2003-07-03
衆議院
中山正暉
憲法調査会安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会
中山正暉の発言 (憲法調査会安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会)
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○中山(正)小委員 自民党の中山正暉です。
いろいろ議論を聞いていまして、日本は本当にタイミングをすべて逸してしまったなと思います。
自民党の方でも、国会議員のときには憲法改正をおれが総理大臣になったらすると言っていた人がいて、総理大臣になると、おれの在任中は改正しない。その繰り返しで、野党は野党で、冷戦構造で二つの対立点があった中で、日本にこういう武力を持たないという憲法があった方が革命がしやすいだろう、そういう魂胆と言っていいと思いますが、いわゆる敗北主義といいますか。
国際主義と愛国主義、これは「毛沢東語録」の中で私がいつも大変興味を引かれることなんですが、自由主義国に生きる共産主義者というのは自国の戦争が負けるように祈れ、共産主義国に生きる共産主義者は自分の国が勝つように祈れと。日本人でありながら、中国の革命に協力をした野坂参三さんのことが書いてあります。
野坂参三さんという人は、CIAのエージェントであったということで今はもう資格を取られていますが、昭和七年にアメリカからソ連に入って、岡野進、中国語ではカンエイジンという呼び名で呼ばれていましたが、今はもう延安の記念碑の中からも野坂参三さんの名前は消されたそうですけれども、そういう人が本当に国際的共産主義者としての愛国者なんだということが書いてあります。
それ式に考えると、日本が戦争に負けて、昭和二十年の八月十五日終戦から日本を占領するときにも、ソビエトは、釧路と留萌の線を含んだところから北をよこせ、一番最初は福島からよこせと言っていましたが。こうして米国の占領軍が日本を占領したことで、日本は大変に救われました。分裂国家の悲劇というのは、ドイツは四カ国で分裂をさせられ、その東ドイツの中のベルリンというところもまた四カ国で分断されたためにドイツというのは大変気の毒な状態になったわけです。朝鮮半島もそうです、分断された。日本は、おかげさまで、アメリカという自由主義国家に占領されたためによかったんです。
アメリカは、自分たちがいる限りは日本に戦争をしかける国なんてもうない、後はもう自分さえ世界の秩序を守ればいいと思っていたやさきに、昭和二十五年の六月二十五日、朝鮮半島にダレスという国務長官が行って、帰ってきて一週間目に戦争が起こったんですね。
戦争が起こったときに、アメリカ軍だけではなしに十六カ国が国連軍を形成した。そして、結局、今、北朝鮮と国家としての交渉も長い間できなかったのは、国連決議百九十五号の中では朝鮮半島には韓国しかないと書いてあるんですね。一九六五年に日韓条約で結んだものにも、あの条約の中には、朝鮮半島には韓国しかないと書いてあった。そのすぐそばにいる日本としては、どうしようもできなかった。
私は昭和四十九年に労働政務次官をいたしましたが、私の上司の大臣、大久保武雄先生、この方は最初は逓信省に入られたそうですが、後に海上保安庁初代長官になられました。
私は、その大久保武雄先生から大変なことを聞きました。何とおっしゃったかというと、中山君、私は仁川上陸作戦に旧海軍を率いて掃海作業をやったんだと。こういうことをおっしゃって、今でも自分はオナラブルメンバー・オブ・ユナイテッドステーツネービーだと。ウエルダン、マッカーサーからよくやったという感状をもらったと。
そのときからもう日本は朝鮮動乱に参加していたんですね。それはそうでしょう。朝鮮半島で何かえらいことになったら。特に、十二メートルの世界一の潮の干満の差がある仁川に上陸する、これはなかなか至難のわざであったでしょう。アメリカ軍ですら考えつかなかったのに、旧海軍の連中がその知恵を米軍に提供して、そして仁川上陸作戦をやって、それでやっと追い返して、そのために、今、三十八度線、不安定ですけれども、マッカーサーが、どなたかおっしゃった、満州に二十六発の原子爆弾を落とそう、そして台湾軍を朝鮮動乱に投入しようとしたときに、これはアメリカのトルーマン大統領が、ソ連と中国を巻き込んで世界戦争になるのが怖かったから、自分の司令官の首を切ったのが朝鮮動乱の最終的なものですね。
これは後で、葉梨先生、御発言があるようですから途中で切りますが、また再度発言をさせていただくことをお願いをし、三船敏郎さんが、「仁川」という映画をつくりたい、あるパーティーで隣同士で座ったとき、だれか詳しい人いませんかねと言うから、私は大久保武雄さんを紹介したんです。それで、アメリカ、ハリウッド映画の「仁川」、仁川上陸作戦の「仁川」という映画ができました。これは日本では公開されておりません。これだけ見ても、なぜ日本で仁川上陸作戦に日本人が協力したことを伏せたか。これは大変な意味のあることですから。
私どもは、ここで、自民党が長いこと政権を持って憲法改正に踏み切れなかった、その世界情勢、それからアメリカが中国を気にして日本の憲法改正を阻止した、それに対して周辺事態法とか武力事態対処法とかテロ対策法とか、大変な知恵を出して、反対をする野党に足を引っ張られながら、どうにかこうにか日本人の安全を保ってきたというのは、我が政府、今日まで続いてきた日本人の知恵の塊だと私は思っていますから、憲法改正の話をする、そのための憲法調査会では、もっと真剣に、本当にこれからどうしたらいいのか、そういう世界的な認識の根底を離れて、日本人のために、日本人がいかに幸せになるかということを、もう米ソの対立もなくなったんですから、思想的な対立というものを超えて、日本人の幸せを願うことが、私は、国連の活動に世界と日本が協調できていくような世の中になるんじゃないか、こう思っております。
後でまた発言をさせていただきます。