荒井正吾の発言 (憲法調査会)

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○荒井正吾君 自由民主党の荒井正吾と申します。
 プライバシー権、環境権、国民の知る権利など、我が国憲法上、明文の規定のないいわゆる新しい人権を憲法に明記すべきかどうかとの議論がございます。本日は、機会を与えていただきましたので、いわゆる新しい人権に係る問題について意見表明をさせていただきます。
 特に、私は、我が国憲法上に新しい人権規定を設けるべきか否かを議論する場合、まず憲法上の人権規定を保障するシステムとして、我が国の立法、司法、行政がどのように機能しているかを確認することが重要だと思います。つまり、我が国の人権保障システムの実効性の態様を検証することにより、憲法の改正が必要な場合なのか、あるいは憲法上の規定を実現するシステムに問題があるだけなのかの判断をすることが必要だと考えます。
 これまで当調査会において参考人の方々の意見を拝聴した限りにおいては、憲法上の規定に不備があるというより、立法、司法、行政の機能に不十分なところがあるという意見が多かった印象を持っております。私も、現在の状況から判断して、時代の進展に応じた人権保障を達成するためには、憲法に新しい人権規定を追加するよりも現実の人権を保障するシステムの充実、とりわけ立法と司法の分野における充実がより望まれていると考えます。
 その理由の一つとしては、憲法に国家権力の骨格など直接規定することに比べ憲法の人権規定は、その具体的権利義務の内容を明確にし、それを保障する付加的制度が不可欠であり、人権規定を憲法に規定するだけではその実効性に限界があることであります。
 さらに、最近増加している人権侵害や新しい人権と呼ばれる人権侵害は、国家権力によるものよりも私人や私的な団体によるものが多く、私人間の人権侵害には、特に千差万別とも言える事例について、具体的な権利の内容を明確にした立法と、複雑でセンシティブな事例にも簡素で柔軟に対応できる司法のそれぞれの人権保障機能の抜本的充実が必要なものであります。
 実際、個人情報保護法案、人権擁護法案など、プライバシー権の具体化とも言える権利についての法案は既に国会に提出され、また、環境に関する諸法案、情報公開に関する諸法案などは既に成立したものも多いのであります。
 しかし、私は、人権に関係する立法が更に充実、進展することが望まれていると思います。とりわけ、人権関係の法律は議員立法によるものが望ましいと考えます。
 それは、人権関連法案を行政府が提出する場合、人権保障の責務が当該行政府に発生することを避けたがるため、所管についての消極的な権限争いが起こったり、立法が提出されなかったり、権利の内容が縮小された形になったりしがちであります。そのため、まず立法府自らの立法機能強化が必要だと考えます。
 米国の上院が百名の議員で年間約六百の法律を成立させ、そのすべてが議員立法であるのに比べて我が国参議院は、約二百四十名の議員が年間約二百弱の立法を成立させ、そのほとんどが内閣提出である事実を見ますと、議員を取り巻く仕組みの違いなどを勘案しても、法案生産性において我が国立法府は少々馬力が不足しているものと思います。
 また、我が立法府においては、その二大機能である行政監視と法案作成の中で、前者により重点が置かれ、後者は時々置き去りになることがあります。行政監視と立法がそれぞれ独立した機能として認識され、法案が行政の不始末の人質となることなどなく、立法府が二つの役割を効率良く果たせるようになるとともに、議員立法がもっと簡便に行われ、より多くの人権立法をさせることができるように望むものであります。立法府が人権立法を十分スムーズに行えないならば、人権の憲法明記はまだまだ遠いゴールと言わざるを得ないと思います。
 次に、司法の人権救済について述べさせていただきます。
 一言で言えば、裁判官は人権に係る裁判について勇気を持って立派な判例形成をもっとしてほしいということであります。
 人権に係る裁判は、関係者が感情的になりやすく、差別意識が入り込むこともあり、時間も掛かり、裁判所が実質的判断を避けることもあります。しかし、人権の実現は判例の積み重ねをおいてなく、判例のない憲法の規定は無意味なものであります。また、最近、街頭で、マナーからルールになったたばこのポイ捨てという看板を見ますが、人権がマナーからルールになるためにも判例の積み重ねが是非とも必要であります。
 平成十二年の我が国の民事第一審訴訟新受件数は四十五万四千百十一件であります。アメリカの二千万件、イギリスの百九十万件、ドイツの二百四十万件、フランスの百九万件と比べると少ないものですが、最近の裁判件数は他国に比べ著しい増加傾向となっております。
 また、最近、裁判の長期化が問題となってきております。平成十三年の民事訴訟事件においては、期間が二年を超えるものが全体の七・二%となっております。通常の裁判数の増加に対応した上で人権裁判の充実に司法が取り組んでいただくためには、司法制度の改革が是非とも必要であると改めて申し上げたいと思います。
 勇気のある裁判例、司法制度の改革とともに、紛争解決代替措置、いわゆるADR、オールタナティブ・ディスピュート・レゾリューションズの充実も人権救済の分野で必要と考えます。余り深刻でない人権侵害については、時間と経費の掛かる訴訟に代わる救済措置が発見され、導入されることを期待いたします。
 最後に、新しい人権について議論する場合、我が国における法以前の人権意識についても考察する必要があるものと思います。
 我が国が手本とした憲法成典を持った国々では、自由で独立した人格が社会経済、文化の発展に不可欠な要素と考え、それを阻害する物的、精神的要因の排除を国家の重要課題と考え、憲法に明記されたものが多いと思います。我が国においては、個の確立はこれらの国々に比べて厳格に追求されることなく、和の精神や思いやりがより重視されてきたものと思います。したがって、人権問題は、法規制やルールというよりもマナーや道徳の問題として考える傾向があったものと思います。
 私は、個の確立は個人にとっても家族にとっても国家にとっても最も重要なものと思いますが、また、それを救済する国家的手段も重要なものと思いますが、それを実現する手法は何も外国流でなく我が国流でよいと思います。和魂洋才をもじって言いますと洋魂和流と言ってもいいかと思っております。
 また一方、新しい人権と言われる環境権のようなものは、悉皆成仏、自然と人間の共生を基本的価値としている我が国においては、人間優先主義の西洋よりも、実際上、法以前の価値として人心に定着したものと考えます。法以前の基本的価値はあいまいで不安定なものですが、我々日本人の心情にしっくりする憲法を育てるためには、法以前の基本的価値、人権意識をもっと考察すべきと考えます。
 これまでの意見を要約して申し上げますと、まず、新しい人権についての憲法上の明記は現在のところ必ずしも必須のことではなく、むしろ具体的人権保障の充実に努めるべきであり、そのため、新しい人権も含めた具体的人権立法は立法府が自らの立法機能を強化して推進すべきであること、勇気ある裁判と司法的救済の充実が必要であること、また人権に関する議論を通じて、法以前の我が国の価値意識、自由で独立した個人の人格の確立、それを支える国家理念の構築などについてより広い考察が必要であるということなどになります。
 御清聴ありがとうございました。

発言情報

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発言者: 荒井正吾

speaker_id: 10586

日付: 2003-04-16

院: 参議院

会議名: 憲法調査会