渡辺昭夫の発言 (憲法調査会)
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○参考人(渡辺昭夫君) 度々同じことに言及して申し訳ございませんが、先ほどの機会に申し上げた一九九四年に私が参画したいわゆる樋口レポートというのは、正に冷戦後の状況をどうとらえるか、その中で日米安保をどう再定義するか、その中で日本の防衛力の在り方をどう考えるかという宿題が、当時の細川総理大臣から与えられた課題だというふうに考えて私などは作業に当たったわけであります。
この問題は非常に大きな話なので、また申し上げ残したことは後で補足させていただくかもしれませんが、ごくごく要点だけを申しますと、冷戦時代は言うまでもなくソ連というものの脅威に対してどう対処するかということであり、当然その対処するこちら側にいるのはアメリカであるということで、こういう言わば大きなもの同士がぶつかっているという感じですね。そういうものがなくなった後どうするのかということで、それが、ソ連の脅威がなくなればすべて世は事もなしになるんだと。ここからいわゆる平和の配当論ということになってきて、そして、日本の防衛力というものももう少し切り下げてほかに国家の予算を向けたらいいんじゃないかというのが平和の配当論だったと思うんですが、その樋口レポートは少なくともそうは考えなかったですね。
なぜかというと、二つ理由があって、一つは、むしろソ連というような明確な形での脅威がなくなった後の国際安全保障というのは、もっと非常に読みにくく、また難しいし、いろんなことを考えなきゃいけないよと。そして、それに伴って、そういう新しいタイプの脅威に対しては、ここはちょっと皮肉なことですけれども、むしろ冷戦時代よりも日本がやるべきことが増える、あるいは日本の自衛隊がやらなきゃいけないことが増えるというふうに考えたわけで、再び先ほどの私の発言に戻れば、国際社会が全体として協力していろんなことに対処していくという場面が増えてくるだろうと。
それは、国連という枠の中なのか、あるいは日米が二国でやるのか、あるいは地域的には何らかの仕組みという中でやるのか、それはいろんな形があるけれども、いずれにしろ、今までと違って、そういうより広い観点の中での安全保障上の役割に対して日本はもっと積極的にやっていかなきゃいけないだろうということで、先ほどもお話が出たように、例えば橋本・クリントン共同宣言辺りにはアジア太平洋という言葉が何度も出てくるというふうに、より広い文脈の中で日本の安全保障上の役割は増えるだろうというのが第一の理由でありますね。
それから、第二の理由は、これは全く私の個人的な言い方になってしまうかもしれませんが、皮肉、まあ皮肉という言葉は良くないですね、結果的に見れば、冷戦時代に日本は、当時、三木内閣のころでしょうか、久保さんという方が防衛庁にいらっしゃって、平和時における何でしたか、平和時における防衛でしたか、という形でいわゆる基盤的防衛力というような考え方が出てくるわけですが、言わばその冷戦時代のコンテクストで言うとちょっと不思議だなと思われた考え方が実は冷戦後にむしろぴったりするような考え方になってくるということになって、言わば先取りしていたような形になっているわけですね。
それをもう一遍裏返して言うと、そんなに大層な防衛力を実は持っていたわけではないのであって、基本的にはこの程度の防衛力でもって新しく日本が求められる役割をやっていくということの少なくとも基礎にはなるだろうと、いろんな部分的な修正はしなきゃいかぬ、そういうふうに我々は考えました。