岡田広の発言 (内閣委員会)
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○岡田広君 自由民主党の岡田広であります。少子化社会対策基本法につきまして質疑をお願いしたいと思います。
まず始めに、前文でありますが、この要綱の中に「未曾有の事態に直面している。」と、かつてないという、「有史以来」という言葉が書かれております。そういう中で、さきの衆議院の内閣委員会で修正案が出されました。「もとより、結婚や出産は個人の決定に基づくものではあるが、」という言葉が新たに挿入をされたわけであります。
そういう中で、これは、この議案とは直接関連はありませんけれども、この少子化という言葉が使われたのが、一・五七ショックという、一九九二年ということで伺っておりますが、それ以来十三年という歳月が流れました。その中で、いろんな少子化の議論がありましたが、人口問題審議会というのが平成九年の十月に、結婚や出産は当事者の自由な選択にゆだねられたものであり、社会が個人に押し付けてはいけないという言葉が書かれてあります。そして、十一年の十二月、少子化対策の推進関係閣僚会議で、「結婚や出産は、当事者の自由な選択に委ねられるべきものであること。」ということで、個人という言葉は消えていますが、今回のこの修正案は個人という言葉が使われております。人口問題審議会とか関係閣僚会議では当事者という言葉が使われていますが、当事者と個人、個人というのは、憲法にも個人の尊厳ということで、人間ということを意味してあるのだと思いますが、どうも少子化対策の個人というと女性を連想させるという、そういう考え方もないわけではないと思っております。
そういう中で、余りやっぱり個人を強調するとどうなのかなという考え方が私は一つあると思います。やっぱり、少子化という人口の問題ということよりも人口構成の問題ということが大事なんだろうと、そう思っています。そういう中で、社会的責任というのが薄れていくのではないかなという、そういう考え方も持っているわけでありますが、まず、その個人というこの言葉の考え方についてお尋ねをしたいと思っております。