坂野潤治の発言 (憲法調査会最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会)

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○坂野参考人 先ほどの報告で言いましたように、明治十四年段階では国会開設期成同盟会だとか自由民権運動というのは国民的な支持を得ていて、その段階でつくったならば、あるいは議会が先になったかもしれない。でも、さっき話すのは落としたんですけれども、明治十四年十月に、明治十四年の政変と言われるものが起こりまして、憲法制定を十年延ばす。といいますか、具体的に明治天皇が約束したのは、一八九〇年、明治二十三年に国会を開くという約束をしたんです。一八八一年ですから、あと九年間。この九年間の間に民権運動の方が待てないで、事件の名前だけあるいは聞かれたこともあると思いますが、加波山事件だとか何とか事件という激化事件があって、基本的に民権派がこの段階に敗北してしまうわけです。明治十五年から二十年ぐらいの間に、完全に敗北。
 その明治二十年の七月あたりから、もう一度、大同団結運動という運動が大きく起こるんですけれども、そのころにはもう伊藤博文が帰ってきて、憲法草案もできていて、枢密院を開くばかりになっている。ですから、九年間の落差に、片っ方は激突、玉砕して負けちゃって、もう片っ方は準備整っていた。だから、憲法というのが先にできた。
 そうしたら、中江兆民という土佐派の、さっきの坂本竜馬の末裔みたいな人ですけれども、その人は、第一議会で最初に問うことは、憲法を点検させろということだと言うんですけれども、それは、筋論として合っていても、もう憲法ができて、七月に選挙をやって、議会に出てきているわけですから、まず減税をやりたいという、そっちが先になってしまって、憲法論はやはり避けて通った。基本的に言いますと、そのころの議論でも、憲法というのは神棚に上げときゃいいんだから、実際の政治で解決すればいいんだから、神学論争はやめようという気持ちが非常に強かった感じです。

発言情報

speech_id: 115604189X00420030508_022

発言者: 坂野潤治

speaker_id: 1018

日付: 2003-05-08

院: 衆議院

会議名: 憲法調査会最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会