鎌田さゆりの発言 (内閣委員会)
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○鎌田委員 克服という言葉は、読んで字のごとくというか、辞書にもありますように、勝って相手を従わせる、それから努力して困難、試練に打ちかつことを指します。
ただ、今御答弁の中で、克服する努力と、また、安心して生み育てやすい社会環境をつくっていく、そういう側面もあるんだということで少し安心をいたしましたけれども、何か私は、ずっとこの審議でも、産めよふやせよと言っているわけではないという御答弁を私も何度も会議録で見ましたが、しかし、この事態を克服していくというその表現から漂ってくるものが、やはり少子化に歯どめをかけ、そして願わくば、できるものならば、皆さん、もっと産んでというような、何かそういう空気が伝わってくるような気が私はまだいたしまして、気になりましてちょっとお伺いをいたしました。
今も触れられましたように、それから委員会の審議の中でも、中山議員が御答弁の中で、産めよふやせよの政策をとるのではないという御趣旨も含まれていると存じますけれども云々という、五月二十八日、小宮山さんへの答弁の中で、産む、産まないは本人の意思だから、あくまでも御本人を中心にという御答弁がありました。そして、ほかの提案者の皆様も同じように答弁をなさっています。
ですが、今回修正案で出された案文を見ますと、この趣旨が果たして生かされているのだろうかという疑問を抱きました。
修正案の前文のところに、「こうした事態」というところの前に「もとより、結婚や出産は個人の決定に基づくものではあるが、」というふうに入ったようです。「あるが、」が入りましたけれども。これを読みますと、ずっと皆様が答弁なさっている、産めよふやせよは国が関与するものじゃないという趣旨が生かされておりませんと私は思います。逆に、「個人の決定に基づくものではあるが、こうした事態に直面して、」というこの表現は全く逆にこれは伝わってしまいます。いや、お笑いになりますけれども、修正案が出された直後、この委員会の審議を注意深く常に見守っていた多くの女性の団体のところからファクス、メール、何でこんなふうに修正したんですかという御意見が相次いでおります。
単に文法上の問題かもしれないんですけれども、簡単なんですね、これ。「もとより、結婚や出産は個人の決定に基づくものである。」で一回言い切るというふうにしていただければ、まさに皆様が答弁なさってきた、そして委員会の皆さんが質問なさってきたその趣旨が生かされるんです。何で「あるが、」になったんでしょうか。