奥田紀宏の発言 (国際問題に関する調査会)
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○政府参考人(奥田紀宏君) 外務省の中東局の奥田と申します。
ただいまの山崎先生の御質問、大変難しくて一言ではなかなか言えないと思いますけれども、元来やはり六〇年代のころの中東情勢を思い浮かべてみますと、既に一つは五六年のスエズ動乱というのがあって、それから六七年にはダヤン将軍の、片目の将軍ダヤン将軍の六日間戦争というもので、イスラエルが今の西岸ガザ及びシナイ半島を圧倒的な武力で占領したという時代でありますが、そのときの、その辺りのアラブの国が一体どうやって近代化をしていこうかと思っていたかというと、シリア、エジプト辺りではやはり社会主義、アラブの社会主義ということで国の近代化をやっていこうということだったかと思います。当時はまだ、今のようにイスラム原理主義というものもそんなに強くなくて、アラブが自分たちのアイデンティティーを持って、それでその国づくりをしていこうというときの一つの軸が社会主義というものだったかと思います。
当時、米ソ対立の時代でありました。ソ連は、イスラエル、アラブとの間の抗争との関係では圧倒的にアラブ側を支持する、パレスチナを支持するという立場でありました。他方、米国は、米国及びヨーロッパ諸国もイスラエルというもの、まだ戦後のユダヤのホロコーストの記憶もまだ新しいということもあって、イスラエルに近い立場を取っていました。
そういう中で、恐らく日本の新左翼の運動も、当然パレスチナの運動というものが民族解放運動だということで、民族解放運動というのは社会主義勢力がそれぞれのところで応援、支援をしていましたから、自然とやはりパレスチナの対イスラエル闘争というものを民族解放闘争と位置付けて連帯していったということがあったかと思います。
それが今どうなったかということでありますけれども、恐らく新左翼とパレスチナの関係というのは心情的には今も続いているのだと思いますけれども、何せ九〇年以降、ソ連の崩壊、東ヨーロッパの崩壊というものに端的に現れているように、社会主義そのものに対する信頼感といいますか、が崩れているわけでありますので、少なくともアラブにとっても、いわゆる社会主義ないしは左翼系の人がそのままアラブないしはパレスチナの友人だということにはなっていないんだろうと思います。
他方、その反対に、二つあろうかと思いますけれども、二つ出てきた新しい事象として、一つは、イスラムの原理主義に自分たちの一体感を求めていくという運動、そういう気持ち、そういう政策が強くなっているということが一つ。
その中で、最近のグローバライゼーションとかグローバルスタンダードというものに対する漠然とした反感というものがアラブの中にあって、そういったものとアラブ諸国、特に草の根レベルとか、それからパレスチナの運動を支持している人とのつながりというものが出てきたかというふうに認識しております。
取りあえず、以上でございます。