憲法調査会公聴会
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会
会議録情報#0
平成十五年六月四日(水曜日)
午前九時四分開会
─────────────
出席者は左のとおり。
会 長 野沢 太三君
幹 事
市川 一朗君
武見 敬三君
谷川 秀善君
若林 正俊君
堀 利和君
峰崎 直樹君
山下 栄一君
小泉 親司君
平野 貞夫君
委 員
荒井 正吾君
景山俊太郎君
亀井 郁夫君
桜井 新君
椎名 一保君
世耕 弘成君
中島 啓雄君
中曽根弘文君
福島啓史郎君
松田 岩夫君
松山 政司君
伊藤 基隆君
江田 五月君
川橋 幸子君
高橋 千秋君
ツルネン マルテイ君
松井 孝治君
魚住裕一郎君
山口那津男君
宮本 岳志君
吉川 春子君
田名部匡省君
松岡滿壽男君
大脇 雅子君
事務局側
憲法調査会事務
局長 桐山 正敏君
公述人
東京大学学生 大井 赤亥君
横浜国立大学教
授 北川 善英君
開倫塾塾長 林 明夫君
主婦 藤井富美子君
法政大学名誉教
授
テロ特措法・海
外派兵違憲訴訟
原告団長 尾形 憲君
自営業 加藤 正之君
駒沢女子大学学
生 田中夢優美君
学習院女子大学
教授 畠山 圭一君
─────────────
本日の会議に付した案件
○日本国憲法に関する調査
(平和主義と安全保障)
─────────────
この発言だけを見る →午前九時四分開会
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出席者は左のとおり。
会 長 野沢 太三君
幹 事
市川 一朗君
武見 敬三君
谷川 秀善君
若林 正俊君
堀 利和君
峰崎 直樹君
山下 栄一君
小泉 親司君
平野 貞夫君
委 員
荒井 正吾君
景山俊太郎君
亀井 郁夫君
桜井 新君
椎名 一保君
世耕 弘成君
中島 啓雄君
中曽根弘文君
福島啓史郎君
松田 岩夫君
松山 政司君
伊藤 基隆君
江田 五月君
川橋 幸子君
高橋 千秋君
ツルネン マルテイ君
松井 孝治君
魚住裕一郎君
山口那津男君
宮本 岳志君
吉川 春子君
田名部匡省君
松岡滿壽男君
大脇 雅子君
事務局側
憲法調査会事務
局長 桐山 正敏君
公述人
東京大学学生 大井 赤亥君
横浜国立大学教
授 北川 善英君
開倫塾塾長 林 明夫君
主婦 藤井富美子君
法政大学名誉教
授
テロ特措法・海
外派兵違憲訴訟
原告団長 尾形 憲君
自営業 加藤 正之君
駒沢女子大学学
生 田中夢優美君
学習院女子大学
教授 畠山 圭一君
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本日の会議に付した案件
○日本国憲法に関する調査
(平和主義と安全保障)
─────────────
野
野沢太三#1
○会長(野沢太三君) ただいまから憲法調査会公聴会を開会いたします。
日本国憲法に関する調査を議題といたします。
本日は、「平和主義と安全保障」につきまして、お手元の名簿の八名の公述人の方々から御意見を伺います。
午前は、東京大学学生大井赤亥君、横浜国立大学教授北川善英君、開倫塾塾長林明夫君及び主婦藤井富美子君、以上四名の公述人の方々に御出席をいただいております。
この際、公述人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
本調査会は、本年五月から「平和主義と安全保障」について調査を開始したところでございますが、本日は、「国民とともに議論する」という本調査会の基本方針を踏まえ、我が国の平和主義と安全保障の在り方について、特に憲法とのかかわりを中心に公述人の方々から幅広く忌憚のない御意見をお述べいただき、今後の調査に反映させてまいりたいと存じますので、よろしくお願いいたします。
議事の進め方でございますが、まず公述人の方々からお一人十五分程度で順次御意見をお述べいただきまして、その後、各委員からの質疑にお答えいただきます。
なお、公述人、委員ともに御発言は着席のままで結構でございます。
それでは、まず大井公述人、お願いいたします。大井公述人。
この発言だけを見る →日本国憲法に関する調査を議題といたします。
本日は、「平和主義と安全保障」につきまして、お手元の名簿の八名の公述人の方々から御意見を伺います。
午前は、東京大学学生大井赤亥君、横浜国立大学教授北川善英君、開倫塾塾長林明夫君及び主婦藤井富美子君、以上四名の公述人の方々に御出席をいただいております。
この際、公述人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
本調査会は、本年五月から「平和主義と安全保障」について調査を開始したところでございますが、本日は、「国民とともに議論する」という本調査会の基本方針を踏まえ、我が国の平和主義と安全保障の在り方について、特に憲法とのかかわりを中心に公述人の方々から幅広く忌憚のない御意見をお述べいただき、今後の調査に反映させてまいりたいと存じますので、よろしくお願いいたします。
議事の進め方でございますが、まず公述人の方々からお一人十五分程度で順次御意見をお述べいただきまして、その後、各委員からの質疑にお答えいただきます。
なお、公述人、委員ともに御発言は着席のままで結構でございます。
それでは、まず大井公述人、お願いいたします。大井公述人。
大
大井赤亥#2
○公述人(大井赤亥君) おはようございます。東京大学の学生の大井と申します。今日はこのような場で話す機会を与えてもらって大変感謝しています。
私の意見なんですけれども、レジュメがお手元に配られているかと思いますので、レジュメに沿って話をしたいと思いますので、よければごらんください。
レジュメですけれども、大きく三つのことを話したいと思っています。
一つは、一つ一番初めに話したいことは、私は、基本的には日米安保の体制に対して、それが今与えている、日本の安全保障に寄与しているということは認めるんですけれども、長期的には懐疑的な立場です。と同時に、じゃ、どういう日本の安全保障の在り方が長期的に望ましいのかということを、ちょっと抽象的な話になってしまうかもしれませんけれども、意見を述べたいと思います。
二つ目に、イラク戦争の後の国連の役割、それから、その国連と日本が今後どういう関係を結んでいくかということについても自分の考えを述べたいと思います。
最後に、時間があったら、この三月に一か月、アイルランドに行ってきまして、向こうのナショナリズムとか、その歴史に接する機会がありましたもので、そのことについて若干、日本のナショナリズムと比較の中でお話しできたらと思っています。
基本的には、一番と二番を中心に述べたいと思っています。
早速、一番なんですけれども、日米安保が日本の安全保障に寄与しているという議論は、もちろん国民の世論もあるし、一定程度説得力はあるかもしれないと思っています。ただ、イラク戦争が終わった後で、じゃ、この日米同盟の在り方を今後どうやってするのかということに関しては懐疑的な立場に立っています。
簡単に理由を述べますと、一つはアメリカの単独行動主義と言われる、イラク戦争で顕著に見られた動きですけれども、これにずっと心中的に付いていくということが多くの犠牲を伴うものだと思っています。
一つは、国連中心主義的な外交とアジアの一員ということが長らく建前的には日本の外交の立場だったと聞いておりますけれども、一つは、国連を全く無視するアメリカに付いていくということは、国連中心主義ということとは矛盾せざるを得ないわけです。
もう一つは、アジアの一員として世界にその立場や利益を代表していくということも不可能にすると思います。今度、サミットに中国が参加するということがありましたけれども、それも、日本だとアジアの声が代弁できないという批判の一つの表れだというふうに解釈しています。
もう一つは、日米安保一辺倒による日本の安全保障が本当に現実的なのかということについても疑問があるわけです。アジアの問題については、それはアジアの国同士で解決するという問題もありますし、アメリカの国益と全く関係しないという部分もありますので、そういうところで主体的な外交で解決しなくちゃならない部分があるんじゃないかと思っています。
もう一つは、今言われている北朝鮮に関する問題です。自分自身の問題意識としては、北朝鮮の問題が戦争になるということは、これは日本でも韓国でも中国でもどうしても避けなきゃいけない事態だという真剣な問題意識を持っています。
そこで、例えば日本と韓国の対応とアメリカの対応の余りの違いや温度差というものが報道されていますので、そこでも、この北朝鮮有事といったことに関しても決して現実的な同盟じゃないだろうという側面があるんではないかというふうに思っています。
自分が言いたいことの一番大きなのは、レジュメの一のスモールな数字の四番ですけれども、もちろん一時的には日米同盟が日本の安全保障に寄与しているということは分かるんですけれども、ただ、それが長期的にはどうなのかということを考えているわけです。
それはどういうことかというと、本来、例えばアジアの国、例えば日本や韓国や中国といったアジアの国同士でそれぞれの国の安全保障を考えるとか、地域的に連携して考えるとか、そういう外交的な努力を東アジアのアメリカ軍のプレゼンスが結果的に遅らせている側面があるんじゃないかということです。つまり、そういう努力をしなくても安全保障が、目の前の安全保障だけは保たれるということですね。ただ、それは、目の前の安全保障はあっても、長期的な安全保障にならないんじゃないかということです。長期的な安全保障は地域的な国々の努力自体によってしか生まれないんじゃないかということです。
じゃ、そう考えると、例えば日米安保、もし、ある状態でも、ない状態でもいいんですけれども、アジアの国の独自の安全保障ということを考える場合には、やっぱりその国同士の主体的な努力が必要だと思っています。
例えば、ここから先はまだまだ抽象的な議論になるかと思いますけれども、ただ、アジアの諸国の間で、例えば日本や韓国や中国それから台湾といった地域も含めて考える場合、多国間の平和条約とかあるいは経済的な機構を作るということは一つ考えられると思います。今の段階では、そういう、それを達成するような現実的な条件はなかなか見いだせないかと思いますけれども、ただ、この考えは歴史的にも昔からあるもので、今でも日本の学者の方、例えば東北アジア共同の家の構想とかいうことを述べられる政治学者の方もおられます。ですから、決してとっぴな発想ではないということが、一つ申し上げたいと思います。
例えば、歴史的に見ましても、中国や韓国の方から日本にそういう言わば地域的な独自の平和なり経済の構想を立てようという呼び掛けは過去にもあったわけです。例えば、中国で言えば孫文とか、あるいは韓国の安重根という、日本では評判の悪い人ですけれども、あの人なんかも東アジアの平和構想を真剣に考えた論文があるはずです。ですから、歴史的に見てもとっぴなことではないということです。
もう一つ申し上げたいのは、例えば東アジアにおける平和条約網、あるいは何らかの平和機構、友好機構を作るということに関して、例えば共通の価値がないとか、経済体制も異なる国で果たしてできるのかという疑念はよく聞かれます。
確かに、考えてみると、日本と韓国は非常に近い市場経済と政治的な民主主義も達成している。ただ、北朝鮮や中国に関しては、経済体制も違えば政治体制も違うし、それから人権に対する考え方も大きな隔たりがあるということは認めざるを得ないと思います。
では、しかし、同時に、そういうことが友好善隣関係の国際的な機構あるいは条約、非常にバイラテラルな条約網を作るということが果たしてそれでできないかといったら、そうではないと思うわけです。
例えば、一つ例として挙げたいのはASEANの例なんですけれども、ASEANの中は、それこそ歴史的には、反共国家もあれば中立国家もあれば内政がやや混乱している国家もあって、到底共通の価値観とか人権意識の中でもコンセンサスは得られていない地域連合だと思いますけれども、ただ、それがASEANの歴史を見ると、非常に友好的に実効性を持って機能しているということが一つ挙げられると思います。
ですから、必ずしも共通の価値観や人権意識を持っていない、あるいは文化が違うとか、いろいろな理由がありますけれども、そういうことで友好善隣の地域機構を作ることはできないというわけにはならないと思います。何よりも、主体的にそういう地域的な平和機構あるいは友好機構を作るというその過程自体が、相互の信頼やあるいは共通認識が生まれていく過程になるというふうに考えています。
ですから、長期的に見れば、東アジアの平和機構なり、あるいはASEANのような地域機構を作るということが正にリアリティー、一番現実的のある日本の安全保障の在り方じゃないかというふうに思っています。
以上が一番です。
次に、二番なんですが、日本と国際連合の関係についてです。
もし、例えば日米安保を維持するかしないかにかかわらず、日本の安全保障若しくは日本外交の軸足を国連に置いていくということは、一つ、イラク戦争の後の至急な課題として求められることだと思います。
どうしてそう考えるかというと、イラク戦争で果たした国連の役割ということで、一般的には国際連合がうまく機能しなかった若しくは国連の権威が地に落ちたという報道もあります。それは、アメリカが既成事実的に国連の承認なしに戦争を起こしたからそういう報道がありますけれども、自分自身の考えとしては、それだけではないと思っているわけです。
というのも、戦争自体は、イラク戦争自体は国連の承認なしに行われましたけれども、その開戦前の数週間にわたって国連安保理の場で激しい外交的なせめぎ合いが続いていましたよね、つまり国連の決議をめぐってですけれども。そのことが示している国連の意義ということがあると思うんです。
つまり、今回のイラク戦争の開戦前の国連安保理の場の外交的なせめぎ合いで明らかになったことの一つに、つまり国連の決議のない戦争、若しくは国連の決議、承認のない武力行使は違法だということは、これは国際的にはっきり認められたわけだと思います。そのことは、アメリカ政府自身が最後まで国連安保理の場で、つまり国連決議を取るための多数派工作をしていたわけですよね。ですから、アメリカ自身の動きによってもそのことは明らかだと思います。
つまり、それは世界的にもはっきり認められたし、つまり国際の場で、国連決議のない若しくは国連の承認のない武力行使は違法なんだということは、一つの共通認識として、一つの到達点だというふうに思っています。これは、イラク戦争に特徴的なことだと思います。
従来から国際政治の場というのは、力が正義だとか、いわゆるホッブス的な世界とか言われておりますよね。例えば、既成事実的な力の行使が正当性を生み出したり、既成事実的にどこかの国に侵攻することがそこに駐留する正当性を生み出したりとか、正に力によって正義が生み出されてきた、あるいは正当性が生み出されてきた場所だったと思いますけれども、今回のイラク戦争で明らかになったのは、イラク戦争は、既成事実的な戦争はあったけれども、それと正義とかあるいは正当性の問題は別問題だという認識が達成されたところだと思います。ですから、力は力であるけれども、正当性はまた別にあるんだということ、これが認識されただけでも大きな成果じゃなかったかと思います。
と同時に、今回のイラク戦争でいろんな国連の限界が見えてきたのも事実です。ですから、もっと実効性のある組織にするとか、あるいは国連の内部をもっと民主化するとかという課題は大きく残ったと思いますけれども、そこはひとつ、今後の国連の可能性として、つまり武力行使を正当化する機関は国際の場では国連しかないということを、その可能性を重視して、そこに、それを育てる立場に立つべきだというふうに考えています。
そういった国連と日本との関係ですけれども、日米安保があるなしにかかわらず、国連中心の外交をするということは日本の安全保障にとっても重要な面だと思います。ただ、日米安保と違って、国連中心ということがすぐ日本の安全保障に寄与するとは言えないと思います。そこは現実的に考える必要があると思うんですが、少なくとも、アメリカの単独行動主義にずっと付いていくというよりも、国連中心のより法規的な、法を媒介にした、あるいは中立的な、国際的にも正当性を持った外交の要求をしていくということは日本の安全保障にとっても重要なことだと思います。
最後になりますけれども、国連と日本との間の相違点が幾つかございます。
日本国憲法は国連憲章と非常に大きな類似性があると思っています。ただ、紛争の最終的な解決ということに関してはやっぱり大きな隔たりがあるわけです。それについてどういう立場を日本が取るのかということは、国連の中心に軸足を置いた場合に問われることだと思います。
ただ、例えば人権問題や、特に人権問題だと思いますけれども、そういうことで国連が妥当で正当な武力行使をするということは論理的にはあり得ると思います。その場合に日本がどうするかということに関してですけれども、日本はやっぱり憲法九条を持っているということ、それから、国際連合の活動はその国の特殊な条件に応じて、その条件に応じた働きぶりを求められるということが前提です。ですから、そういう場合は、日本の憲法九条が世界的にも普遍性を持っていると、それから同時に、国連憲章とも共通した精神なんだということを国際の場で理解してもらう、それしかひとつ道がないだろうと思っています。
つまり、そういう側面からも日本が国連の場でイニシアチブを取って活躍できる国になるんじゃないかというふうに思っています。
最後に三番の、今、政治家の人たちに言いたいことということですけれども、この三月にアイルランドに行ってきまして、いろいろアイルランドのナショナリズムについて、若しくはその歴史について触れる機会があったんですけれども、日本のナショナリズムと大きく違って、大国イギリスに対してちゃんと自分たちの文化的な独自性の尊重とか、あるいは生活の改善を歴史を通じて言ってきたわけです。その中でナショナリズムが育ってきた。だから、アイルランドのナショナリズムというのは、ある種正統性を持っているわけです。下から突き上げられるようなナショナリズムで、全く日本のとは違う印象を持ちました。
日本のはどうかというと、どうも、いつもいつも中国とかあるいは朝鮮とかに向かって、つまり何か弱い者いじめのナショナリズムのような、そういう狭隘さがどうしてもイメージとして付きまとうもので、それとは全く違うナショナリズムの在り方もあるんだなと実感した次第です。
ですから、今、有事法制とかあるいは北朝鮮に関連した議論が国会の場でも行われていると思いますけれども、そういう議論がこういう日本のナショナリズムというような狭隘なナショナリズムがベースになって行われているとしたら大きな危惧を感じざるを得ないということを申し上げて、ちょっと言葉足らずでしたけれども、発言を終わらせてもらいます。
どうもありがとうございました。
この発言だけを見る →私の意見なんですけれども、レジュメがお手元に配られているかと思いますので、レジュメに沿って話をしたいと思いますので、よければごらんください。
レジュメですけれども、大きく三つのことを話したいと思っています。
一つは、一つ一番初めに話したいことは、私は、基本的には日米安保の体制に対して、それが今与えている、日本の安全保障に寄与しているということは認めるんですけれども、長期的には懐疑的な立場です。と同時に、じゃ、どういう日本の安全保障の在り方が長期的に望ましいのかということを、ちょっと抽象的な話になってしまうかもしれませんけれども、意見を述べたいと思います。
二つ目に、イラク戦争の後の国連の役割、それから、その国連と日本が今後どういう関係を結んでいくかということについても自分の考えを述べたいと思います。
最後に、時間があったら、この三月に一か月、アイルランドに行ってきまして、向こうのナショナリズムとか、その歴史に接する機会がありましたもので、そのことについて若干、日本のナショナリズムと比較の中でお話しできたらと思っています。
基本的には、一番と二番を中心に述べたいと思っています。
早速、一番なんですけれども、日米安保が日本の安全保障に寄与しているという議論は、もちろん国民の世論もあるし、一定程度説得力はあるかもしれないと思っています。ただ、イラク戦争が終わった後で、じゃ、この日米同盟の在り方を今後どうやってするのかということに関しては懐疑的な立場に立っています。
簡単に理由を述べますと、一つはアメリカの単独行動主義と言われる、イラク戦争で顕著に見られた動きですけれども、これにずっと心中的に付いていくということが多くの犠牲を伴うものだと思っています。
一つは、国連中心主義的な外交とアジアの一員ということが長らく建前的には日本の外交の立場だったと聞いておりますけれども、一つは、国連を全く無視するアメリカに付いていくということは、国連中心主義ということとは矛盾せざるを得ないわけです。
もう一つは、アジアの一員として世界にその立場や利益を代表していくということも不可能にすると思います。今度、サミットに中国が参加するということがありましたけれども、それも、日本だとアジアの声が代弁できないという批判の一つの表れだというふうに解釈しています。
もう一つは、日米安保一辺倒による日本の安全保障が本当に現実的なのかということについても疑問があるわけです。アジアの問題については、それはアジアの国同士で解決するという問題もありますし、アメリカの国益と全く関係しないという部分もありますので、そういうところで主体的な外交で解決しなくちゃならない部分があるんじゃないかと思っています。
もう一つは、今言われている北朝鮮に関する問題です。自分自身の問題意識としては、北朝鮮の問題が戦争になるということは、これは日本でも韓国でも中国でもどうしても避けなきゃいけない事態だという真剣な問題意識を持っています。
そこで、例えば日本と韓国の対応とアメリカの対応の余りの違いや温度差というものが報道されていますので、そこでも、この北朝鮮有事といったことに関しても決して現実的な同盟じゃないだろうという側面があるんではないかというふうに思っています。
自分が言いたいことの一番大きなのは、レジュメの一のスモールな数字の四番ですけれども、もちろん一時的には日米同盟が日本の安全保障に寄与しているということは分かるんですけれども、ただ、それが長期的にはどうなのかということを考えているわけです。
それはどういうことかというと、本来、例えばアジアの国、例えば日本や韓国や中国といったアジアの国同士でそれぞれの国の安全保障を考えるとか、地域的に連携して考えるとか、そういう外交的な努力を東アジアのアメリカ軍のプレゼンスが結果的に遅らせている側面があるんじゃないかということです。つまり、そういう努力をしなくても安全保障が、目の前の安全保障だけは保たれるということですね。ただ、それは、目の前の安全保障はあっても、長期的な安全保障にならないんじゃないかということです。長期的な安全保障は地域的な国々の努力自体によってしか生まれないんじゃないかということです。
じゃ、そう考えると、例えば日米安保、もし、ある状態でも、ない状態でもいいんですけれども、アジアの国の独自の安全保障ということを考える場合には、やっぱりその国同士の主体的な努力が必要だと思っています。
例えば、ここから先はまだまだ抽象的な議論になるかと思いますけれども、ただ、アジアの諸国の間で、例えば日本や韓国や中国それから台湾といった地域も含めて考える場合、多国間の平和条約とかあるいは経済的な機構を作るということは一つ考えられると思います。今の段階では、そういう、それを達成するような現実的な条件はなかなか見いだせないかと思いますけれども、ただ、この考えは歴史的にも昔からあるもので、今でも日本の学者の方、例えば東北アジア共同の家の構想とかいうことを述べられる政治学者の方もおられます。ですから、決してとっぴな発想ではないということが、一つ申し上げたいと思います。
例えば、歴史的に見ましても、中国や韓国の方から日本にそういう言わば地域的な独自の平和なり経済の構想を立てようという呼び掛けは過去にもあったわけです。例えば、中国で言えば孫文とか、あるいは韓国の安重根という、日本では評判の悪い人ですけれども、あの人なんかも東アジアの平和構想を真剣に考えた論文があるはずです。ですから、歴史的に見てもとっぴなことではないということです。
もう一つ申し上げたいのは、例えば東アジアにおける平和条約網、あるいは何らかの平和機構、友好機構を作るということに関して、例えば共通の価値がないとか、経済体制も異なる国で果たしてできるのかという疑念はよく聞かれます。
確かに、考えてみると、日本と韓国は非常に近い市場経済と政治的な民主主義も達成している。ただ、北朝鮮や中国に関しては、経済体制も違えば政治体制も違うし、それから人権に対する考え方も大きな隔たりがあるということは認めざるを得ないと思います。
では、しかし、同時に、そういうことが友好善隣関係の国際的な機構あるいは条約、非常にバイラテラルな条約網を作るということが果たしてそれでできないかといったら、そうではないと思うわけです。
例えば、一つ例として挙げたいのはASEANの例なんですけれども、ASEANの中は、それこそ歴史的には、反共国家もあれば中立国家もあれば内政がやや混乱している国家もあって、到底共通の価値観とか人権意識の中でもコンセンサスは得られていない地域連合だと思いますけれども、ただ、それがASEANの歴史を見ると、非常に友好的に実効性を持って機能しているということが一つ挙げられると思います。
ですから、必ずしも共通の価値観や人権意識を持っていない、あるいは文化が違うとか、いろいろな理由がありますけれども、そういうことで友好善隣の地域機構を作ることはできないというわけにはならないと思います。何よりも、主体的にそういう地域的な平和機構あるいは友好機構を作るというその過程自体が、相互の信頼やあるいは共通認識が生まれていく過程になるというふうに考えています。
ですから、長期的に見れば、東アジアの平和機構なり、あるいはASEANのような地域機構を作るということが正にリアリティー、一番現実的のある日本の安全保障の在り方じゃないかというふうに思っています。
以上が一番です。
次に、二番なんですが、日本と国際連合の関係についてです。
もし、例えば日米安保を維持するかしないかにかかわらず、日本の安全保障若しくは日本外交の軸足を国連に置いていくということは、一つ、イラク戦争の後の至急な課題として求められることだと思います。
どうしてそう考えるかというと、イラク戦争で果たした国連の役割ということで、一般的には国際連合がうまく機能しなかった若しくは国連の権威が地に落ちたという報道もあります。それは、アメリカが既成事実的に国連の承認なしに戦争を起こしたからそういう報道がありますけれども、自分自身の考えとしては、それだけではないと思っているわけです。
というのも、戦争自体は、イラク戦争自体は国連の承認なしに行われましたけれども、その開戦前の数週間にわたって国連安保理の場で激しい外交的なせめぎ合いが続いていましたよね、つまり国連の決議をめぐってですけれども。そのことが示している国連の意義ということがあると思うんです。
つまり、今回のイラク戦争の開戦前の国連安保理の場の外交的なせめぎ合いで明らかになったことの一つに、つまり国連の決議のない戦争、若しくは国連の決議、承認のない武力行使は違法だということは、これは国際的にはっきり認められたわけだと思います。そのことは、アメリカ政府自身が最後まで国連安保理の場で、つまり国連決議を取るための多数派工作をしていたわけですよね。ですから、アメリカ自身の動きによってもそのことは明らかだと思います。
つまり、それは世界的にもはっきり認められたし、つまり国際の場で、国連決議のない若しくは国連の承認のない武力行使は違法なんだということは、一つの共通認識として、一つの到達点だというふうに思っています。これは、イラク戦争に特徴的なことだと思います。
従来から国際政治の場というのは、力が正義だとか、いわゆるホッブス的な世界とか言われておりますよね。例えば、既成事実的な力の行使が正当性を生み出したり、既成事実的にどこかの国に侵攻することがそこに駐留する正当性を生み出したりとか、正に力によって正義が生み出されてきた、あるいは正当性が生み出されてきた場所だったと思いますけれども、今回のイラク戦争で明らかになったのは、イラク戦争は、既成事実的な戦争はあったけれども、それと正義とかあるいは正当性の問題は別問題だという認識が達成されたところだと思います。ですから、力は力であるけれども、正当性はまた別にあるんだということ、これが認識されただけでも大きな成果じゃなかったかと思います。
と同時に、今回のイラク戦争でいろんな国連の限界が見えてきたのも事実です。ですから、もっと実効性のある組織にするとか、あるいは国連の内部をもっと民主化するとかという課題は大きく残ったと思いますけれども、そこはひとつ、今後の国連の可能性として、つまり武力行使を正当化する機関は国際の場では国連しかないということを、その可能性を重視して、そこに、それを育てる立場に立つべきだというふうに考えています。
そういった国連と日本との関係ですけれども、日米安保があるなしにかかわらず、国連中心の外交をするということは日本の安全保障にとっても重要な面だと思います。ただ、日米安保と違って、国連中心ということがすぐ日本の安全保障に寄与するとは言えないと思います。そこは現実的に考える必要があると思うんですが、少なくとも、アメリカの単独行動主義にずっと付いていくというよりも、国連中心のより法規的な、法を媒介にした、あるいは中立的な、国際的にも正当性を持った外交の要求をしていくということは日本の安全保障にとっても重要なことだと思います。
最後になりますけれども、国連と日本との間の相違点が幾つかございます。
日本国憲法は国連憲章と非常に大きな類似性があると思っています。ただ、紛争の最終的な解決ということに関してはやっぱり大きな隔たりがあるわけです。それについてどういう立場を日本が取るのかということは、国連の中心に軸足を置いた場合に問われることだと思います。
ただ、例えば人権問題や、特に人権問題だと思いますけれども、そういうことで国連が妥当で正当な武力行使をするということは論理的にはあり得ると思います。その場合に日本がどうするかということに関してですけれども、日本はやっぱり憲法九条を持っているということ、それから、国際連合の活動はその国の特殊な条件に応じて、その条件に応じた働きぶりを求められるということが前提です。ですから、そういう場合は、日本の憲法九条が世界的にも普遍性を持っていると、それから同時に、国連憲章とも共通した精神なんだということを国際の場で理解してもらう、それしかひとつ道がないだろうと思っています。
つまり、そういう側面からも日本が国連の場でイニシアチブを取って活躍できる国になるんじゃないかというふうに思っています。
最後に三番の、今、政治家の人たちに言いたいことということですけれども、この三月にアイルランドに行ってきまして、いろいろアイルランドのナショナリズムについて、若しくはその歴史について触れる機会があったんですけれども、日本のナショナリズムと大きく違って、大国イギリスに対してちゃんと自分たちの文化的な独自性の尊重とか、あるいは生活の改善を歴史を通じて言ってきたわけです。その中でナショナリズムが育ってきた。だから、アイルランドのナショナリズムというのは、ある種正統性を持っているわけです。下から突き上げられるようなナショナリズムで、全く日本のとは違う印象を持ちました。
日本のはどうかというと、どうも、いつもいつも中国とかあるいは朝鮮とかに向かって、つまり何か弱い者いじめのナショナリズムのような、そういう狭隘さがどうしてもイメージとして付きまとうもので、それとは全く違うナショナリズムの在り方もあるんだなと実感した次第です。
ですから、今、有事法制とかあるいは北朝鮮に関連した議論が国会の場でも行われていると思いますけれども、そういう議論がこういう日本のナショナリズムというような狭隘なナショナリズムがベースになって行われているとしたら大きな危惧を感じざるを得ないということを申し上げて、ちょっと言葉足らずでしたけれども、発言を終わらせてもらいます。
どうもありがとうございました。
野
北
北川善英#4
○公述人(北川善英君) 北川でございます。本日は、貴重な機会を与えていただきまして、感謝申し上げます。
早速、三つの意見の要旨のうちの第一番目、国際社会における平和主義の歴史というところから話をさせていただきます。
まず、十九世紀までの国際法においては無差別戦争観が採用されていました。そこでは、戦争の原因についても、戦争の決定あるいは開始についても各主権国家の自由であったわけです。したがって、そこで専ら問題になったのは、著しく残虐な行為あるいは中立国の権利侵害だけを規制する交戦ルールの制定ということであったわけです。その意味では、戦争を一部に囲い込む、あるいは戦争の、これは括弧付きなんですが、合理化あるいは人道化というのが目指されたわけです。
このような十九世紀までの国際法においては、現在私たちが議論しているような国家の自衛権という概念は登場の余地がなかったわけです。
次に、二十世紀の国際法は、戦争の違法化、更に武力行使禁止へと大きく進みました。
周知のように、第一次大戦における大量殺りく兵器の登場、そして軍備拡大、この下で国際連盟が軍備縮小、紛争の平和的解決、集団安全保障、この三つの柱を立てて一時的な部分的な戦争の違法化に一歩を踏み出したわけです。
続く一九二八年の不戦条約では、国際紛争解決の手段として戦争を禁止すること、国家政策の手段として戦争を放棄すること、これを日本、当時の日本を含む調印国に義務付けたわけであります。ただし、この段階では、禁止される対象としての戦争は、あくまでも宣戦布告あるいは最後通牒という戦意表明があったものだけが戦争とみなされたわけです。したがって、宣戦布告もなく、最後通牒もないものは、言わば事変という形で戦争扱いはされなかったわけです。
そういう抜け道があったわけですが、他方で、ここで初めて例外的な正当化原因として自衛権概念が登場したということが注目されます。
第二次大戦後は、国連憲章が戦争という言葉を基本的には使わない、実態的な武力行使と武力による威嚇の禁止という原則を打ち出しました。例外的には二つの場合の武力行使が認められることになりました。一つは、非常に厳しい条件を付せられた下での個別的・集団的自衛権の行使です。このことは先制的な自衛権行使は認められないということを意味しております。他方で、安全保障理事会が決定した軍事的制裁、この二つであります。
いずれも、平和に対する脅威、破壊・侵略行為の存在が前提条件になっておりますが、問題となるのは侵略の定義をいかにするかであります。一九七五年の国連総会決議は、侵略の定義を攻撃と侵入という点に求めました。しかしながら、この国連総会決議は、あくまでも安保理事会の決定に対しては一つのガイドラインにとどまるという限界を持っています。
最後に、二十一世紀の国際社会と平和という問題を考える際、アフガニスタンとイラク、特にイラクに対するアメリカの攻撃というところで現代的な二十一世紀の問題は先鋭化した形で表れております。
これまでの十九世紀、二十世紀を通じての国際的な戦争と平和の流れ、ここから出てくることは、一方では先制的自衛権行使、他方で集団安全保障ということであったわけですが、アメリカの行動においては、先制的自衛権行使という点でも、一国単独行動主義という点でも、人類が二度の世界大戦に代表される膨大な犠牲の下で築き上げてきた二十世紀までの平和主義の流れにさお差すものである、むしろ十九世紀の無差別戦争観への先祖帰りであるというふうに言わざるを得ません。
他方で、膨大な戦略核、戦術核やクラスター爆弾を始めとする非人道的大量殺りく兵器を有し、かつ唯一実戦で使用してきた、そして今またイランや北朝鮮で使用している世界最強の軍事大国、それはアメリカ合衆国だけであるということです。
誤解を恐れずに申し上げますと、二十一世紀初頭の国際社会の冷厳なる現実、それはブッシュ政権こそが国際社会の平和にとって最大の脅威であるということです。人権と民主主義のためにアメリカの、正確にはブッシュ政権の武力行使が必要であるという議論もありますが、しかしそれは冷戦下に存在した社会主義陣営は平和的であり、資本主義陣営は侵略的であるというドグマの裏返しでしかないと言えます。
ところで、アメリカによるイラク先制攻撃は日米安保条約の観点からも問題があります。私自身は日米安保条約に対しては否定的な立場でありますが、日米安保条約を前提とした場合にさえ大きな問題をはらんでいます。
すなわち、日米安保条約の第一条は、平和的手段による国際紛争の解決、領土保全、政治的独立に対する武力行使の禁止、国際連合の目的と両立しない方法を慎むという国連憲章の規定を当事国である日本とアメリカ合衆国に対して義務付けています。このような日米安保条約の観点から申し上げましても、日米同盟関係の維持、そして国連中心主義というのは必ずしも両立できないものではなかった。すなわち、小泉首相のアメリカに対する支持表明は、必ずしも日米安保同盟という観点からいっても唯一の選択肢ではなかった、むしろ避けるべき選択肢ではなかったかと思われます。
さて、今回のイラク攻撃をめぐるヨーロッパ大陸諸国とアメリカ合衆国との間の対立は、ヨーロッパ諸国の政府首脳レベルを超えた市民の平和主義の表れという点で、また新たな平和主義の動向といった点で画期的なものです。
すなわち、戦後ヨーロッパでは、平和主義という言葉にはナチス・ヒトラーの侵略を許した腰抜けという消極的なニュアンスが与えられてきました。しかしながら、一九九九年のNATO軍、米軍も含みますが、NATO軍による旧ユーゴ空爆を機会として、平和主義には非軍事的な人道的介入という積極的なニュアンスが与えられつつあります。これは特にヨーロッパの国際法学者あるいはヨーロッパを中心とする国際的なNGO、例えば国境なき医師団など、こうしたところでコンセンサスを得つつある、そういう動向であります。
このような動向は、二十世紀までの国際社会における平和主義の流れと、旧ユーゴ空爆の結果という現実とを踏まえた二十一世紀の国際社会における平和主義の新たな動向であると言えます。それは次に述べます日本国憲法の平和主義に相通ずるものであると言えます。
次に、二番目の柱に移らせていただきます。
日本国憲法の平和主義の理解については、本調査会第六回会議の上田勝美、渡辺治両参考人の見解と私の見解、ほぼ同じくしています。ここでは、お二人の参考人の見解の中で触れられなかった点について述べさせていただきます。
それは、憲法前文で述べられている平和的生存権が持つ意味ということです。
第一に、平和的生存権の持つ意味は、国家の安全と市民の安全と自由とを峻別したというところにあります。すなわち、人類の歴史は両者の不一致を表しています。むしろ、前者が後者を犠牲にしてきた。言い換えますと、武力は国家の安全にとって有効であっても、それを構成する市民の安全にとっては必ずしも有効ではなかったということを表しています。それは沖縄戦という私たちの経験でも言えます。また、現にアフガニスタン、パレスチナ、イラクなどで起きている現象は正にそのことを指し示しています。
このことを自衛隊の陸幕の幹部、これは朝日新聞で引用されていますが、端的に表現されています。すなわち、自衛隊の任務は国家を守ることだ、それが国民の生命や財産の安全につながる、自衛隊は国民を守るためにあると考えるのは間違っている。正に軍隊というのは、正にそれを組織した抽象的な人工物としての国家を守ることはできても、個々の市民の安全を守ることは必ずしも任務としていない、こういう言い方をしています。
第二に、このような国家の安全と市民の安全との峻別ということは、日本国憲法全体の構造を非軍事的構造として成立させました。すなわち、戦争放棄、武力不保持、交戦権否認、このように国家の軍事作用を憲法から一切排除することによって市民の安全を確保している、確保しようとしているということが言えます。言い換えれば、非軍事的、平和的手段による市民の安全の確保が国家の義務であるとしていることです。
第三に、これは最も現在において重要なポイントであるわけですが、人類普遍の価値、理念の憲法化ということです。
すなわち、殺すな殺されるなということは人間が人間社会を作るに当たっての最初にして最大の基本的な価値であり理念であります。そのような理念を国内政治だけではなく国際関係においても適用しようとした、そのような国が我々の国の形である、そのように明示したものであると考えます。
別な言い方をしますと、我々は果たして子供や若者に対して人を殺すなと責任と自信を持って言えるであろうかということです。国内では犯罪である、しかしながら国外では、国際関係では殺人は許される、そのようなダブルスタンダードで果たして子供や若者に人を殺すなと言えるであろうかということであります。
この点に関連しまして非常に参考にすべき材料があります。すなわち、欧米の研究では日本の若者の殺人犯罪率は極めて低いということが話題になっております。すなわち、五分の一から八分の一の発生率です。この原因として、アメリカの研究者は日本国憲法の平和主義と戦争への不参加による心理的影響というものに注目しております。
このように、私たちは半世紀以上一人の戦死者も出してこなかった。そのような九条を維持してきたことにやはり自信と誇りを世界に対して持つべきではないであろうかということであります。
最後に、三番目の柱に移りますが、二十一世紀の我が国の平和主義と安全保障。
ここで申し上げたいのは、第一に日本の地政学上の位置とそこから来る現実的脅威の可能性です。
中国、ロシアという核保有大国があり、他方で核保有を断念した韓国、台湾、そして世界最大の軍事大国の精鋭部隊を日本、韓国に駐留させるアメリカ、このような地政学的な状況の下で現実的な脅威というのは、極めてせっぱ詰まった暴発以外にはあり得ないだろう、あるいはミサイル、爆撃機による威嚇しか存在しないだろうということです。しかも、そのような威嚇あるいはせっぱ詰まった暴発というのは、アメリカの戦争シナリオの発動におびえた形で行われる確率は極めて高いということであります。
そうしますと、第二で言えることは、最も現実の可能性として高い脅威というのは、アメリカの戦争シナリオの実施、そこに日本が関与していく、それによって日本の有事が生まれる、このようなものが恐らく唯一であろうということであります。すなわち、日米安保同盟、周辺事態法、テロ対策特別措置法による自衛隊の兵たん支援活動が、武力攻撃事態法案が定める武力攻撃予測事態、そして武力攻撃事態と連動することによって日本の有事は生まれるのではないのかということです。
最後に、そのような日本の地政学上の位置、現実のあり得る脅威、その下で日本は何をなすべきか。基本的には、世界の大多数の人々が普通に生き、生を終えるということを至上価値とする点から、大国中心の武力による平和ではなく、武力によらない平和、大国の独走に歯止めを掛ける平和構想、それが目下の急務ではないでしょうか。
以上で終わらせていただきます。
この発言だけを見る →早速、三つの意見の要旨のうちの第一番目、国際社会における平和主義の歴史というところから話をさせていただきます。
まず、十九世紀までの国際法においては無差別戦争観が採用されていました。そこでは、戦争の原因についても、戦争の決定あるいは開始についても各主権国家の自由であったわけです。したがって、そこで専ら問題になったのは、著しく残虐な行為あるいは中立国の権利侵害だけを規制する交戦ルールの制定ということであったわけです。その意味では、戦争を一部に囲い込む、あるいは戦争の、これは括弧付きなんですが、合理化あるいは人道化というのが目指されたわけです。
このような十九世紀までの国際法においては、現在私たちが議論しているような国家の自衛権という概念は登場の余地がなかったわけです。
次に、二十世紀の国際法は、戦争の違法化、更に武力行使禁止へと大きく進みました。
周知のように、第一次大戦における大量殺りく兵器の登場、そして軍備拡大、この下で国際連盟が軍備縮小、紛争の平和的解決、集団安全保障、この三つの柱を立てて一時的な部分的な戦争の違法化に一歩を踏み出したわけです。
続く一九二八年の不戦条約では、国際紛争解決の手段として戦争を禁止すること、国家政策の手段として戦争を放棄すること、これを日本、当時の日本を含む調印国に義務付けたわけであります。ただし、この段階では、禁止される対象としての戦争は、あくまでも宣戦布告あるいは最後通牒という戦意表明があったものだけが戦争とみなされたわけです。したがって、宣戦布告もなく、最後通牒もないものは、言わば事変という形で戦争扱いはされなかったわけです。
そういう抜け道があったわけですが、他方で、ここで初めて例外的な正当化原因として自衛権概念が登場したということが注目されます。
第二次大戦後は、国連憲章が戦争という言葉を基本的には使わない、実態的な武力行使と武力による威嚇の禁止という原則を打ち出しました。例外的には二つの場合の武力行使が認められることになりました。一つは、非常に厳しい条件を付せられた下での個別的・集団的自衛権の行使です。このことは先制的な自衛権行使は認められないということを意味しております。他方で、安全保障理事会が決定した軍事的制裁、この二つであります。
いずれも、平和に対する脅威、破壊・侵略行為の存在が前提条件になっておりますが、問題となるのは侵略の定義をいかにするかであります。一九七五年の国連総会決議は、侵略の定義を攻撃と侵入という点に求めました。しかしながら、この国連総会決議は、あくまでも安保理事会の決定に対しては一つのガイドラインにとどまるという限界を持っています。
最後に、二十一世紀の国際社会と平和という問題を考える際、アフガニスタンとイラク、特にイラクに対するアメリカの攻撃というところで現代的な二十一世紀の問題は先鋭化した形で表れております。
これまでの十九世紀、二十世紀を通じての国際的な戦争と平和の流れ、ここから出てくることは、一方では先制的自衛権行使、他方で集団安全保障ということであったわけですが、アメリカの行動においては、先制的自衛権行使という点でも、一国単独行動主義という点でも、人類が二度の世界大戦に代表される膨大な犠牲の下で築き上げてきた二十世紀までの平和主義の流れにさお差すものである、むしろ十九世紀の無差別戦争観への先祖帰りであるというふうに言わざるを得ません。
他方で、膨大な戦略核、戦術核やクラスター爆弾を始めとする非人道的大量殺りく兵器を有し、かつ唯一実戦で使用してきた、そして今またイランや北朝鮮で使用している世界最強の軍事大国、それはアメリカ合衆国だけであるということです。
誤解を恐れずに申し上げますと、二十一世紀初頭の国際社会の冷厳なる現実、それはブッシュ政権こそが国際社会の平和にとって最大の脅威であるということです。人権と民主主義のためにアメリカの、正確にはブッシュ政権の武力行使が必要であるという議論もありますが、しかしそれは冷戦下に存在した社会主義陣営は平和的であり、資本主義陣営は侵略的であるというドグマの裏返しでしかないと言えます。
ところで、アメリカによるイラク先制攻撃は日米安保条約の観点からも問題があります。私自身は日米安保条約に対しては否定的な立場でありますが、日米安保条約を前提とした場合にさえ大きな問題をはらんでいます。
すなわち、日米安保条約の第一条は、平和的手段による国際紛争の解決、領土保全、政治的独立に対する武力行使の禁止、国際連合の目的と両立しない方法を慎むという国連憲章の規定を当事国である日本とアメリカ合衆国に対して義務付けています。このような日米安保条約の観点から申し上げましても、日米同盟関係の維持、そして国連中心主義というのは必ずしも両立できないものではなかった。すなわち、小泉首相のアメリカに対する支持表明は、必ずしも日米安保同盟という観点からいっても唯一の選択肢ではなかった、むしろ避けるべき選択肢ではなかったかと思われます。
さて、今回のイラク攻撃をめぐるヨーロッパ大陸諸国とアメリカ合衆国との間の対立は、ヨーロッパ諸国の政府首脳レベルを超えた市民の平和主義の表れという点で、また新たな平和主義の動向といった点で画期的なものです。
すなわち、戦後ヨーロッパでは、平和主義という言葉にはナチス・ヒトラーの侵略を許した腰抜けという消極的なニュアンスが与えられてきました。しかしながら、一九九九年のNATO軍、米軍も含みますが、NATO軍による旧ユーゴ空爆を機会として、平和主義には非軍事的な人道的介入という積極的なニュアンスが与えられつつあります。これは特にヨーロッパの国際法学者あるいはヨーロッパを中心とする国際的なNGO、例えば国境なき医師団など、こうしたところでコンセンサスを得つつある、そういう動向であります。
このような動向は、二十世紀までの国際社会における平和主義の流れと、旧ユーゴ空爆の結果という現実とを踏まえた二十一世紀の国際社会における平和主義の新たな動向であると言えます。それは次に述べます日本国憲法の平和主義に相通ずるものであると言えます。
次に、二番目の柱に移らせていただきます。
日本国憲法の平和主義の理解については、本調査会第六回会議の上田勝美、渡辺治両参考人の見解と私の見解、ほぼ同じくしています。ここでは、お二人の参考人の見解の中で触れられなかった点について述べさせていただきます。
それは、憲法前文で述べられている平和的生存権が持つ意味ということです。
第一に、平和的生存権の持つ意味は、国家の安全と市民の安全と自由とを峻別したというところにあります。すなわち、人類の歴史は両者の不一致を表しています。むしろ、前者が後者を犠牲にしてきた。言い換えますと、武力は国家の安全にとって有効であっても、それを構成する市民の安全にとっては必ずしも有効ではなかったということを表しています。それは沖縄戦という私たちの経験でも言えます。また、現にアフガニスタン、パレスチナ、イラクなどで起きている現象は正にそのことを指し示しています。
このことを自衛隊の陸幕の幹部、これは朝日新聞で引用されていますが、端的に表現されています。すなわち、自衛隊の任務は国家を守ることだ、それが国民の生命や財産の安全につながる、自衛隊は国民を守るためにあると考えるのは間違っている。正に軍隊というのは、正にそれを組織した抽象的な人工物としての国家を守ることはできても、個々の市民の安全を守ることは必ずしも任務としていない、こういう言い方をしています。
第二に、このような国家の安全と市民の安全との峻別ということは、日本国憲法全体の構造を非軍事的構造として成立させました。すなわち、戦争放棄、武力不保持、交戦権否認、このように国家の軍事作用を憲法から一切排除することによって市民の安全を確保している、確保しようとしているということが言えます。言い換えれば、非軍事的、平和的手段による市民の安全の確保が国家の義務であるとしていることです。
第三に、これは最も現在において重要なポイントであるわけですが、人類普遍の価値、理念の憲法化ということです。
すなわち、殺すな殺されるなということは人間が人間社会を作るに当たっての最初にして最大の基本的な価値であり理念であります。そのような理念を国内政治だけではなく国際関係においても適用しようとした、そのような国が我々の国の形である、そのように明示したものであると考えます。
別な言い方をしますと、我々は果たして子供や若者に対して人を殺すなと責任と自信を持って言えるであろうかということです。国内では犯罪である、しかしながら国外では、国際関係では殺人は許される、そのようなダブルスタンダードで果たして子供や若者に人を殺すなと言えるであろうかということであります。
この点に関連しまして非常に参考にすべき材料があります。すなわち、欧米の研究では日本の若者の殺人犯罪率は極めて低いということが話題になっております。すなわち、五分の一から八分の一の発生率です。この原因として、アメリカの研究者は日本国憲法の平和主義と戦争への不参加による心理的影響というものに注目しております。
このように、私たちは半世紀以上一人の戦死者も出してこなかった。そのような九条を維持してきたことにやはり自信と誇りを世界に対して持つべきではないであろうかということであります。
最後に、三番目の柱に移りますが、二十一世紀の我が国の平和主義と安全保障。
ここで申し上げたいのは、第一に日本の地政学上の位置とそこから来る現実的脅威の可能性です。
中国、ロシアという核保有大国があり、他方で核保有を断念した韓国、台湾、そして世界最大の軍事大国の精鋭部隊を日本、韓国に駐留させるアメリカ、このような地政学的な状況の下で現実的な脅威というのは、極めてせっぱ詰まった暴発以外にはあり得ないだろう、あるいはミサイル、爆撃機による威嚇しか存在しないだろうということです。しかも、そのような威嚇あるいはせっぱ詰まった暴発というのは、アメリカの戦争シナリオの発動におびえた形で行われる確率は極めて高いということであります。
そうしますと、第二で言えることは、最も現実の可能性として高い脅威というのは、アメリカの戦争シナリオの実施、そこに日本が関与していく、それによって日本の有事が生まれる、このようなものが恐らく唯一であろうということであります。すなわち、日米安保同盟、周辺事態法、テロ対策特別措置法による自衛隊の兵たん支援活動が、武力攻撃事態法案が定める武力攻撃予測事態、そして武力攻撃事態と連動することによって日本の有事は生まれるのではないのかということです。
最後に、そのような日本の地政学上の位置、現実のあり得る脅威、その下で日本は何をなすべきか。基本的には、世界の大多数の人々が普通に生き、生を終えるということを至上価値とする点から、大国中心の武力による平和ではなく、武力によらない平和、大国の独走に歯止めを掛ける平和構想、それが目下の急務ではないでしょうか。
以上で終わらせていただきます。
野
林
林明夫#6
○公述人(林明夫君) おはようございます。栃木県で開倫塾という学習塾をやらせていただいております林明夫と申します。
今日は、これからの憲法を考えるということでこのような貴重な場所で発言の機会を与えていただきましてありがとうございました。心から感謝申し上げます。
私の主張は二つであります。安全保障を考える場合に大事なことは、国の安全保障という考え方と人間の安全保障という考え方、二つあるということを今日は皆さんに是非御理解していただきたいと思います。
国の安全保障を考える上で一番大事なことは、国家緊急権の規定が日本国憲法にありませんので、是非この規定を作っていただきたいと。それから、人間の安全保障を考える上でこれまた大事なことは、もしここにいらっしゃる参議院の先生方が憲法についてお考えになる場合に、是非、前文の中に、憲法の前文の中に人間の安全保障という最も新しい、これから五十年ぐらい、半世紀にわたって恐らく使用に堪えられるであろう安全保障の概念を入れていただきたいというふうに思いまして、この場に来させていただきました。
私は、日本国憲法に限らず、あらゆる国の基本法である憲法は憲法制定権者の時代認識を強烈に反映したものであるというふうに考えます。日本国は、憲法制定当時に恒久の平和を念願したがゆえに、軍隊も持たず、国の交戦権をも否定した形で徹底した平和主義を憲法の前文と第九条に明記をいたしました。敗戦直後の憲法制定権者の時代認識の表れとして、これは日本国民からも、それから世界の有識者の方々からも高い評価を得たことは皆さん御承知のとおりであります。しかし、憲法制定後半世紀が経過した今日、果たして前文と現在の第九条の内容でこれから半世紀の日本国の安全を担保できるか、日本国民の生命、財産、生活を守り切れるかというふうに問われれば、大半の国民が不安に陥っているのが現状ではないかというふうに思います。
今、国会では有事に関する立法が検討され、参議院でも何日か先にこれが通過するというふうな新聞報道があります。私は、国の安全保障については、国の在り方を含めて日本国憲法の中でどのように考えるべきか議論をまずは深めるべきことが先決であるというふうに考えます。憲法の中に明記すべきものは明記し、しかる後に、法令にゆだねるべきものはゆだね、法律として立法の処置を取るということが適切な手順ではないかというふうに考えます。
すなわち、私は、日本国憲法に国家緊急権の規定を明確に置き、憲法の規定の下に有事に関する立法をなすべきものというふうに考えます。なぜなら、国民の基本的人権を一時期にせよ制約せざるを得ない国家の緊急時についての立法を、たとえ国会であろうと憲法の規定なしに行うことは不適切であるというふうに考えるからであります。
さらに、もしこれからの平和や安全保障を本質のところで考えるならば、国家の安全保障を補うものとして日本国憲法の前文に人間の安全保障、ヒューマンセキュリティーの促進を明記すべきものというふうに考えます。これからの半世紀、日本国が国際社会になすべき貢献というのは、一人一人がどのような状況であっても人間として生き抜く力を身に付けること、エンパワーメントというふうに言うそうですけれども、このエンパワーメントを人間の安全保障という観点から支援することが大事であるというふうに考えるからであります。
本年の五月一日に、緒方貞子氏、それからアマルティア・セン両氏が共同議長になられ、日本国政府の強力なイニシアチブの下に人間の安全保障委員会が最終報告書を出されました。故小渕首相の遺志も相当受け継いでいるというふうにお聞きし、私も国連大学の方で小渕元首相の演説を聞いて非常に感銘を受けた覚えがあります。その最終報告書が国連に、国際連合に提出をされました。
人間の安全保障という見地から人々を守り、人々に力を付けること、プロテクティング・アンド・エンパワーリング・ピープルという、人々を守り、人々に力を付けるということを日本国の国是とし、憲法前文に明記することを提言したいというふうに思います。
前文というのは、日本の個性、日本の国際的秩序、日本の個性を生かしながら世界の国際的秩序構築に向けた主体性を持った新しいものにしなければいけないと思います。国際的な平和構築の主体的な参画者となるべき信念に基づく考え方が必要だというふうに思います。私は、日本国が今一生懸命に人間の安全保障ということを外交の基本政策の一つとして取っているのであれば、是非これを入れていただきたいというふうに思います。
私は、過去半世紀、日本国憲法が日本の平和と安全に果たした役割を高く評価するものであります。しかし、近隣諸国の軍備拡張という現実や日本国に宣戦布告に近い主権侵害行為を継続する国家の存在を目の当たりにすると、これからの半世紀、現在の日本国憲法で日本国の平和と安全保障が保障できるのかと極めて疑問に感ずる今日このごろであります。
五月の三日の日に「二十一世紀の日本と憲法」有識者懇談会、通称民間憲法臨調が開かれ、そこで北朝鮮から拉致をされた家族の代表であられる蓮池さんのお兄さんのお話を聞き、日本国民の一人として深く考えさせられました。この公聴会に出させていただいたのも、そこで蓮池さんのお兄さんのお話を聞いて、何か私もしなければというふうな思いをして出させていただいた次第であります。
是非、これからの半世紀の使用に堪えられるだけの国の基本法を目指し、日本国憲法の全面的改正を提言したいというふうに思います。
ただし、憲法改正のための国民投票法等の手続法が不備なために、実際には憲法改正は不可能となっています。日本国憲法に改正条項が存在するのに、改正のための手続法の整備を怠ることは、たとえどのような理由があろうと、憲法尊重義務に反し、憲法秩序に反するものというふうに私は考えます。立法の不作為というふうに言っても言い過ぎではないと思います。これは、公正さ、フェアネスに欠けるものであります。是非、国会においては、憲法改正手続法制を早急に整備し、憲法秩序を整合性あるものにしていただきたいというふうに思います。
憲法の担い手は、選挙で選ばれた議員の皆様だけではなく、日本国民の一人一人であるというふうに考えます。
これからの半世紀のあるべき姿、国民の生命、財産、生活を守るための平和と安全保障のあるべき姿を、国際社会の現状を直視しながら、是非直視してください、直視しながら、本音で議論をし、国の基本法である憲法秩序を考え、憲法においてこそ国家戦略的思考を持って改めるべきことは改めることが重要であるというふうに考えます。
インターネットのホームページを私も活用させていただきまして、この憲法調査会の公聴会を知りました。このように、インターネットのホームページを活用して、国や地方の議会や、国や地方の行政での意思決定過程の情報を開示し、国民からの意見を聞く仕組みを作り上げ、民主政治を促進することを私はe—デモクラシーというふうに呼びたいというふうに思います。
この参議院で、憲法調査会、このように開かれ、また衆議院の憲法調査会が開かれ、その議事録や提出資料がインターネットのホームページで次々に公開されていることも、国の基本法である日本国憲法の再検討過程、再検討プロセスの透明性を増し、国民への説明責任、アカウンタビリティーを果たす上で意義深く、e—デモクラシーの推進に役立っているというふうに思います。
野沢太三憲法調査会会長様、それからここにいらっしゃる委員の皆様始め、熱心に御議論なさっていることはよく分かります。事務局の皆様の御努力に対して、国民の一人として心からお礼を申し上げます。
私は、一九九八年に世界銀行のセミナーがありまして、たまたま私は公共部門の民営化の勉強をしに行ったんですけれども、その手前でたまたまNATOの、北大西洋条約機構の五十周年を控えてセミナーがありまして、そこに参加しました。バージニア州のノーフォークで開かれた、オールド・ドミニオン大学で開かれたセミナーに参加しましたら、そこに数多くのNATO軍の最高司令官とかNATOの参加者、NATO参加各国の責任者がいらっしゃいました。これからどのように安全保障について考えるか、熱心に議論をしていました。
日本人が行ったのは私と通信関係者の方一人だったんですけれども、そこで言われたことは、北朝鮮からミサイルが飛んできたのに、なぜ日本の人々は静かにしているのか、何十人もの方が質問を受けに来ました。非常に衝撃を受けました。
日本の国内では歴史学者とか政治学者の方々が随分いらっしゃいますけれども、戦争の歴史の研究、それから現在の軍備状況を踏まえて戦争の抑止のための研究ということをなさっている方が余りにも少ないというふうに思います。是非、これからは日本の学者の方も、それから一般市民の方も、自衛隊やアメリカ軍の視察やセミナーにもっと参加をし、実情を踏まえた議論をする必要があるというふうに思います。
それから、中国軍や韓国軍、北朝鮮軍ともどんどん交流を深めて、現実を踏まえた上でどうしたらいいか、お互いの国にとっての平和が達成できるのかについて考えることが日本にとって大事であるというふうに思います。戦争は猜疑心から生まれます。どんな国も戦争を望む国はありません。率直にお互いの立場を話し合い、認め合うことが大事だというふうに思います。
私は、国際連合教育科学文化機構、ユネスコというのがありますけれども、たまたま民間企業でもユネスコ協会ができるということで、開倫ユネスコ協会というふうなものを設立させていただきまして、その会長を務めるものでありますけれども、子供たち、それから地域の方々と一緒に、どうやったら人間の安全保障というふうなものが促進できるかということを一生懸命考えて、この六月の十七日にも人間の安全保障を考えるという、そういうふうな勉強をさしていただきたいというふうに思っています。市民の一員ですけれども、こんなことを皆さんとともに考えていきたいというふうに思っています。
それから、国の安全保障についてはどんなふうにだれが考えるかについてですけれども、是非、参議院の先生方は、お願いしたいのは、皆さんは国の、これから日本国憲法を考える上での憲法制定権者の中で一番大事な方々であります。ですから、是非御自由に議論をしていただいて、これからの日本の五十年後、百年後を考えていただいて、どうしたらいいか、日本国の安全保障をどうしたらいいか、根本のところから考えていただければ有り難いと思います。是非、御熱心な議論をしていただくことによって、日本国国民の信託にこたえていただければ有り難いと思います。
大変僣越な話をさしていただきましたけれども、私も社団法人の経済同友会の憲法問題調査会というところで一生懸命、日本国憲法をどうするか、それから日本の国のありようをどうするか、仲間たちと、仲間の経営者の方たちと一生懸命考えていますので、どうか皆さんも国の代表として熱心に御議論していただくことを期待いたしまして、ごあいさつとさしていただきます。
どうもありがとうございました。
この発言だけを見る →今日は、これからの憲法を考えるということでこのような貴重な場所で発言の機会を与えていただきましてありがとうございました。心から感謝申し上げます。
私の主張は二つであります。安全保障を考える場合に大事なことは、国の安全保障という考え方と人間の安全保障という考え方、二つあるということを今日は皆さんに是非御理解していただきたいと思います。
国の安全保障を考える上で一番大事なことは、国家緊急権の規定が日本国憲法にありませんので、是非この規定を作っていただきたいと。それから、人間の安全保障を考える上でこれまた大事なことは、もしここにいらっしゃる参議院の先生方が憲法についてお考えになる場合に、是非、前文の中に、憲法の前文の中に人間の安全保障という最も新しい、これから五十年ぐらい、半世紀にわたって恐らく使用に堪えられるであろう安全保障の概念を入れていただきたいというふうに思いまして、この場に来させていただきました。
私は、日本国憲法に限らず、あらゆる国の基本法である憲法は憲法制定権者の時代認識を強烈に反映したものであるというふうに考えます。日本国は、憲法制定当時に恒久の平和を念願したがゆえに、軍隊も持たず、国の交戦権をも否定した形で徹底した平和主義を憲法の前文と第九条に明記をいたしました。敗戦直後の憲法制定権者の時代認識の表れとして、これは日本国民からも、それから世界の有識者の方々からも高い評価を得たことは皆さん御承知のとおりであります。しかし、憲法制定後半世紀が経過した今日、果たして前文と現在の第九条の内容でこれから半世紀の日本国の安全を担保できるか、日本国民の生命、財産、生活を守り切れるかというふうに問われれば、大半の国民が不安に陥っているのが現状ではないかというふうに思います。
今、国会では有事に関する立法が検討され、参議院でも何日か先にこれが通過するというふうな新聞報道があります。私は、国の安全保障については、国の在り方を含めて日本国憲法の中でどのように考えるべきか議論をまずは深めるべきことが先決であるというふうに考えます。憲法の中に明記すべきものは明記し、しかる後に、法令にゆだねるべきものはゆだね、法律として立法の処置を取るということが適切な手順ではないかというふうに考えます。
すなわち、私は、日本国憲法に国家緊急権の規定を明確に置き、憲法の規定の下に有事に関する立法をなすべきものというふうに考えます。なぜなら、国民の基本的人権を一時期にせよ制約せざるを得ない国家の緊急時についての立法を、たとえ国会であろうと憲法の規定なしに行うことは不適切であるというふうに考えるからであります。
さらに、もしこれからの平和や安全保障を本質のところで考えるならば、国家の安全保障を補うものとして日本国憲法の前文に人間の安全保障、ヒューマンセキュリティーの促進を明記すべきものというふうに考えます。これからの半世紀、日本国が国際社会になすべき貢献というのは、一人一人がどのような状況であっても人間として生き抜く力を身に付けること、エンパワーメントというふうに言うそうですけれども、このエンパワーメントを人間の安全保障という観点から支援することが大事であるというふうに考えるからであります。
本年の五月一日に、緒方貞子氏、それからアマルティア・セン両氏が共同議長になられ、日本国政府の強力なイニシアチブの下に人間の安全保障委員会が最終報告書を出されました。故小渕首相の遺志も相当受け継いでいるというふうにお聞きし、私も国連大学の方で小渕元首相の演説を聞いて非常に感銘を受けた覚えがあります。その最終報告書が国連に、国際連合に提出をされました。
人間の安全保障という見地から人々を守り、人々に力を付けること、プロテクティング・アンド・エンパワーリング・ピープルという、人々を守り、人々に力を付けるということを日本国の国是とし、憲法前文に明記することを提言したいというふうに思います。
前文というのは、日本の個性、日本の国際的秩序、日本の個性を生かしながら世界の国際的秩序構築に向けた主体性を持った新しいものにしなければいけないと思います。国際的な平和構築の主体的な参画者となるべき信念に基づく考え方が必要だというふうに思います。私は、日本国が今一生懸命に人間の安全保障ということを外交の基本政策の一つとして取っているのであれば、是非これを入れていただきたいというふうに思います。
私は、過去半世紀、日本国憲法が日本の平和と安全に果たした役割を高く評価するものであります。しかし、近隣諸国の軍備拡張という現実や日本国に宣戦布告に近い主権侵害行為を継続する国家の存在を目の当たりにすると、これからの半世紀、現在の日本国憲法で日本国の平和と安全保障が保障できるのかと極めて疑問に感ずる今日このごろであります。
五月の三日の日に「二十一世紀の日本と憲法」有識者懇談会、通称民間憲法臨調が開かれ、そこで北朝鮮から拉致をされた家族の代表であられる蓮池さんのお兄さんのお話を聞き、日本国民の一人として深く考えさせられました。この公聴会に出させていただいたのも、そこで蓮池さんのお兄さんのお話を聞いて、何か私もしなければというふうな思いをして出させていただいた次第であります。
是非、これからの半世紀の使用に堪えられるだけの国の基本法を目指し、日本国憲法の全面的改正を提言したいというふうに思います。
ただし、憲法改正のための国民投票法等の手続法が不備なために、実際には憲法改正は不可能となっています。日本国憲法に改正条項が存在するのに、改正のための手続法の整備を怠ることは、たとえどのような理由があろうと、憲法尊重義務に反し、憲法秩序に反するものというふうに私は考えます。立法の不作為というふうに言っても言い過ぎではないと思います。これは、公正さ、フェアネスに欠けるものであります。是非、国会においては、憲法改正手続法制を早急に整備し、憲法秩序を整合性あるものにしていただきたいというふうに思います。
憲法の担い手は、選挙で選ばれた議員の皆様だけではなく、日本国民の一人一人であるというふうに考えます。
これからの半世紀のあるべき姿、国民の生命、財産、生活を守るための平和と安全保障のあるべき姿を、国際社会の現状を直視しながら、是非直視してください、直視しながら、本音で議論をし、国の基本法である憲法秩序を考え、憲法においてこそ国家戦略的思考を持って改めるべきことは改めることが重要であるというふうに考えます。
インターネットのホームページを私も活用させていただきまして、この憲法調査会の公聴会を知りました。このように、インターネットのホームページを活用して、国や地方の議会や、国や地方の行政での意思決定過程の情報を開示し、国民からの意見を聞く仕組みを作り上げ、民主政治を促進することを私はe—デモクラシーというふうに呼びたいというふうに思います。
この参議院で、憲法調査会、このように開かれ、また衆議院の憲法調査会が開かれ、その議事録や提出資料がインターネットのホームページで次々に公開されていることも、国の基本法である日本国憲法の再検討過程、再検討プロセスの透明性を増し、国民への説明責任、アカウンタビリティーを果たす上で意義深く、e—デモクラシーの推進に役立っているというふうに思います。
野沢太三憲法調査会会長様、それからここにいらっしゃる委員の皆様始め、熱心に御議論なさっていることはよく分かります。事務局の皆様の御努力に対して、国民の一人として心からお礼を申し上げます。
私は、一九九八年に世界銀行のセミナーがありまして、たまたま私は公共部門の民営化の勉強をしに行ったんですけれども、その手前でたまたまNATOの、北大西洋条約機構の五十周年を控えてセミナーがありまして、そこに参加しました。バージニア州のノーフォークで開かれた、オールド・ドミニオン大学で開かれたセミナーに参加しましたら、そこに数多くのNATO軍の最高司令官とかNATOの参加者、NATO参加各国の責任者がいらっしゃいました。これからどのように安全保障について考えるか、熱心に議論をしていました。
日本人が行ったのは私と通信関係者の方一人だったんですけれども、そこで言われたことは、北朝鮮からミサイルが飛んできたのに、なぜ日本の人々は静かにしているのか、何十人もの方が質問を受けに来ました。非常に衝撃を受けました。
日本の国内では歴史学者とか政治学者の方々が随分いらっしゃいますけれども、戦争の歴史の研究、それから現在の軍備状況を踏まえて戦争の抑止のための研究ということをなさっている方が余りにも少ないというふうに思います。是非、これからは日本の学者の方も、それから一般市民の方も、自衛隊やアメリカ軍の視察やセミナーにもっと参加をし、実情を踏まえた議論をする必要があるというふうに思います。
それから、中国軍や韓国軍、北朝鮮軍ともどんどん交流を深めて、現実を踏まえた上でどうしたらいいか、お互いの国にとっての平和が達成できるのかについて考えることが日本にとって大事であるというふうに思います。戦争は猜疑心から生まれます。どんな国も戦争を望む国はありません。率直にお互いの立場を話し合い、認め合うことが大事だというふうに思います。
私は、国際連合教育科学文化機構、ユネスコというのがありますけれども、たまたま民間企業でもユネスコ協会ができるということで、開倫ユネスコ協会というふうなものを設立させていただきまして、その会長を務めるものでありますけれども、子供たち、それから地域の方々と一緒に、どうやったら人間の安全保障というふうなものが促進できるかということを一生懸命考えて、この六月の十七日にも人間の安全保障を考えるという、そういうふうな勉強をさしていただきたいというふうに思っています。市民の一員ですけれども、こんなことを皆さんとともに考えていきたいというふうに思っています。
それから、国の安全保障についてはどんなふうにだれが考えるかについてですけれども、是非、参議院の先生方は、お願いしたいのは、皆さんは国の、これから日本国憲法を考える上での憲法制定権者の中で一番大事な方々であります。ですから、是非御自由に議論をしていただいて、これからの日本の五十年後、百年後を考えていただいて、どうしたらいいか、日本国の安全保障をどうしたらいいか、根本のところから考えていただければ有り難いと思います。是非、御熱心な議論をしていただくことによって、日本国国民の信託にこたえていただければ有り難いと思います。
大変僣越な話をさしていただきましたけれども、私も社団法人の経済同友会の憲法問題調査会というところで一生懸命、日本国憲法をどうするか、それから日本の国のありようをどうするか、仲間たちと、仲間の経営者の方たちと一生懸命考えていますので、どうか皆さんも国の代表として熱心に御議論していただくことを期待いたしまして、ごあいさつとさしていただきます。
どうもありがとうございました。
野
藤
藤井富美子#8
○公述人(藤井富美子君) おはようございます。私は、五歳と三歳の子供がいる主婦で、藤井と申します。子供を持つ立場から今回お話しさせていただきたいと思います。
このたびは公述する機会を与えていただいてどうもありがとうございます。では、早速ですけれども私見を述べさせていただきたいと思います。
憲法、日本国憲法と今次有事法制の意味するものを考えてみますと、憲法制定時は日本が侵略国家であったのであり、周りは善であるという前提で作られているように思います。ですから、敵はいないんだと、作らないんだということで今までやってきたように思います。今回、有事法制が成立する見通しみたいですけれども、これは、今までならば超法規的に政治家が戦争を選択できないシステムであったものが、政治家が戦争を決断できる体制になることを意味しているというふうに思います。私は、憲法九条は、自衛も含めてあらゆる戦争を否定してきたと、否定しているというふうに解釈してきました。戦争を政治決断できなかった今までは、自衛の範囲まで事細かに定義する必要もなかったかもしれません。しかし、あらゆる戦争が自衛の目的で行われてきたことを考えるとき、戦争をできる国になろうとしている日本にとって、現実問題として自衛の定義付けは極めて重要な意味を持っていると思います。
先日、新聞を見ますと、ミサイル攻撃を受ける場合を想定し、自衛隊が敵基地攻撃能力を持つことを検討に値すると石破防衛庁長官が国会で答弁したようですけれども、これは果たして自衛なのかということが問われるべきだと思います。
現代は国家の安全保障の時代から個の人間の安全保障が重要視される時代になったとの認識を私は持っております。私たち人間は国家を選んで生まれてくることはできません。生まれてきたところに国家があったのであって、国家があったから我々が生まれてきたわけではないわけです。とすると、生物として生きるために生まれてきたわけですから、その生きる権利はだれにも侵されてはならないものであって、たとえそれが敵対国の人間だから殺していいということで、向こうの人間、例えば小さな子供を殺すというようなことは絶対に許されないというふうに考えます。
現在、交戦時の条件として、意図せざる非戦闘員の殺傷が許容されているようですけれども、しかしながら、人間の安全保障が叫ばれる現在、これはもはや許されないというふうに考えます。攻めてこられたらそれをはね返すというのは正当な防衛権であると、これは当然の正当防衛権であるというふうに考えます。しかしながら、これが本当に正当であるためには、民間人を巻き込む誤爆というものは絶対に許されてはならないと思います。
ですから、今この九条を、二項を削除するという案が出ているようですけれども、私は憲法を改正する、その部分で改正する必要はないとは思っていますけれども、もし二項を削除して自衛戦争が認められるというふうな解釈でいくならば、相手国領土に反撃しない範囲の自衛に限定すべきであるということを憲法に明記すべきだと思います。
自衛権に関連することですけれども、自民党の憲法改正素案というのを新聞で見さしてもらいましたけれども、これは国民に国家防衛義務を課すということですけれども、これは国家は間違ったことをしないという前提に立っているように思います。間違ったことをしているか否かは各個人が判断すべきで、国家防衛義務によって、国家に不都合な情報が流されなくなるようなメディア統制や、個人の知る権利や思想や良心の自由を侵す危険が生じてくるので、私は反対です。
民主主義社会とはいえ、政治に反映されない意見を持つ少数派にまで、戦争という生死を懸けた場面で、国家が国民一人一人に国家防衛に命を懸けなさいと言う権利はないと思います。どのように生き残りを懸けるかは最終的に各個人にゆだねられるべきものであって、強制すべきものではありません。ただし、本当に正しいことをしていれば、国民は義務など課されなくても政府を支持するはずです。
集団的自衛権についてですけれども、現在の日米同盟は、日本は個別的自衛権、そして米国は集団的自衛権ということになっています。これは不平等だと。日本にとっては、アメリカに守ってもらっていて、日本はアメリカを守らない、何か悪いことをしているような負い目があるということで、同盟を確固としたものにするために集団的自衛権を行使すべきだという声があります。
しかしながら、米国は予防的先制攻撃を是とする国になっています、今。その国と集団的自衛をするということは、米国と同様の立場を取ることを意味しています。私たち国民の命も危険にさらすということになるわけです。国民を守るための安保が、国民の命を危険にさらすという本末転倒になるわけです。国防方針を異にする国との集団的自衛権は認められないと解するのが妥当であると思います。
その代わりに、極東アジア地域安全保障機構というようなものを創設して、この地域の安全保障をアジアの国々で定期的に協議する場を設けて、日本の安全保障が米国一国に左右されることがないようにしながら独自外交を持つようにしていけばいいというふうに思います。
世界の集団安全保障についてですけれども、現在の世界の状況を見ますと、国家間の対立に対して国際社会は必ず戦争を回避できるシステムを持っていません。つまり、国連は必ず助けてくれるわけではないわけです。最後は軍事力の強大な者が勝利を収めて発言力を強めるというふうになっているわけで、今回、超大国米国の独走に歯止めを掛けれず、イラク戦争を止められなかったことがそのことを物語っていると思います。これでは自国を防衛するために軍拡を進める国は後を絶たないだろうと思います。
こういった状況の下、日本も大国なんだから平和創造に尽力すべきであり、自衛隊の派遣は国際スタンダードに合わせるべきだという声があります。しかし、その前にちょっと考えてほしいわけです。この場合の平和創造は、現在の段階で米国の世界支配にくみすることを意味すると思うんです。それに対して日本も協力していくんだということになりますと、日本国民に対するテロの危険性も増してくると思われます。
そもそも自衛と平和創造というのは、自分を、自分の身を守るという点から見れば対極に立つものだと思います。自衛というのは、命を保つため、守るために行うわけであって、戦争にならなければ最善である。ところが、平和創造というのは、自らの命をわざわざ危険にさらしに行って平和を作っていくという作業をするわけです。この場合、戦争に加担する可能性も出てくるわけです。そうすると、この国防というものと平和創造というものを両立させるためには、平和創造に国益とか国籍とか、そういったものを持ち込まないことが大事だと思います。
ですから、今の、現在の世界の状況に合わせるというだけではなくて、日本は世界に積極的に提案をしていくべきであると考えます。
国連憲章五十一条が有効に機能し、安保理が国際の平和及び安全の維持に必要な措置を必ず取ることができるように、自衛の範囲を、先ほど私が言ったような、他国の領土内に攻撃しない、反撃しないという範囲で明確に定義していくこと。そして、その自衛を超えた武力攻撃事態に対しては、国益を代表しない国際警察軍というようなものが必ず派遣され、各国の独立と安全を守るというようなシステムを作ることによって、国連は必ず助けてくれるんだ、じゃ自分たちの軍備はそんなに必要ないなということで、軍備は縮小に向かうだろうと思うんです。一応この国際警察軍というのは、元首相であった石橋湛山氏が昭和四十三年に「日本防衛論」という論文で述べておられるのをちょっと拝借したわけですけれども、こういった国際警察軍というようなものができれば、それは日米安全保障条約十条にもかなうことだと思います。
安保条約十条には、この条約は、日本区域における国際の平和及び安全の維持のため十分な定めをする国際連合の措置が効力を生じたと日本政府及びアメリカ合衆国政府が認めるときまで効力を有するというふうにあります。友好国でもあり同盟国でもある米国とともに、各国が同意できる国際ルール作りに取り組んではどうかというふうに思います。
国益を代表しない国際警察軍ができれば、米国は超大国として世界ににらみを利かすことはできなくなりますけれども、浮き立たない分、米国もテロの危険性が低くなるという利益を得ることになります。
最後にちょっとまとめたいんですけれども、憲法九条は、戦争では国際紛争解決しない、有事を想定しないことで、話合いによってのみ国家間の問題を解決する方途を示し、戦後五十有余年、私たち国民を戦争から守ってきました。残念ながら、有事が想定される時代に入ってきました。有事を想定し、国民を守るというふうに言うのならば、国民全員分の核シェルターの建設であるとか、危険な原発を廃棄して新しい発電手段を構築するとか、迎撃ミサイルの配備など、いろいろ求められますが、そんな財政的余裕はないでしょうし、北朝鮮問題には間に合っていません。では、敵基地攻撃を、攻撃すればいいんだという理論が出てくるわけですけれども、誤爆のない攻撃なんてあり得ないことを思えば、正当防衛とも思えません。
私は、この九条が古いとか、理想であって現実的でないとか、そういうふうには思いません。これは将来の世界のあるべき姿を示していると思います。
私は、現在の超大国アメリカの世界の警察的な行動を否定するものではありません。現在、世界平和のための警察があるわけではないので、世界に平和を築こうとしている米国の行動は一定の評価がなされてよいと思います。しかし、米国自身の財政負担と兵士の命を懸けて行うこの警察的行動は米国自身の国益に沿ってなされるがために、必ずしも世界に正当性を示すものにはなっていません。そこに米国に対するテロが生じる遠因があるのであって、国際社会はいよいよ米国の世界警察による世界の安定というものから、もっと公正な組織による警察的行動を構築していかなければならないと思います。
以上です。ありがとうございました。
この発言だけを見る →このたびは公述する機会を与えていただいてどうもありがとうございます。では、早速ですけれども私見を述べさせていただきたいと思います。
憲法、日本国憲法と今次有事法制の意味するものを考えてみますと、憲法制定時は日本が侵略国家であったのであり、周りは善であるという前提で作られているように思います。ですから、敵はいないんだと、作らないんだということで今までやってきたように思います。今回、有事法制が成立する見通しみたいですけれども、これは、今までならば超法規的に政治家が戦争を選択できないシステムであったものが、政治家が戦争を決断できる体制になることを意味しているというふうに思います。私は、憲法九条は、自衛も含めてあらゆる戦争を否定してきたと、否定しているというふうに解釈してきました。戦争を政治決断できなかった今までは、自衛の範囲まで事細かに定義する必要もなかったかもしれません。しかし、あらゆる戦争が自衛の目的で行われてきたことを考えるとき、戦争をできる国になろうとしている日本にとって、現実問題として自衛の定義付けは極めて重要な意味を持っていると思います。
先日、新聞を見ますと、ミサイル攻撃を受ける場合を想定し、自衛隊が敵基地攻撃能力を持つことを検討に値すると石破防衛庁長官が国会で答弁したようですけれども、これは果たして自衛なのかということが問われるべきだと思います。
現代は国家の安全保障の時代から個の人間の安全保障が重要視される時代になったとの認識を私は持っております。私たち人間は国家を選んで生まれてくることはできません。生まれてきたところに国家があったのであって、国家があったから我々が生まれてきたわけではないわけです。とすると、生物として生きるために生まれてきたわけですから、その生きる権利はだれにも侵されてはならないものであって、たとえそれが敵対国の人間だから殺していいということで、向こうの人間、例えば小さな子供を殺すというようなことは絶対に許されないというふうに考えます。
現在、交戦時の条件として、意図せざる非戦闘員の殺傷が許容されているようですけれども、しかしながら、人間の安全保障が叫ばれる現在、これはもはや許されないというふうに考えます。攻めてこられたらそれをはね返すというのは正当な防衛権であると、これは当然の正当防衛権であるというふうに考えます。しかしながら、これが本当に正当であるためには、民間人を巻き込む誤爆というものは絶対に許されてはならないと思います。
ですから、今この九条を、二項を削除するという案が出ているようですけれども、私は憲法を改正する、その部分で改正する必要はないとは思っていますけれども、もし二項を削除して自衛戦争が認められるというふうな解釈でいくならば、相手国領土に反撃しない範囲の自衛に限定すべきであるということを憲法に明記すべきだと思います。
自衛権に関連することですけれども、自民党の憲法改正素案というのを新聞で見さしてもらいましたけれども、これは国民に国家防衛義務を課すということですけれども、これは国家は間違ったことをしないという前提に立っているように思います。間違ったことをしているか否かは各個人が判断すべきで、国家防衛義務によって、国家に不都合な情報が流されなくなるようなメディア統制や、個人の知る権利や思想や良心の自由を侵す危険が生じてくるので、私は反対です。
民主主義社会とはいえ、政治に反映されない意見を持つ少数派にまで、戦争という生死を懸けた場面で、国家が国民一人一人に国家防衛に命を懸けなさいと言う権利はないと思います。どのように生き残りを懸けるかは最終的に各個人にゆだねられるべきものであって、強制すべきものではありません。ただし、本当に正しいことをしていれば、国民は義務など課されなくても政府を支持するはずです。
集団的自衛権についてですけれども、現在の日米同盟は、日本は個別的自衛権、そして米国は集団的自衛権ということになっています。これは不平等だと。日本にとっては、アメリカに守ってもらっていて、日本はアメリカを守らない、何か悪いことをしているような負い目があるということで、同盟を確固としたものにするために集団的自衛権を行使すべきだという声があります。
しかしながら、米国は予防的先制攻撃を是とする国になっています、今。その国と集団的自衛をするということは、米国と同様の立場を取ることを意味しています。私たち国民の命も危険にさらすということになるわけです。国民を守るための安保が、国民の命を危険にさらすという本末転倒になるわけです。国防方針を異にする国との集団的自衛権は認められないと解するのが妥当であると思います。
その代わりに、極東アジア地域安全保障機構というようなものを創設して、この地域の安全保障をアジアの国々で定期的に協議する場を設けて、日本の安全保障が米国一国に左右されることがないようにしながら独自外交を持つようにしていけばいいというふうに思います。
世界の集団安全保障についてですけれども、現在の世界の状況を見ますと、国家間の対立に対して国際社会は必ず戦争を回避できるシステムを持っていません。つまり、国連は必ず助けてくれるわけではないわけです。最後は軍事力の強大な者が勝利を収めて発言力を強めるというふうになっているわけで、今回、超大国米国の独走に歯止めを掛けれず、イラク戦争を止められなかったことがそのことを物語っていると思います。これでは自国を防衛するために軍拡を進める国は後を絶たないだろうと思います。
こういった状況の下、日本も大国なんだから平和創造に尽力すべきであり、自衛隊の派遣は国際スタンダードに合わせるべきだという声があります。しかし、その前にちょっと考えてほしいわけです。この場合の平和創造は、現在の段階で米国の世界支配にくみすることを意味すると思うんです。それに対して日本も協力していくんだということになりますと、日本国民に対するテロの危険性も増してくると思われます。
そもそも自衛と平和創造というのは、自分を、自分の身を守るという点から見れば対極に立つものだと思います。自衛というのは、命を保つため、守るために行うわけであって、戦争にならなければ最善である。ところが、平和創造というのは、自らの命をわざわざ危険にさらしに行って平和を作っていくという作業をするわけです。この場合、戦争に加担する可能性も出てくるわけです。そうすると、この国防というものと平和創造というものを両立させるためには、平和創造に国益とか国籍とか、そういったものを持ち込まないことが大事だと思います。
ですから、今の、現在の世界の状況に合わせるというだけではなくて、日本は世界に積極的に提案をしていくべきであると考えます。
国連憲章五十一条が有効に機能し、安保理が国際の平和及び安全の維持に必要な措置を必ず取ることができるように、自衛の範囲を、先ほど私が言ったような、他国の領土内に攻撃しない、反撃しないという範囲で明確に定義していくこと。そして、その自衛を超えた武力攻撃事態に対しては、国益を代表しない国際警察軍というようなものが必ず派遣され、各国の独立と安全を守るというようなシステムを作ることによって、国連は必ず助けてくれるんだ、じゃ自分たちの軍備はそんなに必要ないなということで、軍備は縮小に向かうだろうと思うんです。一応この国際警察軍というのは、元首相であった石橋湛山氏が昭和四十三年に「日本防衛論」という論文で述べておられるのをちょっと拝借したわけですけれども、こういった国際警察軍というようなものができれば、それは日米安全保障条約十条にもかなうことだと思います。
安保条約十条には、この条約は、日本区域における国際の平和及び安全の維持のため十分な定めをする国際連合の措置が効力を生じたと日本政府及びアメリカ合衆国政府が認めるときまで効力を有するというふうにあります。友好国でもあり同盟国でもある米国とともに、各国が同意できる国際ルール作りに取り組んではどうかというふうに思います。
国益を代表しない国際警察軍ができれば、米国は超大国として世界ににらみを利かすことはできなくなりますけれども、浮き立たない分、米国もテロの危険性が低くなるという利益を得ることになります。
最後にちょっとまとめたいんですけれども、憲法九条は、戦争では国際紛争解決しない、有事を想定しないことで、話合いによってのみ国家間の問題を解決する方途を示し、戦後五十有余年、私たち国民を戦争から守ってきました。残念ながら、有事が想定される時代に入ってきました。有事を想定し、国民を守るというふうに言うのならば、国民全員分の核シェルターの建設であるとか、危険な原発を廃棄して新しい発電手段を構築するとか、迎撃ミサイルの配備など、いろいろ求められますが、そんな財政的余裕はないでしょうし、北朝鮮問題には間に合っていません。では、敵基地攻撃を、攻撃すればいいんだという理論が出てくるわけですけれども、誤爆のない攻撃なんてあり得ないことを思えば、正当防衛とも思えません。
私は、この九条が古いとか、理想であって現実的でないとか、そういうふうには思いません。これは将来の世界のあるべき姿を示していると思います。
私は、現在の超大国アメリカの世界の警察的な行動を否定するものではありません。現在、世界平和のための警察があるわけではないので、世界に平和を築こうとしている米国の行動は一定の評価がなされてよいと思います。しかし、米国自身の財政負担と兵士の命を懸けて行うこの警察的行動は米国自身の国益に沿ってなされるがために、必ずしも世界に正当性を示すものにはなっていません。そこに米国に対するテロが生じる遠因があるのであって、国際社会はいよいよ米国の世界警察による世界の安定というものから、もっと公正な組織による警察的行動を構築していかなければならないと思います。
以上です。ありがとうございました。
野
野
野沢太三#10
○会長(野沢太三君) 速記を起こしてください。
これより公述人に対する質疑に入ります。
質疑のある方は順次御発言願います。
なお、質疑の際は、最初にどなたに対する質問かお述べください。また、時間が限られておりますので、質疑、答弁とも簡潔に願います。
福島啓史郎君。
この発言だけを見る →これより公述人に対する質疑に入ります。
質疑のある方は順次御発言願います。
なお、質疑の際は、最初にどなたに対する質問かお述べください。また、時間が限られておりますので、質疑、答弁とも簡潔に願います。
福島啓史郎君。
福
福島啓史郎#11
○福島啓史郎君 まず、大井公述人にお聞きしたいと思います。
今回のいわゆる有事法と言われます武力攻撃等の事態に対処した国の安全確保、国民と国の安全を確保する法案でございますが、その中では国防、国を守る手段として三つの方策を定義しているわけでございます。一つは、要するに自衛隊によります武力でもって武力を排除する、終結させると、武力攻撃事態等を終結させるということ、それから二番目は日米安保条約に基づきます米軍との、米軍の行動でもって排除するということ、それに対する支援措置を講ずるということ、三番目には外交措置という、三つの手段を組み合わせることによって武力攻撃事態等を早期に終結させるというのがこの今回の法案の国の武力攻撃事態、つまり国防の基本的な手段として位置付けているわけでございます。
それで、そうした考え方につきまして、その三つの手段でもって我が国の安全、国の安全を守っていこうという考え方を法案では意図しているわけでございますが、それについての大井公述人の考え方をお聞かせください。
この発言だけを見る →今回のいわゆる有事法と言われます武力攻撃等の事態に対処した国の安全確保、国民と国の安全を確保する法案でございますが、その中では国防、国を守る手段として三つの方策を定義しているわけでございます。一つは、要するに自衛隊によります武力でもって武力を排除する、終結させると、武力攻撃事態等を終結させるということ、それから二番目は日米安保条約に基づきます米軍との、米軍の行動でもって排除するということ、それに対する支援措置を講ずるということ、三番目には外交措置という、三つの手段を組み合わせることによって武力攻撃事態等を早期に終結させるというのがこの今回の法案の国の武力攻撃事態、つまり国防の基本的な手段として位置付けているわけでございます。
それで、そうした考え方につきまして、その三つの手段でもって我が国の安全、国の安全を守っていこうという考え方を法案では意図しているわけでございますが、それについての大井公述人の考え方をお聞かせください。
大
大井赤亥#12
○公述人(大井赤亥君) 今議論になっている有事法制の件ですけれども、例えば国家のいわゆる緊急時に自衛隊あるいは警察が超法規的に行動するということは望ましくないことだと思います。
ただ、ほかの公述人の方の発言もありましたけれども、例えば、じゃ、有事法制が今までなかったわけですよね。つまり、そういう場合の法制がなかったわけですけれども、でも客観的な事実として、そういう法制がなかったこの五十年間は少なくとも日本が戦争に巻き込まれることはなかったという事実が一つあります。そこについてもしっかり評価される必要があるだろうと思っています。もちろん、北朝鮮のことがあるので脅威は、まあメディアの問題もあると思いますけれども、それが有事法制が必要だという議論に追い風になっているかと思いますけれども、ただ、冷戦のときだってそれは脅威、潜在的な脅威というのはたくさんあったわけで、ただ、その時代でも有事法制がない五十年間は日本は戦争に巻き込まれることはなかったということは一つ評価される必要があると思います。
やっぱり、今おっしゃられたアメリカの支援や自衛隊の活動を定める法制ですけれども、今、国会で議論されている有事法制に関して言えば、例えばイラク戦争におけるアメリカのあの行動を見ても、これから北朝鮮とか台湾のことに関して、この有事法制を通すということは、やはり日本は戦争に巻き込まれる可能性というのは有事法制がない五十年間に比べれば高くなるという危惧を私自身は持っています。
この発言だけを見る →ただ、ほかの公述人の方の発言もありましたけれども、例えば、じゃ、有事法制が今までなかったわけですよね。つまり、そういう場合の法制がなかったわけですけれども、でも客観的な事実として、そういう法制がなかったこの五十年間は少なくとも日本が戦争に巻き込まれることはなかったという事実が一つあります。そこについてもしっかり評価される必要があるだろうと思っています。もちろん、北朝鮮のことがあるので脅威は、まあメディアの問題もあると思いますけれども、それが有事法制が必要だという議論に追い風になっているかと思いますけれども、ただ、冷戦のときだってそれは脅威、潜在的な脅威というのはたくさんあったわけで、ただ、その時代でも有事法制がない五十年間は日本は戦争に巻き込まれることはなかったということは一つ評価される必要があると思います。
やっぱり、今おっしゃられたアメリカの支援や自衛隊の活動を定める法制ですけれども、今、国会で議論されている有事法制に関して言えば、例えばイラク戦争におけるアメリカのあの行動を見ても、これから北朝鮮とか台湾のことに関して、この有事法制を通すということは、やはり日本は戦争に巻き込まれる可能性というのは有事法制がない五十年間に比べれば高くなるという危惧を私自身は持っています。
福
福島啓史郎#13
○福島啓史郎君 私が申し上げたのは、今回の有事法でもって、有事法制でもって三つの方策によって国を守っていこうということを決めているわけじゃないんです。今までそうやってやってきた措置を更に円滑にしていこうということなんですね。公述人も、大井公述人に対する質問なんですが、も言われましたように、正に五十年以上にわたって日本の国に対します武力攻撃事態等がなかったということは、正にそうした三つの方策によって国が守られてきたということを意味するんじゃないかと思うわけでございます。
それじゃ、その次に、二番目の質問を大井公述人にしたいわけでございますけれども、公述人は東アジアにおきます多国間の平和条項、これは平和・経済機構の創設に向けた外交努力が必要だというふうに述べておられます。私もこうしたものが望ましいと思っております。それで、現実的な対応としましては、まず経済的な諸国間の取決めをやっていこうと。基本的にはFTAという形でもって東アジアに今広げていこうと。御案内のように、FTAといいますのは、各国ともいろんなセンシティブな品目につきまして現実的な対応をしながら、できる範囲でもって貿易を、関税等をゼロにしていこうということなわけでございます。そのことによって貿易を促進しようということでございます。その上に立って、信頼醸成のための軍事当局による話合い等を積み重ねることによって東アジアの経済あるいは安全保障機構というのができていくんだろうと思います。
そうした努力をしていかなけりゃならないと思うんですが、そのことと日米安保条約が矛盾するということを言っておられるようでございますけれども、私は、そういうことはない、むしろ、先ほど申しましたように、日本の安全を守る三つの方策を維持しながら、そうした東アジアの経済、安全保障機構を作っていくという考え方は矛盾しないと思うんですが、その点についてはいかがですか。
この発言だけを見る →それじゃ、その次に、二番目の質問を大井公述人にしたいわけでございますけれども、公述人は東アジアにおきます多国間の平和条項、これは平和・経済機構の創設に向けた外交努力が必要だというふうに述べておられます。私もこうしたものが望ましいと思っております。それで、現実的な対応としましては、まず経済的な諸国間の取決めをやっていこうと。基本的にはFTAという形でもって東アジアに今広げていこうと。御案内のように、FTAといいますのは、各国ともいろんなセンシティブな品目につきまして現実的な対応をしながら、できる範囲でもって貿易を、関税等をゼロにしていこうということなわけでございます。そのことによって貿易を促進しようということでございます。その上に立って、信頼醸成のための軍事当局による話合い等を積み重ねることによって東アジアの経済あるいは安全保障機構というのができていくんだろうと思います。
そうした努力をしていかなけりゃならないと思うんですが、そのことと日米安保条約が矛盾するということを言っておられるようでございますけれども、私は、そういうことはない、むしろ、先ほど申しましたように、日本の安全を守る三つの方策を維持しながら、そうした東アジアの経済、安全保障機構を作っていくという考え方は矛盾しないと思うんですが、その点についてはいかがですか。
大
大井赤亥#14
○公述人(大井赤亥君) 日米安保と矛盾するという、はっきり矛盾するというふうには思っていません。
ただ、というのは、例えば韓国や中国などにも、日本が日米安保を維持して、日本の独自の軍事力、また軍事大国化するという懸念があるということは承知しています。ですから、日米安保が一部そういう不安を取り除くということで果たしている役割は現実的にはあるかと思います。
ただ、同時に、その日米安保を結ぶということが、じゃ、例えば北朝鮮の問題に関して、今、日本と韓国の連携が非常に重要だと思っています。というのは、アジアの当事者で戦争が起きれば多大な被害を受けるのは韓国のみならず、日本も受けるわけですから、この日本と韓国。それから、今政治のレベルのみならず、若者とか民間の、韓国に私自身も友だちが何人かいますけれども、そういうレベルでつながりもできているわけで、日本と韓国の連携はすごい重要だと思っています。
ですから、日米安保を結んでアメリカの軍事力によって極東地域をすべて……
この発言だけを見る →ただ、というのは、例えば韓国や中国などにも、日本が日米安保を維持して、日本の独自の軍事力、また軍事大国化するという懸念があるということは承知しています。ですから、日米安保が一部そういう不安を取り除くということで果たしている役割は現実的にはあるかと思います。
ただ、同時に、その日米安保を結ぶということが、じゃ、例えば北朝鮮の問題に関して、今、日本と韓国の連携が非常に重要だと思っています。というのは、アジアの当事者で戦争が起きれば多大な被害を受けるのは韓国のみならず、日本も受けるわけですから、この日本と韓国。それから、今政治のレベルのみならず、若者とか民間の、韓国に私自身も友だちが何人かいますけれども、そういうレベルでつながりもできているわけで、日本と韓国の連携はすごい重要だと思っています。
ですから、日米安保を結んでアメリカの軍事力によって極東地域をすべて……
福
大
福
福島啓史郎#17
○福島啓史郎君 次に、北川公述人にお聞きしたいわけでございますが、公述人は、国際社会における平和主義の歴史を振り返られて、第一次世界大戦後の不戦条約等の戦争の違法化等が進められたと。しかしながら、歴史を振り返ってみますと、間もなく、そうした動きから十年少しの間に、たつかたたないかの間に第二次世界大戦というのが勃発したわけでございます。そのことをどういうふうに考えておられるかということと、やはり自衛権、その内容として、武力を持たなければ、例えば戦後にもありましたですね、ソ連によりますハンガリー動乱あるいはプラハの春といったような事態をどうやって防ぐのか、その点についても併せてお聞きをしたいと思います。
なぜ第二次世界大戦が起きたということと、そうしたソ連の侵入等の事態をどうやって排除するかということでございます。
この発言だけを見る →なぜ第二次世界大戦が起きたということと、そうしたソ連の侵入等の事態をどうやって排除するかということでございます。
北
北川善英#18
○公述人(北川善英君) まず、前者の点ですが、国際連盟の問題も、そして国際連合の問題、やはり基本的なポイントは、大国を規制する具体的な方策が、実は大国の不参加、これは国際連盟の場合です、国際連合の場合には大国のみに拒否権を与えている安全保障理事会、こういったところにあるのであって、一般的にとにかくいいことは言っていたけれども駄目だったというとらえ方はできないと思います。それが第一点です。
もう一点は、武力による平和ということなんですが、ハンガリー動乱、これは非常に特殊なケースですね。すなわち、ソビエトにとっては勢力圏であり、ハンガリーの、当時社会主義国であったわけですが、その場合、どういう経緯で社会主義国になったか、これは明らかにソビエトの衛星国としてなったという側面があります。その問題と、もう少し一般的に日本が武力ないままに平和を維持できるかという問題はやはり区別した方がよろしいかと思います。
私が強調したのは、日本という地政学的な位置あるいは現実の東アジアの在り方、こういった点から見ますと、日本が武力を持って平和を維持するというときには、藤井公述人がいみじくもおっしゃったように、核ミサイル防衛しかないということなんですね。じゃ、核ミサイル防衛が本当に市民の安全を保障するか。
核ミサイル防衛というのは、これは単純明快です。確実なミサイルを、相手方の弾道ミサイルを発射直後の空域に爆発させる。すなわち核爆発を起こさせ、そこに敵方の弾道ミサイルを突入させて蒸発する、これしか現時点では技術的には不可能であるわけですね。ところが、問題は偏西風が吹いております。偏西風に乗って死の灰はすべて日本列島に舞い降りるわけですね。しかも、それだけの問題ではなく、日本が核武装をすれば、周りの国はどうなのかということです。
このように考えていきますと、実は最も非現実的であるような武力なき平和、あるいはそのための様々な努力が、実は最も現実的かつ有効ではないかというふうに私は考えております。
この発言だけを見る →もう一点は、武力による平和ということなんですが、ハンガリー動乱、これは非常に特殊なケースですね。すなわち、ソビエトにとっては勢力圏であり、ハンガリーの、当時社会主義国であったわけですが、その場合、どういう経緯で社会主義国になったか、これは明らかにソビエトの衛星国としてなったという側面があります。その問題と、もう少し一般的に日本が武力ないままに平和を維持できるかという問題はやはり区別した方がよろしいかと思います。
私が強調したのは、日本という地政学的な位置あるいは現実の東アジアの在り方、こういった点から見ますと、日本が武力を持って平和を維持するというときには、藤井公述人がいみじくもおっしゃったように、核ミサイル防衛しかないということなんですね。じゃ、核ミサイル防衛が本当に市民の安全を保障するか。
核ミサイル防衛というのは、これは単純明快です。確実なミサイルを、相手方の弾道ミサイルを発射直後の空域に爆発させる。すなわち核爆発を起こさせ、そこに敵方の弾道ミサイルを突入させて蒸発する、これしか現時点では技術的には不可能であるわけですね。ところが、問題は偏西風が吹いております。偏西風に乗って死の灰はすべて日本列島に舞い降りるわけですね。しかも、それだけの問題ではなく、日本が核武装をすれば、周りの国はどうなのかということです。
このように考えていきますと、実は最も非現実的であるような武力なき平和、あるいはそのための様々な努力が、実は最も現実的かつ有効ではないかというふうに私は考えております。
福
福島啓史郎#19
○福島啓史郎君 今回の有事法制、今参議院で審議しているわけでございますが、衆議院では九割を超える議員の賛成を得たと。
私は、民主主義といいますのは、国民が議員を選ぶ、その議員が国会という場を通じて意思決定をしていく、その仕組みは世界の人間の歴史の中で達成された私は最善のシステムだと思います。そのシステムの下に我々は、自衛隊の運用にいたしましても、この民主主義に基づきますシビリアンコントロールでもって運用していく、運営していく、これもまた人類の英知だと思うわけでございます。
そうした観点に立ったときに、北川公述人にお聞きしたいわけでございますが、なおかつ民主主義というものを、先ほどのソ連のハンガリー、あるいはハンガリー侵入、あるいはプラハの春と違うと言われましたけれども、そうした事態に市民が抵抗しても、それを排除していったわけでございますね、ソ連は。したがって、そうしたときに、それを排除する自衛権の代用としての武力を持つことは私は当然のことだと思いますが、そうした民主主義、シビリアンコントロール、それに基づく軍事力の行使、これについてはどういうふうにお考えですか。
この発言だけを見る →私は、民主主義といいますのは、国民が議員を選ぶ、その議員が国会という場を通じて意思決定をしていく、その仕組みは世界の人間の歴史の中で達成された私は最善のシステムだと思います。そのシステムの下に我々は、自衛隊の運用にいたしましても、この民主主義に基づきますシビリアンコントロールでもって運用していく、運営していく、これもまた人類の英知だと思うわけでございます。
そうした観点に立ったときに、北川公述人にお聞きしたいわけでございますが、なおかつ民主主義というものを、先ほどのソ連のハンガリー、あるいはハンガリー侵入、あるいはプラハの春と違うと言われましたけれども、そうした事態に市民が抵抗しても、それを排除していったわけでございますね、ソ連は。したがって、そうしたときに、それを排除する自衛権の代用としての武力を持つことは私は当然のことだと思いますが、そうした民主主義、シビリアンコントロール、それに基づく軍事力の行使、これについてはどういうふうにお考えですか。
北
北川善英#20
○公述人(北川善英君) 私たち憲法学者の作る学会のここ数年のテーマは、民主主義と立憲主義というテーマを掲げています。それはどういうことかといいますと、簡単に申し上げますと、民主主義は過ちを犯すこともあり得るという前提に立っております。
その根拠は極めて単純明快です。人間は神ではありませんから、幾ら多数決であっても、九割の人間で間違うことは十分あり得るわけです。民主主義というのは、近代の民主主義はそういうことを想定しまして、一方では三権分立というシステムを導入しております。他方で、近代の当初は、一人一人の個人の抵抗権という権利を宣言しておりました。それは、現代の憲法の下では表現の自由あるいは参政権、いろんな形で具体化されております。
したがって、第一点の民主主義、すなわち九割の賛成で通したというふうにおっしゃいますが、しかしそのことからしますと、実はアメリカは九割以上の、ほとんど九十何%の支持でこの間のイラク攻撃あるいはアフガニスタンの空爆というのを通していますが、しかしヨーロッパ諸国を、代表的であるわけですが、中近東あるいはアフリカ諸国からも多くの反対が出ております。このことは決して九割以上で賛成したから常に正しいということは言えないということを示していると思います。
以上です。
この発言だけを見る →その根拠は極めて単純明快です。人間は神ではありませんから、幾ら多数決であっても、九割の人間で間違うことは十分あり得るわけです。民主主義というのは、近代の民主主義はそういうことを想定しまして、一方では三権分立というシステムを導入しております。他方で、近代の当初は、一人一人の個人の抵抗権という権利を宣言しておりました。それは、現代の憲法の下では表現の自由あるいは参政権、いろんな形で具体化されております。
したがって、第一点の民主主義、すなわち九割の賛成で通したというふうにおっしゃいますが、しかしそのことからしますと、実はアメリカは九割以上の、ほとんど九十何%の支持でこの間のイラク攻撃あるいはアフガニスタンの空爆というのを通していますが、しかしヨーロッパ諸国を、代表的であるわけですが、中近東あるいはアフリカ諸国からも多くの反対が出ております。このことは決して九割以上で賛成したから常に正しいということは言えないということを示していると思います。
以上です。
福
福島啓史郎#21
○福島啓史郎君 私は、司法的な審査、あるいは個人の権利をそういう表現の自由によって表明するのは構わないと、もちろんそれは権利でございますから。ただ、民主主義というのはそういったものによって国家として意思決定をしていくんだということは、私はそれを否定しますと国家として成り立たなくなるというふうに思っております。
次に、林公述人にお聞きしたいわけでございますが、公述人は日本国憲法の中に人間の安全保障を明記すべきだというふうに言っておられます。このことは個別の、憲法の個別条文におきまして現在基本的人権というのが規定されているわけでございますが、それでは不十分だということなのか。したがって、その個別条文をこういう形でこういうものを設けるべきだという特別なお考えを持っておられるかどうか、お聞きしたいと思います。
この発言だけを見る →次に、林公述人にお聞きしたいわけでございますが、公述人は日本国憲法の中に人間の安全保障を明記すべきだというふうに言っておられます。このことは個別の、憲法の個別条文におきまして現在基本的人権というのが規定されているわけでございますが、それでは不十分だということなのか。したがって、その個別条文をこういう形でこういうものを設けるべきだという特別なお考えを持っておられるかどうか、お聞きしたいと思います。
林
林明夫#22
○公述人(林明夫君) 福島議員には、質問をしていただいてありがとうございますと感謝申し上げます。
日本国憲法の本文に規定してあるのは、日本国国民に対する国内における恐らく憲法の規定だと思うんですね、人権に関する。私がここで言っているのは、もちろん日本国民に対する人間の安全保障ももちろん大事だと思います。それはそれで徹底してやっていただきたいと思うんですけれども、ただ、国際貢献としての人間の安全保障、それから国際社会における日本の役割というのがありますけれども、これから果たすべき役割というのは、一人一人の人々に注目をしていただいて、その一人一人の人たちが、特に紛争前ですね、紛争前、特に女性の権利であるとか、それから貧困の絶滅であるとか、そういうことで戦争の原因になる、紛争の原因になるものを除去していただきたいと。それから、戦争の途中、紛争の途中、それから紛争の後、そういうプロセスに応じて、紛争のプロセスに応じて一人一人の個人に注目をしていただいて、力を付けていただくような、そういうふうな形で考えております。
ですから、できれば憲法の前文が一番私はいいと思うんです、規定していただくんであれば、考えるのなら。ですから、先生おっしゃるのは、日本国民に対する文章が恐らく憲法の条文の本文の中であると思うんです。ですから、それはそれでまた日本国民に対する人間の安全保障をそこでやっていただきたいと、そういうことであります。よろしくお願いいたします。
この発言だけを見る →日本国憲法の本文に規定してあるのは、日本国国民に対する国内における恐らく憲法の規定だと思うんですね、人権に関する。私がここで言っているのは、もちろん日本国民に対する人間の安全保障ももちろん大事だと思います。それはそれで徹底してやっていただきたいと思うんですけれども、ただ、国際貢献としての人間の安全保障、それから国際社会における日本の役割というのがありますけれども、これから果たすべき役割というのは、一人一人の人々に注目をしていただいて、その一人一人の人たちが、特に紛争前ですね、紛争前、特に女性の権利であるとか、それから貧困の絶滅であるとか、そういうことで戦争の原因になる、紛争の原因になるものを除去していただきたいと。それから、戦争の途中、紛争の途中、それから紛争の後、そういうプロセスに応じて、紛争のプロセスに応じて一人一人の個人に注目をしていただいて、力を付けていただくような、そういうふうな形で考えております。
ですから、できれば憲法の前文が一番私はいいと思うんです、規定していただくんであれば、考えるのなら。ですから、先生おっしゃるのは、日本国民に対する文章が恐らく憲法の条文の本文の中であると思うんです。ですから、それはそれでまた日本国民に対する人間の安全保障をそこでやっていただきたいと、そういうことであります。よろしくお願いいたします。
福
福島啓史郎#23
○福島啓史郎君 林公述人の言われました点、十分考えていかなきゃいけない点だと思います。ただ、それと同時に、日本国憲法を、正に公述人も言われました、国の基本法を目指して、半世紀あるいは一世紀、更なる使用に堪えられるような基本法というものを作っていかなきゃいけない。そのために、自由民主党といたしましては憲法改正手続法制の検討をしております。既に法案という形でもまとまっておりますので、是非この手続法の制定を各派との話合いを経まして成立させていきたいというふうに思っております。
ちょっと時間の関係で、次に藤井公述人にお聞きしたいと思います。
藤井公述人は国連の役割を非常に高く評価されておられます。私も国連の役割は重要だと思うわけでございますが、その国連憲章の中で、現在、敵国条項があるというのを御存じでしょうか。
この発言だけを見る →ちょっと時間の関係で、次に藤井公述人にお聞きしたいと思います。
藤井公述人は国連の役割を非常に高く評価されておられます。私も国連の役割は重要だと思うわけでございますが、その国連憲章の中で、現在、敵国条項があるというのを御存じでしょうか。
藤
福
藤
福
福島啓史郎#27
○福島啓史郎君 要するに、国連憲章といいますのは、そうした時代的背景の下に生まれたということだと思います。それで、日本としましても、この五十三条の敵国条項はできるだけ早く撤廃、廃止をすべく国際社会に働き掛けていかなければならないと思っているわけでございますが、その関係で、公述人は国際警察軍というのを主張しておられます。石橋湛山元首相の言を引用されながら国際警察軍について言及されておりますが、これと、現在の国連憲章四十二条に基づきます、安全保障理事会によります武力行使との違いはどういうふうに考えておられますか。
この発言だけを見る →藤
藤井富美子#28
○公述人(藤井富美子君) 安全保障理事会で行う国連軍というのは、結局安全保障理事会のメンバー、特に拒否権を持つ五大国の国益に沿わなければ、例えばこれは武力行使、武力行使というか、割って入らなあかんと思うところでも、まあまあまあという感じで、結局そこに仲介しに行かない可能性もあるということです。今のシステムのままであれば大国の利害で左右されるから、そうではなくて、もっと国際的にきちっとした、こういう場合には必ず部隊を派遣しますということをルールとして、それで、それに基づいた派遣がされるようにすべきであるという考え方です、私は。
この発言だけを見る →福
福島啓史郎#29
○福島啓史郎君 しかし、国際警察軍というのは、仮に生まれたとしても、何らかの意思決定はしていかなきゃいけないと思うんですね。多分それを構成する国際警察軍も各国から派遣される、供出されるということになると思うんですが、その点はどういうふうに考えておられますか。
この発言だけを見る →