戸波江二の発言 (憲法調査会)
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○参考人(戸波江二君) 一九八〇年代までの経済政策というのはやはり保護政策でして、いろんな形でもって業者を保護する立法というのができてきています。しかし、反面、業者保護立法というのは他方で消費者の視点が抜け落ちてしまうということだとか、それから八〇年代の後半からアメリカの方から規制緩和論が出てきて、日本の流通がおかしい、おかしいじゃない、行政が口出しし過ぎているんじゃないかというような議論があって、その規制を撤廃しております。例えば、百貨店法だとかスーパー規制だとかというような大型店舗の規制については、どんどん今法律が廃止されている、廃止されたというのが実情であります。
そういう流れの中でやっぱり自由主義の流れが出てきたんですが、それがいいかどうかの問題というのは、憲法学者としますと、一つは、政策問題だということもありますし、一つは、もうさっきから申していますように、憲法自体はやはり国民の生活を安定させる、それから福祉を増進させるために国の関与を認めるという構造になっていますから、直ちに新自由主義的な規制緩和論がいいかというと、そうも言えないんじゃないかという気は私は個人的にはしております。
ただ、政策問題ですから、その規制緩和をしなくちゃいけないという点と、それからもう一つの日本の経済政策上の特徴というのは、これは御承知のように、例の、レジュメにも書きましたように、護送船団方式と言われるような、国が日本の経済全体を、国といいますか行政が日本の経済全体を守って、対外的な貿易等々の圧力から経済を守るという保護的な姿勢を取ってきたわけですね。
それがアメリカの一つの批判の的で、しかも九〇年代にいろんな形で行政の失態があり、そのような中から規制緩和論が出てきたとすると、日本の経済の問題は、国の関与がいけないということよりも、日本の行政のやり方に幾つか反省すべき点があったんじゃないかという点がありますので、そうしますと、経済政策についても憲法上は一定の関与を認めるという仕組みになっても、実際の日本の行政主導の保護的な、しかもそれが縦割り行政という形でもって、通産省だとかいろんなところでもって、いろんな形でもって保護されているような経済保護の在り方が、国家関与、憲法の言っている国家関与と同じ意味なのかどうなのかということが問われる。そう考えますと、新自由主義的な規制緩和論にも十分根拠はあるということになるかと思います。