保岡興治の発言 (憲法調査会)
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○保岡委員 明治憲法を制定する際に、制定者たちは、西洋のさまざまな国の憲法の考え方を学んでおります。また、これと同時に、我が国の伝統や文化とどのようにこれを結合させるかということに大変腐心して、時間をかけて議論を尽くしたと伺っています。
これに対して、日本国憲法は、制定過程において、GHQが占領政策を進める上で都合のよいように、日本の伝統や文化は邪魔者扱いやほとんど無視しているということが明らかになっています。結果として、我が国の長い歴史で培われたよいものを現代や将来につなぐということが全くと言っていいほどなされておりません。
その結果、日本国憲法は、我が国の社会のあり方に大きな影響を与えており、特に、個人主義思想が急速に普及いたしております。特に、教育の分野におけるこの思想の浸透度、影響度は目をみはるものがありました。
しかし、それと同時に、本来の個人主義とはかけ離れた風潮が日本社会を覆い尽くすようにもなっているかに思えます。他人に直接迷惑をかけなければ自由に何をやってもよい、親や先生に言われても私には自由がある、他人が何をしようが干渉しない、でも自分のやり方に干渉するのは許さない。子供だけでなく大人にも見られる態度です。それ自体、そんなに目くじらを立てるようなことはないと思われる方もおられますが、これが高じて大きな社会的風潮になりますと、それは、自分のことだけを第一として、積極的に他人や社会のために行動したり、みんなの幸せを確保する公正な社会をつくるために貢献したり協力し合ったりするということへの配慮や、それを大切にする精神文化というものが、基本において廃れていくことにつながるのではないでしょうか。
人間は社会的な存在であり、そのような社会的な人間としての尊厳をもっと大切にするべきです。他人への配慮、社会に対する積極的な貢献を果たすことによって、自己の存在、尊厳もまた大事にされるのではないでしょうか。このように、人間の本質である社会性が個人の尊厳を支える器であることを考えると、人間の自然な集まりである家族、共同体、ひいては国際社会も、公共の基本をなすものとしてとらえ直さなければならない時代になっていると私は率直に申し上げたいと思います。
とりわけ、日本人というくくりで見たときに、人間の本質である社会性に加えて、礼を重んじ、和をとうとび、命とそれをはぐくんでいる自然を慈しむという歴史、伝統や文化に基づいた道徳心があります。私は、今の憲法の国民主権主義、平和主義、基本的人権の尊重という三原則など人類の普遍的な価値を発展させつつ、我が国固有の価値、道徳心という長い間歴史の中で培った健全な精神文化に基づいて、二十一世紀にふさわしい新しい憲法を論じたいと思っています。その際我々は、憲法には、近代立憲主義的な国家権力の民主的統制という、先ほど枝野さんがおっしゃったような法的な側面ばかりでなく、国民の行為規範としての側面があり、それが国民の精神や社会の形成に与える影響についても考慮に入れながら、議論を続けていく必要があると思います。
最後に、地方自治についてでございますが、道州制を含めた新しい地方自治のあり方について、法律の範囲内での課税自主権の付与等自主財源の確保、自己決定権と自己責任の原則、補完性の原則など、憲法にその基本的事項を明示する必要があると思っています。
この場合、例えば道州制というと、すぐに道とか州の権限、組織などに目が向きがちですが、私はむしろ、コミュニティーの重要性を指摘しておきたいと思います。コミュニティーこそ究極の自治の原点であり、我が国の伝統、文化が受け継がれていく場であり、地域によってはそこが国民の生産活動、社会活動の場であり、生活そのものでございます。こうしたコミュニティーのよさ、その復活は、重視してもし過ぎることはないと思います。
そういった意味で、地域が果たす治安や福祉、教育、文化活動などの機能を、生活の質の充実向上とそれを支えていく活力を求めていかなければならないこれからの日本にとって、憲法上もそのことの意義を明確に位置づける必要を検討すべきだと思っております。