伊達忠一の発言 (沖縄及び北方問題に関する特別委員会)
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○伊達忠一君 おはようございます。自由民主党の伊達忠一でございます。
今日は、政府参考人また副大臣、大臣もおいででございますが、御苦労さまでございます。順次質問をさせていただきますので、よろしくお願いしたいと思います。
まず、質問に先立ちまして今、中川委員から視察の報告がございました。私も北海道の一人として、大変お忙しい、一月の十四、十五ですから、本当に議員の皆さん方にとっては大変な忙しい日程の中をおやりいただきまして、納沙布岬までお越しをいただきましたことに心から私からも感謝を申し上げたいと存じます。
私事でございますが、私はあそこの納沙布岬に行くと思い出すことがございます。
というのは、かつてロシアから、四島から島を追われて逃げてこられた方が実は私の身内にもおりまして、当時、戦後、いろんな、貴金属というのはその当時はないんでしょうけれども、いろんな高価なものを持っている家庭にロシア兵が土足で上がり込んできて物を全部取ってしまう。せっかくためたやつですから、渡さないように大事に持って、抵抗すると殺されてしまうというようなことで、その情報が入って、実は夜中に家族で物を持って、子供を三人連れて山を越えて港に出て、実は漁船で北海道に渡ったという方がございまして。
そのときに、渡るときに、物を手一杯持って、山の中でこわいものですから一休みしたら、子供がすっかりぐっすりもう寝てしまって、一人は奥さんがおぶっていたそうでございますが、二人の子供が寝てしまったということで、物をたくさん持っているし、帰って生活しなきゃならぬということで、そのまま、子供にもう涙を流して謝りながら実は置き去りにして港に出て漁船で渡ってきたという方がいつも涙ながらにお話をするのを私も聞いておりまして。
当時、納沙布岬に住んでおられまして、実はあの日も、大変視察の日も寒い日だったんですが、そういう日でもいつの日でも、毎日、納沙布岬から島に向かって手を合わせて涙を流して子供に謝ったという話を実は聞いておりまして、あそこに行くと胸の熱くなる思いがするわけでございますが、私は、そういう人たちのやっぱり思いを一日でも早く、その方は十四、五年前に亡くなったんでございますけれども、かなえてあげるためにも、是非ひとつこれは実現させてあげたいということで一杯でございます。
私は、北海道議会のときに、炭鉱町出身なものですから、当時は石炭対策特別委員会に入っていたんですが、それを思い出してから、後期は、北方領土対策特別委員会というのが北海道議会はあるんですが、そちらに入って少しお手伝いをしたということがございます。
そのようなことから、是非ひとつ、これは、大臣もおいででございますが、一日も早くかなえてあげたいと、そういう立場から私も質問をさせていただきたいと、こう思っております。
それで、まず質問第一でございますが、今年の一月十日に小泉総理とプーチン大統領との首脳会談が実は行われました。平和条約を早期に締結をして、いわゆる両国間の完全な正常化を目指すべきだという決意を確認し合った後に、平和条約交渉を様々な形で進展をさせていくためにも日ロ行動計画というのが採択されたわけでございます。
しかし、その日の次の日の新聞を見ますと、大方の新聞が、領土は進展なしだとか、いわゆる領土は仕切り直しだとか、むしろ、中には後退というような新聞の記事まであるのがございましたし、あわせて、元島民の方たちももう失望感を抱いたという方が大変多かったということを実は拝見をいたしました。
しかし、戦後、返還運動をずっとやってこられて、経済支援であるとか人道支援であるとか、また先ほど話がありましたように、北方四島の水域における周辺のいわゆる安定操業に対する協力の問題であるとかを含めて、様々な形でやってきたにもかかわらずこのような評価ということになったということは、私は、結局は一歩も進歩がない、前進がないということなんだろうと、こう思っております。
そのようなことから、今日までのこの交渉について大臣はどう思っておられるのか、ちょうど大臣おいでになったものですから、お聞きをしたいと思っています。