高田篤の発言 (憲法調査会政治の基本機構のあり方に関する調査小委員会)

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○高田参考人 非常に興味深い御意見をいただきまして、ありがとうございました。
 まず最初のことですけれども、確かに日本の伝統というものに沿って政党を考えた場合どういうふうにというのはあるわけでございまして、何で日本で政党を議論するのに西洋の哲学で神学なんだという当然あれはあるんですが、実はその話は、若干私の図式の中には潜ませてございまして、例の第四類型のポストモダンというあれなんですけれども、これは日本では比較的すっと受け入れられるところが多いんですね。これは右左関係なしに。
 これは、ヨーロッパに行きますとなかなかこれを受け入れることは難しいわけですけれども、これがすっと入ってくるのは、やはりそういったある種の日本の物の考え方、宗教的なものを含めての背景というものがある、そういうのがあるから入ってくるんだという。
 ただ、御指摘いただきました和をもってとうとしとなすというのはなかなか政党を考える際の難解な問題でございまして、政党というものは、単に併存していて仲よくしているだけでは困る、それはちゃんと違いをあらわすだけではなくて、活発に一つの違いを明確化すると同時に、建設的にフェアプレーで対話していかなきゃいけないというわけで、それがある部分、和をもってとうとしとなすというのがそこを妨げる、そういうふうに伝統が働きますとこれは非常にマイナスになる。
 しかし、他方、ある部分私なんぞも、こういういわば近代国家が成立する以前においては、宗教弾圧がなかったような、そういったさまざまなものが併存し得るという秩序観念そのものは日本のすばらしいところだというふうに思っておりますので、どのようにそれを考えていけばいいのかというのは大変頭を悩ませているところであります。大変興味深く拝聴いたしました。
 そして、暴力等による民主制の除去、極端な政党によります民主制そのものを駆除してしまう、そういうあり方に対する反応として、例えば、ドイツあたりでは政党法制が出てくる。端的に違憲の政党という制度を設けたりしたわけでございますけれども、これは、実はかつてほど、つまり東西冷戦下ほど激しくはないわけです。今でも、潜在的にはこの問題は存在するわけでございます。
 実際、一九九〇年代、むしろヨーロッパにおきましては、新しく台頭しました極右の民族主義政党に対してどう対応するかということで、久方ぶりにドイツの政党法制というものが動き始めるということにもなっております。ただ、これは非常に難解でございまして、確かに民主制自身を守るための制度なのですけれども、これはある部分政党を禁じてしまうという劇薬であるがために、かえって患者そのものを殺しかねない。どういうふうにこれを調合するのかというのは、昔からその論者は非常に悩んできたところであります。
 例えば、先ほど申し上げましたケルゼンなどは、自分は、そういったもので政党の禁止などということは絶対支持ができない、それはあくまでも通常の刑法的なもので実際の暴力行為に対して対応すべきであるというふうに主張していた。もちろん、当時のワイマール時代の治安の状況から見て、それはリアリスティックな話ではなかったのですからそういう立場もありますし、しかし、ある種の強い劇薬というものも必要ではないかという立場もある。
 その辺は、だからその社会、社会の具体的なあり方の中で、それは先ほど申し上げた治安の状況等も勘案しながら具体的に見ていく必要があるのではないかなというふうに考えております。とりあえず以上であります。

発言情報

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発言者: 高田篤

speaker_id: 24648

日付: 2002-11-14

院: 衆議院

会議名: 憲法調査会政治の基本機構のあり方に関する調査小委員会