戸波江二の発言 (憲法調査会)
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○参考人(戸波江二君) 先ほど申しましたように、社会権は十九世紀の自由主義経済のもたらした社会問題、貧富の差だとか富の偏在だとか、いろいろそういう社会問題が出てきて、それを克服するために社会権の考え方が出てきた。第二世代の人権というふうに言われていますけれども、その元では、国家が何もしない、市民社会の自由に任せるんだというだけではやはり社会の中の矛盾が解決できないという思想があり、やっぱり社会的、経済的弱者を保護すると。そうしないと社会が安定しないという観点から出てきた規定ですから、その意味では、十九世紀の何もしない国家、国家を悪として、国家の権力をなるべく抑えるという国家からの自由を中心とする自由主義的な憲法観とある意味では矛盾する面があって、やはり国家が積極的に国民の福祉の面倒を見ろということですから、構造的には矛盾する要素は含んでいるというふうに思います。
ちなみに、レジュメの下から三行目の国の人権保護義務という考え方が実はドイツで出てきていまして、基本権を国家が保護していくんだと。特に、環境問題のように住民の健康のために企業活動を規制するというような形の保護義務論というのがドイツでは有力なんですよね。
私は、これは社会権にもつながる考え方で、国によって人権が保障されるという考え方を、この保護義務のように、ドイツのように、保護義務のように人権一般に広めてよいかどうかというところは、実は今の憲法学説ではかなり議論がありまして、昨日こちらでも議論があった人権擁護法案のところでもこの保護義務論的な考え方が出てくるんですが、それに対して、やはり憲法学説を始めとして、経済活動は国の関与があっていいだろうけれども、精神的自由については、やはり国が自由を守るという考え方というのは危険ではないかという考えが憲法学説では有力であります。私は、個人的には保護義務論、場合によっては取ってもいいんじゃないかというふうには考えていますけれども、私の説は少数説です。ごめんなさい、ちょっと余計なことを言いました。