モニュメントをつくって、石垣事件があった、その三人の兵士の慰霊をする。しかし、アメリカの兵士を殺してしまったその名もない日本の兵士は、上官から言われてしただけである。それなのに、東京裁判にかけられて処刑されてしまった。その親族の方々がまだ生きてみえて、そのモニュメントを見て複雑な思いである。
日本の国として敗戦をしたことによって、そしてまた、その危害を加えたことによって、人権が、そして自由が確保されないで、いろいろなこういう悲しい出来事ができてきた。こういうことはもう二度とあってはならないという沖縄の皆さんの怒りはあると思います。
しかしながら、これからどんな事態になるかわからない日本において、しっかりとした国として、憲法上で、国民と国家を守っていくんだ、安全保障をしていくんだということは明記すべきだと私は思っております。
特にまた、米軍が基地を有する沖縄においては、米軍が我が国の領域内で円滑に活動することを確保するとともに、日本国民の権利、自由をいかにして確保し調和させるかということは極めて大事であるというふうに思っておりますし、武力攻撃事態法において、米軍との関係については、本法律施行後二年以内に法整備するというのが、郷土を侵略された経験を持つ沖縄県民の心情を考えれば、他の事態対処法の中でも最優先で検討されるべき事柄であるというふうに私は思っております。
以上です。
この発言だけを見る →沖縄は、さきの大戦において、我が国の国土で唯一外国から侵略を受け、占領されていた地域であります。折しもこれから論議されようとしている有事法制、武力攻撃事態法案を考える場合、極めて具体的にイメージがわく地域と言うことはできるのではないでしょうか。
そこで、今般の武力攻撃事態法案と憲法との関連、沖縄との関連について、少々お時間をいただいて、お話しさせていただきたいと思います。
まず、武力攻撃を初めとする有事への対応は、本来、憲法で定められるべきものではないかと私はいつも意見を言っておるわけでございますが、日本は、危機が起こるたびに個別の法律をつくって切り抜けてきているわけでございます。国際緊急援助隊派遣法、国際平和維持活動協力法、周辺事態法、船舶検査法、テロ対策特別措置法など、たくさんの、何か起こればその都度こういうものをつくって切り抜けてきている。
このような法体系の積み上げ方式はもはや限界に来ているのではないでしょうか。今日の紛争や事態が、単一でない、テロのようなことが複雑な様相で起こっておるわけでございますが、国家の対応は、事態によって法体系と手続が異なるので、効率的な対応が困難である。国家にとって最も重大で深刻な事態である緊急事態に対する対応のあり方が、米国、フランス、ドイツを初めとする先進国と同様に、憲法上にきちっと規定を設けるべきというのが私の意見であります。
我々日本が敗戦をしたときに、東京裁判から始まり、受けたくもない裁判を受けて、そして憲法ができてきているわけでございます。
去年の七月、石垣島に行きました。ちょうど、グラマン事件といいます、石垣事件というもののモニュメントをつくるということで、地域の方と交流があったので行ってまいりました。名もない日本の沖縄の兵士が、アメリカの若い兵隊さんたちがグラマンで石垣に不時着をしたときに、それを何の法規もなく、上官に言われて、死刑というか殺害をしてしまった。それに対して、今モニュメントをつくって、石垣事件があった、その三人の兵士の慰霊をする。しかし、アメリカの兵士を殺してしまったその名もない日本の兵士は、上官から言われてしただけである。それなのに、東京裁判にかけられて処刑されてしまった。その親族の方々がまだ生きてみえて、そのモニュメントを見て複雑な思いである。
日本の国として敗戦をしたことによって、そしてまた、その危害を加えたことによって、人権が、そして自由が確保されないで、いろいろなこういう悲しい出来事ができてきた。こういうことはもう二度とあってはならないという沖縄の皆さんの怒りはあると思います。
しかしながら、これからどんな事態になるかわからない日本において、しっかりとした国として、憲法上で、国民と国家を守っていくんだ、安全保障をしていくんだということは明記すべきだと私は思っております。
特にまた、米軍が基地を有する沖縄においては、米軍が我が国の領域内で円滑に活動することを確保するとともに、日本国民の権利、自由をいかにして確保し調和させるかということは極めて大事であるというふうに思っておりますし、武力攻撃事態法において、米軍との関係については、本法律施行後二年以内に法整備するというのが、郷土を侵略された経験を持つ沖縄県民の心情を考えれば、他の事態対処法の中でも最優先で検討されるべき事柄であるというふうに私は思っております。
以上です。
葉
葉梨信行#24
○葉梨委員 浅学非才でございますけれども、少し勉強してきたことを皆様に申し上げてみたいと思います。
平和憲法ということで、私どもは誇りに思って終戦後の日本で出発をしたわけでございますが、戦争の放棄とか武力行使の禁止など平和条項を掲げた憲法は、歴史的に振り返ってみますと、我が国やイタリー、ハンガリー等数十カ国ございます。そしてさらに、項目を細かく拾っていくと、百二十四カ国に平和憲法がございます。
一七九一年フランス憲法にもそのような条項がある。一九〇七年十月、ハーグで国際紛争平和的処理条約というのが成立いたしました。そして、しかも、第一次世界大戦が勃発をいたしまして、その反省として、一九一九年、ベルサイユ平和条約が締結され、また、国際連盟規約が発効いたしました。一九二四年にはジュネーブ議定書、二五年にロカルノ条約、一九二八年には不戦条約が成立いたしまして、平和条項が一層推し進められました。国際紛争解決の手段としての戦争、国策遂行の手段としての戦争は違法とされたわけでございます。
こういうように、平和主義志向の高まりにもかかわらず、第二次世界大戦が勃発し、御存じのような惨禍をもたらして、戦争が終わったわけでございます。そして一九四五年六月、国際連合憲章が制定され、国権の発動たる戦争、武力による威嚇または武力の行使はこれを禁止するという国連憲章が発表されました。我が国の憲法第九条はこのような文脈の中でとらえられているわけでございます。
我が国の九条論議について考えてみますと、制定されました終戦直後から昭和二十五年六月、朝鮮戦争勃発までが第一期であろうと思いますが、朝鮮戦争から警察予備隊、保安隊を経て、昭和二十九年自衛隊が発足いたしました、これが第二期であろう。そして平成二年、一九九〇年八月の湾岸危機発生までが第三期であろう。そして、アメリカを初めとする諸国が参戦をしました後、現在に至るまでが第四期になるのではないか、こういう説を唱えている専門家がおられるわけでございます。
そこで、我が国の九条論議でございますけれども、非常に文言が複雑であり、しかも大変多様な解釈ができる。その解釈の中で、自衛隊合憲論が我が国では確立して、自衛隊が憲法の条文のもとに活躍しているわけでございます。
第三には、安全保障に関する無責任体制と申しますか、大変観念的な、特殊日本的な平和観念が横行しているということ。このことは、虚心に私は耳を澄ませる必要があると思うのでございます。
平和を唱えることはすなわち非武装の状況にあるということ、武装するということは平和を破壊するという、まことに現実に合わない観念がまだ広く行き渡っているということ。実は、軍事力が平和に貢献し、一つの抑止力として機能し、そして平和状態を現出しているという状況が現実にあるわけでございます。
我が国がアメリカとの安全保障条約を結び、沖縄に米軍が駐留することによって、我が国並びに我が国の近くの国々の力のバランスが保たれ、そして戦後、朝鮮戦争が終わりました後、ずっと平和が保たれているというこの事実をまず受けとめて、それから我が国のこれからの安全保障状況はどうあるべきなのかということをお互い議論をしていきたいと思う次第でございます。
この発言だけを見る →平和憲法ということで、私どもは誇りに思って終戦後の日本で出発をしたわけでございますが、戦争の放棄とか武力行使の禁止など平和条項を掲げた憲法は、歴史的に振り返ってみますと、我が国やイタリー、ハンガリー等数十カ国ございます。そしてさらに、項目を細かく拾っていくと、百二十四カ国に平和憲法がございます。
一七九一年フランス憲法にもそのような条項がある。一九〇七年十月、ハーグで国際紛争平和的処理条約というのが成立いたしました。そして、しかも、第一次世界大戦が勃発をいたしまして、その反省として、一九一九年、ベルサイユ平和条約が締結され、また、国際連盟規約が発効いたしました。一九二四年にはジュネーブ議定書、二五年にロカルノ条約、一九二八年には不戦条約が成立いたしまして、平和条項が一層推し進められました。国際紛争解決の手段としての戦争、国策遂行の手段としての戦争は違法とされたわけでございます。
こういうように、平和主義志向の高まりにもかかわらず、第二次世界大戦が勃発し、御存じのような惨禍をもたらして、戦争が終わったわけでございます。そして一九四五年六月、国際連合憲章が制定され、国権の発動たる戦争、武力による威嚇または武力の行使はこれを禁止するという国連憲章が発表されました。我が国の憲法第九条はこのような文脈の中でとらえられているわけでございます。
我が国の九条論議について考えてみますと、制定されました終戦直後から昭和二十五年六月、朝鮮戦争勃発までが第一期であろうと思いますが、朝鮮戦争から警察予備隊、保安隊を経て、昭和二十九年自衛隊が発足いたしました、これが第二期であろう。そして平成二年、一九九〇年八月の湾岸危機発生までが第三期であろう。そして、アメリカを初めとする諸国が参戦をしました後、現在に至るまでが第四期になるのではないか、こういう説を唱えている専門家がおられるわけでございます。
そこで、我が国の九条論議でございますけれども、非常に文言が複雑であり、しかも大変多様な解釈ができる。その解釈の中で、自衛隊合憲論が我が国では確立して、自衛隊が憲法の条文のもとに活躍しているわけでございます。
第三には、安全保障に関する無責任体制と申しますか、大変観念的な、特殊日本的な平和観念が横行しているということ。このことは、虚心に私は耳を澄ませる必要があると思うのでございます。
平和を唱えることはすなわち非武装の状況にあるということ、武装するということは平和を破壊するという、まことに現実に合わない観念がまだ広く行き渡っているということ。実は、軍事力が平和に貢献し、一つの抑止力として機能し、そして平和状態を現出しているという状況が現実にあるわけでございます。
我が国がアメリカとの安全保障条約を結び、沖縄に米軍が駐留することによって、我が国並びに我が国の近くの国々の力のバランスが保たれ、そして戦後、朝鮮戦争が終わりました後、ずっと平和が保たれているというこの事実をまず受けとめて、それから我が国のこれからの安全保障状況はどうあるべきなのかということをお互い議論をしていきたいと思う次第でございます。
中
中村哲治#25
○中村(哲)委員 私は、安全保障の問題において、現行憲法解釈が、集団的自衛権を行使できないということになっていることに非常に大きな問題があると考えております。
内閣法制局の憲法解釈では、現行憲法下では、国際法上集団的自衛権は持っているけれども、憲法上行使できないということになっています。しかし、その合理的理由についてははっきりしていないことになっています。
先日、佐瀬昌盛さんの「集団的自衛権 論争のために」というPHP新書の本を読ませていただきました。そこで読んだ感想でも、なぜ国会はこの問題についてきちんと議論をしてこなかったのかということを深く感じざるを得ません。
そもそも、沖縄に基地があって、そして日米安保の現状を見た場合に、今の現状が集団的自衛権の行使をしていないのかといえば、国際法上の普通の考え方から見れば、日本は既に集団的自衛権の行使に踏み切っていると言わざるを得ないのではないでしょうか。そういうふうな状況にある中で、口先だけ個別的自衛権の範囲内で対処をしているということを言うこと自体が、無限定無原則に関与を拡大させてしまっている、そういうふうなことになっているのではないでしょうか。
テロ特措法の議論のときに、小泉首相は、現行憲法の範囲内でできる限りのことをするというふうなことをおっしゃっていました。つまり、私の考えでは、既に集団的自衛権の行使に踏み切っているにもかかわらず、現行憲法の範囲内でできる限りということになると、無限定無原則に、アメリカの言いなりになってすることをどんどん拡大させてしまう、それは非常に国益に反するのではないかと考えております。
言うまでもないことですけれども、憲法解釈というようなものは、一般的、抽象的にどこまでできるのかということです。しかし、個別具体的な状況において、法をいかに制定するのか、そしてその法の中でどういうふうな政策決定を政府が行っていくかというのは別の問題であります。だからこそ集団的自衛権の行使についての憲法解釈を変える、しかし、立法や具体的な政策判断においては九条と前文の趣旨に従って極めて限定的に考えていく、こういうふうなことを国家としてとることが国益に資すると私は考えております。
そして、皆さんに改めて訴えさせていただきたいのは、私がいつも繰り返していることでございますけれども、憲法解釈の第一次的な権限は国会にあるということです。皆さんは、憲法八十一条の違憲審査制が裁判所にあるから、憲法解釈の権限は裁判所にあると考えている方がたくさんいらっしゃるかと思いますが、これは誤った考えであります。
憲法学上も、付随的違憲審査制また統治行為論のもとで、裁判所の違憲審査の範囲外というふうなことが言われるのはなぜか。それは、国民主権のもと、こういうふうな問題に関してはまず国会で判断する、国会が判断したことは合理的な判断がされているから、立法というのは原則的には合憲だし、そして統治行為論においては、最終的には国民が選挙のときに判断するということが理屈となっております。そういうふうな理屈のもとでは、やはり国会がまず、今ある憲法はどういうふうなものなのか、そういうことをきちんと議論しないといけない、私はそういうふうに思います。
内閣法制局の問題がありますけれども、内閣法制局はなぜ憲法解釈をできているのかといえば、これは憲法七十二条に基づいて、内閣が国会に対して法律案を提出できる権限が認められているからです。つまり、法律案の原案をつくるためには、その前提となる憲法解釈を内閣がしなくてはならない。そのために内閣法制局が憲法解釈をしているにすぎないわけでございます。だから、私たち国会が内閣法制局の見解にとらわれて憲法解釈を限定的に考えるということは、憲法学上からいっても非常におかしなことだと思っております。
とかく憲法解釈や基本法などの立法で対応できることをしないで、憲法改正を唱える方がたくさんいらっしゃいますけれども、これは正直に申しまして、国会議員としての責務を放棄していると考えております。憲法改正を簡単に言わないで、まず憲法解釈をしっかり考えていく、そして立法で対応していく、新しい人権も立法で対応できますので、それをしていただきたいと思います。
以上です。
この発言だけを見る →内閣法制局の憲法解釈では、現行憲法下では、国際法上集団的自衛権は持っているけれども、憲法上行使できないということになっています。しかし、その合理的理由についてははっきりしていないことになっています。
先日、佐瀬昌盛さんの「集団的自衛権 論争のために」というPHP新書の本を読ませていただきました。そこで読んだ感想でも、なぜ国会はこの問題についてきちんと議論をしてこなかったのかということを深く感じざるを得ません。
そもそも、沖縄に基地があって、そして日米安保の現状を見た場合に、今の現状が集団的自衛権の行使をしていないのかといえば、国際法上の普通の考え方から見れば、日本は既に集団的自衛権の行使に踏み切っていると言わざるを得ないのではないでしょうか。そういうふうな状況にある中で、口先だけ個別的自衛権の範囲内で対処をしているということを言うこと自体が、無限定無原則に関与を拡大させてしまっている、そういうふうなことになっているのではないでしょうか。
テロ特措法の議論のときに、小泉首相は、現行憲法の範囲内でできる限りのことをするというふうなことをおっしゃっていました。つまり、私の考えでは、既に集団的自衛権の行使に踏み切っているにもかかわらず、現行憲法の範囲内でできる限りということになると、無限定無原則に、アメリカの言いなりになってすることをどんどん拡大させてしまう、それは非常に国益に反するのではないかと考えております。
言うまでもないことですけれども、憲法解釈というようなものは、一般的、抽象的にどこまでできるのかということです。しかし、個別具体的な状況において、法をいかに制定するのか、そしてその法の中でどういうふうな政策決定を政府が行っていくかというのは別の問題であります。だからこそ集団的自衛権の行使についての憲法解釈を変える、しかし、立法や具体的な政策判断においては九条と前文の趣旨に従って極めて限定的に考えていく、こういうふうなことを国家としてとることが国益に資すると私は考えております。
そして、皆さんに改めて訴えさせていただきたいのは、私がいつも繰り返していることでございますけれども、憲法解釈の第一次的な権限は国会にあるということです。皆さんは、憲法八十一条の違憲審査制が裁判所にあるから、憲法解釈の権限は裁判所にあると考えている方がたくさんいらっしゃるかと思いますが、これは誤った考えであります。
憲法学上も、付随的違憲審査制また統治行為論のもとで、裁判所の違憲審査の範囲外というふうなことが言われるのはなぜか。それは、国民主権のもと、こういうふうな問題に関してはまず国会で判断する、国会が判断したことは合理的な判断がされているから、立法というのは原則的には合憲だし、そして統治行為論においては、最終的には国民が選挙のときに判断するということが理屈となっております。そういうふうな理屈のもとでは、やはり国会がまず、今ある憲法はどういうふうなものなのか、そういうことをきちんと議論しないといけない、私はそういうふうに思います。
内閣法制局の問題がありますけれども、内閣法制局はなぜ憲法解釈をできているのかといえば、これは憲法七十二条に基づいて、内閣が国会に対して法律案を提出できる権限が認められているからです。つまり、法律案の原案をつくるためには、その前提となる憲法解釈を内閣がしなくてはならない。そのために内閣法制局が憲法解釈をしているにすぎないわけでございます。だから、私たち国会が内閣法制局の見解にとらわれて憲法解釈を限定的に考えるということは、憲法学上からいっても非常におかしなことだと思っております。
とかく憲法解釈や基本法などの立法で対応できることをしないで、憲法改正を唱える方がたくさんいらっしゃいますけれども、これは正直に申しまして、国会議員としての責務を放棄していると考えております。憲法改正を簡単に言わないで、まず憲法解釈をしっかり考えていく、そして立法で対応していく、新しい人権も立法で対応できますので、それをしていただきたいと思います。
以上です。
斉
斉藤鉄夫#26
○斉藤(鉄)委員 公明党の斉藤鉄夫です。
沖縄の地方公聴会の報告、興味深く聞かせていただきました。私も過去三回の公聴会には参加をさせていただきましたが、その過去三回の公聴会の中でも、憲法を論ずること自体許せないことだといったような、それも暴力的な言辞でもって威嚇をするような場面がたくさんございまして、私も大変不愉快な気分になったことを思い出しました。この点については、もう少し、憲法について根本的に論ずるという風潮を国民の、また日本国の中につくっていくことが大事だということを改めて感じた次第でございます。
さて、安全保障論議でございますけれども、憲法九条をめぐる安全保障論議、突き詰めていきますと、暴力に対する二つの考え方に行き着くのかな、本当に浅薄な、個人的な思考でございますけれども、そのように思います。
一つの考え方は、いかなる場合であっても暴力は許されないという考え方でございます。私は仏教徒ですけれども、すべての生命の中に仏性があって、その仏性に対して暴力を振るうことは絶対許されないという考え方、これも日本の国民の中に深く浸透していると思います。たとえ自分が暴力で侵されたとしても、自分は暴力を振るわない、そのときに振るわないということを貫き通したその精神的な一貫性、自由、そのことの中に自分の精神の尊厳があるということを認める考え方でございます。
もう一方の考え方は、暴力に対しては武力、この武力というのはまさに暴力という形をとります。外から見れば、暴力といわゆる正当防衛のための武力行使、これは差別はつきません。暴力に対しては武力というものでもって対抗し、自分の生命、そして精神的自由、自律を守る、そのときの最低限の暴力はいたし方ないという考え方でございます。
私自身はこの二番目の考え方の方に軸足を置いておりますけれども、このような二つの考え方が国民の間にもありまして、そのぶつかり合いが憲法九条をめぐる議論の本質なのかな、このように思っております。
そういう、かなり各自の生き方の問題、何に価値を置くかということの根本にかかわる問題でございまして、この問題で徹底して議論をすることは大切ですけれども、一つの国民的合意を得られるというのはかなり難しいのではないかなというふうに直感的に感じております。
そういう意味で、私は、現在あります第九条は、国民の中にある大きなこの二つの考え方をある意味で包摂する、包含をする、そういう条項になっているものではないか、このように感じております。
現在の自衛隊、また日米安保、それから集団的自衛権等に関する現在の九条の解釈も含めて、この九条については当分の間これを堅持するということ、ある意味でその二つの不毛な議論のぶつかり合いを避けながら憲法全般について議論をしていくためにも、この憲法九条については、議論は当然していくわけですけれども、当分の間堅持するということが妥当なのではないかと個人的には思っております。
以上でございます。
この発言だけを見る →沖縄の地方公聴会の報告、興味深く聞かせていただきました。私も過去三回の公聴会には参加をさせていただきましたが、その過去三回の公聴会の中でも、憲法を論ずること自体許せないことだといったような、それも暴力的な言辞でもって威嚇をするような場面がたくさんございまして、私も大変不愉快な気分になったことを思い出しました。この点については、もう少し、憲法について根本的に論ずるという風潮を国民の、また日本国の中につくっていくことが大事だということを改めて感じた次第でございます。
さて、安全保障論議でございますけれども、憲法九条をめぐる安全保障論議、突き詰めていきますと、暴力に対する二つの考え方に行き着くのかな、本当に浅薄な、個人的な思考でございますけれども、そのように思います。
一つの考え方は、いかなる場合であっても暴力は許されないという考え方でございます。私は仏教徒ですけれども、すべての生命の中に仏性があって、その仏性に対して暴力を振るうことは絶対許されないという考え方、これも日本の国民の中に深く浸透していると思います。たとえ自分が暴力で侵されたとしても、自分は暴力を振るわない、そのときに振るわないということを貫き通したその精神的な一貫性、自由、そのことの中に自分の精神の尊厳があるということを認める考え方でございます。
もう一方の考え方は、暴力に対しては武力、この武力というのはまさに暴力という形をとります。外から見れば、暴力といわゆる正当防衛のための武力行使、これは差別はつきません。暴力に対しては武力というものでもって対抗し、自分の生命、そして精神的自由、自律を守る、そのときの最低限の暴力はいたし方ないという考え方でございます。
私自身はこの二番目の考え方の方に軸足を置いておりますけれども、このような二つの考え方が国民の間にもありまして、そのぶつかり合いが憲法九条をめぐる議論の本質なのかな、このように思っております。
そういう、かなり各自の生き方の問題、何に価値を置くかということの根本にかかわる問題でございまして、この問題で徹底して議論をすることは大切ですけれども、一つの国民的合意を得られるというのはかなり難しいのではないかなというふうに直感的に感じております。
そういう意味で、私は、現在あります第九条は、国民の中にある大きなこの二つの考え方をある意味で包摂する、包含をする、そういう条項になっているものではないか、このように感じております。
現在の自衛隊、また日米安保、それから集団的自衛権等に関する現在の九条の解釈も含めて、この九条については当分の間これを堅持するということ、ある意味でその二つの不毛な議論のぶつかり合いを避けながら憲法全般について議論をしていくためにも、この憲法九条については、議論は当然していくわけですけれども、当分の間堅持するということが妥当なのではないかと個人的には思っております。
以上でございます。
中
中川正春#27
○中川(正)委員 ちょうど、連休明けから本格的な有事法制の議論が始まってまいります。そのタイミングで沖縄に出かけていって公聴会をやっていただいたということ、これは非常に時宜を得たことでありますし、これからの議論にこの今私たちが取り組んでいる問題というのが大いに生かされていくということ、このことが大切なんじゃないかというふうに思っております。
その上に立って沖縄を考えてみますと、やはりこの憲法の矛盾といいますか、我々が抱えている憲法の理想と、それから現実というものの、いわゆるリアルポリティークというものの矛盾がこの沖縄にすべて集中された形で今あるということ、このことだというふうに思っております。
先ほどから指摘されておりますように、特に憲法の前文の理想、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」これはもっと具体的に言えば、歴史の流れの中で、国連による平和構築、国連軍の創設等々も前提にした中で平和構築をしていくという世界の流れ、そしてそれぞれの国については不戦、戦うことをしないというはっきりとした理想があったんだろうというふうに思います。
それが、具体的な朝鮮戦争の中で、その理想が現実のものになっていかない。しかし、現実対応として日本が独自の安全保障を考えていくとすれば、それはアメリカというものの存在の中で、安全保障条約を結びながら、そのシステムの中に日本が入り込んでいくということ、そんな決断をしたということ。そして、それが米軍基地ということで沖縄に集中されて今あるということ。このようなことが、恐らく沖縄の住民の皆さんにとっても、逆にこの憲法九条にこだわり、そしてこの憲法の平和主義という理想にこだわり、それを求めていくべきだというその気持ちがそれぞれの公述人の中から述べられてきたんだろうというふうに思っております。
そうして考えていくと、実は有事法制というのは、その肝心のところの議論が、このままでいくとすぽっと抜け落ちていくんじゃないかというふうに思うんです。それはどう考えていっても、このアメリカのシステム、極東に対する戦略というもの、これを頭に置いて、日本がその中でどういう役割を果たしていくのかということ、これはアメリカにとっては当然前提としてあることだというふうに思っております。その中で、日米ガイドラインが定められて、周辺事態法あるいはテロ特措法という外枠が日本にとって固められてきて、いよいよ中の議論をしていこうかということなんですが、私は、日本は、国家として、この際もう一度立ちどまって、この基本を考えていくときだというふうに思うんです。
特に日米ガイドラインなんというのは、アメリカ軍の指揮権と自衛隊の指揮権が、これは共同でやりましょうということで、あいまいな形になっておりまして、その協定そのものが、議論はあったんでしょうけれども、国会が決めていくということじゃなくて、それこそ手続的にといいますか、ガイドラインという形で定められていくというプロセス、これが問題なんだというふうに思うんです。
そうした議論を含めて、この有事法制というのは私たちはしていきたいというふうに思いますし、最終的には、その上に立って考えていけば、先ほど話が出ていましたように、集団的自衛権を解釈でやるんじゃなくて、真っ向からここで取り上げて、憲法の中に明記をしていく、あるいは明記をすべきかどうかということも含めて真っ向から議論をするということ、このことが今この有事法制の中でも問われているんだというふうに思います。私は、解釈じゃなくて、明記をすべきだというスタンスに立って今話を進めていきたいというふうに思っております。
以上です。
この発言だけを見る →その上に立って沖縄を考えてみますと、やはりこの憲法の矛盾といいますか、我々が抱えている憲法の理想と、それから現実というものの、いわゆるリアルポリティークというものの矛盾がこの沖縄にすべて集中された形で今あるということ、このことだというふうに思っております。
先ほどから指摘されておりますように、特に憲法の前文の理想、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」これはもっと具体的に言えば、歴史の流れの中で、国連による平和構築、国連軍の創設等々も前提にした中で平和構築をしていくという世界の流れ、そしてそれぞれの国については不戦、戦うことをしないというはっきりとした理想があったんだろうというふうに思います。
それが、具体的な朝鮮戦争の中で、その理想が現実のものになっていかない。しかし、現実対応として日本が独自の安全保障を考えていくとすれば、それはアメリカというものの存在の中で、安全保障条約を結びながら、そのシステムの中に日本が入り込んでいくということ、そんな決断をしたということ。そして、それが米軍基地ということで沖縄に集中されて今あるということ。このようなことが、恐らく沖縄の住民の皆さんにとっても、逆にこの憲法九条にこだわり、そしてこの憲法の平和主義という理想にこだわり、それを求めていくべきだというその気持ちがそれぞれの公述人の中から述べられてきたんだろうというふうに思っております。
そうして考えていくと、実は有事法制というのは、その肝心のところの議論が、このままでいくとすぽっと抜け落ちていくんじゃないかというふうに思うんです。それはどう考えていっても、このアメリカのシステム、極東に対する戦略というもの、これを頭に置いて、日本がその中でどういう役割を果たしていくのかということ、これはアメリカにとっては当然前提としてあることだというふうに思っております。その中で、日米ガイドラインが定められて、周辺事態法あるいはテロ特措法という外枠が日本にとって固められてきて、いよいよ中の議論をしていこうかということなんですが、私は、日本は、国家として、この際もう一度立ちどまって、この基本を考えていくときだというふうに思うんです。
特に日米ガイドラインなんというのは、アメリカ軍の指揮権と自衛隊の指揮権が、これは共同でやりましょうということで、あいまいな形になっておりまして、その協定そのものが、議論はあったんでしょうけれども、国会が決めていくということじゃなくて、それこそ手続的にといいますか、ガイドラインという形で定められていくというプロセス、これが問題なんだというふうに思うんです。
そうした議論を含めて、この有事法制というのは私たちはしていきたいというふうに思いますし、最終的には、その上に立って考えていけば、先ほど話が出ていましたように、集団的自衛権を解釈でやるんじゃなくて、真っ向からここで取り上げて、憲法の中に明記をしていく、あるいは明記をすべきかどうかということも含めて真っ向から議論をするということ、このことが今この有事法制の中でも問われているんだというふうに思います。私は、解釈じゃなくて、明記をすべきだというスタンスに立って今話を進めていきたいというふうに思っております。
以上です。
今
今野東#28
○今野委員 民主党の今野東でございます。
私は、かねてから沖縄という地域に強く関心を寄せておりまして、今回の沖縄公聴会もぜひとも参加したいと思っておりましたが、参加することがかないませんでした。
しかし、今回は行けませんでしたけれども、数多く沖縄に行って、そして基地の近くにある安保が見える丘と俗称言われているところにも何度か立ち、基地の様子をかいま見たこともあります。
また、去年の九月十一日アメリカで起きた同時多発テロの影響で沖縄の観光は大きく影響を受けまして、皆さん御存じのように修学旅行が次々とキャンセルになるという事態を憂い、党の調査会の一人として沖縄に行きました。
その際、当然、米軍基地があることによって、危険だからというので修学旅行をキャンセルするという実態があるわけですから、経済界の方々からも、この沖縄の基地を何とかしてくれという意見が出るのであろうと想像して行きましたが、そういう意見は全く出ませんで、補助金を出すように考えてくれとか、そういう要請だけがありました。
後で沖縄のある大学の先生にそういう実態を話しましたところ、基地経済で沖縄の経済が成り立ってしまっている、それからさまざまな振興策あるいは補助金行政というもので、口の中にたくさんのあめ玉をしゃぶらされていて、それが口の中にいっぱい入っているからしゃべられないのだという解説を受けまして、なるほどと思って帰ってきたわけですが、それが沖縄にとってはもちろん幸せな状況だとは思っておりません。
そうしたところから、伺ったところによりますと、大変厳しい意見もこの公聴会の会場の中では出たようでありますけれども、それは当然のことなのだろうと思います。沖縄の方たちが、それ以外の都道府県の方々よりも、憲法あるいは安全保障について強くさまざまな意見を持っているということは納得できるところであります。
さて、日本国憲法は、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有すると確認しております。さらに、基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、国民に保障しています。したがって、これらの権利、基本的人権を侵害するおそれのある有事法制を整備しようとすると、憲法上相当無理な解釈をしなければならなくなります。有事法制については、現行の自衛隊法などの有事法体系の中で、不十分なところは補充、強化すればいいのではないかと私は考えております。
今回の有事法制を見ますと、まずは有事の定義があいまいでありまして、武力攻撃が予測される事態まで含まれていて、周辺事態とも区別がつきにくい、何でも有事にされてしまう。また、シビリアンコントロールの形骸化も懸念される、地方自治が侵害される危険性も大きい、基本的人権が不当に制限されるおそれが強い、どこまで制限されるのかまず見えないということもあります。
それらさまざまありますが、我が国の憲法はいわゆる有事を想定しておりません。この本旨は、平和的手段によって有事を起こさないようにすることにあるわけであります。
しかし一方、日米安保条約は、有事を想定し、その第五条において日米共同対処を定めています。この矛盾と相克の中で、また国際情勢の変転とアメリカ主導のパワーポリティックスの中で、我が国の外交安全保障は揺り動かされてきました。
世界では、我が国を侵そうとする国は見当たりません。もちろん、我が国にはその意図はありません。したがって、我が国固有の理由では有事は起こり得ないだろうと思われます。有事があるとすれば、日米安保条約のもとで在日米軍基地を持ち、世界戦略を推し進めているアメリカの介入によって生ずるかもしれない日本有事であります。日本にとってあり得べき有事は、根本から問い直されるべきであろうと思います。日本有事の未然防止のために必要なのは、自立した平和外交の確立と、日米安保条約の見直しではないかと思います。
九月十一日から有事について大きく議論が巻き起こっておりますが、その議論より以上に大きな、予防外交についての議論を私たちは膨らませていかなければならないのではないかと考えております。
この発言だけを見る →私は、かねてから沖縄という地域に強く関心を寄せておりまして、今回の沖縄公聴会もぜひとも参加したいと思っておりましたが、参加することがかないませんでした。
しかし、今回は行けませんでしたけれども、数多く沖縄に行って、そして基地の近くにある安保が見える丘と俗称言われているところにも何度か立ち、基地の様子をかいま見たこともあります。
また、去年の九月十一日アメリカで起きた同時多発テロの影響で沖縄の観光は大きく影響を受けまして、皆さん御存じのように修学旅行が次々とキャンセルになるという事態を憂い、党の調査会の一人として沖縄に行きました。
その際、当然、米軍基地があることによって、危険だからというので修学旅行をキャンセルするという実態があるわけですから、経済界の方々からも、この沖縄の基地を何とかしてくれという意見が出るのであろうと想像して行きましたが、そういう意見は全く出ませんで、補助金を出すように考えてくれとか、そういう要請だけがありました。
後で沖縄のある大学の先生にそういう実態を話しましたところ、基地経済で沖縄の経済が成り立ってしまっている、それからさまざまな振興策あるいは補助金行政というもので、口の中にたくさんのあめ玉をしゃぶらされていて、それが口の中にいっぱい入っているからしゃべられないのだという解説を受けまして、なるほどと思って帰ってきたわけですが、それが沖縄にとってはもちろん幸せな状況だとは思っておりません。
そうしたところから、伺ったところによりますと、大変厳しい意見もこの公聴会の会場の中では出たようでありますけれども、それは当然のことなのだろうと思います。沖縄の方たちが、それ以外の都道府県の方々よりも、憲法あるいは安全保障について強くさまざまな意見を持っているということは納得できるところであります。
さて、日本国憲法は、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有すると確認しております。さらに、基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、国民に保障しています。したがって、これらの権利、基本的人権を侵害するおそれのある有事法制を整備しようとすると、憲法上相当無理な解釈をしなければならなくなります。有事法制については、現行の自衛隊法などの有事法体系の中で、不十分なところは補充、強化すればいいのではないかと私は考えております。
今回の有事法制を見ますと、まずは有事の定義があいまいでありまして、武力攻撃が予測される事態まで含まれていて、周辺事態とも区別がつきにくい、何でも有事にされてしまう。また、シビリアンコントロールの形骸化も懸念される、地方自治が侵害される危険性も大きい、基本的人権が不当に制限されるおそれが強い、どこまで制限されるのかまず見えないということもあります。
それらさまざまありますが、我が国の憲法はいわゆる有事を想定しておりません。この本旨は、平和的手段によって有事を起こさないようにすることにあるわけであります。
しかし一方、日米安保条約は、有事を想定し、その第五条において日米共同対処を定めています。この矛盾と相克の中で、また国際情勢の変転とアメリカ主導のパワーポリティックスの中で、我が国の外交安全保障は揺り動かされてきました。
世界では、我が国を侵そうとする国は見当たりません。もちろん、我が国にはその意図はありません。したがって、我が国固有の理由では有事は起こり得ないだろうと思われます。有事があるとすれば、日米安保条約のもとで在日米軍基地を持ち、世界戦略を推し進めているアメリカの介入によって生ずるかもしれない日本有事であります。日本にとってあり得べき有事は、根本から問い直されるべきであろうと思います。日本有事の未然防止のために必要なのは、自立した平和外交の確立と、日米安保条約の見直しではないかと思います。
九月十一日から有事について大きく議論が巻き起こっておりますが、その議論より以上に大きな、予防外交についての議論を私たちは膨らませていかなければならないのではないかと考えております。
葉
葉梨信行#29
○葉梨委員 先ほど、多少私の考えを申し上げました。その後また、各先生から御意見が出ましたのを伺いながら、ちょっと足りなかったことがあるかなと思うことで、補足させていただきたいと思います。
何といいますか、戦争になったら大変だ、平和憲法を守れという気持ちはお互いによく理解しているわけでございますが、お互いの気持ちの中に、戦争中の記憶がまだ強烈にあるわけですね。軍部が横暴で、軍部が統帥権を振りかざして政治のコントロールを侵し、戦争に突入し、無謀な戦争を遂行し敗戦に至った、そういう不信感があるのだろうと思うんですね。
ところが、現行憲法制定過程で、総司令部と当時の日本政府の憲法担当の先生方とのやりとりの中で、それから対日理事会からのアドバイスもあったと聞きますが、シビリアンコントロールを入れたわけですね。軍部が飛びはねたことができないように、国民がこれをコントロールする、国民の代表の国会がそういうことに責任を持つという体制が現在できているわけでございます。私は、こういう意味で、この認識をお互いに持つことが一つ大事なことであろうと思います。
もう一つは、外国を信ずるのか、我々自身を信ずるのかということでございます。
具体的に申しますと、この間党首討論がありましたが、ある党首の方が、平和憲法があれば絶対にどこの国も攻めてこないとおっしゃいました。これは、外国は善そのものなんだ、侵略なんということはないとおっしゃっていることでございますね。
だとすると、外国を信ずるならば、どうして日本国、日本国民を信ずることができないのだろうか。私は、それならまず日本国民を信ずる。その日本国民はあの三原則を掲げている憲法のもとに生活をし、この民主主義、平和主義をしっかり守ろうという国民の意向というものは揺るぎない、戦後民主主義に対して、私は確信を持っております。だから、外国を信ずるなら、まず日本人の気持ち、平和主義を信じなきゃいけないと思います。
だけれども、逆に、日本人はみんな平和主義で民主主義だ、戦争なんか外国にしかけないと信じるから外国のことも信じなさいというのは、これは世界政治の現状、実情に対するやや甘い見方で、国民自身はお互い信じ合いましょうよ、国の政治も信じて、ひとつ政治を、国会で選出された首班による政党政治に任せようということであるけれども、外国の中には間違う国があるかもしれない、ここの認識をはっきり持たなければいけないと私は思うわけでございます。
国の独立、それから国民の生命財産をしっかり守るというのは国政の使命でございます。そういう意味で、そういう気持ちを持って、一定の警戒心を持ってひとつ諸外国とつき合い、外交を行い、安全保障を果たしていくということが必要ではないであろうか、こう思っておりまして、そんなことをまた諸先生と議論してみたい。基本にそのことがあるんじゃないだろうかと思います。
以上です。
この発言だけを見る →何といいますか、戦争になったら大変だ、平和憲法を守れという気持ちはお互いによく理解しているわけでございますが、お互いの気持ちの中に、戦争中の記憶がまだ強烈にあるわけですね。軍部が横暴で、軍部が統帥権を振りかざして政治のコントロールを侵し、戦争に突入し、無謀な戦争を遂行し敗戦に至った、そういう不信感があるのだろうと思うんですね。
ところが、現行憲法制定過程で、総司令部と当時の日本政府の憲法担当の先生方とのやりとりの中で、それから対日理事会からのアドバイスもあったと聞きますが、シビリアンコントロールを入れたわけですね。軍部が飛びはねたことができないように、国民がこれをコントロールする、国民の代表の国会がそういうことに責任を持つという体制が現在できているわけでございます。私は、こういう意味で、この認識をお互いに持つことが一つ大事なことであろうと思います。
もう一つは、外国を信ずるのか、我々自身を信ずるのかということでございます。
具体的に申しますと、この間党首討論がありましたが、ある党首の方が、平和憲法があれば絶対にどこの国も攻めてこないとおっしゃいました。これは、外国は善そのものなんだ、侵略なんということはないとおっしゃっていることでございますね。
だとすると、外国を信ずるならば、どうして日本国、日本国民を信ずることができないのだろうか。私は、それならまず日本国民を信ずる。その日本国民はあの三原則を掲げている憲法のもとに生活をし、この民主主義、平和主義をしっかり守ろうという国民の意向というものは揺るぎない、戦後民主主義に対して、私は確信を持っております。だから、外国を信ずるなら、まず日本人の気持ち、平和主義を信じなきゃいけないと思います。
だけれども、逆に、日本人はみんな平和主義で民主主義だ、戦争なんか外国にしかけないと信じるから外国のことも信じなさいというのは、これは世界政治の現状、実情に対するやや甘い見方で、国民自身はお互い信じ合いましょうよ、国の政治も信じて、ひとつ政治を、国会で選出された首班による政党政治に任せようということであるけれども、外国の中には間違う国があるかもしれない、ここの認識をはっきり持たなければいけないと私は思うわけでございます。
国の独立、それから国民の生命財産をしっかり守るというのは国政の使命でございます。そういう意味で、そういう気持ちを持って、一定の警戒心を持ってひとつ諸外国とつき合い、外交を行い、安全保障を果たしていくということが必要ではないであろうか、こう思っておりまして、そんなことをまた諸先生と議論してみたい。基本にそのことがあるんじゃないだろうかと思います。
以上です。