2003-07-03
衆議院
近藤基彦
憲法調査会安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会
近藤基彦の発言 (憲法調査会安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会)
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○近藤(基)小委員 自由民主党の近藤基彦でございます。
本日は、自衛隊の海外派遣をめぐる憲法的諸問題、すなわち、現行憲法が制定されて以降、最大の論争を生じさせてきた憲法九条をテーマに意見を述べさせていただくとともに、若干の提案をさせていただきたいと思います。
最初に、九条を議論する際の前提となります、我が国をめぐる現状についての認識を述べさせていただきたいと思います。
現行憲法が制定されてから五十有余年の月日が経過し、その間、我が国をめぐる国内外の環境は大きく変化してきております。
まず、国内に目を向けますと、我が国は高度経済成長を経て、世界第二位と称される経済大国となりましたし、また国民の間に民主主義が定着し、その熟度は非常に高いものとなっております。
次に、国外に目を転じますと、憲法制定時において既に顕在化していた冷戦構造はソ連の崩壊とともに終えんし、現在では米国が唯一の超大国として存在しており、このため現在の国際秩序の安定にその存在が大きな貢献を果たしてきております。そして、我が国は、戦後半世紀以上にわたり、米国中心の国際秩序の最大の受益者でありました。
また、人、物、資本、情報等が国境を越えて移動するグローバル社会のもとにおいて、国際的な相互依存関係が一層深まってきている一方で、貧富の差の拡大、大量破壊兵器の拡散等、グローバル化のいわば負の側面が現出しつつあります。
さらに、九・一一米国同時多発テロ事件以降、イラク問題、北朝鮮問題等を初め、これまでの国際秩序を根本から揺るがすとともに、我が国の平和と安全に対する直接的な危機が現実のものとなるような問題が生じております。
このように、我が国をめぐる国内外の環境が大きく変化する中で、現行憲法は、その制定以降、ただの一度も改正されることなく今日に至っております。確かに、戦後我が国が紛争において一人の国民も死なすことなく、また一人の人も殺すことなく来たこと、経済成長に向けて邁進することができたことなど、現行憲法がこれまで我が国の平和と繁栄のために果たしてきた役割については一定の評価をし得るものと考えます。
しかしながら、現行憲法は、本調査会での議論でも明らかにされましたように、ハーグ陸戦法規で、占領地の法律の尊重が定められているにもかかわらず、占領下においてGHQに半ば押しつけられたもので、世界平和の脅威とならないよう戦力不保持及び交戦権否認を定めるとともに、精神的な武装解除のために国民の精神改造を図ったものであります。
このことは、日本国民以外はすべて平和を愛する諸国民であり、日本さえ悪事を働かなければ世界は平和であるという当時の世界認識を背景としており、日本が他国から侵略や攻撃を受けるということは全くの想定外でありました。五十有余年後の今日、我が国には北朝鮮からの脅威が突きつけられております。
このように、現行憲法によって今日の複雑かつ急激な国際情勢の変化に対応していくことは限界に来ていると考えざるを得ません。
他方で、九条二項において戦力の不保持が規定されているにもかかわらず、現実にはイージス艦四そうを初めとする装備を有する自衛隊が存在しており、多くの国民が支持しているところでもあります。
また、湾岸戦争以降、PKO協力法、周辺事態法、テロ対策特措法、武力攻撃事態法、そしてイラク復興支援法案という我が国の安全保障及び国際協力に関する一連の法律が制定されようとしております。
このような現状が意味するところは、自衛隊発足後、しばしば解釈改憲を積み重ねることによって国際情勢に対応してきた結果、憲法規定と解釈運用との乖離が顕著になってきているということであり、これは法治主義という近代法の原則に照らし不誠実な対応であると考えます。
そして、このような乖離に拍車をかけている理由の一つが、内閣法制局が憲法解釈権を独占し、政治がこれに服従しているかのような実態ではないかと考えます。
私は、憲法解釈というものは、内閣法制局の解釈に縛られるのではなく、政治家としての責任において示すものであり、また、憲法規定と現実との乖離が顕著となった場合には、憲法改正の是非を国民に問わなければならないという姿勢こそが政治の本来のあるべき姿であると考えます。
このように考えますと、何か事態が生じる都度に解釈改憲を積み重ねた上で法整備を図るというこれまでの方法には問題があるのであって、今日の国際情勢の変化に対応していくためには、やはり憲法改正を視野に入れた上で、第一に、万が一の事態に備え我が国の防衛体制を整備するとともに、第二に、国際の平和及び安全の維持にかかわる責任を果たすため、あらゆる分野における国際貢献を一層推進していく必要があると考えます。
それではまず、防衛体制の整備と憲法改正の問題について具体的に考えてみたいと思います。
近年、国際情勢は緊迫度を増してきております。北朝鮮によって拉致問題、ミサイル発射問題、核兵器開発問題等が引き起こされてきております。特に北朝鮮による核兵器保有は、日本に対する脅威を著しく増大させるものであり、NPTに違反しても制裁されないとの先例ができれば、世界的に核拡散が助長されることになりかねません。また、一昨年には、唯一の超大国である米国を標的とした九・一一事件が発生いたしました。
このような中で、多くの国民がミサイル攻撃やテロを現実の脅威として感じていることは事実であります。国の主権を守り、また国民の生命財産を守ることが政治の責務であることにかんがみれば、このような国民の不安を解消するためにも、万が一の事態が生じた場合であっても万全の対処を行うことができるよう防衛体制を整備することは当然のことと言えます。
そもそも国防とは、みずからが属している国家共同体を、みずからの生命を犠牲にしてでも守ることであります。国家が自分のために何をしてくれるかではなく、国家に対し自分は何ができるかという姿勢こそがその基本に置かれるべきものであります。また、国家とは、前の世代から受け継ぎ、みずからの世代を経て次の世代に受け渡していくという連続性のある歴史的所産であるということを指摘しておきたいと思います。
憲法九条をめぐっては、これまで、我が国は自衛権を保持しているのか否か、自衛権を保持しているとして、その発動に当たって一定の武力行使は認められるのか否かといった議論がなされてきました。
これらの点に関して政府は、九条によっても自衛権は放棄されるものではなく、またその発動に当たって自衛のための必要最小限の武力を行使することは認められると述べておりますが、依然としてこの種の議論が繰り返されてきているということは、安全保障という国家としての根本問題について、国民の間での完全なコンセンサスがないということでありまして、このことは、万が一の事態が生じた場合に、国家は国民を十分に保護することができるのか、また、防衛行動を行うに当たって国民全体からの信頼や協力を得ることができるのかという疑念にもつながるものであり、問題と言わざるを得ません。
したがいまして、国家として当然に保有している権利と、国家として国民を守るという姿勢とを明らかにするという観点から、我が国が自衛権を保持していること、防衛活動を担う主体として自衛隊が存在すること等を憲法上明確に位置づける必要があると考えます。
また、先般、多くの会派からの賛成を得て、有事関連三法がようやく成立いたしました。これら有事法が成立する以前には、仮に万が一の事態が発生した場合に、自衛隊は超法規的な行動に訴えざるを得なかったのではないかということを考えれば、有事法の整備はむしろ遅過ぎたのではないかとの思いもあります。今後は、残された課題であります国民保護法制及び米軍との関係に関する法制についても早急に整備を図る必要があると考えます。
ところで、これらの有事法は、統治機能の変更、一定の人権制約等国家の基本に関する事項を内容とするものであります。どのような有事においてどの程度の権限を首相に移譲するのか、また、どの程度の人権制約が認められるのかといった事項は、諸外国の憲法を見てもわかるとおり、本来、国家の基本法たる憲法にその基本を規定すべきものであります。
翻って我が国の憲法を見ますと、緊急事態に関しては、わずかに五十四条二項に参議院の緊急集会が定められているにすぎず、危機管理意識の欠如した憲法と言わざるを得ません。したがいまして、外部からの武力攻撃、大規模自然災害をも含めた非常事態の要件、対処行動の手続、非常事態においても侵害してはならない人権の種類等に関する基本的事項を定める条項を憲法上設ける必要があると考えます。
その際、国会等のコントロールを及ぼすことによって首相による権力の乱用を防止する必要はありますが、しかし、厳格な規定を設けることによって首相の裁量の余地を狭め、その結果かえって国民の利益が損なわれることのないよう、慎重な制度設計が必要であると考えます。
さらに、日本の防衛は我が国一国だけでなし得るものではありません。したがいまして、引き続き我が国の安全保障政策の基軸として日米同盟を維持し発展させていく必要があり、このことは、将来的にアジアにおける地域的集団安全保障を構想する上でも重要になってくるものと考えます。
もっとも、我が国は、集団的自衛権について保持するが行使できないとされており、通常の同盟関係における共同防衛の責務を果たせない現状にあります。しかしながら、このような憲法解釈は非常にわかりづらいものであります。
国連憲章五十一条では集団的自衛権が固有の権利として国家に認められておりますし、また、サンフランシスコ平和条約五条(c)項では「連合国としては、日本国が主権国として国際連合憲章第五十一条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利を有すること及び日本国が集団的安全保障取極を自発的に締結することができることを承認する。」と定められておりますことから、このような解釈はむしろ誤りであるとも言えるのであって、これを正すべきであります。その上で、政治の責任において、主体的判断に基づき、国民の利益に沿う形で集団的自衛権を行使することを通じて、対等かつ双務的な日米関係を築いていく必要があると考えます。
以上のような防衛体制の整備及びこれに伴う憲法改正を行うに際しては、近隣諸国からの批判や懸念が当然に予想されるところであります。しかし、ヨーロッパにおいては、歴史上悲惨な紛争を繰り返してきたドイツとフランスとが相互の信頼醸成措置を通じて対立を解消し、統一ヨーロッパを目指す動きの原動力となっており、この動きは、現在、ヨーロッパ憲法を制定する段階にまで至ってきております。
このことを踏まえますと、我が国も、防衛体制の整備等を図ると同時に、近隣諸国との間で信頼醸成を図るための措置を講じ、アジアにおける地域協力の道を固めていく必要があると考えます。
次に、国際貢献の推進と憲法改正の問題について考えてみたいと思います。
冷戦構造が終えんした現在においても、世界各地で紛争が生じており、多くの民衆が犠牲となっております。これらの紛争は、グローバル化が進展する中で、我が国の平和と繁栄に直結する問題となっていることから、決して我が国と無縁のものではありません。
一国の安全は外敵の直接的な脅威に対処するだけで確保されるものではないのであって、地域や国際社会全体の秩序の安定をいかに確保していくかが重要となっております。また、我が国は、世界各地で生じている紛争を解決するための意思と能力を有しております。これらのことを踏まえれば、我が国が国連のPKOを初めとする国際の平和及び安全の維持に関する取り組みに対し相応の責務を果たすべきことは言うまでもありません。
冷戦構造のもとでの紛争は、国家対国家という形において生じるものでありました。しかし、今日生じている紛争の多くは、民族、宗教、貧困、環境破壊等に起因するものであって、主権国家という枠組みでとらえ切ることのできないものであります。これらの事態に対処するためには、人間一人一人の生存、生活、尊厳に対するさまざまな脅威への取り組みを主権国家の枠を超えて国際社会全体として強化していく上での新しい価値観が必要となるのであり、その意味で、人道上個々の人間の安全保障に着目した人間の安全保障、いわば人道上の安全保障という考え方が重要になってくるものと思われます。
ここで、現行憲法の平和主義について考えてみたいと思います。
戦後、国民は、平和と軍事を根本的に対立する概念としてとらえ、軍事力が平和を壊す道具として用いられることへの警戒心があったことは、戦争を体験した国民の感情として十分に理解できるものではありますが、国際社会の現実を見れば、平和や安全は最終的には武力により担保されることもあり得るものであります。
今後、我が国としては、平和と安全を最終的には武力により担保することもあり得るという立場に立った上で、人道上の人間の安全保障という考え方を未来志向のより強靱な平和主義の形として提示し、国際の平和及び安全の維持に向けた取り組みに積極的に関与していく姿勢を示す必要があると考えます。
人道上の人間の安全保障に基づく国際貢献とは、一人一人の人間の豊かな可能性を引き出し、意義ある生活が送れるよう、政府、NGO、国際機関等が連携して基本的支援を行うというヒューマンエンパワーメントの側面とともに、その支援が実施される地域での社会秩序の維持に関し、第一義的な責任を負う国家がその機能を発揮する十分な能力と意思を有しない場合において、その支援について正当性が担保されるときには、軍事力の提供をも含む支援を行うことによりヒューマンエンパワーメントを実現するというプロテクションの側面を有するものであります。このような考え方は、国際法上いまだ十分に確立されたものではありませんが、その必要性にかんがみれば、今後検討を進めていかなければならない問題であると考えます。
九条は、憲法制定当時の国際情勢を反映し、国家対国家という形での武力紛争を前提として規定されたものであります。また、現在の政府見解によれば、自衛権の行使以外の場合における軍事力の行使や支援を禁止するものであるとされます。これらにかんがみれば、人道上の人間の安全保障に基づく国際貢献を実践するに当たっては、やはり憲法改正が不可避のものとなると考えます。
以上のことを踏まえまして、私は、次のような憲法九条の改正に向けた若干の提言をしたいと思います。
まず、その前提として、九条一項に定められました侵略戦争放棄の理念、これは一九二八年に締結されました不戦条約において示されたものでありますが、我が国が原加盟国としてその締結に尽力したことを強調しておきたいと思います。
その上で、第一に、九条一項の侵略戦争放棄の理念は堅持した上で、我が国が国際社会の平和及び安全の維持に積極的に関与していくという立場から国際貢献を行うに当たっての理念として、人道上の人間の安全保障の考え方を具体化いたします。
第二に、いわゆる一国平和主義から脱却する意味でも、国際社会の現状に沿わない戦力の不保持及び交戦権の否認を定める同条二項を削除した上で、個別的であるか集団的であるかを問わず自衛の権利を保持するとともに、これを行使できることを明記し、また、我が国の防衛と国際貢献を担う主体として自衛隊の憲法上の位置づけを明確にいたします。
第三に、侵略、大規模自然災害等の非常事態における首相への権限集中、人権の保護や制約等に関する非常事態条項を新たに設けることといたします。
なお、九条は前文に掲げられたいわゆる平和主義を受けた規定であるとされていることから、九条の改正を検討するに当たっては、あわせて前文の見直しが必要であると考えます。
以上申し上げました九条の改正案は、私の試案でございますが、今後憲法調査会での調査を進める上での一助にしていただければ幸いであります。
今後は、二十一世紀という新しい時代の日本にふさわしい、世界に誇るべき国民のための憲法の制定に向けて、早急に議論を深め、合意形成を図っていく必要があると考えます。
また同時に、憲法改正手続について定める憲法九十六条の規定を具体的に実施するための法律が整備されていないことは、国民の半数以上が賛成しているとされる憲法改正に向けた意思を無視するものであって、いわば立法の不作為に当たるとも言えることから、憲法改正のための国民投票法等関連法律を直ちに整備させる必要があると考えます。
以上をもって私の基調発言とさせていただきます。ありがとうございました。