森元恒雄の発言 (国際問題に関する調査会)
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○森元恒雄君 まず初めに感想めいたことを申し上げたいと思いますが、数回この調査会で学識者の方々にもおいでいただいていろいろ勉強してきたわけですけれども、私は、何回かそういうお話を聞けば自分なりにもっとイスラム社会というものの理解が深まり一つの像というものを頭の中に描くことができるかなというふうに期待をしておりましたけれども、残念ながら私自身の能力不足と勉強不足で相変わらずやっぱりイスラムは私にとって遠くて遠い国でございまして、これは基本的な知識に欠けるということと、やっぱり日常イスラム圏の国々から入ってくる情報量が圧倒的に少ないということじゃないかなというふうに思っています。
私は、イスラムについて非常に印象的だったのは、たしか小学校のころだったと思いますが、大宅壮一さんがアラブのルポをずっと新聞に連載していまして、その数回にわたる記事を読んだときに、これは全く我々と別の価値観、別のルールで動いている社会だということを知りました。
一つの例を申し上げますと、例えばホテルの自分の部屋にかぎを掛けてきちっと大事にしまっておったバッグが、帰ってきたらなくなったと。それで、支配人に、おかしいじゃないか、どうしてくれると言ったら、いや、それはそういうのを取られるあなたが悪いんだというような、しかし管理のしようがない。できる最善のことはやっておってもそういう対応だったと。
あるいは、お店に行ってバナナ一本と言ったら、日本円で簡単に言いますけれども、百円だと。じゃ十本と言ったら、まけてくれて八百円かなと思ったら、千五百円だという話だと。それはおかしいじゃないか、一本百円だったら、少なくとも十本千円じゃないか、まとめて買うんだから八百円にしてくれたっていいじゃないかというのが我々の感覚ですけれども、アラブの人たちはそうじゃないんですね。十本も買える資金力、余裕があるなら、あなたは貧しい人のために千五百円、五百円余計に払っていいでしょうと、こういうルールであります。
これはまたちょっと余談ですけれども、私それを読んだときはちょっと何か頭の中で理解できなかったんですが、その後、日本でもそれに近いようなことが行われました。例えば水道の料金で、たくさん使う水の方がトン当たり単価が高いという料金制を設定するというようなことが行われましたから、必ずしもこれはアラブの物差しだけでもないのかなという感じはしましたけれども、事ほどさように多少今世界の一つの常識とされているようなことと違う考え方がどうもイスラムの社会にはあるんじゃないかなというふうにかねがね思っておりまして、そういうことを踏まえて、参考人の方にも、それははっきり申し上げませんでしたけれども、そうであれば、世界的な規模で今経済が、マーケットが一つになり、企業が統合され、一つのルールでそういう取引が行われようとしている、そういう中で果たしてイスラムというのは繁栄できるのか、そういう基盤が、そういう価値観あるいはしきたり、そういうようなものからして合致していくのだろうかという意味のことをお聞きしたんですけれども、それに対して余り納得ができるような答えがございませんでした。
私は、そういうこともありますし、もう一つかねがね思っておりますのは、四大文明の一つを歴史的に形成してきたこの地域、特に中東、中央アジアの地域がどうしてこういう状態になったのかということがよく分からないこともありまして、その原因が何なのかということが分かればそれを克服する道もおのずから見付け出せるんじゃないかなという思いでこれもお聞きしたんですけれども、なるほどという答えがちょっと見付からなかった。
そんなことがあって、先ほど申し上げたように、相変わらず遠くて遠い国のままで今もございます。この点は引き続き勉強したいと思いますし、今、若林委員の言われましたように、やっぱり一度行ってみないといかぬなという感じは私も非常に強くそういう意味ではしております。
それから、このイスラムの国々と日本が今後どういう形、特に外交という面で付き合いをするといいますか、つながっていくべきかということについて私なりの思いをちょっと申し上げたいと思いますが、個人のベースとか家庭のベースだとか企業のベースだとかというような形での、間での付き合い方というのはいろんな要素があるし、あってしかるべきだと思いますけれども、やっぱり事国対国の外交という世界でその付き合い方がどうあるべきかということを考えれば、やはりそこは冷徹な一つの原理原則というものが当然働くわけでありまして、情緒的、センチメンタルな感傷、思いに流されてはいけないんじゃないかなというふうに思うわけです。
そういうふうに考えましたときに、何が外交の基本であるべきかと。そんな大それたことを言えるまだものは持っておりませんけれども、やっぱり一つ大事にしておかないといけないことは、やっぱり国益というものではないかなと。何が国益にかなうかどうかということを一つの大きな基軸にして物事を考えていくということが非常に大事じゃないかと。
今、グローバリゼーションということがよく言われますけれども、これはそれこそマーケットが世界的規模に広がったとか企業の活動が世界規模に広がったとか、あるいはそういうこととの兼ね合いでルールが統一化されつつあるという意味では、確かにグローバルという意味ではありますけれども、それ以上のものではないんじゃないかと。要するに端的に言えば、例えば世界国家的な動きがあるのかというと、決してそういうことではないわけでありまして、やっぱりグローバルしていく中でこそ、その各々の国が独自性あるいは自己の主張、自己の利益というものを追求するというそのせめぎ合いが非常に大事になってきているんじゃないか、そこのところがどうも日本でグローバリゼーションという議論、言葉が使われるときに欠けているんじゃないかなと、こんな気がするわけです。
今年のアメリカの大統領の一般教書でも、国益という言葉が何十回出てきたかということが話題になるぐらいに、今やアメリカ外交はもう国益第一主義であります。そういうことを考えたときに、やはり中近東、中央アジアを中心としたイスラムと日本とのかかわりは、単に人道上の観点だけで、こうあるべきだとかこうであってはいけないとかということではやっぱりまずいんではないか。そういうときに、エネルギーを中心としてそれにプラスして何があるのかということを考えるべきじゃないかと。
それから、もう一点申し上げたいのは、しかしそういうことを、日本の利益ということを第一に見据えていきますと、おのずとアメリカ、先ほどからも議論が出ていますように、アメリカとの関係で時によっては意見、見解が違ってくるという部分が出てくるわけであります。そういう中で、果たしてどこまで日本の独自性というものを貫くことがもう一歩大きい意味での日本の国益に合致するのか、そういう視点も含めて考えていくことが大事じゃないかなと、こんなふうに思っております。
いずれにしても、戦後半世紀たちましたけれども、これまでの日本の外交というのは本当に他国から見て顔が見えない外交になっていたんじゃないか、それはやはり専ら対米追随という形での政策しか取ってこなかった、また取れなかったのかもしれませんけれども、そういうことが日本の外交をそういう状態にしてしまったんじゃないかと。これからの我が国の在り方、ありようということを考えたときにここの根本に立ち返って考えてみないと、この対イスラムとの関係の在り方も見えてこないんじゃないかと、こんなふうに思うわけであります。