中山正暉の発言 (憲法調査会)

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○中山(正)委員 先ほどお話の中に冷戦構造の中での日本という話がありました。あれは終戦から五年たって、昭和二十五年の六月の二十五日に朝鮮動乱が起こって、二十八年の七月の二十七日に終わりました。
 しかし、アメリカはその一年前に、日本の経済力で中国を大きくしてソ連と分断するという大変すごい計画を立てていたんですね。マッカーサーはそれを知らずに、満州に、朝鮮動乱を解決するためには、二十六発の原子爆弾、それから台湾軍の朝鮮動乱投入ということを、上院の外交委員長と下院の軍事委員長に手紙を出したために、リッジウェーという将軍に途中でかえられました。
 そのころは米軍が日本にいたから、朝鮮半島から直接の被害はありませんでしたが、四年前に、一九九八年の十二月の二日にアメリカの北朝鮮侵攻作戦五〇二七作戦というのが秘密が漏えいしまして、それに対して、北朝鮮は、これは余り世間に出ていないんですが、その舞台となる日本を攻撃の対象とするということをちゃんと九八年の十二月二日に声明を出しているんですね、北朝鮮軍参謀声明。
 昔は、吉田茂が日本の経済発展を遂げるために軍事力は持たない方がいいというので、アメリカも、日本は二度と再びアメリカに逆らうような国にしないためにいいというので、相互利害が一致したために、今の自衛隊も、その発足は警察予備隊・保安隊でした。
 「毛沢東語録」の中にはおもしろい言葉があります。戦争には二つの定義がある。一つは正義の戦争で、共産主義が世界じゅうに広がる戦争は正義の戦争であり、共産主義が世界じゅうに広まる戦争を阻止する戦争は不正義の戦争であって、我々は正義の戦争によって不正義の戦争に反対する。だから、反戦、戦争に反対するという人が火炎瓶投げて歩いたときがありました。
 それから、愛国主義と国際主義というのが「毛沢東語録」の中にありまして、日本でいえば野坂参三という人が、日本人でありながら日本と戦った。これこそ大変な愛国者であって、国際主義と愛国主義が同時に一致したものが野坂参三であると書いています。ところが、この人はCIAのエージェントだということがわかって追放されて、中国時代には岡野進、カンエイジンという名前で、毛沢東と日本解放戦線をつくったのが私が生まれた昭和七年のことでございます。
 それが、世界情勢がぐるっと一変したわけでございます。武力の武という字は、これは戈を止めると書いてありますから、戈を止めるのが武力ですから、自衛隊というものは、アメリカが、二度と再び日本が立ち上がらないために、軍隊を持たせない方がいいという方針と、そして、自分が後ろにいるから、日本人は心配するなと言いたかったのでしょう。
 ところが、アジアでは、よく集団安保なんという話がありますが、日本とアメリカ、アメリカと韓国、アメリカとフィリピン、アメリカと台湾という、一つ一つぷちぷち切れるようになっています。この危ないアジアの中にあって、日本が、先ほども申しましたように、日本を守る勢力、私らが子供のときには、ミカン箱の上に立って、出征してまいります、行ってまいりますと言って海外に出ていって、海外で戦争したから、日本国内は全く安全でしたが、今度は、専守防衛というと国内が戦場になりますから、そういうことを根底に考えながら、どんなふうにそれに対処していくのか。いわゆる軍事力というものはどういう感覚で持つのか。
 それもしかし、瞬間の勝負で決まります。昔みたいに、私ら大阪で子供のときに爆撃を受けたわけですが、警戒警報が発令されてから空襲警報が発令するまで二時間ぐらいかかってやっと来ましたが、今度のミサイルはあっという間に飛んできます。
 そういう新しい事態に対する新しい憲法の防衛のあり方を考えねばなりません。これは日本で自衛隊に反対している人の頭の上に爆弾が落ちないのならいいですけれども、そんな見分けつかずにどこにでも落ちるわけですから、ここでしっかりとそういうものに対応するための、いわゆるアメリカが世界戦略の中で冷戦構造を根底にしていた時代と、何でもありという時代に対する日本独自の考え方というものを早く確立する必要があると私は思っています。

発言情報

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発言者: 中山正暉

speaker_id: 32328

日付: 2002-12-12

院: 衆議院

会議名: 憲法調査会