2002-02-14
衆議院
奥野誠亮
憲法調査会政治の基本機構のあり方に関する調査小委員会
奥野誠亮の発言 (憲法調査会政治の基本機構のあり方に関する調査小委員会)
⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。
詳細は利用規約をご確認ください。
○奥野小委員 自由民主党の奥野誠亮であります。
議院内閣制の運用のあり方についていろいろと御教示をいただいて、ありがとうございました。
長の選任の方法についてはお触れになりませんでしたけれども、やはり一番大きな、運用に影響を及ぼす課題じゃないかと思います。また、立法論にもなるわけでございますし、殊に首相公選制が今や一つの政治課題になったりしておりますので、私からは、国政が議院内閣制でありますし、地方が大統領制である、また、こういうとらえ方には、ジュリストを見ますと、先生は、内閣と議会の関係のみに着目するのは視野が狭過ぎるとおっしゃっているわけでございますけれども、現実の政治の世界に身を置いている者でございますし、時間も極めて制約されておりますので、私なりの考え方を申し上げさせていただいて、御教示あるいはまた御所見を賜ればありがたいなと思っております。
言うまでもなく、現行制度では、国政におきましては、衆議院の総選挙が行われますと、単に議員を選び出すばかりじゃなしに、あわせて内閣総理大臣を間接的に選んでいるんだ、こう判断をしているわけでございます。選挙が終わりますと、内閣は総辞職をして、真っ先に内閣総理大臣を選挙する、こう憲法は定めておるわけでございますし、また、各政党の党首がその際に内閣総理大臣の候補者になっているわけでございます。結論的には、第一党の党首が政局の収拾をする責任者になっていくということがだんだんと慣例的に固まってきているんじゃないかなと思います。
そういういろいろなことを考えますと、政党の役割というものは非常に重要な意味を持ってきているわけでございます。それだけに、また、選ばれた内閣総理大臣は、議会や政党に対しては弱い立場にあると言えないこともございません。
日本の内閣総理大臣が最近は頻繁にかわっている。世界の責任者がかなり長期にわたって政権を担当しているところから見ますと、恥ずかしいような状態になっているわけでございます。
そういうことなどもあって、もっと強い内閣総理大臣をつくったらどうかということが、大統領制にする、住民が直接に選び出すことにしたらどうか、そういうことになると安定した内閣総理大臣ができるじゃないかと。事実、大統領制をとっています地方団体の長は、途中でやめたりするのは例外でございまして、任期いっぱい務めておるわけでございます。そのためには、やはり内閣総理大臣の選任方法を、現在のような議院内閣制の立場で選ぶんじゃなくて、大統領制の立場で選んだらどうかということになってきているんだと思います。
しかし、地方でも、人口五、六百人のところから千数百万人のところまで、同じように団体の長は住民が直接に選挙で選ぶということになっておりますので、やはりこれは無理があるじゃないかな、地域の実態に応じていろいろな選任方法があってしかるべきだ、こういう議論もあるわけでございます。
直接に選ぶということになりますと、選挙する者はいろいろな人でございまして、支持政党を持たない人もあれば、共産党支持者もあれば、自民党支持者もあるわけでございます。したがいまして、候補者は大体無所属でございます。いろいろな幅の広い支持を得なければ当選できないということから無所属でございまして、政党の関与する力が非常に弱いものになっていくと思うわけでございます。同時に、選ぶ方も、大きなところになってまいりますとなかなかわからないものだから、人気投票みたいになっていると思います。長もまた、いろいろな人の協力を得なきゃなりませんので、どうしても迎合的になってくる、人気政策みたいになる、こういう欠陥が出てくると思うわけでございます。
いずれにいたしましても、これは憲法改正につながっていくわけでございます。
私は、長の選任方法をどうするかということにつきましては、単純にそのことだけでよしあしを言うんじゃなくて、その地域なり国なりの歴史とか伝統とか、あるいは日本であれば天皇制とかほかの機関との関係も考えながら、総合的に判断して決めていかなきゃならないと思っているわけでございます。例えば、アメリカやフランスは大統領制をとっている、イギリスは議院内閣制をとっている。それぞれ事情がわかるわけでございますし、日本には千何百年トップには天皇制をいただいているという、これも簡単につくろうと思ってもつくれないわけでございますから、この存在も十分考えながら長の選任方法を考えていかなきゃならないと思っておるところでございます。
先生はまた、ジュリストに、天皇は政治的権限のない完全に名目的、儀礼的な存在として設定されている、こう述べておられるんですけれども、私はこれもちょっと異論があるわけでございまして、天皇に対する国民の感情、今日におきましても、憲法は、日本国の象徴、日本国民統合の象徴という言葉を使っております。これが出ましたときには何か違和感を日本国民は持ったわけでございますけれども、仰ぎ見る存在が天皇だ、こういうふうに見てまいりますと、やはりだんだんと敬愛の念が強いもの、今日でも変わりはないようなことになってくると思っておるわけでございます。
殊に、いろいろな国事行為を持っておられる。例えば、乱闘国会になりまして、法律が本当に議決されたのやら議決されないのやら、速記録は聞き取れず、聞き取れずと書いてある。そういうことから無効論が出たりしますけれども、天皇の国事行為として法律が公布されますと、もうそれでおさまってしまうわけでございます。
そういういろいろなこともございますし、また、焦土と化した後、天皇が全国に行脚して回った、国民を激励された、あれも国民が立ち上がる一つの契機になったのじゃないかなと私は思っておりますし、文化や福祉や、あるいは国際親善やいろいろな面において、天皇なり天皇御一家なりが活動しておられることが大きな影響を持っておるわけでございまして、これは軽視すべきでないんじゃないかな、こう私は思っているわけでございます。
同時に、直接選挙の怖さというものも感ずるわけでございまして、消費税のときには、非常に信頼の厚い政治家がどんどんみんな落選していった苦い経験がございますし、また、サンフランシスコ講和条約が決まってまいりますときに、ソビエト・ロシアなども賛成するまでは待つべきだという意見もございまして、全面講和か単独講和かということで争われました。まあ、単独講和じゃなくて、多数講和と言った方がいいのかもしれません。東京大学の学長をされた南原繁さんが反対の急先鋒でございました。苦心惨たんしておられる吉田茂総理は、曲学阿世の徒と厳しく批判をいたしました。
また、昭和三十五年に安保条約を改定いたしますときにも、学界も、またマスコミの多くも労働界も、大体多くは賛成でございました。それを戦争に巻き込まれる、戦争に巻き込まれるということでございました。これも、ソ連は日本にアメリカの基地がある限りは独立を認めるわけにいかない、こういう姿勢をとっておったのに加担をしていったわけでございまして、こういうことを考えますと、こんなときにもし総理大臣の選挙でも行ったらどういうことになるんだろうかなと私には思えるわけでございます。
そんなことを考えてまいりますと、やはり地方の弊害が、同じような大統領制をとった場合には国政の中にも出てくるわけでございます。もちろん、総裁のあり方については、今日では国会議員だけが自民党の総裁を決めるのじゃございませんで、党員、党友も参加する。もちろん支持者だけでございまして、共産党の方が参加されるわけじゃございません。しかし、大統領制になりますと、みんなで決めるわけでございますからそういうわけにはいきませんが、いろいろな工夫をすることによって努力をしていきたいな、こう思います。
私は、天皇制についての考え方も、現行憲法では……