福井照の発言 (国土交通委員会)
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○福井委員 皆様おはようございます。
三人の先生には、早朝から本当に御苦労さまでございました。ありがとうございました。
今伺わせていただきまして、森地先生も五十嵐先生も中山先生も、課題認識は共通しているなという印象を持ちました。私、きょう、計画高権の話と、それから日本人の価値観の創造というのに絞って聞かせていただこうと思ってずっと聞いておりましたら、まさにその点で論点は共通していて、それぞれの先生で結論は違うということだと思いますが、まず森地先生に、その二つについてお伺いをしたいと思います。
私、たまたま掛川の助役をやっておりまして、平成三年に赴任したんですが、そのときにまちづくり条例というのをつくろうとしておりました。建設省都市局としては非常に迷惑な話なので、おまえは助役で行くんだけれども、まあ、つぶしてこいとは言いませんけれども、余り協力するなというような雰囲気のことを命令された上で赴任したという覚えがございます。つまり、まちづくり条例というのは、もちろん今でも生きていますからあれですけれども、首長さんと地域が協定を結びまして、土地利用計画それから土地の売買に至るまで詳細にわたりまして、首長さんの権限で地域と協定を結んだ上で、とにかく土地と環境については少なくとも首長が計画高権を持つんだ、農水省の農村計画があり、建設省の都市計画があり、いろいろな計画があるけれども、すべての計画を上回る高権を持つということで、ドイツの計画高権を援用しましてそういう条例をつくったということでございます。それはそれで今でも生きておりますし、動いておりますので問題はないんですけれども。
つまり、先ほど先生のレジュメの方にもございました、調整するという現場においていかにすべきかということについて御助言がありましたらお伺いしたいということでございます。たくさんある計画論をすべて束ねて最終的に決定する権限を計画高権と呼ばせていただければ、すべての計画を総覧し、先生のお言葉で言うならば、シナリオライターとしての計画高権者というのは行政的にどういうふうに位置づけられるべきかというアドバイスをいただきたいということです。
つまり、法律上あるいは行政組織法上は各局長さんは全く同じ、もうびた一文変わらない同じ権能、権限、力を持っているわけで、例えば現場の所長でもそういうことがあるんです。河川系の副所長からこう言われ、道路系の副所長からこう言われ、どうしますかと裁定を求められても困るんですね、実際としては。したがって、少なくとも、アドホックなプロジェクトにおいてはだれが最大の権能を持つべきかということを、例えば内規上規定するとか、いろいろな工夫があると思います。三百六十五日、日常的な権限を与えるということは行政上無理なんですけれども、権能、権限を裏打ちする意味で、何がしかのプロジェクトを特定した上で、その特定プロジェクトにおいては、だれそれ局長がよその局長よりも、少しだけれども多くの権能を持つ、権限を持つ、権力を持つ、そういう優先権を与えるような工夫とか、いろいろアドバイスがあろうかと思いますので、その計画高権についてまずお伺いしたいと思います。
あわせて、これも今、日本の閉塞感の最も根本的な問題だと思っておりますけれども、外交から内政まですべての分野にわたって、この日本の閉塞感の原因は、価値観の欠如だと思っております。つまり、何が重要で何が重要でないか区別ができない、判断できない、重要な順に並べることができない、重要度の割合をおおむねでもいいから決定することができない、そのプライオリティーの議論ができないということで、戦略も戦術もシナリオも書けない、そういうことだと私自身は理解をしております。
つまり、国民的な課題は価値観の創造である。これは民族的な欠陥なのか、それとも、それも先生のレジュメにございました選択する時代、つまり、価値観というのは選択する練習を通じて生まれてくるものでしょうから、選択するという場面とか練習が日本民族として足らなかったのかどうかということもあるでしょう。あるいは役所側と国民側に区別しても、役所側も、官の側も、これは五十嵐先生に言わせるとけしからぬということなんでしょうけれども、例えば、いろいろな計画の仕組みは、国民一人も賛成者がいなくても、一億二千七百万人すべて反対してもでき得るという仕組みがございます。地域を総合的にマネジメントしている、国家を運営しているという自負のもとに、みずからの価値観にのっとって毅然とした態度をとる、そういう価値観もなかなかないということです。一方、国民の方も、一人一人の価値観がまだ創造できていない、情緒に流れやすいというさがを持っているということだと思うんですね。
しかし一方、イラク問題で、今国民的な試練を受けております。国益とは何かということをまず問い、国家の安全、国民の安全、そして何よりも、今食べているもの、着ているもの、経済的な繁栄を維持する、発展させることという国益を、今、日本民族はかみしめて、その上で、一体どういうことかと。日米安保条約が大事なのか、国連を通じた国際協力が大事なのかというようなことを今一人一人が自分の心に問うているというような状況なので、そういう訓練があれば、国民的にも、それから施行者側も何がしかの価値観の創造が生まれるはずでございますので、社会資本整備、先生のレジュメにございましたように、もう一生懸命やってきた、真っすぐ走ってきた、そこで今立ちどまって、四方八方めぐらせた上でその価値観を創造するときにどういう工夫をしたらいいのかということについてアドバイスがありましたら、ちょっと長くなりましたけれども、計画高権と価値観の創造についてコメントをぜひよろしくお願い申し上げたいと思います。