2002-11-14
衆議院
岩間陽子
憲法調査会国際社会における日本のあり方に関する調査小委員会
岩間陽子の発言 (憲法調査会国際社会における日本のあり方に関する調査小委員会)
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○岩間参考人 おはようございます。政策研究大学院大学の岩間です。きょうはよろしくお願いいたします。
本日は、ドイツの憲法と、危機管理及び軍備に関する規定に関してのお話をということでしたので、私は、憲法学者ではございませんで、外交史それから国際政治をやっている範囲で、ドイツの憲法についてこれまで学んできましたことを簡単にお話しさせていただきたいと思います。
皆さんもう十分御承知のことが多いかと思いますけれども、一応、歴史の流れに沿いまして、戦後の西ドイツ、それから、西ドイツの基本法を引き継ぎました現在のドイツの憲法と安全保障、危機管理についてお話しさせていただきたいと思います。
御承知のことと思いますが、ドイツ連邦共和国の基本法といいますのは、これまでに、改正法の数で恐らく五十一回変更されております。最後の変更が二〇〇二年の七月二十六日で、この日に二つの改正法が通っておりますので、これを一回と数えるか二回と数えるかで五十回か五十一回か変わってくるんですが。以前は、すべての改正法案の頭に第何回改正というのは書いてあったのですが、恐らく、余りにふえたのでもう書かなくなったのだと思います。もう書いていないので私もよくわからないのでありますが、相当な数の改正を経てきているということであります。
ドイツの特徴としましては、そのように基本法がかなりの頻度で改正されるということ、それから、連邦憲法裁判所というものがございまして、これが憲法の内容に関してかなり大胆な判断をこれまで繰り返し示してきているということがまず挙げられるかと思います。
それでは、再軍備の関係のお話から入っていきたいと思います。
もともと西ドイツというのは、日本と同じように、第二次世界大戦後、降伏をいたしまして完全に武装解除されたわけであります。ですから、一たん、全く軍備のない状態になりました。それで、現在の基本法というのは西ドイツが発足いたしました一九四九年にできたわけですけれども、そこには、当然、軍備に関する、あるいは有事に関する規定はなかったわけです。
ですが、全くなかったかというと、幾つかその関連の規定があって、侵略戦争の禁止であるとか、あるいは兵役忌避を認める規定があったり、それから、国際機関の関連で、これは後に憲法上の海外派兵の根拠として使用されることになった第二十四条の一項、二項が、国際機関に加入すること、それから、その関連で、平和を維持するために相互的集団安全保障制度に加入できるというようなことを定めておりました。
御承知のとおり、西ドイツの再軍備というのは、朝鮮戦争勃発後の国際情勢の中で検討され始めたわけです。結局、最終的には五五年にやっと志願兵法案が成立しまして、最初の連邦軍兵士が誕生するわけですけれども、この間、非常に複雑な政治外交の紆余曲折がございました。きょうは、憲法と関連する範囲内において、簡単にその過程を申し上げます。
まず、ドイツの場合は、いざ再軍備するというときに、何らかのセーフガードを国際的に考えなければいけないわけで、その関連で、ドイツを、当時、シューマン・プラン以降始まったばかりでありましたヨーロッパ統合の枠組みの中で再軍備させようという構想が最初に持ち上がります。ドイツの主権をヨーロッパという枠で制限して再軍備させようということで、最初にその関連で締結されましたのが一九五二年のドイツ条約、これは、それまで降伏して占領下にあったのを主権回復するための条約でありまして、それから、EDC、ヨーロッパ防衛共同体の関係諸条約が締結されて、これが批准され次第、西ドイツの再軍備が始まる予定でありました。この関連で、まず最初の再軍備関連の憲法訴訟が幾つか起こってきます。
一たん、この法案はドイツの国内では批准を完了して大統領の署名までいくのですが、結局、この法案自体は、EDC条約をフランスが批准しなかったことにより流産いたします。ですが、これで、ドイツの側は、着々と再軍備のための準備を始めるわけであります。
その関連で、憲法を改正すべきかどうかということが問題になって、当初、アデナウアー政権は、改正しなくてもできるという姿勢だったんですが、一九五三年の総選挙で与党が圧勝いたしまして、その選挙の後に、幾つかの小さな政党と連立政権を樹立しまして、三分の二の多数を持つ政権を樹立いたしました。この多数をもって第一回の防衛関連の憲法改正を行いまして、このときは、連邦に防衛に関する立法権を付与するなど、最小限の改正にとどめて行われました。
先ほど申しましたように、EDCは結局失敗いたしまして、そのかわりに西ドイツはNATOとWEU、ブラッセル条約に加盟することになりまして、これが五四年にパリ諸条約として調印されて、五五年に発効いたします。そして、その年のうちに、まず、志願兵の軍隊として連邦軍が発足する。この後にもう一度、再軍備関連の憲法改正というのが五六年に、今度は与野党協力によって行われます。
社民党は、当初、再軍備に関して、これは違憲であるという立場から憲法訴訟を起こしました。それから、先ほど申しおくれましたが、違憲訴訟は幾つかは棄却されて、最後まで残ったものは、結局、憲法改正によってその訴える立場を失ったわけです。社民党の方は、最初は、彼らの一番の関心といいますのは、再軍備してしまうとドイツの再統一を妨げることになるということが心配だったわけです。ですが、再軍備になった以上、やはり民主的な軍隊をつくっていくために議論に参加していかなければいけないという立場から、第二回の防衛関連の憲法改正に関しては、社民党も参加いたしました。この関連で行われた改正はかなりの数に上ります。
そこで、ドイツ基本法に一貫する姿勢としましては、チェック機能、連邦政府が軍隊を使っていくときのコントロールとして、一つには、議会による統制というものを考えている、もう一つは、連邦と州というもののバランスを常に考えていて、その双方からのバランスチェックというものを意識しているという点でございます。
ドイツの場合、御承知と思いますが、連邦議会と連邦参議院がございまして、参議院の方は各州から代表という形で送られてきますから、参議院の議決というのは非常に強く州の意見を代表したものとして扱われるわけです。
このときに決まったことを簡単に幾つか申し上げておきます。
六十五a条に、軍隊の指揮・命令権は、平時においては国防大臣、有事においては連邦首相に属するということがはっきり憲法の規定で書かれたということ。
それから、関連の条文はレジュメに大体書いてございますし、お手元に基本法の写しがあるかと思いますので、見ていただけるとよろしいのですが、ただ、これも何度か改正していますので、もう今なくなった条文とか変わってしまった条文もあって、その点、ドイツの法律というのは非常に読みにくいのですが、連邦議会の国防委員会が調査委員会として憲法上の機関になる。
あるいは、国防受託者という新制度ができまして、連邦議会の補助機関として、それから、兵士の基本権保護に当たるというような任務を請け負うことになりました。
いわゆる有事、国防事態という訳を用いることが多いのですが、その到来は議会が確定する。克服しがたい障害によって連邦議会が招集され得ず、遅延が危険を招くときのみ首相と大統領によって行われる。
それから、予算の関係で、軍隊の員数とその組織の大綱は予算によって明らかにされなければならない。
こういうようなことが決められました。
この後、五七年の四月には徴兵制が開始されまして、これは現在に至るまで継続しております。現在、ドイツは九カ月の徴兵期間を実施しておりまして、冷戦後の環境がいろいろ変わった中で、再度、徴兵制は現政権で議論される予定ですが、ことしの二月に、徴兵制はもはや違憲ではないのかという訴えが一部出ておりまして、それに関して憲法裁判所は、冷戦後の環境においても徴兵制は合憲であるという判断を示しております。
この次に危機管理に関して大きな法制が行われましたのは、一九六八年でありました。このときは大連立政権による立法でございまして、ドイツは、戦後、占領された状態から出発しまして、有事に関する法律が整備されるまでは一定の範囲内で占領国の権利というものが残っておりまして、最後の完全な主権回復のためにも、有事法制、非常事態立法というのは必要だったわけです。
ですから、これは、ずっと長い期間、懸案だったわけですが、軍備ということに加えて、国内における軍隊の使用というのもこの場合は出てくるわけでありまして、それはドイツにおいても非常にセンシティブな問題でありますので、長い時間がかかって、やっと社民党と保守連合の連立政権で実現したわけです。
このときは、かなり広い範囲の改正、変更が行われております。そこにざっと書いてありますけれども、大きく分けまして、国内における軍隊の使用、それから、外国から攻撃された場合の防衛のための軍隊の使用というのがあるわけです。
国内で使用される場合に、基本的には、国内の治安というのは州の警察が一義的には負っているわけで、そこで賄い切れないような公共の安全または秩序の維持への危険というものが起こってきたときに、まず州のレベルから、他の州の警察であるとか、それから連邦の国境警備隊、それでも足りないときには軍隊というものを要請していくことができる。
それから、逆に、今度は連邦の方がそれを必要と認めた場合に、それを州に対して指示できるというようなことに関する規定が設けられております。これは、先ほど申しましたように、連邦参議院の要請があれば解除できるということで、連邦が行った指令に対して、州の側からの反対というか対抗する手段というのが設けられております。
自然災害とか重大な災厄事故の場合にも、このように国内における軍隊の使用というのが一定範囲内で想定されています。
そして、後に問題になりましたのは八十七a条の二項、軍隊は国防を除いてはこの基本法が明文で認めている場合に限って出動することができるという規定がここで入りまして、明文で認めている場合というのはどの範囲かと。今申しましたように、国内における一定範囲の使用、それから、いわゆる防衛事態と言われる場合、それ以外に、PKOなどが認められているのかどうかというのが後に話題になったわけですが、当時のドイツはそのような活動を行っておりませんでしたから、問題にはなってきませんでした。
防衛事態、それから緊迫事態、同盟事態というようないろいろな事態が想定されているんですが、そのような場合に、例えば、軍隊による非軍事的物件の保護や交通規制ができるというような、あるいは一定範囲内の移転の自由の制限のようなこともできるというような規定もこの有事法制関連で行われております。
防衛事態ですが、これは、連邦領域が武力で攻撃された、またはこのような攻撃が直前に切迫していることということで、実際に武力攻撃が発生した、あるいはその危険が非常に切迫しているような状態について、連邦政府の申し立てに基づいて、連邦議会が連邦参議院の同意を得て防衛事態というものを確定するということになっております。連邦議会議員の過半数かつ投票数の三分の二が必要である。
これができないときは、合同委員会というものが制度として設けられておりまして、これは連邦議会と連邦参議院の双方から選ばれたメンバーによって構成されるんですが、それが確定して、大統領が公布する。連邦領域に対する武力攻撃というものが実際にもう始まってしまっていて、このような手続が踏めないときは、確定は行われたものとみなされて、攻撃が開始された時点で公布されたものとみなされるというふうに規定されております。
防衛事態が確定しますとともに、軍隊に対する命令・司令権は国防大臣から首相に移りまして、連邦政府の権限がさまざまな範囲で強化されます。収用や一定範囲の自由の制限、国境警備隊を連邦の全領域に出動させるなど州に対する権限の強化、それから、立法手続が簡素化されて、議会の立法が非常に迅速に行われるようになる。それから、防衛事態の期間中は、議会の解散ができない、あるいは議員、大統領などの任期は延長されるなどの規定があります。
防衛事態の終了というのは、いつでも連邦議会が連邦参議院の同意を得て宣言できるというふうになっております。
一応、ドイツの憲法上も、防衛事態まで至らないけれども、その前段階として、緊迫事態あるいは連邦議会の特別な合意による緊急事態というような場合に、平時において適用を差しとめられていた法令が適用可能になるような状態が想定されています。それから、議会による確定というのが機能しない場合でも、同盟上の義務から事実上軍隊の活動が始まるような場合にも、一定の範囲で配慮というものがされております。
以上のように、六八年の改正というものは非常に広範囲にわたるものでありまして、かなり国内的にもいろいろな反対運動等があったのですけれども、ここで、ほとんどの領域をカバーするような有事法制を西ドイツの場合は整備したわけであります。
当時の西ドイツの連邦軍が置かれた状況を思い起こしていただきますと、それは、NATOの集団防衛の中核でありまして、前方防衛の主軸でありました。あの当時のドイツが巻き込まれ得るといいますか、ドイツが当事者となり得る戦争というのは、東西冷戦の文脈の中でのNATO軍とワルシャワ条約機構軍の戦争以外には想定されておりませんでしたし、それ以外の戦争に備えるような余裕も、当時の西ドイツにはなかったわけです。ですから、その戦闘部隊というのはすべてNATOの防衛計画のために提供されておりましたし、ドイツ軍は単独で作戦を遂行することは想定されておらず、その機動性や展開力、指揮系統というのは厳しく制限されておりました。
これは、もちろん、ドイツが第二次世界大戦を起こしたということもありまして、その関連で、再軍備はするけれども、西ドイツ軍がなるべく独自で動きにくいような状態にしてNATO軍に統合しておくという観点もあったと思われます。ドイツ海軍だけは常設作戦司令部を有していたようですが、陸軍、空軍は、冷戦後までNATOの統合司令部によって指揮されておりました。ですから、ドイツは、一九七三年に国連加盟をいたしましたが、PKO活動というのは特にこの時点では行っておらず、したがって、憲法上の議論も当時は起こってはきませんでした。
ただし、人道援助や災害救難のための連邦軍の派遣というのは、これは軍隊の使用というのとは全く別の観点で考えられておりまして、このことに関しては、私は、議論というのは全く聞いたことがありません。一九六〇年に初めてモロッコの地震の折に連邦軍が派遣されて以来、ほぼ毎年のように世界各地に派遣されていまして、現在までに、これはドイツ国防省の資料でざっと数えてみただけでも、延べ百三十回以上、五十カ国以上に連邦軍は派遣されております。
一九九〇年、九一年の湾岸危機の折にも、人道援助としては、ヨルダン、サウジアラビア、カタール、それからトルコ、イランのクルド人難民の支援などに実際に連邦軍が派遣されておりまして、それらは、ドイツにおいては、憲法の規定に触れるような軍隊の活動とは全く別種のものとして考えられております。
今度は、冷戦後の状況の変化というものを御説明したいんですが、このあたりはかなり日本でも報道されておりますので、皆さんも御承知のところが多いかと思いますけれども、日本と同じでありまして、まず湾岸戦争で、ドイツはどのような立場をとるかということを問われたわけです。あのときは、多国籍軍の一部として戦闘を行うということは、ドイツはしなかった。
その後、日本の場合はずっとそんな大した危機がないわけですけれども、ドイツの場合は、旧ユーゴスラビアの紛争というのが九〇年代にずっと続きまして、その過程で、ヨーロッパ各国、そしてNATOも組織として深くかかわることになりまして、最後、御存じのように、まず、ボスニア・ヘルツェゴビナにおいて空爆が行われて、その後、コソボにおいても大規模な空爆が行われたわけです。その範囲内で、NATO軍というのは非常に統合された組織となっておりますから、ドイツだけが参加せずに行動しますと、作戦に非常に支障が出てくる場合も多々あるわけです。それだけではなくて、同盟の一員として果たして何もしなくてもいいのかということが問われたわけです。あと、ソマリアにも国連PKOの範囲でドイツ兵は行っております。
こういうふうに領域外へ連邦軍を派遣する必要が頻発するようになりましたが、先ほど申し上げましたように、それまで冷戦下においては、西ドイツ連邦軍というのはドイツの領域内で攻撃されたときに守るという以外の作戦は全く考えていなかったわけで、それが当然憲法にも合致するものであるというふうに考えられていた。
ただし、ここは日本と違いますところは、それをどこか明文で規定していたというわけではなくて、実際上の状況としてそうであったし、それから、西ドイツの政治家たちも理解としてそういうものであるとは思っていたけれども、絶対に派遣してはいけないというような規定を、あるいははっきりした政府の政策というものをつくっていたわけではないということです。ただ、事実上、ドイツの憲法というのはそういうものであるというような大まかな政策上の理解があって、それが冷戦終了直後のドイツの派兵というものを拘束したのは確かであります。
ただし、これは、実際上の必要が出てくると、まず、現実に実施されている政策の面で変化が出てきて、先ほど申しましたように、ソマリアなどに、それから、旧ユーゴ紛争の関連でアドリア海などにドイツ連邦軍の兵士は出ていくことになります。
これが果たして基本法で許されているかどうか。先ほど申しましたように、基本法で明文で認められている場合にしか連邦軍は派遣してはいけないということで、防衛に使ってよいということは非常に明白なんですが、そうでない使い方というのが果たして合憲であるかどうかということが訴訟になりました。
この関連では、違憲訴訟を起こしていた側も、決して絶対に派遣するなという立場であったわけではなくて、もちろんドイツの国内には絶対に域外派兵反対という人も少数いましたけれども、大部分の反対というものは、むしろ、憲法改正をちゃんと行って基本法上の根拠というものを明確にしてから出ていくべきであるというような観点から反対していたわけですので、もし違憲判決が出ていたならば、恐らく、大急ぎで改正法案をつくって、基本法上の根拠を新たにつくって派兵するということが政治上の解決としてとられたであろうと思われます。
非常に有名な九四年七月の連邦憲法裁判所の判決は、「基本法二十四条二項は、相互集団安全保障制度への加盟とそれに伴う主権の制限を認めているのみならず、これらの機構への加盟から生ずる課題、したがって、これらの機構の枠内で行われる活動への連邦軍の参加のための憲法上の根拠を提供している。」としまして、それまで連邦政府が行ってきた派兵を認めたわけです。「ただし、基本法は連邦政府に、その際、連邦議会の同意を得るよう義務づけている。」としたわけです。
二十四条二項というのは、平和維持の規範と独自の組織の構築によりすべての加盟国に平和の維持を相互に確約させ、安全を守る国際法上の義務を生じさせる独自の組織を構築するような制度を前提としているのであって、ですから、これは、国連であれば許されるのか、それともNATOのような同盟でも許されるのかということが一つの問題になり得るわけですけれども、そこは、憲法裁判所は非常に広く認めていて、国連のような集団安全保障機構と呼ばれるものであっても、あるいはNATOのような同盟組織であっても、連邦議会の同意を得ればドイツ連邦軍はそういう活動に参加できるという判断を示したのでありました。
この判断を受けまして、連邦議会は、九四年七月時点までの連邦軍海外派兵というものを、当時、出席議員四百八十八名中、賛成四百二十四、反対四十八、棄権十六という表決で追認しておりました。
これ以後、ドイツは、海外における連邦軍の活動を徐々に拡大してきております。コソボでは実際に戦闘活動にも参加しましたし、いまだにそのほとんどは平和維持活動と呼ばれるようなものですが、現在、常時九千人から一万人規模を連邦領域外に展開しております。これもドイツ国防省のホームページを見ますと、「世界で最も大きな国際的な部隊派遣国である」というふうに誇り高くうたっております。
現在も、その約七割はバルカン地域で、ボスニア・ヘルツェゴビナにおきますSFORでありますとか、コソボにおけますKFOR、それから、マケドニアのタスクフォース・フォックスというようなものにドイツは多くの兵士を派遣しております。それから、昨年のテロ事件以後のエンデュアリングフリーダムという作戦にも大規模な協力をしておりますし、アフガニスタンのISAFにも多くの兵士を派遣していて、恐らく、トルコの次のリードネーション、アフガニスタンにおけるリードネーションをオランダとドイツが共同で引き受けることになると思います。
ドイツ軍が現有勢力三十万人を切っている程度で常時一万人規模の展開をやっているというのは、相当な負担になっているものと思われます。特に装備の面で、今までそんな遠くに飛んでいくということを想定していませんでしたので、兵員、それから機材、物資等の輸送能力の面でも、持っている装備というのは非常に適していないわけで、現在、連邦軍を新しい任務に適応すべく改革が進行中であります。
これもなかなか財源難のために思うようには進んでいないんですが、理念としては、ドイツの連邦軍というのは、もはや、自国に対する攻撃に対して自国を守るということはもちろん原則上残ってはいるけれども、実際に起こり得る可能性としてはほとんどないというふうに考えている。これは、ドイツの周辺国、九カ国あるわけですけれども、このうち七カ国がNATO諸国になってしまって、それ以外がオーストリアとスイスであるということで、ほぼ友好国に周囲を囲まれているということで直接の脅威というのは特にヨーロッパ大陸においてもう見られない、そのようなことは考えられないというわけで、連邦軍の任務として、一義的には危機管理あるいは紛争予防等のための域外への展開というものが主任務としてこれからなっていくという前提で、連邦軍は今、その改革というものを行っているわけでございます。
このように、当初、冷戦、特に朝鮮戦争という非常に限定された政治状況の中で始まったドイツの再軍備なんですが、その後、大きな変化を経てきまして、現在は、全く違う軍隊に生まれ変わろうとしているわけでございます。
時間が来ましたので、このあたりで終わらせていただきたいと思います。(拍手)