国土交通委員会
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会
会議録情報#0
平成十五年三月十一日(火曜日)
午前九時十四分開議
出席委員
委員長 河合 正智君
理事 栗原 博久君 理事 菅 義偉君
理事 田野瀬良太郎君 理事 橘 康太郎君
理事 今田 保典君 理事 玉置 一弥君
理事 赤羽 一嘉君 理事 一川 保夫君
岩崎 忠夫君 小里 貞利君
倉田 雅年君 実川 幸夫君
砂田 圭佑君 高木 毅君
谷田 武彦君 中本 太衛君
西田 司君 西野あきら君
林 幹雄君 原田 義昭君
菱田 嘉明君 福井 照君
堀之内久男君 松野 博一君
松宮 勲君 松本 和那君
山本 公一君 阿久津幸彦君
岩國 哲人君 大谷 信盛君
川内 博史君 佐藤謙一郎君
津川 祥吾君 永井 英慈君
伴野 豊君 高木 陽介君
土田 龍司君 大森 猛君
瀬古由起子君 菅野 哲雄君
原 陽子君 日森 文尋君
江崎洋一郎君 松浪健四郎君
後藤 茂之君
…………………………………
議員 大谷 信盛君
議員 佐藤謙一郎君
国土交通大臣 扇 千景君
国土交通副大臣 中馬 弘毅君
国土交通大臣政務官 高木 陽介君
政府参考人
(内閣府道路関係四公団民
営化推進委員会事務局長) 坂野 泰治君
政府参考人
(総務省行政管理局長) 松田 隆利君
政府参考人
(公正取引委員会事務総局
審査局長) 鈴木 孝之君
政府参考人
(国土交通省大臣官房長) 安富 正文君
政府参考人
(国土交通省総合政策局長
) 三沢 真君
政府参考人
(国土交通省国土計画局長
) 薦田 隆成君
政府参考人
(国土交通省河川局長) 鈴木藤一郎君
政府参考人
(国土交通省道路局長) 佐藤 信秋君
政府参考人
(国土交通省航空局長) 洞 駿君
政府参考人
(環境省大臣官房審議官) 小林 光君
政府参考人
(環境省総合環境政策局長
) 炭谷 茂君
政府参考人
(環境省地球環境局長) 岡澤 和好君
参考人
(東京大学大学院工学系研
究科教授) 森地 茂君
参考人
(法政大学法学部教授) 五十嵐敬喜君
参考人
(奈良女子大学大学院助教
授) 中山 徹君
国土交通委員会専門員 福田 秀文君
—————————————
委員の異動
三月十一日
辞任 補欠選任
日森 文尋君 菅野 哲雄君
二階 俊博君 江崎洋一郎君
同日
辞任 補欠選任
菅野 哲雄君 日森 文尋君
江崎洋一郎君 松浪健四郎君
同日
辞任 補欠選任
松浪健四郎君 二階 俊博君
—————————————
本日の会議に付した案件
政府参考人出頭要求に関する件
社会資本整備重点計画法案(内閣提出第一三号)
社会資本整備重点計画法の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律案(内閣提出第一四号)
公共事業基本法案(前原誠司君外三名提出、第百五十一回国会衆法第三六号)
————◇—————
この発言だけを見る →午前九時十四分開議
出席委員
委員長 河合 正智君
理事 栗原 博久君 理事 菅 義偉君
理事 田野瀬良太郎君 理事 橘 康太郎君
理事 今田 保典君 理事 玉置 一弥君
理事 赤羽 一嘉君 理事 一川 保夫君
岩崎 忠夫君 小里 貞利君
倉田 雅年君 実川 幸夫君
砂田 圭佑君 高木 毅君
谷田 武彦君 中本 太衛君
西田 司君 西野あきら君
林 幹雄君 原田 義昭君
菱田 嘉明君 福井 照君
堀之内久男君 松野 博一君
松宮 勲君 松本 和那君
山本 公一君 阿久津幸彦君
岩國 哲人君 大谷 信盛君
川内 博史君 佐藤謙一郎君
津川 祥吾君 永井 英慈君
伴野 豊君 高木 陽介君
土田 龍司君 大森 猛君
瀬古由起子君 菅野 哲雄君
原 陽子君 日森 文尋君
江崎洋一郎君 松浪健四郎君
後藤 茂之君
…………………………………
議員 大谷 信盛君
議員 佐藤謙一郎君
国土交通大臣 扇 千景君
国土交通副大臣 中馬 弘毅君
国土交通大臣政務官 高木 陽介君
政府参考人
(内閣府道路関係四公団民
営化推進委員会事務局長) 坂野 泰治君
政府参考人
(総務省行政管理局長) 松田 隆利君
政府参考人
(公正取引委員会事務総局
審査局長) 鈴木 孝之君
政府参考人
(国土交通省大臣官房長) 安富 正文君
政府参考人
(国土交通省総合政策局長
) 三沢 真君
政府参考人
(国土交通省国土計画局長
) 薦田 隆成君
政府参考人
(国土交通省河川局長) 鈴木藤一郎君
政府参考人
(国土交通省道路局長) 佐藤 信秋君
政府参考人
(国土交通省航空局長) 洞 駿君
政府参考人
(環境省大臣官房審議官) 小林 光君
政府参考人
(環境省総合環境政策局長
) 炭谷 茂君
政府参考人
(環境省地球環境局長) 岡澤 和好君
参考人
(東京大学大学院工学系研
究科教授) 森地 茂君
参考人
(法政大学法学部教授) 五十嵐敬喜君
参考人
(奈良女子大学大学院助教
授) 中山 徹君
国土交通委員会専門員 福田 秀文君
—————————————
委員の異動
三月十一日
辞任 補欠選任
日森 文尋君 菅野 哲雄君
二階 俊博君 江崎洋一郎君
同日
辞任 補欠選任
菅野 哲雄君 日森 文尋君
江崎洋一郎君 松浪健四郎君
同日
辞任 補欠選任
松浪健四郎君 二階 俊博君
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本日の会議に付した案件
政府参考人出頭要求に関する件
社会資本整備重点計画法案(内閣提出第一三号)
社会資本整備重点計画法の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律案(内閣提出第一四号)
公共事業基本法案(前原誠司君外三名提出、第百五十一回国会衆法第三六号)
————◇—————
河
河合正智#1
○河合委員長 これより会議を開きます。
内閣提出、社会資本整備重点計画法案及び社会資本整備重点計画法の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律案並びに第百五十一回国会、前原誠司君外三名提出、公共事業基本法案の各案を一括して議題といたします。
本日は、各案審査のため、参考人として、東京大学大学院工学系研究科教授森地茂君、法政大学法学部教授五十嵐敬喜君及び奈良女子大学大学院助教授中山徹君、以上三名の方々に御出席をいただいております。
この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多用のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。各案につきまして、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。
議事の順序でございますが、森地参考人、五十嵐参考人、中山参考人の順で、それぞれ十分程度御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。
なお、念のため参考人の方々に申し上げますが、御発言の際にはその都度委員長の許可を得て御発言くださるようお願い申し上げます。また、参考人は委員に対し質疑をすることができないことになっておりますので、あらかじめ御了承願います。
それでは、まず森地参考人にお願いいたします。
この発言だけを見る →内閣提出、社会資本整備重点計画法案及び社会資本整備重点計画法の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律案並びに第百五十一回国会、前原誠司君外三名提出、公共事業基本法案の各案を一括して議題といたします。
本日は、各案審査のため、参考人として、東京大学大学院工学系研究科教授森地茂君、法政大学法学部教授五十嵐敬喜君及び奈良女子大学大学院助教授中山徹君、以上三名の方々に御出席をいただいております。
この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多用のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。各案につきまして、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。
議事の順序でございますが、森地参考人、五十嵐参考人、中山参考人の順で、それぞれ十分程度御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。
なお、念のため参考人の方々に申し上げますが、御発言の際にはその都度委員長の許可を得て御発言くださるようお願い申し上げます。また、参考人は委員に対し質疑をすることができないことになっておりますので、あらかじめ御了承願います。
それでは、まず森地参考人にお願いいたします。
森
森地茂#2
○森地参考人 おはようございます。森地でございます。このような場で意見を述べさせていただくことを大変光栄に存じます。
時間が限られておりますので、お手元にメモを用意してございます、ごらんいただきながらお聞きいただければと思います。
最初に、ちょっと迂遠ではございますが、後ほどの論理展開上、戦後の社会資本整備について私がどういうふうに考えているかということを一ページ目にまとめてございます。
御承知のとおり、戦後、荒廃したこの国土を復興するという目的、それから、次々に出てきます社会的ニーズにこたえるために、そこにありますようなもろもろの対応がなされてまいりました。
ここにある五つの目標、少し単純化してはございますが、五つの目標にそれぞれの分野で対応してきた。
例えば、旧建設省の都市局は都市化という問題、大都市への人口集中という問題がございましたし、道路局はモータリゼーションに、河川局は洪水対応あるいは災害対応に、こういう格好で、いわばそれぞれの目前の課題にこたえることに一生懸命やってきた、こういうことではないかと思います。
戦後、財政的に大変厳しい状況下で、しかも、ODAが今のようにきっちりしてなかった、そういうときに、日本特有の制度、具体的には受益者負担を極めて重んじるような制度をつくり上げてきたわけでございますが、当初の十年ぐらいはその枠組みをつくるのに模索していた、こういうふうに理解をしてございます。
その後、一九五〇年代の後半ごろから、社会資本整備をすれば地域構造が変わっていって、農業も漁業もあるいは新たな産業も成立していくような時代になりました。そういう時代が約三十年から四十年間続いたと考えます。言ってみると、地域づくりが大変単純に見えた、そういう、国際的に見ますと大変幸せな時代を過ごしてきた、こういうふうに理解をしてございます。
その間、特に、一九七〇年代に入りますと欧州、それから八〇年代になりますとアメリカが、経済的に大変厳しい状況になって、そこからどうやって経済的に復興するかということが大きな課題になりました。もちろん発展途上国も、テークオフするのにどうすればいいかということを模索したわけでございます。そういう国々では、どのシナリオもリスクが伴いますし、意見がいろいろ分かれます。しかしながら、ある種のシナリオを選定して一定期間継続することによって、それを、いい選択をし、しかも継続をできた国だけが復興できた、こういう歴史だったのではないかと思います。日本が地域づくりが単純に見えたのと非常に対照的ではなかったかと思います。
そういう時代を経て、社会資本整備に対するいろいろな批判が出てまいりました。そこにございますように、非効率とか公共事業依存型地方経済ですとか資源配分が適正かとか、あるいは発注入札制度の問題はないかとか、こういうことでございます。こういうことに対応するために、いろいろなスキーム、仕組みが、この数年間、ようやく整備されてきた、こういうふうに理解をいたします。
社会資本整備の意義の変化としましては、個別社会資本整備の時代から社会資本間の調整が強く求められた時代を経て、今は、地域づくりのシナリオのもとで社会資本を選択していく時代に入っている。こういうことにうまく対応できるのかということが求められ、今回の法案も、そういう背景のもとに成立しているのではないかと思います。
二ページ目でございますが、長期計画の意義に関しましては、もう言うまでもなく、長期、中期、短期の計画を持たない国はないわけで、それぞれの国がそういうものを持っております。
その意義は、各分野の計画の整合性を保つとか、あるいは民間も含めた各国民が、この地域がどうなるか、社会資本がどうなるかということを見て長期的な意思決定ができる、あるいは歴史的な判断とか毎年の社会状況の判断とか、各時間レンジでの評価を各時間レンジの計画に際して行うとか、あるいは時系列でマネジメントをする、具体的には、手順前後が起こらないようにきちっとした意思決定をしていく、こんな意図を持っているのかと思います。
しかしながら、この数年間、長期計画は要らないかのごとき議論をマスコミ等で拝見いたします。公共事業配分の既得権化とか分野別配分の固定化とか社会経済の変化への対応力の低さとか、こういう視点からの御批判ではないかと思いますが、計画論として長期計画を否定する論理性はない。つまり、長期計画が悪いのではなくて、それにかかわる、つまり、計画策定時とかそれに参加する時期とか、あるいは、その計画を実行する時期の意思決定の問題と長期計画自身の問題は、また別の問題と私自身は理解をしてございます。
そんなことも踏まえて、社会資本整備重点計画法案でございますが、長期計画の策定は意義があることでございます。法案を拝見いたしますと、事業間の整合性、連携を確保した体系的な取り組みが可能になっておりますし、事業執行の計画性、効率性等の確保のため、適切な進捗管理が可能になっている、アウトカム指標を設定することで国民にもわかりやすい計画になっている、あるいは国民に対する説明責任を果たす手段としての方針も規定をされておりますし、国と地方公共団体共通の目標設定をする、こういう枠組みにもなっている。こういう意味で、長期計画の策定を意義あるものとして動かすような枠組みになっていると理解をいたします。
二番目に、分野別計画を廃止し一本化する、こういうことでございますが、これは大変適切なことで、政策目標達成のための事業間の横断的取り組みですとか事業分野別の重点化、効率化ですとか、あるいは空間計画をきちっとこの社会資本と整合させるとか、こういう枠組みができ上がっていると理解をいたします。
三番目に、社会資本整備の共通的諸課題への取り組みの明示、この方針が示されております。例えば、地域住民の理解確保、コスト削減、時間管理概念の導入、透明化確保、事業評価、入札制度、以上でございます。
このような観点から、本法案及び社会資本整備重点計画法の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律案に賛成するものでございます。
公共事業基本法案についてでございますが、こういう法案を先駆的に御提案になったことに敬意を表したいと思います。こういうものが今まさに求められていると理解をいたします。ただ、社会資本整備重点計画法案と本質的な差異は少ないと拝見をいたしました。
少し批判的なことを申し上げますと、民主党案は、社会資本に関する最近の批判への対応に重点が置かれて、我が国が求められている地域づくりに関する方向性に照らしてやや自由度が少ないかな、こういうふうに読ませていただきました。例えば、全総法の改正ではなくて廃止を前提とするというお考え、計画の国会承認を前提とすること、あるいは事後評価も含めて、事業前の評価、再評価と同様に規定していること等々でございます。
なお、本法案適用上の課題として、そこにございます四つの点を提起したいと思います。
一つは、新しい国土計画制度との関係でございます。
新しい国土計画とか土地利用計画、これについて今議論が進んでいると認識してございますが、そういうものと社会資本整備計画は地域づくりの両輪でございまして、それぞれの分野で調整をしていく、こういうことが大変重要でございますので、この法律を実際に運用するに当たっては、どうそれを調整していくのかということを十分お考えいただきたいということが第一点でございます。
第二点は、公共投資と民間投資についてでございます。
もちろん、社会資本整備計画でございますから、公共投資についてのものが中心になろうかとは思いますが、特に外国と比べまして、日本の公共投資に関する迅速性の欠如が大変顕著であると認識してございます。民間が資本回収について大変早く回転するような格好で世界じゅうが動いているときに、それとどうも公共投資の速度が合わない。このミスマッチが日本のいろいろな地域づくりに問題を起こしているような気もいたします。競争力の問題としても問題かと思います。それから、PFIとかPPP、公と民の関係についてのいろいろな制度的枠組みが出てございますが、これを計画の実施に当たって十分推進していくことが重要かと思います。
それから三番目は、各段階の計画の位置づけと内容についての整合でございます。
長期、中期、短期の計画、あるいは構想計画から実施計画に至る各段階の計画制度の問題、時間レンジの問題、あるいは社会資本整備と各種地域づくり施策、ソフト施策も含めたものでございますが、これらとどういう格好で整合させて運用するかということが大変重要かと思います。例えて言いますと、長期計画の評価とプロジェクト評価はどういう関係にあるのかとか、あるいはプロジェクト評価と各ソフトも含めた施策の評価とをどういうふうに整合させてしていくのか、こんなことが大変重要かと思います。
最後に、関連する法律として、条件不利地域のバックアップをするための制度がたくさんございます。過疎法とか離島法とか半島法とか、もろもろございます。こういうものをすべて見ますと、要するに、公共投資の自己負担率を下げるところにだけ重点があるような気もいたしますので、こういうものの内容を、そういう地域をこれからどうしていくのかということについてもう一度考え直すことが大変重要か、こう考えている次第でございます。
ちょっと時間が長くなって恐縮でございました。どうも御清聴ありがとうございました。拍手
この発言だけを見る →時間が限られておりますので、お手元にメモを用意してございます、ごらんいただきながらお聞きいただければと思います。
最初に、ちょっと迂遠ではございますが、後ほどの論理展開上、戦後の社会資本整備について私がどういうふうに考えているかということを一ページ目にまとめてございます。
御承知のとおり、戦後、荒廃したこの国土を復興するという目的、それから、次々に出てきます社会的ニーズにこたえるために、そこにありますようなもろもろの対応がなされてまいりました。
ここにある五つの目標、少し単純化してはございますが、五つの目標にそれぞれの分野で対応してきた。
例えば、旧建設省の都市局は都市化という問題、大都市への人口集中という問題がございましたし、道路局はモータリゼーションに、河川局は洪水対応あるいは災害対応に、こういう格好で、いわばそれぞれの目前の課題にこたえることに一生懸命やってきた、こういうことではないかと思います。
戦後、財政的に大変厳しい状況下で、しかも、ODAが今のようにきっちりしてなかった、そういうときに、日本特有の制度、具体的には受益者負担を極めて重んじるような制度をつくり上げてきたわけでございますが、当初の十年ぐらいはその枠組みをつくるのに模索していた、こういうふうに理解をしてございます。
その後、一九五〇年代の後半ごろから、社会資本整備をすれば地域構造が変わっていって、農業も漁業もあるいは新たな産業も成立していくような時代になりました。そういう時代が約三十年から四十年間続いたと考えます。言ってみると、地域づくりが大変単純に見えた、そういう、国際的に見ますと大変幸せな時代を過ごしてきた、こういうふうに理解をしてございます。
その間、特に、一九七〇年代に入りますと欧州、それから八〇年代になりますとアメリカが、経済的に大変厳しい状況になって、そこからどうやって経済的に復興するかということが大きな課題になりました。もちろん発展途上国も、テークオフするのにどうすればいいかということを模索したわけでございます。そういう国々では、どのシナリオもリスクが伴いますし、意見がいろいろ分かれます。しかしながら、ある種のシナリオを選定して一定期間継続することによって、それを、いい選択をし、しかも継続をできた国だけが復興できた、こういう歴史だったのではないかと思います。日本が地域づくりが単純に見えたのと非常に対照的ではなかったかと思います。
そういう時代を経て、社会資本整備に対するいろいろな批判が出てまいりました。そこにございますように、非効率とか公共事業依存型地方経済ですとか資源配分が適正かとか、あるいは発注入札制度の問題はないかとか、こういうことでございます。こういうことに対応するために、いろいろなスキーム、仕組みが、この数年間、ようやく整備されてきた、こういうふうに理解をいたします。
社会資本整備の意義の変化としましては、個別社会資本整備の時代から社会資本間の調整が強く求められた時代を経て、今は、地域づくりのシナリオのもとで社会資本を選択していく時代に入っている。こういうことにうまく対応できるのかということが求められ、今回の法案も、そういう背景のもとに成立しているのではないかと思います。
二ページ目でございますが、長期計画の意義に関しましては、もう言うまでもなく、長期、中期、短期の計画を持たない国はないわけで、それぞれの国がそういうものを持っております。
その意義は、各分野の計画の整合性を保つとか、あるいは民間も含めた各国民が、この地域がどうなるか、社会資本がどうなるかということを見て長期的な意思決定ができる、あるいは歴史的な判断とか毎年の社会状況の判断とか、各時間レンジでの評価を各時間レンジの計画に際して行うとか、あるいは時系列でマネジメントをする、具体的には、手順前後が起こらないようにきちっとした意思決定をしていく、こんな意図を持っているのかと思います。
しかしながら、この数年間、長期計画は要らないかのごとき議論をマスコミ等で拝見いたします。公共事業配分の既得権化とか分野別配分の固定化とか社会経済の変化への対応力の低さとか、こういう視点からの御批判ではないかと思いますが、計画論として長期計画を否定する論理性はない。つまり、長期計画が悪いのではなくて、それにかかわる、つまり、計画策定時とかそれに参加する時期とか、あるいは、その計画を実行する時期の意思決定の問題と長期計画自身の問題は、また別の問題と私自身は理解をしてございます。
そんなことも踏まえて、社会資本整備重点計画法案でございますが、長期計画の策定は意義があることでございます。法案を拝見いたしますと、事業間の整合性、連携を確保した体系的な取り組みが可能になっておりますし、事業執行の計画性、効率性等の確保のため、適切な進捗管理が可能になっている、アウトカム指標を設定することで国民にもわかりやすい計画になっている、あるいは国民に対する説明責任を果たす手段としての方針も規定をされておりますし、国と地方公共団体共通の目標設定をする、こういう枠組みにもなっている。こういう意味で、長期計画の策定を意義あるものとして動かすような枠組みになっていると理解をいたします。
二番目に、分野別計画を廃止し一本化する、こういうことでございますが、これは大変適切なことで、政策目標達成のための事業間の横断的取り組みですとか事業分野別の重点化、効率化ですとか、あるいは空間計画をきちっとこの社会資本と整合させるとか、こういう枠組みができ上がっていると理解をいたします。
三番目に、社会資本整備の共通的諸課題への取り組みの明示、この方針が示されております。例えば、地域住民の理解確保、コスト削減、時間管理概念の導入、透明化確保、事業評価、入札制度、以上でございます。
このような観点から、本法案及び社会資本整備重点計画法の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律案に賛成するものでございます。
公共事業基本法案についてでございますが、こういう法案を先駆的に御提案になったことに敬意を表したいと思います。こういうものが今まさに求められていると理解をいたします。ただ、社会資本整備重点計画法案と本質的な差異は少ないと拝見をいたしました。
少し批判的なことを申し上げますと、民主党案は、社会資本に関する最近の批判への対応に重点が置かれて、我が国が求められている地域づくりに関する方向性に照らしてやや自由度が少ないかな、こういうふうに読ませていただきました。例えば、全総法の改正ではなくて廃止を前提とするというお考え、計画の国会承認を前提とすること、あるいは事後評価も含めて、事業前の評価、再評価と同様に規定していること等々でございます。
なお、本法案適用上の課題として、そこにございます四つの点を提起したいと思います。
一つは、新しい国土計画制度との関係でございます。
新しい国土計画とか土地利用計画、これについて今議論が進んでいると認識してございますが、そういうものと社会資本整備計画は地域づくりの両輪でございまして、それぞれの分野で調整をしていく、こういうことが大変重要でございますので、この法律を実際に運用するに当たっては、どうそれを調整していくのかということを十分お考えいただきたいということが第一点でございます。
第二点は、公共投資と民間投資についてでございます。
もちろん、社会資本整備計画でございますから、公共投資についてのものが中心になろうかとは思いますが、特に外国と比べまして、日本の公共投資に関する迅速性の欠如が大変顕著であると認識してございます。民間が資本回収について大変早く回転するような格好で世界じゅうが動いているときに、それとどうも公共投資の速度が合わない。このミスマッチが日本のいろいろな地域づくりに問題を起こしているような気もいたします。競争力の問題としても問題かと思います。それから、PFIとかPPP、公と民の関係についてのいろいろな制度的枠組みが出てございますが、これを計画の実施に当たって十分推進していくことが重要かと思います。
それから三番目は、各段階の計画の位置づけと内容についての整合でございます。
長期、中期、短期の計画、あるいは構想計画から実施計画に至る各段階の計画制度の問題、時間レンジの問題、あるいは社会資本整備と各種地域づくり施策、ソフト施策も含めたものでございますが、これらとどういう格好で整合させて運用するかということが大変重要かと思います。例えて言いますと、長期計画の評価とプロジェクト評価はどういう関係にあるのかとか、あるいはプロジェクト評価と各ソフトも含めた施策の評価とをどういうふうに整合させてしていくのか、こんなことが大変重要かと思います。
最後に、関連する法律として、条件不利地域のバックアップをするための制度がたくさんございます。過疎法とか離島法とか半島法とか、もろもろございます。こういうものをすべて見ますと、要するに、公共投資の自己負担率を下げるところにだけ重点があるような気もいたしますので、こういうものの内容を、そういう地域をこれからどうしていくのかということについてもう一度考え直すことが大変重要か、こう考えている次第でございます。
ちょっと時間が長くなって恐縮でございました。どうも御清聴ありがとうございました。拍手
河
五
五十嵐敬喜#4
○五十嵐参考人 五十嵐です。
私は、きょうの法案について、議員立法も出されておりますが、両方あわせて私の意見を述べさせていただきたいと思っております。
長らく公共事業を見てまいりましたけれども、公共事業に関しては本質的な改革が不可避だと私は考えております。その理由は、大きく言って、レジュメに基づいてお話し申し上げますと、一つは、財政危機について非常に大きな責任を持っている分野がこの公共事業であるということであります。二番目は、環境破壊が進んでおりまして、日本のかつての美しかった国土がぼろぼろになっておりまして、この環境破壊の点からも日本の公共事業を見直す必要があるということであります。三番目は、皆さんとも大変関係が深いわけでありますけれども、やはり政治腐敗の根源にこの公共事業がなっている。この三点から、公共事業改革は不可避であると私は考えております。
なお、一方で、特に小渕内閣以降、公共事業については、経済効果やあるいは雇用の確保という観点から政府側でも一時推進した時期がありましたけれども、経済効果についても雇用効果についても、最近は格段にその効力が薄れているということを御配慮していただきたいと思います。
そこで、本質的な改革案について幾つか大づかみに論点を提出させていただきたいと思いますけれども、一つは、公共事業のトータルの費用というものについて、もうちょっと計画的にコントロールすべきではないかということであります。
世界各国の統計が出ておりますけれども、いわゆるある一定のインフラの整った各国では、GDPに比較して二ないし三%ぐらいというのが公共事業のトータルの費用であります。同じような基準に基づいて日本を算定いたしますと八%程度になっておりまして、これは徐々に欧米に近づくように減らしていく必要があるだろうということであります。政府も、小泉内閣になって、一時この問題を取り上げておりましたけれども、最近の不況のために、またこの指標があいまいになってきていることは非常に残念であります。
二番目は、きょうの主題とかかわる問題でありますけれども、いわゆる公共事業のシステムというものについて抜本的な改革を加える必要があるということであります。
公共事業のシステムの日本的な特徴を申し上げますと、開発万能のコンセプトのもとで、中央集権的に、とりわけ官僚という人たちが主導的に公共事業計画を策定し遂行してきたというところに、世界に例のない中央集権的な構造を見ることが出てくると私は思っております。
その一つが、きょうの問題になっております、いわゆる公共事業に関する中長期計画の問題でありますし、さらに言いますと、その全体像を示す全国総合開発計画の問題点であります。先ほどの森地参考人とは少し意見が異なりますけれども、私自身は、一たんこれをすべて廃止すべきであるというのが私の意見であります。
では、どうするかということでありますけれども、公共事業そのものについて、もっと抜本的に別な観点から、今言いました官僚支配による開発志向のコンセプトから、むしろ自治とか地域とか情報公開とかあるいは参加の観点から、事業そのものを見直すべきであるというふうに考えます。大きく言いますと、今までのような国の直轄事業、補助事業、自治体の単独事業というシステムそのものをもう抜本的に考え直す時期ではないかというのが私の意見であります。国の行うべき公共事業と自治体の行うべき公共事業に二分いたしまして、補助金に基づく補助事業というものを廃止する、いわゆる三分割から二分割に変えるということが必要だというふうに考えております。
なお、補助事業を廃止すべきだという理由については、それぞれ、縦割り行政だとか自治体の中央省庁に対する追随だとか、あるいは利権とかということがありますので、これを廃止すべきだという理由はもう詳しく申し上げません。
そこで、きょう出されている法案を見ますと、政府側の提案に係る社会資本整備重点計画法と民主党提出に係る公共事業基本法は、いわば国の行うべき事業についての法のあり方ということについて政策競演をやっているものと理解いたします。もう一つ大きく言いますと、今度は自治体の行うべき公共事業に関する新しい法案をもう一本準備すべきであるというのが私の提案であります。
そこで、国の行うべき公共事業について幾つか、野党議員立法に係る法案との比較について私の意見を述べさせていただきます。
まず、今回出されている政府法案の対象でありますけれども、これはすべて国土交通省のみでありまして、農水省その他の事業との関係性がここも縦割りになっております。できれば公共事業、公共事業基本法案ではこれはすべてが対象になっておりますけれども、一括して対象にすべきである、縦割り行政を残すべきではないというのが第一点であります。
二番目、これが最大の論点でありますけれども、今回の社会資本整備計画は、やはり従来と同じように、閣議決定のみで最終決定が行われております。民主党法案は、これは国会承認にかけているわけですけれども、ここが、法的に言いますと最大の論点ではないかというふうに思います。
国民の生活に最も大きな影響を持ち、かつ莫大な税金が投入される公共事業の計画について、なぜ国会の皆さん方が自分たちで考えるあるいは討議するということを放棄しているのか、私には理解できません。国会とはそもそもどういうものであるかという根源にかかわる大きな論点がここに含まれているように思います。昭和三十年以降の中長期計画はすべて、漁港法を除きまして閣議決定で行われてきましたけれども、これが最大の失敗であったと私は思っております。
それから、今言いました国の事業と地方自治体の事業についても、今回の社会資本整備法案によりますと無制限であります。これは国の事業についてはそろそろ限定をして、役割分担をした方がよろしいと思います。
それから、公共事業の評価に関しましても、ここも自己撞着に陥っているだろうと私は思います。
政府法案の中でも、最近の批判を受けまして、評価という概念が大分入ってきておりますけれども、だれが評価するかということに関しまして、相変わらずこれは官庁内にとどまっておりまして、第三者の目による評価というのはございません。公共事業基本法によりますと、これを正確に、五年、十年あるいは事業再評価後二年に分けまして、第三者の目で、その成果について公表する、審査をする、評価をするということになっておりまして、これは評価の問題の基本的な原則について、社会資本整備法の方が誤っていると思います。
それから、法的な観点と少しずれるかもしれません、この法案全体をだれが所管するかということであります。これは国土交通省が自分で所管するということでありますけれども、公共事業全体、特に省庁を超える新しい計画を立てる場合には、内閣府に置くべきではないかというふうに私は思います。
もう一つ、今後ぜひ先生方に検討していただきたいものとして、地方自治体の行うべき公共事業について、従来の仕組みとは全く変わる新しいシステムを導入すべきであるというふうに思っております。とりわけ、今、地方自治体では議会が行われておりますけれども、公共事業についてはどこでも悪戦苦闘しております。大きいある顕著な自治体では、四年ぐらいの間に公共事業を半分、五〇%削減するなどという状態に追い込まれておりまして、これが地方の経済や地方の事業について、物すごい影響力を与えております。これを従来のように、いわば補助金絡みで細分化されたシステムでやっていくことはほとんど不可能になっておりまして、抜本的な地方自治体における新しい公共事業の取り組み方、システムを考える必要がある。
ちなみに、私の言葉で言いますと、市民事業、地方自治体の行う事業を従来型の公共事業とはっきり区別する意味で市民事業というものにすべきであると思っておりますけれども、いわば私の提案は、この市民事業法を制定せよというお願いであります。
どういうふうにするかといいますと、一つは、従来型の補助事業を全部やめまして、総合的にその資金を運用できるようにする。つまり、地域の最も必要なところに重点的に配分できるように、縦割り行政をやめるということであります。
それから二番目に、公共事業に関しまして、市場と市民の導入を図るということであります。PFI等さまざまな民間活力の運用の手法が最近開拓されておりますけれども、自治体でもこういう点についてはぜひ導入すべきであるということであります。さらに言いますと、もう一方の側であります市民も計画段階からこれに参加する必要があるということであります。
三番目は、これについて議会に責任を持たせまして、議会が、こういう事業について、いいか悪いかについてみずから決定をする、かかわっていく、あるいは失敗した場合にはそれについて責任をとるというような構造に切りかえる必要があるだろうということであります。さらに、それらの全体について、市民が市民の目で評価するというような形での点検委員会というものをつくるべきであるというふうに思います。
総じて言いますと、いわば公共事業というのは、自治体から見れば自治体のまちづくり事業でありますから、これを都市計画の観点から、改めて、自治体の行う都市計画事業について抜本的なシステムを構築すべきであるというふうに考えております。
以上です。拍手
この発言だけを見る →私は、きょうの法案について、議員立法も出されておりますが、両方あわせて私の意見を述べさせていただきたいと思っております。
長らく公共事業を見てまいりましたけれども、公共事業に関しては本質的な改革が不可避だと私は考えております。その理由は、大きく言って、レジュメに基づいてお話し申し上げますと、一つは、財政危機について非常に大きな責任を持っている分野がこの公共事業であるということであります。二番目は、環境破壊が進んでおりまして、日本のかつての美しかった国土がぼろぼろになっておりまして、この環境破壊の点からも日本の公共事業を見直す必要があるということであります。三番目は、皆さんとも大変関係が深いわけでありますけれども、やはり政治腐敗の根源にこの公共事業がなっている。この三点から、公共事業改革は不可避であると私は考えております。
なお、一方で、特に小渕内閣以降、公共事業については、経済効果やあるいは雇用の確保という観点から政府側でも一時推進した時期がありましたけれども、経済効果についても雇用効果についても、最近は格段にその効力が薄れているということを御配慮していただきたいと思います。
そこで、本質的な改革案について幾つか大づかみに論点を提出させていただきたいと思いますけれども、一つは、公共事業のトータルの費用というものについて、もうちょっと計画的にコントロールすべきではないかということであります。
世界各国の統計が出ておりますけれども、いわゆるある一定のインフラの整った各国では、GDPに比較して二ないし三%ぐらいというのが公共事業のトータルの費用であります。同じような基準に基づいて日本を算定いたしますと八%程度になっておりまして、これは徐々に欧米に近づくように減らしていく必要があるだろうということであります。政府も、小泉内閣になって、一時この問題を取り上げておりましたけれども、最近の不況のために、またこの指標があいまいになってきていることは非常に残念であります。
二番目は、きょうの主題とかかわる問題でありますけれども、いわゆる公共事業のシステムというものについて抜本的な改革を加える必要があるということであります。
公共事業のシステムの日本的な特徴を申し上げますと、開発万能のコンセプトのもとで、中央集権的に、とりわけ官僚という人たちが主導的に公共事業計画を策定し遂行してきたというところに、世界に例のない中央集権的な構造を見ることが出てくると私は思っております。
その一つが、きょうの問題になっております、いわゆる公共事業に関する中長期計画の問題でありますし、さらに言いますと、その全体像を示す全国総合開発計画の問題点であります。先ほどの森地参考人とは少し意見が異なりますけれども、私自身は、一たんこれをすべて廃止すべきであるというのが私の意見であります。
では、どうするかということでありますけれども、公共事業そのものについて、もっと抜本的に別な観点から、今言いました官僚支配による開発志向のコンセプトから、むしろ自治とか地域とか情報公開とかあるいは参加の観点から、事業そのものを見直すべきであるというふうに考えます。大きく言いますと、今までのような国の直轄事業、補助事業、自治体の単独事業というシステムそのものをもう抜本的に考え直す時期ではないかというのが私の意見であります。国の行うべき公共事業と自治体の行うべき公共事業に二分いたしまして、補助金に基づく補助事業というものを廃止する、いわゆる三分割から二分割に変えるということが必要だというふうに考えております。
なお、補助事業を廃止すべきだという理由については、それぞれ、縦割り行政だとか自治体の中央省庁に対する追随だとか、あるいは利権とかということがありますので、これを廃止すべきだという理由はもう詳しく申し上げません。
そこで、きょう出されている法案を見ますと、政府側の提案に係る社会資本整備重点計画法と民主党提出に係る公共事業基本法は、いわば国の行うべき事業についての法のあり方ということについて政策競演をやっているものと理解いたします。もう一つ大きく言いますと、今度は自治体の行うべき公共事業に関する新しい法案をもう一本準備すべきであるというのが私の提案であります。
そこで、国の行うべき公共事業について幾つか、野党議員立法に係る法案との比較について私の意見を述べさせていただきます。
まず、今回出されている政府法案の対象でありますけれども、これはすべて国土交通省のみでありまして、農水省その他の事業との関係性がここも縦割りになっております。できれば公共事業、公共事業基本法案ではこれはすべてが対象になっておりますけれども、一括して対象にすべきである、縦割り行政を残すべきではないというのが第一点であります。
二番目、これが最大の論点でありますけれども、今回の社会資本整備計画は、やはり従来と同じように、閣議決定のみで最終決定が行われております。民主党法案は、これは国会承認にかけているわけですけれども、ここが、法的に言いますと最大の論点ではないかというふうに思います。
国民の生活に最も大きな影響を持ち、かつ莫大な税金が投入される公共事業の計画について、なぜ国会の皆さん方が自分たちで考えるあるいは討議するということを放棄しているのか、私には理解できません。国会とはそもそもどういうものであるかという根源にかかわる大きな論点がここに含まれているように思います。昭和三十年以降の中長期計画はすべて、漁港法を除きまして閣議決定で行われてきましたけれども、これが最大の失敗であったと私は思っております。
それから、今言いました国の事業と地方自治体の事業についても、今回の社会資本整備法案によりますと無制限であります。これは国の事業についてはそろそろ限定をして、役割分担をした方がよろしいと思います。
それから、公共事業の評価に関しましても、ここも自己撞着に陥っているだろうと私は思います。
政府法案の中でも、最近の批判を受けまして、評価という概念が大分入ってきておりますけれども、だれが評価するかということに関しまして、相変わらずこれは官庁内にとどまっておりまして、第三者の目による評価というのはございません。公共事業基本法によりますと、これを正確に、五年、十年あるいは事業再評価後二年に分けまして、第三者の目で、その成果について公表する、審査をする、評価をするということになっておりまして、これは評価の問題の基本的な原則について、社会資本整備法の方が誤っていると思います。
それから、法的な観点と少しずれるかもしれません、この法案全体をだれが所管するかということであります。これは国土交通省が自分で所管するということでありますけれども、公共事業全体、特に省庁を超える新しい計画を立てる場合には、内閣府に置くべきではないかというふうに私は思います。
もう一つ、今後ぜひ先生方に検討していただきたいものとして、地方自治体の行うべき公共事業について、従来の仕組みとは全く変わる新しいシステムを導入すべきであるというふうに思っております。とりわけ、今、地方自治体では議会が行われておりますけれども、公共事業についてはどこでも悪戦苦闘しております。大きいある顕著な自治体では、四年ぐらいの間に公共事業を半分、五〇%削減するなどという状態に追い込まれておりまして、これが地方の経済や地方の事業について、物すごい影響力を与えております。これを従来のように、いわば補助金絡みで細分化されたシステムでやっていくことはほとんど不可能になっておりまして、抜本的な地方自治体における新しい公共事業の取り組み方、システムを考える必要がある。
ちなみに、私の言葉で言いますと、市民事業、地方自治体の行う事業を従来型の公共事業とはっきり区別する意味で市民事業というものにすべきであると思っておりますけれども、いわば私の提案は、この市民事業法を制定せよというお願いであります。
どういうふうにするかといいますと、一つは、従来型の補助事業を全部やめまして、総合的にその資金を運用できるようにする。つまり、地域の最も必要なところに重点的に配分できるように、縦割り行政をやめるということであります。
それから二番目に、公共事業に関しまして、市場と市民の導入を図るということであります。PFI等さまざまな民間活力の運用の手法が最近開拓されておりますけれども、自治体でもこういう点についてはぜひ導入すべきであるということであります。さらに言いますと、もう一方の側であります市民も計画段階からこれに参加する必要があるということであります。
三番目は、これについて議会に責任を持たせまして、議会が、こういう事業について、いいか悪いかについてみずから決定をする、かかわっていく、あるいは失敗した場合にはそれについて責任をとるというような構造に切りかえる必要があるだろうということであります。さらに、それらの全体について、市民が市民の目で評価するというような形での点検委員会というものをつくるべきであるというふうに思います。
総じて言いますと、いわば公共事業というのは、自治体から見れば自治体のまちづくり事業でありますから、これを都市計画の観点から、改めて、自治体の行う都市計画事業について抜本的なシステムを構築すべきであるというふうに考えております。
以上です。拍手
河
中
中山徹#6
○中山参考人 奈良女子大学の中山です。
時間の関係もありますので、社会資本整備重点計画法案に即しながら私の意見を申します。
まず一点目ですけれども、社会資本の整備を考える場合、その法案の目的、そして現状の公共事業の問題点をどう認識しているか、この点が法案を考える上では非常に重要になると思います。
この法案では、第一条に、「社会資本整備事業を重点的、効果的かつ効率的に推進するため、」と、これがこの法案の目的として書かれています。また、なぜそれが今までできてこなかったかということなんですが、いただいた参考資料等を見てみますと、長期計画が縦割りであったため、それが十分進まなかったというふうに書かれています。
確かに、長期計画が縦割りであったという点はそのとおりであって、それを改正していくということは必要だと思います。しかし、日本の公共事業の将来的なあり方を考える場合、この点を公共事業改革の入り口として議論することが果たして望ましいのかどうか、その点をまず考える必要があると思います。
私自身、日本の公共事業の持っている最大の問題点は、先ほど五十嵐参考人も発言しておりましたように、日本の公共事業費の総額が極めて大きいというところにあると思います。日本の公共事業費の総額が大きいということは、この法案の参考資料にも出ておりますように、例えば対GDP比を見ましても、日本の公共事業費の総額は対GDP比五・一%。それに対して、アメリカは一・九%、イギリスは一・三%になっています。これだけの膨大な公共事業費を長年使い続けているということが、国から自治体までの財政状況の悪化、また、ほかの施策へのしわ寄せ、膨大なむだの発生、環境問題、そういったものの根源にあると思います。これについては、政府でも、橋本内閣そして今の小泉内閣でも、公共事業費の総額をどう計画的に削減していくのかということが議論されていると思います。
まず、日本の公共事業について、この法案で言うように、長期計画を立てる場合、第一に明確にすべきことは、公共事業費の総額をどの程度削減していくのかという国の方針を明確に示すことが、公共事業の長期計画にとっては最も重要なことではないかと思います。
公共事業費の総額をどのように削減していくかというのは、先ほど申しましたように、他の国の水準もしくは日本の財政状況、社会資本の整備状況、そういったものを総合的に判断すればいいんですが、いずれにせよ、長期計画のもとで、日本の公共事業費の総額をどのようなスケジュールで削減していくのか、それを国民に明確に示すことがまずもって重要なことではないかと思います。
今回の法案では長期計画を立てるというふうになっていますが、その目標は、事業量ではなく、アウトカムで示すとしています。それも一つの考え方かもしれませんが、むしろ、公共事業費の総額を削減していくということを前提にするのならば、その削減の目標を明確な数値で国民に示した方がわかりやすいと思います。
そういう意味では、公共事業費の総額をどのように削減していくのか、どのようなスケジュールで段階的に削減を図っていくのか、そういった長期計画を公共事業の場合はまずもって考えなければならないのではないかと思います。
二点目ですが、そのような長期計画を仮につくるとすれば、むしろ、この法案で言う重点計画が生きてくるのではないかと思います。というのは、公共事業費を大幅に削減するにもかかわらず、国民が求める公共事業をどのように進めるのか、それを国民に明確に示す必要があるからです。
その場合、この法案が対象としていますように、国の直轄事業に限定されずに補助事業や単独事業まで含めて広い社会資本整備を考えるのであれば、公共事業、この法案で扱う社会資本整備の定義をもう少し広くとった方が望ましいのではないかと思われます。
社会資本整備重点計画法の第二条では、この法律が扱う分野を、道路、鉄道、空港、港湾、都市公園、下水道など十四の分野にしています。一方、公共事業基本法案の方ではもう少し広く公共事業をとらえておられるようで、それはそれで望ましいと思うんですけれども、ただし、国民がイメージする公共事業はもう少し広いのではないかなと思います。
例えば、今の小泉内閣は待機児ゼロ作戦を非常に重視しています。保育所の待機児をなくしていくということは非常に結構なことなので、もっと積極的に推進していただきたいんですが、例えば保育所を整備していく場合、この整備費の大半は税金から捻出されるわけです。ところが、保育所の整備費というのは、この社会資本整備重点計画法の中には入ってきません。
また、これから高齢化社会が進んでいきます。この法案では、長期計画の目標の中で、例えば道路や公共施設のバリアフリー化が掲げられています。それはそれで非常に重要なんですが、同時に、高齢者施設をどのように整備していくのかというような点も非常に重要になってきます。しかし、高齢者施設の整備については、この法案の定義の中には入ってきません。
また、御承知のように、この四月から障害者に対する支援費制度がスタートします。今、地域では、支援費制度がスタートするけれども、十分なサービスが供給されるのか、非常に大きな問題になっています。障害者施設を整備していくことが非常に重要ですが、しかし、そういった障害者施設の整備についても、この法案の定義の中には入ってこないということになります。
むしろ、公共事業費を全体的に削減しながら、国民が求めるような公共事業を全般的にどうやって進めることができるのか、そういったことを考えるのであれば、この法案の第二条で定めている社会資本整備の範囲をもう少し広くとらえた方がいいと思います。
もしこのような定義の中で公共事業の重点化を図っていくというのであれば、道路がいいのか鉄道がいいのか港湾がいいのか空港がいいのか、そういう中で重点化を図れというのであれば、少し無理があるように思います。むしろこれでは、従来、地方向けに行ってきた公共事業を削減し、都市再生のような公共事業に重点化を図るというような考え方しか出てこないではないか、そのような危惧が持たれます。
公共事業費の総額を削減するということは、必ずしも公共事業をなくせということではありません。むしろ、必要な公共事業をどうすれば重点的、効率的に進めていけるかということが重要になります。そのためには、包括的な社会資本整備計画、長期計画を考えるのであれば、従来の長期計画の枠組みに縛られずに、もう少し社会資本の定義を広くとり、その中でどこに重点化を図っていくことが国民にとって最も望ましいのか、それを国民的に議論していけるような長期計画、法案にすべきではないかと思います。
第三点目ですが、この法案の第三条で基本理念が書かれています。その中では、重点計画を作成する場合、「地方公共団体の自主性及び自立性を尊重」するということが書かれています。また、第四条では、重点計画を作成する場合、「国民の意見を反映させるために必要な措置を講ずる」ということが書かれています。この点は非常に結構なことなので、こういったことをきちっとすべきだと思います。ただし、国民の意見をきちっと反映する場合、公共事業基本法案では、閣議決定ではなく、国会の承認というふうに書かれています。むしろそのようにした方が望ましいのではないかと思われます。
ただし、同時に重要なことは、実際の社会資本整備を進めていく場合、地方公共団体の自主性や自立性、国民の意見が個々の社会資本整備にどういう形で反映されるようになっているか、その点が今後は重要になってくると思います。
この法案の第四条で、社会資本整備について重点計画の内容が書かれています。重点計画の内容についてはさまざまなことが書かれていますが、その中心は、どちらかというと社会資本整備の目標に係るものが多くなっているように思われます。しかし、同時に、長期計画が仮に五年であれば、どのようなスケジュールで地方公共団体の自主性や自立性を確立していくのか、また、どのような方法で国民の意見を反映させていくのか、そういった計画も重点計画の中に入れるべきではないかと思われます。
その点で重要なのは二つあると思います。
一つ目は、公共事業に係る権限及び財源を地方公共団体にどのような形で移譲していくかということです。とりわけ重要なのは財源だと思います。
先ほど例に挙げた保育所でいいますと、保育所というのは非常に身近な公共施設です。ところが、保育所整備費の二分の一は国の補助金というふうになっています。本来であれば、そういった財源措置も含めて、地方自治体が自立的に判断できるような仕組みに変えていくべきではないかと思います。
また、もう一つ重要なことは、公共事業政策を他の政策の誘導手段に使わないということではないかと思います。
この間、景気対策で公共事業がかなり進められました。それが地方自治体の財政危機を大きく進めました。
今問題になっていることは、例えば市町村合併です。市町村合併の是非についてはここで述べませんが、市町村合併を進めるために地方債を特別に認めるというような制度があります。こういった市町村合併という政策を進めるために公共事業を誘導に使うような施策は改めるべきではないかと思います。
社会資本整備というのは、本来、国民の生活の向上にとって最も何が必要かという視点で進めるべきです。そのためには、他の政策の誘導手段に使うのではなく、地方の自治体が自立性と主体性を持って判断できるようなシステムへと変えていくことが重要です。そういった内容を長期計画の中にも位置づけるべきではないか、そのように考えております。
以上です。拍手
この発言だけを見る →時間の関係もありますので、社会資本整備重点計画法案に即しながら私の意見を申します。
まず一点目ですけれども、社会資本の整備を考える場合、その法案の目的、そして現状の公共事業の問題点をどう認識しているか、この点が法案を考える上では非常に重要になると思います。
この法案では、第一条に、「社会資本整備事業を重点的、効果的かつ効率的に推進するため、」と、これがこの法案の目的として書かれています。また、なぜそれが今までできてこなかったかということなんですが、いただいた参考資料等を見てみますと、長期計画が縦割りであったため、それが十分進まなかったというふうに書かれています。
確かに、長期計画が縦割りであったという点はそのとおりであって、それを改正していくということは必要だと思います。しかし、日本の公共事業の将来的なあり方を考える場合、この点を公共事業改革の入り口として議論することが果たして望ましいのかどうか、その点をまず考える必要があると思います。
私自身、日本の公共事業の持っている最大の問題点は、先ほど五十嵐参考人も発言しておりましたように、日本の公共事業費の総額が極めて大きいというところにあると思います。日本の公共事業費の総額が大きいということは、この法案の参考資料にも出ておりますように、例えば対GDP比を見ましても、日本の公共事業費の総額は対GDP比五・一%。それに対して、アメリカは一・九%、イギリスは一・三%になっています。これだけの膨大な公共事業費を長年使い続けているということが、国から自治体までの財政状況の悪化、また、ほかの施策へのしわ寄せ、膨大なむだの発生、環境問題、そういったものの根源にあると思います。これについては、政府でも、橋本内閣そして今の小泉内閣でも、公共事業費の総額をどう計画的に削減していくのかということが議論されていると思います。
まず、日本の公共事業について、この法案で言うように、長期計画を立てる場合、第一に明確にすべきことは、公共事業費の総額をどの程度削減していくのかという国の方針を明確に示すことが、公共事業の長期計画にとっては最も重要なことではないかと思います。
公共事業費の総額をどのように削減していくかというのは、先ほど申しましたように、他の国の水準もしくは日本の財政状況、社会資本の整備状況、そういったものを総合的に判断すればいいんですが、いずれにせよ、長期計画のもとで、日本の公共事業費の総額をどのようなスケジュールで削減していくのか、それを国民に明確に示すことがまずもって重要なことではないかと思います。
今回の法案では長期計画を立てるというふうになっていますが、その目標は、事業量ではなく、アウトカムで示すとしています。それも一つの考え方かもしれませんが、むしろ、公共事業費の総額を削減していくということを前提にするのならば、その削減の目標を明確な数値で国民に示した方がわかりやすいと思います。
そういう意味では、公共事業費の総額をどのように削減していくのか、どのようなスケジュールで段階的に削減を図っていくのか、そういった長期計画を公共事業の場合はまずもって考えなければならないのではないかと思います。
二点目ですが、そのような長期計画を仮につくるとすれば、むしろ、この法案で言う重点計画が生きてくるのではないかと思います。というのは、公共事業費を大幅に削減するにもかかわらず、国民が求める公共事業をどのように進めるのか、それを国民に明確に示す必要があるからです。
その場合、この法案が対象としていますように、国の直轄事業に限定されずに補助事業や単独事業まで含めて広い社会資本整備を考えるのであれば、公共事業、この法案で扱う社会資本整備の定義をもう少し広くとった方が望ましいのではないかと思われます。
社会資本整備重点計画法の第二条では、この法律が扱う分野を、道路、鉄道、空港、港湾、都市公園、下水道など十四の分野にしています。一方、公共事業基本法案の方ではもう少し広く公共事業をとらえておられるようで、それはそれで望ましいと思うんですけれども、ただし、国民がイメージする公共事業はもう少し広いのではないかなと思います。
例えば、今の小泉内閣は待機児ゼロ作戦を非常に重視しています。保育所の待機児をなくしていくということは非常に結構なことなので、もっと積極的に推進していただきたいんですが、例えば保育所を整備していく場合、この整備費の大半は税金から捻出されるわけです。ところが、保育所の整備費というのは、この社会資本整備重点計画法の中には入ってきません。
また、これから高齢化社会が進んでいきます。この法案では、長期計画の目標の中で、例えば道路や公共施設のバリアフリー化が掲げられています。それはそれで非常に重要なんですが、同時に、高齢者施設をどのように整備していくのかというような点も非常に重要になってきます。しかし、高齢者施設の整備については、この法案の定義の中には入ってきません。
また、御承知のように、この四月から障害者に対する支援費制度がスタートします。今、地域では、支援費制度がスタートするけれども、十分なサービスが供給されるのか、非常に大きな問題になっています。障害者施設を整備していくことが非常に重要ですが、しかし、そういった障害者施設の整備についても、この法案の定義の中には入ってこないということになります。
むしろ、公共事業費を全体的に削減しながら、国民が求めるような公共事業を全般的にどうやって進めることができるのか、そういったことを考えるのであれば、この法案の第二条で定めている社会資本整備の範囲をもう少し広くとらえた方がいいと思います。
もしこのような定義の中で公共事業の重点化を図っていくというのであれば、道路がいいのか鉄道がいいのか港湾がいいのか空港がいいのか、そういう中で重点化を図れというのであれば、少し無理があるように思います。むしろこれでは、従来、地方向けに行ってきた公共事業を削減し、都市再生のような公共事業に重点化を図るというような考え方しか出てこないではないか、そのような危惧が持たれます。
公共事業費の総額を削減するということは、必ずしも公共事業をなくせということではありません。むしろ、必要な公共事業をどうすれば重点的、効率的に進めていけるかということが重要になります。そのためには、包括的な社会資本整備計画、長期計画を考えるのであれば、従来の長期計画の枠組みに縛られずに、もう少し社会資本の定義を広くとり、その中でどこに重点化を図っていくことが国民にとって最も望ましいのか、それを国民的に議論していけるような長期計画、法案にすべきではないかと思います。
第三点目ですが、この法案の第三条で基本理念が書かれています。その中では、重点計画を作成する場合、「地方公共団体の自主性及び自立性を尊重」するということが書かれています。また、第四条では、重点計画を作成する場合、「国民の意見を反映させるために必要な措置を講ずる」ということが書かれています。この点は非常に結構なことなので、こういったことをきちっとすべきだと思います。ただし、国民の意見をきちっと反映する場合、公共事業基本法案では、閣議決定ではなく、国会の承認というふうに書かれています。むしろそのようにした方が望ましいのではないかと思われます。
ただし、同時に重要なことは、実際の社会資本整備を進めていく場合、地方公共団体の自主性や自立性、国民の意見が個々の社会資本整備にどういう形で反映されるようになっているか、その点が今後は重要になってくると思います。
この法案の第四条で、社会資本整備について重点計画の内容が書かれています。重点計画の内容についてはさまざまなことが書かれていますが、その中心は、どちらかというと社会資本整備の目標に係るものが多くなっているように思われます。しかし、同時に、長期計画が仮に五年であれば、どのようなスケジュールで地方公共団体の自主性や自立性を確立していくのか、また、どのような方法で国民の意見を反映させていくのか、そういった計画も重点計画の中に入れるべきではないかと思われます。
その点で重要なのは二つあると思います。
一つ目は、公共事業に係る権限及び財源を地方公共団体にどのような形で移譲していくかということです。とりわけ重要なのは財源だと思います。
先ほど例に挙げた保育所でいいますと、保育所というのは非常に身近な公共施設です。ところが、保育所整備費の二分の一は国の補助金というふうになっています。本来であれば、そういった財源措置も含めて、地方自治体が自立的に判断できるような仕組みに変えていくべきではないかと思います。
また、もう一つ重要なことは、公共事業政策を他の政策の誘導手段に使わないということではないかと思います。
この間、景気対策で公共事業がかなり進められました。それが地方自治体の財政危機を大きく進めました。
今問題になっていることは、例えば市町村合併です。市町村合併の是非についてはここで述べませんが、市町村合併を進めるために地方債を特別に認めるというような制度があります。こういった市町村合併という政策を進めるために公共事業を誘導に使うような施策は改めるべきではないかと思います。
社会資本整備というのは、本来、国民の生活の向上にとって最も何が必要かという視点で進めるべきです。そのためには、他の政策の誘導手段に使うのではなく、地方の自治体が自立性と主体性を持って判断できるようなシステムへと変えていくことが重要です。そういった内容を長期計画の中にも位置づけるべきではないか、そのように考えております。
以上です。拍手
河
河
福
福井照#9
○福井委員 皆様おはようございます。
三人の先生には、早朝から本当に御苦労さまでございました。ありがとうございました。
今伺わせていただきまして、森地先生も五十嵐先生も中山先生も、課題認識は共通しているなという印象を持ちました。私、きょう、計画高権の話と、それから日本人の価値観の創造というのに絞って聞かせていただこうと思ってずっと聞いておりましたら、まさにその点で論点は共通していて、それぞれの先生で結論は違うということだと思いますが、まず森地先生に、その二つについてお伺いをしたいと思います。
私、たまたま掛川の助役をやっておりまして、平成三年に赴任したんですが、そのときにまちづくり条例というのをつくろうとしておりました。建設省都市局としては非常に迷惑な話なので、おまえは助役で行くんだけれども、まあ、つぶしてこいとは言いませんけれども、余り協力するなというような雰囲気のことを命令された上で赴任したという覚えがございます。つまり、まちづくり条例というのは、もちろん今でも生きていますからあれですけれども、首長さんと地域が協定を結びまして、土地利用計画それから土地の売買に至るまで詳細にわたりまして、首長さんの権限で地域と協定を結んだ上で、とにかく土地と環境については少なくとも首長が計画高権を持つんだ、農水省の農村計画があり、建設省の都市計画があり、いろいろな計画があるけれども、すべての計画を上回る高権を持つということで、ドイツの計画高権を援用しましてそういう条例をつくったということでございます。それはそれで今でも生きておりますし、動いておりますので問題はないんですけれども。
つまり、先ほど先生のレジュメの方にもございました、調整するという現場においていかにすべきかということについて御助言がありましたらお伺いしたいということでございます。たくさんある計画論をすべて束ねて最終的に決定する権限を計画高権と呼ばせていただければ、すべての計画を総覧し、先生のお言葉で言うならば、シナリオライターとしての計画高権者というのは行政的にどういうふうに位置づけられるべきかというアドバイスをいただきたいということです。
つまり、法律上あるいは行政組織法上は各局長さんは全く同じ、もうびた一文変わらない同じ権能、権限、力を持っているわけで、例えば現場の所長でもそういうことがあるんです。河川系の副所長からこう言われ、道路系の副所長からこう言われ、どうしますかと裁定を求められても困るんですね、実際としては。したがって、少なくとも、アドホックなプロジェクトにおいてはだれが最大の権能を持つべきかということを、例えば内規上規定するとか、いろいろな工夫があると思います。三百六十五日、日常的な権限を与えるということは行政上無理なんですけれども、権能、権限を裏打ちする意味で、何がしかのプロジェクトを特定した上で、その特定プロジェクトにおいては、だれそれ局長がよその局長よりも、少しだけれども多くの権能を持つ、権限を持つ、権力を持つ、そういう優先権を与えるような工夫とか、いろいろアドバイスがあろうかと思いますので、その計画高権についてまずお伺いしたいと思います。
あわせて、これも今、日本の閉塞感の最も根本的な問題だと思っておりますけれども、外交から内政まですべての分野にわたって、この日本の閉塞感の原因は、価値観の欠如だと思っております。つまり、何が重要で何が重要でないか区別ができない、判断できない、重要な順に並べることができない、重要度の割合をおおむねでもいいから決定することができない、そのプライオリティーの議論ができないということで、戦略も戦術もシナリオも書けない、そういうことだと私自身は理解をしております。
つまり、国民的な課題は価値観の創造である。これは民族的な欠陥なのか、それとも、それも先生のレジュメにございました選択する時代、つまり、価値観というのは選択する練習を通じて生まれてくるものでしょうから、選択するという場面とか練習が日本民族として足らなかったのかどうかということもあるでしょう。あるいは役所側と国民側に区別しても、役所側も、官の側も、これは五十嵐先生に言わせるとけしからぬということなんでしょうけれども、例えば、いろいろな計画の仕組みは、国民一人も賛成者がいなくても、一億二千七百万人すべて反対してもでき得るという仕組みがございます。地域を総合的にマネジメントしている、国家を運営しているという自負のもとに、みずからの価値観にのっとって毅然とした態度をとる、そういう価値観もなかなかないということです。一方、国民の方も、一人一人の価値観がまだ創造できていない、情緒に流れやすいというさがを持っているということだと思うんですね。
しかし一方、イラク問題で、今国民的な試練を受けております。国益とは何かということをまず問い、国家の安全、国民の安全、そして何よりも、今食べているもの、着ているもの、経済的な繁栄を維持する、発展させることという国益を、今、日本民族はかみしめて、その上で、一体どういうことかと。日米安保条約が大事なのか、国連を通じた国際協力が大事なのかというようなことを今一人一人が自分の心に問うているというような状況なので、そういう訓練があれば、国民的にも、それから施行者側も何がしかの価値観の創造が生まれるはずでございますので、社会資本整備、先生のレジュメにございましたように、もう一生懸命やってきた、真っすぐ走ってきた、そこで今立ちどまって、四方八方めぐらせた上でその価値観を創造するときにどういう工夫をしたらいいのかということについてアドバイスがありましたら、ちょっと長くなりましたけれども、計画高権と価値観の創造についてコメントをぜひよろしくお願い申し上げたいと思います。
この発言だけを見る →三人の先生には、早朝から本当に御苦労さまでございました。ありがとうございました。
今伺わせていただきまして、森地先生も五十嵐先生も中山先生も、課題認識は共通しているなという印象を持ちました。私、きょう、計画高権の話と、それから日本人の価値観の創造というのに絞って聞かせていただこうと思ってずっと聞いておりましたら、まさにその点で論点は共通していて、それぞれの先生で結論は違うということだと思いますが、まず森地先生に、その二つについてお伺いをしたいと思います。
私、たまたま掛川の助役をやっておりまして、平成三年に赴任したんですが、そのときにまちづくり条例というのをつくろうとしておりました。建設省都市局としては非常に迷惑な話なので、おまえは助役で行くんだけれども、まあ、つぶしてこいとは言いませんけれども、余り協力するなというような雰囲気のことを命令された上で赴任したという覚えがございます。つまり、まちづくり条例というのは、もちろん今でも生きていますからあれですけれども、首長さんと地域が協定を結びまして、土地利用計画それから土地の売買に至るまで詳細にわたりまして、首長さんの権限で地域と協定を結んだ上で、とにかく土地と環境については少なくとも首長が計画高権を持つんだ、農水省の農村計画があり、建設省の都市計画があり、いろいろな計画があるけれども、すべての計画を上回る高権を持つということで、ドイツの計画高権を援用しましてそういう条例をつくったということでございます。それはそれで今でも生きておりますし、動いておりますので問題はないんですけれども。
つまり、先ほど先生のレジュメの方にもございました、調整するという現場においていかにすべきかということについて御助言がありましたらお伺いしたいということでございます。たくさんある計画論をすべて束ねて最終的に決定する権限を計画高権と呼ばせていただければ、すべての計画を総覧し、先生のお言葉で言うならば、シナリオライターとしての計画高権者というのは行政的にどういうふうに位置づけられるべきかというアドバイスをいただきたいということです。
つまり、法律上あるいは行政組織法上は各局長さんは全く同じ、もうびた一文変わらない同じ権能、権限、力を持っているわけで、例えば現場の所長でもそういうことがあるんです。河川系の副所長からこう言われ、道路系の副所長からこう言われ、どうしますかと裁定を求められても困るんですね、実際としては。したがって、少なくとも、アドホックなプロジェクトにおいてはだれが最大の権能を持つべきかということを、例えば内規上規定するとか、いろいろな工夫があると思います。三百六十五日、日常的な権限を与えるということは行政上無理なんですけれども、権能、権限を裏打ちする意味で、何がしかのプロジェクトを特定した上で、その特定プロジェクトにおいては、だれそれ局長がよその局長よりも、少しだけれども多くの権能を持つ、権限を持つ、権力を持つ、そういう優先権を与えるような工夫とか、いろいろアドバイスがあろうかと思いますので、その計画高権についてまずお伺いしたいと思います。
あわせて、これも今、日本の閉塞感の最も根本的な問題だと思っておりますけれども、外交から内政まですべての分野にわたって、この日本の閉塞感の原因は、価値観の欠如だと思っております。つまり、何が重要で何が重要でないか区別ができない、判断できない、重要な順に並べることができない、重要度の割合をおおむねでもいいから決定することができない、そのプライオリティーの議論ができないということで、戦略も戦術もシナリオも書けない、そういうことだと私自身は理解をしております。
つまり、国民的な課題は価値観の創造である。これは民族的な欠陥なのか、それとも、それも先生のレジュメにございました選択する時代、つまり、価値観というのは選択する練習を通じて生まれてくるものでしょうから、選択するという場面とか練習が日本民族として足らなかったのかどうかということもあるでしょう。あるいは役所側と国民側に区別しても、役所側も、官の側も、これは五十嵐先生に言わせるとけしからぬということなんでしょうけれども、例えば、いろいろな計画の仕組みは、国民一人も賛成者がいなくても、一億二千七百万人すべて反対してもでき得るという仕組みがございます。地域を総合的にマネジメントしている、国家を運営しているという自負のもとに、みずからの価値観にのっとって毅然とした態度をとる、そういう価値観もなかなかないということです。一方、国民の方も、一人一人の価値観がまだ創造できていない、情緒に流れやすいというさがを持っているということだと思うんですね。
しかし一方、イラク問題で、今国民的な試練を受けております。国益とは何かということをまず問い、国家の安全、国民の安全、そして何よりも、今食べているもの、着ているもの、経済的な繁栄を維持する、発展させることという国益を、今、日本民族はかみしめて、その上で、一体どういうことかと。日米安保条約が大事なのか、国連を通じた国際協力が大事なのかというようなことを今一人一人が自分の心に問うているというような状況なので、そういう訓練があれば、国民的にも、それから施行者側も何がしかの価値観の創造が生まれるはずでございますので、社会資本整備、先生のレジュメにございましたように、もう一生懸命やってきた、真っすぐ走ってきた、そこで今立ちどまって、四方八方めぐらせた上でその価値観を創造するときにどういう工夫をしたらいいのかということについてアドバイスがありましたら、ちょっと長くなりましたけれども、計画高権と価値観の創造についてコメントをぜひよろしくお願い申し上げたいと思います。
森
森地茂#10
○森地参考人 大変難しいテーマを与えられました。私の考えを述べさせていただきます。
第一点について、レジュメでも申し上げましたように、社会資本間の調整をする場面と、それから、地域地域で調整をする場面、これは両輪でございます。具体的には、例えば都市計画の中で、水資源も重要ですし、環境ももちろん重要ですし、交通も重要だ、こういう機能別の計画があるのと、その面の中でどうおさめていくか、こういう二つでございます。
御質問は、主として後者についての御質問と理解をいたしました。
もう当たり前の話ですが、国は国なり、地方は地方なり、だれが権限を持つべきかということは対象によって違いますし、それから、その費用をだれが負担しているかということと、その行為がだれに影響を与えるかということを通じて、本来はこれは国がやるべきだ、これは地域がやるべきだという格好で決まっていくのだと思います。
それで、高権の最終的な姿はそういう格好で、非常にオーバーラップしながらでございますから決めざるを得ないわけですが、しかしながら、方向性としては、地域の首長さんが合意をされないと、あるいは市民の方々が合意をされないと意思決定をできないような現場の状況がどんどん進行しております。したがって、PIの話、住民参加の話ですとか、あるいは地方と国を対等に考えていこうとかというようなことが、例えば道路の五カ年計画でもうたわれてございますし、もろもろの政策でも展開しているかと思います。
もう一つ、高権をだれが持つかということと関連するかと思いますが、例えば地方分権が非常に進行したときに、地方は地方で決めればよろしいというお考えと別に、それに対しても国が関与をしなきゃいけない、そういう場面が世界の中では展開を強めていると私は理解しております。
御承知のとおり、二〇〇〇年に制定されましたイギリスでのローカル・トランスポーテーション・プランというスキーム、これは、地域が都市交通の計画をつくって、それを中央政府に提案する、その中で一番いい提案をしたあるいは二番目にいい提案をした、こういう格好で順序をつけまして、優秀なところに集中的に五年間補助金を貸与する、こういうやり方でございます。
あるいはアメリカでも、地方分権の先進国でございますが、中央政府が、例えばトランジットモールにするとか新交通システムをやるとかというような補助制度を持っております。これはデモンストレーションプログラムとして持っております。
これは、本来は自治体の中の都市交通というのは連邦が関与することではないんですが、そういうことを限定して、デモンストレーションですから極めて限定をしてそういう補助金を与えることによって、その地域が試行錯誤していいプランを仕上げていく、日本で言う社会実験に近いんですが、その成功した体験がほかの地域で大変有効な効果を持つ、こんな格好で機能をしております。
もう一例だけ申しますと、ドイツでバイオについてのコンペ制度を九六年にとりました。これはまた後で別の機会に御説明をいたします。
こんなことで、地方分権と中央政府の役割が、分権だからこっちでいいという格好ではなくて進むようなことが世界の潮流である。ちょっと御質問に直接お答えになっていないかもわかりませんが、高権、だれが権限を持つべきかということと、持った上で、その中でどういう格好でお互い影響し合うかという仕組みを両方両立させてつくっていく、こういうことが基本的なとるべき考えなのではないかと考えます。
二番目については、価値観の問題でございますが、これはもうおっしゃるとおりで、それをどうするかということが、大変難しい日本に直面する課題ではないかと思います。
なぜ日本がそうなったかということを、国民的性格かというと私はそうは思っておりませんで、戦後のいろいろな意思決定は世界の中で日本が非常にうまくやった、これが奇跡的な復興を遂げたことでございますから、もし問題があるとすると、ずっと成長してきましたので、成長する中での調整は割合楽だった。ところが、縮小する中での、縮小というのは、例えば公共事業費が減ってくるとかデフレ現象が起こるとか、全体のパイが小さくなる上での選択問題は大変厳しい、こういうところについて長年余り厳しく問われなかった、これが我々にとっての一つの環境条件かと思います。
アメリカでもヨーロッパでも、都市対地域とか地域間の財源配分の問題というのは物すごくぎりぎり毎年毎年やってきた、こんな歴史がございます。そういう中で、ある調整の仕組みも出てきたんだろう、こう理解をいたします。
ただ、先ほど申しました、イギリスの苦しい時代、アメリカの苦しい時代の中で、例えば、イギリスはPFIというコンセプトをその中からつくってまいりましたし、アメリカは、都市の再生という言葉を使いませんでしたけれども、都市開発を物すごくやっていくというのは、そういう考え方とかIT革命とか、違うコンセプトを苦しい中でつくって、それで次の時代に展開をしていった。そういう意味では、日本も、これが限界だとか難しいとかということに余り議論を集中しないで、その中から何が生み出せるのか、こういう発想をすることが大変重要なのではないか、こんなことを思っております。
直接のお答えになっていなくて恐縮でございます。
〔委員長退席、菅(義)委員長代理着席〕
この発言だけを見る →第一点について、レジュメでも申し上げましたように、社会資本間の調整をする場面と、それから、地域地域で調整をする場面、これは両輪でございます。具体的には、例えば都市計画の中で、水資源も重要ですし、環境ももちろん重要ですし、交通も重要だ、こういう機能別の計画があるのと、その面の中でどうおさめていくか、こういう二つでございます。
御質問は、主として後者についての御質問と理解をいたしました。
もう当たり前の話ですが、国は国なり、地方は地方なり、だれが権限を持つべきかということは対象によって違いますし、それから、その費用をだれが負担しているかということと、その行為がだれに影響を与えるかということを通じて、本来はこれは国がやるべきだ、これは地域がやるべきだという格好で決まっていくのだと思います。
それで、高権の最終的な姿はそういう格好で、非常にオーバーラップしながらでございますから決めざるを得ないわけですが、しかしながら、方向性としては、地域の首長さんが合意をされないと、あるいは市民の方々が合意をされないと意思決定をできないような現場の状況がどんどん進行しております。したがって、PIの話、住民参加の話ですとか、あるいは地方と国を対等に考えていこうとかというようなことが、例えば道路の五カ年計画でもうたわれてございますし、もろもろの政策でも展開しているかと思います。
もう一つ、高権をだれが持つかということと関連するかと思いますが、例えば地方分権が非常に進行したときに、地方は地方で決めればよろしいというお考えと別に、それに対しても国が関与をしなきゃいけない、そういう場面が世界の中では展開を強めていると私は理解しております。
御承知のとおり、二〇〇〇年に制定されましたイギリスでのローカル・トランスポーテーション・プランというスキーム、これは、地域が都市交通の計画をつくって、それを中央政府に提案する、その中で一番いい提案をしたあるいは二番目にいい提案をした、こういう格好で順序をつけまして、優秀なところに集中的に五年間補助金を貸与する、こういうやり方でございます。
あるいはアメリカでも、地方分権の先進国でございますが、中央政府が、例えばトランジットモールにするとか新交通システムをやるとかというような補助制度を持っております。これはデモンストレーションプログラムとして持っております。
これは、本来は自治体の中の都市交通というのは連邦が関与することではないんですが、そういうことを限定して、デモンストレーションですから極めて限定をしてそういう補助金を与えることによって、その地域が試行錯誤していいプランを仕上げていく、日本で言う社会実験に近いんですが、その成功した体験がほかの地域で大変有効な効果を持つ、こんな格好で機能をしております。
もう一例だけ申しますと、ドイツでバイオについてのコンペ制度を九六年にとりました。これはまた後で別の機会に御説明をいたします。
こんなことで、地方分権と中央政府の役割が、分権だからこっちでいいという格好ではなくて進むようなことが世界の潮流である。ちょっと御質問に直接お答えになっていないかもわかりませんが、高権、だれが権限を持つべきかということと、持った上で、その中でどういう格好でお互い影響し合うかという仕組みを両方両立させてつくっていく、こういうことが基本的なとるべき考えなのではないかと考えます。
二番目については、価値観の問題でございますが、これはもうおっしゃるとおりで、それをどうするかということが、大変難しい日本に直面する課題ではないかと思います。
なぜ日本がそうなったかということを、国民的性格かというと私はそうは思っておりませんで、戦後のいろいろな意思決定は世界の中で日本が非常にうまくやった、これが奇跡的な復興を遂げたことでございますから、もし問題があるとすると、ずっと成長してきましたので、成長する中での調整は割合楽だった。ところが、縮小する中での、縮小というのは、例えば公共事業費が減ってくるとかデフレ現象が起こるとか、全体のパイが小さくなる上での選択問題は大変厳しい、こういうところについて長年余り厳しく問われなかった、これが我々にとっての一つの環境条件かと思います。
アメリカでもヨーロッパでも、都市対地域とか地域間の財源配分の問題というのは物すごくぎりぎり毎年毎年やってきた、こんな歴史がございます。そういう中で、ある調整の仕組みも出てきたんだろう、こう理解をいたします。
ただ、先ほど申しました、イギリスの苦しい時代、アメリカの苦しい時代の中で、例えば、イギリスはPFIというコンセプトをその中からつくってまいりましたし、アメリカは、都市の再生という言葉を使いませんでしたけれども、都市開発を物すごくやっていくというのは、そういう考え方とかIT革命とか、違うコンセプトを苦しい中でつくって、それで次の時代に展開をしていった。そういう意味では、日本も、これが限界だとか難しいとかということに余り議論を集中しないで、その中から何が生み出せるのか、こういう発想をすることが大変重要なのではないか、こんなことを思っております。
直接のお答えになっていなくて恐縮でございます。
〔委員長退席、菅(義)委員長代理着席〕
福
福井照#11
○福井委員 ありがとうございました。少し元気を出させていただきました。
それで、中山先生が、社会資本とは何かということをまず基本から問おうじゃないかということをおっしゃっていただいて、大変ありがとうございました。
前回の機会で社会資本とは何かということで質問をさせていただいたんですけれども、それを美の創造というふうに例えば新しい部門を考えますと、今までは、天然的な自然環境資源みたいなものは、ただ置いておくのか、あるいは少しは見る場所をつくるのかというようなことで議論があったわけですけれども、景観とか水辺とか水面とか水とか、そういう天然的自然環境ですら社会資本整備あるいは保全、保存の対象であるというふうに概念を広げますと、何かやるべきことがあるんじゃないか、美の創造という意味で、国土の美をつくっていくという意味で何かをすべきじゃないかというふうなお考えがあろうかと思います。先ほどそこまではおっしゃらなかったんですけれども、中山先生、もしそういう面で新しくつくっていくんだということでコメントがありましたら、ぜひ教えていただきたいと思います。
この発言だけを見る →それで、中山先生が、社会資本とは何かということをまず基本から問おうじゃないかということをおっしゃっていただいて、大変ありがとうございました。
前回の機会で社会資本とは何かということで質問をさせていただいたんですけれども、それを美の創造というふうに例えば新しい部門を考えますと、今までは、天然的な自然環境資源みたいなものは、ただ置いておくのか、あるいは少しは見る場所をつくるのかというようなことで議論があったわけですけれども、景観とか水辺とか水面とか水とか、そういう天然的自然環境ですら社会資本整備あるいは保全、保存の対象であるというふうに概念を広げますと、何かやるべきことがあるんじゃないか、美の創造という意味で、国土の美をつくっていくという意味で何かをすべきじゃないかというふうなお考えがあろうかと思います。先ほどそこまではおっしゃらなかったんですけれども、中山先生、もしそういう面で新しくつくっていくんだということでコメントがありましたら、ぜひ教えていただきたいと思います。
中
中山徹#12
○中山参考人 先ほどはそこまで申しませんでしたが、もちろんそういったことも考慮すべきだと思います。
例えば、国会でも自然再生についての議論がされていると思います。従来の公共事業は、どちらかというと自然環境にとって余り好ましくないものが多かったかもしれませんが、むしろこれからは、自然の再生、自然の回復をどう図っていくのか、そういったところも、美の創造とか環境の再生という点では重要になるかと思います。
既に、産業革命等が日本よりも早く起こったヨーロッパでは、そういう自然の再生、回復をどのように図っていくのか、そういったことがその国の公共事業の重点施策の一つになっています。そういう意味では、この国会で議論されています今回の法案なんかでも、自然の再生や回復、それを社会資本整備の対象に位置づけていくとか、新しい美をどうつくっていくか、そういったことも含めて議論した方がより望ましいのではないかと思います。
以上です。
この発言だけを見る →例えば、国会でも自然再生についての議論がされていると思います。従来の公共事業は、どちらかというと自然環境にとって余り好ましくないものが多かったかもしれませんが、むしろこれからは、自然の再生、自然の回復をどう図っていくのか、そういったところも、美の創造とか環境の再生という点では重要になるかと思います。
既に、産業革命等が日本よりも早く起こったヨーロッパでは、そういう自然の再生、回復をどのように図っていくのか、そういったことがその国の公共事業の重点施策の一つになっています。そういう意味では、この国会で議論されています今回の法案なんかでも、自然の再生や回復、それを社会資本整備の対象に位置づけていくとか、新しい美をどうつくっていくか、そういったことも含めて議論した方がより望ましいのではないかと思います。
以上です。
福
福井照#13
○福井委員 ありがとうございました。
そして、五十嵐先生にもちょっとお尋ねをさせていただきたいと思います。
私ども、もちろん先生がおっしゃるには全然足らないということだと思いますけれども、例えば地方都市の中心市街地の活性化の問題でありますとか、あるいは都市観光、何でもない町を観光することでありますとか、先ほど言いました美の創造運動。アイルランドで美しいまちづくり運動というのがありまして、それで地方都市に観光客がふえるようにする、観光客がふえると産業がやってくるということで、ヨーロッパで最貧国だったアイルランドがその経済をもう一度持ち上げてきたというのは、美を通して地方都市も再生し、そして国全体も再生したという経験を踏まえて、それも仕掛けようとしているんですが、何を言おうとしているかといいますと、我々としても国民運動にしようじゃないかということで仕掛けはしていたんですが、なかなかそれがうまくいっていない。それは確かに先生のおっしゃるとおり。
しかし、繰り返しますけれども、地方都市中心市街地の活性化の問題も都市観光の問題も今の美の創造の問題も、官僚と、官僚といいますか官とNPOあるいは官と市民と、緊張感を演出しながらでも国民運動として、国民全体がとにかくそういう一つの目的に向かっていくんだということをやろうとしていたんです。これは絶対だめだとおっしゃるのはもちろんわかるんですけれども、先ほど言った根本的な御提案はちょっとこっちへおいておきまして、では、今まで何が足らないから国民的に理解が得られなかったんだ、どこがだめだったのかということについて、論点をちょっと教えていただきたいと思います。
この発言だけを見る →そして、五十嵐先生にもちょっとお尋ねをさせていただきたいと思います。
私ども、もちろん先生がおっしゃるには全然足らないということだと思いますけれども、例えば地方都市の中心市街地の活性化の問題でありますとか、あるいは都市観光、何でもない町を観光することでありますとか、先ほど言いました美の創造運動。アイルランドで美しいまちづくり運動というのがありまして、それで地方都市に観光客がふえるようにする、観光客がふえると産業がやってくるということで、ヨーロッパで最貧国だったアイルランドがその経済をもう一度持ち上げてきたというのは、美を通して地方都市も再生し、そして国全体も再生したという経験を踏まえて、それも仕掛けようとしているんですが、何を言おうとしているかといいますと、我々としても国民運動にしようじゃないかということで仕掛けはしていたんですが、なかなかそれがうまくいっていない。それは確かに先生のおっしゃるとおり。
しかし、繰り返しますけれども、地方都市中心市街地の活性化の問題も都市観光の問題も今の美の創造の問題も、官僚と、官僚といいますか官とNPOあるいは官と市民と、緊張感を演出しながらでも国民運動として、国民全体がとにかくそういう一つの目的に向かっていくんだということをやろうとしていたんです。これは絶対だめだとおっしゃるのはもちろんわかるんですけれども、先ほど言った根本的な御提案はちょっとこっちへおいておきまして、では、今まで何が足らないから国民的に理解が得られなかったんだ、どこがだめだったのかということについて、論点をちょっと教えていただきたいと思います。
五
五十嵐敬喜#14
○五十嵐参考人 五十嵐です。
今そういう質問があったものですから、私の意見をちょっと言わせていただきたいのです。
私自身は、そろそろこの時期は、ポスト公共事業社会といいますか、旧来型の公共事業にかわる新しい社会像を示すべきであるというふうに思っております。その重要な一つが、今先生のおっしゃいました美ということであります。
私は先生に後で本をプレゼントしたいと思いますけれども、美しい都市をつくる権利というものが国民に保障されるべきであるということを考えておりまして、これを少し憲法論的なレベルでいいますと、土地所有権の問題のあり方とか、あるいは新しい日本の価値観の統合の一つの価値原理としてこの美というものを考えるべきであるということを強く強調しております。
それに当たりまして、先ほどの計画高権と価値の調整のことについて少しいきますけれども、では、だれがつくるかということです。
悪くするとファシズムになるわけですけれども、そうではなくて、国民全体として、いわゆる真の公共、真の公益といいますか、そういうものとして美を位置づけた場合に、従来型のシステムの中で決定的に欠けていたのは、この美という観点が公共事業には一つもないということです。今回の法案にもそういうことは全くございません。それはやはり、国家が全体を決めるのは好ましくないということだろうと思いますけれども、だからこそ、逆に言えば、それを市民にゆだねるべきであるということですね。
あの計画高権のときに、これは法学的に最も、ドイツ法以来の最も大きな争点でありますけれども、何が問題かといいますと、だれが物事を決めるかということがあります。一番最初には、王様がいまして、これが決めているんです。二番目は、だんだん近代になりますと官僚が決める。三番目は、やはり国民主権に基づいて国会が決める。日本は、ちょうど官僚から国会の中間ぐらいに今あるんだろうというふうに思います。この法案もそうだと思うんです。民主党の公共事業コントロール法案というのは国会になるんですが、最終的にはそこでも足りなくて、いわば市民が直接的に決める、一部分については市民にゆだねていい。それは直接民主主義の復活であり、あるいは住民投票、制度的に言えばそういうものだと思いますけれども、恐らく美についてもそういうものに一部ゆだねるというぐらいの要請が時代的には来ているんだろうというふうに思います。その考え方が全然議論もされないし、同じテーブルで何かつくるというテーブルがまだなかったというのが今までの不幸だったんではないかというふうに思っています。
美しい都市を市民が事業としてつくっていくこと、これがポスト公共事業社会の新しい目標だと私は思っております。
この発言だけを見る →今そういう質問があったものですから、私の意見をちょっと言わせていただきたいのです。
私自身は、そろそろこの時期は、ポスト公共事業社会といいますか、旧来型の公共事業にかわる新しい社会像を示すべきであるというふうに思っております。その重要な一つが、今先生のおっしゃいました美ということであります。
私は先生に後で本をプレゼントしたいと思いますけれども、美しい都市をつくる権利というものが国民に保障されるべきであるということを考えておりまして、これを少し憲法論的なレベルでいいますと、土地所有権の問題のあり方とか、あるいは新しい日本の価値観の統合の一つの価値原理としてこの美というものを考えるべきであるということを強く強調しております。
それに当たりまして、先ほどの計画高権と価値の調整のことについて少しいきますけれども、では、だれがつくるかということです。
悪くするとファシズムになるわけですけれども、そうではなくて、国民全体として、いわゆる真の公共、真の公益といいますか、そういうものとして美を位置づけた場合に、従来型のシステムの中で決定的に欠けていたのは、この美という観点が公共事業には一つもないということです。今回の法案にもそういうことは全くございません。それはやはり、国家が全体を決めるのは好ましくないということだろうと思いますけれども、だからこそ、逆に言えば、それを市民にゆだねるべきであるということですね。
あの計画高権のときに、これは法学的に最も、ドイツ法以来の最も大きな争点でありますけれども、何が問題かといいますと、だれが物事を決めるかということがあります。一番最初には、王様がいまして、これが決めているんです。二番目は、だんだん近代になりますと官僚が決める。三番目は、やはり国民主権に基づいて国会が決める。日本は、ちょうど官僚から国会の中間ぐらいに今あるんだろうというふうに思います。この法案もそうだと思うんです。民主党の公共事業コントロール法案というのは国会になるんですが、最終的にはそこでも足りなくて、いわば市民が直接的に決める、一部分については市民にゆだねていい。それは直接民主主義の復活であり、あるいは住民投票、制度的に言えばそういうものだと思いますけれども、恐らく美についてもそういうものに一部ゆだねるというぐらいの要請が時代的には来ているんだろうというふうに思います。その考え方が全然議論もされないし、同じテーブルで何かつくるというテーブルがまだなかったというのが今までの不幸だったんではないかというふうに思っています。
美しい都市を市民が事業としてつくっていくこと、これがポスト公共事業社会の新しい目標だと私は思っております。
福
菅
伴
伴野豊#17
○伴野委員 民主党の伴野豊でございます。
本日は、森地先生、五十嵐先生、中山先生、お忙しい中お越しいただきまして、貴重なお話を賜りましたことを、まずもって御礼申し上げたいと思います。ありがとうございます。
私自身、学生時代から地域計画を専門としておりましたので、先生方の論文が新しく出るたびに私なりに目を通させていただきまして、きょうは、そうした先生方お三方に直接質問させていただけるという大変光栄な時間を賜りましたことを、重ねて御礼申し上げたいと思います。
では、具体的な質問に入らせていただければと思うわけでございますが、まず、私の社会資本整備に対する基本的なスタンスでございます。確かに、マスコミがセンセーショナル的にとらえます、いわゆる整備にまつわる契約のスキャンダラスな問題とか、あるいは社会資本整備のために社会資本整備をしてしまったという点、否めない点もあるわけでございますが、総じて、例えばNHKの「プロジェクトX」で取り上げられるような諸先輩方の、いわゆる戦後から短期間において、世界の奇跡と言われるような整備をしていただいた先輩方には、その点では敬意を払っているつもりでございます。
しかしながら、先ほどから先生方の御指摘にもございますように、時代の流れと申しますか、国民の期待するところは少しずつ変わってきた、そういった中でどういった課題があるのかということでございますが、私は、大きく二つあろうかと思っております。
その一つは、これも先生方御指摘いただいていたかと思いますが、計画全体の整合性、連続性の問題。これは過去もいろいろ、上位計画、中位計画、下位計画の中における整合性の問題、先ほども、現場に来たときにそれがどうマッチングするのかというお話がございましたが、それがまず一点目。二点目としましては、責任の所在が不明確になっている点があるのではないか。これは、事業そのものが評価しにくい。例えば、時間的にどう評価するのか、金銭的にどう評価するのか、効果をどう評価するのか、それはだれの立場で評価していくのかによっても随分違ってまいりますし、計画自体が悪いのか、計画のずれがどうして発生したのか、あるいは、実行をきちっとしたんだけれども、それが今求めているものとは違ってきたというようないろいろな観点がありますから、なかなかそれが評価しにくいわけでございますが、ばくっと申しますと、総じて、最終的に責任の所在が不明確になってくる。この二点が、解消されなければいけない大きな課題かなと思うわけでございます。
そういった点で今回の二法案を比較いたしますと、私はどちらも一歩前進をしているんだと思います。ただ、その差としまして二つあろうかと思います。
まず一点目は、国と地方公共団体の役割分担をどうするか。二点目は、先ほども申しましたが、政策評価、事業評価、これをどうするか。一点目の国と地方公共団体の役割分担に関しましては、いわゆる意思決定システム、道州制を導入するのか、あるいは市町村合併をやってから財源移譲した方がいいのか、鶏が先か卵が先かといういろいろな問題点がありますけれども、ここも考えていかなければいけない。二つ目の評価というのは非常に難しい。例えば、大きな木をメスで細かく切っていったら最終的に本当にそれが見えるかどうか、鋭いメスで切っていけば切っていくほど全体が見えなくなる、そういうときは大なたで切った方がわかりやすいという評価の仕方もある。ですから、非常に評価の仕方というのは難しいわけでございますが、これもしかし解消していかなければいけない問題であろうかと思います。
時間の許す限り、その二点を中心に御質問させていただきたいわけでございますが、まず一点目の国と地方公共団体との役割分担をどうしていくかという点につきまして、お三方の先生方に質問させていただきたいわけでございます。
森地先生におかれましては、インセンティブ補助制度というものの議論を具体的にしていただいてお答えいただければありがたい。五十嵐先生におかれましては、市民事業という点でどうあるべきかというような点でお答えいただければ。中山先生におかれましては、高齢者、障害者に配慮したものとしてどうすればいいかというような三点の視点でお答えいただければありがたいと思います。よろしくお願いいたします。
この発言だけを見る →本日は、森地先生、五十嵐先生、中山先生、お忙しい中お越しいただきまして、貴重なお話を賜りましたことを、まずもって御礼申し上げたいと思います。ありがとうございます。
私自身、学生時代から地域計画を専門としておりましたので、先生方の論文が新しく出るたびに私なりに目を通させていただきまして、きょうは、そうした先生方お三方に直接質問させていただけるという大変光栄な時間を賜りましたことを、重ねて御礼申し上げたいと思います。
では、具体的な質問に入らせていただければと思うわけでございますが、まず、私の社会資本整備に対する基本的なスタンスでございます。確かに、マスコミがセンセーショナル的にとらえます、いわゆる整備にまつわる契約のスキャンダラスな問題とか、あるいは社会資本整備のために社会資本整備をしてしまったという点、否めない点もあるわけでございますが、総じて、例えばNHKの「プロジェクトX」で取り上げられるような諸先輩方の、いわゆる戦後から短期間において、世界の奇跡と言われるような整備をしていただいた先輩方には、その点では敬意を払っているつもりでございます。
しかしながら、先ほどから先生方の御指摘にもございますように、時代の流れと申しますか、国民の期待するところは少しずつ変わってきた、そういった中でどういった課題があるのかということでございますが、私は、大きく二つあろうかと思っております。
その一つは、これも先生方御指摘いただいていたかと思いますが、計画全体の整合性、連続性の問題。これは過去もいろいろ、上位計画、中位計画、下位計画の中における整合性の問題、先ほども、現場に来たときにそれがどうマッチングするのかというお話がございましたが、それがまず一点目。二点目としましては、責任の所在が不明確になっている点があるのではないか。これは、事業そのものが評価しにくい。例えば、時間的にどう評価するのか、金銭的にどう評価するのか、効果をどう評価するのか、それはだれの立場で評価していくのかによっても随分違ってまいりますし、計画自体が悪いのか、計画のずれがどうして発生したのか、あるいは、実行をきちっとしたんだけれども、それが今求めているものとは違ってきたというようないろいろな観点がありますから、なかなかそれが評価しにくいわけでございますが、ばくっと申しますと、総じて、最終的に責任の所在が不明確になってくる。この二点が、解消されなければいけない大きな課題かなと思うわけでございます。
そういった点で今回の二法案を比較いたしますと、私はどちらも一歩前進をしているんだと思います。ただ、その差としまして二つあろうかと思います。
まず一点目は、国と地方公共団体の役割分担をどうするか。二点目は、先ほども申しましたが、政策評価、事業評価、これをどうするか。一点目の国と地方公共団体の役割分担に関しましては、いわゆる意思決定システム、道州制を導入するのか、あるいは市町村合併をやってから財源移譲した方がいいのか、鶏が先か卵が先かといういろいろな問題点がありますけれども、ここも考えていかなければいけない。二つ目の評価というのは非常に難しい。例えば、大きな木をメスで細かく切っていったら最終的に本当にそれが見えるかどうか、鋭いメスで切っていけば切っていくほど全体が見えなくなる、そういうときは大なたで切った方がわかりやすいという評価の仕方もある。ですから、非常に評価の仕方というのは難しいわけでございますが、これもしかし解消していかなければいけない問題であろうかと思います。
時間の許す限り、その二点を中心に御質問させていただきたいわけでございますが、まず一点目の国と地方公共団体との役割分担をどうしていくかという点につきまして、お三方の先生方に質問させていただきたいわけでございます。
森地先生におかれましては、インセンティブ補助制度というものの議論を具体的にしていただいてお答えいただければありがたい。五十嵐先生におかれましては、市民事業という点でどうあるべきかというような点でお答えいただければ。中山先生におかれましては、高齢者、障害者に配慮したものとしてどうすればいいかというような三点の視点でお答えいただければありがたいと思います。よろしくお願いいたします。
森
森地茂#18
○森地参考人 二つの観点についてのインセンティブ補助制度の果たし方、こういうことかと思います。
私自身は、インセンティブ型にいろいろなことを変えていくことが大変重要だろうということをしょっちゅう申し上げております。例えば時間管理概念、つまり、プロジェクトを短くする、早くやることで大変な節約ができます。そういうことが既に政策にもう入っておりますが、ただ、欠けているとすると、各、国が地方に与えた、あるいは地方がどこかに、建設会社に発注した、それぞれの主体が、もし早くすると何か得になるということがないとなかなか努力をしない、こんなことがございます。そういう非常に狭い意味でのインセンティブ型の仕組みというのはまだまだ入れていけるというような気はいたします。
これは国と地方の関係についても同じでございまして、もう少し大きな枠組みで申し上げますと、先ほど福井議員の御質問のときに題目だけ申しましたドイツの例でございます。九六年にバイオコンテストという政策をドイツ連邦政府がとりました。それは何かというと、アメリカに対してバイオ産業の集積がおくれてしまったので、これを何とか取り返したい、そこで連邦は、三つの都市だけに、一都市当たり五億ドイツ・マルクを集中的に補助する、こういうことでコンテストをやりました。自治体は、各自治体が大学とか民間と一緒になって、自分たちはこういう格好でその集積を図ります、こういうことを提案して、評価をして、三つが合格をいたしました。ところが、合格しなかったところも、では、自分たちでやろうではないかと、こんなことをやりました。ある都市は、大学の中で、この分野についてだけは世界的に何とかなりそうだということでやっていきましたし、ある都市は、外国からも含めていろいろな専門家を集めてきてこういうことをやるんだ、こんなことをやりました。これは、本来は自治体が勝手にやっていればいいということではなくて、国の全体政策としてバイオを何とかしたい、産業を何とかしたいというときに、地域づくりの問題として組み直して、それをインセンティブ制度として取り入れたようなものでございます。
こんな格好で、インセンティブ型の補助制度、先ほどアメリカの例ですとかイギリスの例を申し上げましたけれども、いろいろ事例が出てきておりますので、この面では、これからこの法律を実行される段階でいろいろお使いになればいいのかなという気がいたします。
それから、事業評価については、これも一種のインセンティブかと思いますが、冒頭に申し上げたように、若干民主党の案について私がひっかかりを持ちましたのは、事後評価を事前とか再評価と同じようにやる、こういう位置づけになってございます。私自身は違うのではないかと思っております。事後評価を六十点とりました、よかったですねという格好でやるべきではなくて、むしろ、百点をとっても、百十点にできなかったかというような格好を歴史的な評価としてやっていくようなスキームを考えた方がいいのかなと思っております。
詳しくは、また別の機会に御説明をしたいと思います。
この発言だけを見る →私自身は、インセンティブ型にいろいろなことを変えていくことが大変重要だろうということをしょっちゅう申し上げております。例えば時間管理概念、つまり、プロジェクトを短くする、早くやることで大変な節約ができます。そういうことが既に政策にもう入っておりますが、ただ、欠けているとすると、各、国が地方に与えた、あるいは地方がどこかに、建設会社に発注した、それぞれの主体が、もし早くすると何か得になるということがないとなかなか努力をしない、こんなことがございます。そういう非常に狭い意味でのインセンティブ型の仕組みというのはまだまだ入れていけるというような気はいたします。
これは国と地方の関係についても同じでございまして、もう少し大きな枠組みで申し上げますと、先ほど福井議員の御質問のときに題目だけ申しましたドイツの例でございます。九六年にバイオコンテストという政策をドイツ連邦政府がとりました。それは何かというと、アメリカに対してバイオ産業の集積がおくれてしまったので、これを何とか取り返したい、そこで連邦は、三つの都市だけに、一都市当たり五億ドイツ・マルクを集中的に補助する、こういうことでコンテストをやりました。自治体は、各自治体が大学とか民間と一緒になって、自分たちはこういう格好でその集積を図ります、こういうことを提案して、評価をして、三つが合格をいたしました。ところが、合格しなかったところも、では、自分たちでやろうではないかと、こんなことをやりました。ある都市は、大学の中で、この分野についてだけは世界的に何とかなりそうだということでやっていきましたし、ある都市は、外国からも含めていろいろな専門家を集めてきてこういうことをやるんだ、こんなことをやりました。これは、本来は自治体が勝手にやっていればいいということではなくて、国の全体政策としてバイオを何とかしたい、産業を何とかしたいというときに、地域づくりの問題として組み直して、それをインセンティブ制度として取り入れたようなものでございます。
こんな格好で、インセンティブ型の補助制度、先ほどアメリカの例ですとかイギリスの例を申し上げましたけれども、いろいろ事例が出てきておりますので、この面では、これからこの法律を実行される段階でいろいろお使いになればいいのかなという気がいたします。
それから、事業評価については、これも一種のインセンティブかと思いますが、冒頭に申し上げたように、若干民主党の案について私がひっかかりを持ちましたのは、事後評価を事前とか再評価と同じようにやる、こういう位置づけになってございます。私自身は違うのではないかと思っております。事後評価を六十点とりました、よかったですねという格好でやるべきではなくて、むしろ、百点をとっても、百十点にできなかったかというような格好を歴史的な評価としてやっていくようなスキームを考えた方がいいのかなと思っております。
詳しくは、また別の機会に御説明をしたいと思います。
五
五十嵐敬喜#19
○五十嵐参考人 まず、役割分担の件について御意見を申し上げます。
私は、先ほど、国の行うべき公共事業と自治体の行うべき公共事業を分けるべきであるということを申し上げました。
具体的に、既にもう、民主党の議員さんですから、自分も提案者でありますからわかるんだと思いますけれども、公共事業コントロール法案については、国の行うべき事業として、国有林野とか一級河川とか整備新幹線とか一級国道とか、あるいは大きな港湾などについて限定してあります。それ以外をすべて自治体で行う。一たん区切ったらいいということですね。そうすると、役割分担は非常に明確になります。まず、それをしようというのが第一点であります。
それから二番目は、それをした上で、それぞれについて、どのようにだれが評価するかということであります。これは非常に難しいです。少なくとも、こういうふうにまず大きな枠組みから考えてみようということですね。
国営事業については、第一次責任者は国会です。みずから税金を使うわけですから、国会に責任があるということですね。それが違法かどうかについては裁判所が決めるということで、これは非常に大きく計画高権ともかかわりますけれども、大きく言いますと、まさに三権分立をやろうということです。ただ、公共事業については専門的なところも大分あるものですから、それをどうするかというさらに大きな問題が残されているわけです。
今回の政府法案の欠点は、その評価を、事前か事後かの問題じゃなくて、だれがやるかというところについて非常に不明確ということです。
私自身は、長野県でダムをどうするかについての審議会の委員をやっておりますけれども、やはり第三者機関が行うということの原則を立てないと、絶えず、これまでもそうでありましたけれども、要するに被告人が裁判官になるということをずっと繰り返してきておりまして、これがこの法案の最大の欠陥だと私は思っております。これに対して公共事業コントロール法案は、行政ではなくて、あるいは官僚ではなくて別なところに第三者機関を置くと言っているところです。最低限度これを確保しなければ、ほとんど評価という名に値しないと私は思っているくらいであります。
ただ、さらにもっと問題を突き詰めますと、その評価について、では、専門家が集まれば的確な評価ができるかというと、それも実際の経験ではやはり難しいというところも多々ありまして、ダムが要るか要らないか、まずどのように評価するかについて、いろいろ意見はありますけれども、どれを一体優先するんだろうかということになりますと、必ずしも、専門の異なる学者の間で幾ら議論しても、やはりわからないということがあります。
最終的には、先ほど申し上げました、それはだれが決めるかというと、やはり国民主権で、国民が決めるということでありますから、第三者評価委員会で意見の一致が見られない場合には国民自身にそれをゆだねるというところもどこかで残しておく必要があるだろうということであります。これは国のレベルです。
それから、自治体のレベルにおきましたら、むしろ、相当な税金を使うわけですから、都市計画の用語でマスタープランというのがありますけれども、どういう町をつくりたいか、そのためにはどういう事業を行うかということをマスタープランにそれぞれ入れまして、その事業費として幾ら、だれが担当者、毎年どこでどういうことをやります、これはどこかで、事前にしろ事後にしろ評価を受けますよということをきちんとした上で、マスタープランの都市計画としてやれば、その評価の仕方もはっきりするだろうということです。とりわけ、マスタープランの場合は割と長期計画でありますけれども、その予算については目に見える形で、毎年毎年繰り返されるわけですから、大きなミスも防げるし、責任の所在も明確になるのではないかということです。
逆に言いますと、今回の政府法案は、自治体を含めた全体の評価のあり方については全く触れていないし、公共事業について分割についても触れていないし、それから責任の所在も相変わらずわからない。要するに、今まで縦割りで分散されたものを集めただけということでありまして、今、時代が要請している大きな改革については到底間に合わないというのが私の意見です。
〔菅(義)委員長代理退席、委員長着席〕
この発言だけを見る →私は、先ほど、国の行うべき公共事業と自治体の行うべき公共事業を分けるべきであるということを申し上げました。
具体的に、既にもう、民主党の議員さんですから、自分も提案者でありますからわかるんだと思いますけれども、公共事業コントロール法案については、国の行うべき事業として、国有林野とか一級河川とか整備新幹線とか一級国道とか、あるいは大きな港湾などについて限定してあります。それ以外をすべて自治体で行う。一たん区切ったらいいということですね。そうすると、役割分担は非常に明確になります。まず、それをしようというのが第一点であります。
それから二番目は、それをした上で、それぞれについて、どのようにだれが評価するかということであります。これは非常に難しいです。少なくとも、こういうふうにまず大きな枠組みから考えてみようということですね。
国営事業については、第一次責任者は国会です。みずから税金を使うわけですから、国会に責任があるということですね。それが違法かどうかについては裁判所が決めるということで、これは非常に大きく計画高権ともかかわりますけれども、大きく言いますと、まさに三権分立をやろうということです。ただ、公共事業については専門的なところも大分あるものですから、それをどうするかというさらに大きな問題が残されているわけです。
今回の政府法案の欠点は、その評価を、事前か事後かの問題じゃなくて、だれがやるかというところについて非常に不明確ということです。
私自身は、長野県でダムをどうするかについての審議会の委員をやっておりますけれども、やはり第三者機関が行うということの原則を立てないと、絶えず、これまでもそうでありましたけれども、要するに被告人が裁判官になるということをずっと繰り返してきておりまして、これがこの法案の最大の欠陥だと私は思っております。これに対して公共事業コントロール法案は、行政ではなくて、あるいは官僚ではなくて別なところに第三者機関を置くと言っているところです。最低限度これを確保しなければ、ほとんど評価という名に値しないと私は思っているくらいであります。
ただ、さらにもっと問題を突き詰めますと、その評価について、では、専門家が集まれば的確な評価ができるかというと、それも実際の経験ではやはり難しいというところも多々ありまして、ダムが要るか要らないか、まずどのように評価するかについて、いろいろ意見はありますけれども、どれを一体優先するんだろうかということになりますと、必ずしも、専門の異なる学者の間で幾ら議論しても、やはりわからないということがあります。
最終的には、先ほど申し上げました、それはだれが決めるかというと、やはり国民主権で、国民が決めるということでありますから、第三者評価委員会で意見の一致が見られない場合には国民自身にそれをゆだねるというところもどこかで残しておく必要があるだろうということであります。これは国のレベルです。
それから、自治体のレベルにおきましたら、むしろ、相当な税金を使うわけですから、都市計画の用語でマスタープランというのがありますけれども、どういう町をつくりたいか、そのためにはどういう事業を行うかということをマスタープランにそれぞれ入れまして、その事業費として幾ら、だれが担当者、毎年どこでどういうことをやります、これはどこかで、事前にしろ事後にしろ評価を受けますよということをきちんとした上で、マスタープランの都市計画としてやれば、その評価の仕方もはっきりするだろうということです。とりわけ、マスタープランの場合は割と長期計画でありますけれども、その予算については目に見える形で、毎年毎年繰り返されるわけですから、大きなミスも防げるし、責任の所在も明確になるのではないかということです。
逆に言いますと、今回の政府法案は、自治体を含めた全体の評価のあり方については全く触れていないし、公共事業について分割についても触れていないし、それから責任の所在も相変わらずわからない。要するに、今まで縦割りで分散されたものを集めただけということでありまして、今、時代が要請している大きな改革については到底間に合わないというのが私の意見です。
〔菅(義)委員長代理退席、委員長着席〕
中
中山徹#20
○中山参考人 まず、国と地方の役割分担、とりわけ高齢者、障害者との関係でということですが、高齢者、障害者との関係でいいますと、基本的な事柄については、基礎自治体に権限、財源を移譲するということになると思います。国の役割は、大きな枠組みを定めるということ、それからナショナルミニマム的な基準を設定するということ、そこが国の役割であって、具体的な整備の進め方、施設内容、そういったものは基礎自治体が、市町村が考えていくというのが基本になるかと思います。
その場合、計画全体の整合性をどうとるのかということも問題点として指摘されていましたが、さまざまな縦割りの事業を全体として整合性をとれる唯一の機会はやはり地域だと思うんですね。実際、具体的に事業を進めていく場合は、道路や高齢者施設、障害者施設、また、学校、児童福祉とか、いろいろと縦割りの予算というのもやむを得ないと思います。ただ、それをどう全体として整合性をとっていくのか、どのような優先順位で実施していくのか、そういったことをトータルで見ていけるのはやはり地域だと思いますね。ですから、地域の中で政策的な優先順位を市民とともに議論しながら決めていく、そういった政策の総合性を担保していけるのは地域だと思います。
そういう意味では、基礎自治体に基本的な権限、財源をゆだねて、そこで実質的な市民参加を含めて検討していくということが重要になってくるのではないか、そのように考えております。
以上です。
この発言だけを見る →その場合、計画全体の整合性をどうとるのかということも問題点として指摘されていましたが、さまざまな縦割りの事業を全体として整合性をとれる唯一の機会はやはり地域だと思うんですね。実際、具体的に事業を進めていく場合は、道路や高齢者施設、障害者施設、また、学校、児童福祉とか、いろいろと縦割りの予算というのもやむを得ないと思います。ただ、それをどう全体として整合性をとっていくのか、どのような優先順位で実施していくのか、そういったことをトータルで見ていけるのはやはり地域だと思いますね。ですから、地域の中で政策的な優先順位を市民とともに議論しながら決めていく、そういった政策の総合性を担保していけるのは地域だと思います。
そういう意味では、基礎自治体に基本的な権限、財源をゆだねて、そこで実質的な市民参加を含めて検討していくということが重要になってくるのではないか、そのように考えております。
以上です。
伴
伴野豊#21
○伴野委員 それぞれの先生方から貴重な御意見を賜りました。ありがとうございます。
時間がどんどんなくなってまいりましたが、最後に質問を一つさせていただきたいんです。
先ほど、評価というのは非常に難しいね、しかし、やっていかなければいけないねと。とりわけその中でも、例えば森地先生の表現を使わせていただければ時間管理概念の導入、あるいは五十嵐先生の言葉を使わせていただければ時のアセスというようなお言葉を使っていらっしゃる。ばくっとすれば同じような概念かなという気もするわけでございますが、例えば事業の見直しをだれがどうやっていくか、いわゆる責任の所在を明確にしながら、どうトレース、監視していくかという点だと思うんですが、その点、先生方お三方から御意見を賜れればと思います。
この発言だけを見る →時間がどんどんなくなってまいりましたが、最後に質問を一つさせていただきたいんです。
先ほど、評価というのは非常に難しいね、しかし、やっていかなければいけないねと。とりわけその中でも、例えば森地先生の表現を使わせていただければ時間管理概念の導入、あるいは五十嵐先生の言葉を使わせていただければ時のアセスというようなお言葉を使っていらっしゃる。ばくっとすれば同じような概念かなという気もするわけでございますが、例えば事業の見直しをだれがどうやっていくか、いわゆる責任の所在を明確にしながら、どうトレース、監視していくかという点だと思うんですが、その点、先生方お三方から御意見を賜れればと思います。
森
森地茂#22
○森地参考人 時間管理概念、つまり、プロジェクトをどのタイミングでやればいいか、それからどれぐらい短くやればいいか、こういうことについてだれがやるべきかというレベルには日本はないと理解をしてございます。
なぜならば、例えば、積算をするための根拠は毎年物価を見て見直してございますが、さっき言いましたように、もしインセンティブ型にして、これを標準として、これより短くしたらこういうインセンティブがありますよというときに、この標準はどうやって決めるのか。この標準に相当するものが実はないわけでございます。
事後評価の一つの目的は、そういうそのおくれだとか標準的にどうだったかとかというデータをずっと蓄積して、その分布型をつくる、こんなことも事後評価の一つでございます。もちろん、評価をだれがやるかについて、私自身は、事業担当者がやることが一番効率的であると考えておりますし、それが情報公開されていることがいいというふうに思っております。時間管理についてはそんな状況でございます。
なぜ後段申し上げたようなことを思うかというと、結局、第三者がやった方がいいのではないかというのは正論としてはそうでございますが、その第三者がちゃんと機能するかどうか、これは五十嵐先生もおっしゃいましたように、ここが大変難しゅうございます。膨大な事業を一体どれぐらいの人たちが第三者としてやっていくのかというようなことは大変重要でございます。
実は、ちょっと脱線するかもわかりませんが、大学の人間が随分そこに使われてございますが、本来、研究とか教育に邁進するべき大学の人間にそんな膨大な時間を使わす判断をしていいのかどうかというのは、退官前の私としては大変気になるところでございます。
以上でございます。
この発言だけを見る →なぜならば、例えば、積算をするための根拠は毎年物価を見て見直してございますが、さっき言いましたように、もしインセンティブ型にして、これを標準として、これより短くしたらこういうインセンティブがありますよというときに、この標準はどうやって決めるのか。この標準に相当するものが実はないわけでございます。
事後評価の一つの目的は、そういうそのおくれだとか標準的にどうだったかとかというデータをずっと蓄積して、その分布型をつくる、こんなことも事後評価の一つでございます。もちろん、評価をだれがやるかについて、私自身は、事業担当者がやることが一番効率的であると考えておりますし、それが情報公開されていることがいいというふうに思っております。時間管理についてはそんな状況でございます。
なぜ後段申し上げたようなことを思うかというと、結局、第三者がやった方がいいのではないかというのは正論としてはそうでございますが、その第三者がちゃんと機能するかどうか、これは五十嵐先生もおっしゃいましたように、ここが大変難しゅうございます。膨大な事業を一体どれぐらいの人たちが第三者としてやっていくのかというようなことは大変重要でございます。
実は、ちょっと脱線するかもわかりませんが、大学の人間が随分そこに使われてございますが、本来、研究とか教育に邁進するべき大学の人間にそんな膨大な時間を使わす判断をしていいのかどうかというのは、退官前の私としては大変気になるところでございます。
以上でございます。
五
五十嵐敬喜#23
○五十嵐参考人 少し今の意見を引き継ぎながら言いますと、明確な点が幾つかあると思うんですね。
一つは、時間によって見ていくというのは非常に客観的だと思います。北海道が始めた時のアセスメントというのは、万人を納得せしめ得る一つの指標ですね。五年たっても事業に着手されていないものとか、あるいは十年たっても完成しないものについては、やはり客観的に異議ありと考えましょうというのは、一つのだれもが納得し得る基準です。
もう一つだれもが納得し得る基準は費用対効果でありまして、一千億円の事業費を投入したときどういう効果があるんだろうか、この関係で見て、もし百億円しかないというようなことであればやはりバランスがとれないだろうということについても非常に重要だろうと思います。
三番目に客観的な指標は、人の命や健康に影響を与え、被害を与えるものについてはやはりやってはいけない。あるいはもうちょっと大きく言いますと、自然界全体に決定的に回復不能なような被害を与えるものについてはやってはいけないというのも、あるいは客観的指標だろうというふうに思います。
これは本来なら、本当は、やった当の本人がそれについて一番よくわかるわけですから、その人が行うというのも一つの社会としてあり得ると思うんですが、少なくとも、今まで私、十年間公共事業を見てきましたけれども、例えば、長良川にしろ諫早湾にしろ、その他いろいろな空港にしろ、いろいろな道路にしろ見てきましたけれども、信頼する人を見つけられなかったということです。少なくとも、それをやった事業当事者は、全く良心というもの、今言いましたように、時のアセスメント、費用対効果のアセスメントあるいは環境等に対するアセスメントについて、全く無視してきたんじゃないかということです。
今から五十年後、百年後にそういう社会があり得るかもしれませんけれども、今のところ、少なくとも、体制として第三者がやった方がよろしいということです。
第三者について言いますと、そこにももちろん専門家はおりますけれども、大学のことが出ました。大学について申し上げますと、大学の先生が研究しなかったからこういうことになるんだろうと逆に思いまして、膨大な時間をとられることが問題なんじゃなくて、本当の学問的研究成果が出なかった、出せなかった、あるいは逆に、加担したということが日本の問題点だったろうというふうに思います。
大学の専門家も病気になっているとすれば、やはり市民が良識とか常識に基づいて判断するというのが最大のアセスメントである。問題は、今までのシステムでは、最終的には国民が良識に基づいて判断するというものについての回路がなかったということです。
今もってこの回路はつぶされておるわけでありまして、例えば、吉野川河口堰について住民投票で決めたい、原発について住民投票で決めたい、あるいは産業廃棄物の処分場について住民投票で決めたいというときに、ことごとく実はこれはできない。できたところは大きく報道されていますけれども、実態を言いますと、良識に基づいて国民がそれ自体について判断するんだというシステムができない。
これは国会にも責任があるんだろう、あるいは県議会等々地方議会にも責任がある。つまり、住民投票条例法とか住民投票条例をつくらせないというところに問題があって、ここがアセスメントの最大のアキレス腱といいますか、最大の問題だというふうに思っています。
ぜひ先生方においては、国民が最終的に良識や常識に基づいて判断するんだ、その手法だけは開拓していただきたいということをお願いしたいと思います。
この発言だけを見る →一つは、時間によって見ていくというのは非常に客観的だと思います。北海道が始めた時のアセスメントというのは、万人を納得せしめ得る一つの指標ですね。五年たっても事業に着手されていないものとか、あるいは十年たっても完成しないものについては、やはり客観的に異議ありと考えましょうというのは、一つのだれもが納得し得る基準です。
もう一つだれもが納得し得る基準は費用対効果でありまして、一千億円の事業費を投入したときどういう効果があるんだろうか、この関係で見て、もし百億円しかないというようなことであればやはりバランスがとれないだろうということについても非常に重要だろうと思います。
三番目に客観的な指標は、人の命や健康に影響を与え、被害を与えるものについてはやはりやってはいけない。あるいはもうちょっと大きく言いますと、自然界全体に決定的に回復不能なような被害を与えるものについてはやってはいけないというのも、あるいは客観的指標だろうというふうに思います。
これは本来なら、本当は、やった当の本人がそれについて一番よくわかるわけですから、その人が行うというのも一つの社会としてあり得ると思うんですが、少なくとも、今まで私、十年間公共事業を見てきましたけれども、例えば、長良川にしろ諫早湾にしろ、その他いろいろな空港にしろ、いろいろな道路にしろ見てきましたけれども、信頼する人を見つけられなかったということです。少なくとも、それをやった事業当事者は、全く良心というもの、今言いましたように、時のアセスメント、費用対効果のアセスメントあるいは環境等に対するアセスメントについて、全く無視してきたんじゃないかということです。
今から五十年後、百年後にそういう社会があり得るかもしれませんけれども、今のところ、少なくとも、体制として第三者がやった方がよろしいということです。
第三者について言いますと、そこにももちろん専門家はおりますけれども、大学のことが出ました。大学について申し上げますと、大学の先生が研究しなかったからこういうことになるんだろうと逆に思いまして、膨大な時間をとられることが問題なんじゃなくて、本当の学問的研究成果が出なかった、出せなかった、あるいは逆に、加担したということが日本の問題点だったろうというふうに思います。
大学の専門家も病気になっているとすれば、やはり市民が良識とか常識に基づいて判断するというのが最大のアセスメントである。問題は、今までのシステムでは、最終的には国民が良識に基づいて判断するというものについての回路がなかったということです。
今もってこの回路はつぶされておるわけでありまして、例えば、吉野川河口堰について住民投票で決めたい、原発について住民投票で決めたい、あるいは産業廃棄物の処分場について住民投票で決めたいというときに、ことごとく実はこれはできない。できたところは大きく報道されていますけれども、実態を言いますと、良識に基づいて国民がそれ自体について判断するんだというシステムができない。
これは国会にも責任があるんだろう、あるいは県議会等々地方議会にも責任がある。つまり、住民投票条例法とか住民投票条例をつくらせないというところに問題があって、ここがアセスメントの最大のアキレス腱といいますか、最大の問題だというふうに思っています。
ぜひ先生方においては、国民が最終的に良識や常識に基づいて判断するんだ、その手法だけは開拓していただきたいということをお願いしたいと思います。
中
中山徹#24
○中山参考人 時間との関係でいいますと、とりわけ再評価が重要になると思います。お二人の参考人の先生方の意見とダブらない範囲で申しますと、再評価の進め方、ここが問題になると思います。
通常、現状では再評価委員会、そのようなものをつくって再評価をしています。ところが、通常の再評価委員会の場合は、都市計画から港湾から農地から空港から、さまざまなものをすべて再評価委員会で議論するというふうになっているかと思います。ただ、現実的には、再評価に係るような事業、五年ないし十年たって未着手なもの、終わっていないもの、そういったものについては、もう一度、例えば都市計画だったら都市計画審議会で議論し直すような、そういう再評価の枠組みをつくることが重要だと思います。
といいますのは、審議会の場合は、不十分ですが市民参加等の規定があります。縦覧も行いますし、公聴会もしますし、意見書も出せます。ところが、通常の再評価委員会の場合はそういった参加の規定が非常にあいまいです。ですから、そういう意味では、すべてのものを再評価委員会で議論するのではなくて、ある程度時間がたって未着手なものについては、もう一度審議会で議論し直す、そこでもう一度、住民参加等を保障する、審議会を公開する、そういった、少なくとも計画段階と同じような審議プロセスは再評価でもとるべきではないかな、そういった手続を検討することが重要だと思います。
以上です。
この発言だけを見る →通常、現状では再評価委員会、そのようなものをつくって再評価をしています。ところが、通常の再評価委員会の場合は、都市計画から港湾から農地から空港から、さまざまなものをすべて再評価委員会で議論するというふうになっているかと思います。ただ、現実的には、再評価に係るような事業、五年ないし十年たって未着手なもの、終わっていないもの、そういったものについては、もう一度、例えば都市計画だったら都市計画審議会で議論し直すような、そういう再評価の枠組みをつくることが重要だと思います。
といいますのは、審議会の場合は、不十分ですが市民参加等の規定があります。縦覧も行いますし、公聴会もしますし、意見書も出せます。ところが、通常の再評価委員会の場合はそういった参加の規定が非常にあいまいです。ですから、そういう意味では、すべてのものを再評価委員会で議論するのではなくて、ある程度時間がたって未着手なものについては、もう一度審議会で議論し直す、そこでもう一度、住民参加等を保障する、審議会を公開する、そういった、少なくとも計画段階と同じような審議プロセスは再評価でもとるべきではないかな、そういった手続を検討することが重要だと思います。
以上です。
伴
河
赤
赤羽一嘉#27
○赤羽委員 公明党の赤羽一嘉でございます。
本日は、三名の参考人の先生方におかれましては、大変御多忙の中にもかかわりませず国会に足をお運びいただき、また、貴重な御意見を御開陳いただきましたことを、まず心から御礼申し上げたいと思います。
私、都市住民のせいですか、まだまだ、日ごろ生活をしておりまして、公共投資の必要性というのを実感している方の一人であります。また、高齢化、高齢社会への突入に伴いまして、私ども、バリアフリーのまちづくりといったものも大変具体的に進めておるところであり、そういったものに対する国民の皆さんの支持というものもしっかり肌で感じておるところでございます。
しかし、一方では、各地域において、例えばダム建設等々については、大変地元の住民の皆さんの反対に遭う中で、国土交通省、役所の方が説得に行っている。私なんか、よく、冗談まじりというか、半分本気なんですが、これだけ財政的に制限されている中で、どうしてそんなに地元に嫌がられるものをお願いしてつくらなければならないのかわからない、地元で嫌がられているものはもう全部やめた方がいいんじゃないか、こういうような意見もしているところでございます。
私が冒頭に申し上げたいことは、やはり二十一世紀の中で、まだまだ公共投資という、そのものを否定されるものではないのではないか、ただしかし、そのあり方についてはやはり一度見直さなければいけないのではないかということを実感しているわけでございます。
先ほどの御質問の中で、全国民が反対をしてもやらねばいけない国益にかなった公共事業があるというような御発言があったかと、ちょっと誤解があるかもしれませんが、私はそう聞いたのですが、その心意気というのは、役所の心意気というのはよしとしても、私は、ちょっとそれは違うのではないかなと。国益というより、公共事業というのは、やはり公共性がどうあるのかというか、私たち的に言うと、みんなのために、国のため、地方のため、そして地域住民のためになる事業かどうかということが問われなければいけないし、事業者の方は、そのことに対するアカウンタビリティーが求められるのではないかというふうに思うわけです。このみんなのためというのがどうなのかということが非常に難しいことなのではないかというふうに思うんですね。
よく、地方の主体に任せればいいんだ、こういうようなお話がございますが、やはり地方財政というのは国の財政以上に大変逼迫をしておりまして、例えばバリアフリーの話も、当初はなかなか進まない。国が三分の一、地方が三分の一、鉄道事業者が三分の一というスキームをつくって随分進んだところでありますが、それとて、地方自治の財政出動三分の一というのがネックになっていてなかなか、いいとわかっていても進まないというような話がございます。
また、地方財政というのは規模も限られておりますので、大規模な公共投資というのはなかなかできない。長期的に見れば必要なのかもしれないけれども、それは余りにも財政規模も大きいし、効果が出てくるのもまだ先の話だから、どうしても身近なもの、短期的な事業になっていってしまうというような傾向があるということについて、どのような御認識があるのかということですね。地方に任せればいい、住民主体がいいというのは非常にわかりやすいのですが、そのことについての弊害というのがあるのではないか。
例えば、佐賀空港というと佐賀県の方に申しわけないのですが、佐賀空港なんかも多分、つくられた、しかし現実にはなかなか利用がされていないというような話がある。これは本当に、地方主体、地元の必要性ということで選考してやっていくということがすべていいのかどうかということが、私は本当にそうなのかなということを思っておるのですが、その点について御所見を、まず森地先生、お伺いしたいと思います。
この発言だけを見る →本日は、三名の参考人の先生方におかれましては、大変御多忙の中にもかかわりませず国会に足をお運びいただき、また、貴重な御意見を御開陳いただきましたことを、まず心から御礼申し上げたいと思います。
私、都市住民のせいですか、まだまだ、日ごろ生活をしておりまして、公共投資の必要性というのを実感している方の一人であります。また、高齢化、高齢社会への突入に伴いまして、私ども、バリアフリーのまちづくりといったものも大変具体的に進めておるところであり、そういったものに対する国民の皆さんの支持というものもしっかり肌で感じておるところでございます。
しかし、一方では、各地域において、例えばダム建設等々については、大変地元の住民の皆さんの反対に遭う中で、国土交通省、役所の方が説得に行っている。私なんか、よく、冗談まじりというか、半分本気なんですが、これだけ財政的に制限されている中で、どうしてそんなに地元に嫌がられるものをお願いしてつくらなければならないのかわからない、地元で嫌がられているものはもう全部やめた方がいいんじゃないか、こういうような意見もしているところでございます。
私が冒頭に申し上げたいことは、やはり二十一世紀の中で、まだまだ公共投資という、そのものを否定されるものではないのではないか、ただしかし、そのあり方についてはやはり一度見直さなければいけないのではないかということを実感しているわけでございます。
先ほどの御質問の中で、全国民が反対をしてもやらねばいけない国益にかなった公共事業があるというような御発言があったかと、ちょっと誤解があるかもしれませんが、私はそう聞いたのですが、その心意気というのは、役所の心意気というのはよしとしても、私は、ちょっとそれは違うのではないかなと。国益というより、公共事業というのは、やはり公共性がどうあるのかというか、私たち的に言うと、みんなのために、国のため、地方のため、そして地域住民のためになる事業かどうかということが問われなければいけないし、事業者の方は、そのことに対するアカウンタビリティーが求められるのではないかというふうに思うわけです。このみんなのためというのがどうなのかということが非常に難しいことなのではないかというふうに思うんですね。
よく、地方の主体に任せればいいんだ、こういうようなお話がございますが、やはり地方財政というのは国の財政以上に大変逼迫をしておりまして、例えばバリアフリーの話も、当初はなかなか進まない。国が三分の一、地方が三分の一、鉄道事業者が三分の一というスキームをつくって随分進んだところでありますが、それとて、地方自治の財政出動三分の一というのがネックになっていてなかなか、いいとわかっていても進まないというような話がございます。
また、地方財政というのは規模も限られておりますので、大規模な公共投資というのはなかなかできない。長期的に見れば必要なのかもしれないけれども、それは余りにも財政規模も大きいし、効果が出てくるのもまだ先の話だから、どうしても身近なもの、短期的な事業になっていってしまうというような傾向があるということについて、どのような御認識があるのかということですね。地方に任せればいい、住民主体がいいというのは非常にわかりやすいのですが、そのことについての弊害というのがあるのではないか。
例えば、佐賀空港というと佐賀県の方に申しわけないのですが、佐賀空港なんかも多分、つくられた、しかし現実にはなかなか利用がされていないというような話がある。これは本当に、地方主体、地元の必要性ということで選考してやっていくということがすべていいのかどうかということが、私は本当にそうなのかなということを思っておるのですが、その点について御所見を、まず森地先生、お伺いしたいと思います。
森
森地茂#28
○森地参考人 おっしゃるとおりで、地方の財政が大変厳しいということについて、私もそう認識してございます。そのことと、地方自治体のあり方が、道州制も含めてこれから議論をされなきゃいけない、こういう状況になってございます。
国土審議会の基本政策部会の中間報告で、圏域の再構成ということが提案されてございますが、その一つは、人口三十万から五十万、一時間圏、これぐらいの規模で都市的なサービスを維持して、減少し続ける農業人口とか国土の管理にかかわるような人たちに十分な生活をしていただけるような環境をつくりたい、これが一点。それから、国際的な状況を考えますと、人口六百万から一千万人ぐらいのエリアでの独立性あるいは自立経済圏、こんなものが大変重要である、こういうことが提言されてございます。
そういうときに、今の自治体の問題と、そういうふうに変わったときの自治体というのを少し分けて考える必要があろうかと思います。それを分けるときにどういう手段で、例えば道州制を一体だれがどうやって議論するのか、こんなこともございますし、それから、新しい全総法を改定したときに、地方ブロックぐらいの計画の意思決定者はだれかということをまだ審議会の中でも議論をしてございますが、大変重要な課題かと思います。
こういうことを考えたときに、地方の権限をどうするかということを考えますと、そういうふうに改編された自治体についてはもっと大きな権限が当然与えられてしかるべきだろう、こういうふうに感じてございますし、なおかつ、国と地方の間の緊張関係とお互いの相互干渉というのは大変重要だろうという気がいたします。
それから、財源自身がどこにあるかということについて、私は財政の専門ではございませんが、社会資本の専門家として見ますと、先ほどの時間管理概念で、大体十年ぐらいかかってございます。駅前広場一つつくるのにも十年ぐらいかかってございます。それを九年にしただけで、毎年数兆円の削減ができる。ためると、十年分であると数百兆になります。それの全部をどうするかということではございませんが、その一部を本当に必要な新たな社会資本整備に使っていく、こんなことが一つの道かなというふうに考えます。
この発言だけを見る →国土審議会の基本政策部会の中間報告で、圏域の再構成ということが提案されてございますが、その一つは、人口三十万から五十万、一時間圏、これぐらいの規模で都市的なサービスを維持して、減少し続ける農業人口とか国土の管理にかかわるような人たちに十分な生活をしていただけるような環境をつくりたい、これが一点。それから、国際的な状況を考えますと、人口六百万から一千万人ぐらいのエリアでの独立性あるいは自立経済圏、こんなものが大変重要である、こういうことが提言されてございます。
そういうときに、今の自治体の問題と、そういうふうに変わったときの自治体というのを少し分けて考える必要があろうかと思います。それを分けるときにどういう手段で、例えば道州制を一体だれがどうやって議論するのか、こんなこともございますし、それから、新しい全総法を改定したときに、地方ブロックぐらいの計画の意思決定者はだれかということをまだ審議会の中でも議論をしてございますが、大変重要な課題かと思います。
こういうことを考えたときに、地方の権限をどうするかということを考えますと、そういうふうに改編された自治体についてはもっと大きな権限が当然与えられてしかるべきだろう、こういうふうに感じてございますし、なおかつ、国と地方の間の緊張関係とお互いの相互干渉というのは大変重要だろうという気がいたします。
それから、財源自身がどこにあるかということについて、私は財政の専門ではございませんが、社会資本の専門家として見ますと、先ほどの時間管理概念で、大体十年ぐらいかかってございます。駅前広場一つつくるのにも十年ぐらいかかってございます。それを九年にしただけで、毎年数兆円の削減ができる。ためると、十年分であると数百兆になります。それの全部をどうするかということではございませんが、その一部を本当に必要な新たな社会資本整備に使っていく、こんなことが一つの道かなというふうに考えます。
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