渡辺昭夫の発言 (憲法調査会)
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○参考人(渡辺昭夫君) 第一の第九条の第二項については、私は今正直言って付け加えるべきことは余りございませんが、世の中に言うところの芦田修正という問題で、芦田さんが本当にそう考えたかどうかというのは歴史学者の間でも実は議論があるようでありまして、ですが、半ばは後知恵なのかもしれませんが、第二項の前項の目的のためには云々というのは、入れたのは、それによって初めてその自衛のためには一定の軍事力を持つということは当然であるということがその背景にある、込められた意味だと。
そういうことがあったりしたわけですから、そうすると、非常にどう言っていいんでしょうか、皮肉な結果でありますが、言うまでもなく表向きは一切の武力を持たないということでスタートしたのが、それは何ぼ何でも不自然であるということで、何とか言わば潜り込ませるためにああいう規定になったし、それから憲法の第何条でしたか、文民の統制というようなことになるわけですね。文民が統制するという以上は、やっぱり文民でない軍隊というものがあると、軍事力というものがあるということが前提になると、そういうふうな議論がございましたね、当初からあるわけで。つまり、そういう非常に中途半端な形で、ぬえのようなことで入ったんだけれども、なぜ入ったかというのは当時の事情だと思います。ですから、今になってみると、いかにも無理であるというのは、そう考える方がかなりいても不思議ではないと思います。
ですから、解釈、これは第三点ともかかわるわけですけれども、そういうふうな無理な解釈を続けていると、国民の間に憲法に対する不信とかあるいは政治に対する不信ということにつながるんじゃないかという危惧をおっしゃったわけですが、そういう議論が十分私も成り立つと思います。
第二点ですが、これは、参考文献で私が付けさせていただいた文章は、実は一九九四年の細川内閣から羽田内閣、そして村山内閣と、あの大変な政治的に激動の時期に防衛問題懇談会という、通称樋口レポートというものの作業がなされたわけですが、それに私、参加した者として文章を書いているんですけれども、そこでは、例えば集団的自衛権というような話を出すとこれはなかなか議論が難しいだろうということで、それは直接には議論しないということで、具体的に問題にしたのは、つまり、今の憲法の文章を変えなくてもその中に十分に入るだろうという問題として、先ほど私が申し上げた、国際社会が集団的に平和を破ったものに対して行動するという、それに参加すると、当時のコンテクストでいうとPKO的なものですけれども。そういうものであってさえも日本が武力を持って参加するというのはいけないというふうになっているのは、これはおかしいんではないかという論点だったわけですね。
そのときに、もう今申し上げてもいいんだろうと思うんですけれども、最初の草案はかなりはっきりとそこが書いてあったんですけれども、これは内閣法制局の方から待ったが掛かったわけですね。そこで、大いに議論いたしまして、それは内閣法制局として今までそのように解釈してきたというのはそれは分かると。それは内閣法制局は法制局の立場としておっしゃるのは分かる。しかし、それを一歩も出ないというのであれば、何もわざわざこんな諮問委員会を作る必要があるかと。今までの政府の解釈を一歩も出ないものを書けというのだったら、そもそも諮問委員会を作る意味がないわけでありますね。
ということで頑張りまして、その樋口レポートが主張する立場を取るのかどうかということは、それはそれを受け取る内閣の総理大臣の判断であって、それを事前に、法制局の意見と違うからそれを引っ込めろというのは、それは法制局の権限ではないというふうに私は頑張りました。私たちは頑張りました。多少文言の上で柔らかくはしてありますが、その精神は貫いたというふうに私は思っております。それが内閣法制局の役割、それと政治的なリーダーシップとの役割との関係というふうに私は考えております。
最後の点は、これはどういうふうに考えて、ドイツのように非常に合理的というのか何というのか、非常にきっちり制度を作っていくというやり方と比べると、日本は良く言えばイギリス風ですね。イギリスは別に憲法なんかなくても実際に運用でやっていくということですから、日本の解釈運用は若干それに近いんですけれども、中途半端ですよね。ドイツ的であるかイギリス的であるかということなんですが、半分ドイツ的で半分イギリス的であるもので、一応書かれた文面には何とか忠実にしようとしながら、しかし解釈するという、そういうところが非常にあいまいになる例であるので、憲法はなくていいというふうに言うとこれは極端になるわけでありますが、何というんですか、少なくとも書かれた憲法を我々としては持っていることは否定できないわけでありますから、それは私も、いろいろなこれだけ議論を重ねてきて、かついろいろな経験を重ねてきた現在の時点に立ってこれは無理だということで、もう少し率直にその事実を認めて、このような無理な文言は多分なくした方がいいんだろうと私も思います。