赤松正雄の発言 (憲法調査会)

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○赤松(正)委員 公明党の赤松正雄でございます。
 今回の事態を迎えるに当たりまして、去る一月三十日の当調査会におきます私の発言を振り返らざるを得ません。あのときに、冒頭私は、イギリスのゴマソール大使と公明党の懇談の場における状況を紹介いたしました。要約すれば、軍事行動も辞さずという強硬な姿勢こそがイラクの軟化を生むとの認識は共有する、ただ、イギリスはむしろアメリカの行動に歯どめをかけてもらいたいとの思いを伝えたというものでありました。その後の展開は、期せずしてその思いが通じるのではないかとの期待すら抱かせる風のものであったことは、周知のとおりであります。
 アメリカの最大の同盟国である同国の中にも、また我が国だけでなく、そしてアメリカの中においてさえ、強い反対の世論があるにもかかわらず、今日の事態になった。まことに残念であり、遺憾であり、痛恨のきわみであると言うほかありません。しかし、事態を冷静に考えれば事はそう簡単ではないということも、また当然ながら事実であります。アメリカのブッシュ政権の決断を支持できないとして片づけられるほど、事は単純ではないと思います。
 あの湾岸戦争からのこの十二年間におけるイラクのサダム・フセインがとってきた行動は、明らかに、国際社会に背を向けるどころか、その願いをあざ笑うかのごとき悪らつなものであったということは、ここで改めて振り返ることもないと思われます。だからこそ、あの昨年の国連決議一四四一へと世界の思いは結実したと言えましょう。
 もちろん、でき得べくんば武力行使を公然と容認する新たな決議が欲しかったというのは言わずもがなのことであります。もっとも、それはだめ押しとでもいうものではないでしょうか。それがないからといってアメリカの行動を全否定できるか、私にはできません。不条理に満ちあふれたこの地上にあって、国際社会における決定的なトラブル解決を国連に託そうと人類は求めました。
 かつて、イデオロギーがばっこした冷戦期は、米ソ両大国による支配が優先し、しばしば国連の調停機能は麻痺したというか、後衛に、後ろに退かざるを得ませんでした。そして、冷戦後の時代を迎え、国境を越え、いつ何どき、どこのだれが襲われるかもしれないという国際無差別テロが常態となってしまいました。
 このテロというものを、私たちというか、いや、私自身いささか見くびっているのかもしれません。国際社会がこれにどう立ち向かうか。英知の結集が待望されているのに、なかなか答えが出てこないというのが現状ではないかと思われます。十二年間に十七もの国連決議がありながら、一向にみずからの挙証責任を果たそうとしないイラクによって、大量破壊兵器がテロリストの手に渡る公算が極めて高いという現実に脅威を抱くアメリカを、だれが大げさだと言えるでしょうか。あの九・一一以降、アメリカは変わったということの重みをまだまだ私たちはわかっていないというふうに思われます。
 昨日、埼玉の大宮にある陸上自衛隊の化学学校に衆議院安全保障委員会の一員として視察に行ってまいりました。国連の化学兵器禁止機関、OPCWに初代査察局長として派遣されたことのある秋山一郎同校校長、理学博士の話を聞いたり、実際に化学兵器という名の大量殺人液のサンプルを見まして、戦慄に近いものを覚えました。
 要するに、隠す気であれば到底捜し出すことなどでき得ないということを悟ったのであります。つまり、圧倒的に小さい、少量で大量破壊、大量殺人ということが簡単に果たせるからであります。査察というのは、時間をかければいいというものでも、人数をふやせばいいというものでもないということを改めて知りました。査察をめぐる多くの誤解があることを視察を通じて知ったことは、大きな収穫でありました。
 テロを撲滅するために人類が英知を結集せねばならないときに、一方で、そう考える人々や国家を殺りくし、じゅうりんしようとするテロリストやテロを正当化し、テロリストを支援する国家がある。これにどう立ち向かうかという場面が今の場面でありましょう。今ある国際社会における法や国連の仕組みが現実に追いついていない、そういう側面があると指摘せざるを得ないのであります。
 アメリカの行動をただ批判するだけでいいのか。これは、国際テロが常態となった新たな事態を前に、国際社会犯罪を取り締まる警察行動、国連警察軍的行動と言えないのか、そう位置づけられるのではないかと考えざるを得ないのであります。
 あのボスニア・ヘルツェゴビナにおける民族浄化という事態に対してNATOが空爆をしてからちょうど四年、あれは人道介入と呼ばれました。今度は、似て非なるものというか、逆に、非だが似ているものと言うべきかもしれません。テロ撲滅介入と私は呼びたいと思います。戦争はもちろん反対であります。同時に、大量破壊兵器拡散も反対であります。そして、このテロ撲滅介入に立ち上がったアメリカの行動に、悲しみを持ちつつ私は理解できなくはないと言いたいと思っております。
 今、私はアメリカの行動について理解できなくはないという言い方をいたしました。理解を表明しました。今度は、アメリカの行動について支持をするとしている小泉政権についての態度に触れます。
 これは、戦後ほぼ六十年になろうとする長い間、日本の平和と安全と繁栄に寄与してきた日米同盟を堅持、優先しながらの国際協調をとるということ以外に今はあり得ないとするなら、答えはおのずと明らかであります。日本は、武力行使に参加しない、国民の安全確保及び経済混乱の回避に努める、戦後のイラク復興に向けて主体的に判断するという方針にも大筋賛成であります。国民に向かってこれまで十全たる説明を小泉総理がしてきたかどうか、残念ながら、いささか説明不足は否めないと思います。
 今日、日本外交への評価について、アメリカ従属ではないのか、べったり過ぎるのではないかとの批判があります。何を隠そう、かつて私も盛んに書いたり、しゃべったりしてきました。しかし、事は、かつて日本に厳然とあったソ連従属や北朝鮮礼賛に見る生き方とは全く違うということであります。もっともっとアメリカに、友人として、パートナーとして忠告すべきだともちろん思います。岡崎久彦さんのように、集団的自衛権すら行使できないとしている日本が、アメリカに忠告するなんて恥ずかしくてできるわけがないというほどではないにせよ、政治家を含め、対米交渉に当たる政府当局者に屈折した心理があろうことは否定できないと思います。
 先般、当調査会の小委員会でも申し上げましたが、長く日米地位協定の見直しはできない、せいぜい運営の改善でという外務省当局の姿勢は、基本的に一貫して変わっていません。日米関係を中軸に据えて日本が生きることに、歴史的に、地政学的に見て異論はありません。ではあるものの、何か釈然としないものがある。
 それは、一つには、戦後の七年に及ぶ占領期におけるアメリカの日本支配によって培われた卑屈なまでの対米観と無縁ではないと思われます。そして、それとタイアップして進められた戦後民主主義教育との一体不離の関係に思いをいたさざるを得ません。つまりは、またしてもというか、やはり当調査会で進められている憲法の問題に行き着くわけであります。
 憲法九条と前文における記述のみで新しい事態が次々と起こる世界の現状に立ち向かえるのかどうか、ここは大いに疑問のあるところと言わねばなりません。日米安保条約を基軸にした日米同盟をベースに国連協調路線をとることに異論はないものの、それをより強固で真っ当なものにするためにも、憲法における関連記述を整理整とんする必要があると思います。
 以上です。

発言情報

speech_id: 115604184X00420030320_006

発言者: 赤松正雄

speaker_id: 4375

日付: 2003-03-20

院: 衆議院

会議名: 憲法調査会