戸波江二の発言 (憲法調査会)

⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。 詳細は利用規約をご確認ください。

○参考人(戸波江二君) 御紹介にあずかりました戸波と申します。
 経済的自由、レジュメに沿いまして簡単に意見を述べさせていただきます。
 経済的自由、社会権に関する憲法学説というのは、基本的に学者の数が少ない、それから業績の数もそれほど多くない、憲法学説が余り中心的に取り上げてきたテーマではございません。この理由につきましては、またその当否につきましてはまた後ほど触れます。
 それから、本日のテーマとしましては、経済的自由ということですが、社会権、特に私の場合には生存権の規定についても含めさせていただきたいと思います。これは、経済的自由、経済活動が国民の社会生活に広く関係しているという面でも、それから経済的自由に関する日本国憲法の態度は社会権の保障と密接に関係しておりますので、併せて議論をするということでございます。
 それから、経済的自由の問題そのものは、申しましたように、憲法学説、大きな問題となっていないということもありますので、経済的自由を論ずる前に、私の日本国憲法に対する基本認識みたいなものを五、六分お話しさせていただきたいと思います。これは、経済的自由についてどう考えるのかという点と密接に関連しているということと、それから憲法に対する基本認識ということは憲法学者様々ですので、私の立場を述べた方がこれからの質疑の実質化に役に立つということでございます。
 それで、日本国憲法に対する基本認識、1のところで、日本国憲法につきましては、私は近代憲法の流れの本流に位置するしっかりした構造に基づく憲法である、普遍的価値を保障した憲法典であるというふうに考えております。
 欧米諸国の憲法と日本国憲法は基本的に同じ原理に立脚しておりまして、普遍的な価値原理に基づくということであり、自由、民主、平和の原理というのは、既に国際的な水準にもなっている普遍的な原理でございます。
 ただ、特殊性の問題としての憲法九条の議論がありまして、これをめぐっては、学界でもあるいは政治の世界でもあるいは戦後の憲法政治の過程でも大きな対立を引き起こしてきましたが、差し当たりの対立は九条の二項の戦力の保持というところでありまして、基本的な平和主義という観点からすれば、ほかの国の憲法でも規定されており、第二次世界大戦の反省に立った徹底した平和主義に立っている日本国憲法の下ではそれが維持されると。
 それともう一つ強調したいのは、余り九条の問題ばかりで日本国憲法の是非を議論すべきではないというのは、これは私の考えでありまして、憲法は人権を保障する、それから国の基本構造を定めるという重要な法で、九条だけではなく、ほかの基本原理がたくさんあるというところで、その点を見なくちゃいけないということです。
 憲法改正には基本的に反対の立場に立って、憲法擁護の立場に立つと書きました。日本国憲法の基本価値、自由、民主、平和というのは国際的に普遍化しつつあって、そこへ例を書きましたが、ODA四原則というのが一九九一年のときにできましたが、人権保障だとか民主的な体制になっていない国、独裁だとか軍事が通用している国については援助をしないというルールができているところに見られるように、自由だとか民主主義だとかという日本国憲法の挙げている理念というのはもはや、今や世界的な国際水準になっているということであります。
 そう考えますと、日本国憲法を改正するかというときには、基本的に改正の必要はないんじゃないかという立場に私は立ちますし、ちょっと後で述べますように、憲法改正問題が、それ自体が政治問題化しているという日本の状況というのが実は非常に大きな問題になっているわけで、むしろその根本的な対立のところを除去してから憲法の改正や何かに進むというのが先ではないかというふうに考えます。ただし、余りごちごちの護憲論というわけでもありませんで、憲法改正はあってもよいというふうに考えており、例えば環境権、知る権利、プライバシーの権利を入れると、あるいは憲法裁判所を設置する、国民投票制の導入を考えるということは考えられるのではないかというふうに考えております。
 ただ、その前提としてやはり重要なのがレジュメの(3)に挙げたところでありまして、憲法改正論の側でも、なぜ憲法を改正するのか、なぜ変えるのかと、どこを変えるのかという議論というのが必ずしも九条を除いては煮詰まっていないのではないか。特に、やはり改正をするに当たって、日本国憲法が今まで戦後五十年の歴史の中で果たしてきた積極的な役割あるいはプラスの役割、それをもう少し改憲論の側でもきちんと認識するという作業が必要ではないか。
 「憲法への基本的コンセンサスの意識のないところでは、憲法改正は難しい。」と書きましたが、これは、例えばドイツの場合ですと六十回ももう戦後憲法改正しているわけですが、それは日本と違いましてドイツ連邦共和国基本法という憲法に対する基本的な信頼があるから、それで政権交代があっても、その信頼の下に憲法自体に対する信頼は変わらないと。その下で憲法の部分的なところを改正していく、だから六十回にも及ぶということでありまして、憲法の基本的なところに対立があると、それこそ改正が政治問題化して改正かどうかというのが難しくなるということです。日本の場合も憲法価値の承認、日本国憲法の積極的にというのを先ほど申しました。
 それから、護憲、改憲をめぐるねじれの問題という、これも実は今日の話と、テーマと関係しますからちょっと申しますが、日本国憲法は、特に経済に関しては自由、経済的自由を保障し、基本的に自由主義、自由市場経済を取っていると。いわゆる西欧型の資本主義型の憲法、立憲主義型の憲法であり、資本主義の憲法であるわけです。
 そのような憲法が戦後一貫して政府・自民党に支持されなかったという、支持されなかった、支持されなかったというのはちょっと訂正します、ちょっと強過ぎます、冷淡な目で見られていたというのは、実はねじれがあるのではないかと。護憲を唱えた政党だとか主義というのはどっちかというと社会主義、当時の東西冷戦の下での社会主義にシンパシーを持っているグループが護憲を唱えたと。
 これは、実は日本国憲法をよく見てみますと、九条をちょっと除きますと、基本的には日本国憲法というのはむしろ西欧、普通の、アメリカ、ドイツ、フランスというところの立憲的な憲法であると。そこのところがなぜねじれたのかというのが正に憲法学の一つの問題であります。
 それと同時に、実は戦後の憲法政治の過程で、政治を批判する勢力、政府の政治を批判する勢力が憲法を言わば抵抗のシンボルとして持ち出したところがあるんです、憲法を守れと。憲法は守らなくちゃいけないですし、憲法は守られてこそ立憲的な政治になるわけですけれども、時として、憲法を守れというのが時の政治に対する政治的な批判の道具となったという面はないか。つまり、憲法が言わば対立のシンボルになって、護憲か改憲かというのが正に対立になったんですよね。
 さっきから申しますように、憲法はやはり日本の政治の一番の基礎にあるもので、私は、日本国憲法の価値、ひいては日本国憲法の中に内在している世界に共通する普遍的価値が既にもう政治の基本となっているというふうに見るべきだと思いますので、むしろそれを確立するということが先ではないかというふうに考えます。
 それで、本題といいますか、経済についての議論に入りますけれども、結局、経済の部分というのは、日本国憲法の中で価値が共有されているところといいますか、一番対立がないところなんですよね。対立がないと申しますのは、実は憲法の構造にありまして、レジュメの2の(1)のところで「経済的自由に関する憲法の規定」と書きましたように、職業の自由、財産権の保障というのはこれはいわゆる経済的自由の規定ですが、それに併せて社会権の規定が二十五条から二十八条まで入っております。
 社会権の保障というのは、御承知のように、憲法二十五条の生存権と、それから二十六条の教育と、二十七、二十八の労働というところが社会権、社会保障と教育と労働というところが社会権として盛り込まれております。この社会権の規定が入っている憲法というのは、ヨーロッパ、西欧の憲法では比較的少ない。特にドイツなどはわざわざこれは入れないという形で議論をしていたところですので、日本国憲法はこの社会権の規定を入れているというところがとても画期的なところで、憲法学では、十九世紀的な自由主義の、国家からの自由を中心とする自由主義の国家体制、国の政治体制から二十世紀の福祉国家への体制へと移り、その福祉国家については二種類あるんです。
 ちょっとレジュメの2の(2)の上に「国の役割としての国家関与」と書きました。現代国家は、十九世紀、自由主義国家のように経済活動に何もしない、レッセフェールだというんじゃなくて、経済に関与して法律や何かで規制を行う、それが現代の国家に課せられている、経済活動に対して国がそれを法律でもって規制するということが大幅に認められている国家であります。それと同時に、社会的、経済的弱者のための福祉を実現する国家ということですから、国家観としては、現代国家というのは、十九世紀の国家と違ってむしろ国民の福祉だとか生活に面倒を見る国家だということが憲法上明らかにされております。
 そのような日本国憲法を見ますと、正に憲法典が、現代国家として国が国民の面倒を見るという形で憲法が行われ、ちょっと話が、ちょっとレジュメでははっきり書かなかったかもしれませんけれども、3の(1)でちょっと書いたんですけれども、結果的に、日本の戦後の政治を見ますと、経済や社会生活の部分では、いろいろと細かな点では経済政策についての対立があり、あるいは社会福祉政策についての失敗などもないわけじゃないですけれども、全体として見ますと、国民の経済だとか社会に対して国が、立法なり行政なりがいろいろな形でもって配慮して、それなりにというとまた言葉が悪いですけれども、相応の成果を上げてきたのではないかと。
 そのような経済社会についての活動をしてきた国会や内閣が、憲法を実現するのだという意識を持っていたかどうかは別なんですよね。私の見るところでは、結果的に憲法価値が経済社会分野では広く実現してきたというふうに私は理解しております。
 実際に、現在、ちょっとレジュメに戻りますと2の(2)の「戦後の憲法政治の下での経済の展開」の後半のところで書きましたように、戦後の経済とか福祉の状況を見ますと、社会保障にしても経済にしても、いろいろ紆余曲折ありますけれども伸びてきた。九〇年代へ入りまして、新自由主義の規制緩和の問題、スリムな国家を目指すという政策が入ってくる。他方、バブルの崩壊から、金融、行政の不祥事、長期不況、財政赤字というような大きな問題が出てきて、それを克服すべく国会の方で努力していただきたいということですけれども、憲法につきましては、(3)の最初に述べましたように、基本的に社会経済政策は国会や政府の任務である。
 憲法は、社会福祉について一生懸命やりなさいということが憲法二十五条二項に書いてあり、先ほどから申しましたように、国会、内閣は、これまでの政治は福祉について力を注いできたというふうに私は認識しておりまして、そう見ますと、憲法典は経済社会の分野については、いわゆる立法裁量といいますか、国会の政策的な判断に大幅にゆだねている。その結果どうなりますかというと、国の経済政策だとか社会政策について憲法違反だという判断というのがなかなか出にくいということであり、実際に裁判所も違憲審査権を行使してこの経済社会分野について違憲だと判断を控えるという基本的な消極的な態度を取ってきております。
 ただ、判例で見ますと、数少ない違憲判決のうちの三件、最近出た郵便法の補償の制限も、損害賠償の制限の違憲判決も含めると三件、財産権の分野でもって違憲判決が出ている。これはどう分析するのかというのは面白い問題なんですけれども、差し当たり今日はその問題については触れません。
 それから、2の(2)の最初のところで書きましたように、東西対立のときの時代の議論は若干あったんですね。財産権について、特に憲法改正を経ないで社会主義に移行できるかどうかというような問題が学説では基本問題として議論されたことがありました。しかし、それは九〇年に東西対立がなくなった後、学説でも余り関心を持たれない。
 そうしますと、現在は基本的な枠組みとして社会経済、福祉について国会が憲法の理念を実現するように政策を展開してほしいと。裁判所は極端な場合にそれについて違憲判断をするけれども、基本的には政策問題は見守るという形であり、問題は、それじゃそのような憲法の規定に沿って現実が進んできたかどうかということにつきましては、基本的に日本は順調に経済成長を続け、経済の分野でも雇用の分野でも順調だったんですけれども、一九九〇年代に入ってから以降のやっぱり状況にどう対処してどうそれを克服していくのかということが今問われているわけです。ただ、憲法の視点からはその点が答えが出てこない。むしろ、やっぱり政治の問題として解決していただきたいということであります。
 ただ、その際に、幾つか憲法から言えることと申しますと、2の(4)に書きましたように、新自由主義の経済政策、これについてはいろいろ批判もありますが、ただアメリカの規制緩和論やなんかもありますので、経済の自由化、スリム化あるいは民営化という観点というのは不可避かと思いますが、ただ福祉の問題というのはやはり基本問題としてありますので、これは新自由主義の下で福祉の切り捨てというふうに直ちに結び付くべきではないということは、これは憲法上の要請として一つある。
 それから、社会保障の財政的基盤、これも大問題でありますが、最終的には社会保障政策の各論の問題で難問がありますが、何とかやはり国民の安定した健康だとか年金だとかというところを確保するということで、福祉についてもきめ細かな福祉政策を期待する。
 それから、憲法の規定を踏まえた社会経済政策、国民の社会経済生活の援助ということは、先ほど申し上げたとおりでございます。
 それから、福祉以外の社会権の分野、教育、労働、環境というところも、環境は条文にありませんけれども、やはり重要な問題ということでもって社会問題として挙げましたけれども、やはりこれらのものについても積極的に充実させるべきだということであります。
 結論に入りまして、3の(1)で、そのように憲法規定と戦後の現実の政治過程を見ますと、結果として憲法規定に沿ったといいますか、結果として憲法の予定するような形で経済社会政策が運営されてきたのではないかと。言わば、政治が意図しない形で実際は憲法に基づく経済社会生活の実現というのはなされたのではないかと。
 ただ、これからはやはり、今の改革をどう克服するのかというところで、行政・財政改革、公務員改革というものが目指されている。そこを考えるときの前提として、やはり国民の福祉だとか人権だとか経済生活の安定だとかということが密接に関係するので、人権問題がそういうところに、是非人権問題に配慮しながらお考えいただきたいということです。
 今後の展望との関係で幾つか書いて、幾つか言いたいんですけれども。
 結論的に言いますと、経済的自由、経済社会と人権というところでは、細かく見ますといろいろ問題がありますが、日本国憲法が、経済規制を前提とし、経済の放らつな自由を認めていないということ、それから福祉を取り立てて、国に対していろいろ国民生活の面倒を見るということを期待しているということ。それに対して、今までの政治は曲がりなりにもそれに対応した形でもってそれを実現してきたことといいますから、私は、この経済政策の分野というのが、正に日本国憲法の価値の共有が可能なところといいますか、一番の土台で、それは、国民の福祉だとか生活だとかを安定させるという観点からの人権の価値、経済的自由の人権としての価値から見た安定ないしは共通の土台ということでございます。
 時間が来ましたので。
 どうも御清聴ありがとうございました。(拍手)

発言情報

speech_id: 115514184X00320021113_002

発言者: 戸波江二

speaker_id: 12253

日付: 2002-11-13

院: 参議院

会議名: 憲法調査会