憲法調査会安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会
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会
会議録情報#0
本小委員会は平成十六年一月二十二日(木曜日)憲法調査会において、設置することに決した。
一月二十二日
本小委員は会長の指名で、次のとおり選任された。
伊藤 公介君 大村 秀章君
河野 太郎君 近藤 基彦君
渡海紀三朗君 中谷 元君
平井 卓也君 伊藤 忠治君
大出 彰君 楠田 大蔵君
田中眞紀子君 武正 公一君
福島 豊君 山口 富男君
土井たか子君
一月二十二日
近藤基彦君が会長の指名で、小委員長に選任された。
平成十六年二月五日(木曜日)
午後二時開議
出席小委員
小委員長 近藤 基彦君
伊藤 公介君 大村 秀章君
河野 太郎君 渡海紀三朗君
中谷 元君 平井 卓也君
伊藤 忠治君 楠田 大蔵君
田中眞紀子君 武正 公一君
松本 剛明君 福島 豊君
山口 富男君 土井たか子君
…………………………………
憲法調査会会長 中山 太郎君
衆議院憲法調査会事務局長 内田 正文君
—————————————
二月五日
小委員大出彰君同日委員辞任につき、その補欠として松本剛明君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
小委員松本剛明君同日委員辞任につき、その補欠として大出彰君が会長の指名で小委員に選任された。
—————————————
本日の会議に付した案件
安全保障及び国際協力等に関する件(憲法第九条)
————◇—————
この発言だけを見る →一月二十二日
本小委員は会長の指名で、次のとおり選任された。
伊藤 公介君 大村 秀章君
河野 太郎君 近藤 基彦君
渡海紀三朗君 中谷 元君
平井 卓也君 伊藤 忠治君
大出 彰君 楠田 大蔵君
田中眞紀子君 武正 公一君
福島 豊君 山口 富男君
土井たか子君
一月二十二日
近藤基彦君が会長の指名で、小委員長に選任された。
平成十六年二月五日(木曜日)
午後二時開議
出席小委員
小委員長 近藤 基彦君
伊藤 公介君 大村 秀章君
河野 太郎君 渡海紀三朗君
中谷 元君 平井 卓也君
伊藤 忠治君 楠田 大蔵君
田中眞紀子君 武正 公一君
松本 剛明君 福島 豊君
山口 富男君 土井たか子君
…………………………………
憲法調査会会長 中山 太郎君
衆議院憲法調査会事務局長 内田 正文君
—————————————
二月五日
小委員大出彰君同日委員辞任につき、その補欠として松本剛明君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
小委員松本剛明君同日委員辞任につき、その補欠として大出彰君が会長の指名で小委員に選任された。
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本日の会議に付した案件
安全保障及び国際協力等に関する件(憲法第九条)
————◇—————
近
近藤基彦#1
○近藤小委員長 これより会議を開きます。
この際、一言ごあいさつを申し上げます。
先般、小委員長に選任されました近藤基彦でございます。
小委員の皆様の御協力をいただきまして、公正円満な運営に努めてまいりたいと存じますので、何とぞよろしくお願い申し上げます。
安全保障及び国際協力等に関する件、特に憲法第九条について調査を進めます。
本日の議事の進め方について申し上げます。
まず、中谷元君及び松本剛明君から、憲法第九条、特に自衛隊のイラク派遣並びに集団的安全保障及び集団的自衛権について、基調となる御意見を順次二十分以内で述べていただきます。
次に、各会派一名ずつ大会派順に十分以内で基調発言者に対する質疑または発言を行い、その後、小委員間の自由討議を行います。
御発言は、自席から着席のままお願いいたします。
それでは、まず、中谷元君。
この発言だけを見る →この際、一言ごあいさつを申し上げます。
先般、小委員長に選任されました近藤基彦でございます。
小委員の皆様の御協力をいただきまして、公正円満な運営に努めてまいりたいと存じますので、何とぞよろしくお願い申し上げます。
安全保障及び国際協力等に関する件、特に憲法第九条について調査を進めます。
本日の議事の進め方について申し上げます。
まず、中谷元君及び松本剛明君から、憲法第九条、特に自衛隊のイラク派遣並びに集団的安全保障及び集団的自衛権について、基調となる御意見を順次二十分以内で述べていただきます。
次に、各会派一名ずつ大会派順に十分以内で基調発言者に対する質疑または発言を行い、その後、小委員間の自由討議を行います。
御発言は、自席から着席のままお願いいたします。
それでは、まず、中谷元君。
中
中谷元#2
○中谷小委員 まず、憲法九条の意義から述べさせていただきます。
第九条は、二十世紀の後半の五十年間、日本の復興から高度成長の時期に、日本のためによく機能し、歴史的役割を果たしたすぐれたものだと考えます。
この九条の果たしてきた役割というのは、敗戦後、日本がアジアの国々に国際的に受け入れられる現実的条件であった。第二に、軍事力の増強、防衛予算の増額を求める米国を抑え、軽武装、経済成長政策の柱でありまして、このため、日本は高度成長をなし得たということ。第三点は、国家利益の追求の手段として、経済的利益の追求はしても、武力に訴えないこと、武器を輸出して死の商人にならないことなどを遵守し、平和を希求する道義国家であり得たということが考えられます。
しかし、日本の立場、国際社会は大きく変化をし、一九八〇年には、日本の経済発展に伴いGNPが世界の一割以上を占めるに至り、国際社会における責任と役割が増大しました。二〇〇〇年以降も、冷戦構造の崩壊、湾岸危機、核ミサイルの拡散、国際テロ事件の発生など、日本は国際安全保障上で責任ある態度をとらなければならない立場となりました。
このため、自衛隊の海外の活動が行われるようになりましたが、リスクを背負ってまで危険な環境の中でも国家として復興支援を行うことを決断し、自衛官は使命感を持って他国の領域で活動をいたしておりますが、派遣された隊員の憲法上の地位や身分、国際法における自衛隊の地位や軍隊としての権限は付与されないままでの派遣となっておりまして、自衛隊も主任務が国土防衛であり、雑則として国際協力活動を行っているのが実態であり、自衛隊の装備、体制も国内で活動することを前提で整備、訓練されていますので、今、憲法調査会においてこのことを議論しなければならないと思いますが、私が思うのには、九条の理念、これが立派過ぎるものであるがゆえに、九条と国際社会の現実とが乖離したまま、現行憲法のままで自衛隊の海外派遣を実施している今日の防衛政策が、国際情勢の変化を知る国民に対する説得力を欠き、違和感を覚えるものとなっております。
我が国は、これ以上、九条を維持したまま現実からの逃避と自己欺瞞を広げ、放置できない段階になっておりまして、九条に関しては、現実を解釈の理念で取り繕う手法を重ねていますが、憲法という国家の基本法の軽視と形骸化を生み出す危険水域に入っておりまして、今こそこの問題に対処しなければならないと思います。
さて、自衛隊のイラク派遣を考えると、どうしても憲法制定のルーツから考えていかなければなりません。
憲法制定の過程は記述をいたしましたけれども、昭和二十年十月十一日、マッカーサーから憲法改正を示唆されて以降、十二月八日の松本四原則の提示、二十一年一月九日、松本氏が憲法改正私案を提出し、二月四日、マッカーサーがこれでは不十分だということで、民政局に憲法草案の作成を命じて、マッカーサー三原則、いわゆるマッカーサー・ノートが示されました。
そのときには、自己の安全を保持するための手段としての戦争をも放棄するということを要求しましたけれども、民政局内の検討結果、ホイットニーが自己の安全を保持するための手段としてさえの部分を現実的でないと思い削除いたしまして、十二日にGHQ案が完成し、その後、その原則を盛り込んだ改正案が作成されまして、五月に国会召集とともに審議をされたわけでございます。
このとき、六月二十五日に吉田茂氏は、本会議の上程に際して、国家正当防衛権による戦争は正当なりというが、これを認めることは有害とすべての戦争を否定したわけであります。
その後、六月二十六日、憲法改正小委員会で、芦田均氏が委員長で、議論の結果、前項の目的を達成するためにを挿入しまして、国際紛争を解決する手段としての戦争を永久に放棄するが、自衛のための戦争と武力行使は放棄されていないとする自衛権の可能性を残しました。これはパリの不戦条約でも、自衛権の存在は当然であるので言及する必要なしと自衛権を可能にしておりますが、第一項で放棄した武力行使は国権の発動たる自国ですることであり、第二項はそのための手段を持たないとする限定放棄説を確立しようとするものでございました。
その後、二十五年に朝鮮戦争が勃発をしまして、マッカーサーが方針を転換しまして、日本の無力化政策を転じて対ソ政策として日本を利用するために日本に軍隊を保持させて、経済も育成する方針といたしました。しかし、吉田茂は軽武装論をとりまして、昭和二十六年、警察予備隊は軍隊でない、国内的には重税を課すことになり、今はその時期にあらずと発言をし、自衛の戦力ではなくて治安の組織であると説明をいたしております。
その後、講和条約が発効しまして、昭和二十七年、日本独立後も、保安隊設立に際する政府見解においても、保安隊は戦力ではない、戦力とは何かといえば、近代戦争遂行能力あるいは近代戦争を遂行するに足りる装備、編制を整えるものと言っておりまして、戦力に至らない実力を持つことは違憲でないと説明をしております。したがいまして、憲法を変えなかったために、自衛の目的といえども戦力は保持できない、自衛のための必要最小限度を超えるものはだめということになりまして、その概念で昭和二十九年に自衛隊が創設をされましたが、そのとき大村防衛庁長官は、九条は独立国として我が国が自衛権を持つことを認めている、したがって、自衛隊のような自衛のための任務を有し、かつその目的のため必要相当な範囲の実力部隊を設けることは何ら憲法に反しないと説明をしております。
かくして、政府は自衛権による実力部隊を持ちましたが、この論法は、軍隊や戦力の保持禁止規定をどう回避するかから来ていまして、実定法主義、つまり法律がなければ何も存在しないを捨てて自然法の思想、自然の摂理から当然存在するをとりまして、国家として自衛権を保有するのが当然であるから、自衛権の行使のための自衛隊は憲法上許されるとしました。
自衛権に関しては、国家として憲法に自衛権、自衛隊の記述がないために、日本の防衛政策が防衛力として戦力でない組織を持つことを前提に理論が構築をされておりまして、戦力は自衛のための必要最小限度を超えるものと定義し、自衛隊は自衛のための必要最小限度の実力を備えることは許されるがそれは超えてはならないものとされ、このため自衛隊の性格が弱く、抑制的になりました。また、自衛隊が国際法の定義ではなくて国内法のものになりまして、他国に比して抑制的なものになっております。
そのため、自衛権の発動の要件として三条件を定めたり、海外派遣された自衛隊の自己防衛は不可能で、他国の警護、庇護のもとに活動することで、カンボジアではフランス軍、ゴラン高原ではカナダ軍、イラク・サマワではオランダ軍に守られながら活動いたしております。
また、自衛隊は軍隊かという議論につきましては、最終的にはここに記述しましたとおりになっております。呼称の定義により、これを軍隊と言うなら自衛隊も軍隊と言えるが、憲法上、自衛のための必要最小限度を超える実力を保持し得ないなどの制約を課せられており、通常の観念で考えられる軍隊とは異なるものと整理をいたしております。交戦権についても同様でございます。
以後、冷戦下の防衛政策というのは専守防衛、制約された自衛権での防衛力整備となりました。これは、昭和四十五年十月の中曽根防衛白書に象徴されますように、専守防衛でやっていくと。このため、我が国に対する武力攻撃の発生時点は武力攻撃が発生した時点から、また必要最小限度の実力行使の範囲内でということで、行動の地理的範囲、また敵地攻撃、自衛権の範囲、また自衛のための必要最小限度の実力ということで、ICBMや長距離爆撃戦闘機を保有することはできないということ、それからGNP比も一%枠ということとされました。
さて、だんだん時代が変わってきまして、海外派遣をするようになりました。海外派兵と海外派遣の違いはそこで記述したとおりで、武力行使の目的を持って武装した部隊を送ることが海外派兵で、これは憲法上許されないけれども、武力行使の目的を持たないで部隊を他国へ派遣することは海外派遣であり、憲法上許されないわけではないとなりました。
湾岸戦争以降、いろいろな活動をするようになりましたが、事イラクについて申し上げますと、イラクにおける自衛隊の活動は、イラクの復興と民生の安定を図るために人道復興支援を行うものが中心でありまして、武力の行使を目的として行うものではない。自衛隊の部隊が行う活動は、それ自体は武力行使に当たるものではなくて、活動範囲を非戦闘地域に限っていることから、他国の武力の行使と一体化するものではないので、九条一項で禁止された武力の行使ではない。しかも、国連決議もあります。イラクの復興国連決議一四八三、一五一一には、すべての加盟国に、イラクのための人道アピールにこたえ、食糧、医療、インフラ復興、必要な資源を支援することを要請すると書かれております。
また、イラクにおける占領行政をしているんじゃないか、これは交戦権違反じゃないかという御意見もありますけれども、国際法上、交戦権というのは非交戦国によっては行使し得ないものであり、武力行使の当事者でない我が国が交戦権を行使することは基本的に論理的にあり得ず、第九条においても、武力行使の当事者でないので基本的には問題はない。そもそも、イラクを占領する意識はなくて、早期にイラク政府をつくる目的で、人道支援で復興支援に行っていると考えていると説明をいたしております。
ちなみに、米英軍の活動の根拠ということにつきましても、国連決議一四八三において、米英のCPAに特定の権限、責任及び義務があることを認識する、当局は領土の実効的な統治を通じてイラク国民の福祉の増進を要請すると記述をされております。したがって、このような権利に基づいた活動であると認識をいたしております。
そして、今度は集団的自衛権についての考えを述べますが、この際、武力行使と武器の使用、この違いにつきましてはここに書いたとおりでありまして、いわゆる武器使用というのは、自衛官等が任務を遂行するに当たって、自己保存のための自然的権利、いわゆる正当防衛、そのために、相手方がどのような主体においても、安全を確保することは許される。これは九条の禁じる武力の行使ではないということであります。特に、イラク特措法十七条では、自己または自己とともに現場に所在する隊員の生命、身体を防衛するために、自己保存のための自然的権利であって、憲法上禁止された我が国の物的・人的組織体による武力紛争の一環としての戦闘行為である武力の行使には当たらないという概念で認めているわけでございます。
そして、集団的自衛権については、定義は御承知だと思いますので省略をいたしますが、現在は、国家は、集団的自衛権を保有していることは主権国家である以上当然である、しかし、第九条において容認される自衛権の行使は、我が国防衛で必要最小限の範囲内にとどまるべきであり、集団的自衛権の行使は必要最小限度を超えるものであって、憲法上許されないということになっておりますが、これはいろいろ学説がありまして、昭和三十五年の参議院予算委員会で林修三法制局長官が、集団的自衛権として、自国を他国と協同して守ることも許されるとして発言したこともありますが、昭和五十六年、政府答弁として整理をされまして現在に至っております。
ちなみに、見解の変更については、改めるつもりは全くないと。中曽根政権期も、集団的自衛権行使を認めるなら憲法改正を要する旨の見解が法制局長官から出されております。
また、集団的安全保障につきましては、これは国連のようなものでありますが、結論としましては、憲法九条によって禁じられている武力の行使または武力の威嚇に当たる行為については、我が国としてこれを行うことが許されないということになっておりまして、仮に国連軍ができても、武力行使の部分は参加できないという考え方でございますが、しかし、小沢調査会等で、全く瑕疵のない国連軍ができれば、国権の発動たる武力行使に当たらないはずであり、完全な形の国連軍ができれば参加できるという考え方もございます。
したがいまして、武力の行使と一体をなす行動に該当するかどうか、他国が戦闘行為を行う地域と我が国の活動地域との場所を整理して考えるわけでございますが、この九条の武力による威嚇、行使を、日本自身の利益追求のための武力行使と考えるのか、国連の決定、要請、授権のもとに行われる国際共通価値実現の武力行使と区別をすべきではないかということで学説が分かれておりますが、現在は、区別することなく一律に禁止をいたしております。
以上のことを整理してみますと、現行の憲法でできないことで私が見てこれはどうかと思う点は、まず、イラクへ自衛隊が派遣されても、隣の外国部隊がテロリストに襲撃されてもほとんど何もできない。NGOや政府関係者、マスコミ、民間人が危害を目の前で加えられても、自衛隊は警護も救出にも行けない。また、任務遂行の武器使用や警護、警備などもできないというのが現状です。
第二に、同盟国の米軍が日本周辺で他国から攻撃を受けた場合も、日本は、自衛隊は救出や応戦もできない。これは日米協力に支障になろうかと思います。それから、国連軍が編成されても武力行使には参加できないということにつきましても、これはやはり国連協力の支障になることも考えられます。それから、国連の常任理事国になっても決定事項を履行できない。また、アジアの安全保障機構というのが将来できても、日本はその行動についていろんな制約を受ける。それから、仮に日韓防衛条約なるものができたとしても、この憲法の解釈によりますと片務的な条約になるということで、このことは、日本のこれからの国際安全保障の環境整備のために足かせとなっておりまして、私は、憲法を改正してきちんとできるようにすべきであろうと思います。
最後に、これからの日本の国際貢献の理念でありますが、現在、百五十を超える国家の憲法に、平和の推進とか侵略戦争の否認、戦争放棄、軍隊の規制、非設置など、それぞれの国が持っております。この記述が、日本国憲法が特異性を持つものではないと思いますが、私は、世界平和のためにやるべきことはしっかりできる国になるべきだと思います。そういう意味では、今後国連改革の中で、日本の安全保障理事国になることについては、理事国として議論に参加をし、決議を交渉し、イニシアチブをとるためにも必要でありますし、国連資金の二〇%を支出している国が常任理事国に入っていないこと自体がおかしな話でありますので、現状は言いたいことも言えずにお金だけ出しているということは残念だと思います。
そして、これからの国連の趨勢としまして、停戦監視から治安、人道、経済発展など、国連の活動は非常に複合的なものになってまいりまして、実行力のある多国籍軍型で自己完結をさせて活動するということが趨勢になってきております。この面からも、参加、協力できる国になるべきだと思っております。
そして、イラクにつきましては、やはり国連決議を求めて、今後暫定政府は出ますけれども、国連の活動を重視していくべきだと思います。
最後に、結論として、政府見解を変えるより、新憲法で、自衛権の存在、自衛隊の役割を明記することが何よりいい選択である。二、国際法、国際慣例に従った国際貢献のできる権限を記述することが必要である。三、平和主義や国連中心主義は、日本の理念として、九条の中心にすべきである。そして、第四として、最後に、この憲法九条改正に向けまして、各党の実りある議論を期待したいと思っております。
以上で発言を終わらせていただきます。
この発言だけを見る →第九条は、二十世紀の後半の五十年間、日本の復興から高度成長の時期に、日本のためによく機能し、歴史的役割を果たしたすぐれたものだと考えます。
この九条の果たしてきた役割というのは、敗戦後、日本がアジアの国々に国際的に受け入れられる現実的条件であった。第二に、軍事力の増強、防衛予算の増額を求める米国を抑え、軽武装、経済成長政策の柱でありまして、このため、日本は高度成長をなし得たということ。第三点は、国家利益の追求の手段として、経済的利益の追求はしても、武力に訴えないこと、武器を輸出して死の商人にならないことなどを遵守し、平和を希求する道義国家であり得たということが考えられます。
しかし、日本の立場、国際社会は大きく変化をし、一九八〇年には、日本の経済発展に伴いGNPが世界の一割以上を占めるに至り、国際社会における責任と役割が増大しました。二〇〇〇年以降も、冷戦構造の崩壊、湾岸危機、核ミサイルの拡散、国際テロ事件の発生など、日本は国際安全保障上で責任ある態度をとらなければならない立場となりました。
このため、自衛隊の海外の活動が行われるようになりましたが、リスクを背負ってまで危険な環境の中でも国家として復興支援を行うことを決断し、自衛官は使命感を持って他国の領域で活動をいたしておりますが、派遣された隊員の憲法上の地位や身分、国際法における自衛隊の地位や軍隊としての権限は付与されないままでの派遣となっておりまして、自衛隊も主任務が国土防衛であり、雑則として国際協力活動を行っているのが実態であり、自衛隊の装備、体制も国内で活動することを前提で整備、訓練されていますので、今、憲法調査会においてこのことを議論しなければならないと思いますが、私が思うのには、九条の理念、これが立派過ぎるものであるがゆえに、九条と国際社会の現実とが乖離したまま、現行憲法のままで自衛隊の海外派遣を実施している今日の防衛政策が、国際情勢の変化を知る国民に対する説得力を欠き、違和感を覚えるものとなっております。
我が国は、これ以上、九条を維持したまま現実からの逃避と自己欺瞞を広げ、放置できない段階になっておりまして、九条に関しては、現実を解釈の理念で取り繕う手法を重ねていますが、憲法という国家の基本法の軽視と形骸化を生み出す危険水域に入っておりまして、今こそこの問題に対処しなければならないと思います。
さて、自衛隊のイラク派遣を考えると、どうしても憲法制定のルーツから考えていかなければなりません。
憲法制定の過程は記述をいたしましたけれども、昭和二十年十月十一日、マッカーサーから憲法改正を示唆されて以降、十二月八日の松本四原則の提示、二十一年一月九日、松本氏が憲法改正私案を提出し、二月四日、マッカーサーがこれでは不十分だということで、民政局に憲法草案の作成を命じて、マッカーサー三原則、いわゆるマッカーサー・ノートが示されました。
そのときには、自己の安全を保持するための手段としての戦争をも放棄するということを要求しましたけれども、民政局内の検討結果、ホイットニーが自己の安全を保持するための手段としてさえの部分を現実的でないと思い削除いたしまして、十二日にGHQ案が完成し、その後、その原則を盛り込んだ改正案が作成されまして、五月に国会召集とともに審議をされたわけでございます。
このとき、六月二十五日に吉田茂氏は、本会議の上程に際して、国家正当防衛権による戦争は正当なりというが、これを認めることは有害とすべての戦争を否定したわけであります。
その後、六月二十六日、憲法改正小委員会で、芦田均氏が委員長で、議論の結果、前項の目的を達成するためにを挿入しまして、国際紛争を解決する手段としての戦争を永久に放棄するが、自衛のための戦争と武力行使は放棄されていないとする自衛権の可能性を残しました。これはパリの不戦条約でも、自衛権の存在は当然であるので言及する必要なしと自衛権を可能にしておりますが、第一項で放棄した武力行使は国権の発動たる自国ですることであり、第二項はそのための手段を持たないとする限定放棄説を確立しようとするものでございました。
その後、二十五年に朝鮮戦争が勃発をしまして、マッカーサーが方針を転換しまして、日本の無力化政策を転じて対ソ政策として日本を利用するために日本に軍隊を保持させて、経済も育成する方針といたしました。しかし、吉田茂は軽武装論をとりまして、昭和二十六年、警察予備隊は軍隊でない、国内的には重税を課すことになり、今はその時期にあらずと発言をし、自衛の戦力ではなくて治安の組織であると説明をいたしております。
その後、講和条約が発効しまして、昭和二十七年、日本独立後も、保安隊設立に際する政府見解においても、保安隊は戦力ではない、戦力とは何かといえば、近代戦争遂行能力あるいは近代戦争を遂行するに足りる装備、編制を整えるものと言っておりまして、戦力に至らない実力を持つことは違憲でないと説明をしております。したがいまして、憲法を変えなかったために、自衛の目的といえども戦力は保持できない、自衛のための必要最小限度を超えるものはだめということになりまして、その概念で昭和二十九年に自衛隊が創設をされましたが、そのとき大村防衛庁長官は、九条は独立国として我が国が自衛権を持つことを認めている、したがって、自衛隊のような自衛のための任務を有し、かつその目的のため必要相当な範囲の実力部隊を設けることは何ら憲法に反しないと説明をしております。
かくして、政府は自衛権による実力部隊を持ちましたが、この論法は、軍隊や戦力の保持禁止規定をどう回避するかから来ていまして、実定法主義、つまり法律がなければ何も存在しないを捨てて自然法の思想、自然の摂理から当然存在するをとりまして、国家として自衛権を保有するのが当然であるから、自衛権の行使のための自衛隊は憲法上許されるとしました。
自衛権に関しては、国家として憲法に自衛権、自衛隊の記述がないために、日本の防衛政策が防衛力として戦力でない組織を持つことを前提に理論が構築をされておりまして、戦力は自衛のための必要最小限度を超えるものと定義し、自衛隊は自衛のための必要最小限度の実力を備えることは許されるがそれは超えてはならないものとされ、このため自衛隊の性格が弱く、抑制的になりました。また、自衛隊が国際法の定義ではなくて国内法のものになりまして、他国に比して抑制的なものになっております。
そのため、自衛権の発動の要件として三条件を定めたり、海外派遣された自衛隊の自己防衛は不可能で、他国の警護、庇護のもとに活動することで、カンボジアではフランス軍、ゴラン高原ではカナダ軍、イラク・サマワではオランダ軍に守られながら活動いたしております。
また、自衛隊は軍隊かという議論につきましては、最終的にはここに記述しましたとおりになっております。呼称の定義により、これを軍隊と言うなら自衛隊も軍隊と言えるが、憲法上、自衛のための必要最小限度を超える実力を保持し得ないなどの制約を課せられており、通常の観念で考えられる軍隊とは異なるものと整理をいたしております。交戦権についても同様でございます。
以後、冷戦下の防衛政策というのは専守防衛、制約された自衛権での防衛力整備となりました。これは、昭和四十五年十月の中曽根防衛白書に象徴されますように、専守防衛でやっていくと。このため、我が国に対する武力攻撃の発生時点は武力攻撃が発生した時点から、また必要最小限度の実力行使の範囲内でということで、行動の地理的範囲、また敵地攻撃、自衛権の範囲、また自衛のための必要最小限度の実力ということで、ICBMや長距離爆撃戦闘機を保有することはできないということ、それからGNP比も一%枠ということとされました。
さて、だんだん時代が変わってきまして、海外派遣をするようになりました。海外派兵と海外派遣の違いはそこで記述したとおりで、武力行使の目的を持って武装した部隊を送ることが海外派兵で、これは憲法上許されないけれども、武力行使の目的を持たないで部隊を他国へ派遣することは海外派遣であり、憲法上許されないわけではないとなりました。
湾岸戦争以降、いろいろな活動をするようになりましたが、事イラクについて申し上げますと、イラクにおける自衛隊の活動は、イラクの復興と民生の安定を図るために人道復興支援を行うものが中心でありまして、武力の行使を目的として行うものではない。自衛隊の部隊が行う活動は、それ自体は武力行使に当たるものではなくて、活動範囲を非戦闘地域に限っていることから、他国の武力の行使と一体化するものではないので、九条一項で禁止された武力の行使ではない。しかも、国連決議もあります。イラクの復興国連決議一四八三、一五一一には、すべての加盟国に、イラクのための人道アピールにこたえ、食糧、医療、インフラ復興、必要な資源を支援することを要請すると書かれております。
また、イラクにおける占領行政をしているんじゃないか、これは交戦権違反じゃないかという御意見もありますけれども、国際法上、交戦権というのは非交戦国によっては行使し得ないものであり、武力行使の当事者でない我が国が交戦権を行使することは基本的に論理的にあり得ず、第九条においても、武力行使の当事者でないので基本的には問題はない。そもそも、イラクを占領する意識はなくて、早期にイラク政府をつくる目的で、人道支援で復興支援に行っていると考えていると説明をいたしております。
ちなみに、米英軍の活動の根拠ということにつきましても、国連決議一四八三において、米英のCPAに特定の権限、責任及び義務があることを認識する、当局は領土の実効的な統治を通じてイラク国民の福祉の増進を要請すると記述をされております。したがって、このような権利に基づいた活動であると認識をいたしております。
そして、今度は集団的自衛権についての考えを述べますが、この際、武力行使と武器の使用、この違いにつきましてはここに書いたとおりでありまして、いわゆる武器使用というのは、自衛官等が任務を遂行するに当たって、自己保存のための自然的権利、いわゆる正当防衛、そのために、相手方がどのような主体においても、安全を確保することは許される。これは九条の禁じる武力の行使ではないということであります。特に、イラク特措法十七条では、自己または自己とともに現場に所在する隊員の生命、身体を防衛するために、自己保存のための自然的権利であって、憲法上禁止された我が国の物的・人的組織体による武力紛争の一環としての戦闘行為である武力の行使には当たらないという概念で認めているわけでございます。
そして、集団的自衛権については、定義は御承知だと思いますので省略をいたしますが、現在は、国家は、集団的自衛権を保有していることは主権国家である以上当然である、しかし、第九条において容認される自衛権の行使は、我が国防衛で必要最小限の範囲内にとどまるべきであり、集団的自衛権の行使は必要最小限度を超えるものであって、憲法上許されないということになっておりますが、これはいろいろ学説がありまして、昭和三十五年の参議院予算委員会で林修三法制局長官が、集団的自衛権として、自国を他国と協同して守ることも許されるとして発言したこともありますが、昭和五十六年、政府答弁として整理をされまして現在に至っております。
ちなみに、見解の変更については、改めるつもりは全くないと。中曽根政権期も、集団的自衛権行使を認めるなら憲法改正を要する旨の見解が法制局長官から出されております。
また、集団的安全保障につきましては、これは国連のようなものでありますが、結論としましては、憲法九条によって禁じられている武力の行使または武力の威嚇に当たる行為については、我が国としてこれを行うことが許されないということになっておりまして、仮に国連軍ができても、武力行使の部分は参加できないという考え方でございますが、しかし、小沢調査会等で、全く瑕疵のない国連軍ができれば、国権の発動たる武力行使に当たらないはずであり、完全な形の国連軍ができれば参加できるという考え方もございます。
したがいまして、武力の行使と一体をなす行動に該当するかどうか、他国が戦闘行為を行う地域と我が国の活動地域との場所を整理して考えるわけでございますが、この九条の武力による威嚇、行使を、日本自身の利益追求のための武力行使と考えるのか、国連の決定、要請、授権のもとに行われる国際共通価値実現の武力行使と区別をすべきではないかということで学説が分かれておりますが、現在は、区別することなく一律に禁止をいたしております。
以上のことを整理してみますと、現行の憲法でできないことで私が見てこれはどうかと思う点は、まず、イラクへ自衛隊が派遣されても、隣の外国部隊がテロリストに襲撃されてもほとんど何もできない。NGOや政府関係者、マスコミ、民間人が危害を目の前で加えられても、自衛隊は警護も救出にも行けない。また、任務遂行の武器使用や警護、警備などもできないというのが現状です。
第二に、同盟国の米軍が日本周辺で他国から攻撃を受けた場合も、日本は、自衛隊は救出や応戦もできない。これは日米協力に支障になろうかと思います。それから、国連軍が編成されても武力行使には参加できないということにつきましても、これはやはり国連協力の支障になることも考えられます。それから、国連の常任理事国になっても決定事項を履行できない。また、アジアの安全保障機構というのが将来できても、日本はその行動についていろんな制約を受ける。それから、仮に日韓防衛条約なるものができたとしても、この憲法の解釈によりますと片務的な条約になるということで、このことは、日本のこれからの国際安全保障の環境整備のために足かせとなっておりまして、私は、憲法を改正してきちんとできるようにすべきであろうと思います。
最後に、これからの日本の国際貢献の理念でありますが、現在、百五十を超える国家の憲法に、平和の推進とか侵略戦争の否認、戦争放棄、軍隊の規制、非設置など、それぞれの国が持っております。この記述が、日本国憲法が特異性を持つものではないと思いますが、私は、世界平和のためにやるべきことはしっかりできる国になるべきだと思います。そういう意味では、今後国連改革の中で、日本の安全保障理事国になることについては、理事国として議論に参加をし、決議を交渉し、イニシアチブをとるためにも必要でありますし、国連資金の二〇%を支出している国が常任理事国に入っていないこと自体がおかしな話でありますので、現状は言いたいことも言えずにお金だけ出しているということは残念だと思います。
そして、これからの国連の趨勢としまして、停戦監視から治安、人道、経済発展など、国連の活動は非常に複合的なものになってまいりまして、実行力のある多国籍軍型で自己完結をさせて活動するということが趨勢になってきております。この面からも、参加、協力できる国になるべきだと思っております。
そして、イラクにつきましては、やはり国連決議を求めて、今後暫定政府は出ますけれども、国連の活動を重視していくべきだと思います。
最後に、結論として、政府見解を変えるより、新憲法で、自衛権の存在、自衛隊の役割を明記することが何よりいい選択である。二、国際法、国際慣例に従った国際貢献のできる権限を記述することが必要である。三、平和主義や国連中心主義は、日本の理念として、九条の中心にすべきである。そして、第四として、最後に、この憲法九条改正に向けまして、各党の実りある議論を期待したいと思っております。
以上で発言を終わらせていただきます。
近
松
松本剛明#4
○松本(剛)小委員 民主党の松本剛明でございます。この憲法調査会、初めて参加をさせていただきますので、諸先生方の御指導よろしくお願いをいたします。
きょうは、安全保障及び国際協力等に関する件、憲法九条、特に自衛隊のイラク派遣並びに集団的安全保障及び集団的自衛権ということでテーマをいただきましたので、このテーマに沿って発言をさせていただきたいと思います。
まず、改めて委員各位に法治、法律によって治める法治ということを考えていただきたい、このように思っております。
法治という言葉は、さかのぼれば、孔子の徳治主義に対して韓非子の法治主義までさかのぼっていくわけであります。このころは一人の為政者、王が政治をするという前提に立って、孔子の性善説に基づく有徳の君主、為政者が徳を持ってという徳治主義に対して、やや否定的なイメージが伴いますが、韓非子の性悪説に基づく法治主義というのが唱えられたわけでありますが、今と国家の体制が全く異なるということを考えれば、このことはひとつおいて、先へ進んでいきたいというふうに思います。
そして、近代国家に至っては、法治主義というのは王の統治権の絶対性を否定して、法に準拠する政治を主張する、国民の意思によって制定された法に基づいて国家権力を行使する、こういう制度のことを指してくるわけであります。このことは、まさに王の統治権の絶対性を否定しという言葉の中に隠れているように、極めて恣意的なことが行われないようにということが含まれているというふうに理解をいたします。
そして、私たち今の近代的な民主国家では、政治はもちろん時代の要請にこたえて事に当たっていかなければいけないわけでありますが、私たちには、立法権ということで、このいろいろな事態を想定して法を定める、どんな法でも解釈というのがありますから、この解釈をどう解するかというふうなことがまた一点ありますけれども、この法を定める権限を与えられているわけでありまして、事に当たっては、そのときには法の範囲で行うということになっている、これが法治ということで、事態に対応するために法を飛び越えて行われるべきではないというふうなことをまず申し上げたいと思います。
この法治を行うことによって、原理原則が貫かれ、また、予測可能性や平等性が確保されたり、歯どめとなるということを念頭に置いて、以下お話をさせていただきたいと思います。
このイラクについてでありますが、国際法上から見たイラク戦争の大義ということについてお話をさせていただきたいと思います。
これについては、日本国憲法そして九条は、国連の構築を予定していた集団安全保障の体制を一つの与件として、そしてそういった国際社会の法治の方向を目指すべきであるということを前提に組み立てられていると思うからこそ、このイラクについても改めて吟味をする必要があるというふうに思っております。憲法九条に「正義と秩序を基調とする国際平和」ということを書いてある中にもそのことが認められるのではないかというふうに思います。
ですから、よく議論の中で、サダム・フセインに問題があるのだから、こうなるわけでありますが、ここから一挙にイラク攻撃が認められるかどうかというのは大変短絡的、感情的な議論だというふうに申し上げなくてはならないと思います。国内の法によって違法である、法を犯したというふうに認められた場合でも、そのまま制裁が加えられるわけではなく、やはり裁判といった手続を通して行われるということと同じように法治ということを考えた場合に、そこをきちっと押さえる必要があるというふうに思っております。
また、既に復興の段階に入っており、自衛隊の本隊も現地に到着をしている中で議論をしても仕方がないという乱暴な論法もありますけれども、当調査会、小委員会においてはそんな議論はないと思います。また、日本人の底流には、あきらめの観、諦観があるとよく言われておりますが、やはりこのイラク戦争に大義があったのかどうかというのは、今の、そしてまた今後のためにもしっかり検証されるべきことであるというふうに思っております。
既に今御意見の開陳がありましたので重複は避けていきたいと思いますが、今回のイラク攻撃の武力行使、これは、そもそも今の国際法では自衛権の発動と国連の決議による以外の武力行使が認められていない中で、どちらに当たるのかということであります。
国連安保理決議、もうたびたび繰り返されておりますが、一四四一、六七八、六八七で読めるかどうかというのは大変議論があるところでありますが、武力行使といういわば最終的な手段を使うに当たって、これだけ議論が分かれる中で、国際的に認められた形での武力行使だというのは大変言いにくいのではないかということをまず申し上げたいと思います。
また、ブッシュ・ドクトリンと言われる、先制攻撃という形でのいわば自衛権の発動だという考え方もあるように思いますが、今の国際法では先制攻撃というのが自衛というふうに認められるとはとても思えません。先ほど申し上げたように、国際法の法治という観点からいけば、国際法の中で議論を積み重ねて、先制攻撃、特にテロといった新しい形に対しては新たな対応が必要であるという意見は全く私も否定をするものではありませんが、きちっとした国際法の中で認められる形を組み上げた上でなければ、先制攻撃という形が認められるとは思いません。
そして、申し上げるまでもないことですが、もし認められるとしても、戦争はできる限り避けなければならないわけでありまして、ぎりぎりの要件が恐らく定められるだろうというふうに思います。
今回、大量破壊兵器の問題が大きく取り上げられております。自衛権の主張の根拠として大量破壊兵器の脅威が挙げられているのではないかというふうに私は思いますが、先ほど申し上げたようにぎりぎりまで戦争を避けなければならないということを考えると、今回のように情報操作がもしあったとすればもちろん論外でありますが、査察継続による解決も可能ではないかという意見があった中で、いわば見切り発車のように強行したということを考えれば、大量破壊兵器のその存否を含めてしっかりと検証され、また結果の責任が問われなければいけない、このような問題であるというふうに考えております。
次に、自衛隊のイラクの派遣について、憲法との関係で申し上げたいと思いますが、このイラク特措法については、お配りになられている資料にもありますように、非戦闘地域概念を初めとして、武器弾薬の輸送と武力行使との一体化、武器使用基準、占領行政参加と交戦権否認、先ほどもそれぞれについて中谷委員からのお話がありましたけれども、時間に限りがありますので、非戦闘地域概念によることについてだけ申し上げてまいりたいと思います。
この非戦闘地域といった概念を設けて線引きをしたりすることは、大変もう限界に来ているというふうに感じております。これは、これまでの後方支援といった線引きもかなり無理があったと思いますが、さらに今回の非戦闘地域の概念というのは大変無理があるように感じます。
例えば、今回のことであれば、テロに対する掃討作戦、これが戦闘に当たるのかどうかといったようなことも議論をされたわけでありますが、答えが出ませんでした。
若干引用をさせていただきたいと思いますが、去る一月三十日、石破防衛庁長官と私が議論をさせていただいたんですが、まず石破防衛庁長官から、「テロというものは、国際紛争を解決するための武力行使あるいはその武力を行使する憲法九条に言うがところの主体とは考えておりません。」というような答えがありました。その後、私は、米軍等が行うテロに対する掃討作戦は戦闘であるのかないのかということをお尋ねさせていただきましたら、石破防衛庁長官の答えは、「我々が活動する地域は非戦闘地域でなければならない」、このような答えでありました。
私がお尋ねをさせていただいたことに対して、突如として、自衛隊が行くところは非戦闘地域である、こういう御答弁になってしまう。この一点を見ても、この非戦闘地域概念というものには相当無理があるということを申し上げられると思います。
そして、今申し上げた、あとの三点の論点に関しても、今お話がありましたけれども、現実に、自衛隊が自己完結的な存在として海外に派遣をされるに当たっては、さまざまな課題を生じているということも指摘をさせていただかなければいけません。
また、このイラクへの自衛隊派遣に関しては、人道復興支援が大変大きく取り上げられるような形でお話がなされることが多いわけでありますが、もう一つの柱として、安全確保支援活動ということで、米英等連合軍の後方支援をされておられるわけであります。
この後方支援についても、今回のような形の後方支援というものの憲法上の位置づけ、そして憲法に反しない範囲で行うということの安全確保支援活動の意義といったことについても、ぜひ御議論をいただきたい、問題提起をさせていただきたいと思います。
後ほど申し上げさせていただくことと重複をしますが、こういった課題を取り上げていくと、今の憲法九条の合憲性というものを武力の行使といった概念、基準から見るだけで判断をしていいのか、国連を中心とする国際協力といった目的から判断をする余地はないのかということが、議論の余地が出てくるのではないかというふうに思っております。
続いて、集団安全保障について申し上げたいと思います。
私たち民主党は、理想からかけ離れた部分もある国連の現実はしっかりと直視をしていきたいと思っておりますが、この活動の実践を通していきながら、憲章が規定をする理想の姿にどのようにしたら近づけるのか、そんな努力を積み重ね、理想の姿に近づいていく道を選択すべきである、このように考えております。
国連軍については、一たん断念をされたというふうにも解することができるわけでありますが、あえて含めれば、国連軍、多国籍軍、そして平和維持活動を含む集団安全保障活動に広く参加することは、現行の憲法の解釈では著しく難しい点があり、制度的枠組みの改革が必要であるというふうに私たちは考えております。
これまで我が国が参加してきた平和維持活動を直ちに違憲であるというふうに申し上げているわけではありませんけれども、後方支援との線引きなどの問題というのは、やはり依然として問題が残っておるというふうに思っております。
しかし一方で、私たちは、国連に加わるに当たっては、この憲章に対して何ら留保をつけることなく国連に加わっているということも大変大きなポイントであろうというふうに思っており、冒頭申し上げたように、集団安全保障に対しては積極的にぜひ参加をすべきものである、これが先ほど申し上げた政治の姿勢であるというふうに思います。そして、そのために、この法治を行っていくに当たっては、どのような立法ないしは私たちの行動が今必要なのかということが問われているのではないかというふうに思います。
その方向として私たちが考えられると思っておりますのは、先ほど申し上げたように、集団安全保障活動というのは、この九条の枠外だと考えることができるのではないか。武力行使を基準とする解釈に加えて、新たに目的を基準とする合憲性の判断という基準があってもいいのではないかということが一つ考えられると思います。
また、憲法との整理をしていくことが必要でありますが、間をつなぐものとして基本法を制定するという考え方もあるのではないかというふうに思っております。これは、昨年の有事法制の議論の中でも私ども主張をさせていただき、与党との間でもお話を進めなくてはいけない課題でありますが、基本法制定というのも一つの、国民にとってもわかりやすい、そして法治の精神を生かした考え方ではないかというふうに思います。
三つ目としては、憲法改正という考え方も当然認められてくるというふうに思っております。
今申し上げたような幾つかの考え方、例えば解釈についても、解釈がこのようにされるということと、また望ましい形ということの考え方というのはあろうかというふうに思います。わかりやすい、望ましい形が憲法改正であるという意見が大変多くある部分については、私も同様に感ずる部分もあるわけでありますが、最初に申し上げたように、政治は今の課題にこたえていかねばなりませんし、また、これから先の課題を想定してこたえていかなければならないときに、どのような選択をするかということが私たちに課せられた課題ではないかというふうに思っております。
一点、先ほどの目的との関連で申し上げれば、憲法を制定した当時というのは敵国条項があったという国連憲章にかんがみても、私たち日本の国というのは国連の、いわばプレーヤーとしては恐らく想定をされていなかったのではないかということは申し上げられるのではないか。今、日本の国際社会の中に置かれている立場というのを考えたときには、その部分を踏まえて検討する余地があるというふうに思っております。
集団的自衛権について意見を申し述べさせていただきます。
この集団的自衛権を考えるときに、やはり政治の立場からは、日米安保というのが現在のような非対称的な形でいいのかどうかということも考える余地があると思います。そもそものスタート時点から、日本が負担をし得る範囲というのが変わってきている中では、望ましい分担はどうあるのか、そして、それに合った形での法整備はどういうことなのかということを私たちは、これは憲法も含めてということですが、検討する責務があるというふうに思っております。
また、我が国の安全にとって、先ほど申し上げたように、国連による集団安全保障を理想に近づけることはもちろん目指していくわけでありますが、太平洋、東アジアを中心にいろいろな安全保障の網を設けていくということも政策の選択肢として考えられると思っております。
その際に、集団自衛権が行使できないという現行の解釈というのが、我が国にとっての安全のための選択の範囲を狭めたり、外交交渉上の足かせとなる可能性はないのかどうかということも政治の責務として考えていく必要があると思います。そして、政治の課題がそのようにあるとすれば、今度は法治の立場から憲法そして法律をどのように考えるかということを、私たちはその責務を果たしていかなければいけないというふうに思っております。
そこで、若干議論のあるところであろうと思いますが、まず、我が国の集団的自衛権でありますが、先ほどもありましたが、我が国は国際法上有しているが憲法上行使できないというふうに書いてあるわけでありますが、それでは、憲法上有しているのかどうかということも一つ確認をしておく必要があろうというふうに思います。そして、憲法上有しているとすれば、行使できないということはどのような論理的帰結として導かれるのかということも改めて確認の必要があると私は思っております。
ちなみに、自衛権というものはどのような論法で認められているかということを考えますと、すべての独立国は当然に自衛権を保有する、そして憲法はこれを否定していない、それゆえに現行の憲法下では日本は自衛権を有する、こういう論法で来ているわけであります。これをそのまま当てはめますと、集団的自衛権も固有の権利だ、ここについては若干議論があるようでありますが、固有の権利だとすれば、今と全く同じ論法が成立するということになってまいります。
また、首相を経験された中曽根康弘先生や宮沢喜一先生も、一〇〇%集団的自衛権を否定しているとは思えない発言をされておられるということもございます。
また、我が国を防衛するために必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解されるから、集団的自衛権は行使をできないというふうに言われているわけでありますが、集団的自衛権の行使というのがすべて我が国を防衛するための必要最小限度の範囲を超えるのかといったことについても議論が必要であろうというふうに思っております。
既に一部で議論が始まっていますが、弾道ミサイル防衛なども、私たちは専守防衛の精神に合致するものと思っておりますが、集団自衛権の行使に当たるかどうかを全く議論する必要がないということにはならないのではないか、このように思っております。
一つ御紹介をさせていただきたいと思いますが、九九年の四月一日、現在の安倍自民党幹事長の質問に対して当時の高村大臣がお答えになった答弁があるんです。少し複雑な文章ですが、「集団的自衛権の概念は、その成立の経緯から見て、実力の行使を中核とした概念であることは疑いないわけでありまして、また、我が国の憲法上禁止されている集団的自衛権の行使が我が国による実力の行使を意味することは、政府が一貫して説明してきたところでございます。」この文章を読みますと、中核の部分は否定をしておりますが、集団的自衛権を全面的に否定したというふうには読めないようにもあるわけでありまして、この辺を含めて、改めて私たちも集団的自衛権の問題と正面から取り組んでまいりたいというふうに思っております。
集団安全保障と集団的自衛権の関係についても整理が必要であります。また、両者については相反をするものといったような考え方もあるようでありますが、先ほど申し上げたように、私は、集団的自衛権は主権国固有の権利であると考えるべきではないかと思いますし、また、例えば経済の分野でのWTOとFTAのように、バイとマルチ、両方ともが並行して動かしていくということも考えられるのではないかというふうに思っております。
この法治といったものを近代国家においてしっかり実現をしていくために、この憲法調査会での議論は大変意義深いものだと思いますし、私としても、この進展を大いに期待をさせていただきたいと思っております。
結びに、この九条、今申し上げたように、さまざま私ども取り組むべきところがあろうと思いますが、高い理想を持つ、そしてまた歯どめとして大きな役割を果たしてきたこの九条の使命がしっかり果たされる、このことは受け継いでいきながら考えていきたいということを申し上げて、私の意見とさせていただきます。
ありがとうございました。
この発言だけを見る →きょうは、安全保障及び国際協力等に関する件、憲法九条、特に自衛隊のイラク派遣並びに集団的安全保障及び集団的自衛権ということでテーマをいただきましたので、このテーマに沿って発言をさせていただきたいと思います。
まず、改めて委員各位に法治、法律によって治める法治ということを考えていただきたい、このように思っております。
法治という言葉は、さかのぼれば、孔子の徳治主義に対して韓非子の法治主義までさかのぼっていくわけであります。このころは一人の為政者、王が政治をするという前提に立って、孔子の性善説に基づく有徳の君主、為政者が徳を持ってという徳治主義に対して、やや否定的なイメージが伴いますが、韓非子の性悪説に基づく法治主義というのが唱えられたわけでありますが、今と国家の体制が全く異なるということを考えれば、このことはひとつおいて、先へ進んでいきたいというふうに思います。
そして、近代国家に至っては、法治主義というのは王の統治権の絶対性を否定して、法に準拠する政治を主張する、国民の意思によって制定された法に基づいて国家権力を行使する、こういう制度のことを指してくるわけであります。このことは、まさに王の統治権の絶対性を否定しという言葉の中に隠れているように、極めて恣意的なことが行われないようにということが含まれているというふうに理解をいたします。
そして、私たち今の近代的な民主国家では、政治はもちろん時代の要請にこたえて事に当たっていかなければいけないわけでありますが、私たちには、立法権ということで、このいろいろな事態を想定して法を定める、どんな法でも解釈というのがありますから、この解釈をどう解するかというふうなことがまた一点ありますけれども、この法を定める権限を与えられているわけでありまして、事に当たっては、そのときには法の範囲で行うということになっている、これが法治ということで、事態に対応するために法を飛び越えて行われるべきではないというふうなことをまず申し上げたいと思います。
この法治を行うことによって、原理原則が貫かれ、また、予測可能性や平等性が確保されたり、歯どめとなるということを念頭に置いて、以下お話をさせていただきたいと思います。
このイラクについてでありますが、国際法上から見たイラク戦争の大義ということについてお話をさせていただきたいと思います。
これについては、日本国憲法そして九条は、国連の構築を予定していた集団安全保障の体制を一つの与件として、そしてそういった国際社会の法治の方向を目指すべきであるということを前提に組み立てられていると思うからこそ、このイラクについても改めて吟味をする必要があるというふうに思っております。憲法九条に「正義と秩序を基調とする国際平和」ということを書いてある中にもそのことが認められるのではないかというふうに思います。
ですから、よく議論の中で、サダム・フセインに問題があるのだから、こうなるわけでありますが、ここから一挙にイラク攻撃が認められるかどうかというのは大変短絡的、感情的な議論だというふうに申し上げなくてはならないと思います。国内の法によって違法である、法を犯したというふうに認められた場合でも、そのまま制裁が加えられるわけではなく、やはり裁判といった手続を通して行われるということと同じように法治ということを考えた場合に、そこをきちっと押さえる必要があるというふうに思っております。
また、既に復興の段階に入っており、自衛隊の本隊も現地に到着をしている中で議論をしても仕方がないという乱暴な論法もありますけれども、当調査会、小委員会においてはそんな議論はないと思います。また、日本人の底流には、あきらめの観、諦観があるとよく言われておりますが、やはりこのイラク戦争に大義があったのかどうかというのは、今の、そしてまた今後のためにもしっかり検証されるべきことであるというふうに思っております。
既に今御意見の開陳がありましたので重複は避けていきたいと思いますが、今回のイラク攻撃の武力行使、これは、そもそも今の国際法では自衛権の発動と国連の決議による以外の武力行使が認められていない中で、どちらに当たるのかということであります。
国連安保理決議、もうたびたび繰り返されておりますが、一四四一、六七八、六八七で読めるかどうかというのは大変議論があるところでありますが、武力行使といういわば最終的な手段を使うに当たって、これだけ議論が分かれる中で、国際的に認められた形での武力行使だというのは大変言いにくいのではないかということをまず申し上げたいと思います。
また、ブッシュ・ドクトリンと言われる、先制攻撃という形でのいわば自衛権の発動だという考え方もあるように思いますが、今の国際法では先制攻撃というのが自衛というふうに認められるとはとても思えません。先ほど申し上げたように、国際法の法治という観点からいけば、国際法の中で議論を積み重ねて、先制攻撃、特にテロといった新しい形に対しては新たな対応が必要であるという意見は全く私も否定をするものではありませんが、きちっとした国際法の中で認められる形を組み上げた上でなければ、先制攻撃という形が認められるとは思いません。
そして、申し上げるまでもないことですが、もし認められるとしても、戦争はできる限り避けなければならないわけでありまして、ぎりぎりの要件が恐らく定められるだろうというふうに思います。
今回、大量破壊兵器の問題が大きく取り上げられております。自衛権の主張の根拠として大量破壊兵器の脅威が挙げられているのではないかというふうに私は思いますが、先ほど申し上げたようにぎりぎりまで戦争を避けなければならないということを考えると、今回のように情報操作がもしあったとすればもちろん論外でありますが、査察継続による解決も可能ではないかという意見があった中で、いわば見切り発車のように強行したということを考えれば、大量破壊兵器のその存否を含めてしっかりと検証され、また結果の責任が問われなければいけない、このような問題であるというふうに考えております。
次に、自衛隊のイラクの派遣について、憲法との関係で申し上げたいと思いますが、このイラク特措法については、お配りになられている資料にもありますように、非戦闘地域概念を初めとして、武器弾薬の輸送と武力行使との一体化、武器使用基準、占領行政参加と交戦権否認、先ほどもそれぞれについて中谷委員からのお話がありましたけれども、時間に限りがありますので、非戦闘地域概念によることについてだけ申し上げてまいりたいと思います。
この非戦闘地域といった概念を設けて線引きをしたりすることは、大変もう限界に来ているというふうに感じております。これは、これまでの後方支援といった線引きもかなり無理があったと思いますが、さらに今回の非戦闘地域の概念というのは大変無理があるように感じます。
例えば、今回のことであれば、テロに対する掃討作戦、これが戦闘に当たるのかどうかといったようなことも議論をされたわけでありますが、答えが出ませんでした。
若干引用をさせていただきたいと思いますが、去る一月三十日、石破防衛庁長官と私が議論をさせていただいたんですが、まず石破防衛庁長官から、「テロというものは、国際紛争を解決するための武力行使あるいはその武力を行使する憲法九条に言うがところの主体とは考えておりません。」というような答えがありました。その後、私は、米軍等が行うテロに対する掃討作戦は戦闘であるのかないのかということをお尋ねさせていただきましたら、石破防衛庁長官の答えは、「我々が活動する地域は非戦闘地域でなければならない」、このような答えでありました。
私がお尋ねをさせていただいたことに対して、突如として、自衛隊が行くところは非戦闘地域である、こういう御答弁になってしまう。この一点を見ても、この非戦闘地域概念というものには相当無理があるということを申し上げられると思います。
そして、今申し上げた、あとの三点の論点に関しても、今お話がありましたけれども、現実に、自衛隊が自己完結的な存在として海外に派遣をされるに当たっては、さまざまな課題を生じているということも指摘をさせていただかなければいけません。
また、このイラクへの自衛隊派遣に関しては、人道復興支援が大変大きく取り上げられるような形でお話がなされることが多いわけでありますが、もう一つの柱として、安全確保支援活動ということで、米英等連合軍の後方支援をされておられるわけであります。
この後方支援についても、今回のような形の後方支援というものの憲法上の位置づけ、そして憲法に反しない範囲で行うということの安全確保支援活動の意義といったことについても、ぜひ御議論をいただきたい、問題提起をさせていただきたいと思います。
後ほど申し上げさせていただくことと重複をしますが、こういった課題を取り上げていくと、今の憲法九条の合憲性というものを武力の行使といった概念、基準から見るだけで判断をしていいのか、国連を中心とする国際協力といった目的から判断をする余地はないのかということが、議論の余地が出てくるのではないかというふうに思っております。
続いて、集団安全保障について申し上げたいと思います。
私たち民主党は、理想からかけ離れた部分もある国連の現実はしっかりと直視をしていきたいと思っておりますが、この活動の実践を通していきながら、憲章が規定をする理想の姿にどのようにしたら近づけるのか、そんな努力を積み重ね、理想の姿に近づいていく道を選択すべきである、このように考えております。
国連軍については、一たん断念をされたというふうにも解することができるわけでありますが、あえて含めれば、国連軍、多国籍軍、そして平和維持活動を含む集団安全保障活動に広く参加することは、現行の憲法の解釈では著しく難しい点があり、制度的枠組みの改革が必要であるというふうに私たちは考えております。
これまで我が国が参加してきた平和維持活動を直ちに違憲であるというふうに申し上げているわけではありませんけれども、後方支援との線引きなどの問題というのは、やはり依然として問題が残っておるというふうに思っております。
しかし一方で、私たちは、国連に加わるに当たっては、この憲章に対して何ら留保をつけることなく国連に加わっているということも大変大きなポイントであろうというふうに思っており、冒頭申し上げたように、集団安全保障に対しては積極的にぜひ参加をすべきものである、これが先ほど申し上げた政治の姿勢であるというふうに思います。そして、そのために、この法治を行っていくに当たっては、どのような立法ないしは私たちの行動が今必要なのかということが問われているのではないかというふうに思います。
その方向として私たちが考えられると思っておりますのは、先ほど申し上げたように、集団安全保障活動というのは、この九条の枠外だと考えることができるのではないか。武力行使を基準とする解釈に加えて、新たに目的を基準とする合憲性の判断という基準があってもいいのではないかということが一つ考えられると思います。
また、憲法との整理をしていくことが必要でありますが、間をつなぐものとして基本法を制定するという考え方もあるのではないかというふうに思っております。これは、昨年の有事法制の議論の中でも私ども主張をさせていただき、与党との間でもお話を進めなくてはいけない課題でありますが、基本法制定というのも一つの、国民にとってもわかりやすい、そして法治の精神を生かした考え方ではないかというふうに思います。
三つ目としては、憲法改正という考え方も当然認められてくるというふうに思っております。
今申し上げたような幾つかの考え方、例えば解釈についても、解釈がこのようにされるということと、また望ましい形ということの考え方というのはあろうかというふうに思います。わかりやすい、望ましい形が憲法改正であるという意見が大変多くある部分については、私も同様に感ずる部分もあるわけでありますが、最初に申し上げたように、政治は今の課題にこたえていかねばなりませんし、また、これから先の課題を想定してこたえていかなければならないときに、どのような選択をするかということが私たちに課せられた課題ではないかというふうに思っております。
一点、先ほどの目的との関連で申し上げれば、憲法を制定した当時というのは敵国条項があったという国連憲章にかんがみても、私たち日本の国というのは国連の、いわばプレーヤーとしては恐らく想定をされていなかったのではないかということは申し上げられるのではないか。今、日本の国際社会の中に置かれている立場というのを考えたときには、その部分を踏まえて検討する余地があるというふうに思っております。
集団的自衛権について意見を申し述べさせていただきます。
この集団的自衛権を考えるときに、やはり政治の立場からは、日米安保というのが現在のような非対称的な形でいいのかどうかということも考える余地があると思います。そもそものスタート時点から、日本が負担をし得る範囲というのが変わってきている中では、望ましい分担はどうあるのか、そして、それに合った形での法整備はどういうことなのかということを私たちは、これは憲法も含めてということですが、検討する責務があるというふうに思っております。
また、我が国の安全にとって、先ほど申し上げたように、国連による集団安全保障を理想に近づけることはもちろん目指していくわけでありますが、太平洋、東アジアを中心にいろいろな安全保障の網を設けていくということも政策の選択肢として考えられると思っております。
その際に、集団自衛権が行使できないという現行の解釈というのが、我が国にとっての安全のための選択の範囲を狭めたり、外交交渉上の足かせとなる可能性はないのかどうかということも政治の責務として考えていく必要があると思います。そして、政治の課題がそのようにあるとすれば、今度は法治の立場から憲法そして法律をどのように考えるかということを、私たちはその責務を果たしていかなければいけないというふうに思っております。
そこで、若干議論のあるところであろうと思いますが、まず、我が国の集団的自衛権でありますが、先ほどもありましたが、我が国は国際法上有しているが憲法上行使できないというふうに書いてあるわけでありますが、それでは、憲法上有しているのかどうかということも一つ確認をしておく必要があろうというふうに思います。そして、憲法上有しているとすれば、行使できないということはどのような論理的帰結として導かれるのかということも改めて確認の必要があると私は思っております。
ちなみに、自衛権というものはどのような論法で認められているかということを考えますと、すべての独立国は当然に自衛権を保有する、そして憲法はこれを否定していない、それゆえに現行の憲法下では日本は自衛権を有する、こういう論法で来ているわけであります。これをそのまま当てはめますと、集団的自衛権も固有の権利だ、ここについては若干議論があるようでありますが、固有の権利だとすれば、今と全く同じ論法が成立するということになってまいります。
また、首相を経験された中曽根康弘先生や宮沢喜一先生も、一〇〇%集団的自衛権を否定しているとは思えない発言をされておられるということもございます。
また、我が国を防衛するために必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解されるから、集団的自衛権は行使をできないというふうに言われているわけでありますが、集団的自衛権の行使というのがすべて我が国を防衛するための必要最小限度の範囲を超えるのかといったことについても議論が必要であろうというふうに思っております。
既に一部で議論が始まっていますが、弾道ミサイル防衛なども、私たちは専守防衛の精神に合致するものと思っておりますが、集団自衛権の行使に当たるかどうかを全く議論する必要がないということにはならないのではないか、このように思っております。
一つ御紹介をさせていただきたいと思いますが、九九年の四月一日、現在の安倍自民党幹事長の質問に対して当時の高村大臣がお答えになった答弁があるんです。少し複雑な文章ですが、「集団的自衛権の概念は、その成立の経緯から見て、実力の行使を中核とした概念であることは疑いないわけでありまして、また、我が国の憲法上禁止されている集団的自衛権の行使が我が国による実力の行使を意味することは、政府が一貫して説明してきたところでございます。」この文章を読みますと、中核の部分は否定をしておりますが、集団的自衛権を全面的に否定したというふうには読めないようにもあるわけでありまして、この辺を含めて、改めて私たちも集団的自衛権の問題と正面から取り組んでまいりたいというふうに思っております。
集団安全保障と集団的自衛権の関係についても整理が必要であります。また、両者については相反をするものといったような考え方もあるようでありますが、先ほど申し上げたように、私は、集団的自衛権は主権国固有の権利であると考えるべきではないかと思いますし、また、例えば経済の分野でのWTOとFTAのように、バイとマルチ、両方ともが並行して動かしていくということも考えられるのではないかというふうに思っております。
この法治といったものを近代国家においてしっかり実現をしていくために、この憲法調査会での議論は大変意義深いものだと思いますし、私としても、この進展を大いに期待をさせていただきたいと思っております。
結びに、この九条、今申し上げたように、さまざま私ども取り組むべきところがあろうと思いますが、高い理想を持つ、そしてまた歯どめとして大きな役割を果たしてきたこの九条の使命がしっかり果たされる、このことは受け継いでいきながら考えていきたいということを申し上げて、私の意見とさせていただきます。
ありがとうございました。
近
近
大
大村秀章#7
○大村小委員 自由民主党の大村秀章でございます。
中谷委員、そして松本委員、本当にすばらしい御意見を拝聴いたしまして、ありがとうございました。
それでは、いただきました時間の中で、少し自分の考えを申し上げながら、そして御質問をさせていただければというふうに思っております。
今お二人の意見開陳といいますか御意見の中でもございましたけれども、私も、今回の憲法改正、いわゆる憲法の議論の中で、戦後日本の象徴であり、そして避けて通れないものがこの九条であるということはきょう御出席の委員各位の共通の認識ではないかなというふうに思っております。
そういう中で、今も両委員からもお話がありました、私も同感でありますけれども、この憲法九条というのは戦後日本のまさにシンボルだと思います。平和国家日本、平和憲法をいただいたこの日本のシンボルであり、そしてまた世界に誇ることができる、そういったものであるということを私も認識をし、そして強く申し上げていきたいというふうに思っております。
ただ、その間に時間が相当経過をいたしております。五十数年という時間が経過をし、そして日本の国際社会の中での位置づけも大きく変わってきたということは事実でございます。
国際情勢の変化、例えば、冷戦構造の崩壊、ソ連の脅威は消えたわけでありますけれども、一方で、北朝鮮のミサイルまた核の脅威などなど、日本を取り巻くこの北東アジアの地域での地政学的なリスクがまさに顕在化をしてきた。私は、日本にこういう地政学的なリスクは、冷戦が終わって、もうこれでないのかなというふうに思っておりましたが、まさにそれが顕在化をしてきたというのが今の状態ではないかと思います。そしてまた、日本にとって、当然のことでありますけれども、周辺事態の可能性というものも消えてはおりません。
一方で、冷戦構造が崩壊をして米ソの二極構造がなくなったということが、そのことだけではありませんけれども、そのことがまた局地的な紛争を頻発させているといったような結果を、現実問題、招来をしているというのも事実だと思います。そういった局地的な紛争、そして、そういったところがおさまったときに、日本として、国際的な貢献の一環として、人の派遣、NGOの派遣だけではなくて、とどまらずに、自己完結能力を持った自衛隊の派遣というものの要請が高まっている、これもまさに事実だろうというふうに思っております。
こうした今私が申し上げた一つ一つのこの事態は、日本の国内事情、そういったものは抜きにして、まさにもう既にこの日本を取り巻く周りの中で起こってしまっているというものだと思います。その現実をまず直視しながら我々は議論を進めていかなければいけないのではないかというふうに思うわけであります。まさに、日本を取り巻く情勢、そしてそれだけではなくて世界の情勢が大きく変わってしまった、その現実をまず我々は認識をして議論していかなければいけないというふうに思います。
そして、日本の国際的な社会における地位そして位置づけ、そして占める地位、位置というのも、飛躍的に大きくなったのも事実でございます。そういう意味で、日本がどういう発言をし、どういう考えを持ってどういう行動をとるのかということを、その一挙手一投足を世界はまさに注目しているというふうに思うわけでございます。
そういう中で、国際情勢の変化、そして日本の置かれている地位、そうした実態、そういう現実、事実を見れば、より自然な形で、私は今こそ、日本の安全保障、防衛、そして国際平和協力といったものに対する基本的な理念であり基本的な考え方を、この際、明確に整理をして、一番はっきりとした国の、国家としての基本理念、考えを示す基本法である憲法の中で位置づけをして、そして世界に向かって日本の考えはこうですよ、こうなんだということを明確に発信をしていくということが必要だというふうに思います。そのことが国際社会の中で日本が信頼をかち得る大きな道の一つだ、ポイントの一つではないかなというふうに私は思うわけでございます。
では、もちろん国の基本法でありますから、日本国民がどう思っているかというのが大きいポイントでありますけれども、日本の国民も、やはり自衛隊を九割以上の方が認めている、そして災害の復興、救助、そしてまたPKO、こうしたものに対しても高い評価をしているということから、やはり国民の認識もそこまで高まっているというふうに思います。
そういう意味で、私は、きょうの中谷委員の意見開陳を全面的に支持するものでありますし、また、先般のこの調査会で古屋委員が言われました御提案、憲法改正、自衛隊を明確に位置づけて、そして、国の防衛と国際平和協力業務を明確に位置づけるということを御提案されたことに全面的に賛同するわけであります。
そこで、ちょっと話が長くなりましたが、まず松本委員にお伺いしたいと思うんです。
先ほど来の集団安全保障そしてまた集団的自衛権のお考えをお聞きいたしますと、今私が申し上げたような考え、そしてまた多くの同僚委員の考え方は大変近いというふうに私は認識しながらお聞きをさせていただきました。
そこで、まずお聞きしたいのは、今私が申し上げたこと、憲法上、自衛隊を防衛を担う正規組織として位置づける、そして国際平和協力業務を行うといったことについて明確にするということにまさに御賛同いただけるんじゃないかというふうに思うわけでございますけれども、その点についてはいかがでございましょうか。
この発言だけを見る →中谷委員、そして松本委員、本当にすばらしい御意見を拝聴いたしまして、ありがとうございました。
それでは、いただきました時間の中で、少し自分の考えを申し上げながら、そして御質問をさせていただければというふうに思っております。
今お二人の意見開陳といいますか御意見の中でもございましたけれども、私も、今回の憲法改正、いわゆる憲法の議論の中で、戦後日本の象徴であり、そして避けて通れないものがこの九条であるということはきょう御出席の委員各位の共通の認識ではないかなというふうに思っております。
そういう中で、今も両委員からもお話がありました、私も同感でありますけれども、この憲法九条というのは戦後日本のまさにシンボルだと思います。平和国家日本、平和憲法をいただいたこの日本のシンボルであり、そしてまた世界に誇ることができる、そういったものであるということを私も認識をし、そして強く申し上げていきたいというふうに思っております。
ただ、その間に時間が相当経過をいたしております。五十数年という時間が経過をし、そして日本の国際社会の中での位置づけも大きく変わってきたということは事実でございます。
国際情勢の変化、例えば、冷戦構造の崩壊、ソ連の脅威は消えたわけでありますけれども、一方で、北朝鮮のミサイルまた核の脅威などなど、日本を取り巻くこの北東アジアの地域での地政学的なリスクがまさに顕在化をしてきた。私は、日本にこういう地政学的なリスクは、冷戦が終わって、もうこれでないのかなというふうに思っておりましたが、まさにそれが顕在化をしてきたというのが今の状態ではないかと思います。そしてまた、日本にとって、当然のことでありますけれども、周辺事態の可能性というものも消えてはおりません。
一方で、冷戦構造が崩壊をして米ソの二極構造がなくなったということが、そのことだけではありませんけれども、そのことがまた局地的な紛争を頻発させているといったような結果を、現実問題、招来をしているというのも事実だと思います。そういった局地的な紛争、そして、そういったところがおさまったときに、日本として、国際的な貢献の一環として、人の派遣、NGOの派遣だけではなくて、とどまらずに、自己完結能力を持った自衛隊の派遣というものの要請が高まっている、これもまさに事実だろうというふうに思っております。
こうした今私が申し上げた一つ一つのこの事態は、日本の国内事情、そういったものは抜きにして、まさにもう既にこの日本を取り巻く周りの中で起こってしまっているというものだと思います。その現実をまず直視しながら我々は議論を進めていかなければいけないのではないかというふうに思うわけであります。まさに、日本を取り巻く情勢、そしてそれだけではなくて世界の情勢が大きく変わってしまった、その現実をまず我々は認識をして議論していかなければいけないというふうに思います。
そして、日本の国際的な社会における地位そして位置づけ、そして占める地位、位置というのも、飛躍的に大きくなったのも事実でございます。そういう意味で、日本がどういう発言をし、どういう考えを持ってどういう行動をとるのかということを、その一挙手一投足を世界はまさに注目しているというふうに思うわけでございます。
そういう中で、国際情勢の変化、そして日本の置かれている地位、そうした実態、そういう現実、事実を見れば、より自然な形で、私は今こそ、日本の安全保障、防衛、そして国際平和協力といったものに対する基本的な理念であり基本的な考え方を、この際、明確に整理をして、一番はっきりとした国の、国家としての基本理念、考えを示す基本法である憲法の中で位置づけをして、そして世界に向かって日本の考えはこうですよ、こうなんだということを明確に発信をしていくということが必要だというふうに思います。そのことが国際社会の中で日本が信頼をかち得る大きな道の一つだ、ポイントの一つではないかなというふうに私は思うわけでございます。
では、もちろん国の基本法でありますから、日本国民がどう思っているかというのが大きいポイントでありますけれども、日本の国民も、やはり自衛隊を九割以上の方が認めている、そして災害の復興、救助、そしてまたPKO、こうしたものに対しても高い評価をしているということから、やはり国民の認識もそこまで高まっているというふうに思います。
そういう意味で、私は、きょうの中谷委員の意見開陳を全面的に支持するものでありますし、また、先般のこの調査会で古屋委員が言われました御提案、憲法改正、自衛隊を明確に位置づけて、そして、国の防衛と国際平和協力業務を明確に位置づけるということを御提案されたことに全面的に賛同するわけであります。
そこで、ちょっと話が長くなりましたが、まず松本委員にお伺いしたいと思うんです。
先ほど来の集団安全保障そしてまた集団的自衛権のお考えをお聞きいたしますと、今私が申し上げたような考え、そしてまた多くの同僚委員の考え方は大変近いというふうに私は認識しながらお聞きをさせていただきました。
そこで、まずお聞きしたいのは、今私が申し上げたこと、憲法上、自衛隊を防衛を担う正規組織として位置づける、そして国際平和協力業務を行うといったことについて明確にするということにまさに御賛同いただけるんじゃないかというふうに思うわけでございますけれども、その点についてはいかがでございましょうか。
松
松本剛明#8
○松本(剛)小委員 私見が入りますことをお許しいただきながら意見を申し上げたいというふうに思います。
先ほど申し上げたように、現行の解釈でできること、そしてまた現行憲法と現行憲法解釈というのは私、一応使い分けてお話をさせていただいたつもりであります。現行の憲法でできること、これは解釈をどのようにするかということにかかわってまいりますが、一方で、今大村委員おっしゃったように、望ましい形というのも考えていかなければいけないというふうに思っております。その意味で、望ましい形というのは、自衛権を認める、自衛隊の存在を認めるということであれば、それを明記することが望ましい形であるということは申し上げられると思いますし、国際平和に協力をする活動については、国連の集団安全保障活動には積極的に参加をするべきであるというのが私たちの考え方でありますから、望ましい形としてはそれをしっかり記すことが望ましいのであろうというふうに考えております。
この発言だけを見る →先ほど申し上げたように、現行の解釈でできること、そしてまた現行憲法と現行憲法解釈というのは私、一応使い分けてお話をさせていただいたつもりであります。現行の憲法でできること、これは解釈をどのようにするかということにかかわってまいりますが、一方で、今大村委員おっしゃったように、望ましい形というのも考えていかなければいけないというふうに思っております。その意味で、望ましい形というのは、自衛権を認める、自衛隊の存在を認めるということであれば、それを明記することが望ましい形であるということは申し上げられると思いますし、国際平和に協力をする活動については、国連の集団安全保障活動には積極的に参加をするべきであるというのが私たちの考え方でありますから、望ましい形としてはそれをしっかり記すことが望ましいのであろうというふうに考えております。
大
大村秀章#9
○大村小委員 ありがとうございました。
もう一つ、さらにお伺いしたいんです。
これは先ほども申し上げたのでまさに確認かもしれませんが、日本の防衛と国際平和協力業務を円滑かつ機能的に進めていくためには、集団的自衛権の保有と行使、これをやはり憲法上も明確に位置づけるということもあわせて必要だと思いますが、その点についてはいかがでございましょうか。
この発言だけを見る →もう一つ、さらにお伺いしたいんです。
これは先ほども申し上げたのでまさに確認かもしれませんが、日本の防衛と国際平和協力業務を円滑かつ機能的に進めていくためには、集団的自衛権の保有と行使、これをやはり憲法上も明確に位置づけるということもあわせて必要だと思いますが、その点についてはいかがでございましょうか。
松
松本剛明#10
○松本(剛)小委員 国連による集団安全保障の中での国際平和への協力と集団的自衛権については私は区別をして申し上げたつもりでありまして、国際的な平和に協力をする活動を行うために集団的自衛権が必要であるというのは、私は少し異なった意見でございますけれども。
ただ、集団的自衛権について、先ほど少し申し上げたわけですが、国際社会の中でもバイとマルチがあるように、やはりアジア太平洋地域において日本が安全保障網を構成しようとした場合に、日本に集団的自衛権というのを考える必要は政治の要請として出てくるんだろうというふうに思っております。
ただ、その要請にこたえるために、いきなり行くのではなく、先ほど申し上げたように、やはり法という形でしっかり担保されることが必要であろうということを申し上げてきたわけでありまして、やはり今申し上げたように、望ましい形というのはしっかり法に書くことだということは今おっしゃったようなこととして私も認められるのではないかというふうに思います。
この発言だけを見る →ただ、集団的自衛権について、先ほど少し申し上げたわけですが、国際社会の中でもバイとマルチがあるように、やはりアジア太平洋地域において日本が安全保障網を構成しようとした場合に、日本に集団的自衛権というのを考える必要は政治の要請として出てくるんだろうというふうに思っております。
ただ、その要請にこたえるために、いきなり行くのではなく、先ほど申し上げたように、やはり法という形でしっかり担保されることが必要であろうということを申し上げてきたわけでありまして、やはり今申し上げたように、望ましい形というのはしっかり法に書くことだということは今おっしゃったようなこととして私も認められるのではないかというふうに思います。
大
大村秀章#11
○大村小委員 はい、わかりました。
それでは、もう残りの時間が少ないのですが、中谷委員にお伺いしたいと思います。
ほぼ同じ考えなんですね。こうした考えをさらにいろいろな場を通じて深めていくことをぜひまた、御見識の深い中谷先生にぜひお願いを申し上げたいと思います。
そこで、一つお伺いしたいのは、今の集団的自衛権なんでございますが、憲法上に明確に位置づけていくべきという、私もそういうふうに思うんでありますけれども、ただ、実際問題これは大変時間がかかるということも事実だと思うんですね。
そこで、先般、報道の中で我が党の安倍幹事長が、この際、その権利を有するが行使できないという政府解釈を、例えば年限を区切って、私はこれについて例えば二年なら二年という期限を区切って国会を中心にして十分議論して、そしてその政府解釈の変更をするということをやったらどうかと。これは、私は十分検討に値する、いわゆる憲法改正の議論と並行してやっていくということは検討に値する議論だと思いますが、その点についてはいかがお考えか、お伺いできればと思います。
この発言だけを見る →それでは、もう残りの時間が少ないのですが、中谷委員にお伺いしたいと思います。
ほぼ同じ考えなんですね。こうした考えをさらにいろいろな場を通じて深めていくことをぜひまた、御見識の深い中谷先生にぜひお願いを申し上げたいと思います。
そこで、一つお伺いしたいのは、今の集団的自衛権なんでございますが、憲法上に明確に位置づけていくべきという、私もそういうふうに思うんでありますけれども、ただ、実際問題これは大変時間がかかるということも事実だと思うんですね。
そこで、先般、報道の中で我が党の安倍幹事長が、この際、その権利を有するが行使できないという政府解釈を、例えば年限を区切って、私はこれについて例えば二年なら二年という期限を区切って国会を中心にして十分議論して、そしてその政府解釈の変更をするということをやったらどうかと。これは、私は十分検討に値する、いわゆる憲法改正の議論と並行してやっていくということは検討に値する議論だと思いますが、その点についてはいかがお考えか、お伺いできればと思います。
中
中谷元#12
○中谷小委員 これは、日本は法治国家でもありますし、また、私も立法府の人間として、このような重要問題を解釈の変更によって実施すべきではないと思います。まして憲法というのは基本法でありまして、改正をしないままで次から次へと手品のようにあれもできる、これもできるというのは、国民の不信を買うばかりではなくて、実際にそれによって運用をしていく自衛官にとりましても、しっかりとした憲法の根拠に基づいて国民の合意のもとに活動するような状況でないと、これには非常にリスクも伴うわけでありまして、やはりこういった国家の重要なことにつきましては、きちんと国民が議論をして改正すべきではないかと思います。
それからもう一点は、この自衛権の考え方は、芦田修正の話もいたしましたが、きちんとした学説と理論によって構築をされておりますので、これで集団的自衛権も読むとなりますと、この限定放棄説という芦田修正自体も非常に軽いものになってまいりますので、やはり常道からしましても改正の手続をとるべきではないかと思います。
この発言だけを見る →それからもう一点は、この自衛権の考え方は、芦田修正の話もいたしましたが、きちんとした学説と理論によって構築をされておりますので、これで集団的自衛権も読むとなりますと、この限定放棄説という芦田修正自体も非常に軽いものになってまいりますので、やはり常道からしましても改正の手続をとるべきではないかと思います。
大
近
武
武正公一#15
○武正小委員 民主党・無所属クラブの武正公一でございます。
まず、中谷委員にお伺いをしたいんですが、よく首相が国際協調と日米同盟の両立というふうに言われるんですけれども、民主党あるいは私も、やはり日米同盟が先行している、国際協調というものがどうも後になっているという認識を持っております。
そもそも、憲法の前文というのも首相はよく持ち出されますが、憲法の前文は国際協調でありまして、その後、日米安全保障条約というものを締結していった経緯でございますので、国際協調のもとに、日米同盟や、あるいはまた日本の外交三原則である国連中心外交、あるいはまた地域的な経済協力関係などが横並びであるんではないかなというような私は認識を持っておりまして、国際協調と日米同盟の両立ということでもし譲ったとしても、今回のイラクへの自衛隊派遣のやはり理由というのは日米同盟堅持というのがあるというふうに考えるわけでございます。
今、懸念をされるのが、日本は唯一の被爆国でございますが、これまでも核拡散防止への取り組みをしてまいりましたが、例えば小型核の研究開発、その予算をアメリカが予算化したこと。あるいはまた、武器輸出三原則、これは佐藤首相が平和外交として一九六七年に提案をしたわけでありますが、随時見直しがされてきたこと。そして、過日の防衛庁長官の発言では、共同開発を第三国までいいんではないかというような発言まで出てくることでありまして、この国際協調と日米同盟の両立ということでいくと、やはり日米同盟ありきで日本が今さまざまな形で進めている取り組みといったことが言えるのではないかと思うんです。
委員は、最後のところで、国連中心主義、これも九条の中心にすべきというふうに言っておられますが、この点、まず一点、日米同盟ありきではないか、突出しているんではないかということについてお答えをいただきたいと思います。
そしてまた、松本委員の方に伺いますけれども、内閣法制局が見解を述べるという形で来ているわけでございますが、内閣法制局は行政の一機関である、それが憲法についての見解を述べるということの問題点、これがよく指摘をされるわけでありますが、ドイツにおける憲法裁判所といったものがあるということでございますが、こうした憲法についての解釈あるいは見解を述べる機関としての憲法裁判所の必要性についてどのように考えるか。
それから、シビリアンコントロールということであれば、テロ特そしてイラク特、いずれも国会の承認が、事後承認ということになったがために、どうしても説明責任が政府に欠けているのではないかという指摘がありますので、こうした国会の事前承認、あるいは防衛庁の防衛機密を守らなければならないけれども説明責任を果たさなければならない、こういった意味でのシビリアンコントロールのあり方。
そして三点目は、国連改革、国連への取り組み、これについてどのように考えるか。
そして、先ほど憲法解釈変更ということが大村委員から出ました。集団的自衛権を認めるべきではないか、この憲法解釈の変更といったことについて。
以上、四点お伺いしたいと思います。
この発言だけを見る →まず、中谷委員にお伺いをしたいんですが、よく首相が国際協調と日米同盟の両立というふうに言われるんですけれども、民主党あるいは私も、やはり日米同盟が先行している、国際協調というものがどうも後になっているという認識を持っております。
そもそも、憲法の前文というのも首相はよく持ち出されますが、憲法の前文は国際協調でありまして、その後、日米安全保障条約というものを締結していった経緯でございますので、国際協調のもとに、日米同盟や、あるいはまた日本の外交三原則である国連中心外交、あるいはまた地域的な経済協力関係などが横並びであるんではないかなというような私は認識を持っておりまして、国際協調と日米同盟の両立ということでもし譲ったとしても、今回のイラクへの自衛隊派遣のやはり理由というのは日米同盟堅持というのがあるというふうに考えるわけでございます。
今、懸念をされるのが、日本は唯一の被爆国でございますが、これまでも核拡散防止への取り組みをしてまいりましたが、例えば小型核の研究開発、その予算をアメリカが予算化したこと。あるいはまた、武器輸出三原則、これは佐藤首相が平和外交として一九六七年に提案をしたわけでありますが、随時見直しがされてきたこと。そして、過日の防衛庁長官の発言では、共同開発を第三国までいいんではないかというような発言まで出てくることでありまして、この国際協調と日米同盟の両立ということでいくと、やはり日米同盟ありきで日本が今さまざまな形で進めている取り組みといったことが言えるのではないかと思うんです。
委員は、最後のところで、国連中心主義、これも九条の中心にすべきというふうに言っておられますが、この点、まず一点、日米同盟ありきではないか、突出しているんではないかということについてお答えをいただきたいと思います。
そしてまた、松本委員の方に伺いますけれども、内閣法制局が見解を述べるという形で来ているわけでございますが、内閣法制局は行政の一機関である、それが憲法についての見解を述べるということの問題点、これがよく指摘をされるわけでありますが、ドイツにおける憲法裁判所といったものがあるということでございますが、こうした憲法についての解釈あるいは見解を述べる機関としての憲法裁判所の必要性についてどのように考えるか。
それから、シビリアンコントロールということであれば、テロ特そしてイラク特、いずれも国会の承認が、事後承認ということになったがために、どうしても説明責任が政府に欠けているのではないかという指摘がありますので、こうした国会の事前承認、あるいは防衛庁の防衛機密を守らなければならないけれども説明責任を果たさなければならない、こういった意味でのシビリアンコントロールのあり方。
そして三点目は、国連改革、国連への取り組み、これについてどのように考えるか。
そして、先ほど憲法解釈変更ということが大村委員から出ました。集団的自衛権を認めるべきではないか、この憲法解釈の変更といったことについて。
以上、四点お伺いしたいと思います。
中
中谷元#16
○中谷小委員 国際協調と日米安保の両立につきましては、これは占領時代も憲法制定期から懸案となった、つまり米軍の占領下で国連中心主義の憲法をつくったというところから問題になっているところでありますが、占領時代は、マッカーサーも国連中心主義を第一に考えておりましたけれども、冷戦が始まったということで、本国から対ソ体制を日本にとるということで、マッカーサー自身も不本意なことがあったと聞いております。
そこで、日米安保条約を締結いたしたわけでありますが、基本的にそこに書かれていることは、本来は国連中心であるべきであるが国連が機能しない現状において日米安保条約を締結する、その後の国防の基本方針の中でも、国連が機能するまでは日米安保条約を基軸と考えるというふうに書かれておりまして、早く国連が機能できれば安保条約から解き放たれることもあろうかと思いますが、現実の世界の中でアメリカ自身がそんなに国連を中心に考えてきてなかった。
イラクの対応においても、戦争が終わった占領統治をしなければならない現在においても、国連を中心とするのではなくてアメリカ中心の考え方を持っているということについては、私もこれはどうかなと、本当にアメリカがいつまで責任を持ってイラク統治をできるのかどうか、軍事的にも財政的にも疑問に思うわけでありまして、この点においては、日本はまさに力の見せどころで、国連を中心とした体制にどう持っていくかに傾注をしなければなりませんが、現実の対応としましては、アメリカの意向に従ってその支援を続けていくということは、現実の姿ではないかと思います。
したがいまして、国連を第一に考えるというのは、憲法制定時の理念でもあり、今後とも日本が自立できる国家としてその中心軸に定めるものでありますので、今後ともそれを目指して取り組んでいかなければならないと思っております。
この発言だけを見る →そこで、日米安保条約を締結いたしたわけでありますが、基本的にそこに書かれていることは、本来は国連中心であるべきであるが国連が機能しない現状において日米安保条約を締結する、その後の国防の基本方針の中でも、国連が機能するまでは日米安保条約を基軸と考えるというふうに書かれておりまして、早く国連が機能できれば安保条約から解き放たれることもあろうかと思いますが、現実の世界の中でアメリカ自身がそんなに国連を中心に考えてきてなかった。
イラクの対応においても、戦争が終わった占領統治をしなければならない現在においても、国連を中心とするのではなくてアメリカ中心の考え方を持っているということについては、私もこれはどうかなと、本当にアメリカがいつまで責任を持ってイラク統治をできるのかどうか、軍事的にも財政的にも疑問に思うわけでありまして、この点においては、日本はまさに力の見せどころで、国連を中心とした体制にどう持っていくかに傾注をしなければなりませんが、現実の対応としましては、アメリカの意向に従ってその支援を続けていくということは、現実の姿ではないかと思います。
したがいまして、国連を第一に考えるというのは、憲法制定時の理念でもあり、今後とも日本が自立できる国家としてその中心軸に定めるものでありますので、今後ともそれを目指して取り組んでいかなければならないと思っております。
松
松本剛明#17
○松本(剛)小委員 まず、武正委員御紹介の一点目、憲法裁判所についてでありますが、先ほどからも解釈の問題が出てきておりますように、今の憲法をどう解釈するかということはもちろん問題でありますが、今後、憲法がどのような形になろうとも、また必ず解釈の問題というのは出てくるわけでありまして、今のような、内閣法制局が一手にいわば解釈権を持っているかのように見える形よりは、憲法裁判所という形も望ましいというふうには考えられると思います。ただ、当然、これそのものが憲法に載せられるべき事項ということになろうかというふうに思いますので、まさにこの憲法調査会で御議論をいただくべきところではないかというふうに思います。
シビリアンコントロールにつきましては、いろんな誤解も率直に申し上げてあるようでありますが、最大のポイントは、やはり国民の代表である国会がそのフォース、軍事力をコントロールするということにあるんだろうというふうに思います。したがいまして、軍事的な力が動く場合は事前承認をするであるとか、そういった形というのは大変大きなポイントになるべきであると私も考えております。
国連についてでありますが、これは今既にお話があったことと若干重複をするのかもしれませんが、政治は、やはり今の現実を見詰めつつも理想を追い求めていくことが大変重要だろうというふうに思います。
その意味で、国連が機能するような形の理想を追っていくことが必要でありまして、今我が国は、先ほどもお話がありましたように、大変大きな財政的な支援、また国際公務員という意味での人、これはまだまだの部分もあるわけでありますけれども、徐々に出てきているという状況の中で、こういった国際社会、また国連における発言力といったものをしっかり確保して、しかも、それを我が国だけのために使っているのではなく、本当に国際社会のために使っているというふうな努力を重ねることが国連改革への道につながると思いますし、そのことがひいてはまた我が国の平和と安全を確保することにもなるのではないかというふうに思っております。
常任理事国入りということについては、私たちも先般の選挙のマニフェストで目指していきたいということを申し上げてきたわけでありますが、恐らく日本が常任理事国入りを果たすとすれば、安保理の機能であったり常任理事国の責務といったものも変わってくる中でのことも考えられます。今、国際社会の中で、国連改革の機運が出てきている中で、しっかりと発言権を確保しながら議論することが重要ではないかというふうに思っております。
また、近い将来での有事に対して憲法改正の時間を待てるかというお話でありました。これは、先ほど申し上げた法治の概念から申し上げて、改正の手続が待てないからやっていいという判断をしていいとは一概に言えないというふうには思っております。ただ、私たちは、日本国民の安全をしっかりと確保するという責務を担っていることも考えて、さまざまな選択肢を考える必要がある、ぎりぎりの選択をしなければいけないときがあるという意味で、先ほど幾つかの考え方を提示させていただいたというふうに御理解をいただけたらと思います。
一点、集団的自衛権について先ほど申し上げた中で、若干言葉が足らなかったと思います。今の憲法の中でも、集団的自衛権をどのように読むかということの解釈の可能性を申し上げたわけでありますが、当然自衛のための範囲であるということを一点申し添えさせていただきたいというふうに思っております。
以上です。
この発言だけを見る →シビリアンコントロールにつきましては、いろんな誤解も率直に申し上げてあるようでありますが、最大のポイントは、やはり国民の代表である国会がそのフォース、軍事力をコントロールするということにあるんだろうというふうに思います。したがいまして、軍事的な力が動く場合は事前承認をするであるとか、そういった形というのは大変大きなポイントになるべきであると私も考えております。
国連についてでありますが、これは今既にお話があったことと若干重複をするのかもしれませんが、政治は、やはり今の現実を見詰めつつも理想を追い求めていくことが大変重要だろうというふうに思います。
その意味で、国連が機能するような形の理想を追っていくことが必要でありまして、今我が国は、先ほどもお話がありましたように、大変大きな財政的な支援、また国際公務員という意味での人、これはまだまだの部分もあるわけでありますけれども、徐々に出てきているという状況の中で、こういった国際社会、また国連における発言力といったものをしっかり確保して、しかも、それを我が国だけのために使っているのではなく、本当に国際社会のために使っているというふうな努力を重ねることが国連改革への道につながると思いますし、そのことがひいてはまた我が国の平和と安全を確保することにもなるのではないかというふうに思っております。
常任理事国入りということについては、私たちも先般の選挙のマニフェストで目指していきたいということを申し上げてきたわけでありますが、恐らく日本が常任理事国入りを果たすとすれば、安保理の機能であったり常任理事国の責務といったものも変わってくる中でのことも考えられます。今、国際社会の中で、国連改革の機運が出てきている中で、しっかりと発言権を確保しながら議論することが重要ではないかというふうに思っております。
また、近い将来での有事に対して憲法改正の時間を待てるかというお話でありました。これは、先ほど申し上げた法治の概念から申し上げて、改正の手続が待てないからやっていいという判断をしていいとは一概に言えないというふうには思っております。ただ、私たちは、日本国民の安全をしっかりと確保するという責務を担っていることも考えて、さまざまな選択肢を考える必要がある、ぎりぎりの選択をしなければいけないときがあるという意味で、先ほど幾つかの考え方を提示させていただいたというふうに御理解をいただけたらと思います。
一点、集団的自衛権について先ほど申し上げた中で、若干言葉が足らなかったと思います。今の憲法の中でも、集団的自衛権をどのように読むかということの解釈の可能性を申し上げたわけでありますが、当然自衛のための範囲であるということを一点申し添えさせていただきたいというふうに思っております。
以上です。
武
近
福
福島豊#20
○福島小委員 本日は、中谷委員、また松本委員、貴重な御意見を御開陳いただきましてありがとうございました。私から余り意見を申し上げるというよりも、議論を深めるということから幾つかお尋ねをしたいと思っております。
いずれにしましても、この憲法の問題を考えるときに、それに先だって、現在の国際状況の中で今後の日本の安全保障を確保するためにはどうしたらいいのか、まずここのところの認識が大切なんだと思うんですね。また一方では、日本は、日中戦争、また太平洋戦争という大変大きな歴史の負の遺産というものを持っているわけでして、いまだになくなったわけではありません。ですから、特殊な国というふうに言う人もいますけれども、特殊な国として生きてきたということにも大きな理由があったんだろうと思います。この両方を考えるということが私は必要だと思っております。
まず、中谷委員にお尋ねをしたいんですが、委員は、憲法九条の果たしてきた機能ということで、敗戦後、日本がアジアの国々に国際的に受け入れられる現実的条件であったというふうにおっしゃられました。これは、受けとめ方によりますと、現行の憲法というのは押しつけられた憲法だという考え方もありますけれども、決してそういうものではなくて、九条という中核的な問題を踏まえて、これは日本国民自身がといいますか、当時の政治家自身がそういうものとして受けとめたんだというふうに考えていいのかどうかということですね。そしてこの条件というのは、私は、現在においても大きく変わったのかと言われると、決してそうではないかもしれないと思うんですね。この点についてお考えをお聞かせください。
この発言だけを見る →いずれにしましても、この憲法の問題を考えるときに、それに先だって、現在の国際状況の中で今後の日本の安全保障を確保するためにはどうしたらいいのか、まずここのところの認識が大切なんだと思うんですね。また一方では、日本は、日中戦争、また太平洋戦争という大変大きな歴史の負の遺産というものを持っているわけでして、いまだになくなったわけではありません。ですから、特殊な国というふうに言う人もいますけれども、特殊な国として生きてきたということにも大きな理由があったんだろうと思います。この両方を考えるということが私は必要だと思っております。
まず、中谷委員にお尋ねをしたいんですが、委員は、憲法九条の果たしてきた機能ということで、敗戦後、日本がアジアの国々に国際的に受け入れられる現実的条件であったというふうにおっしゃられました。これは、受けとめ方によりますと、現行の憲法というのは押しつけられた憲法だという考え方もありますけれども、決してそういうものではなくて、九条という中核的な問題を踏まえて、これは日本国民自身がといいますか、当時の政治家自身がそういうものとして受けとめたんだというふうに考えていいのかどうかということですね。そしてこの条件というのは、私は、現在においても大きく変わったのかと言われると、決してそうではないかもしれないと思うんですね。この点についてお考えをお聞かせください。
中
中谷元#21
○中谷小委員 そもそも、第二次世界大戦も反対の人もいたかと思いますが、全体的な雰囲気の中で日本が戦争になって敗戦に至ったことで、日本人自身も、家族を失い、もう二度とこのような悲惨なことは嫌だという思いもあったと思いますし、ましてや日本の統治に入った中国にしても朝鮮半島の人たちにしても、非常に日本は許しがたいという感情を持っておられたと思います。
そういう意味で、日本が統治し、また自立していく過程で、もう二度とあのような事態を起こせないというのがこの地域の中で日本が生きていける条件であった。当時の時代認識はそうであり、日本の指導者も国民もそのように考えていたと私は思います。
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福
福島豊#22
○福島小委員 もう少しお話をお聞きしたかったんですけれども、次に、松本委員にお尋ねをしたいんですが、集団的自衛権の行使の問題ですね。
委員の御説明はなかなかに微妙なお話で、将来東アジアを中心に安全保障の網を設けていくことは、政策の選択肢としてあるべきである、その過程において集団的自衛権の行使ができないということが、むしろその外交政策、また選択肢を狭めるのではないかという御指摘であったわけでございます。
率直に言うと、委員は集団的自衛権の行使を認めた方が日本の将来にわたっての安全保障においてプラスであるというふうにお考えなのかどうなのか、党の立場とは違うかもしれませんけれども、率直なところをお聞かせいただければと私は思っております。
この発言だけを見る →委員の御説明はなかなかに微妙なお話で、将来東アジアを中心に安全保障の網を設けていくことは、政策の選択肢としてあるべきである、その過程において集団的自衛権の行使ができないということが、むしろその外交政策、また選択肢を狭めるのではないかという御指摘であったわけでございます。
率直に言うと、委員は集団的自衛権の行使を認めた方が日本の将来にわたっての安全保障においてプラスであるというふうにお考えなのかどうなのか、党の立場とは違うかもしれませんけれども、率直なところをお聞かせいただければと私は思っております。
松
松本剛明#23
○松本(剛)小委員 党の立場とそごを来しているとは思っていないんですが、集団的自衛権について先ほど申し上げてきたように、まさに福島先生が冒頭おっしゃったように、日本の安全をどう守るのかといったことを考えるのがまず政治の役目としてあり、またそのときに、必要であったとして、そしてそれに基づく、それを行うための法がなかったとすれば、じゃ、法をどうするのかということを考えるのが恐らく我々の使命だろうというふうに思っております。
先ほど武正委員の話からもありましたけれども、私たちは、この日本の国はもちろん米国との関係は大変重要でありますが、国連、そしてアジアというそれぞれを柱にして外交を展開してきたし、その方向性は、三つの柱があることは私は間違っていなかったんではないかというふうに思います。
その中で、米国との関係は極めて、同盟という形でいろいろな中身、内容を伴うものになっているわけでありますけれども、アジアの近隣の諸国ともどういう形でお互いに平和を確保していくのかということを、やはり外交の中で、そしてひいては条約の中で確認をしていく必要が出てくるんだろうというふうに思います。
そのように考えたときに、日米安全保障条約というのは、先ほど非対称的という表現を私使わせていただきましたけれども、恐らく世界でもまれに見る形の条約であろうというふうに思っておりますが、これからアジアの国々とお互いに安全保障の条約を結んでいく中で、同じ形がとれるとは私は必ずしも思えない。そうなった場合には、やはり日本にも同等の責務を負うだけの覚悟と体制をとる必要があるというふうに思っております。
ただ、現行の憲法でも、先ほど申し上げたように、また宮沢先生初め幾つかの場所でもおっしゃっておられるように、自衛のための集団的自衛権の行使というのはあり得るんではないかという表現をされておられました。この精神は、基本的に私たちは、やはり自衛の範囲の中での集団的自衛権の行使ということで考えられるんではないかというふうに思っていることを申し上げたいと思います。
この発言だけを見る →先ほど武正委員の話からもありましたけれども、私たちは、この日本の国はもちろん米国との関係は大変重要でありますが、国連、そしてアジアというそれぞれを柱にして外交を展開してきたし、その方向性は、三つの柱があることは私は間違っていなかったんではないかというふうに思います。
その中で、米国との関係は極めて、同盟という形でいろいろな中身、内容を伴うものになっているわけでありますけれども、アジアの近隣の諸国ともどういう形でお互いに平和を確保していくのかということを、やはり外交の中で、そしてひいては条約の中で確認をしていく必要が出てくるんだろうというふうに思います。
そのように考えたときに、日米安全保障条約というのは、先ほど非対称的という表現を私使わせていただきましたけれども、恐らく世界でもまれに見る形の条約であろうというふうに思っておりますが、これからアジアの国々とお互いに安全保障の条約を結んでいく中で、同じ形がとれるとは私は必ずしも思えない。そうなった場合には、やはり日本にも同等の責務を負うだけの覚悟と体制をとる必要があるというふうに思っております。
ただ、現行の憲法でも、先ほど申し上げたように、また宮沢先生初め幾つかの場所でもおっしゃっておられるように、自衛のための集団的自衛権の行使というのはあり得るんではないかという表現をされておられました。この精神は、基本的に私たちは、やはり自衛の範囲の中での集団的自衛権の行使ということで考えられるんではないかというふうに思っていることを申し上げたいと思います。
福
福島豊#24
○福島小委員 自衛の範囲の中での集団的自衛権という御主張だということが理解できました。
もう少しお聞きしたいんですけれども、東アジアの地域の中でいろいろな国と安全保障上の取り決めをしていくというふうにおっしゃられましたが、これも余りいろいろな選択肢というのはないんだと思うんですね。中核となるのは、アメリカと日本の関係、そして日本と中国の関係、これをどうするかということになるわけですよ。
私は、日米同盟というのを基軸とする限りにおいては、あちらこちらと、韓国という問題はあるかもしれませんけれども、これはこれでいろいろな意見があると思いますけれども、それはそんなに選択肢があるんだろうかという気もします。一方で、率直に言いますと、何か東アジアの地域で紛争が起こる、韓半島で起こる、台湾海峡で起こる。そういったときに、果たして日本は集団的自衛権を行使するというようなことができるんだろうかという気がするんですけれども、この点について、再度委員のお考えをお聞きしたいと思います。
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私は、日米同盟というのを基軸とする限りにおいては、あちらこちらと、韓国という問題はあるかもしれませんけれども、これはこれでいろいろな意見があると思いますけれども、それはそんなに選択肢があるんだろうかという気もします。一方で、率直に言いますと、何か東アジアの地域で紛争が起こる、韓半島で起こる、台湾海峡で起こる。そういったときに、果たして日本は集団的自衛権を行使するというようなことができるんだろうかという気がするんですけれども、この点について、再度委員のお考えをお聞きしたいと思います。
松
松本剛明#25
○松本(剛)小委員 私は、本日憲法調査会に出席をさせていただいて、恐らく日本の五十年、百年の枠組みにかかわる問題だと。今の私たちの置かれている東アジアの情勢で、福島委員おっしゃったように、たくさんの選択肢がないのではないかという御指摘はある意味もっともだろうというふうに思いますが、将来の五十年、百年の理想を考えたときには、やはりさまざまな選択というのがあっていいのではないかというふうに思っております。
この発言だけを見る →福
福島豊#26
○福島小委員 私も、この五十年ぐらいとか、また百年とか、その単位で考えると、大きく物事は変わるんだろうという気がしています。ただ、今の時点でどうかという話はあるだろうと。
引き続いて、中谷委員にお尋ねをしたいんですが、お聞きしていて、最終的には集団的自衛権は行使した方がいいんだというふうにお考えなのか、端的なところをお聞かせいただきたいと思います。
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中
中谷元#27
○中谷小委員 先ほど松本委員も言いましたけれども、集団的自衛権の範囲というのはすごく広いと思うんです。ベトナム戦争当時に、アメリカの戦争にベトナムまで行くというのも集団的自衛権であるし、また、先ほど私が問題点として指摘した、日本を防衛するために日本の近隣海域で活動しているアメリカの船を護衛したり守ること、これも集団的自衛権であります。
私も、そんな他国の戦争に協力するということは必要ないと思いますが、常識的に我が国の防衛に必要なこと、及び国連を中心とし、また今後、世界の平和、安定に必要な活動においてはいろいろな制約をつけずに日本もしっかりした活動ができるようにということで、そういう意味で、現在禁止されている集団的自衛権の範囲を狭めていただきたいと。
例えば、武力行使においても、一体化するということでいろいろと活動が制約をされる中で、目的は人道支援であり、また世界の秩序安定でありますので、そういった本来の活動目的が達成されるように、この点においてしっかりとした基準を設けてほしいと思っております。
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例えば、武力行使においても、一体化するということでいろいろと活動が制約をされる中で、目的は人道支援であり、また世界の秩序安定でありますので、そういった本来の活動目的が達成されるように、この点においてしっかりとした基準を設けてほしいと思っております。
福
福島豊#28
○福島小委員 中谷委員そしてまた松本委員のお話を通じて感じますのは、集団的自衛権の中身をどう考えるんだ、ここのところが大事だと。言葉で、通り一遍でいいのか悪いのかということではない、そこのところをもっと具体的に考えた方がいいという御示唆をいただいたような気がしました。
どうもありがとうございました。
この発言だけを見る →どうもありがとうございました。
近