田口守一の発言 (憲法調査会基本的人権の保障に関する調査小委員会)
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○田口参考人 幾つかの問題があろうかと思いますが、まず、現実の必要に迫られて、憲法の予定するあるべき刑事手続がいわば変容してきたのではないか、こういう御指摘があります。
この点につきましては、憲法あるいは刑事訴訟法の定めた公判中心主義、当事者主義というものは一種の理想論であって、日本の現実は違うのだ、こういう議論もありますが、私は、必ずしも、日本という国あるいは日本の国民の国民性というものがそういった憲法規範というものとは違う要求を持っているというような理解はしておりません。むしろ、先ほどのような厳しい取り調べであるとか伝聞例外の拡張であるとかいう問題も、これはあくまで制度の問題であって、日本の司法文化であるとか国民性の問題であるとか、そういったいわば論争抜きのようなものではない、努力によって何とでも変わっていくものだというふうに思っております。
したがって、現実の必要性によって変容してきたということですけれども、これは制度改革によって幾らでも直っていく問題であるというのが一つです。
それから、後者の問題、もう一つの問題は、今新しい制度ができたけれども危惧感を持っておられる、こういうことでありました。
私は、何が決定的に違うかというと、やはり、試算によると年間二万五千人の裁判員が就任するんでしょうか、その辺はよくわかりませんが。そういった国民の素人の目が裁判官の合議室に入るわけですね。国民の目が入るということは大きな変化だと私は思います。準備手続の結果にしても、公判にそれを顕出する必要がありますので、判、検、弁護士で内々に話し合いをするというようなことが仮にあったとしても、なぜその証拠能力を認めたかどうかというようなことについては、公判の裁判員のいる、市民のいるところへ来て、こういう結果でこの証拠は認められましたよということを説明する必要があるわけですね。そうなりますと、やはり専門家の間だけの内々の話ということは、これからは通用しなくなってくると言っていいかと思うんですね。
そういう点から、危惧感、もちろんそれはいろいろ問題はあると思いますけれども、なお期待を持って、国民の役割というものに期待を持ってもいいんじゃなかろうかというのが一つです。