大井赤亥の発言 (憲法調査会公聴会)
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○公述人(大井赤亥君) おはようございます。東京大学の学生の大井と申します。今日はこのような場で話す機会を与えてもらって大変感謝しています。
私の意見なんですけれども、レジュメがお手元に配られているかと思いますので、レジュメに沿って話をしたいと思いますので、よければごらんください。
レジュメですけれども、大きく三つのことを話したいと思っています。
一つは、一つ一番初めに話したいことは、私は、基本的には日米安保の体制に対して、それが今与えている、日本の安全保障に寄与しているということは認めるんですけれども、長期的には懐疑的な立場です。と同時に、じゃ、どういう日本の安全保障の在り方が長期的に望ましいのかということを、ちょっと抽象的な話になってしまうかもしれませんけれども、意見を述べたいと思います。
二つ目に、イラク戦争の後の国連の役割、それから、その国連と日本が今後どういう関係を結んでいくかということについても自分の考えを述べたいと思います。
最後に、時間があったら、この三月に一か月、アイルランドに行ってきまして、向こうのナショナリズムとか、その歴史に接する機会がありましたもので、そのことについて若干、日本のナショナリズムと比較の中でお話しできたらと思っています。
基本的には、一番と二番を中心に述べたいと思っています。
早速、一番なんですけれども、日米安保が日本の安全保障に寄与しているという議論は、もちろん国民の世論もあるし、一定程度説得力はあるかもしれないと思っています。ただ、イラク戦争が終わった後で、じゃ、この日米同盟の在り方を今後どうやってするのかということに関しては懐疑的な立場に立っています。
簡単に理由を述べますと、一つはアメリカの単独行動主義と言われる、イラク戦争で顕著に見られた動きですけれども、これにずっと心中的に付いていくということが多くの犠牲を伴うものだと思っています。
一つは、国連中心主義的な外交とアジアの一員ということが長らく建前的には日本の外交の立場だったと聞いておりますけれども、一つは、国連を全く無視するアメリカに付いていくということは、国連中心主義ということとは矛盾せざるを得ないわけです。
もう一つは、アジアの一員として世界にその立場や利益を代表していくということも不可能にすると思います。今度、サミットに中国が参加するということがありましたけれども、それも、日本だとアジアの声が代弁できないという批判の一つの表れだというふうに解釈しています。
もう一つは、日米安保一辺倒による日本の安全保障が本当に現実的なのかということについても疑問があるわけです。アジアの問題については、それはアジアの国同士で解決するという問題もありますし、アメリカの国益と全く関係しないという部分もありますので、そういうところで主体的な外交で解決しなくちゃならない部分があるんじゃないかと思っています。
もう一つは、今言われている北朝鮮に関する問題です。自分自身の問題意識としては、北朝鮮の問題が戦争になるということは、これは日本でも韓国でも中国でもどうしても避けなきゃいけない事態だという真剣な問題意識を持っています。
そこで、例えば日本と韓国の対応とアメリカの対応の余りの違いや温度差というものが報道されていますので、そこでも、この北朝鮮有事といったことに関しても決して現実的な同盟じゃないだろうという側面があるんではないかというふうに思っています。
自分が言いたいことの一番大きなのは、レジュメの一のスモールな数字の四番ですけれども、もちろん一時的には日米同盟が日本の安全保障に寄与しているということは分かるんですけれども、ただ、それが長期的にはどうなのかということを考えているわけです。
それはどういうことかというと、本来、例えばアジアの国、例えば日本や韓国や中国といったアジアの国同士でそれぞれの国の安全保障を考えるとか、地域的に連携して考えるとか、そういう外交的な努力を東アジアのアメリカ軍のプレゼンスが結果的に遅らせている側面があるんじゃないかということです。つまり、そういう努力をしなくても安全保障が、目の前の安全保障だけは保たれるということですね。ただ、それは、目の前の安全保障はあっても、長期的な安全保障にならないんじゃないかということです。長期的な安全保障は地域的な国々の努力自体によってしか生まれないんじゃないかということです。
じゃ、そう考えると、例えば日米安保、もし、ある状態でも、ない状態でもいいんですけれども、アジアの国の独自の安全保障ということを考える場合には、やっぱりその国同士の主体的な努力が必要だと思っています。
例えば、ここから先はまだまだ抽象的な議論になるかと思いますけれども、ただ、アジアの諸国の間で、例えば日本や韓国や中国それから台湾といった地域も含めて考える場合、多国間の平和条約とかあるいは経済的な機構を作るということは一つ考えられると思います。今の段階では、そういう、それを達成するような現実的な条件はなかなか見いだせないかと思いますけれども、ただ、この考えは歴史的にも昔からあるもので、今でも日本の学者の方、例えば東北アジア共同の家の構想とかいうことを述べられる政治学者の方もおられます。ですから、決してとっぴな発想ではないということが、一つ申し上げたいと思います。
例えば、歴史的に見ましても、中国や韓国の方から日本にそういう言わば地域的な独自の平和なり経済の構想を立てようという呼び掛けは過去にもあったわけです。例えば、中国で言えば孫文とか、あるいは韓国の安重根という、日本では評判の悪い人ですけれども、あの人なんかも東アジアの平和構想を真剣に考えた論文があるはずです。ですから、歴史的に見てもとっぴなことではないということです。
もう一つ申し上げたいのは、例えば東アジアにおける平和条約網、あるいは何らかの平和機構、友好機構を作るということに関して、例えば共通の価値がないとか、経済体制も異なる国で果たしてできるのかという疑念はよく聞かれます。
確かに、考えてみると、日本と韓国は非常に近い市場経済と政治的な民主主義も達成している。ただ、北朝鮮や中国に関しては、経済体制も違えば政治体制も違うし、それから人権に対する考え方も大きな隔たりがあるということは認めざるを得ないと思います。
では、しかし、同時に、そういうことが友好善隣関係の国際的な機構あるいは条約、非常にバイラテラルな条約網を作るということが果たしてそれでできないかといったら、そうではないと思うわけです。
例えば、一つ例として挙げたいのはASEANの例なんですけれども、ASEANの中は、それこそ歴史的には、反共国家もあれば中立国家もあれば内政がやや混乱している国家もあって、到底共通の価値観とか人権意識の中でもコンセンサスは得られていない地域連合だと思いますけれども、ただ、それがASEANの歴史を見ると、非常に友好的に実効性を持って機能しているということが一つ挙げられると思います。
ですから、必ずしも共通の価値観や人権意識を持っていない、あるいは文化が違うとか、いろいろな理由がありますけれども、そういうことで友好善隣の地域機構を作ることはできないというわけにはならないと思います。何よりも、主体的にそういう地域的な平和機構あるいは友好機構を作るというその過程自体が、相互の信頼やあるいは共通認識が生まれていく過程になるというふうに考えています。
ですから、長期的に見れば、東アジアの平和機構なり、あるいはASEANのような地域機構を作るということが正にリアリティー、一番現実的のある日本の安全保障の在り方じゃないかというふうに思っています。
以上が一番です。
次に、二番なんですが、日本と国際連合の関係についてです。
もし、例えば日米安保を維持するかしないかにかかわらず、日本の安全保障若しくは日本外交の軸足を国連に置いていくということは、一つ、イラク戦争の後の至急な課題として求められることだと思います。
どうしてそう考えるかというと、イラク戦争で果たした国連の役割ということで、一般的には国際連合がうまく機能しなかった若しくは国連の権威が地に落ちたという報道もあります。それは、アメリカが既成事実的に国連の承認なしに戦争を起こしたからそういう報道がありますけれども、自分自身の考えとしては、それだけではないと思っているわけです。
というのも、戦争自体は、イラク戦争自体は国連の承認なしに行われましたけれども、その開戦前の数週間にわたって国連安保理の場で激しい外交的なせめぎ合いが続いていましたよね、つまり国連の決議をめぐってですけれども。そのことが示している国連の意義ということがあると思うんです。
つまり、今回のイラク戦争の開戦前の国連安保理の場の外交的なせめぎ合いで明らかになったことの一つに、つまり国連の決議のない戦争、若しくは国連の決議、承認のない武力行使は違法だということは、これは国際的にはっきり認められたわけだと思います。そのことは、アメリカ政府自身が最後まで国連安保理の場で、つまり国連決議を取るための多数派工作をしていたわけですよね。ですから、アメリカ自身の動きによってもそのことは明らかだと思います。
つまり、それは世界的にもはっきり認められたし、つまり国際の場で、国連決議のない若しくは国連の承認のない武力行使は違法なんだということは、一つの共通認識として、一つの到達点だというふうに思っています。これは、イラク戦争に特徴的なことだと思います。
従来から国際政治の場というのは、力が正義だとか、いわゆるホッブス的な世界とか言われておりますよね。例えば、既成事実的な力の行使が正当性を生み出したり、既成事実的にどこかの国に侵攻することがそこに駐留する正当性を生み出したりとか、正に力によって正義が生み出されてきた、あるいは正当性が生み出されてきた場所だったと思いますけれども、今回のイラク戦争で明らかになったのは、イラク戦争は、既成事実的な戦争はあったけれども、それと正義とかあるいは正当性の問題は別問題だという認識が達成されたところだと思います。ですから、力は力であるけれども、正当性はまた別にあるんだということ、これが認識されただけでも大きな成果じゃなかったかと思います。
と同時に、今回のイラク戦争でいろんな国連の限界が見えてきたのも事実です。ですから、もっと実効性のある組織にするとか、あるいは国連の内部をもっと民主化するとかという課題は大きく残ったと思いますけれども、そこはひとつ、今後の国連の可能性として、つまり武力行使を正当化する機関は国際の場では国連しかないということを、その可能性を重視して、そこに、それを育てる立場に立つべきだというふうに考えています。
そういった国連と日本との関係ですけれども、日米安保があるなしにかかわらず、国連中心の外交をするということは日本の安全保障にとっても重要な面だと思います。ただ、日米安保と違って、国連中心ということがすぐ日本の安全保障に寄与するとは言えないと思います。そこは現実的に考える必要があると思うんですが、少なくとも、アメリカの単独行動主義にずっと付いていくというよりも、国連中心のより法規的な、法を媒介にした、あるいは中立的な、国際的にも正当性を持った外交の要求をしていくということは日本の安全保障にとっても重要なことだと思います。
最後になりますけれども、国連と日本との間の相違点が幾つかございます。
日本国憲法は国連憲章と非常に大きな類似性があると思っています。ただ、紛争の最終的な解決ということに関してはやっぱり大きな隔たりがあるわけです。それについてどういう立場を日本が取るのかということは、国連の中心に軸足を置いた場合に問われることだと思います。
ただ、例えば人権問題や、特に人権問題だと思いますけれども、そういうことで国連が妥当で正当な武力行使をするということは論理的にはあり得ると思います。その場合に日本がどうするかということに関してですけれども、日本はやっぱり憲法九条を持っているということ、それから、国際連合の活動はその国の特殊な条件に応じて、その条件に応じた働きぶりを求められるということが前提です。ですから、そういう場合は、日本の憲法九条が世界的にも普遍性を持っていると、それから同時に、国連憲章とも共通した精神なんだということを国際の場で理解してもらう、それしかひとつ道がないだろうと思っています。
つまり、そういう側面からも日本が国連の場でイニシアチブを取って活躍できる国になるんじゃないかというふうに思っています。
最後に三番の、今、政治家の人たちに言いたいことということですけれども、この三月にアイルランドに行ってきまして、いろいろアイルランドのナショナリズムについて、若しくはその歴史について触れる機会があったんですけれども、日本のナショナリズムと大きく違って、大国イギリスに対してちゃんと自分たちの文化的な独自性の尊重とか、あるいは生活の改善を歴史を通じて言ってきたわけです。その中でナショナリズムが育ってきた。だから、アイルランドのナショナリズムというのは、ある種正統性を持っているわけです。下から突き上げられるようなナショナリズムで、全く日本のとは違う印象を持ちました。
日本のはどうかというと、どうも、いつもいつも中国とかあるいは朝鮮とかに向かって、つまり何か弱い者いじめのナショナリズムのような、そういう狭隘さがどうしてもイメージとして付きまとうもので、それとは全く違うナショナリズムの在り方もあるんだなと実感した次第です。
ですから、今、有事法制とかあるいは北朝鮮に関連した議論が国会の場でも行われていると思いますけれども、そういう議論がこういう日本のナショナリズムというような狭隘なナショナリズムがベースになって行われているとしたら大きな危惧を感じざるを得ないということを申し上げて、ちょっと言葉足らずでしたけれども、発言を終わらせてもらいます。
どうもありがとうございました。