2003-05-08
衆議院
坂野潤治
憲法調査会最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会
坂野潤治の発言 (憲法調査会最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会)
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○坂野参考人 幕末維新、明治維新をつくるときにどうだったかという話と、それが明治憲法にどうかかわって、それがあの戦争にどうかかわったかと。先生のおっしゃっている、七十年、八十年の話を一つの論理で見つけようとなさっている。
私どもはそういう発想をしないで、まず、幕末維新から憲法ができるまでどんな構想があったか、そのうちのどれとどれの合体で明治憲法になったかというふうに考えて、その明治憲法の運用の中で出てくる変化は、その後の歴史を勉強しながら行っていく。四段階、五段階の段階を踏んでやっていくので、一足飛びに何かするというのは、物すごく原因を恣意的に決めちゃう。ここですべて始まったんだというふうになるから、そういう考え方は歴史家はとらないのです。
御質問に答えれば、明治の元勲の三と言われる三人、西郷隆盛と木戸孝允と大久保利通を考えますと、三人三様の夢を持って明治維新を、革命をやっちゃったんですね。
西郷隆盛は、東洋の盟主、アジアの盟主になりたい、だからできれば中国と戦争をしたい、日本の、そしてアジアのリーダーになりたいと。木戸孝允は、割と最初から、新しくできた天皇制が専制にならないために、国民的な基盤をつくりたい、それには五カ条の御誓文だけでは足りない、欧米へ行ってくると憲法というのがあるじゃないか、憲法をつくって、議会をつくって、新しくやっちゃって、突然権力の地位についた天皇を国民の基盤に乗せようと。大久保利通は、戦争をやっている、対外侵略をやっている暇はない、憲法なんかつくっている暇はない、殖産興業だと。だから、大久保利通の言い方によれば、国家の実力というのは軍事力でもなければ法整備でもない、輸出入の統計だと。だから、入超になれば国家の力はない、大久保はそう思った。
この三タイプが明治の十年、十一年まですごいひしめき合うわけです。みんな幕末の尊王攘夷、明治維新、三人で肩を組んでつくったんですよ。つくった瞬間に、三人考えていたことが違っていたわけですね。その結果、西郷隆盛は最終的に明治十年に反乱する。そして十年に木戸孝允は病死して、西郷が西南戦争、そして十一年に大久保利通は殺されちゃう。だから、何か断絶がある。同志でやって、三つの夢で分裂して対立した三人が、明治十年から十一年にすべて姿を消しちゃうわけですね。その後何があったかというのは、きょうお話しした話。
だから、幕末維新のときに、明治維新の最初に何か悪いことがあったんじゃないか、そこに太平洋戦争の責任があるのじゃないかと言われると、西郷も大久保も木戸も、ちょっとたまらない、やっていられないという感じになって、やはり維新の最初の十一年間のものと、その次の話、福沢諭吉が出てきて、井上毅が出てきて、また違う国づくりが行われたんだと。
お答えになったかどうか、よくわかりませんが。