2004-02-05
衆議院
中谷元
憲法調査会安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会
中谷元の発言 (憲法調査会安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会)
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○中谷小委員 まず、憲法九条の意義から述べさせていただきます。
第九条は、二十世紀の後半の五十年間、日本の復興から高度成長の時期に、日本のためによく機能し、歴史的役割を果たしたすぐれたものだと考えます。
この九条の果たしてきた役割というのは、敗戦後、日本がアジアの国々に国際的に受け入れられる現実的条件であった。第二に、軍事力の増強、防衛予算の増額を求める米国を抑え、軽武装、経済成長政策の柱でありまして、このため、日本は高度成長をなし得たということ。第三点は、国家利益の追求の手段として、経済的利益の追求はしても、武力に訴えないこと、武器を輸出して死の商人にならないことなどを遵守し、平和を希求する道義国家であり得たということが考えられます。
しかし、日本の立場、国際社会は大きく変化をし、一九八〇年には、日本の経済発展に伴いGNPが世界の一割以上を占めるに至り、国際社会における責任と役割が増大しました。二〇〇〇年以降も、冷戦構造の崩壊、湾岸危機、核ミサイルの拡散、国際テロ事件の発生など、日本は国際安全保障上で責任ある態度をとらなければならない立場となりました。
このため、自衛隊の海外の活動が行われるようになりましたが、リスクを背負ってまで危険な環境の中でも国家として復興支援を行うことを決断し、自衛官は使命感を持って他国の領域で活動をいたしておりますが、派遣された隊員の憲法上の地位や身分、国際法における自衛隊の地位や軍隊としての権限は付与されないままでの派遣となっておりまして、自衛隊も主任務が国土防衛であり、雑則として国際協力活動を行っているのが実態であり、自衛隊の装備、体制も国内で活動することを前提で整備、訓練されていますので、今、憲法調査会においてこのことを議論しなければならないと思いますが、私が思うのには、九条の理念、これが立派過ぎるものであるがゆえに、九条と国際社会の現実とが乖離したまま、現行憲法のままで自衛隊の海外派遣を実施している今日の防衛政策が、国際情勢の変化を知る国民に対する説得力を欠き、違和感を覚えるものとなっております。
我が国は、これ以上、九条を維持したまま現実からの逃避と自己欺瞞を広げ、放置できない段階になっておりまして、九条に関しては、現実を解釈の理念で取り繕う手法を重ねていますが、憲法という国家の基本法の軽視と形骸化を生み出す危険水域に入っておりまして、今こそこの問題に対処しなければならないと思います。
さて、自衛隊のイラク派遣を考えると、どうしても憲法制定のルーツから考えていかなければなりません。
憲法制定の過程は記述をいたしましたけれども、昭和二十年十月十一日、マッカーサーから憲法改正を示唆されて以降、十二月八日の松本四原則の提示、二十一年一月九日、松本氏が憲法改正私案を提出し、二月四日、マッカーサーがこれでは不十分だということで、民政局に憲法草案の作成を命じて、マッカーサー三原則、いわゆるマッカーサー・ノートが示されました。
そのときには、自己の安全を保持するための手段としての戦争をも放棄するということを要求しましたけれども、民政局内の検討結果、ホイットニーが自己の安全を保持するための手段としてさえの部分を現実的でないと思い削除いたしまして、十二日にGHQ案が完成し、その後、その原則を盛り込んだ改正案が作成されまして、五月に国会召集とともに審議をされたわけでございます。
このとき、六月二十五日に吉田茂氏は、本会議の上程に際して、国家正当防衛権による戦争は正当なりというが、これを認めることは有害とすべての戦争を否定したわけであります。
その後、六月二十六日、憲法改正小委員会で、芦田均氏が委員長で、議論の結果、前項の目的を達成するためにを挿入しまして、国際紛争を解決する手段としての戦争を永久に放棄するが、自衛のための戦争と武力行使は放棄されていないとする自衛権の可能性を残しました。これはパリの不戦条約でも、自衛権の存在は当然であるので言及する必要なしと自衛権を可能にしておりますが、第一項で放棄した武力行使は国権の発動たる自国ですることであり、第二項はそのための手段を持たないとする限定放棄説を確立しようとするものでございました。
その後、二十五年に朝鮮戦争が勃発をしまして、マッカーサーが方針を転換しまして、日本の無力化政策を転じて対ソ政策として日本を利用するために日本に軍隊を保持させて、経済も育成する方針といたしました。しかし、吉田茂は軽武装論をとりまして、昭和二十六年、警察予備隊は軍隊でない、国内的には重税を課すことになり、今はその時期にあらずと発言をし、自衛の戦力ではなくて治安の組織であると説明をいたしております。
その後、講和条約が発効しまして、昭和二十七年、日本独立後も、保安隊設立に際する政府見解においても、保安隊は戦力ではない、戦力とは何かといえば、近代戦争遂行能力あるいは近代戦争を遂行するに足りる装備、編制を整えるものと言っておりまして、戦力に至らない実力を持つことは違憲でないと説明をしております。したがいまして、憲法を変えなかったために、自衛の目的といえども戦力は保持できない、自衛のための必要最小限度を超えるものはだめということになりまして、その概念で昭和二十九年に自衛隊が創設をされましたが、そのとき大村防衛庁長官は、九条は独立国として我が国が自衛権を持つことを認めている、したがって、自衛隊のような自衛のための任務を有し、かつその目的のため必要相当な範囲の実力部隊を設けることは何ら憲法に反しないと説明をしております。
かくして、政府は自衛権による実力部隊を持ちましたが、この論法は、軍隊や戦力の保持禁止規定をどう回避するかから来ていまして、実定法主義、つまり法律がなければ何も存在しないを捨てて自然法の思想、自然の摂理から当然存在するをとりまして、国家として自衛権を保有するのが当然であるから、自衛権の行使のための自衛隊は憲法上許されるとしました。
自衛権に関しては、国家として憲法に自衛権、自衛隊の記述がないために、日本の防衛政策が防衛力として戦力でない組織を持つことを前提に理論が構築をされておりまして、戦力は自衛のための必要最小限度を超えるものと定義し、自衛隊は自衛のための必要最小限度の実力を備えることは許されるがそれは超えてはならないものとされ、このため自衛隊の性格が弱く、抑制的になりました。また、自衛隊が国際法の定義ではなくて国内法のものになりまして、他国に比して抑制的なものになっております。
そのため、自衛権の発動の要件として三条件を定めたり、海外派遣された自衛隊の自己防衛は不可能で、他国の警護、庇護のもとに活動することで、カンボジアではフランス軍、ゴラン高原ではカナダ軍、イラク・サマワではオランダ軍に守られながら活動いたしております。
また、自衛隊は軍隊かという議論につきましては、最終的にはここに記述しましたとおりになっております。呼称の定義により、これを軍隊と言うなら自衛隊も軍隊と言えるが、憲法上、自衛のための必要最小限度を超える実力を保持し得ないなどの制約を課せられており、通常の観念で考えられる軍隊とは異なるものと整理をいたしております。交戦権についても同様でございます。
以後、冷戦下の防衛政策というのは専守防衛、制約された自衛権での防衛力整備となりました。これは、昭和四十五年十月の中曽根防衛白書に象徴されますように、専守防衛でやっていくと。このため、我が国に対する武力攻撃の発生時点は武力攻撃が発生した時点から、また必要最小限度の実力行使の範囲内でということで、行動の地理的範囲、また敵地攻撃、自衛権の範囲、また自衛のための必要最小限度の実力ということで、ICBMや長距離爆撃戦闘機を保有することはできないということ、それからGNP比も一%枠ということとされました。
さて、だんだん時代が変わってきまして、海外派遣をするようになりました。海外派兵と海外派遣の違いはそこで記述したとおりで、武力行使の目的を持って武装した部隊を送ることが海外派兵で、これは憲法上許されないけれども、武力行使の目的を持たないで部隊を他国へ派遣することは海外派遣であり、憲法上許されないわけではないとなりました。
湾岸戦争以降、いろいろな活動をするようになりましたが、事イラクについて申し上げますと、イラクにおける自衛隊の活動は、イラクの復興と民生の安定を図るために人道復興支援を行うものが中心でありまして、武力の行使を目的として行うものではない。自衛隊の部隊が行う活動は、それ自体は武力行使に当たるものではなくて、活動範囲を非戦闘地域に限っていることから、他国の武力の行使と一体化するものではないので、九条一項で禁止された武力の行使ではない。しかも、国連決議もあります。イラクの復興国連決議一四八三、一五一一には、すべての加盟国に、イラクのための人道アピールにこたえ、食糧、医療、インフラ復興、必要な資源を支援することを要請すると書かれております。
また、イラクにおける占領行政をしているんじゃないか、これは交戦権違反じゃないかという御意見もありますけれども、国際法上、交戦権というのは非交戦国によっては行使し得ないものであり、武力行使の当事者でない我が国が交戦権を行使することは基本的に論理的にあり得ず、第九条においても、武力行使の当事者でないので基本的には問題はない。そもそも、イラクを占領する意識はなくて、早期にイラク政府をつくる目的で、人道支援で復興支援に行っていると考えていると説明をいたしております。
ちなみに、米英軍の活動の根拠ということにつきましても、国連決議一四八三において、米英のCPAに特定の権限、責任及び義務があることを認識する、当局は領土の実効的な統治を通じてイラク国民の福祉の増進を要請すると記述をされております。したがって、このような権利に基づいた活動であると認識をいたしております。
そして、今度は集団的自衛権についての考えを述べますが、この際、武力行使と武器の使用、この違いにつきましてはここに書いたとおりでありまして、いわゆる武器使用というのは、自衛官等が任務を遂行するに当たって、自己保存のための自然的権利、いわゆる正当防衛、そのために、相手方がどのような主体においても、安全を確保することは許される。これは九条の禁じる武力の行使ではないということであります。特に、イラク特措法十七条では、自己または自己とともに現場に所在する隊員の生命、身体を防衛するために、自己保存のための自然的権利であって、憲法上禁止された我が国の物的・人的組織体による武力紛争の一環としての戦闘行為である武力の行使には当たらないという概念で認めているわけでございます。
そして、集団的自衛権については、定義は御承知だと思いますので省略をいたしますが、現在は、国家は、集団的自衛権を保有していることは主権国家である以上当然である、しかし、第九条において容認される自衛権の行使は、我が国防衛で必要最小限の範囲内にとどまるべきであり、集団的自衛権の行使は必要最小限度を超えるものであって、憲法上許されないということになっておりますが、これはいろいろ学説がありまして、昭和三十五年の参議院予算委員会で林修三法制局長官が、集団的自衛権として、自国を他国と協同して守ることも許されるとして発言したこともありますが、昭和五十六年、政府答弁として整理をされまして現在に至っております。
ちなみに、見解の変更については、改めるつもりは全くないと。中曽根政権期も、集団的自衛権行使を認めるなら憲法改正を要する旨の見解が法制局長官から出されております。
また、集団的安全保障につきましては、これは国連のようなものでありますが、結論としましては、憲法九条によって禁じられている武力の行使または武力の威嚇に当たる行為については、我が国としてこれを行うことが許されないということになっておりまして、仮に国連軍ができても、武力行使の部分は参加できないという考え方でございますが、しかし、小沢調査会等で、全く瑕疵のない国連軍ができれば、国権の発動たる武力行使に当たらないはずであり、完全な形の国連軍ができれば参加できるという考え方もございます。
したがいまして、武力の行使と一体をなす行動に該当するかどうか、他国が戦闘行為を行う地域と我が国の活動地域との場所を整理して考えるわけでございますが、この九条の武力による威嚇、行使を、日本自身の利益追求のための武力行使と考えるのか、国連の決定、要請、授権のもとに行われる国際共通価値実現の武力行使と区別をすべきではないかということで学説が分かれておりますが、現在は、区別することなく一律に禁止をいたしております。
以上のことを整理してみますと、現行の憲法でできないことで私が見てこれはどうかと思う点は、まず、イラクへ自衛隊が派遣されても、隣の外国部隊がテロリストに襲撃されてもほとんど何もできない。NGOや政府関係者、マスコミ、民間人が危害を目の前で加えられても、自衛隊は警護も救出にも行けない。また、任務遂行の武器使用や警護、警備などもできないというのが現状です。
第二に、同盟国の米軍が日本周辺で他国から攻撃を受けた場合も、日本は、自衛隊は救出や応戦もできない。これは日米協力に支障になろうかと思います。それから、国連軍が編成されても武力行使には参加できないということにつきましても、これはやはり国連協力の支障になることも考えられます。それから、国連の常任理事国になっても決定事項を履行できない。また、アジアの安全保障機構というのが将来できても、日本はその行動についていろんな制約を受ける。それから、仮に日韓防衛条約なるものができたとしても、この憲法の解釈によりますと片務的な条約になるということで、このことは、日本のこれからの国際安全保障の環境整備のために足かせとなっておりまして、私は、憲法を改正してきちんとできるようにすべきであろうと思います。
最後に、これからの日本の国際貢献の理念でありますが、現在、百五十を超える国家の憲法に、平和の推進とか侵略戦争の否認、戦争放棄、軍隊の規制、非設置など、それぞれの国が持っております。この記述が、日本国憲法が特異性を持つものではないと思いますが、私は、世界平和のためにやるべきことはしっかりできる国になるべきだと思います。そういう意味では、今後国連改革の中で、日本の安全保障理事国になることについては、理事国として議論に参加をし、決議を交渉し、イニシアチブをとるためにも必要でありますし、国連資金の二〇%を支出している国が常任理事国に入っていないこと自体がおかしな話でありますので、現状は言いたいことも言えずにお金だけ出しているということは残念だと思います。
そして、これからの国連の趨勢としまして、停戦監視から治安、人道、経済発展など、国連の活動は非常に複合的なものになってまいりまして、実行力のある多国籍軍型で自己完結をさせて活動するということが趨勢になってきております。この面からも、参加、協力できる国になるべきだと思っております。
そして、イラクにつきましては、やはり国連決議を求めて、今後暫定政府は出ますけれども、国連の活動を重視していくべきだと思います。
最後に、結論として、政府見解を変えるより、新憲法で、自衛権の存在、自衛隊の役割を明記することが何よりいい選択である。二、国際法、国際慣例に従った国際貢献のできる権限を記述することが必要である。三、平和主義や国連中心主義は、日本の理念として、九条の中心にすべきである。そして、第四として、最後に、この憲法九条改正に向けまして、各党の実りある議論を期待したいと思っております。
以上で発言を終わらせていただきます。