山崎力の発言 (国際問題に関する調査会)
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○山崎力君 先ほど入澤先生の話にもあったんで、私も同感するところがあるんですが、どうしても議論が煮詰まらない。これは世界各国でも煮詰まらないのかもしらぬですが、宗教というか人間の規範ですね、生きる価値観の集大成と言っていいのかもしれませんが、そこのところで、我々は何か日本人というものの価値観というものが分かったようなつもりになって、それで世界を見、付き合っている。それが以心伝心で分かる国内のうちではいいんですが、あるいは単に商売といいますか、物のやり取りでもうけたもうけない、そこの部分ではいいのかもしらぬですが。このイスラム社会というのは、その中でいえば、世界的な中でもキリスト教が近代化されて、ニーチェに言わせれば、神は死んだ、人間が殺したという以降のキリスト教社会でそれを推し量っている。
そういうときに、もう千年も変わらない価値観の下に現在もなお生活し、それを規範としているイスラムの人たちとどう付き合うのかということは、非常にそういった意味では、自分たちの規範がどこにあるのかということを再確認してからでないといかぬ。ところが、御承知のとおり、宗教教育というものは公教育から外すべきであると、宗教は公のところから離れたところにおらなきゃいかぬという、これは憲法上の我々の要請が現実にあるわけで、その中で、外交も含めていろいろ言われているんだけれども。
本当に、それじゃ、外交、国益というものもある意味では一つの価値観、理念から出てきたものであるわけで、その国益を代表する外交にどこにバックボーンを持たせてやるのかということを我々も含め国民がどこまで期待していたかというと、極めて私に言わせれば疑問だし、そして特にイスラムの価値観からいけば、富んだ者が喜捨するのは当たり前だと。そうすれば、いろいろなことでお金をやったのにもかかわらず、援助したにもかかわらず、我々の期待に沿わない使い方をした、あるいは感謝の念が出てこない、そういったことに対して違和感を持つのは、彼らの価値観からすれば、これは神に対する、何というんでしょう、不遜な態度である、むしろ不遜な態度であると。先ほど森元さんも価値観が違うとおっしゃっていたけれども、その辺のところをこれを機会に議論し合わないと、堂々巡りになってしまうんじゃないのかなという気がいたします。
最後にあえて言えば、日本の我々が価値観として共通で持っていると思われる、いろんなものの基盤になっている命より大切なものはない、人の命が一番大事だという価値観が、ある意味においては、彼らにとってみれば命より大切なものがあるわけです。それは自分たちの信仰であり、神に対する自分たちの契約だということに対してどう付き合うのかと、そういう人たちにどう付き合うのかということを考えないと、私は、非常に水ぶっ掛けて恐縮な言い方だけれども、独自の外交、対イスラムの独自の外交とか何らかの役割をとか言ったところで、私からすれば、かえって残るのは、何というんでしょう、未達成感というか消化し切れない、かえって悪い印象が残るんじゃないのかな、むしろ本当のできる範囲でのことをもじもじとというか、そういった形でやるのが限界じゃないのかなという気が、あえてこの際申し上げたいなと思っております。反論は覚悟の上で。