北川れん子の発言 (憲法調査会)

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○北川委員 社民党・市民連合の北川れん子です。
 明治憲法制定前に出された私擬憲法草案、およそ九十四案近くあったと言われていますが、例えば立志社や交詢社、また植木枝盛の日本国国憲按、憲法草案を見てみますと、特に国民の権利を規定した条文が充実しており、現代にも通用するような死刑の禁止や拷問の禁止まで範囲に入れられており、実際、びっくりいたしました。私擬憲法草案が出された時代から現憲法に流れている主体的市民意識が、明治時代の諸先輩の方々から脈々と続いているという印象を受けました。
 GHQが参考にしたと言われる憲法草案要綱作成者の一人である鈴木安蔵氏は、私擬憲法草案の一つである植木枝盛の東洋大日本国憲法案を参考にしたとされています。また、マッカーサー草案自体、起草の段階において、既に日本国民の間で自主的に起草された民間憲法草案の内容を大幅に取り入れ、実質的にその当時の日本の状況が酌み取られていると評価する方もいらっしゃいます。
 このことを東京経済大学教授色川大吉氏は、現憲法の中には日本人民の平和と民主主義を求めた歴史的伝統が流れていた、植木枝盛らの起草した輝かしい憲法草案が、大正デモクラシー運動を経て吉野作造らによって再発見され、さらに敗戦直後に鈴木安蔵らによって民間の憲法草案に生かされ、それがGHQの憲法担当の中心人物ラウエル中佐やハッシー中佐らに重視され、十分な検討が加えられた上、押しつけと言われるGHQ草案の基礎として生かされた事実を私たちはまず確認したいのであると指摘されています。
 そしてまた、明治憲法は、一八八二年三月三日、伊藤博文は憲法起草のためにヨーロッパ立憲諸国において調査を行い、各国の政府及び学者について研究するよう勅命を受け、三月十四日、随員九名と出発、一八八三年八月三日帰国するまで一年五カ月がかかったと言われています。このとき、既につくべき政府をドイツ帝国、プロイセンに、その学者をドイツのベルリン大学教授ルドルフ・グナイストとオーストリアのウィーン大学教授ロレンツ・フォン・シュタインに内定したと伝えられています。
 また、明治憲法は一八八九年制定ですが、パリ不戦条約は一九二八年、ロンドン軍縮会議は一九三〇年、満州事変が一九三一年、国際連盟脱退が一九三三年。これら年表からもわかりますように、明治憲法は戦争が違法と国際社会が合意形成する四十年も前に成立しているため、不戦、非戦の思想を盛り込むことは無理であったろうと考えます。しかしながら、私擬憲法、交詢社においては統帥権の独立を認めていないので、シビリアンコントロールに近いものがあったと想像されます。
 また、坂野参考人も、危機になった折、どんな憲法を持っているかが大事だと強調されました。一九三一年解釈改憲していれば侵略に反対できた、また国家総動員法に反対するとき明治憲法を持ってきて反対するとか、戦前の議員というのは非常に真剣な人たちだったという言葉や、余りに立派な日本国憲法なので逆に憲法学者が育たないのではないかとも言われた言葉が印象に残っています。
 こう見てまいりますと、憲法というのは、時代の背景を受け、世界各国の影響を受けている事実を確認いたしました。憲法をめぐり、憲法調査会では議論を積み重ねていますが、このように坂野参考人が初めて私擬憲法草案に光を与えていただきました。草案から続く考え方が平和憲法の底流を流れている、だからこそそれを生かすことが私たちに求められているのではないかということを強く思った次第であります。

発言情報

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発言者: 北川れん子

speaker_id: 28618

日付: 2003-05-29

院: 衆議院

会議名: 憲法調査会