川内博史の発言 (農林水産委員会)
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○川内委員 おはようございます。川内と申します。大臣、きょうはよろしくお願いを申し上げます。
実は、私が政治の世界に志を立てていたころ、初めてお会いした政治家というのが、青年代議士であられた武部勤先生でありまして、もう大臣は覚えていらっしゃらないと思うんですが、ほんのちっちゃな集まりにお伺いをして、私も、当時サラリーマンでありましたけれども、なけなしの私のポケットマネーを献金させていただいたこともございまして、そういう意味では大臣の御活躍をだれよりも願っている一人であるというふうに私は自負をしているわけでございます。
前に差しかえで質問をさせていただいて、家畜のふん尿処理の問題とかはずっと取り組ませていただいてきたんですけれども、きょうは農水委員として初めて私もこの席に立たせていただきますし、一時間、時間をちょうだいしています。私も演説好きでありますし、大臣も演説好きでいらっしゃいますので、お互いに演説合戦をさせていただきたいというふうにきょうは考えております。
まず、初めての農水委員、正式な農水委員のメンバーとしての私の質疑でありますので、私自身の農業に関する基本的な認識等から始めさせていただきたいというふうに思うわけであります。
我が国というのは、有史以来、農業を中心に国づくりをしてきた。あらゆる祭りも農業にその起源を持っているわけでありまして、すなわち農業こそがこの国の根幹であり、基本であるというふうに私は考えております。
したがって、今、BSEの問題もそうですけれども、数々のこの社会、家族の崩壊とか学校での校内暴力とか、そしてまた数々の政治に関する腐敗、疑惑、一体この国はどうなってしまうんだろうということをたくさんの方々が思っていらっしゃるわけですけれども、その根源というのは実は、農業が崩壊しかかっているというところにあらゆる社会の崩壊の原因を求めなければならないのではないかというふうに私は考えております。
今回のBSEの調査検討委員会の論議の資料等を見させていただいておりましても、消費者のサイドに立った行政とか消費者重視の政策をということで、生産者と消費者を対比して考えているわけですね。ところが、私は、農業に関する限りは、生産者と消費者を対比させるというのは適当ではない、その生産者と消費者という言葉自体がもう既に経済の法則というか市場マーケットの言葉であって、農業というのは経済の一分野ではないんだ、日本においては農業というのは、経済の一分野ではなく、日本の国そのものであるというようなところから発想をしていかなければならないのではないかというふうに思っているわけであります。
そういう意味では、金融機関が三月危機とか何とか言われて、まあ、三月危機は乗り切ったと言われているわけですけれども、私はあえて申し上げさせていただければ、金融機関がどれだけつぶれても日本の社会はつぶれることはないと思っています。したがって、公的資金を金融機関に入れることはほとんど意味がないと思っているんですけれども、日本の社会が本当の意味でつぶれるとしたら、それは農業がだめになったときだと思うんですね。それくらい日本の社会にとって、あるいは日本という国にとって農業というものは、国そのものだと。
それはなぜかというと、数々の議論の中に、欧米ではという言葉もよく出てくるわけです、欧米ではと。ところが、欧米の国々というのは、もともと狩猟、畑作を中心として民族の歴史をつくってきた国々であって、この場所で獲物がいなくなったら、あるいは作物ができなくなったら、次の場所に民族大移動をしてまたその地域で生活する、もといたところは荒れ果てた土地になるということで、どんどん砂漠をつくってきているわけですよね。
ところが、日本という国は定住農耕民族で、一つの土地で、その土地を耕しながら、しっかりとその土地の地力というものを保持しながら、作物をつくり、お祭りをし、営々として民族の歴史を積み上げてきたというのが私たちの民族の歴史であって、そういう意味では、欧米ではこうしているから日本もこうするというのも、これもまた考え方としてちょっと違う考え方になるのではないかというふうに私は思っているわけで、金融というものも、欧米の社会から持ち込まれた考え方でありますから、これは日本の社会には根源的には結びついていない。したがって、日本の社会がもし崩壊するとするならば、それは農業が崩壊したときだ。
食料・農業・農村基本法に基づく方針案の中では、食料の自給率を十年後に四五%にしますとか、あるいはその四五%を確保するために四百七十万ヘクタールを確保しますとか、そういう方針が示されているわけですけれども、現状の農政の方針であれば農業の真の意味の回復というのはないのではないかという危惧を非常に強く私は持っております。
改革は必要ですけれども、私は、そういう意味では、真の構造改革とは何だろうかということを考えたときに、日本を農業国にする、もう一度農業国にするんだということが真の構造を変える改革だ。今までの、経済、経済、金、金、金の第二次世界大戦以降の社会ではなくて、もう一度日本を農業国にするということが真の構造改革だ。二十一世紀の日本がこんな国になるんですよということを最もわかりやすく国民の皆様方に伝えるメッセージだというふうに私は考えているわけです。ですからこそ、農水委員会を希望して、ことしから農水委員になっているわけです。
私のふるさとである薩摩は、四百五十年前にフランシスコ・ザビエルという人が初めて日本では薩摩の地に上陸をして、薩摩から京都に行き、そしてローマ法王庁に手紙を書いたわけですよね。日本の国の人々というのは、大変勤勉で、一生懸命に仕事をして、そして人情味も豊かですばらしい民族だ、だから欧米の国々が日本を侵略するようなことをしてはならないという手紙をローマ法王庁に書き送った、だからこそ、日本という国は侵略を免れたんだというふうに私はちっちゃいころ小学校の先生に習った記憶があるわけです。
日本国憲法に書いてある、世界の国々から尊敬される国になりたい、その尊敬される国というのは、実は、日本が昔ながらの姿に戻るということだと私は思うのですね。外務省の役人が高いワインを飲んで何か偉そうに外交交渉をすることが世界の国から尊敬されることでは決してない。たとえぼろを着ていても、たとえ貧しい生活をしていたとしても、日本という国はこんな国なんだということを身をもって体現していくということが日本の国柄というものを世界に示すことになるんだろうというふうに私は思っております。
そういう意味で、農業というものが日本の中心だということをもう一度しっかりと全国民の認識の中に据える、農業で食っていくということを中心にしなければならないというふうに私は思っているのですけれども、二十一世紀の農業が日本の国の形の中でどう位置づけられるべきかということについて、まず、武部大臣のお考えをお聞かせいただきたいと思います。