長尾龍一の発言 (憲法調査会最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会)

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○長尾参考人 私は、非常に違った考え方を持っておりまして、憲法改正権限界論というのは大きな誤りの議論ではないかというふうに前から考えているんです。
 まず第一に、もし憲法改正権限界論というものが正しいとすると、これこそ、さっき言った祖先による子孫の呪縛の最たるものであって、早い話が、憲法の制定者たちがつくってこれは絶対動かせないと思ったものについて、基本原則というのは、子孫の中で九九・九%の人が反対の意見を持っても覆せないということになる。これこそ祖先の子孫支配の最たるものであって、どうしてそんなことが可能なのかわからない。
 それから第二として、憲法改正権の限界というのは一体どういう限界なのかという問題がある。
 特に、実際問題として、明治憲法の改正権の限界を超える改正が旧憲法七十三条に従って昭和二十一年に行われた。これについては、憲法改正権の限界を超えたから、したがって国体が変わったもので、それゆえに革命である、これは宮沢先生の説です。
 これは、だから、革命であったら無効になるかというと、無効になるとまでは言わない。ということになると、要するに、これが憲法改正権の限界だという主張があったとしたら、その枠を超えた決定が改憲手続に従って行われれば、その結果として無血の革命が行われたのである、そういう議論になる。
 しかし、無血の革命だというように言うことの意味というのはどこにあるのか。これは無血の革命である、これは合法的な改憲であるということの、そういう言い方を区別することによってどういう意味があるかというのは、私にはわからない。
 というのは、もう少し具体的に言うと、もしそうだとすれば、仮に今、憲法の改正権の限界と称するものを超える憲法改正が行われようとしている。しかし、それに対して、これは憲法改正権の限界を超えているから許されないと言った。それでは、合法的じゃないクーデターによってそれを実現しようかというような仕方で、法秩序の安定性を破って、平和を破って内戦になるのか、それとも改正権の限界を超えて、革命だけでも、しかし、議会が制定したらそれは有効で、したがって、別に名目上革命だと言ったって、実際上は大して事態が違わないのかどっちかで、いずれにしても、非常に不思議な議論だと私は思っております。
 そしてまた、憲法改正権の限界というのは、日本国憲法のことだけを念頭に置いて護憲論者がおっしゃっておられるのは、それはそれで政治論としてはわかりますけれども、明治憲法下においては、国体というのは天壌とともに無窮で、絶対変えられないと言った。実際は、明治憲法の国体と言われたものは、幕末に知識人の間で流行した尊王攘夷論の中のある部分をとったもので、別にそんなに古くからの日本の伝統というわけでもない。
 だから、それを明治の人たちが、これは絶対に変えられないんだと言った、したがって変えられないとか、あるいは江戸時代だったら身分制度だとか、さっき言ったような、親藩、譜代、外様の格付だとか、そういう制度は変えられない、そういうものは基本制度であって、幕府の基本精神にかかわるから変えられない、こんなふうなことを言う人はいるかもしれないけれども、そういうことを言うことが何か非常に重要で意味のあることかどうか、私にはよくわからない。
 ですから、私は、憲法改正権限界論というのは、多くの憲法学者が昔から唱えているけれども、大きな誤りの議論ではないかと思っているんです。

発言情報

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発言者: 長尾龍一

speaker_id: 2746

日付: 2003-04-03

院: 衆議院

会議名: 憲法調査会最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会