2003-03-06
衆議院
小川和久
憲法調査会安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会
小川和久の発言 (憲法調査会安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会)
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○小川参考人 それでは、私の意見の陳述をさせていただくことになるわけでございますけれども、このような権威のある場にお招きをいただきまして、大変光栄に存じております。浅学非才の身でございますので、どこまで皆様方の御参考になるようなお話ができるかどうか、大変緊張しておりますけれども、私の至らざる部分は後ほど質疑応答の形で補完をさせていただきたいと思っております。
お話に入ります前に、後で事務局の方から御説明があると思いますが、お手元にお配りいたしました資料のうち、二カ所、訂正をしなければいけないものがございます。一つは、私の著作の中からコピーをしていただいたもののうち、私が執筆しているものでない原稿が一つ入ってしまっている。それからもう一つは、私の著作の中で、事実関係について私の知識が浅かったがゆえに間違いがあったものを、第二回目、二冊目の本では訂正したものがありますが、訂正されていない版のコピーがお手元に行っているというものがございます。それは後ほど訂正をさせていただきたいと思います。
それではまず、お話に入りたいと思います。
非常事態と憲法、自然災害等への対処を中心としてというテーマをお与えいただいたんですが、私自身は軍事問題の専門家の端くれでございまして、自然災害等の専門家ではもとよりないんですね。ところが、気がついてみますと、私は今、総務省、消防庁の委員を四つ引き受けております。ことしからは消防審議会の委員もやっている。軍事問題の専門家であるおまえがなぜ消防審議会の委員なのか。あるいは昨年からは、総務省の住民基本台帳ネットワークシステムの、特にセキュリティーに関する委員なども務めておりますし、プライバシー保護の研究会の主査もやっております。
何で軍事問題と直接関係のないところで政府の仕事に首を突っ込んでおるのかという部分から御説明をしなければいけないのですが、実はきょうのお話の一番申し上げたいところでもあるんですけれども、身近な危機である例えば災害あるいは交通事故、そういったものからみずからの命を守れない日本国民が、基礎知識すら乏しい問題である外交、安全保障、そういったことにおいてみずからを守ることができるのか。身近な危機から命を守れない日本国民が軍事のことなど語るのは十年早い、北朝鮮のことなど語るのは十年早いということを申し上げ、足元からその辺の問題を解決していきたいという思いがあるから、そういった身近な危機に関する役割を政府の中でも引き受けているわけでございます。
そういう中で、私は、これは常々、特に法律をつかさどる立場の方々の研修などでは繰り返し申し上げているわけでございますけれども、このレジュメの一番目、「日本は「法治国家」ではない」という問題から入りたいと思います。
私は、昨年、一昨年と、高等検察庁の検察官の研修などに呼ばれたとき、このテーマでお話をしております。あえて挑発的な話をする、何でか。法律は形どおり整ったようには見えるけれども、その法律の精神は一切生かされていない。その法律が国民の生命を守ることにおいて力を備えていない。つまり、よく言えば制度疲労、悪く言えば怠慢の結果が我々の目の前に展開されているという問題なんです。そこのところをやはりきょうの議論を進める上での前提として明らかにしなければ、幾ら議論をしても全く徒労に終わるだろうという思いがあるわけであります。
私自身申し上げたいのは、日本の特色かもしれませんが、法律や制度が必要だということになると、つくろうということにはなる。しかし、つくること自体が自己目的化されて、つくったら一安心、後はほったらかし、一時代前のオフィスコンピューターのようなもので、はやり廃りで買ったはいいけれども、使い方もわからずに、気がついたらほこりをかぶっていて全然生きていない、そういった状況によく似ているところがある、そこを直していかなければだめだろうと思っております。
法律にせよ制度にせよ、その完成の度合いを高めるために不断の努力をしなければ、どんなに崇高な理念を掲げたとしてもその実現はあり得ません。この不断の努力、完成度を高める努力というのは、法律においては改正という手続を踏まなければあり得ないわけであります。改正なしに完成度が高まるなんということは絶対にあり得ない、その辺を我々はどこか忘れているのではないか。
とにかく、これはもう身近なさまざまな法律もしかり、そして日本の法の頂点にある日本国憲法もしかり。改正といえば何か右翼、軍国主義者の専売特許のように語られてきた日本というのは、世界に通用する議論をしてきたとは言いがたい、憲法の理念を守ろうとする営みをしてきたとは言いがたい、その思いが私は大変強くするわけであります。
そういう中で、こちらの憲法調査会の存在そのものは私は高く評価し、活動については尊敬申し上げておりますが、やはりそういった前提条件を一たん明らかにし、みずからの欠陥というものを克服するという姿勢を明らかにする中でしか、いかに憲法調査会が世界じゅうの憲法制度を調査し、分厚い報告書をつくったところで、それ自体が意味をなすものか、そういう報告書をつくること自体、あるいは調査の旅行に行くこと自体が目的になっているじゃないかということを言わざるを得ない、そういう面が実は出てくるわけであります。だから調査の自己目的化という話になってしまう。非常に私はその辺は危機感を持って、皆さん方と意識を共有したいと思ってここにやってきたわけであります。
そこにおいては、やはり憲法ということで申し上げますと、憲法が掲げている理念にふさわしく憲法が機能しているのか、現実はどうなのかというところにおいて、憲法違反のような状態に対して是正するという営みを絶えることなく続けなければいけない。そして、それを前提としながら憲法の完成の度合いを高めていくということに常に取り組まなければ、やはり日本は世界に通用する、しかも世界から信頼され、尊敬されるような国家を盤石のものとして築き上げることは難しいのではないかなという思いがしております。ですから、あえて、日本は法治国家かという問いかけを検察官に対しても行っている、裁判官に対しても行っている、そういうことで私はやってきております。
そういう中で、昨今、イラクの情勢あるいは北朝鮮の問題などがニュースでも大きく取り上げられますし、目の前の問題としては大変大きなテーマとして存在しているわけであります。ただ、こういったものを通じて我々が考えなければならないのは、やはり、我々は憲法の精神にふさわしく行動しているだろうか、あるいは行動してきただろうかという点でございます。これは、きょうお話を申し上げますように、外交面の問題だけではない、国内においてもその辺は問われる部分があるのではないか、そこを若干お話を申し上げてみたいと思っているわけであります。
まず、外交面で、私は、イラクの問題と北朝鮮の問題について若干触れてみたいわけでありますけれども、日本は憲法の精神に基づく原理原則、これにふさわしい行動をしてきたのかということをいま一度考えてみる必要があるのではないかと思います。
ここで言う原理原則とは、戦後日本が掲げてきた二つの旗印であろうと思います。その旗印とは、一つはいわゆる平和主義、そしていま一つはいわゆる国連中心主義であります。これは何のために掲げてきたのか、中身をどのように説明すれば世界に通用するのか、その辺の問題が問われるのではないかなと思っております。
普通、日本では、平和主義とは何ですかと聞かれると、戦争をしないことですとかいうような答えが返ってくる。そんなの当たり前だという話なんですね。もっと積極的なものです。国益の問題なんです。情けは人のためならずの問題なんです。とにかく、日本ができることを一生懸命やり、世界平和の実現のために努力をする、その姿に対して国際的な評価と信頼が生まれてくる。世界の評価と信頼が高ければ高いほど、日本の安全は高まるわけであります。その安全という基盤があって初めて日本の経済活動ができる、経済的な繁栄はそこにおいて初めて実現の方向へ向けて動き出すと言えるものなんです。
そして、その世界平和を実現するために、日本が使おうとしているシステム、仕組みと言えるものが国連なんですね。それが国連中心主義なんですよ。我々は、それにふさわしく外交、安全保障について行動できていなければ、実は、うそつきになってしまうという部分があるのではないか。
そこで、イラク情勢について、その辺のことをもとに考えてみたいというのが一つ目の話でございます。
現在、イラク問題については、我が国家の存在感というのは希薄でございます。茂木副大臣が行っております。アジズ副首相と会った。でも、これは、普通の国の営みとして何とか格好をつけたというところで終わってしまっている部分が残念でございます。ここにおいて我々は、なぜ日本国の存在がイラク情勢においても希薄なのか。直接の問題としては、やはり湾岸戦争における教訓を学んでいない部分が余りにも多過ぎるということを申し上げざるを得ないわけであります。
とにかく、イラク情勢について、日本が存在感を示し、国際的な信頼をかち取り、また発言力を残すということは、エネルギーの問題一つとっても中東に大きく依存している立場として、国家生存の問題である、その部分をやはり憲法を意識しながら考えてみるべきではないかなと思うわけであります。
たまたま、この問題については、憲法調査会の中山太郎会長、湾岸戦争の当時外務大臣でいらっしゃったと記憶しておりますが、以前にも中山会長ともお話ししたことがありますけれども、やはり日本は、当時のソ連、フランスと比べても、外交的に最も有利な立場にあったというのが客観的な位置づけであったわけであります。日本の政治家にもそれを意識していた方もいらっしゃいました。ただ、日本国全体としてはやはりそういった認識なしに、とにかくアメリカに協力しなければアメリカから安保を切られるんじゃないかという、根拠のない妄想のもとに動き回る結果になってしまった。だから、せっかくお金を出しても、生きるという格好にならなかったというのが私の結論でございます。
だから、これはもうはっきり、当時皆さん方は努力したということを前提としながら、幾つかの点についてお話をしてみたいと思うわけであります。
日本は、当時のソ連やフランスに比べても、圧倒的に外交的に有利な立場にあったというのは、世界に通用する議論をするときの条件となる事実と客観的データに基づいて明らかなわけです。これは英語で言いますとファクツ・アンド・フィギュアスと言うんですが、とにかく客観的な事実、客観的なデータ、科学的な根拠をもとに議論しなければ、相手を論破することはできない。特にアメリカなんて論破することはできません、あるいは説得することはできない。
それに基づいて、日本は、三つの点から外交的に有利な立場にあったわけであります。
まず、項目を言いますと、一つは、アメリカに対して軍事的に物を言える立場であったということなんです。いま一つは、イラクに対して最も物を言える立場であった。もう一つは、国連に対して最も物を言える立場であったということなんです。
実は、これは、我々の税金が適切に使われているかどうかを常にチェックするという営みが、少なくともアメリカの連邦議会並みに行われていれば、一目瞭然の話だったんですよ。だから、これは国会の努力ということを大いに評価することを申し上げた上で、あえて申し上げますけれども、やはり国権の最高機関として、民主主義を機能させるという点で、こういった点にも若干問題を残していたのではないかなと私は思わざるを得ないんです。税金の使い道をちゃんとチェックしていれば、こんなことはわからなきゃいけない。日本人が一番苦手とする軍事問題にかかわり、アメリカという日本に対する戦勝国がかかわる問題である日米安保の問題についても明らかなわけであります。
日本の常識は世界の非常識というのは、竹村健一さんが昔から言っていることですが、まさにこれ、絵にかいたような話です。日本の常識というのは、とにかく日本はアメリカに守っていただいているんだ、だからアメリカに逆らうと安保を切られて、アメリカは帰っちゃう、裸になる、えらいこっちゃ。根拠はだれも答えられない。外務省の役人も答えられない、防衛庁の役人も答えられない、自衛隊制服組も答えられない。どうするんだ。
当時の外務省の湾岸危機のときの担当者なんて、日本なんてフィリピンの五十分の一の価値しかなくて、アメリカに逆らったら一発、安保切られて帰っちゃうけれども、フィリピンからアメリカが撤退することはないと、マスコミのテレビカメラの前で堂々と公言していたじゃないですか。本人に根拠はと聞いたら、知らない。フィリピン行ったことがあるのかと言ったら、行ったことありません。じゃ、何でそんなこと言えるのかと言ったら、担当者である私にそう受け取ることができるような言い方をアメリカがしてくると言うんです。だったら、おまえ死ねと言われたら死ぬのかという話をしたことがあります。非科学的というか、発展途上国的というか、そういう者をエリート、エリート、エリートとあがめ奉っていて、この国はもつのかねという感じがあるんですよ。
実は、私自身は日米安保が専門家の端くれとしてのスタートなんです。とにかく、国会図書館を調べたって日米安保に関してまともにリサーチしたものはない。防衛庁、外務省に行ったってない。そこで、私はアメリカ政府に調査を申し込んだらオーケーが出た。北は青森県の三沢基地から南は沖縄県の嘉手納基地まで自分で歩いて、基地司令官の聞き取り調査をやり、国防総省から資料を出させ、それに対するバックグラウンドブリーフィングを行わせ、本にまとめたわけであります。そこからですよ。
そうしたら、日本人が思っていたのとは全く逆に、アメリカの同盟国の中では一番大きな戦略的な機能を持っている日本の姿というのが明らかになった。これをもとにアメリカとの同盟関係を良好かつ健全に維持していくことがやはり日本の国益を追求する一つの現実的な道だろうと私は新たに思い始めたわけであります。
これは非常に大ざっぱな言い方をいたしますが、アメリカの同盟国、数え方によって若干差がありますけれども、六十カ国あるといたします。この六十カ国の中で、日本はアメリカから見ると最も戦略的に価値のある国、重い国だということを申し上げてもこれは間違いではないと思います。
これはどういうことから言えるかといいますと、例えば日本列島が支えているアメリカの軍事力の展開範囲が地球の半分であり、そして日本にかわることのできる同盟国がアメリカにとってはこの地域にないということなんですね、日本以外には。
日本列島が支えている米軍の行動範囲は、西経百六十度、これはハワイですね、それから東経十七度、これはアフリカ最南端の喜望峰であります。その中にそれぞれ中東を担当する部隊や何かがいて、いろいろな議論はありますが、大ざっぱに言うと、これは地球の半分、インド洋のすべてと太平洋の三分の二でございます。
この日本列島における米軍を支える機能を維持するために、我々は、在日米軍経費という名のもとに年間約六千四百億円を負担している。ただ、この巨額の税金の使い道だけでも大変な問題なんですが、そんな金額であらわれるようなちっぽけな話じゃない、もっともっとアメリカにとっては重要な問題があるわけであります。
ただ、ちょっと脱線をいたしますと、アメリカにも日本にもよく、日本がお金を気前よく出すからアメリカは日本にいるんだというような議論がございます。だから私は、ペンタゴンの日本の担当者たちに機会があるたびに聞く。日本が金を出すからいるのだと言ったら、金色夜叉の世界じゃないか。まあ、金色夜叉なんてアメリカ人には言っていませんけれどもね。金の切れ目が縁の切れ目という話だったら、そんな同盟関係だったら要らぬよ、日米同盟を解消して北朝鮮とでも同盟関係を結んだ方がはるかに金の値打ちは出るよと言ったら、いや、金を出していただくのは大変ありがたいけれども、逆に日本がアメリカから援助をもらわなきゃいけない立場の国であっても、アメリカがリーダーシップを確立するために日本との同盟関係は必要なんですと言うから、それなら同盟関係を結ぶ価値がある。だから、金を出すからいるなんという議論をアメリカ側の素人専門家にさせるなよという話をしたことがあるぐらいであります。
さておき、では、ほかの同盟国がかわれない日本の位置づけというのはどういうことか。これは、調べてみてその中で私自身がネーミングをし、それに対してアメリカが助言をくれたような話でありますが、私は戦略的根拠地というネーミングをしたんです、日本のことを。つまり、アメリカ本土と同等の根拠地である。そうしたら、アメリカ側が助言をしてくれて、英語で言う場合はパワー・プロジェクション・プラットホームという言い方が理解されやすいよと言うんですね。パワーは軍事力、プロジェクションというのは軍事力を展開すること、そのための根拠地であります。このパワー・プロジェクション・プラットホームの条件というものがいろいろ挙げられるわけでありますが、それをほかの国が備えていないという問題なんです。
だから、日本が安保を切ると、アメリカは二度とこの戦略的根拠地を地球の半分の範囲で確保することができない。その結果、地球の半分の範囲に展開してきた軍事力の八〇%以上の展開能力を失う。そうなってしまったアメリカは、やはり大国ではあり続けるけれども、普通の大国の一つに落ちぶれてしまう。そうなってしまうと、ロシアも中国もインドも北朝鮮でさえもアメリカの言うことを聞かない。アメリカにとっては最悪の事態であります。だから、日本が安保を切ることをアメリカはずっと恐れているわけであります。
安保がなくなれば、日本が失うものも大きいけれども、アメリカが失うものは世界のリーダーの座なんです。だから、これはセカンドトラックに当たるアメリカ側との協議で私ははっきり聞いたことがありますよ。日本が安保を切ったらアメリカは世界のリーダーでいられるのかと言ったら、いられませんとぱっと答えましたよ、これは。当たり前の話なんです。それを踏まえて日米関係をみずからの国益に生かせなきゃだめなんです。
では、戦略的な根拠地の条件というのは何なのか。一番象徴的かつわかりやすい話というのは、やはりこれは工業力、技術力かもしれない。とにかくアメリカの軍事力というのは世界の最先端を行くハイテク兵器で固めている。最先端を行っているということだけ見ても、とにかく、先進国であっても故障したとき修理ができるかどうかわからないぐらいの話であります。
しかも、アメリカというのは海軍を中心に軍事力を組み立ててきた世界一の海軍国です。その世界一の海軍国のとらの子の軍艦はイージス艦であります。アメリカは今、六十三隻のイージス艦を運用し、あと二十七隻つくるそうであります。我が海上自衛隊は四隻を運用し、あと二隻建造中。あとはスペインが一隻を試験的に導入しているだけであります。このイージス艦が海外展開中に故障したら、一々アメリカ本土に持って帰らなきゃいけないのか。そこにおいて日本があれば、日本で修理をすることがある程度可能なんですね。
だから、兵器ごとに条件をつけていっても、ほかの国がそういった能力を備えていないということが明らかである以上、アメリカは日本なしには戦略を組み立てられないということが明らかであります。そういったことを前提にして話をすることは幾らでも可能なんです。
これについては、イギリスの小説家であるフレデリック・フォーサイスが私との対談の中で言っておりました。アングロサクソン、まあアメリカの考え方もそうですが、アングロサクソンは敵に対しては警告なしにパンチを放つけれども、日本のような重要な同盟国が国益をかけてアメリカに対してノーを言う、反対をする、それに対してはまず真剣に耳を傾けるし、逆に日本の提案がリーズナブルであればそれを受け入れる、それがアメリカであるのに、日本は戦後五十年以上もアメリカとつき合ってきて、実際のところ、アメリカとのつき合い方がわかっていないようだねということを言っておりました。まさに、日本の言うことはかなり聞いてくれるということは、これは明らかなんです。これは私の体験的な話でもあります。
これについては、災害や何かの話に行く前にこの話をしておかなきゃいけないもので、延々とやっていますけれどもね。
例えば、日米安保に関する事件や事故が起きたときのアメリカの対応を見てください。沖縄での少女暴行事件あるいはえひめ丸の事件、やはり大統領以下オールスターキャストのメンツを出してきて素早く謝罪しているでしょう、日本に対して。では、イタリアでロープウエーのゴンドラが落下した事故があったですね、海兵隊の飛行機がケーブルを切っちゃって二十人亡くなった。あんなとき、オールスターキャストを出してきて謝罪したか。していません。韓国においてはどうですか。何で反米運動が今起きたんですか。二人の女子中学生が装甲車にひき殺された。その事件に対して明確な謝罪などなし。日本と比べても明らかに差別的な地位協定のもとに、ドライバーの米兵は無罪になる。そして、反米運動が噴き出す中で大使が出ていって謝罪なんてことになったから、韓国の国民は怒っちゃったわけであります。
だから、アメリカから見たら、イタリアも韓国も重要な同盟国だけれども、日本とは比べ物にならないということですよ。それは我々わかった上できちっとアメリカとかかわらなかったら、鈍感と言われてもしようがないですね。だから、アメリカに対してもある程度物を言える国であるということです。
それから、イラクに対して物を言える国であったというのは、これはイラクに対して最大の経済的スポンサーであったということです。当時イラクが外国からもらっていた経済援助の七三%は日本からのものであった。それ以外に六千億円近くのお金を貸しておったわけであります。二月中旬に外務省に聞きましたら、まだ三百八十億円ぐらいイラクに貸しておる。それから、中東調査会に聞きましたら、やはり七千億円ぐらい別に貸している金があるという話であります。
そういったことを前提に、やはり日本の経済援助は民生面に限られたものではあったけれども、イラク全体を支えた結果、イラクがクウェートに侵攻するような軍事力を持つことが可能になったという認識を持つというのが、まず外交にたけた国のあり方でしょうね。間接的に日本は責任があったんだ、だから湾岸危機の平和的解決に口を挟む権利がある、責任があるというようなぐらいで入っていくと、相当イラクの指導部に肉薄することができたであろうと思われます。
そして同時に、借金を返せという話をどれぐらいしているのかということなんです。やはりこれは繰り返し言わなきゃだめなんですね、日本国民の税金が相当入っているんだから。ないそでは振れぬと言ったら、油があるだろう、油田の三十や五十くれたって罰は当たるまいぐらいのことは言わなきゃだめであります。
あるいは、国連に対して日本が発言力があるというのは、これは当たり前であります。国連の分担金というのは、三年に一回、国力に応じて比率が変わります。現在日本は、アメリカの二二%に続いて二番目の二〇%弱であります。湾岸危機の当時、日本は、アメリカの二五%、ソ連の一一・五七%に続いて一一・三八%であった。でも、アメリカ、ソ連は分担金滞納の常習者であります。アメリカは、自分の方針と国連の方針が合わない場合、分担金をとめて国連の譲歩を待つというような動き方をずっとしてきた。ソ連は経済が破綻してお金が払えない。ところが、日本は国内の経済が悪い場合だって分担金一〇〇%払う、優等生というかあほというか。
だから、常に国連に対しては最大の経済的スポンサーなんですよ。しかも、国連中心主義を掲げているわけでしょう。国連が日本の国際平和実現のために機能していないと思ったら、分担金払わないとはっきり言わなきゃいけないし、場合によっては国連脱退と言わなきゃいけないぐらいの立場ですよ。
この三つの立場は明らかになっています。当時のソ連やフランスに比べても、どれぐらい発言力を残すことができた国であるかどうか。これはやはりいま一度振り返ってみる必要があるんじゃないか。
だから、私は、一月の中旬の時点でも、小泉総理の周りにいる人に、ひょっとして小泉さんは読んでいるかもしれないけれども、読んでいなかったら、一冊、当時のアメリカの国務長官、ベーカーさんの回顧録が日本語で出ているから、ちょっと読んでもらったらどうかねということを言ったわけであります。これは「シャトル外交 激動の四年」というもので、新潮文庫から出ています。
この第一巻目なんというのはおもしろいですよ。当時の同盟国の首脳をどう説得するか、アラブの首脳をどう説得するか、ソ連や中国をどう説得するか、本当に迫真のドラマですね。ただ、その中で一番手をやいたと言っているのは、イギリスとドイツのような同盟国ですよ、当時の西ドイツ。今回もまたイギリスに最も手をやかされたとこぼしていますよ。だって、アメリカの要求を値切って、値切って、値切って、値切り倒して、そして最後に協力する場合には恩を着せて、着せて、着せていくんだから。ただ、それに対してベーカーは何と言っているか。偉いやっちゃ、さすが西ドイツ、さすがイギリスと言っている。
この本の中に、我が大日本帝国は一行半しか出てこない。しかも、個人の名前はゼロであります。つまり、存在感を示せるのに動いていないからですよ。こんな話が今にも続いてずっと日本の国益を損ねている面があるということは、みんなでちょっと考えなきゃいけない話だと思います。
こういう流れの中で、北朝鮮の情勢とイラクの情勢について、同時に我々は今克服していかなきゃいけない立場でありますけれども、やはり理論武装をしておく必要があるだろうということなんです。
例えば、アメリカの同盟国だからアメリカの行動を支持する、協力するなんて、初めから集団的自衛権の議論に頭を突っ込むようなばかな話があるかというのを同時多発テロの直後に言ったら、おまえ、与党の参考人で出ろなんという話になっちゃって、テロ対策特別委員会でもその話をしたと思います。
今必要なのは、テロリストと大量破壊兵器開発国が結びついたら日本の国防上の脅威になるという認識が一つ必要だということなんです。テロリスト集団は時と場所を選べる。そういう戦略的優位性にある。彼らがテロを準備しているかどうかを前もって察知することは非常に難しい。そういう秘匿性にも守られている。彼らが大量破壊兵器開発国と結びついたら、まずねらわれるのはどこですか。主要国ですよ。日本は主要国の一つというだけでもねらわれることは覚悟しなきゃいけない。しかも、アメリカの最大の同盟国である。そこからもねらわれるかもしれない。あるいは、テロとの闘いを進めている国として、彼らから見たら敵ですから、ねらわれると思って、それを封じ込めなきゃいけないわけであります。
だから、大量破壊兵器を開発している疑惑を持たれた国が国連の査察などをごまかしているといったような理由で国際的な軍事制裁を受ける場合は、当然ながら国連決議という手続を経なければいけないけれども、日本は個別的自衛権の問題として軍事行動に参加することができる立場であるということは国家の立場として明らかにする。その決意のもとに、しかしながら、日本は国連中心主義を掲げてきたし、平和主義を掲げてきた、できればやはり平和的な解決が望ましいので、あなた方は国際社会の要求に対してもっと誠実にこたえるべきだということを強く迫らなきゃいけない。
ところが、いざというとき自分の国益をかけておまえの国をつぶすぞぐらいの決意を示していない国が幾ら話し合いで解決しようと言ったって、向こうはふんというようなものですよ。だから、やはりその辺のことは理論武装の一環として整理をしておく必要があるだろうと思います。
ただ、国際情勢だけじゃない、国内でも有事法制の問題とかドクターヘリの問題とか、いろいろあります。有事法制の問題は、これは国民の生存権の問題なんですが、憲法を見てみても、憲法二十五条なんというのはこういう話につながらないような文言のまま放置されてきて、五十年以上たっちゃったわけであります。だから、やはりもうちょっと考えなきゃいけない。
例えば有事法制の問題は、防衛庁の担当者の人たちにはかなり厳しく言って、そういうことにならないようにしようねということを言ったんですが、自衛隊の活動を円滑ならしめるための自衛隊法の一部改正などが入っていながら、あの去年提案されたものが成立したとしても自衛隊の活動は円滑にならないから欠陥法案だと言ったんです。何でか。住民の避難・誘導、これは、住民避難計画が存在しないところでは自衛隊の活動は円滑にならない。消防や警察すら円滑に活動できないということは、有事法制の必要性が叫ばれた昭和五十二年に明らかになった話じゃないですか。それをわからないであんな法案を出してくるんだったら、防衛官僚でも何でもないぞという話をしたわけであります。
どういうことかというと、昭和五十二、三年というのはいわゆる北方脅威論という話があって、これは非常に限定的ではあったけれども、北海道北部を中心にソ連軍が上陸侵攻をはかる可能性があったんです。これは、アメリカとの戦争を世界的に行う場合、ソ連海軍の三分の一の勢力が太平洋艦隊に所属していた、日本海にかなりの部分の船が入っている、それを太平洋に出さなければアメリカと戦争できない。そのために、日本の三海峡のうちみずからが押さえやすい宗谷海峡を確保するために、最終的には全滅覚悟ででも上陸してくる可能性はあった。しかし、そのソ連軍は、陣取りゲームじゃないけれども、できるだけ占領地域を広げておかないとやはり日本側に追い落とされる可能性があるということで、国道四十号線を中心に稚内からだんだん南へ下がってくる。それを名寄の北の音威子府というところで撃破しようというのが我が陸上自衛隊の作戦構想だった。
ところが、作戦構想を練れば練るほど戦えないのがわかる。それは何かというと、ソ連軍が南下してくる前を、北海道北部の住民が自家用車に家族と家財道具を積んで何万と来るわけであります。だから、住民避難計画がないところでは戦えないという話ですよ。そのときの役割分担は、ソ連軍と戦うのは自衛隊、国民を保護するのは消防、警察、自治体。ところが、避難計画は全然ないわけです、どこにも。そこから始まったんですよ。僕ら、そこから作業しているんだもの、愚か者と言うのは当たり前ですよ。
でも、これは、有事法制という国民の生命財産にかかわる問題を武力攻撃事態というところからのみ語ろうとしたところに問題があるだろう。防衛庁がそこから入ってくるのは当たり前なんです。ただ、同時に、国民にとって身近な危機でありリアリティーのある大災害、大事故、大規模テロなどから国民を守る法制の整備として、例えば消防、警察、自治体のサイドからのアプローチが同時に行われていれば、そういう議論にはならなかっただろうという話なんですね。
だから、昨年の四月にも、消防庁長官や消防庁の幹部の人たちとも話をしたんですが、とにかく、日本は島国でありますから外国が海岸から上陸してくる、これはいつあるかどうか、遠い将来あるかどうかわからないという事態でありますが、そういう事態であっても、日ごろ津波に対する住民避難計画がきちんとなっておれば相当それでカバーできるだろう。あるいは、ミサイル攻撃や大規模テロに対しては、直下型地震に対する対策が明確になっていれば相当カバーできるだろう。そういったことをきちっと積み上げながら、武力攻撃事態という角度から法制の整備をしてくる防衛庁のアプローチとつなげなければいけないだろうという話をしたわけであります。
いきなり武力攻撃事態ということを言いますと、国民の権利の制限の問題で大上段に振りかぶった議論になって、全然不毛な議論になる可能性がある。しかし、国民の権利の制限といっても、例えば、アメリカの自治体の首長が夜間外出禁止命令などを大災害のときに出す、これは、緊急自動車が走れないようでは国民の命を守れないからですよ。それと、アメリカの連邦において定められている戒厳令、マーシャルローとははっきり分けられているんです。アメリカではマーシャルローはほとんど発令できません。しかし、国民の権利を一部制限するけれども、命を守るために緊急自動車を走らせる、そのためにやじ馬は出歩くなということがはっきりあるわけです。そこにコンセンサスはある。
日本の場合、そういったものすらない中で、阪神・淡路大震災のときどんな悲惨なことがあったか。そういったものをきちっと積み上げていく中で初めて国民の生存権の問題を憲法の中に明確にすることができるのではないか、有事法制についても機能するものを持ち得るのではないかというお話でございます。
あと、駆け足で参りますが、いま一つ、国民の生存権の問題として、とにかく、身近な生命の危機である交通事故の死者についても、ドクターヘリの整備のおくれというのは先進国の中で最悪だったんです。これは私の手柄話でも自慢話でもないんですが、私が九八年の十月に野中官房長官と話をして、野中さんが受け入れてくれて実現したものなんです。これは、同じことを同じような実力者にだれかが言っていても実現した話だと思います。それをできなかったところに、日本の後進性といいますか、憲法の精神が生かされていない社会状況があると私は思っております。
このドクターヘリというのは、一九七〇年に西ドイツが始めたものであります。当時、年間二万人台の交通事故の死者に悩んでいた。それが、ドクターヘリを導入した結果、現在は、人口がふえているのに年間七千人台まで抑え込んでいる。効果てきめんですから、アメリカなどはすぐ導入して、一九七〇年代に、交通事故の死者を四八%減らすのに成功した。
日本も、昭和五十年ごろからお医者さんたちが声を上げて、国に四回委員会をつくったんですが、六つの役所が絡んじゃって、どこかが反対する。空中分解してできなかった。だから、私が野中さんと話をする時点までに、日本の交通事故の死者は、警察の統計のとり方で三十万人を超えた。広島、長崎の原爆の死者の合計の数であります。しかも、警察の統計の切り方より後に亡くなる方を含めると、五十万人ぐらい死んでいる。ドクターヘリの効果を見ると、半分は助かる命であります。前例があり、効果があるのに国民の命を助けられない国が何だろう。これはもう憲法違反状態ではないかということを言わざるを得ない。そういったことを私は前提としながら災害などの問題にかかわりを持っているわけであります。
ただ、そういう中で、最後にちょっと、あと四分ぐらいお時間をいただきたいんですが、「世界に冠たる日本国憲法であるために」ということをレジュメに書いておりますが、やはり思想、哲学を持つことが憲法を機能させる道であろうと私は思っております。思想、哲学を持つということは何かというと、物事をちゃんと順序正しく行っていくことであります。予算を使うにしても、税金を使うにしても、やはり物事を順序正しく行うために順序正しく使っていくことでなければ、ばらまき行政になってしまう。物を何を買っても使えない行政みたいな話になってしまうわけであります。
そういう中で、物事の順序として、私は応用問題と基礎問題という言い方をしております。私の専門であります軍事問題、安全保障問題あるいは外交というのは、これは応用問題なんです。相当国民を挙げて能力がないと、健全かつ適正な形で、例えば防衛力の維持もできない話であります。しかし、例えば、消防の能力を高めて災害や大事故から国民の生命財産を守ろう、あるいは交通事故対策に取り組んで交通事故の死者を減らそうなんという話は、これはとにかく、だれもが反対しないテーマ、身近に感じられるテーマ、わかりやすいテーマ、やりやすい、これは基礎問題ですよ。基礎問題できないで、応用問題できるのかという話なんです。私自身が基礎問題の方に首を突っ込んでいるのは、基礎問題は日本国民は必ずできるようになる、ちゃんと基礎問題をできるようになった日本国民であれば、応用問題も必ず高いレベルでできるようになるという期待があるからであります。
そういう中で、やはり、私はここでぜひお願いを申し上げたいと思っておりますのは、とにかくまず手をつけていただきたいのは、さまざまな基礎問題、これに関する憲法違反状態が是正されることが、すなわち憲法全体に対して完成度を高める健全な動きをスタートさせるそのきっかけになるだろうという話なんですね。
とにかく、物事の順序から申し上げますと、基礎問題から入るべきだ、それをクリアしていくべきだ。そして、その物事の順序が明らかになっていないときには、やはりそのための作業をしなきゃいけない。国会でもしばしば予算の組み替え要求などが出ますけれども、やはり国の政策全体に対して組みかえを常にやる仕組みがなければいけないと思います。
例えば、アメリカのワシントンにある古いシンクタンクでブルッキングス研究所というのがあります。あそこが毎年やる営みとして有名なのは、セッティング・ナショナル・プライオリティーズというのがありますね。大統領が一月、二月段階で出してきた教書に対して、優先順位はこっちが正しいんじゃないかという組みかえの案を出して、そこで論戦を始めるきっかけを示すという話なんです。
そういったことをもう少し緻密にかつ大胆に行う中で、恐らく物事の順序というものが常に正しく並べかえられる、そういう日本国になっていくだろう。その中で初めて、日本国の憲法が本当に世界に冠たるものに高められていく道筋ができてくるんじゃないかなと私は期待しているわけであります。
時間となりましたので、私のつたない話、この辺でひとまず終えさせていただきますが、あとは御質問にお答えする形で補足をさせていただきたいと思います。
御清聴ありがとうございました。(拍手)