2002-11-14
衆議院
高田篤
憲法調査会政治の基本機構のあり方に関する調査小委員会
高田篤の発言 (憲法調査会政治の基本機構のあり方に関する調査小委員会)
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○高田参考人 ただいま御紹介にあずかりました高田でございます。
本日は、政党についてお話をさせていただくわけですけれども、政党に属され活動されておられます委員の先生方の前におきまして政党の話をさせていただくというのも大変気が引ける話でございまして、多少ちゅうちょしておるのでございますけれども、多少ともお役に立つところがあればと思って、一生懸命話をさせていただきます。よろしくお願いいたします。
お手元に若干レジュメがございますが、その順番に従って話を進めていきたいと思います。
まず、一ページからでございます。
政党は、現在の立憲主義にとりまして不可欠の構成要素です。つまり、政党なしには民主制も権力分立も不可能です。例えば一九二〇年代、三〇年代の中部ヨーロッパにおきまして、独裁制を批判しまして、議会制あるいは民主制をあくまでも擁護しました法学者ハンス・ケルゼンは、孤立した個人たる国民は十分な影響力を持っておらず、政党を通じることによってようやく国民としてみずからを解放することができるのだというふうに言っております。
しかしながら、他方、最近、政党に対する批判が非常に強くなってきております。それは日本においても甚だしいのですが、先進諸国に共通して見られる現象であります。そこで、政党について憲法論的に検討する場合、その前提といたしまして、その存在意義を、単にほかに取ってかわるものがないからといった消極的根拠によってではなく、積極的根拠によって基礎づけておく必要があります。
そこで、まず最初に「1 政党についての憲法理論的省察」、ここでその積極的根拠を検討したいと思います。
政党は、今申し上げたとおり、権力分立にとりましても不可欠でありますが、何よりも民主制の中核をなす存在であります。そこで、ここでは専ら民主制の観点から政党について憲法理論的に検討いたしたいと思います。
先ほど言及いたしましたケルゼンは、民主制に対しまして、社会秩序がそれに服従する者たちによって創設される社会形態という定義を与えました。このように、各秩序構成員の自己統治という形で民主制をとらえようとする考え方は、規範論としては一般的であります。
実際、今申しましたケルゼンの同時代、同地域のライバルたちも、相違があるとはいえ、同様な方向で定義しようとしておりました。例えば、議会制や政党を批判し、独裁と民主制は矛盾するものではないと主張しましたカール・シュミットは、具体的に現存する人民と政治的統一体としての自分自身が同一であるような、すなわち、統治する者と統治される者が同一であるような国家形態として民主制を定義いたしました。
また、ケルゼンと同様に、議会制、民主制、政党を力強く擁護しましたが、実証主義というケルゼンの学問方法論を徹底的に批判しましたヘルマン・ヘラーも、特定の領域内に居住する人々の多種多様な活動に秩序を与え、統一体を形成するために重要な政治的決定を秩序構成員自身が行うことという方向で民主制を理解しておりました。
このように、政党を擁護する論者も非難する論者も、民主制については、一見同様に見える理解を示しております。
では、一体どこからこの立場の相違が出てくるのでありましょうか。
それは、それぞれの民主制論において、社会秩序構成員の中に存在する多元性、複数性、多様性と、民主制によって形成される社会秩序の統一性、単一性、一体性との関係をどのようにとらえるかについての違いから生じております。つまり、これは、西洋の哲学あるいは神学の根本問題、多者と一者との関係をどのようにとらえるかということにかかわる話なわけであります。
西洋哲学では、伝統的に、世界認識について、多様である世界、多者は一者が創設したと理解するか、これは創世説と申しますが、一者から流出したと理解するか、これは流出論と申しますが、その違いはともかくといたしまして、多者と一者の関係をどのようにとらえるかということで議論がされてまいりました。
その際、一者の優位性を強調する立場と、例えば典型的にはプラトンですが、一者だけではなく多者の意義を強調する立場、例えばアリストテレスがおりますが、ここの両者が激しく対立しておりました。
また、神が世の中をつくった、創世したことを前提とする神学におきましても、一なる神、一者がなぜ多様なものとして、多者としての世界をつくったのかについて議論がされてまいりました。例えば、トマス・アクィナスは、次のような仕方でこの問いに答えようとしました。すなわち、一なる神に比べれば劣る被造物は、一つの被造物によっては神の善性、よさを十分にあらわすことができないので、多くの被造物と多様性がつくられた。神がつくられた世界は、多数、多様であることにより神の善性をあらわすのである、こういうわけであります。
この一者と多者の関係、非常に難しいわけですが、とりあえず御理解いただくために、単純化のそしりを恐れずに、イメージを使って説明させていただくこととしたいと思います。まず、底辺が円で頂点がある立体、三角錐を思い描いていただきたいと思います。そして、この三角錐の頂点部分に小さな球が乗っかっている、そのような図を想像していただければと思います。この図形におきまして、一者は三角錐の頂点に乗っかっている球として、多者は円として存在する底辺としてとりあえずイメージできます。つまり、伝統的な一者・多者に関する議論が、三角錐の頂点の部分の球が大事か、底辺も大事かという話として何とかイメージができるわけであります。もう少し詳しく申しますと、球の側からとらえるのか、球と底辺の両方からとらえるのかの違いというふうに申し上げることができましょう。
これを先ほどの民主制理解に当てはめるとどうなりますでしょうか。これもまた極めて乱暴なまとめ方でありますが、手っ取り早く理解していただくために、次のようにまとめることといたしたいと思います。シュミットは、一者に定位した民主制理解、つまり、底辺を球の側から光を当てた場合の影とみなす見方、ヘラーは、一者、多者両方を尊重する民主制理解、つまり、球も底辺も実線とする見方と把握しておくことが差し当たりできます。
難しいのはケルゼンでありまして、伝統的な問題設定からしますと、独自の立場をとっております。ケルゼンは、今の図式であらわしますと、一者を実体としてではなく仮象の認識対象として、多者を実体とみなす民主制理解、つまり、球を点線、底辺を実線とする見方というふうにとらえることができます。
さらに、近年では、社会の複雑化、断片化、グローバリゼーションの進展などを背景としまして、ケルゼンをさらに踏み越えた民主制理解、いわばポストモダン的な民主制理解が登場するに至っております。すなわち、もはや一者などを想定することは不可能であり、存在するのは多者だけである、そういう理解であります。それはいわば、球とか円錐は存在し得ず、底辺の円しかないのだ、こういうイメージでとらえることができるかと思います。
今お示しいたしました民主制のイメージの四類型の中におきまして、シュミットの立場は、現在の民主制において維持することはなかなか困難であります。果たして、それがシュミットの論理必然かどうかはともかくといたしまして、シュミット自身の著作の中には、民主制は、本来、社会秩序の全構成員によって一体的に支持されるべきものであって、社会秩序構成員の多様性は価値がないどころか有害ですらある、そのように読み得るような記述がございます。しかしながら、全員一致を理想とする民主制理解は、今日において、国民の一〇〇%の支持があったという最近どこかの国で行われました大統領選挙のように、民主制のパロディーとしてしか存在し得ないでありましょう。
そうしますと、残り三つのイメージではということになりますが、その中でどの立場をとるかは、今後の民主制、憲法を考えていく上で極めて重要な、基本的な秩序観であります。それは特に、社会の複雑化、断片化、グローバリゼーションの進展の前に、一者、例えば国家でありますとか国民などが実体的に存続していけるのかという深刻な問題に直結しているからであります。
しかしながら、本日、政党についてお話しさせていただくその際でありますが、政党の積極的秩序づけという課題につきましては、三つのうちのどの立場をとろうと、基本的に違いは生じません。なぜならば、いずれの立場も、社会秩序構成員の中に存在する多様性を尊重するだけはでなく、それに積極的な意義を与えていこうというものだからであります。
このような多様性を尊重する民主制のとらえ方は、立憲主義の古典的なテキストの中にも見出されます。例えば、アメリカ合衆国憲法の父の一人でありますジェームス・マディソンは、「フェデラリスト」におきまして、ファクション、派閥の存在を擁護する文脈で、もし人々がさまざまの異なった問題に対して彼らの理性を冷静かつ自由に使えば、彼らはそのうちの幾つかについて必ず異なった意見になるというふうに述べました。この主張を受けまして、二十世紀の偉大な政治哲学者ハンナ・アレントは、多様性を行為と自由の本質的メルクマールである、つまり、多様性を維持すること自体が政治的合理性の条件であるというふうにしました。
また、近年、ドイツにおきましても、マディソン、アレント流の考え方を継承しまして、政治は統一性、単一性、一様性の中で真理を目指すものではなくて、多様性を受け入れなくてはならない、そして、多様性を維持することこそが憲法創設の目的の一つとして公共体の秩序を構成しなければならないというような主張がなされております。
政党ないし政治組織は、まさにこの多様性に立脚し、それを表現しているのでありまして、民主制に合理性をもたらす不可欠な存在なのであります。
確かに、近年、政党に対する風当たりは強くなっておりますし、その批判に根拠もございます。しかしながら、政党が全体に対して部分を表象しているがゆえに有害無益である、このような感覚が社会の中に広がっていくことは大変危険でございます。部分が存在しなければ、そもそも別次元の全体は存在し得ないのであります。本来、部分を表象する政党に全体性を求めるならば、かえって全体が捏造されたり、全体を強制することになりましょう。政党ないし政治組織なくしては、民主制は合理的なものとして運用できないのであります。これは、政党について検討する際、民主制論の、そして憲法論の帰結として、まず第一に確認しておく必要がございましょう。
次に、社会科学的な省察のところに参りますが、このように政党の民主制に対する積極的意義が確認されたわけですが、しかしながら、政党が民主制において実際どのような役割を果たし得るかは、政党、また政党に立脚した民主制、政党民主制が置かれた歴史的、社会的条件によるわけであります。つまり、政党の検討は、憲法理論的になされるだけでは不十分なのでありまして、社会科学的、憲法では憲法科学的と申しますが、それによってもなされなくてはならないのであります。
政党の憲法科学的な分析に当たりましても、民主制との関係で論じることになりますが、その出発点といたしまして、民主制が社会科学的に把握されなくてはなりません。時間の関係もございまして、結論的なことだけ申しますと、私は、以下のように民主制を社会科学的にとらえております。
すなわち、それは、政治的コミュニケーションから成るシステムであって、そこにおいて、ある問題が政治の問題とされますと、それについて政治的コミュニケーションが展開され、それが最終的に多数、少数の選択肢にまで練り上げられる。このコミュニケーションに基づいて、社会の全構成員を拘束する将来変更可能な暫定的決定、すなわち多数決が下される。この決定に反対する構成員、すなわち少数派も、決定が将来変更可能であるがゆえに、また、政治的コミュニケーションが我々のコミュニケーションとしてなされ、そのコミュニケーションの中にみずからの意思を見出すことができたがゆえに、これは代表でありますが、それに服するのである。
こういうふうに、民主制は、争点化、選択肢の形成、提供、暫定的決定、決定の受容という、多段階から成る包括的なシステムとしてとらえることができると思います。
また、政党は、ここで示されました民主制の各段階において重要な役割を果たしております。しかも、政党は、政治リーダーの候補者のリクルート、育成、政策の策定、有権者への選択肢の提供など、民主制を可能にするための前提条件の形成に当たりましても決定的な役割を果たしております。
しかしながら、政党は、これらの役割を、その置かれた歴史的、社会的状況に応じて果たすのでありまして、たとえ歴史的、社会的条件にかかわらない普遍的な政党の機能につきまして仮に語り得るといたしましても、それは極めて抽象的にしか行えません。
そこで、議会内の多数派政党が政府を組織する、すなわち、政党民主制というものが確立して以降につきまして、政党民主制の展開の三段階モデルを提示させていただきまして、それに沿いまして、現在の、そして今後の具体的な政党のあり方について社会科学的な検討を加えさせていただきたいと思います。
その際、あらかじめ申し上げますが、このモデルは、あくまでも理解のためのいわゆる理念型にすぎないのでありまして、あるべき政党の発展などというものを示している、そんな大それたものではありませんし、また、このモデルは、政党の普遍的な発展法則などを示そうとするものではありません。むしろ、各社会における政党の置かれました状況の独自性、個別性を明らかにすることを目的としてモデルをつくっております。
そして、戦後日本におきましてさまざまな時期に行われました政党法制に関する議論、例えば、政党の近代化論、政治改革論などにおきまして、ドイツの政党法制が非常に強く意識されておりました。また、私自身がたまたま比較法の対象としてある程度責任を持ってお話しできるのがドイツ法である、そういった事情から、このモデルにおきましても、主に日本とドイツとの比較でお話しさせていただくということをお許しいただきたいと思います。
まず、モデルの説明でございますが、モデルの第一段階は、政党民主制が確立する時期であります。このできたての政党民主制のもとの政党は、議員政党でありまして、その党員は専ら地主や商工業者層、つまり富裕納税者層でありました。そして、この段階での社会的な状況はといいますと、いわゆる農民五割社会、第一次産業就労人口がようやく五〇%以下になる社会であります。ドイツでは大体一八七〇年代にこの段階を迎え、日本は一九二〇年代、まさに政党内閣ができる時期にこの段階に入ります。
次に、第二段階でありますが、組織された労働者政党とそれに対抗する組織された市民政党が対立、併存する時代、こういう時期に当たります。この段階の政党は、議員政党ではなく組織政党であります。そして、社会の状況はどうかといいますと、工業化が進展いたしまして、組織化された労働運動が高揚する。他方、経済団体や農民団体なども組織される。一般に、大組織の時代というふうに言っていいかもしれません。それは、農民四割社会、第一次産業就労人口が四〇%を切る時代であります。ドイツですと大体一八九〇年代以降、日本だと、まさに一九五五年前後はこの時期であります。
そして、第三段階でありますが、こういった組織政党の対立というあり方が揺らぎ始め、政党が試行錯誤をするようになる。社会の状況はと申しますと、脱工業化社会でありまして、第一次産業就労人口は一〇%程度、あるいはそれを切る状況。第二次産業就労人口も減少に転じまして、第三次産業就労人口が五〇%を超えます。そして、従来大きな影響力を持っておりました大組織、すなわち、政党もその一つでありますが、労働組合、経済団体、農民団体、伝統宗教の組織などが影響力を減らし始めます。
例えば、組合離れ、経団連の影響力の低下、日曜礼拝の出席者の減少などという事態が生じます。むしろ、利害は特殊個別利益単位で特殊利益団体が媒介すると言われます、ミクロコーポラティズムというものが発達します。同時に、従来の大組織とは違った形で、一つのテーマに特化した運動、市民運動などが勃興いたしまして、政治的な意味合いを増大させます。
また、この時代、さまざまな組織がグローバルな活動を開始いたしますが、政党もその例外ではございません。日本では多少その現象は出おくれておりますが、ヨーロッパなどを見ていただきますとおわかりのように、政党も国際的に活動をし始めます。大体一九七〇年代以降が、ドイツ、日本ともにこの時期に当たります。
このモデルによった場合、日本の政党が抱えます、他の社会における政党、例えばドイツの政党と同様の普遍的な課題、そして特殊日本的な状況というものが明らかになります。
まず、特殊日本的な状況でございます。日本の政党は、一九五〇年代半ば以降、私のモデル第二段階の客観的状況を迎えました。しかし、それにもかかわらず、ヨーロッパ、例えばドイツの政党のようには十分にいわゆる組織化というものができなかったわけです。
ここで、組織化について具体的なイメージがわきますように、十九世紀以降のドイツを例に説明させていただきたいと思います。
例えば、典型的な組織政党でありますドイツ社会民主党は、いわば一つの部分社会、国家内国家をつくっておりました。すなわち、その党員、支持者たちは、仕事場では労働組合に把握される。生活に関しては、協同組合を通じて共同購入をしたり、レクリエーション組織を通じて余暇を共有するといった活動を行います。また、読む新聞はと申しますと、労組や政党が発行する新聞でありますし、労組、政党は出版作業も行っております。本といいますと、労働者図書館というものもありまして、情報は共有されます。そして、婦人組織、青少年組織を通じまして、家族も把握される。さらには、労働者酒場といったようなものがありまして、仕事が終わった後一杯やって、労働者かたぎというようなものが形成される。
こういったことは、もちろんカトリック組織やカトリック政党といったものも行っていたわけです。このように、社会民主党やドイツの中央党に組織された人々は、同じ利害、世界観、価値観を持っていただけではなくて、同じ趣味、嗜好、感性を共有していたわけで、組織化というのはこのような徹底したものであったわけであります。
こういった状況につきまして、当時、先ほど言及いたしました政党民主制、議会主義の批判者カール・シュミットは次のように嘆きました。政党は人々を完全に把握し、揺りかごから棺おけまで、幼稚園からスポーツクラブを経てボーリング場、果ては墓場や火葬場まで付き添い、支持者に正しい世界観、国家形態、経済体制、人とのつき合い方まで教えようとする。その結果、国民の全生活は完全に政治化され、ドイツ国民の政治的一体性は分断されてしまった。彼の立場はともかく、政党の組織化についての描写は非常に興味深いものがあります。
ところで、日本の大政党、例えば自民党や当時の社会党におきまして、こういった形の組織化は全然進まなかったわけであります。社会党も自民党も、結党がそれぞれ左右社会党の統一、保守合同という形で行われたという事情もありまして、組織政党にはなかなかなりませんでした。社会党は議員政党にとどまりました。また、自民党におきましても、組織面ではむしろ派閥中心の党運営がなされ、資金集め、人材発掘等についても派閥中心で行われました。また、地方におきましても、党の地方組織というよりは議員の選挙区の後援会が大きな役割を果たしました。
つまり、組織化はいわば非公式機関による組織整備という形で行われたのでありまして、これらの非公式機関の公式機関に対する自立性、独立性は非常に強いものでありました。それは、結党の経緯など個別の事情にもよったわけですが、しかし、特に重要な原因は、民主制が組織政党を中心に運営されるという状況が既に一九七〇年ごろに揺らぎを見せ始めたために、ドイツなどと比較しますと、日本では政党の組織化に十分な時間がなかったということがあるわけであります。
このように、日本の政党は十分な組織化なしにモデル第三段階に突入したわけでありますが、しかし、そこではドイツの政党と同様の普遍的課題と向き合わなければなりませんでした。
それは、例えば公法学者の樋口陽一先生が適切に要約されておりますように、国民各層の政治的意見ないし傾向が政治過程に的確に伝達されていないという病理と、代表の実態が専ら利益代表と化すという病理とが重なり合いながら拡大しているという事態がありまして、それをどのように克服するかというのが重要な課題となったわけであります。つまり、政党は市民の政治的見解を十分反映しなくなったという批判がなされる一方で、政党は特定の個別的利害のみに定位しているという批判も同時に生じてきているのであります。
この事態は、モデルの第三段階になりまして、社会や個人の複雑化、断片化が急激に進行したことによって生じたと考えられます。ここで言う複雑化ということは比較的容易に了解されると思いますが、断片化ということにつきましては少し説明が必要かもしれません。
社会の断片化といいますのは、社会にはもはや多数者、少数者などというものはなくて、多くの少数者の固まりが併存しているにすぎないということであります。また、個人の断片化というのは、かつては、労働者なら労働者の、ホワイトカラーならホワイトカラーの共通の利害とか世界観とか嗜好といったものが存在しました。しかし、現在におきましては、同じホワイトカラーでありましても、その人が借家人なのか家持ちなのか、あるいは子供がいるのかいないのか、共働きなのかどうなのか、財産は主に不動産で持っているのか、貯金で持っているのか、預金で持っているのか、株式で持っているのかということで、利害が全く変わっている、そういうことを言っているわけであります。
このことを別の角度から表現しますと、そもそも確固たる個人というものは存在しにくくなった。ある個人は、仕事場では企業人であるが、同時に、地域では、子供の将来を心配してPTAに参加したり地域環境の保全に心を配る人であったり、自分の趣味のために趣味のサークルに熱心に参加する人であったりもするわけであります。
個人のこういったそれぞれの側面は互いに独立、併存しておりまして、場合によりましては互いを批判的にあるいは反省的に見るのであって、個人はこういった複層的な存在になっているわけであります。
このように、社会や個人が複雑化、断片化しますと、一方で、従来大きな力を持っておった大組織、労働組合、経済団体、農民団体、伝統宗教の組織などが人々を把握する力は弱まりますし、また、政治におきましても、政党が影響力を行使しにくくなってまいります。他方、数多くの小規模な組織、団体が出現し、社会において力を発揮し始め、政治におきましても、利害を小さな特殊利益単位で特殊利益団体が媒介するというミクロコーポラティズムが発展します。また、他方で、従来の組織とは違った、一つのテーマに特化した社会運動、市民運動が勃興します。
こういった状況下におきまして、政党が市民の政治的見解を従来のように十分に反映することは、なかなか至難のわざとなります。かつてでありますと、政党は、政党自身の組織、周辺組織、支持組織の力もありまして、政党をめぐる政治的コミュニケーションが社会における大部分の政治的コミュニケーションを包含することができました。そして、多くの人々が、政党の主張、交渉、妥協、決定といったコミュニケーションをみずからのコミュニケーションとみなし得たわけです。
しかしながら、政党の人々を把握する力が減少したことによりまして、社会全体の政治的コミュニケーションの中に占めます政党をめぐる政治的コミュニケーションの割合は、残念ながら相対的に減少します。また同時に、政党が特殊個別利害に定位することが相対的に多くなるという現象も生じます。それは、政党がかつてのように人々を把握する力を持たなくなった伝統的大組織に相変わらず依存し続けることによっても、また特殊利益団体が媒介するミクロコーポラティズムという新しい現象に不透明な形でからめ捕られることによりましても、起こり得るわけであります。
このような政党をめぐります二重の病理は、日本においてもドイツにおいても生じておりますが、そのあらわれ方はかなり違っているように思われます。
すなわち、ドイツにおきましては、第二段階で既に徹底的な組織化を一たん経験しておりました後、それが第三段階の状況に適合しなくなった結果、弊害や病理が出てまいりました。それを除去すべく、政党の過度の組織性や組織政党の圧倒的優位を緩和する方向で試行錯誤が進んでおるのですが、しかしながら、伝統的組織の壁は、後でお話ししますように、それを支える法制度の存在もございまして、なかなか厚いというのが現状であります。
これに対して、日本におきましては、第二段階において政党の組織化が進展しませんでしたが、第二段階、第三段階の初めにおきまして、大政党、例えば自民党では、それゆえに、むしろ包括性、柔軟性を持ち得たわけです。しかしながら、第三段階に進むに伴いまして、もちろん伝統的な組織との硬直的な関係もございますけれども、むしろ次第にミクロコーポラティズムにからめ捕られまして、包括性、柔軟性を若干失っていった、そういう面が強いように感じております。
多様性に立脚し、それを表現する政党が、多段階の政治的コミュニケーションから成り立つ民主制システムの各段階において重要な役割を果たし続け、また、民主制を可能にするため、前提条件の形成に貢献し続けるためには、個々の政党が、また政党システム全体としましてモデル第三段階の状況に適合していく必要がございます。それは具体的に何を意味するかにつきましては、現在進行中の事象でもありまして、正確に叙述することはできません。しかしながら、社会や個人の複雑化、断片化を処理することができるように、政党や政党システム自体も十分な複雑性と断片性を備えるように進化していく必要があるということは、基本的な方向性として指摘できることだろうというふうに思われます。
ところで、政党の進化について考える際、一九六〇年代、七〇年代の自民党というのは非常に興味深い研究対象でございまして、自民党は軟体動物に例えられるほど柔軟性を持っていたということに注目がなされる必要があります。そのあり方を、しかしながらそのままで未来の政党像とすることは非常にはばかられるわけでありまして、当の自民党の方も面映ゆいと思われるだろうと思います。
当時の自民党にあって、そして何が欠けていたのだろうか、その重要な要素は何だろうかということを考察してみるということは、将来の日本の政党像を考える際の重要な糸口になるのではないかというふうに考えます。そのことにつきましては、例えば公開性とか透明性というものが重要ではないかというようなことも、こういった自民党研究から出てくるかもしれないというふうに考えております。
次ですが、政党法制の意義であります。
政党は、そういったそれぞれの置かれた時代や状況の中で、具体的な形で課題を持っておりますが、それに法的に対応するのが政党法制でございます。したがいまして、各政党法制の意義は、政党の具体的な課題にどのように対処しようとしたか、それに対処してきたのかということによってはかられることとなります。
例えば、第二次世界大戦後のドイツの政党法制は次のような背景を持っておりました。すなわち、ドイツにおきましては、先ほど申したように、政党の組織化が徹底的な形で行われました。その結果、政党やその関連諸組織が全くの部分社会となることによりまして、競合する政党同士の対立、競争が、相手の排除を目指すほど先鋭化いたしました。つまり、多元的な社会における政治対立が、社会の多元的なあり方、民主制そのものを脅かすことになったわけであります。
結局、ドイツでは、こうしまして政党組織中心の政治過程から、民主制を破壊する独裁体制が生じたわけです。いわば、政党組織がその活動やあり方を通じて民主制の土台を掘り崩したわけであります。
これに対する反省を踏まえまして、政党法制が構築されました。すなわち、政党法制は民主制が政党民主制として存在することを正面から認めまして、政党民主制の土台が、政党が、通常、結社がするように、自由や民主制を有効に活用して、政治文化を育成することを通じて維持形成するということに期待するのではなくて、それをあらかじめ法によって義務づけと特権付与という形を通じまして、直接的、人為的につくり出そう、そういうふうにしたというわけであります。
その特徴的な点を述べますと、既に御承知とは存じますが、当時の西ドイツ憲法、現在でも妥当しておりますが、その二十一条一項では、政党に対して党内民主制を義務づけ、政党の資金の透明性を求める。二項では、自由で民主的な基本秩序の侵害、除去を目指す政党を、連邦憲法裁判所の違憲判決を通じて禁止する。三項は、立法者に政党に対する詳細な規律を授権しまして、政党法の制定を予定します。
この三項を受けまして、一九六七年に制定されました政党法では、政党の要件が厳格に定められ、党内民主制について、具体的、詳細な規定が置かれました。それと同時に、政党法は、有力政党に対しまして財政的な援助を行う政党助成制度を設けました。
党内民主制の義務を負うと同時に、政党助成の特権を与えられました政党、すなわち国民政党は、一九七〇年代までのドイツにおきまして、その社会の多様性を十分反映し、民主制の各段階におきまして重要な役割を果たし、民主制を可能にするための前提条件の形成にも十分に貢献することができました。ドイツ国内におきましても、確かに、強い政党法制に対する批判が絶えず存在しましたが、ドイツ政党法制は、一応、その具体的課題に対処できたと評価することができましょう。
これに対しまして、戦後日本の政党法制は、全く異なった課題を課せられていたわけであります。一九二〇年代に成立いたしました政党内閣は、経済政策等で失政を重ねるなど、民衆の支持を失い、その結果、軍部の圧力に抗し切れず、政党民主制が崩壊するということになります。つまり、日本の政党民主制も、ある種自滅の側面はあったわけです。
しかしながら、日本では、むしろ政党民主制が十分発達することができず、没落していったという面が強いように思われます。そもそも明治憲法下では、政党民主制の発展を阻害する要因が余りにも多くあったわけでありまして、むしろ、政党内閣は明治憲法にもかかわらず成立したというふうに評することができます。
したがいまして、日本は権威主義的な封建制の遺物が残存する社会で、より自由に、より民主的でなければならないという日本国憲法制定に当たっての起草者の課題設定は、少なくとも政党に関しましては、結果として適切であったように思われます。結社の自由という形で政党に完全な自由を与えようとする日本国憲法の規定は、時代の要請にかなっていたわけであります。結局、戦後日本における政党法制は、政党法という形ではなく、個々の領域についての法律によって規律される形になりました。
五五年体制が成立しまして、モデルの第二段階を迎えますと、多くの政党で党組織が未発達であるということで、党の近代化の必要性が唱えられます。その際、ドイツ流の政党法制の導入が主張されたわけでありますが、先ほど申しましたように、この時期の日本の政党の組織化は非常に不十分なものであった。したがって、政党に対する法的規律ということで、党組織を念頭に置いた法的規律を行いましても、それは客観的に困難である。つまり、ざる法になってしまうということで、無理だったという側面があったわけであります。
その後、ドイツ流の政党法制は、一九九〇年代の政治改革によりまして、一部導入されることになりました。改革の中身で、特に政党にとりまして重要なのは、政党の概念について、既成政党、現職国会議員に焦点を合わせた定義がなされたこと、また、選挙制度につきまして小選挙区比例代表並立制が採用されたこと、選挙への政党の関与が拡大されたこと、そして、政治資金につきまして政党助成制度が採用されたこと、こういったことが重要でありまして、これによって政党、特に既成大政党が、小政党や新政党、無所属候補者に比べて有利になったわけであります。
これらの点が現行憲法の原則と整合性がとれているのかということについては議論のあるところでありますが、ここでは触れません。
いずれにいたしましても、これらはかなりドイツモデルを意識した制度だと言うことができます。
ただ、ドイツモデルが、国民政党に対しまして特権を与えると同時に、党内民主制等について規制を加える、義務づけをしているのに対しまして、日本の新制度は、あくまでも既成政党に対して規制を加えずに特権だけを与えたということで、少し違いがあると思われます。しかしながら、政治改革において問題なのは、既成政党がドイツモデルを正しく導入することなく、いわばおいしいとこ取りをしてしまったということよりも、もっと根本的な問題があるように思えます。
すなわち、改革は、政党、政策本位の選挙制度を採用し、政権交代を可能にすることを目的としていたわけですが、しかしながら、改革全体の像、目的設定も含めてですけれども、それが正しかったかどうか、私自身は大いに疑問を感じております。
ただ、ここでは政党に関してだけ意見を述べさせていただきますが、政党本位ということに関して言いますと、その場合の政党は、ドイツモデルを参照した以上、当然、法の形からしまして組織政党が前提になるのですが、組織政党を前提とした制度改革は、私のモデルの第二段階というところでは可能だったかもしれませんが、一九九〇年代の日本は既に大組織の力が相対化する第三段階の状況だったわけでありまして、この時期の日本に対する処方せんとしてこの形を持ってきたというのは余り適切ではなかったのではないかというふうに基本的には考えております。
では、現在の日本の社会に適合的な政党法制はどのようでなくてはならないか、それを考えていく必要があるわけですが、その点で参考にできますのは、むしろ、現在ドイツで出されております政党制あるいは政党法制に対する批判あるいは改革の提言であります。それは、かつて時代適合的であった政党法制が、複雑化、断片化した社会、個人を前にしてかえって逆機能を生じているんだ、そういう認識から来ております。
したがいまして、これらの批判、改革の提言はもちろんドイツの文脈の中のものでありまして、それをそのまま日本に直輸入することはできません。しかしながら、その議論そのものは、ある種普遍的な先進国共通の現象に対応する側面もございますので、有益なヒントもあるかと思います。
ドイツの政党システムに、あるいは政党法制に対して投げかけられております最大の批判は、それがいわゆる要塞化してしまっているということであります。すなわち、既成政党が、現行政党法制によりまして、要塞のように守りを固めまして、新しい課題に即して、新しい人材を擁した、新しい政治の勢力が議会の中に入ってこれないようにブロックしている、こういうわけであります。
要塞化が起こりますと、議会内の政党分布が社会の中に存在する多様性を反映できなくなる、そして、民主制を可能にするための前提条件の維持も困難になる、民主制のシステムの各段階におけるコミュニケーションにも悪影響を及ぼすだろうというわけであります。
この批判に基づいてなされております提言で一番目につきますのは、政党助成というものを限定していこう、そういう議論であります。これは、最近、ドイツの連邦憲法裁判所がこの助成制度についてドラスチックな違憲判決を下しましたことによりまして、一部実現いたしました。
また、政党助成制度につきましては、興味深いことですが、市民ボーナスという制度が提起されております。
簡単に説明しますと、現行のドイツ法制におきましては、政党助成は得票に比例して各政党に資金が分配されますが、そうなりますと、どうしても既成政党が有利になる。そこで、各有権者一人頭に認められる助成額の行き先につきまして、各有権者が、議席に関する投票とは別に一票を持ちまして、投票することによってみずから決定しようというわけであります。
つまり、投票者は非常に複雑な存在でありまして、複雑性を持つ断片的な存在でもあるわけでありまして、現在私はこういう投票をするんだけれども、でも将来はこうだったらいいな、そういう複雑な思考をする存在です。こういう複層的な有権者の思考のあり方を、政治資金の助成の面で生かそうというわけであります。
そのほかに、五%の阻止条項でありますとか、厳密過ぎる政党概念に対しても批判がなされております。
こういった要塞化以外にも、既成政党、政党システムに対する批判はございます。その中には、政党内部からの批判もございまして、既にお話をいたしましたように、ドイツ政党法制では党内民主制が保護されておりますが、しかし、実態においては、重要な人事や政策形成においてはやはり党幹部の方が大きなイニシアチブをとられます。これは仕方がないことでありますが、しかし、これに対する党内民主化の強化、あるいは分権化の促進の主張が近年強くなっております。
民主化ということでは、例えば、党首の決定や重要な政策決定を全党員にゆだねるべきだということが、これは左右問わずに、あらゆる政党で言われるようになってきております。また、分権化ということでは、議会における議員の党議拘束を外すとか、そういった形で議員の党幹部からの自立性を高めようとする傾向が高くなっております。もっとも、こういったことは、ドイツ政党法制では党内民主制が一応保護されておりますので、専ら政党が独自に、みずからのイニシアチブで党内措置的にやっているということであります。
これらもヒントにしまして、社会や個人の複雑化、断片化した日本におきまして、一体、複雑性、柔軟性を持った組織が、政党の課題でありますとか政党の前提条件形成に貢献し続けるために、どのような政党法制を考えなくてはならないのかということでありますが、その際、強調しておかなければならないのは、法自体が理想的な政党や政党民主制をつくり出すことはできないという当たり前のことであります。
特に、今後の政党のあり方は、組織政党のように、その組織や行為について、あらゆる政党で共通性があるというものではなくて、政党ごとにさまざまであり得る。したがって、政党の組織や行為について事細かく規律して、政党はかくあるべしと無理やり持っていく法制というのはなかなか難しい。むしろ、法が主にできますことは、そういった政党が果たすべき役割を実行する際に存在します弊害を除去する、あるいは、その役割を果たすための前提条件をつくり出す、そういうことではないかと思います。
弊害の除去という点で注目されるのは、要するに、日本の政治システムにおきます、政党の皆さんが苦労されます人材発掘、育成に当たって、事実上あるいは法上存在する障害、これを除去するといったことが挙げられるかと思われます。また、前提条件ということでは、先ほど申し上げたことですが、政党の透明性、開放性を高めるといったことが考えられます。
今申しました法的措置につきまして、私自身は、現行憲法のもとでも法律改正によって十分可能だというふうに思っております。ただ、このことは、本委員会が現憲法の全面改正も含めて議論をしておられる以上、余り重要なことではないと思われます。必要な法制度の導入が憲法改正なしに可能であったとしても、憲法改正にはそれ自体意味がある、ないし、法律改正にはない意味があるんだ、そういう御主張もあり得るわけです。
そこで、以下では、政党法制につきまして、憲法を改正するということの持ち得る影響についてお話しすることといたしたいと思います。
まず、その前提としまして、政党法制という規範の本質的特徴を確認しておきたいと思います。
すなわち、政党法制は政治過程に関するルールでございまして、制定時点の政治過程において優位を占める政治勢力の多数に立脚して形成されるものであります。したがって、このルールには、他の政治過程に関するルールと同様、常に立法者の権力乱用の危険が存在します。
その具体的なあり方としましては、多数派政党が少数派政党に対して不利益を与えるというようなもの、あるいは、既成の議会内政党が共同で議会外政党、政治組織に不利益を与えるようなもの、政党のカルテル化というようなことが言われます。あるいは、お手盛りの政党助成を無限に拡大させるなどしまして、国民の政治不信を増大させ、政治一般に対して不利益を与えまして、市民の民主的政治過程への参加意欲を減少させ、結局、民主制自体を衰退させるといったようなものがございます。
したがいまして、こういった乱用を防止することは、政党法制の整備、運用にとって不可欠の要因であります。
政党法制の乱用防止ということで主たる役割を果たしますのは、憲法理論上、憲法解釈論上あるいは比較法上の知見に基づけば、専ら裁判所、違憲審査制であります。実際、ドイツの政党法制におきましても、連邦憲法裁判所が、国民政党による、ある種の自分たちに有利な法整備にストップをかける、そういうことをするだけではなく、たび重なる乱用事例に対しましては、こういうふうに法改正をしろという方向性を示すなどという形で、積極的な法発展を導いてきたという側面がございます。
憲法は、そもそも、本来、複雑な構成体でございまして、包括的に叙述できない側面を有しておりますが、しかしながら、第二次大戦後明白になりました傾向としまして、裁判規範性というものが非常に拡大してきたということがございます。
各国の憲法状況を把握する場合、条文の分析では、もはやほとんど何もなし得ない。したがいまして、そもそも、憲法改正を考える場合でも、当該改正が憲法訴訟にどのような影響を与えるかという観点を抜きにすることはできません。むしろ、主要立憲主義諸国において、ほとんどの憲法改正は、憲法訴訟の結果ないし憲法訴訟のおそれをきっかけにしておるということまで言うことが可能なのであります。ましてや、政党法制に関して憲法改正を考慮する場合、先ほど申しましたように、政党法制が構造的に立法者の乱用を生じさせやすいということにかんがみますと、その憲法訴訟に対する影響は、一層慎重に考慮する必要があると思います。
そう考えますと、私の考えとしましては、政党の民主的政治過程における重要性のゆえに、そこから余り直接的な法的帰結は生じないんだけれども、一応訓示的規定を置いておきましょうというような選択は決して賢明なものではないというふうに思います。
それは、通常の結社とは別に、憲法が特に政党に言及したということで、立法者に対して政党を優遇することについての裁量を与えたというような解釈を生みまして、結果としまして、政党法制に対する司法的コントロールを弱める可能性があるからであります。それは、今後の展開次第では、新しい政党が生まれ、あるいは、政党との質的相違を相対化させる可能性があるパブリックインタレストグループに対しましては、非常に既成政党を優遇しまして、ドイツでいうところの要塞化を促進するという働きを持つかもしれません。
その危険を避けようとしますと、少なくとも、通常の結社、パブリックインタレストグループ、政党、この三つのカテゴリーにつきまして、それぞれ詳細な規定を設けまして、しかも、パブリックインタレストグループと政党の間で、一定の事柄について平等な取り扱いをするというような憲法規定が必要となってまいりましょう。しかし、それは、憲法規定としては、かなり異例の長大なものになるはずであります。
複雑な構成体である憲法の見方の一つに、憲法は、社会の発展の中で短期的見込みで行われたものを長期的な展望から反省するためのメディアであるというとらえ方があります。この観点からしますと、未来に開かれたさまざまな可能性を縮減するような、このような詳細な憲法規定は、憲法規定としての本来の姿ではないということになります。簡潔な規定によって支えられた長期的な基本原則と、臨機応変に対応できる下位規定という組み合わせが、政治的、倫理的、社会的立場を超えまして、立憲主義のあるべき姿ということになりましょう。
以上の検討からいたしますと、政党に関します憲法規定の制定というのは、なかなかに困難な課題だということが明らかになったのではないかと思われます。
本日の意見陳述では、政党につきましての憲法理論、憲法科学的な分析を前提といたしまして、あるべき政党法制の方向性、そして、政党法制と憲法との関係について若干検討させていただきました。
最後に強調させていただきたいことは、憲法制定の議論が、科学的認識や価値評価だけではなくて、技術的知見に基づかなければならないということであります。立法や法適用には、不可避的に技術的側面が存在します。したがいまして、憲法制定に当たりましても、立法技術が応用されるべき時代や状況に合わせまして、それを十分に把握した上で、憲法規定相互間の技術的整合性も含めまして十分配慮し、それを行わなくてはならないのであります。
本委員会におきまして、そのような条件を満たしつつ、政党が社会の多様性に立脚し続けていけるような制度的枠組みにつきまして、有意義な議論を展開していただけることを心から期待しております。
どうもありがとうございました。(拍手)