森山裕の発言 (国土交通委員会)
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○森山裕君 おはようございます。自民党の森山でございます。
大臣、毎日御苦労さまでございます。
船舶職員法の一部を改正する法律案について質疑をいたします。
法案の具体的な内容に入る前に、まず二点について伺っておきたいと思います。
まず最初は、大臣に海について少し伺ってみたいと思います。海は私どもに大きなロマンあるいはいろんな思いを抱かせるものです。
南国の太陽を一杯に浴びた鹿児島のシンボル桜島、その桜島を浮かべる錦江湾を目の前にして、この鹿児島に来ると日本のことを考えますね、つまり日本の来し方行く末といったようなことを、これはどういうわけかなという、作家司馬遼太郎さんの薩摩路への旅に同行した人がつぶやいたこの一言から、司馬遼太郎さんは著書「歴史を紀行する」の一文、独立国薩摩の外交感覚についての考察を展開しておられます。
そこでは、日本列島の南端薩摩と北端津軽を比較して、北端の津軽では日本はどうなるかということよりも人生は何かといったような人間生存の第一義のような、そういう瞑想の姿勢が北端の地によく似合う、薩摩の地に来て思うのは人生のことよりも天下のことである、北方の氷雪は人間を内向的にし、西南の陽光は人間を外交的にすると結論付けておられます。
ポルトガル船が種子島に鉄砲を伝来したのが一五四三年、その六年後の一五四九年、フランシスコ・ザビエルを乗せたポルトガル船がインドから五百日の長い航海を経て来航したのが錦江湾でありました。一八六三年にはイギリス艦隊七隻が薩摩を攻撃するために訪れたのも錦江湾でありました。二年後の一八六五年には薩摩と長州を結び付けた立て役者、坂本龍馬が船で錦江湾に姿を現しました。
このように、日本と西洋文化の触れ合い、更には日本の近代化の夜明けを見詰めてきたのが錦江湾であります。こんな歴史を持つ錦江湾、鹿児島の人にとっては海そのものであります。私は、週末、鹿児島に帰りこの錦江湾に接するたびに、明治維新を成し遂げた幕末の志士を始めとする先人に対して思いをはせるとともに、新たな勇気を与えられるのもまた海であります。
そこで伺いますけれども、扇大臣は数々の歴史を刻んできた須磨海岸の近くで誕生されたと伺っておりますが、大臣は海に対してどんな思いを抱かれておられるのでしょうか。冒頭、まずお伺いをしたいと思います。