2002-11-14
衆議院
高田篤
憲法調査会政治の基本機構のあり方に関する調査小委員会
高田篤の発言 (憲法調査会政治の基本機構のあり方に関する調査小委員会)
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○高田参考人 ありがとうございました。
時間もございませんので、端的にお答えをしたいと思います。
政党が、ある種の多様性に立脚しつつ、社会からそのエネルギーをもらわなけりゃならない。しかし、それが、ハードル低く無制限に入ってくるということにおいて、継続性とかいうことにつながるような、政治システムの安定性とか信頼性とどう結合させるのか。
これは、やはり両方とも必要な側面だろうと思うわけですが、それは具体的にどこでバランスをとるのかというのは、先ほども報告の中で強調させていただきましたように、具体的な状況の中でそのバランスがとられていくのだろうというふうに思っています。
ですから、そういう閾値が下がり過ぎていて、どんどん入ってくるというところになると、むしろどういうふうにそのハードルを上げようかというような議論になってくるんでしょう。それは、うまく入ってこれない、例えば、政治家になりたいと思う人がたくさんいる時代はそれは困るわけですけれども、少ない時代は、どうしてリクルートしようかとか、投票率が、まあ投票率一〇〇%といったらむしろ冗談みたいな話ですけれども、高過ぎるというのは非常に逆に困るわけですけれども、低いときはどうやって人々を集めてこようかという、そういう話になるわけですから、具体的な状況の中でそれはあんばいをするということで、私が今回、その多様性、これは理論的なものですけれども、ある種要件をというのは、これは日本の現状に対する私なりの判断であるというふうに思っていただければというふうに考えます。
第二点の、第三段階の選挙制度、特に衆議院についてどのようなものが理想的かということですけれども、理想の選挙制度というのはなくて、その時代その時代に置かれている状況の中で、どれを組み合わせてよりましにしていくかということしか僕はないと思っています。
その点、両極端、つまり、全くの小選挙区制を全部導入してしまうということ、あるいは全くの全国一律の比例代表制を入れてしまうということは、私はどちらも反対でございます。
小選挙区制から申しますと、さまざまございますが、例えば、小選挙区制になると二大政党になって政策本位になり、しかも首相を選べるじゃないかという議論がありますけれども、その保証はまずそもそもないということと、あと、傾向といたしまして、やはり政策が近似化する。近似化すると、選挙の専らの争いは人であって、政策本位にならないということで、これはむしろ心配だと思います。
日本の状況からいいますと、仮に、例えば定数を四百にしますと選挙区が小さくなりますので、今以上に選挙区に密着した選挙になる。とすると、ますます党内民主化が進みまして、選挙区単位で候補者が選ばれたりなんかしますと、ますます地元の利害を反映しなくてはならないというようなことになりまして、これは非常に一方では困るなと。
他方、全国一律で比例代表制、これも理想的におっしゃる方もおられるのですけれども、随分遠いし、やはり国民と政党の間接性というのが余りに強過ぎるだろう。仮に、今回のように、国民が順位に対して影響を及ぼすことができたとしましても、くくりが大きいと、どうしても全国的に大きな組織を持っていらっしゃる候補者であるとか、全国的にマスメディアで有名な方になってしまうということで、必ずしもこれは適切ではないだろう。
その中で、どういうふうにあんばいをとるのだということでありますが、現在、私自身のイメージからしますと、少し小選挙区が小さ過ぎるのではないか、もっと大きくあっていただいた方がいいのではないかというようなことを、これは定数削減によって実現していただくか、割合の変化によって実現していただくかはありますけれども、それは一番気になっているところでございます。
人材発掘につきましては、委員御指摘のとおりでございまして、ほかに、例えば公務員の政治活動に関する、幹部職員なんかは困りますけれども、特に若い職員なんかはもっと積極的に行動してくれてもいいじゃないかということも含めて、議員がおっしゃった方向で考えております。
第四番目の、ドイツは改正四十六回、日本はゼロ回、これをどう考えるかということですけれども、四十六回ということは、これは現象なのですけれども、その背景に一つの大きな構造的な違いがあるということを考える必要があると思います。
これは憲法訴訟の問題で、きょう申し上げたのですけれども、つまり、ドイツにおきましてはどんどんどんどん憲法裁判所が積極的に行動しまして、違憲判決を出してくるわけですね。そうすると、憲法変えなきゃしようがないという事態になるわけです。
ことしのアクチュアルでいいますと、裁判官の給料を下げる、ドイツだったら多分憲法訴訟になって、違憲判決が出ると思います。だから、これは憲法を変える、つまりただし書きをつけなきゃいけない。
最近の例でいいますと、例えば、ドイツと日本で正反対だったのが、いわゆる括弧つきですが、盗聴法と言われるものでして、これはドイツだと、ほっとけば違憲判決が出るから憲法改正しましょうと。日本は法律改正でいいわけです。ですから、四十六回のほとんどは、基本的にこれは要らないんですね。
ただ、おっしゃるとおり、大きな違いがあります。それは再軍備を憲法改正でやった。これは連邦憲法裁判所が、要するに、日本で言うと、成熟していない訴訟だからというふうにはねたんです。まだ条約が結ばれているので判断しないと言ったんですけれども、場合によってはこれは違憲にするぞという態度を示したので、アデナウアーが仰天しまして、アデナウアーというのは憲法をつくったときの議長ですから、自分はそんなつもりで憲法をつくったんじゃないというふうに怒ったわけです。それで必死になりまして、三分の二の多数をとって、憲法を改正した。このときと、大連立のときの非常事態法制、これは違います。
あと、ドイツ固有の状況としまして、ドイツ統一という事情がありまして、これはでも、最小限におさまりましたので、これを大改正というかどうかは別としまして、事象的にいうとこの三つぐらいは違うんですが、そこの違いはドイツと日本の違いとして分析すべきだと思いますけれども、あとは、基本的にはやはり憲法訴訟のあり方の違いが大きいんじゃないかなというふうに思っております。
以上でございます。