坂野潤治の発言 (憲法調査会最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会)

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○坂野参考人 先ほども御説明申し上げましたように、統帥権だけは美濃部達吉でも独立を認めています。それ以外のもの、例えば軍縮をやるかやらないかは内閣がやれるというのが美濃部憲法学ですし、伊藤博文自体もそういうふうに言っております。
 そうすると、問題は、現地軍が行動を起こしたときに、さっきの史料でありましたように、関東軍司令官は全部天皇に直隷するという明治憲法の解釈になっていますから、一番リベラルな吉野作造さんを除くすべての人がそういう解釈ですから、関東軍が何かやったときにどうやって抑えたらいいか。これは天皇がやるしかないわけなんです。天皇は大元帥であり、天皇は内閣、国務の元首ですから。
 ですから、実際には、昭和天皇は昭和八年の連盟脱退のときに御前会議を開きたいと。それで、牧野伸顕内大臣に対して、あるいは鈴木貫太郎侍従長等が協力して御前会議を開けば、関東軍の参謀総長も呼べるし、総理大臣も呼べるから、これでやりたいということを何度も言っていて、牧野もやっていたのですが、結局、反対したのは元老西園寺です。
 なぜ反対したかというと、もし御前会議をやって、その前に参謀総長も呼んできて、連盟脱退をしないという決定をして、でも、連盟脱退をしないためには関東軍を抑えなきゃいけない。ところが、天皇が御前会議を開いて、抑えるという決定をして、石原莞爾がさらにやっちゃった場合に、天皇制は崩壊するだろうという。それで、西園寺はそれにどうしても乗れない。
 ただ、天皇側近は、内大臣、侍従長、宮内大臣一木喜徳郎を含めまして、これは国家の大事だから御前会議でやると。御前会議以外に関東軍を抑えて連盟脱退を回避することはできないということをやっていたんですから、私は、ぎりぎりのところまではやったと思います。
 ただ、御指摘の日中戦争以後になりますと、問題は二・二六事件があります。昭和八年に一生懸命関東軍を抑えようとした内大臣、侍従長、これがみんな二・二六青年将校のターゲットになって、それで、斎藤実内大臣は実は殺されちゃいます。
 ですから、昭和十一年二月二十六日に今までかなり英米協調で不拡大をやっていた天皇側近が、実際に殺されるか政治的に殺されるかになったので、天皇は「本庄日記」に実際の言葉で書いてあるんですけれども、青年将校が余の重臣を全部殺して、真綿でもって余の首を絞めるのかというふうに、実際、天皇は、周りの側近、平和主義のというか、平和主義と言うとまた言い過ぎかもしれませんけれども、英米協調主義、不拡大の重臣を全部失ってしまった。
 それ以後の天皇について、私はちょっと責任をとる気がない。天皇と牧野内大臣で一生懸命、何とか抑えよう抑えようとしていった、その連中が青年将校に全部やられてしまって、以後、全部腰が引けた。天皇ひとり頑張れば憲法上何かやれたじゃないかというのは、幾ら何でも、私はそこまでは言いたくないという……。

発言情報

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発言者: 坂野潤治

speaker_id: 1018

日付: 2003-05-08

院: 衆議院

会議名: 憲法調査会最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会