憲法調査会政治の基本機構のあり方に関する調査小委員会

2002-02-14 衆議院 全104発言

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会議録情報#0
本小委員会は平成十四年二月七日(木曜日)憲法調査会において、設置することに決した。
二月七日
 本小委員は会長の指名で、次のとおり選任された。
      伊藤 達也君    奥野 誠亮君
      高市 早苗君    谷垣 禎一君
      中曽根康弘君    額賀福志郎君
      松島みどり君    島   聡君
      仙谷 由人君    伴野  豊君
      松沢 成文君    斉藤 鉄夫君
      藤島 正之君    山口 富男君
      土井たか子君    井上 喜一君
二月七日
 高市早苗君が会長の指名で、小委員長に選任された。
平成十四年二月十四日(木曜日)
    午後二時開議
 出席小委員
   小委員長 高市 早苗君
      伊藤 達也君    奥野 誠亮君
      谷垣 禎一君    中曽根康弘君
      中山 正暉君    額賀福志郎君
      島   聡君    手塚 仁雄君
      中村 哲治君    伴野  豊君
      松沢 成文君    斉藤 鉄夫君
      藤島 正之君    山口 富男君
      金子 哲夫君    井上 喜一君
    …………………………………
   憲法調査会会長      中山 太郎君
   憲法調査会会長代理    中野 寛成君
   参考人
   (東京大学教授)     高橋 和之君
   衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君
    —————————————
二月八日
 小委員松島みどり君同日小委員辞任につき、その補欠として中山正暉君が会長の指名で小委員に選任された。
同月十四日
 小委員伴野豊君同日委員辞任につき、その補欠として手塚仁雄君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員仙谷由人君及び土井たか子君同日小委員辞任につき、その補欠として中村哲治君及び金子哲夫君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員手塚仁雄君同日委員辞任につき、その補欠として伴野豊君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員中村哲治君及び金子哲夫君同日小委員辞任につき、その補欠として仙谷由人君及び土井たか子君が会長の指名で小委員に選任された。
    —————————————
本日の会議に付した案件
 政治の基本機構のあり方に関する件

     ————◇—————
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高市早苗#1
○高市小委員長 これより会議を開きます。
 この際、一言ごあいさつを申し上げます。
 先般、小委員長に選任されました高市早苗でございます。よろしくお願いいたします。
 当小委員会は、政治の基本機構のあり方に関する調査小委員会ということで、例えば国会と内閣のあり方ですとか、そしてまた選挙制度と政党、また司法制度など、非常に大きなテーマに取り組んでいく小委員会となりそうでございます。
 精いっぱい、充実した議論を重ねていけますように心を込めて私も頑張ってまいりますので、委員の先生方の御協力、また御指導方、どうかよろしくお願いをいたします。
 政治の基本機構のあり方に関する件について調査を進めます。
 本日、参考人として東京大学教授高橋和之さんに御出席をいただいております。
 この際、参考人の方に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、先生におかれましては、大変お忙しいお体でいらっしゃいますのに衆議院までお運びをいただきまして、本当にありがとうございます。小委員会を代表して御礼を申し上げます。参考人のお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきまして、調査の参考にいたしたいと思いますので、どうかよろしくお願いをいたします。
 次に、議事の順序につきまして申し上げます。
 最初に参考人の方から御意見を四十分以内でお述べいただき、その後、小委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
 なお、発言する際はその都度小委員長の許可を得ることとなっております。また、参考人は小委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
 御発言は着席のままでお願いいたします。
 それでは、高橋参考人、お願いいたします。
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高橋和之#2
○高橋参考人 ただいま紹介いただきました高橋でございます。
 きょうは、日本国憲法が定めている議院内閣制の運用のあり方について、「議院内閣制の国民内閣制的運用」というタイトルでお話しさせていただきたいと思います。
 お話の御依頼をいただいたときには、議院内閣制の運用を職務とされておられます議員の皆様に、その運用がどうあるべきかなどということをお話しするのは釈迦に説法ではないかと思いましたが、木を見て森を見ずという言葉もあることでもあり、現場から離れたところで議院内閣制の運用を観察している者に、そのありようがどのように見えているかということをお話しすることも、あるいは何らかのお役に立つかもしれないと思い直しまして、ここにやってまいりました。そういうわけで、話の内容は、遠くから見た議院内閣制というものがどういうふうに見えているかといったことになるかと思います。
 日本国憲法が採用した議院内閣制の構造は、御承知のように、次のようなものであります。
 まず、内閣総理大臣は、国会議員の中から国会が指名いたします。国会といいましても、衆議院に優越性が与えられておりますから、実際には衆議院の意向が重きをなすことになります。
 総理大臣が決まりますと、他の国務大臣は総理大臣が任命いたします。任命のみならず、自由な罷免権も与えられておりまして、この点で、日本国憲法の総理大臣は、御承知のように、戦前と異なり、内閣の首長としての地位を明確に与えられているわけであります。
 このように、首相を中心に一体性、連帯性を確立した内閣は、その行政について、国会に責任を負います。国会が内閣の責任を問う方法の核心にあるのは、言うまでもなく、内閣の不信任を行うことでありますけれども、憲法は、その権限を衆議院にのみ与え、参議院には与えておりません。
 さて、衆議院は内閣を不信任する権限を持ちますが、それに対抗して、内閣は衆議院を解散する権限を与えられております。
 内閣が解散権を行使し得るのは、衆議院が不信任をした場合に限定されるのか、それとも、それに限定されず、いつでも必要と判断したときには解散権を行使し得るのかという点につきましては、学説上は解釈の対立がありますが、実務においては初期のころから後者の理解が確立しておりまして、今では通説もそれを支持しておりますから、日本の議院内閣制は、衆議院の自由な不信任権と内閣の自由な解散権が対抗する、いわゆる均衡型の議院内閣制だということになります。
 以上は、国会と内閣の関係にのみ着目した場合の議院内閣制の姿でありますが、日本国憲法は、国民主権を政治の基本原理として採用しております。したがって、議院内閣制は、主権者たる国民の求める政治を行うためのメカニズムとして理解する必要があります。
 国民主権といいましても、代表制を基本としておりますから、国民が行うのは通常は代表者を選挙することに限られます。国民は、代表者の選挙を通じて、間接的に自分たちの求める政策意思を表明するわけであります。したがって、議院内閣制というのは、国民が選挙で間接的に表明した意思を基礎にして、代表者が国民のための政治を行っていくメカニズムということになります。
 ここで、国民が選挙で間接的に政策意思を表明するという点と、国民のための政治を行うというこの二点に注目しておきたいと思います。
 よく民主政治のことを、リンカーンの言葉を引用いたしまして、国民の国民による国民のための政治と言われますが、国民によるというところが、仮に直接制であれば、国民のためのということは不要になることでありましょう。国民が直接意思表明をすれば、それが国民のためにならないと主張することは困難であります。何が国民のためかは国民が最もよく知っているというのがデモクラシーの前提でありますから、国民が直接意思表明した以上、それは国民のためであると判断する以外にないということになります。
 しかし、代表制においては、国民が直接意思表明をしませんから、その分、代表者の裁量が拡大し、代表者による国民のための政治に期待されることになります。代表制においては、国民による政治と国民のための政治が微妙なバランスに置かれているということであります。
 そこで、議院内閣制の運用を考える場合、この国民による政治と国民のための政治のどちらに重点を置いて運用を行うべきかという問題が出てくることになるわけであります。
 国民による国民のための政治を議院内閣制を介して行っていく場合に、その政治プロセスは、有権者が議員の選挙を通じて自分たちの求める政策についての意思を表明し、それを受けて、議員が現実に実施する政策とその担当者、首相を決定するという展開をたどります。
 ここで重要なことは、まず第一に、国民あるいは有権者の間には望ましいと考える政策についての多様な考えが存在するということであります。しかし、第二に、政治によって実現し得るのはただ一つの政策プログラムだということであります。
 もちろん、多様なプログラムのうち、中には相互に両立可能なものもあるでしょう。そういうものは一つに統合すればよいわけであります。しかし、統合の努力を行っても、どうしても両立させ得ないプログラムが最後には幾つか残るはずであります。そのうちのどれか一つしか政治のプログラムとはなり得ないということであります。
 つまり、この政治のプロセスの課題は、多様な政策プログラムを統合し選択していって、最終的に一つのプログラムに絞り込むということであります。
 そこで、問題は、この絞り込みをどのようなリズムといいますか、段階、区分で行うのがよいかということになります。
 制度的には、憲法は、第一段階を議員の選挙、第二段階を首相の指名、第三段階を国務大臣の任命という形で設定しておりますが、その制度的な各段階でどの程度の絞り込みを期待するかということであります。ここでは技術的な選択の性格が強くなります第三段階は省略して考えますと、問題は、選挙前に国民の間に存在する多様な政策プログラムをまず選挙を通じてどの程度に絞り込むのが適切なのか、次いで、第二段階での絞り込みのあり方をどういうふうに考えるのかということになります。
 この点について、私は、二つのモデルを区別して考えるのがよいかと考えております。
 一つは、基本政策への絞り込みを選挙のプロセスで行ってしまうというものであります。このモデルでは、選挙の結果、国民の多数派が支持する政策プログラムが確定いたします。もちろん、政策プログラムと同時にそれを担う者、つまり首相も事実上決定されるということになります。この場合、第二段階、首相の指名というのは形式的なものになります。憲法上の手続としては国会が首相を指名しますが、だれが首相となるべきかは選挙の結果事実上決まっておりますから、それに法的な効果を与える手続にすぎなくなります。ここでは、内閣とその政策は選挙を通じて国民が直接的に選択いたしますから、これを国民内閣制モデルと呼んでおくことにいたします。
 これに対し、もう一つのモデルは、選挙において絞り込むことは避けて、選挙では国民の間に存在する多様なプログラムをできる限り忠実に国会の構成に反映させ、一つの政策への絞り込みは首相の指名という第二段階にゆだねようというものであります。つまり、ここでは、内閣とその政策の決定は選挙後に議員によって行われるということになります。国民が直接行うのではなくて、議員の媒介を通じて行われますので、これをここでは媒介内閣制モデルと呼んでおくことにいたします。
 この議院内閣制の二つの運用モデル、国民内閣制モデルと媒介内閣制モデルというのは、理念型的なものでありまして、現実の運用がどちらか一方だけで行われているということではありません。実際には、国民の間に存在する多様性をその立体的構造まで含めて完全、正確に国会に反映させ得るような、そういう選挙制度は存在いたしませんから。どんな選挙制度においてもある程度の絞り込みがなされますし、また最大限の絞り込みを目指したとしても、常に多数派に支持された唯一の政策プログラムがそこであらわれるという保証はありません。選挙のプロセスで多数派形成に失敗すれば、その限りで議員による多数派形成が必要になります。
 しかし、重要なことは、この二つのモデルは、考え方としては明確な対照、コントラストをなすものでありますから、両者を折衷して考えるというわけにはまいりません。どちらかを運用モデルとして選択する必要があります。
 では、どちらがよいのか。
 どちらがよいのかという問いに対しては、一般的に正解を出すということは困難であります。どちらも十分可能なモデルであり、それぞれが長所、短所を持っております。実際、イギリスは国民内閣制モデルを代表しておりますし、オランダとか北欧諸国、こういった国は媒介内閣制モデルに属する国だと言われておりますが、民主政治のあり方としてどちらがよりよい政治を行っているかなどということは簡単に言い得ることではありません。
 確かに、国民内閣制モデルの方が、国民が政治に対してより強い発言権を持つことになりますから、より民主的だと言えないわけではありません。特に、国民による政治を強調すればするほどそういうことになるでありましょう。
 しかし、どんな領域でも、その道のプロ、専門家というものは存在するものであります。素人が謙虚になって専門家を尊重するということは、非難すべきことではないと思います。国民のための政治ということを強調すれば、その方がよい場合もあるのではないかと思います。私自身、政治的な争点について、自信を持ってどちらかを選択することができるものもありますが、しかし、この問題の選択を私にさせてくれるなと願いたいような争点もたくさんあります。そういうものについては、専門家の判断を尊重したいと考えております。
 したがって、どちらがよいかは、現在の日本の政治のあり方、そこにどういう問題があるのか、今政治に何が求められているのかといったこととの関連で考えるべきことだと考えております。
 私の理解では、戦後長期にわたって、日本の議院内閣制は媒介内閣制モデルに従って運用されてまいりました。それが、一九九〇年代に入ってさまざまな困難に直面し、その運用のあり方がここで模索され始めているというのが現状ではないかと理解しております。
 現代の政治は、積極的なリーダーシップを必要としております。社会を運営していくためには、だれかが率先して必要な活動、アクションをとらなければなりません。消極国家と言われる考え方においては、アクションは社会にゆだねておくのが最善であって、そうすれば基本的には神の見えざる手により調和的発展が実現されるんだ、国家は社会の行き過ぎをコントロールしていればいいんだと説かれました。しかし、今日では、積極国家、福祉国家という考え方のもとで、一定の人為的プログラムにより、神の見えざる手ではなくて、人為的プログラムによって国家が社会の調和的発展のかじ取りを行っていくことが必要だと考えられるようになっております。
 そのプログラムに広範なコンセンサスがあれば、政治の課題はそれだけ軽減されますし、ましてや、それにより社会が順調に発展していたときには、政治が果たすべき役割はさらに限定されるということになりました。しかし、御承知のように、そのような時代は、仮に存在していたといたしましても、今ではもう失われてしまったのであります。
 今では、政府が積極的な活動を展開するには、まず政治プロセスを通じて、そのためのアクションプログラムを決めなければなりません。それは、デモクラシーを掲げる国である以上、国民の過半数に支持されたものであることが求められます。また、そうであってこそ、政府は時代の要請する政策を強力に推進することが可能となるのであります。
 この観点から、内閣とその政策に対する国民の多数派の支持が明確である方がよいということになるのではないでしょうか。この点で、国民内閣制と媒介内閣制のどちらが明確な支持を確立し得るかといえば、明らかに国民内閣制ではないでしょうか。
 もっとも、媒介内閣制でも、人口規模の小さな国家で国民の支持の動向が比較的把握しやすいなどの特別な条件があれば、明確に国民の多数派の支持する内閣を媒介内閣制モデルでも形成することは可能でありましょう。しかし、日本のように人口の大きな国になると、国民の多数派と議会の多数派を一致させるということは、媒介モデルでは相対的に困難となるように思われます。ですから、今、日本が目指すべき運用のあり方は国民内閣制ではないかと私は考えております。
 したがって、一九九〇年代以降、政治改革の一環として衆議院の選挙制度改革がなされましたが、それが成功しているかどうかは別にいたしまして、基本的な方向としては支持し得るものではないかと考えておりますし、また、行政改革の一環として内閣機能の強化のための制度改革がなされましたが、内閣の積極的なアクション、イニシアチブを促進するものとして、これも基本的には支持できるものと考えております。しかし、その全体が国民内閣制的に機能しているかといえば、まだまだ不十分な点が多いのではないかというのが私の率直な実感であります。
 その不十分な点、さまざまありますが、その中で特にここで私が強調しておきたいのは、内閣のコントロールという問題であります。
 内閣が国民の多数の支持を受けてその政策を強力に推進する、このような政治のあり方を実現するのが課題だと申し上げましたが、これは課題の半面にすぎません。これだけがひとり歩きするとかえって危険であります。アクションには常にコントロールが必要であります。アクションがなければ政治は動きませんが、コントロールなしではどこに行くか不安になります。ですから、アクションとコントロールは常にセットとして考える必要があります。
 内閣をコントロールする主体は、言うまでもなく国会であります。より具体的には野党ということになります。ですから、アクションとコントロールのバランスのためには、内閣にアクションの手段を与えるだけではなく、野党にコントロールの手段を与えることが必要であります。
 野党によるコントロールは、内閣の政策及びその執行の問題点を指摘し、国民に知らせるということが中心になりますが、それを行うためには行政についての正確な情報を入手する必要があります。その手段として、国会にとっての最も重要な手段は国政調査権であります。そこで、この権限の行使を野党の主導で行い得るようにする必要があるのではないでしょうか。
 この点、例えばドイツでは、議員の四分の一の要求で調査委員会を設置し得ると憲法上規定されておりますが、日本国憲法にはそのような明示の規定はありません。しかし、憲法はそれを禁止しているわけではありませんから、法律でそのような制度をつくることは十分可能であります。これはほんの一例でありますが、野党によるコントロールが十分に可能になるような制度設計が望まれるところであります。
 要するに、「議院内閣制の国民内閣制的運用」とは、政治におけるアクションとコントロールをめり張りある形で行っていくということであります。
 もちろん、かかる運用が可能となるためにはさまざまな条件が必要でありますが、その点について、選挙制度のあり方、政党の役割、国民の心構えといった観点から若干のコメントをさせていただきたいと思います。
 まず、選挙制度のあり方との関連でありますが、国民内閣制モデルで考えるか、媒介内閣制モデルで考えるかによって、選挙の見方は大きく変わります。選挙制度にはさまざまなものがありますが、比較的多くの国で採用されているものは小選挙区制と比例代表制、これにも具体的にはさまざまな内容がありますけれども、基本的な考え方としてはこの二つが代表的であります。そして、単純化して図式的に申し上げれば、小選挙区制は国民内閣制に適合的であり、比例代表制は媒介内閣制に適合的だと言うことができます。
 国民内閣制は選挙で国民の多数意思が明確に表明されることを要求しますが、それが可能となるためには、国民自身がそのような投票行動を行う必要があります。つまり、国民一人一人が多数派形成を考えて投票する必要があるわけであります。小選挙区制こそそれに適した制度ではないかと考えております。
 なぜなら、小選挙区制で自分の意見を最大限反映させようとすれば、最初から当選する見込みのない候補者に投票してもだめでありまして、当選する見込みのある候補者の中で自分の考えに近い人を選ぶということが必要になります。こうして、有権者はみずから多数派形成を考えて投票することになります。また、政党の方でも、他の政党と協定を結ぶなどして、当選可能な候補者を立てようとすることになります。
 少なくとも、小選挙区制というのは、投票者や政党に対してそのような行動をとるインセンティブを与える制度であります。ですから、結果としても、国民の多数に支持された内閣と政策を生み出す可能性が高いと言えるのではないでしょうか。
 これに対して、比例代表制は、国民の多様な考えをできるだけ忠実に国会に反映させようという制度であります。有権者も、候補者の中で最も自分の考えに近い人を選ぶという投票行動をとります。その結果、たまたま国民の中に明確な多数派が存在すれば、その意思に従った内閣と政策が選択されるということになりますが、通常はそうはならないでありましょう。比例代表制は、多数派形成とは逆のインセンティブを与えるからであります。
 というのは、比例代表制のもとでは、できるだけ多くの票を得るためには、自分に近い政党との差別化を図ることが重要だからであります。多数派形成のためには政策の類似性を強調することが必要になりますが、比例代表制のもとではそれとは逆のインセンティブが働くわけであります。勢い、ほっておけば、差別化によりどんどん政党が細分化されるということにもなりかねません。
 ですから、選挙の結果、明確な多数派が出現するということはまれでありまして、多数派形成は、首相の指名という第二段階の議員の役割ということになり、まさに媒介内閣制的に機能することになるわけであります。
 よく、小選挙区制は少数意見を切り捨てるものだということが批判として言われます。選挙とは国民が自分の意見に最も近い代表者を選ぶ手続であるべきだという理解で問題を考える限り、全くそのとおりだと私も考えます。
 しかし、小選挙区制は、実はそのような目的の制度ではないのでありますから、この批判は、言ってみれば、ない物ねだりの批判と言わざるを得ません。全く異なる目的の制度に対して、自己の欲する目的を実現していないから間違っていると批判しても、それは本当の批判にはならないと思います。
 同じ論法を使うならば、逆に、小選挙区制の立場からは、比例代表制こそ国民の多数意思をゆがめるものだということになりましょう。選挙の役割は国民の多数意思の探索でありますから、そうであるのに、比例代表制は、その多数意思を分散させてしまい、議員の多数意思をもって国民の多数意思に代替させるものではないかということになるからであります。
 こういった相互の批判は、いずれも、選挙の役割についての自己の観念を前提にして、その前提を受け入れていない相手の制度を批判しているわけでありまして、かみ合った議論ではありません。真の対立は、選挙の役割として何を求めるかなのであり、この対立は、国民内閣制モデルか媒介内閣制モデルかの対立に対応しているのであります。
 同じような批判で、小選挙区制では死に票が多く出るというのがあります。しかし、死に票が国政に反映されない票という意味でなら、そのような死に票は、選挙制度のいかんにかかわらず、不可避であります。一つのプログラムしか国政に反映させることはできない、少数派のプログラムは当面国政には反映されないというのがデモクラシーの論理のはずであるからであります。
 もっとも、死に票が議会の議席に反映されない票だという意味であるならば、全くそのとおりだと思います。小選挙区制は、国民の多様な意思を忠実に議席に反映させることを目的にした制度ではありませんから、それは当然のことであります。
 もっとも、私自身は小選挙区制で当選に貢献しなかった票が死に票だという理解には少なからず疑問を持ちます。その票の重みというのは、当選者も含めて、ここにいらっしゃる議員の方々を含めて、無言の影響力を持ち続けているのではないかと考えているからであります。当選された方も、自分の競争相手に投じられた票の大きさ、性格、意味、これは絶えずプレッシャーとなって作用し続けているのではないかと思っております。
 次に、政党の役割との関連でありますが、政治が国民のためのものとすれば、政党の役割は、政治が国民のために、国民の意思に従ってなされることを手助けするということにあると言えると思います。
 どのように助けるかといえば、まず第一に、国民にとって最もよいと考える政策プログラムを提案することであります。それが国民が政策選択を行う助けになるわけであります。さまざまな政党がさまざまなプログラムを提案すれば、国民はその中から自己の支持する政策を選択する可能性が広がります。
 しかし、国民にみずから多数派形成を行うことを求めるということであれば、政党は、自己の政策を提案しただけでは務めを果たしたということにはなりません。国民の支持のぐあいを見ながら、多数の国民が支持し得るような政策に修正していく必要があります。この国民と政党との意見のフィードバックを通じて、国民の多数が支持する政策プログラムを見つけ出し形成していくということになります。
 その過程で、政党は、他の政党と話し合い、連携し、共同の政策を形成して国民に再提案するということも必要になるはずであります。政党が多数の支持を受ける可能性もない政策にしがみついているとしたならば、国民内閣制モデルからは失格だと言わざるを得ません。媒介内閣制モデルの場合は、政党間の話し合い、妥協というのは、選挙の終わった後に議員が責任を持って行う、議員に任せてくださいという論理に立ちますが、国民内閣制はそれとは異なる論理に立っているわけであります。
 これに関連して、政党に二つのタイプを区別するのがわかりやすいかもしれません。
 政党とは、一定の理念を掲げその実現を目指して運動する団体でありますが、その理念を詳細な理論体系につくり上げ、それに厳格にコミットしているいわゆるイデオロギー政党と、理念を緩やかにとらえ、国民の現実の要求に柔軟に対応するプラグマティズム政党に区別できます。
 政党が自己のイデオロギーの純粋性に重きを置き過ぎますと、国民の多数派形成に協力し、それを手助けするということが困難になりますから、国民内閣制のためにはプラグマティズム政党が好ましいということになります。
 プラグマティズム政党が国民の多数の支持を獲得し得る政策を探索する真摯な努力をするならば、政策プログラムは基本的には二つに収れんしていくのではないでしょうか。場合によっては、どうしても妥協し得ない争点が複数あって、プログラムが三つ以上並立するということも起こり得ないではありませんが、国民の多数派の支持を獲得し得る政策ということを考えれば、通常は、おのずと二つに収れんする傾向を持ち、二つの間の選択という形になるように私は考えております。
 また、小選挙区制においては、選挙で勝つためには選挙区の多数が支持してくれる政策と候補者が必要でありましょう。選挙戦略としても、政党は協力し合う方向に動くことになるのではないでしょうか。
 重要なことは、政党が自己保全の発想を捨てて、国民のための政治に何が必要か、どう貢献できるかを考えることではないでしょうか。しかし、現実にはこれが非常に困難なのかもしれません。それだけに、国民の側から見れば、政党や候補者が自己保全的行動をとれば不利になるような制度設計が必要だということであり、小選挙区制の一つのメリットはそこにあるのではないかと私は考えております。
 次に、国民の心構えということでありますが、以上お話ししたところから、国民内閣制的運用を行うためには、政党も議員の皆様方も国民内閣制の精神を理解して、それに即した思考と行動のパターンを採用していただくことが必要になりますが、同様のことは我々国民にも言えます。
 制度というものは、その理念、精神をどう理解して運用するかにより、全く異なったものとなってあらわれます。ですから、議院内閣制を国民内閣制的に運用したいというのであれば、その精神を理解して行動する必要があります。
 例えば、国民が小選挙区制で投票するときに、自分の考えに最も近い候補者を探して投票しようとするならば、政党が選挙協力で候補者を一本化してきたというような場合、恐らく自分の投票したいような候補者がだれもいないと言って嘆く国民が多く出ることになるに違いありませんし、また投票したい候補者がいても、今度はその候補者は当選する見込みがなくて、私の声が反映されないとか、死に票がふえると文句を言うことになるわけであります。
 国民が選挙で自己に最も近い考えの候補者に投票し、後は代表者に任せたいというのであるならば、国民内閣制ではなくて媒介内閣制モデルを選択し、それを主張していくべきであります。それとは異なる論理に立つ小選挙区制を採用した以上は、それに合った行動パターンをとらなければ制度はうまく機能しないということになるわけであります。
 さて、以上の議論は日本国憲法を前提にして、その運用をどうするかというものでありました。私は、国民内閣制的運用をするのに憲法の改正は必要ないと考えております。日本国憲法は国民内閣制的運用も媒介内閣制的運用も許容しております。しかし、憲法の条文の中には、多少気になるものもないではありません。それを最後に一つ指摘して終わりにしたいと思います。
 それは、議院内閣制と参議院の関係という問題であります。
 議院内閣制の核心的メカニズムは、内閣と衆議院の間に設定されております。参議院には内閣を不信任するという権限は与えられておりません。しかし、参議院は法律の制定につき非常に強い権限を与えられております。これによって事実上内閣の責任を問うことが可能になります。内閣は、自己の政策を遂行するために法律がどうしても必要であります。しかし、法律を制定するには、原則として参議院の同意が必要であります。もし衆議院で与党が三分の二の多数を占めていれば、参議院で少数派になっても法律を制定することが可能になりますが、現状では、与党が参議院で少数派になるというような状況のときに、衆議院では三分の二を確保するというようなことはちょっと考えることはできません。したがって、内閣は、衆参両院で多数を形成し得るような政党間の提携を基礎にしなければ存立が困難だということになっております。
 逆に言えば、参議院は不信任権はないが、内閣の重要法案を否決するという形で事実上不信任を行うことが可能であり、それに対して、内閣は参議院の解散権を持っておりません。こういう不均衡が生ずることになります。つまり、日本の議院内閣制は参議院との関係で機能不全を起こす危険性を持っているわけであります。
 そこで、運用上、参議院が議院内閣制の正常な機能を阻害しないようにするための方法を考えていく必要が出てまいります。
 直近の衆議院選挙で国民の多数の支持を得た政策を遂行するための法律が提案されたときに、参議院がそれを否決するとすれば、これは、アクションに対するコントロールというよりは、アクション自体を否定するものではないでしょうか。ですから、参議院がこのような行為に出ることは自制すべきではないかと考えます。自制するという慣行を形成していく必要があるだろうと思います。そのためには、参議院を真に良識の府、理性の府となるように政党規律を緩和するなどの措置が必要でありましょう。ただし、自制することと引きかえに、別途コントロールの手段は与えなければならないと思います。
 要は、議院内閣制を民主的に機能させるには何が必要かということを良識に従ってプラグマティックに考えていけば、必要なルールは、ちょうどイギリスの憲法習律と言われるものが慣習的に形成されていったように、日本においても形成していくことができるのではないかと考えております。その意味で、議員の皆様方に大いに期待しているところであります。
 以上で、とりあえず私の話は終わらせていただきたいと思います。拍手
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高市早苗#3
○高市小委員長 以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。
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高市早苗#4
○高市小委員長 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。奥野誠亮君。
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奥野誠亮#5
○奥野小委員 自由民主党の奥野誠亮であります。
 議院内閣制の運用のあり方についていろいろと御教示をいただいて、ありがとうございました。
 長の選任の方法についてはお触れになりませんでしたけれども、やはり一番大きな、運用に影響を及ぼす課題じゃないかと思います。また、立法論にもなるわけでございますし、殊に首相公選制が今や一つの政治課題になったりしておりますので、私からは、国政が議院内閣制でありますし、地方が大統領制である、また、こういうとらえ方には、ジュリストを見ますと、先生は、内閣と議会の関係のみに着目するのは視野が狭過ぎるとおっしゃっているわけでございますけれども、現実の政治の世界に身を置いている者でございますし、時間も極めて制約されておりますので、私なりの考え方を申し上げさせていただいて、御教示あるいはまた御所見を賜ればありがたいなと思っております。
 言うまでもなく、現行制度では、国政におきましては、衆議院の総選挙が行われますと、単に議員を選び出すばかりじゃなしに、あわせて内閣総理大臣を間接的に選んでいるんだ、こう判断をしているわけでございます。選挙が終わりますと、内閣は総辞職をして、真っ先に内閣総理大臣を選挙する、こう憲法は定めておるわけでございますし、また、各政党の党首がその際に内閣総理大臣の候補者になっているわけでございます。結論的には、第一党の党首が政局の収拾をする責任者になっていくということがだんだんと慣例的に固まってきているんじゃないかなと思います。
 そういういろいろなことを考えますと、政党の役割というものは非常に重要な意味を持ってきているわけでございます。それだけに、また、選ばれた内閣総理大臣は、議会や政党に対しては弱い立場にあると言えないこともございません。
 日本の内閣総理大臣が最近は頻繁にかわっている。世界の責任者がかなり長期にわたって政権を担当しているところから見ますと、恥ずかしいような状態になっているわけでございます。
 そういうことなどもあって、もっと強い内閣総理大臣をつくったらどうかということが、大統領制にする、住民が直接に選び出すことにしたらどうか、そういうことになると安定した内閣総理大臣ができるじゃないかと。事実、大統領制をとっています地方団体の長は、途中でやめたりするのは例外でございまして、任期いっぱい務めておるわけでございます。そのためには、やはり内閣総理大臣の選任方法を、現在のような議院内閣制の立場で選ぶんじゃなくて、大統領制の立場で選んだらどうかということになってきているんだと思います。
 しかし、地方でも、人口五、六百人のところから千数百万人のところまで、同じように団体の長は住民が直接に選挙で選ぶということになっておりますので、やはりこれは無理があるじゃないかな、地域の実態に応じていろいろな選任方法があってしかるべきだ、こういう議論もあるわけでございます。
 直接に選ぶということになりますと、選挙する者はいろいろな人でございまして、支持政党を持たない人もあれば、共産党支持者もあれば、自民党支持者もあるわけでございます。したがいまして、候補者は大体無所属でございます。いろいろな幅の広い支持を得なければ当選できないということから無所属でございまして、政党の関与する力が非常に弱いものになっていくと思うわけでございます。同時に、選ぶ方も、大きなところになってまいりますとなかなかわからないものだから、人気投票みたいになっていると思います。長もまた、いろいろな人の協力を得なきゃなりませんので、どうしても迎合的になってくる、人気政策みたいになる、こういう欠陥が出てくると思うわけでございます。
 いずれにいたしましても、これは憲法改正につながっていくわけでございます。
 私は、長の選任方法をどうするかということにつきましては、単純にそのことだけでよしあしを言うんじゃなくて、その地域なり国なりの歴史とか伝統とか、あるいは日本であれば天皇制とかほかの機関との関係も考えながら、総合的に判断して決めていかなきゃならないと思っているわけでございます。例えば、アメリカやフランスは大統領制をとっている、イギリスは議院内閣制をとっている。それぞれ事情がわかるわけでございますし、日本には千何百年トップには天皇制をいただいているという、これも簡単につくろうと思ってもつくれないわけでございますから、この存在も十分考えながら長の選任方法を考えていかなきゃならないと思っておるところでございます。
 先生はまた、ジュリストに、天皇は政治的権限のない完全に名目的、儀礼的な存在として設定されている、こう述べておられるんですけれども、私はこれもちょっと異論があるわけでございまして、天皇に対する国民の感情、今日におきましても、憲法は、日本国の象徴、日本国民統合の象徴という言葉を使っております。これが出ましたときには何か違和感を日本国民は持ったわけでございますけれども、仰ぎ見る存在が天皇だ、こういうふうに見てまいりますと、やはりだんだんと敬愛の念が強いもの、今日でも変わりはないようなことになってくると思っておるわけでございます。
 殊に、いろいろな国事行為を持っておられる。例えば、乱闘国会になりまして、法律が本当に議決されたのやら議決されないのやら、速記録は聞き取れず、聞き取れずと書いてある。そういうことから無効論が出たりしますけれども、天皇の国事行為として法律が公布されますと、もうそれでおさまってしまうわけでございます。
 そういういろいろなこともございますし、また、焦土と化した後、天皇が全国に行脚して回った、国民を激励された、あれも国民が立ち上がる一つの契機になったのじゃないかなと私は思っておりますし、文化や福祉や、あるいは国際親善やいろいろな面において、天皇なり天皇御一家なりが活動しておられることが大きな影響を持っておるわけでございまして、これは軽視すべきでないんじゃないかな、こう私は思っているわけでございます。
 同時に、直接選挙の怖さというものも感ずるわけでございまして、消費税のときには、非常に信頼の厚い政治家がどんどんみんな落選していった苦い経験がございますし、また、サンフランシスコ講和条約が決まってまいりますときに、ソビエト・ロシアなども賛成するまでは待つべきだという意見もございまして、全面講和か単独講和かということで争われました。まあ、単独講和じゃなくて、多数講和と言った方がいいのかもしれません。東京大学の学長をされた南原繁さんが反対の急先鋒でございました。苦心惨たんしておられる吉田茂総理は、曲学阿世の徒と厳しく批判をいたしました。
 また、昭和三十五年に安保条約を改定いたしますときにも、学界も、またマスコミの多くも労働界も、大体多くは賛成でございました。それを戦争に巻き込まれる、戦争に巻き込まれるということでございました。これも、ソ連は日本にアメリカの基地がある限りは独立を認めるわけにいかない、こういう姿勢をとっておったのに加担をしていったわけでございまして、こういうことを考えますと、こんなときにもし総理大臣の選挙でも行ったらどういうことになるんだろうかなと私には思えるわけでございます。
 そんなことを考えてまいりますと、やはり地方の弊害が、同じような大統領制をとった場合には国政の中にも出てくるわけでございます。もちろん、総裁のあり方については、今日では国会議員だけが自民党の総裁を決めるのじゃございませんで、党員、党友も参加する。もちろん支持者だけでございまして、共産党の方が参加されるわけじゃございません。しかし、大統領制になりますと、みんなで決めるわけでございますからそういうわけにはいきませんが、いろいろな工夫をすることによって努力をしていきたいな、こう思います。
 私は、天皇制についての考え方も、現行憲法では……
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高市早苗#6
○高市小委員長 失礼いたします。
 奥野誠亮君に申し上げます。申し合わせの時間が終了いたしましたので、結論をお願い申し上げます。
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奥野誠亮#7
○奥野小委員 それでは、皆さんに迷惑をかけちゃいけませんので、これでとめておきたいと思います。
 先生に十分な時間を残せませんでしたが、何かコメントでもございましたら、お教えをいただいておきたいなと思います。
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高市早苗#8
○高市小委員長 では、大変簡潔にお願いしなければいけませんが、高橋参考人。
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高橋和之#9
○高橋参考人 質問の趣旨がよくわからなかったので、聞かれていることが何かというのは十分理解しているかわかりませんけれども、例えば、地方の制度について、よりいろいろな形のものを導入できるようにした方がいいというような御趣旨が一つあったかなと思いますけれども、全く賛成であります。
 天皇については、私がジュリストで書いたことは、憲法上こうなっているということでありまして、その法的問題以外については、またいろいろ議論があり得るかと思います。
 そんなところでよろしいでしょうか。
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高市早苗#10
○高市小委員長 松沢成文君。
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松沢成文#11
○松沢小委員 民主党の松沢成文でございます。
 先生の御主張に大変な興味を持ったんですけれども、先生の御指摘されています国民内閣制、私なりに判断をさせていただくと、議院内閣制をより直接民主制的に運用する、できる限り国民の意思を政治プログラムや首相選びに反映させていく。また先生は、立法府と行政府の関係を、単なる法的にとらえるのではなくて、内閣と議会の機能として、アクションとコントロールの関係だと。この二点が、先生の国民内閣制の大きな特徴だと私は把握しております。
 さてそこで、先生の国民内閣制というのは、私なりに考えさせていただくと、イギリスの議院内閣制がモデルになるんじゃないかなというふうに思うんですね。イギリスは日本と政党制が違いますから、かなり政党が体系化されていますので、イギリスの場合は、党の中でかなりの政策を収れんする機能があって、党大会も何日も開きますし、また首相も、選挙のときにはその党大会で決まったマニフェストを提示して、自分たちの政党が勝ったら私が総理大臣になるんだという形で選挙に臨みます。また、首相になれた者は非常に強い首相の権限を持って、リーダーシップをとれるようになっている。それに対して、野党の方は逆に影の内閣を組織して、しっかりと与党をコントロールする仕組みもできている。
 こういうふうに考えますと、先生の主張されている国民内閣制は、ある意味でイギリスの議院内閣制をモデルにされているというふうに認識してよろしいんでしょうか。それが一つ目の質問です。
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高橋和之#12
○高橋参考人 全くそのとおりであります。
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松沢成文#13
○松沢小委員 そこで、ヨーロッパの議院内閣制をとっている国で、もう一つ、日本にない政治の仕組みとして、国民投票制を導入している国が多いと思うんですね。昨今のEUの統合問題なんかにしてみても、マーストリヒト条約をどうするか国民投票に諮る。あるいは通貨統合の問題でも、この前、たしかデンマークでは、総理がEUの通貨統合に入りたいと言っているにもかかわらず、国民投票にかけたらそれが否決をされて、デンマークは猶予しているような形だったと私は拝察いたしますが、また、イギリスのブレア首相も、総選挙のときの一つの公約に、国民投票でEUの通貨統合に入るかどうかを諮りたいんだということも言っています。
 この国民投票制というのは、ある意味ではワンイシューを国民の意思にダイレクトに諮る制度であります。これを、先生のおっしゃる国民内閣制の中でどのように位置づけるのか。例えば、国民投票をやる場合には、総理の権限でそれを決められるのか、あるいは議会がそれにも絡むのか。そしてまた、その国民投票で得た結果は政治にどのように反映させていくべきなのか。今後の憲法を考える上で、日本も国民投票制をどう位置づけるかという議論が必ず出てくると思うんですが、先生は、議院内閣制における国民投票との政治的整合性をいかがお考えでしょうか。
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高橋和之#14
○高橋参考人 国民投票を憲法上は認めておりませんから、それを日本国憲法との関連で深く考えたことはありませんけれども、その制度を仮に導入するとすればどういう問題が出てくるかということで考えますと、国民内閣制的に問題を考える場合には、政府の基本的な政策というのは選挙によって決定される。それとは別に、それと矛盾するイシューを別途国民投票にかけるということをするとすれば、これは制度のつくり方いかんという点もありますけれども、事実上の効果としては、自分の信任を国民に対してかけるという意味を持ってくるだろうと思います。
 選挙で約束した政策に矛盾するイシューを国民に問うて、それで負けたならば、やはり政治責任として退かざるを得ないだろうという意味を持ってきて、したがって、国民に対して直接責任を負うという形になる。しかし、それは国民内閣制と矛盾することはないだろうと考えております。運用の仕方で矛盾することはない。ただ、辞職せざるを得ないという問題が出てきますから、それを憲法の中にどういう形で書き込むかという、技術的に難しい問題は出てくるだろうと思います。
 それから、政府の政策と独立性を持った重要問題が発生してきて、どっちに転んでも政府の政策と矛盾するわけではないけれども、国民にとっては非常に重要な問題であるから、国民の決定に従ってあとは考えていこうというような場合は、これはそういった政治責任というような問題は起こらなくて、割合うまく使えばうまく機能するんではないかなというふうに考えております。
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松沢成文#15
○松沢小委員 それでは、現行憲法の条文と先生のおっしゃる国民内閣制で問題となるとすれば、先生は、参議院と議院内閣制の問題を挙げました。私は、あと二つの条文が非常に気になるところがあるので、そこを指摘させていただいて、先生の御見解をいただきたいんです。
 まず、今の憲法の第四十一条であります。国会は国権の最高機関であるという書き方がされているんですね。ただ、それと同時に、日本は民主政治の国であって、権力分立原則、簡単に言えば三権分立、これが憲法には同時にしっかりと書き込まれているんですね。ですから、立法府、それから行政府、司法府の中でさまざま、解散権があったり、あるいは違憲立法審査権があったり、それぞれこの三つの政治の主体が均衡とコントロールのもとに政治を運営していくという大原則があるにもかかわらず、国会が国権の最高機関だという書き方をしている。ここには、私は一つの矛盾があると思うんです。
 ただ、もちろん民主政治においては国民主権、主権在民が大原則でありますから、国民から直接選ばれている機関として国会、その国会に最高の権力があるんだという書き方はあるのかもしれませんが、これは極めて政治的なものであって、法的に憲法を考えるとおかしいんではないかという思いがありますが、その点についていかがお考えかということ。
 もう一点、国民の意思を政治に反映させるために選挙があるわけでありまして、この選挙が公正なものに機能しなければならないわけですね。
 そこで、第四十三条に、両議院は全国民を代表する選挙された議員でこれを構成するというふうにありますけれども、四十四条には、そこで資格を定めておりまして、議員、選挙人の資格は法律で定める、ただし、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産及び収入で差別してはならないと書いてあるんですね。
 ただ、私は、今ここで挙げたような項目での差別は、ほとんど今日本ではなくなっていると思います。一つ重要な差別が抜け落ちている。これは、居住地による差別なんですね。いわゆる一票の格差という問題であります。衆議院の小選挙区は、選ばれた議員が内閣総理大臣も選びますから、立法府での権限と同時に、行政府の権限もこの衆議院の総選挙というのは決めていくわけですね、間接的に。二つのオーガンの権限を決めていく。しかし、その選挙における格差が二倍以上ある。これまで二・五倍あったのが、今度格差是正をしても二倍をまだ超えてしまっている。簡単に言えば、一人の参政権が二人以上になっているわけですね。私は、こういう状況を残していたら、民主政治とは言えないと思います。
 ですから、もし新しく憲法をつくり直すとしたら、この中に、居住地における差別はしてはならない、あるいは選挙区選挙における一票の格差は例えば一・五倍以内にするとか、憲法の中にしっかりとそこまで書き込まない限り、これはあくまでも政治的な、恣意的なもので格差が是正されないで終わっていく。ここが私は日本の民主政治の大きな欠点だと思っていまして、この四十四条をどうとらえるか、一票の格差の是正を憲法にしっかり組み込むということをどうとらえるか、先生の御所見をいただきたいと思います。
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高橋和之#16
○高橋参考人 まず第一点の最高機関の方でありますけれども、おっしゃるように、最高機関という規定と権力分立は矛盾するんではないかという問題はあります。通常は、権力分立もそうですけれども、もう一つは、国民こそが最高機関ではないか、それなのに国会が最高機関というのはどう理解したらいいかという、そちらの方も一緒に議論するんですけれども、そこのところを説明するために、憲法学の通説では、これは法的意味ではなくて政治的な意味にすぎないんだと説明してまいりました。基本的には私もそういう理解になるかなと思いますけれども、ただ、全く法的に意味がないかといえば、憲法上、場合によって、どの機関に属するか不明な問題が出てきた場合には、当然国会に属する、そういう主張をする根拠になるだろうと考えております。
 それから、一票の格差の問題は、おっしゃるとおり、全く私もそのとおりだと思います。それを憲法の中に書けばより明確になると思いますけれども、憲法解釈としては、既に、書かなくても、現在、憲法学の方の通説的見解として、一対二を超えるようなものは憲法違反だというふうに普通考えております。ただ、それが最高裁判所では認めてもらえていないということでありまして、それを憲法に書けばより明確になるということはあるかと思います。
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松沢成文#17
○松沢小委員 ありがとうございました。
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高市早苗#18
○高市小委員長 斉藤鉄夫君。
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斉藤鉄夫#19
○斉藤(鉄)小委員 公明党の斉藤鉄夫でございます。きょうは、高橋先生、大変ありがとうございました。私は、国会と内閣の関係、それから二番目に首相公選制、三番目にメディアのあり方ということで、三点、質問をさせていただきたいと思います。
 まず第一点目ですけれども、これは先ほどの松沢委員の質問と同様な質問になるかもしれませんが、ちょっと別な角度から問わさせていただきます。
 四十年近く前になりますが、中学校のときに三権分立というのを社会科で習いました。そのとき、たしか私はこのように習ったような記憶があるんです。つまり、国権の最高機関である国会が法律をつくり、その法律を実行するために内閣が組織される。そして、司法は、その法の執行が正しいかどうかをチェックする、こういうふうに習いました。この考え方からすれば、先生が著書の中でおっしゃっている、まず内閣ではなくて国会が中心なんだという説か、もしくは内閣中心なんだけれども法制定・法執行図式、これに当たる、その理解だと思います。そういうことを私は習ったような気がするんですけれども、先生のきょうのお話はそうではなくて、統治・コントロール図式、内閣中心で、かつ、国会との関係は統治・コントロール図式だ、こういうお話でございました。
 日本国憲法は一体どちらを想定しているのか。先生のおっしゃる国民内閣制にはこの統治・コントロール図式がいいということなんですけれども、憲法はそもそもどちらを想定していたんでしょうか。
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高橋和之#20
○高橋参考人 憲法が制定されたころの考え方は、私とは違う考えが基礎にあったんではないかなと思います。ただ、私の考え方と矛盾しているということではなく、そういった問題意識が当時はなくて、歴史的に見ますと、法定立・法執行というイメージで国会と行政権の関係をとらえるのが一般的でありましたから、それを吟味することなく受け入れていたんだろうというふうに理解しております。
 ただ、現在問題を考える場合には、きょうお話ししましたように、アクション・コントロール図式あるいは統治・コントロール図式で政治の領域を見た方がより現代に対応した見方ができるであろうと考えておりまして、かつ、そういう見方をすることを日本国憲法は禁止しているわけではないと考えております。
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斉藤鉄夫#21
○斉藤(鉄)小委員 それでは、二点目ですけれども、実はこの夏、憲法調査会で海外視察をし、イスラエルへ行きました。イスラエルは首相公選制を実行し、失敗ということでまたもとに、議院内閣制になりましたけれども、その実情を見てきたわけです。
 民意の反映、集約というその二つの事柄を、国会議員を選挙する、これはほぼ完全な比例代表制です。スレッショルドも、投票率二%というほとんどないに等しいスレッショルドですし、完全な比例代表、ここで民意を反映する。そして、もう一つの行為として、民意の集約という形で首相を選ぶ。ある意味では理想的な姿だったんですけれども、行った皆さんは、政党政治の死以外の何物でもなかったという厳しい評価をする方がほとんどでございました。
 制度設計が本当によかったのかどうかということも検証しなければなりませんけれども、このような首相公選制ということについての先生のお考えをお聞かせ願えればと思います。
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高橋和之#22
○高橋参考人 首相公選制も、私の国民内閣制も、内閣のリーダーシップを確保しようという考え方では同じだと思いますけれども、首相公選制の場合は、議院内閣制ではなくて、基本的には大統領制の論理に立っていて、運用の仕方が非常に異なるというところがあると理解しております。
 ただ、首相公選制は制度として全く成り立たないかというと、そうではないだろう、その運用の仕方いかんだろうと考えております。大統領制自身、アメリカでうまく運用されております。アメリカしか運用できないという説もありますけれども、必ずしもそうではないだろう。アメリカのような大統領制は、ある程度その精神を理解して運用する限り運用できるわけでありまして、それと同じように、首相公選制も制度として成り立たないわけではない。
 ただしかし、いろいろな点で難しい問題をはらんでいる。その一つが原因でイスラエルではうまくいかなかったというふうに理解しているんですけれども、政党が政治に対して責任を負う、そういう行動をきちっと確保できるような何らかの工夫があれば、首相公選制というのも不可能とは言えないと思います。
 ただ、私は、国民内閣制の方が同じ目的を達成するのにずっと容易に、やろうと思えば実現できるものだと考えておりまして、現在のところ、首相公選制の方がいいというふうには思っておりません。
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斉藤鉄夫#23
○斉藤(鉄)小委員 ありがとうございました。
 最後、三番目の質問なんですけれども、先生の著書の中にも、国民内閣制的運用、この三つの要素は、国民と内閣もしくは国会及びメディアだ、このような表現もありました。
 国民が、今政治で何が論じられ、何が問題なのかということを認識するのはメディアを通してしかないわけでございますので、その重要性がわかるわけでございます。きょうは、そのメディアについての先生の言及がございませんでしたので、これを質問させていただきたいと思います。
 一言、その前に言いますと、我々国会にいる者として、大変メディアに対しては歯がゆい思いをすることが多くて、実際にはここが問題でこういう議論をしているのに、メディアを通して見ると全く問題のすりかえが行われて、別な報道がされているということ、これは一つや二つではなくて、もうたくさんございまして、大変歯がゆい思いを現実にはしているということもちょっと申し添えさせていただきます。
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高橋和之#24
○高橋参考人 私も、これは国民内閣制に限らない、政治がうまくいくためにはメディアの役割が非常に重要だと思っております。特にきょうお話ししたこととの関連でいえば、メディアが議院内閣制の運用の仕方についてきちっとした理解を持って、それを国民に解説すると同時に、政治家の行動がそれとの関連でどういう意味を持っているのかということを明らかにしていく必要があるだろうと思います。
 政党の政策についても、その意味を質問し、内的な一貫性を持った政策なのかどうか、どこの政党とどういう関係があるのかということをみずから分析し、あるいは政党に対して質問をして、国民の側で求めているものは何かをメディア自身が探索して、それを政治の場へ伝える、そういう政党と国民の間のフィードバックを媒介するという非常に重要な役割を負っていると思っております。メディアがきちっとそういう形で機能してくれないと、政治はうまくいかないだろうと思います。
 政治家の皆さん方から見ると、メディアは正確に反映していない、常にそういう御不満をお持ちのようでありますけれども、私に言わせれば、メディアで発言する機会をお持ちなんですから、そう思われたらどんどん正確にお伝えいただきたい。そうすれば、我々の方に正しい考え方が伝わってくるというふうに考えております。
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斉藤鉄夫#25
○斉藤(鉄)小委員 ありがとうございました。
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高市早苗#26
○高市小委員長 藤島正之君。
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藤島正之#27
○藤島小委員 自由党の藤島正之でございます。三点ほど質問させていただきたいと思います。
 まず第一点ですが、私は、先生がおっしゃる国民内閣制、これが現実にかなり近づいてきているんじゃないかという感じがします。特に、選挙の際は、選ぶ際は、次の総理がだれになるかというのをほとんど念頭に衆議院の選挙は選ぶようになってきているというふうな感じがしますし、現在のように非常に変化の激しい時代には、そういうことが必要になってきているんだろうという感じはいたしております。
 ところで、最近は与党と内閣との関係が非常にぎくしゃくしている、あるいは大臣と官僚との関係が理想とすべきものと非常に違った形になっているというふうに感じるわけですが、先生はその辺についてどうあるべきだというふうにお考えでしょうか。
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高橋和之#28
○高橋参考人 現在の政治のあり方が国民内閣制的なものに近づいているかというと、先ほど言いましたように、まあそういう方向が少しかいま見られますけれども、まだまだ不十分かなと思っております。
 特に、選挙の際、だれを首相にするかを考えて投票しているかというと、政党の側でそういう状況を整えていただいていないのではないか。選挙のときに、各党が確かに党首がいて、首相候補者だといえばそうですけれども、国民の側からいいますと、自分の支持する政党に投票したからといって、その党首が首相になるだろうとはほとんど思っていない。選挙が終わってから話し合いで決めるだろうというふうに理解しているのではないかなと私は思っております。
 それから、政官関係の問題は、もちろんあるべき姿として、政が決定し官が執行していく、まさに決定・執行イメージというのは政官関係に妥当すべきものであるというふうに思っております。ですから、政治の領域で私の言いましたような国民内閣制的運用を行って、きちっと政策決定を行う、それを官僚の方に忠実に執行していってもらうという政治のあり方を実現する必要があるのではないかなと。
 日本の場合は、伝統的に官の方が非常に力が強かった。それを続けると、やはり民主的政治という点で問題でありますし、と同時に、官が現在の国民の要求にうまく対応できないということが次第に明らかになってきたわけでありますから、国民がみずから選んでみずから責任を負う、それが可能な政治プロセスをつくっていかなければいけないだろうと考えておりまして、そのために、やはりあるべき姿としての、政が決定し官が執行するというあり方をぜひ皆様に実現していただきたいと考えております。
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藤島正之#29
○藤島小委員 今の件に関係するんですけれども、今までのような官僚制度に政治が乗っかっているんじゃ、なかなか改善できないんじゃないかなという感じがするんです。要するに、政権が交代したら官僚の上層部分は全部かわるといったようなダイナミックな方法を考えないと、いつまでたっても官のしつらえたものに乗っかっていくということが変わらないんじゃないかなという感じがしているわけです。
 それともう一つ、先ほどの質問の中で、今の総理、内閣と、はっきり言って与党の自民党との政策が必ずしも一致しないで、うまくいかないときは総理が自分の党をぶっつぶすとかいうような言葉を使っている。そういうものが今の議院内閣制の中で予想はされているのかなという感じがするんですけれども、その辺、もう一度お答えいただければと思うんです。
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