川本裕子の発言 (憲法調査会公聴会)

⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。 詳細は利用規約をご確認ください。

○川本公述人 早稲田大学の川本でございます。
 本日は、憲法問題調査会公述人としてお招きをいただきまして、大変光栄でございます。私は、日ごろ触れることの多い経済や経済政策との関係で、憲法議論に期待したい点を幾つか申し上げたいと存じます。憲法の法律論に関しては知識が乏しい者でございますが、その点御容赦の上お聞き願えればと存じます。
 経済にとって憲法は、財産権、営業の自由、職業選択の自由を保障することで、政府の機能、介入を限定し、個人や企業の自由な経済活動を促進しているところに大きな意味があります。日本国憲法は、市場経済を原則とする我が国経済のあり方を保障していると考えられます。ここまでは、まず異論のないところだと思います。
 問題は、これらの憲法の条項がどのように解釈されてきたかです。日本国憲法の伝統的な解釈は、憲法二十五条第一項の生存権を根拠とした政府の経済介入には肯定的であり、また、いわゆる二重の基準により、経済的自由に関する制限の判断基準は、精神的自由への制限の許容基準よりも緩く、合理性の原則で判断するという考え方であるようです。
 しかし、現実への適用という観点から見れば、薬事法違憲判決のように、最高裁が、競争を制限した政府の規制を合理的根拠がないとして違憲と判決したケースもあるように、経済的自由だからといっても、政府が恣意的に介入することはできないことが判例理論として確立しています。あるAという人の経済的な活動を制限しようとするには、何のために制限をするのかという理由が法律などを通じてきちんと説明されなければいけません。仮に法律が国会で議決されたものであっても、合理性がなければ、裁判所は憲法に基づきAさんの主張を認め、政府の規制は退けられます。
 また、最高裁は、憲法第二十五条第一項を根拠とした国民の権利は、具体的なものではなく、法律により具体的内容を定めるべきとしてきており、その限りで政府の経済への積極的な介入には歯どめをかけています。
 このように、結果としては今の憲法は大過なく運用されてきていると言えますが、経済を専門領域とする立場から一言申し上げれば、憲法解釈として二重の基準の考え方は、もしそれが政府の経済への介入を大幅に許す方向で依然維持されているとするならば、時代に合わなくなっているのではないかと思います。
 確かに、表現の自由などの精神的自由について、それに制限を課すことは、民主主義の根幹にかかわるために極めて慎重に例外的にすべきという考えには私も同感です。しかし、だからといって、その返す刀という形で、経済的自由については制限できるというように議論することはおかしく思えます。経済的自由の尊重も、国のあり方として、精神的自由に劣らず大事であると思います。
 経済政策の考え方も大きく変貌を遂げています。日本国憲法が制定された戦争直後には、大恐慌やニューディール政策などの経験を経て、アメリカを含めて、国家の大幅な経済介入による福祉国家の実現が世界的に基本的な経済思想となっていました。現在、憲法の解釈として述べられている二重の基準も、こうした経済思想を踏まえての考え方であると思われます。
 しかし、一九八〇年代以降、福祉国家路線の行き詰まり、社会主義の崩壊といった歴史的展開を受け、政府の過剰な介入を避け、市場経済の力を十分に発揮させなければ日本も成長していけないということは、動かしがたい流れになっているのではないでしょうか。中国経済でさえ自由化、市場化によって大きく躍進している時代です。日本の憲法の検討も、こうした経済の実態を十分に取り込んで進めていただきたいと希望します。
 特に、日本では、依然として政府による過剰な規制の問題が解決したとは言えません。例えば、官民の関係で、依然官が優越的地位を持っている印象も強いですし、あいまいな根拠により、広範な規制を行政が行う傾向がいつまでも是正されない状況にあるのではないでしょうか。政府介入に関する憲法解釈の緩やかさが、これらの官優位の思想につながっているとすれば根幹的な問題です。私は、法律一般、また憲法の専門家ではないので確かなことは申し上げられませんが、経済的自由に関する現在の大過ない憲法の運用を念押しする意味で、憲法を見直すことに検討の価値があるかもしれないと思います。
 ただし、私は、経済政策のあり方について、憲法でもっと事細かに規定せよと主張をするつもりはありません。専門的知識を要求される個々の経済的事例に関して、一々裁判所に憲法判断を求めるということは現実的ではないからです。金融システム一つをとってみても、完全なレッセフェールではうまく機能しないのは明らかです。
 現実には、個々の問題は、政府が政策決定として時宜に応じ判断し、国会や国民に説明責任を果たしていくという形で運営していかざるを得ないことが多いと思われます。経済は生き物であり、裁判所による憲法判断によって経済運営を行うことには無理があります。憲法はあくまで基本法であり、政府が極端に不合理なことをしてきた場合にそれを抑える、ラストリゾートとして機能するという姿が望ましいでしょう。
 この観点から一点付言すれば、私は憲法に財政均衡義務を規定するといった考え方には反対です。確かに、日本のみならず、民主主義国の政府は財政赤字を必要以上に膨張させる危険や傾向があります。我が国における巨額の国債累積残高の実態は典型的な事例です。しかし、我々はその問題を憲法で解決できるでしょうか。政府が不況時に財政スタンスを緩くとるということは、一般論としてはマクロ経済の安定という視点から望ましいことで、その手をむやみやたらと縛ることは、経済の安定的成長という観点からはかえって有害になります。
 アメリカの州の憲法には財政均衡条項を置いているものもあるそうですが、実際には、背に腹はかえられず、あの手この手の抜け道が講ぜられているとのことです。そうなると、違憲状態が恒常化することを黙認せざるを得なくなり、憲法への信頼を揺るがすことになる危険があります。
 私の意見としては、憲法に規定すべき政府の義務は、財政赤字を出さないではなく、財政赤字を隠さないということにすべきだと考えています。これについてはまた後で御説明したいと思います。
 以上述べてきたように、憲法に経済問題を何から何まで解決してほしいと要求するのはないものねだりであり、結果的にかえって失望を招く考え方だと思います。そして、今の日本国憲法は経済的自由の保障という機能ではおおむねうまくいっているという印象を持っています。
 しかし、経済の観点からいうと、民間の経済的自由を保障し、政府が不合理、不要に介入することを防ぐという視点だけが憲法論ではないと思います。そうした視点を超えて、政府活動が経済にゆがみや過大な負担をもたらさないよう担保する、そのために国民が監視し、是正し得る仕組みをつくるという視点からの憲法論も求められます。その意味で憲法には重要な役割があるのではないか、見直しを図っていいのではないかという問題提起をしたいと思います。
 以下、二点を申し述べます。
 第一に、政府活動全般に関する情報公開の徹底です。この問題提起をする私の基本認識をまず述べます。
 経済財政諮問会議を初めとしてさまざまな場で議論されている問題ですが、現在の我が国全体のお金の流れを見ると、政府がコントロールしている資金循環部門が巨大な規模に上っています。二〇〇四年度末でGDPの一四四%に当たる水準に達した一般政府負債については、予算の歳入部分で明示されており、巨額であることは大きな懸念ですが、情報開示という点では問題はないと思われます。問題は財政投融資の部分です。郵貯や年金として国民が預託した資金のうち、相当部分がさまざまな特殊法人に融資されており、住宅、高速道路、中小企業、地方自治体などさまざまな資金が流れています。財政投融資残高は四百兆円で、民間金融機関の融資総額に匹敵します。
 道路公団の民営化問題でも大きな問題となりましたが、こうした資金は政府を媒介にして循環しており、最終的に返ってくる見込みがあるかどうかは必ずしもはっきりしません。特殊法人は政府機関なので、その不良債権の存在はそもそも問題ではないという前提のもとで情報が開示されています。政府機関であるがゆえに破綻という事態は想定されておらず、退出の規定もありません。
 特殊法人などが企業会計原則を適用しないということは、単に民間企業と事業手法が違うなどといった会計手法の違いではありません。そうしたテクニカルな次元の問題ではなく、最終的には政府保証で支えられる事業形態であるために市場の監視を受けないという問題が根源にあります。そうした前提で事業経営が行われている特殊法人に対しては、基本的に経営ガバナンスが働かないのは自明の理です。企業でいえば、赤字が出続けているのに、その経営責任を問う体制も規律も、またその手法も存在していないからです。独立行政法人という新たな法人形態も出てきていますが、この問題を根本的に変えるものではありません。
 こうした公的な資金循環は、最終的に大きな国民負担をもたらす危険性が強くあります。道路公団の民営化でも最も懸念したのはこの点、すなわち、民間から金を借りながら収益性のない道路に投資がどんどん進んで、ますます借金が膨らんでいる事態をどうとめられるかという問題でした。
 高度成長期には、伸びる社会ニーズに民間だけでは資金供給は大きく不足しており、さまざまな社会インフラ整備を進めるために財政投融資が民間資金を補完する意義を有していたかもしれません。しかし、今日の日本経済では、将来への巨額の国民負担の先送りとなっているおそれが強くあります。本来の方向としては、経済に不透明な負担となるこのような資金循環は縮小し、究極的には廃止ないし完全民営化すべきです。今の郵政民営化もそうした観点から検討されているものと理解しています。
 前にも述べましたように、郵政を民営化すべし、財政投融資を廃止すべしというのは政策論であり、憲法との関係でいえば、いわゆる立法政策の問題、すなわち国民の代表たる国会が決めるべき事柄でありまして、憲法に直接規定すべき問題ではありません。しかし、そもそもなぜ問題がここまで巨大化、深刻化したかを考えてみれば、それは財政投融資、特殊法人に関する国民に対する情報開示が極めて不十分であったからだと考えられます。今でこそこの問題には大きな焦点が当たっていますが、つい数年前までは一握りの専門家と財政当局の間でしかこの問題を議論していませんでした。健全な政策づくりが進むように十分な情報開示を確保するのは、憲法の役割と言っていいのではないでしょうか。
 最終的には国民負担となるような政府活動については、前広、積極的に政府に情報公開させるべきです。今の憲法では、第七章の「財政」の箇所の規定があり、例えば、内閣は、財政状況についての国民への報告義務を毎年負うとされています。第九十一条ですが、これも予算という狭い範囲に解釈されて運用されていると考えられます。いきなり国民負担となったときの予算措置を報告されても国民としては遅過ぎるのであり、潜在的に国民負担を生む政府活動はすべて国民に報告させたり、情報開示させるような規定整備が必要ではないでしょうか。また、こうした義務は、将来、財政投融資制度が何らかの衣がえをするようなケースでも依然適用されるよう、十分一般性を持たせるべきでしょう。
 今でも政府は情報開示に努力しているという意見もありますし、最近改善が見られるのも確かです。しかし、最大の問題は、特殊法人を初め多岐にわたる政府活動、その結果として最終的には納税者負担が生じ得る政府活動を総覧する連結財務諸表が存在しないことです。特殊法人などは、基本的には全債務を政府が保証していると市場は考えています。ということは、これらは政府の子会社であり、政府債務に対して最終的に責任を負う納税者としては、そのすべての財務内容を一覧的に理解できる形で知る権利が当然にあると思われます。これは、郵政公社や年金資金など、自主運用が認められている部門についても当然当てはまります。
 今は一覧的開示がなされていない財投機関債については、政府保証債と違い、政府は保証していない債務だという意見もあるかもしれませんが、明示的に法律でそれを否定していない限り、市場はそう受け取っているという実態を踏まえる必要があります。特殊法人や財政投融資の問題の本質は、国民の究極的な負担が隠されやすいという点です。それを隠せないというルールが基本的枠組みとして確立すれば、おのずから改革の議論も変わってくると思われます。
 もちろん、情報開示義務を文字づらで書いただけでは担保としては弱く、国会承認の対象にすべきという議論もあり得ます。また、中立的な監視機能を強化するために、会計検査院を国会に直属させるという考え方もあり得るでしょう。具体的な憲法の規定については素人の私には決定的な意見があるわけではありませんが、要は、納税者の立場から、国民はもっと情報を詳しく理解できる形で政府に提出してもらう権利があるのではないかという論点です。
 第二に、情報公開と並んでもう一つ重要な見直しのお願いは、議員定数不均衡の問題、一票の重みの問題です。いわゆる公共経済学の観点から、公共財をどの水準で供給するのかを決めるかなど、集団的な意思決定については、市場における決定に比べていろいろ難しい問題があるとされています。しかし、それにしても、集団意思決定において、一票の重みが平等であることについては議論の当然の前提となっています。
 ところが、今の日本には大きな一票の格差が存在し、なかなか是正されないという現実があります。そもそも国会が公共政策決定の責任主体となる前提条件を満たしていないのでは、日本にとって大きな問題です。国民の意思がきちんと反映されていない国会、その意思決定に基づいて責任者が指名される内閣に、国民が全幅の信頼を寄せられないのは当然の理であると思います。
 この件についての最高裁判所の憲法判断については極めて大きな疑問があります。少なくとも衆議院について、一票の価値の平等の厳格な実現は憲法上の要請であるというのが憲法学界の主流的見解であるとも伺っています。最高裁は、衆議院では三倍、参議院では六倍までの格差を国会の裁量範囲としているようですが、そうしたことを最高裁が判断できるのか疑問に思います。国会など日本の最高機関の信頼にかかわることなので、国会に早急に毅然たる是正措置をとっていただくのがベストです。しかし、現状がどうしても変わらないのであれば、今の憲法の規定がそうした解釈の余地を与えているのが問題と考えられるのですから、規定の見直しを図るべきではないでしょうか。
 また、こうした憲法判断では、最高裁が、定数配分規定は違憲であり、それに基づいて行われた選挙は違法だと判断しても、選挙の結果は有効だという判決が出されるのが通例となっていますが、これも納得できないところです。国民の遵法観念に無形の悪影響を及ぼしているのではないかと思います。何より、自分の子供に説明できません。学級委員の選挙で一人一票だと思ったら、あるグループの子たちは三票ずつ入れていたことがわかった、ルールどおりやれていなかったというのと同じようなことです。間違いがあったことがわかればすぐにやり直すのが当然だと我々は教えるのではないでしょうか。今回は混乱が生じるので来学期に正しい方法でやりましょうなどと言えば、子供はどう思うでしょうか。次の世代に責任を持つ者として、子供にきちんと説明できるかというのは大切な基準です。
 違憲であると判断する選挙については、一定期間を限って国会が不均衡を是正する立法措置を判決で義務づけ、その上で選挙をやり直させるべきだと思います。
 経済政策では所得配分効果というものが常にあります。どのような所得配分が最も社会にとって望ましいかは常に難しい問題になりますが、避けて通れません。社会保障の問題もそうであるし、郵便や金融のユニバーサルサービスの問題、そして道路問題も同様です。これからは、高度成長期につくられ、右肩上がりの経済に合わせてつくってきたさまざまな国の制度を手直ししていくことがいや応なく迫られます。そこでも必ず所得分配への影響は出てきます。その難しい問題を議論し、決定する国会に主権者たる国民の意思がきちんと反映されていなければ、政策決定への納得感は格段に低下します。その意味で、国会と最高裁の一層の努力と決意を期待しますし、憲法議論の中での御検討をぜひお願いできたらと思います。
 御清聴どうもありがとうございました。(拍手)

発言情報

speech_id: 115904187X00120040512_004

発言者: 川本裕子

speaker_id: 1882

日付: 2004-05-12

院: 衆議院

会議名: 憲法調査会公聴会