植田至紀の発言 (憲法調査会)
⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。
詳細は利用規約をご確認ください。
○植田委員 社会民主党・市民連合の植田至紀です。
アメリカによるイラクに対する戦端が開かれようとしています。人類の歴史はかくも愚行を繰り返すものかと暗たんたる心情でその瞬間を迎えなければならないことは、極めて遺憾であります。
加えて、小泉総理の姿勢は、日本国憲法に背を向け、国際社会に背を向け、そして営々と続けられてきた平和への努力に背を向け、対イラク戦争という暴挙に加担することを全世界に発信するという、これまた度しがたい暴挙であることは言をまちません。
言うに事欠いて小泉総理は、ブッシュ大統領の最後通告演説を、大変苦渋に満ちた決断だったのではないかなどと評されましたが、ブッシュ大統領はそもそもイラク攻撃を前提として政治工作を行ってきたわけでありますから、今回の件は当初から予定されていた判断の一環にすぎません。
小泉総理は、日本政府は国際協調と日米同盟の両立を図ることの重要性をわきまえながら外交的努力を続けてきたそうでありますけれども、かかる認識は、総理が何か勘違いをしているか、そうでなければ虚偽を言っているとしか理解することはできません。
当初、アメリカ、イギリス、スペインは、国連決議の採択によってみずからの行為の正当性の根拠を得ようとしたのであり、また、日本政府の姿勢も、かかる決議採択を前提としたものでありました。しかし、それは実現しませんでした。国際社会は、イラク攻撃を認めなかったからであります。それこそが国際合意なのであります。もし、小泉総理の言うとおり、国際協調と日米同盟の両立を図るとするのであれば、その段階でアメリカの自重を促すのが常道でありましょう。
小泉総理は、日米同盟の重要性、国際協調の重要性を両立させる努力は今後も続けていく、戦後五十年間、日本を平和、繁栄に導いてきたのは、日米同盟の重要性をわきまえて国際協調を図ってきたからだとも述べています。この発言には重大な誤謬があることを見過ごすわけにはいきません。なぜならば、かかる発言の趣旨は、国際協調の前提に日米同盟があると述べたにほかならないからであります。換言するならば、日米同盟を超える国際協調は存在しないということになります。とするならば、我が国独自の国際協調外交もまた存在し得ないのであります。これが主権国家の姿勢と呼べるでありましょうか。我が国は少なくとも独立国であるとの私の認識に誤りがあるんでしょうか。
この点については、そもそも、日米同盟の根拠たる日米安保条約自体を理解していないという点についても指摘せざるを得ません。条約の前文においては、「国際連合憲章の目的及び原則に対する信念並びにすべての国民及びすべての政府とともに平和のうちに生きようとする願望を再確認し、」とあり、さらには、安保条約第一条一項において、「締約国は、国際連合憲章に定めるところに従い、それぞれが関係することのある国際紛争を平和的手段によつて国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決し、並びにそれぞれの国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎むことを約束する。」と明確に述べられているからであります。
もし、この条項に今回のイラク攻撃が矛盾しないということを論証するならば、最低限の条件として、かかる武力行使が国際連合の目的と両立することが根拠づけられなければなりません。しかし、そのことは国連決議をアメリカが断念した段階で既に破綻しているのでありますから、イラク攻撃は日米同盟の根拠たる日米安保条約にすら反するものだと言わざるを得ないわけであります。今さら過去の国連決議を持ち出してイラク攻撃の正当性の根拠とすることは、こそくと言うほかありません。
九〇年十一月の安保理決議六七八が、クウェートからイラクを追放するために関連決議の履行を求め、その実施のための武力行使を認めたことは事実であります。ブッシュ大統領は、そのいわば古証文を持ち出し、湾岸戦争後、イラクの大量破壊兵器の査察と廃棄を求めた決議六八七に基づく査察が九七年以降妨害されてきたため、六七八に基づくあらゆる必要な手段が自動的に認められると主張してきました。日本政府も、かかる見解を敷衍しています。しかし、この点については、その可否をめぐって議論が分かれていることも周知の事実であり、それゆえにこそ、新たな決議採択を、武力行使を支持する国々も模索したわけであります。それが果たされなかったら、改めて十年以上前に効力を停止した決議を根拠にするなど、認められるわけがないのであります。
なお、昨年十一月の決議一四四一も、イラクに対して大量破壊兵器の開発計画の申告と徹底した査察の受け入れを求めたものであり、武力行使の根拠たり得ないのは言うまでもありません。数カ月間の査察の継続を求めた国連査察団の追加報告を拒否すること自体、重大な国連軽視であり、安保理決議なきまま先制攻撃を行うことは国連憲章に違反することもまた自明のことであります。
いかなる詭弁を弄しても、イラク攻撃に正当性の根拠は一切見当たらないのであります。にもかかわらず、圧倒的な軍事力を背景に、みずからの価値観に反するものは武力で排除しようというアメリカの単独行動主義は、国連及び対話と協力、信頼と協調を柱とした冷戦後の国際秩序へのあからさまな挑戦であり、それを支持するという犯罪的役割を積極的に果たさんとする小泉内閣もまた、国際協調を放棄するものと断ずるのが至当でありましょう。
日本国憲法においては、国連憲章が肯定する、いわゆる正しい戦争をも否定しているということを改めて想起しなければなりません。国連憲章の精神をさらに進化させたのが日本国憲法の平和主義であります。それを堅持することにより国際社会において名誉ある地位を保つことを、日本国憲法は我々国民の総意として確認しているのであります。そして、その理想は、今や理想ではなく、歴史の教訓から導き出された最も現実的な選択肢なのであります。それゆえに、イラク攻撃を支持すること自体、そして、支持するということは、かかる行為の一端にせよ協力することが当然の帰結である以上、その行為すべてが憲法に反するのであります。
歴史は常にらせんを描いてきたことは事実であります。しかし、人類史が不断の進歩と発展の過程であるとするならば、過去に引き戻そうとするものと、新しい時代の扉を開かんとするものとの葛藤が歴史の局面においては必ずあらわれたことを忘れてはなりません。我々が愚行を繰り返す側に立つのか、未来を切り開く側に立つのか、その分水嶺に立っているという認識をもし我々が持つとするならば、歴史の審判を我々は恐れるべきでありましょう。未来に対して責任を持たなければならないということを我々は自覚すべきでありましょう。
以上、意見表明とさせていただきます。