2002-11-14
衆議院
岩間陽子
憲法調査会国際社会における日本のあり方に関する調査小委員会
岩間陽子の発言 (憲法調査会国際社会における日本のあり方に関する調査小委員会)
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○岩間参考人 ナチスにすべての責任を負わせたといいますか、ドイツの場合、原則は、その責任というのは個々人、個々の政治家にあるという立場でやってきたわけで、当然、責任があったのはナチスの責任ある部署にいた政治家であったわけですから、ナチスという抽象概念に責任を負わせたのではなくて、責任はあくまで個人に属するものであって、ドイツ国民全体の集団責任ではないというのが大きな前提というアプローチをとっておりました。
それに対して日本は、私は、これは文化的な違いだろうと思いますけれども、全体的な責任というアプローチを日本もしたし、また、周辺諸国も割合にそういうアプローチをしがちであったと思います。そういう過程があること自体はもはやここまでやってきて変えることはできないので、その前提でやっていくしかないんだろうと思います。
一つ、私はこういう問題でいつも思いますのは、どこかの時点でゼロになるというものではなくて、これはかなり続くものであるということでありまして、ドイツは非常にうまくやった、こう言われるんですが、それじゃドイツの問題はすべてけりがついているかといいますと、ユダヤ人に対する補償であるとか、企業に対しての補償請求であるとかは、いまだに延々と続いているわけであります。これに対して、ドイツ人は気長に対応しているわけであります。
日本の文化としまして、何か、謝ったらそこで水に流してもらって、すべてはチャラになってゼロから出発できるという期待感があるので問題がこじれるんではないかと私は思うんですけれども、あくまで責任は責任として、法的な問題として恐らくずっと残るのであって、決して、ドイツがうまく立ち回ったというふうには私は思っておりません。
多くの点において、ドイツと周辺諸国の関係というのは日本に比べればうまくいったと思います。その過程には、政治家が節目節目で非常に大きな政治的なジェスチャーというものを示してきたことが、個々の賠償の問題もありますし、その積み上げの問題もありますけれども、大きな政治的意思としてそういうものを示してきた。
それに対して、私はやはり、日本の政治家、リーダーシップというのはどこか歯切れが悪かったような気がするんですね。ここまでは言っていいけれどもこの先を言ったらお金を取られるかもしれないとか、そういう割合に小さな議論が多くて。
ここぞというときに非常に大きなジェスチャーを示せる、その非常に典型例が、ブラントがあのワルシャワでひざまずいている写真で、あれが世界を駆けめぐったことの政治的な重みというのはすごかったわけですね。別にあれは一銭もかかっていないわけですから、ひざまずくためには。だけれども、その政治的な意義というものは非常に大きかったわけで、私はむしろ、そういうようなことの積み重ねの方が大きかったのではないかという気がいたしております。