野坂泰司の発言 (憲法調査会基本的人権の保障に関する調査小委員会)

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○野坂参考人 裁判員の問題でございますが、私もまだ、思想、信条の自由を理由として辞退ができるという考え方で、政令によって定めるところによりそういうふうに辞退が認められるということを伺ったばかりなものですから、具体的に深く突っ込んで考えているわけではありませんが、先ほど少し申しましたように、まだ思いつくままに述べた程度でございます。
 まさに内心の問題というのは、非常に千差万別であります。先生がおっしゃられたように、死刑になりそうな事件にはかかわりたくないというような場合に、死刑制度に反対であるというような信条もあるでしょうし、そこまで深く考えてはいないんだけれども、つまり、死刑制度に反対ではないけれども、自分が死刑という結論に手をかすのが嫌だというふうなところもあるでしょう。それから、もっと漠然と、何となくそういう大それたことにはかかわりたくないという程度のこともあるかもしれません。
 そういったものをどう仕分けするかということで、基本的に考えられることは、内心の問題は、やはりその人の生き方、人格形成といいますか、そういうものに深くかかわっているというものかどうかの見きわめで決まってくるだろうと思うんですね。ですから、先ほど挙げた例で、深い宗教的確信として自分は人を裁くというふうなことはできないということがはっきりすれば、それは尊重すべきだというのは、かなりはっきり言えると思うんです。それと同程度に、宗教的なというものではないんだけれども、自分の信念としてこういうことにはかかわりたくないということがはっきり示せれば、その人の信条なり良心の問題として、尊重すべきだということが言えると思います。
 ただ、そうしますと、辞退したいというときに、どなたかが面接するなり、あるいは何か文書にして自分の信条というものを出すのかというようなことになりまして、何か手だてを講じなければ、ただ単に自分の良心に反するから拒否しますということで済むとは、ちょっと思えないんですね。
 これは国民の義務だとすれば、それを免除するというなら、それなりのしっかりとした根拠が必要だというふうに考えますので、繰り返しになりますけれども、その人の内面にある、自分の生き方にかかわる核心的な部分から出た拒否理由なのだということが判断できるかどうかを最も大事な基準とすべきでしょう。ただ、それをどうやって調べるのですかというところがかなり困難ではないかなというふうに私は思いましたので、先ほどちょっと申し上げたという次第でございます。

発言情報

speech_id: 115904186X00220040311_018

発言者: 野坂泰司

speaker_id: 19028

日付: 2004-03-11

院: 衆議院

会議名: 憲法調査会基本的人権の保障に関する調査小委員会