扇千景の発言 (国土交通委員会)
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○国務大臣(扇千景君) 時間を取ると申し訳ないと思いながらも、余りにも歴史的なことを御質問でございますので、経緯と基本的な考え方、これだけははっきりさせていただきたいと思います。
御存じのとおり、成田空港開港しましたのは一九七八年でございます。二十五年たってやっと二本目の滑走路、おかげさまで四月十八日供用開始。二十五年掛かってやっとここまで参りました。その間、成田、千葉県の皆さん方の御苦労というものを私は分からないではありません。
しかも、私はあの開港時、既に国会議員で、あの管制塔を占拠された、テレビで見ながら、何なんだと思いました。また、私はでき上がった成田を、開港する前に成田空港を見学に行きました。でき上がって既に十年たって、一九七八年開港するときにもう滑走路にひびが入っていました。こんな私もったいないことがあるかと。その当時は私、一年生でございましたから、こんな無駄なことをしていいんだろうかと。空港でき上がりながら十年間放置して、飛び立つころにはもうひび割れしていると、こんなことでいいんだろうかという大変私は一年生議員として義憤に駆られたことを今でも覚えております。
そして、やっと二本目が、しかも完全な四千メートル級ではありません。けれども、供用を開始したら、この二十五年の間にお隣の韓国の仁川では既に四千メートル級が二本、中国もそう、シンガポールもそう。各近隣の諸国はあっという間に国際的に受け入れる国際空港の整備が短期に集中して、なおかつ複数の滑走路を持って国際空港の看板を上げました。
何よりも残念なことは、成田の駐機料、九十数万します。ところが、欧米先進国、アメリカもフランスも、しかも韓国も三十万円の駐機料、日本の三分の一でございます。これでは成田がどんなに頑張ってもお客はだんだん来なくなる。
まして、今、先生アクセスの不便さをおっしゃいました。私は元々政治が間違っていたといいますか、あの時代はそれでよかったんだけれども、成田を造るんであれば、もっと湾岸線で羽田と一直線に国内線、国際線をつなぐアクセスが完備して私は開港すべきであったと、今振り返ればですよ。けれども、その当時は何としても成田にということが決定されて、成田に造った。
先生には悪いですけれども、四国の本四橋の三本も無駄遣いだと言われますけれども、真ん中の一本をやめて、せめて四国一巡の高速道路を造っていればもっとよかった。その利便性ができて利益が上がって、初めて三本目造りゃよかったじゃないか。これも政治判断。
ですから、私は、政治判断でかつて、今の時代に即していないのであれば、政治判断で間違ったことがあるとすれば、また政治判断でこれを解決しなければいけないという、私は大きな気持ちで、諸先輩のなすったことをいけないというのでなくて、やっぱりもう少し、寸足らずであったという言葉はいいか悪いか分かりませんけれども、もうちょっとアクセスも考えてほしかったという反省に立って、財政上使えるものは利用しましょうということで、成田とか羽田とかとお互いの権益を競い合って、そしてけんかするのではなくて、あるものはお互いに譲り合って使いましょうと。我々の洋服もそうです。私が着てもうちのお嫁さんが着れるんならお嫁さんに譲りましょうと、お互いにしましょう。これが私は国によってもそれは行われるべきであるということで、羽田の夜間十一時から朝の六時までは夜間のチャーター便を離発着を許可しました。実施しております。今、週四便でございます。けれども、先ほどからの御案内のワールドカップサッカーのときには四月からこれが週七十便の発着をいたします。そして、ワールドカップサッカーのときは昼間も一日十便、これをチャーター便を下ろしましょうと。
そういうことで、私はあるものを利用しながら、世界じゅうから来てくださるお客様が一番便利だな、一番安く付くなと思ってくださる方法を生み出さなければ、日本は観光の面でも物流の面でも空洞化してお客がいなくなって日本沈没の一途をたどると言っても過言ではない状況であるということだけは私ども認識して、それを回避するために最大の努力をしているところでございます。