窪田好男の発言 (憲法調査会統治機構のあり方に関する調査小委員会)

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○窪田参考人 おはようございます。
 神戸学院大学法学部法律学科助教授の窪田好男でございます。
 本日は、この衆議院憲法調査会で自説を開陳する機会をちょうだいいたしまして光栄でございます。公共政策学という学問を学ぶ一研究者という立場から、本日は、国会の政策評価機能について申し述べたいと思います。どうぞよろしくお願い申し上げます。
 では、レジュメに従って陳述を進めてまいりたいと思います。
 まず、政策評価というものをどのようにとらえるのかということを申し述べたいと思います。
 一般に、政策評価とは、政策の有効性、費用対効果、弊害の有無、大きさなどをはかるものであり、決定、実施された政策の効果等を測定し、次の段階の政策形成にフィードバックさせようというものであるというように理解されているように思います。しかしながら、厳密に申し上げますと、政策評価には、今申し上げました意味合いの政策評価に加えて、政策の目的あるいは政府の方針、または政策それ自体を、自由や平等、民主主義、福祉、経済的効率性といった広く社会に受け入れられたような価値あるいは政治の目的というものに照らして評価するというタイプもあるように思います。一応、このような二つの政策評価、二つの類型と申しますか、レベルの政策評価があるということを確認したいと思います。
 なぜ、今現在、この政策評価というものが注目されるのか、その背景を三点挙げておきたいと思うわけでございます。
 その第一は、アカウンタビリティーというものが今重視されているということであろうかと思います。
 我が国ではしばしば説明責任というように訳され、用いられ、定着しつつあるように思います。しかしながら、説明責任と申しますと、あたかも、ある行為をなぜ行ったか、あるいはある結果についてなぜそのようなことになったのかということをとにかく説明すればいいというニュアンスが強く出るように思われ、結果を出すという、本来アカウンタビリティーというものが求めている内容を必ずしも的確にあらわしていないようにも思います。というような意味で、我々研究者の間では、説明責任という言葉よりもアカウンタビリティーという片仮名文字を用いておるわけでございます。
 いずれにせよ、そのアカウンタビリティーというものが、政策評価が注目される第一の背景であろうかと思います。
 そして、第二点につきましては、昨今、政策に対する需要は、質的にも量的にも増大しつつあります。また、時代の大きな変化のときというようなことがしばしば言われるわけでございますが、そうした中におきましては、効果であるとか費用あるいは弊害について不確実なままで政策を決定、実施せざるを得ない場合が多くあろうかと思います。
 例えば、今現在、少子化対策基本法というものが審議されていると理解しておりますが、少子化対策としてどのような政策をやることが本当に効果的なのか、必ずしもわからないままこの政策を設計し、決定、実施せざるを得ないのではないかと思います。そうした場合、政策評価というものを行って、現に行われた政策の効果、費用、弊害なんというようなものを測定、分析することが重要になってくるのではないかと思うわけであります。これが背景の第二点でございます。
 そして第三点、これは経済学の方で出てきたモデルであろうかと思いますが、プリンシパル・エージェント・モデルというものから政策評価の必要性というものが論じられる場合がございます。
 このモデルは何かと申しますと、主権者たる国民と国会、そして国会と内閣、内閣と官僚という関係をプリンシパル、これは無理やり日本語に直しますと本人ということになるわけですが、それとエージェント、これは代理人でございます、この関係として描くモデルでございます。本人が代理人を有効に統制、制御し、代理人が本人の負託にこたえるように統御する、そのような方法論として政策評価が注目されているわけでございます。行政監視ということと直接的につながるのではないかと思う部分でございます。
 では、政策評価がそのようなものであるとして、国会に政策評価が必要であるかというところに問題を進めてまいりたいと思うわけでございます。
 近年、政策評価につきましては、三重県を初めとする地方公共団体と省庁において行政の自己統制の手段として導入され、注目を集めておるわけでございます。また、それ以前から、会計検査院の方で行われる政策評価というものもあるわけでございます。
 会計検査院の検査の観点は、従来型あるいは基礎的なものといたしまして、正確性であるとか合規性というものがあるわけでございます。正確性というのは予算執行状況を決算が正確に表示しているかということでございますし、合規性というのは会計経理が予算や法律等に従って適正に処理されているかということを問う基準でございます。
 それに加えまして、近年、いわゆる三Eと呼ばれる検査の観点が導入されつつございます。それは、経済性、効率性あるいは有効性と呼ばれる観点でございます。経済性、効率性というのは、事務事業が経済的、効率的に行われているか、そして有効性というのは、事業が所期の目的を達成しているか、また効果を上げているかという観点であると会計検査院自身は説明しております。
 そのように、従来の正確性、合規性から、いわゆる三E基準というものに検査の観点を拡大することにより、会計検査院が政策評価機能を担う、そのような期待があるように思います。
 また、平成九年の国会法等の改正により、国会による会計検査・報告要請制度が創設されました。そこで、行政監視あるいは政策評価というものは、会計検査による三E検査及び行政機関が行う政策の評価に関する法律に基づく省庁の自己評価で事足りるのではないか、そのような理解も成立し得るように思います。
 しかしながら、私といたしましては、会計検査院による行政監視、政策評価には一定の限界があろうというように感じるわけでございます。それを三点ほどに分けて申し上げたいのです。
 まず第一点といたしまして、会計検査が政策や事業の有効性について、つまり国会の決定、政府の実施による政策、事業の有効性、効果があるかということについて評価するということは、国会や内閣の責任に属する政策決定権に介入しているのではないかという疑問が抱かれ得るのだという指摘が西尾教授から行われております。あるいは、これに類する自己認識が会計検査院自身にも、あるいは検査院の一部にはあるように思います。
 加えまして、アメリカの会計検査院であるゼネラル・アカウンティング・オフィス、いわゆるGAOというものが政策評価を行っていることを根拠とし、我が国の会計検査院による政策評価、つまり三E検査を推進しようという議論がございます。しかしながら、GAOは連邦議会の附属機関であります。それに対しまして、我が国の会計検査院は独立機関でございます。議会附属機関と独立機関では政治的な影響力に大きな違いが出るというように考えられ、その違いは、それぞれが評価をし、その出した結果、勧告というものが以後の政策形成に活用される可能性を大いに左右すると考えるわけでございます。端的に言って、議会と関係を持たない独立機関たる会計検査院は国会や内閣に比べ民主的正統性の点で劣り、その評価結果が活用される可能性も劣るわけでございます。
 よって、会計検査院による政策評価、三E検査とともに、議会もまた、みずからのアカウンタビリティーを果たすため、あるいはプリンシパルたる議会がエージェントたる内閣と省庁を有効に制御、コントロールするため、また議会、内閣、省庁の間にある政策にかかわる情報ギャップというものを埋めていくために政策評価を議会自身が行う必要があるのではないかと思うわけです。このことは、特に野党や、あるいは与野党を問わず小規模な政党、あるいは議員連盟の活動等において必要なのではなかろうかと考えておる次第でございます。
 では、ここから、かつて民主党によって提出された行政監視院設置法案を念頭に置きつつ議論を進めたいと思うわけでございます。
 行政監視院設置法案について簡単に振り返りますと、それは第百三十九回臨時国会に提出されたものでございました。その内容といたしましては、国会の附属機関として行政監視院というものを設置する。第二点といたしまして、行政監視院の権限を、国の行政機関の業務に対する監視等及び法律の制定または改廃等に関する意見具申というのを行う、そして、それらのために資料の提出の要求等を権限として持たせるというものでございました。これは国政レベルでも初めて、しかも、国会に政策評価機能を持つ機関の設置を提案するものとして非常に意義深いものであるとして注目したわけでございます。
 しかしながら、この行政監視院設置法案については、その提案を行った民主党に政策評価についてある種の誤解というようなものがあったと指摘せざるを得ないように思うわけでございます。
 それはどのような内容のことかと申しますと、端的に申し上げまして、政策評価を内閣や省庁の責任追及のツールとしてとらえたこと、それがあえて誤解と申し上げることでございます。さらに申し上げるならば、行政監視院設置法案におきましては、小規模な議員集団、ちなみに衆議院で二十名、参議院で十名の要求に応じて議会附属機関が、ある意味、独立的な行動主体として評価を行い、法律の制定や改廃について意見具申をするという内容でございましたが、あたかも議会の附属機関が裁判官や検察官のように法律の制定、改廃について判決と申しますか意見具申を行うということは、ある意味、議院内閣制のもとでは非現実的と言わざるを得ないのではないかというように考えたわけでございます。
 そのような政策評価が成立する、ある意味、国会議員でもない者が裁判官の判決がごとき政策評価を行う、あるいは責任追及を目的とする政策評価を行う、そういったことを可能とする条件は、以下の三点を満たさねば無理であろうと思うわけでございます。
 それは、まず第一点といたしまして、政策の効果、費用、弊害を正確にかつタイムリーに測定できなければなりません。また、ある政策の実施とその結果として発生した社会の変化、この二つの間の因果関係を正確に特定せねばなりません。さらに、一般的に政府の政策の目的というのは、あいまいに設定されるかあるいは複数の目的が設定される場合が多いように思います。有効性の評価と申しますのは政策の目的がどの程度達成されたかということを評価するわけでございますから、政策の目的があいまいであったり複数であったりするならば、正確な評価というのはなかなか行いがたいわけでございます。
 このような三つの理由から、だれが政策評価を行うにせよ、それが裁判官の判決のような形で評価を行い、国会であるとか内閣をその結果に従わせるといったことは困難であり、かつ責任追及が効果を上げるということもなかなか難しいのではないかと考えておるわけでございます。
 そういった点から、民主党が提案したこの行政監視院法案というものが仮に成立したとしても、ややうまくいかなかったのではないかと考えておる次第でございます。
 そして、その行政監視院設置法案は結果的に廃案という形になったわけでございますが、一方、行政監視院設置法案について自由民主党の方はどのような理解をしたのか。そして、その考えについて、私はかつて論文で、あえて強い言葉で無理解というようなことを書かせていただいたわけでございますが、その内容はいかなるものであるのかということをここで説明申し上げたいと思うわけでございます。
 一般に、行政監視院設置法案については、自民党議員の立場というのはおおむね反対であったというように、調査の結果、私は結論を下してございます。
 その反対の底流には次のような考え方があったとされております。すなわち、与党は官僚組織からデータの提供を受けることができます。であるがゆえに、議会に政策評価機関を設置する必要はない、このような考えであります。しかし、あえて自民党の無理解と断じましたように、これは早計な判断ではないかと思うわけでございます。
 政策形成あるいは政策の設計の各局面におきましては、関係各省庁から、それぞれの省庁の観点でいろいろなデータや所見が出ることと思います。しかし、それをもって直ちに政策実施の教訓よりくる絶対の真理と判断してしまうことは早まった考えではないでしょうか。なるほどそれらは、特定の省庁が特定の施策や事業に際し特定の判断をしたという限りにおいては真理であろうと思います。しかしながら、同じ政策について他の省庁は別の見方をするかもしません。現場からのデータというものは極めて貴重なものであるでしょう。しかしながら、同時に、他の反駁を許さない迫力というものを持つわけでございます。
 ですが、公共政策の策定におきまして、恐らく絶対の真理というものなど存在しないでありましょう。それだけに、一国の公共政策の立案と決定に責を担う国会は、省庁から提供されたデータを国会みずからによる政策評価によって得たデータと照合しつつ、一特定分野ということではなく、国政全体のかじ取りという国会独自の観点から総合・分析することが必要であると考えます。
 また、与党のみが官僚組織からのデータ提供を享受することは、確かに野党に対して短期的には優位をもたらすでしょう。しかしながら、中長期的に見れば、国会における審議の質を低下させ、野党の政権担当能力を奪い、ひいては国民の政治不信、議会不要論にもつながりかねず、与党にとってもこれは好ましいことではないと思います。
 また、平成九年の国会法等の改正における、国会において行政監視の役割を担うのは国民から国政を負託された国会議員で構成される各議院や委員会であり、したがって、行政監視機能の強化は、本来各議院や委員会の活動の活性化を通じて図るべきであるという考え方が、民主党との政策協議の中で行政監視院設置法案に反対する大きな理由になっていたというように理解いたします。
 こうした考え方について引き続き見てまいりたいと思いますが、差し当たり、一つのまとめといたしまして、政策評価を専門とする議会附属機関が不要であると判断したこと、これを指して、自由民主党が政策評価に無理解であったというように私は断じたいと思うわけでございます。
 では、その行政監視院設置法案が廃案となった後に、いわばそのかわりのような形で成立した国会法等の改正による改革、その内容について見てまいりたいと思います。
 その内容と申しますのは、第一に、衆議院決算行政監視委員会の設置であり、第二に、行政監視に資する制度の整備・創設、これは報告・記録の提出要求制度の整備、会計検査・報告要請制度の創設、会計検査の観点の明記、衆議院における予備的調査制度の創設及び衆議院事務局内に調査局を設置ということでございます。
 このうち、会計検査院にかかわることについては既に申し述べましたので、専ら衆議院決算行政監視委員会について申し上げたいと思います。
 この衆議院決算行政監視委員会のこれまでの活動について、同志社大学法学部の梅津實教授による観察というものを手がかりに、その活動の結果、議会附属機関が必要なのではないかという私の持論を申し述べたいわけでございます。
 梅津教授によりますと、決算行政監視委員会の活動というものは、決算の審議という任務の関係上、即応性に欠けるというような評価をまず下しておられるわけでございます。この点については、詳細は、参考資料としてお配りした論文の方をごらんいただければと思います。
 他の点について詳しく申し述べたいと思います。
 そして、第二点といたしまして、決算行政監視委員会でとられた対決的な審議スタイルにやや問題があるのではないかという指摘が重要かと思います。決算行政監視委員会には、本来調査委員会的な機能も付与されているはずである。にもかかわらず、委員会所属の議員が地道な調査の必要性を自覚していたかは判然とせず、むしろ議員たちが検察官のように、いかに政府の行為や政策が間違っていたかを告発し、責任を問われた政府は被疑者のようにただひたすらに自己の正当性について弁明するという審議スタイルが見られる。決算行政監視委員会で何らかの結論を導き出し、一定の手続を経てそれを国会の意思にし、それで行政側に特定の行為や事業を見直させたり是正させたりするという発想がない。いわば責任追及の場として決算行政監視委員会が使われているということで、国会みずからが決定した政策を制御するという発想にやや欠けているということが問題であるという指摘でございます。
 さらに、梅津教授は生き残った官僚というような指摘もなさっておりますが、これも省略いたします。
 さらに、アジェンダセッティング能力の貧弱さという指摘をなさっているわけで、これも引用させていただきますと、決算行政監視委員会の審議は専らマスコミ報道の二番せんじに甘んじており、マスコミの後を追ったものでしかないのではないかという疑問を抱かせているのである、議員みずからが考えた問題を、調査や外部からの証言などを参考にしながら地道に分析するという姿勢を持たなければ、委員会の審議は緊張感を失い、ひいては行政監視の効果も上がらなくなるに違いないと。
 最後に、意外と国民の間に衆議院決算行政監視委員会というものが知られていないのではないかという指摘があるわけですが、これも省略いたします。
 以上のような決算行政監視委員会の活動を通じまして、国会議員による評価、委員会による評価という発想自体は決して間違いではございません、むしろ正しい方向であろうと私も理解しておるわけでございますが、そこで行われる評価というものが、専ら政策それ自体、あるいは政策の目的についての特定の価値観を背景とした評価という、評価の第二の類型として私が最初に申し上げた形ということになっておるように思うわけでございます。そして、決算行政監視委員会の委員自身がその問題とすべき政策を発見し調査するといった活動が不十分であるという指摘なわけでございまして、こうした部分において委員の活動を補佐する、そうした国会附属機関が必要なのではないだろうかと結論できるわけでございます。
 加えまして、政策評価論という研究の観点から、もう少し政策評価を専門とする議会附属機関の必要性を補足したいと思います。
 政策評価において、政策の目的の評価はともかくとし、政策の効果、費用、弊害の評価、この場合は効果、費用、弊害の測定と分析ということになろうかと思いますが、これには専門機関の補佐が必要であるというのが、一般的な政策評価論の研究者の理解でございます。
 と申しますのは、政策評価を行う技術、それは政策の効果、費用、弊害を測定し分析するための技術であるわけですが、これは高度な専門性を要する技術であるからであります。よって、それらを専門とする議会附属機関というものをつくらないことには、決算行政監視委員会における評価の質というものは向上しないのではないかと結論できるわけでございます。
 しかしながら、政策評価において国を先導した地方公共団体では、政策、この場合は事務事業ということになりますが、事務事業の実施を担当する担当職員自身が自己評価として評価を行っているではないか、であるとするならば、なぜ国会に評価を専門とする議会附属機関が必要なのかという指摘があり得ようかと思います。そうした指摘に対しましては、残念なことに、地方公共団体の評価におきましても、先導自治体においては六年、七年といった評価の経験の蓄積があるわけですが、そういった地方公共団体におきましても、政策、施策、事業の効果、費用、弊害について、その測定と分析が正確に行われているという例は、まことに残念なことではありますが、まれであると言わざるを得ないからであります。
 そのような理由から、国会における政策評価が必要であるとするならば、その国会議員あるいは委員会による評価を補佐する政策評価を専門とした議会附属機関が必要であろうと思うわけでございます。
 そうした場合の議会附属機関でございますが、民主党の行政監視院法案が手本としたアメリカの会計検査院、GAOが初期に行った評価のスタイル、あたかも裁判官のように、政府が行った政策を評価する、そうしたスタイルの評価ではなく、議員や委員会が行う評価に必要な調査をサポート、支援する、そうしたタイプの議会附属機関が必要となってくるのではないでしょうか。
 あえてアメリカ連邦議会の附属機関の名前を挙げるとするならば、初期のGAOというよりも、CBOと略称される議会予算局、コングレショナル・バジェット・オフィスの方が、むしろ我が国の国会の政策評価を専門とする附属機関のモデルとしてより適切ではないかというように考えておるわけでございます。
 では最後に、最近、衆議院、参議院両院の役割分担、機能分化という観点から、憲法改正によって参議院を決算審査、すなわち政策評価のための院にしてはどうかという主張が見られるわけでございまして、この主張についてコメントを申し上げたいと思うわけでございます。
 まず、二院制のメリットといたしまして、法案審議の慎重性の確保及び衆議院、参議院、二つが性格の異なる議会として成立する、参議院が申し上げれば良識の府として成立するということが期待されている、そういうメリットが一般論として指摘されております。
 しかしながら、余り時間もございませんが、参議院につきまして、近年、参議院機能不全論と申すべき議論と、そこから発展して参議院不要論、参議院改革論という議論があるわけでございます。
 手短に申し上げますと、参議院機能不全論とは、近年は参議院議員の多くも政党に属しており、衆議院、参議院、両院で異なる採決がなされることも少ない、そこで、参議院は衆議院のカーボンコピーである、あるいは参議院はミニ衆議院になってしまっているというような意見も聞かれるわけでございます。
 このように、参議院が機能不全に陥っているという認識から、これを廃止し、衆議院のみの一院制を目指すべきだという主張も見られます。また、我が国が二院制をとるのは、イギリスのように議会制の長い歴史を持っている国の多元的議会構造の伝統を見習って、明治憲法体制下で貴族院と衆議院の二院制をとったことに由来するというように理解できます。それゆえ、日本国憲法第十四条で「華族その他の貴族の制度は、これを認めない。」と定めておるわけで、参議院の根拠づけというものは研究上も実は苦しいものがあるわけです。そこで、極端な論者の中では、イギリスにおいて貴族院反対論というものが強いのを見習い、我が国でも参議院廃止論というものを唱える、そのような人もいるわけでございます。
 参議院を不要とまで言わないにせよ、何らかの改革が必要とする主張は多く聞くことができます。そうした参議院改革論の一つとして、憲法改正によって参議院を政策評価のための院にしてはどうかという主張があるわけです。確かに、私としても傾聴に値する主張であるというように思います。
 しかしながら、考慮すべきは、参議院改革論というものも画一ではないということであります。ほかにも、さらなる選挙制度改革を行うことにより、慎重な決定、性格の異なる議会という二院制のメリットを追求すべきという主張も有力であります。また、一九八〇年代に参議院で与野党逆転現象が生じ、参議院の機能が見直されたという事実もございます。
 さらに、外国の例を見ますと、連邦制をとっている国家は二院制をとる場合が多いわけでございます。州という連邦構成単位を代表させる必要があるからであります。翻って我が国でも、地方分権改革の一環といたしまして、道州制の導入が論議されているのが現状でございます。そうした状況において、参議院不要論や参議院改革論については慎重な議論が求められるのではないかと私自身は考えております。
 そして、仮に参議院を決算審査あるいは政策評価のための院にするという方向で改革を行うとするならば、以下のようなことを申し上げたいと思うわけでございます。
 行政監視院設置法案及びそれ以後の国会改革、すなわち決算行政監視委員会の活動実績が示すように、議員による政策評価を中立的、専門的な立場から補佐する国会の附属機関をつくらない限り、十分に機能しないと考えられるわけでございます。参議院をそのように改革する場合についても言えるわけでございます。
 なお、衆議院の調査局につきまして、勉強不足ながら私は十分な情報を持ち合わせておりませんので、調査局の現状がその附属機関とどのようにつながってくるのかということについては、本日は判断を差し控えさせていただきました。
 以上で私の陳述を終わらせていただきます。ありがとうございました。(拍手)

発言情報

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発言者: 窪田好男

speaker_id: 17744

日付: 2003-06-05

院: 衆議院

会議名: 憲法調査会統治機構のあり方に関する調査小委員会